悲しみ - みる会図書館


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1. いまからここから

みづのたたへのふかければ おもてにさはぐなみもなし ひともなげきのふかければ いよよおもてぞしづかなる ( 高橋元吉詩集 4 ・草裡 * ) 高橋元吉 ( 一八九三 5 一九六五 ) は、群馬県前橋の人で、高村光太郎賞受賞の詩人です 水の流れは、浅いほど音をたてますか、深い渕になると静かです 人の悲しみも同じですねことばに出せるうちは浅いんです。本当に深い悲しみは ことばに出せません。人の胸の痛みも、自分で体験しなければわかりません。人の世の さまざまな苦しみ、あらゆる悲しみを体験し、それに耐えた人、それが観音さまだと思い ます。だから、こんなにしすかな顔をしているんです どうしてこんなにしずかなの ? かなしみにたえた人だから みづのたたへの ( 「禅の友」一九八六年五月号より )

2. いまからここから

トンネルを抜けなければ トンネルを抜けると雪国だったーー名作『雪国』の名文句ですが、トンネルを抜けなけ れば雪国には出られない、と私は考えました。トンネルとは、長い長い無明の闇 ( 迷い ) の こと。さまざまな人間の業 ( 行為 ) か織りなす愛憎の苦しみ、愛欲の悲しみ、地獄の嵐の吹 き荒れるトンネルを通ってこなければ、浄らかで広い仏の世界、つまり雪国には出られない。 そして、そういう長い無明のトンネルを身をもって体験された人の慈悲と願いが千手 観音を作らせたのではないでしようかトンネルの中には、迷い苦しんで仏の救いを求め ている人が無数にいます。手か何本あっても足りません。眼がいくつあっても足りません 無数の手、無数の眼が必要なんです かんのん讃歌 なんでそんなに手があるの ? 助けたい人がいつばいいるから ( 「禅の友」一九八六年三月号より )