とする。その中には、当然、価値ある仕事をもち、家族が豊逆に、極限に、その「すべて」に反するような例外を見出す かな生活を送るための収人を得ること、そして家族にーー父ことになる。その例外をあえて遂行する情熱や勇気をもつ者 や夫が立派なことをしているというーー自尊心を与えること、に、人は「男らしさ」を感じることになる。 等も含まれる。だが、あるとき、その仕事の上での使命を果「男」を、このように形式的に定義すると、ただちに次のこ たすためには、家族を犠牲にしなくてはならなくなったとすとに気づくだろう。この条件は、本来は、性的差異とは関係 る。家族と長く離れて暮らさなくてはならないとか、命を落がない、と。つまり、女が、このような条件を満たすことも、 とすかもしれない危険な任務を遂行しなければならないとか。論理的にはありうるし、実際にもある。ただ、われわれの文 このとき、もし彼が、家族を犠牲にするくらいならばそんな化は、ーーというより人類は どういうわけか、長い間、 仕事をしたくないと、たいした懊悩や迷いもなくあっさりと、 このような条件を、男と結びつけてきたのだ。山崎豊子の小 職務を放棄してしまったとしよう。このとき、われわれは、説も、こうした文化の歴史的蓄積の上にある。 そしてまた家族自身は、この男はそれほどまでに家族を愛し ていた、と判断するだろうか。必ずしもそうではあるまい。 なせ小が大を喰うのか 逆に言えば、この男が、家族に犠牲を強いる使命を遂行した 同時に、「男」という条件が、悪と必然的に結びついてい としても、このことが、彼の家族への愛の小ささの証明とはるわけではない、ということもあらためて確認される。同じ ならない場合もあるのではないか。それどころか、家族への条件を、「善」によって満たすことも論理的には可能だ。だ 愛が深いがゆえにかえって、家族を犠牲にせざるをえなくなが、財前は、悪によって、「男」の条件を充足させた。どう ることさえあるのではないか。また家族も、自分たちに犠牲して、この時期の山崎作品の「男」は、悪を代表しなくては を強いるような大義や使命をもっ父や夫をーー・そうした大義ならなかったのか。このような疑問にわれわれが拘っている や使命を難なく放棄してしまうような父や夫よりもーー・ますのは、山崎の後期の有名な作品を見るならば、あるいはすで ます深く尊敬し、誇りに思う、ということもあるだろう。決に検討してきた初期の作品を読むならば、彼女が特に、悪を して、「そんな父 ( 夫 ) は私 ( たち ) を愛してはいないのだ」描くことに執着しているようには思えないからだ。いや、明 などと簡単に感じはしない。 らかに逆である。山崎の作家としての全生涯を振り返るなら、 このように、何ごとかをすべて十全に果たそうとすると、彼女は、善や正義を体現する、男らしい男を描きたいという、
カー物 六月一日 ったタバブックスという出版社のさん が、ご本人は静かでちゃんとした人のよ ミスタートー ナツで仕事をしようと、 も来て下さる。栗原さんが書いた『はた うだった。栗原さんはイケメンと言うよ カウンターで注文の順番を待っていると、 らかないで、たらふく食べたい』という り男前と言った方がびったりくる。昭和 後ろの男子一一人組が買ったばかりの本に、本を読んだトムちゃんが、その内容にい の感じがするのだが、しゃべってみると、 丁寧に丁寧に透明のカバーをつけている。 たく感動し、きったない字で読者カード 年寄りの我々から見たら、やはり先端を いつもカ・ハーを持ち歩いていて、買うと を送り、それが縁で、増刷のとき帯を頼走っておられる方で、何を聞いてもすぐ すぐっけるのだろう。本の人っていた袋まれたのである。うちは、ケータイもメ さま答えてくれて、こちらまでテンショ は、私が見たことのない店のもので、ほ ールもやめてしまい、電話も留守電にし ンが上がる。トムちゃんは、ほんまもん ぼ毎日、三宮を歩いているのに、私の知ていないので、よほど運がよくないと直 の人が来ると決まると、自分のニセ教養 らない本屋があるのか、とちょっと驚く。 接話すことはない。仕事もプライベート がばれぬよう予習をする。この日も、あ もファックスだけである。なので、さ れこれ用意していた球を投げては打たれ 六月二日 んとは、ほとんど声をかわしていない。 る。ずいぶん前に、私たち二人の間で流 栗原康さんがやって来る。関西で用がやって来たさんは、ずっと律儀に出版行った「だめ連」の人たちのこともよく あったらしく、せつかくだからと神戸ま の仕事を続けてきた女の人という頼もし知っていて、その後の活動を教えてもら で足をのばしてくれたらしい。会いたか い感じで、出版する本は相当ヘンなのだ う。「だめ連」というのは、最低限の労 働しかしない人たちの集まりで、私が見 題字・絵たテレビでは、週に一度銭湯にゆき、帰 大西洋 りに川風に吹かれながらソ 1 セージでビ ールを一缶あけるのが楽しみで、その他 はずっと仲間たちとしゃべっていた。栗 原さんいわく、彼らは健在で、会えば 「まだ生きてます」というのが挨拶だそ うだ。まだ資本主義がここまで行き詰ま づていなかったときからある。彼らは、
知っては」 お′、べしこと 佐藤優 地政学の本を書いたり、発言したりして を懸念するお気持ちがあって : いますが、それは地政学の論理構成を理佐藤その気持ちは非常に強いです。 解し、さっさと脱構築を図らなければな 加藤情緒的なナショナリズムというの らないと思っているからです。あれはナ は、まさに反知性主義につながります。 チスのイデオロギーですから。 反知性主義にはどう対応すればいいのか。 加藤日本人を戦争に導いた思想家・大灘高生たちは講義の中で繰り返し佐藤さ 川周明の言説や文部省のイデオロギー文んに尋ねていました。 書「国体の本義」を読み解く本を出され佐藤この問題は彼らにとって非常に切 たのも、脱構築を促すためですね。 実なんですよ。一番大きな不安材料かも れてしまったことで、イギリスでは本来佐藤おっしやる通りです。ソ連崩壊に しれない。自分たちが大人になった時、 起きないはずの離脱という選択が起際してロシア人工リ 1 ト が依拠した論理反知性主義が「理屈じゃない。とにかく きてしまった。スコットランドの独立を は啓蒙の思想であり疎外論でした。そし ムカつくんだ」といった感じでこちらに 阻止するところまでは情報操作とエリー て・ハルト三国のエリートたちが依拠した向かってくる気配を確かに感じているん ト層の画策でうまくいったけれど、今回論理はナショナリズムでした。しかし双です。 はそれが機能せず、イギリス政治は。ハニ方とも自分たちが依拠した論理がインチ 加藤そこで佐藤さんの出した喩え話が ックを起こしています。では、イギリス キだと分かった上でそこに乗っかっていすごく面白かったんですが。 のような状況を作らないためには何をすた。逆に言うと、インチキだと分かって ぶど ればいいか。やはり国民が共有できる物いるから歩留まりがある。 たとえば、中学校を卒業したかどうか にしのみや 語が必要になってくる。それは安倍首相加藤民族のナショナリズムはエリート も分からないようなチンピ一フに、西宮あ の唱える一君万民論のような完全に消費 によって人為的に作られるものである、 たりの駅前でからまれて、ナイフを突き し尽され、話している本人すらどれくら という説が講義に出てきました。である つけられたらどうするかと考えてみる。 い信じているのかわからない、そういう ならば、そのことを認識している国が操筋を通して理路整然と話をして解決する 古い物語では決してないのです。 作すれば一定の制御が可能だけれども、 のか、有り金を渡して逃けちまったほう 日本はそれを観念や情緒でやってしまおがいいのか、あるいはいきなり「先輩み 〈人間対人間〉たから伝えられること うとするから制御不能に陥る可能性が高たいな人が好きなんです ! 」と抱きつい わけ いということになる。佐藤さんにもそれて、訳わからない感じで丸め込むのがい 佐藤また今の地政学プームの中で私は、 超難関高校 世界基準の ( 常を教えよう
とではないのです。 か「選挙に出るならエリート高校の出身ケースなんだから。ほかの人は誰も言わ 加藤そう思います。講義でもおっしゃ者より偏差値五〇台半ば以下の高校のほ ないと思うから私が = = ロっておくけど、そ っていましたね。日本ではエリートとい うが圧倒的に有利だ」と、なかば煽るよ こは気を付けてくたさい。 ( 同 5 頁 ) うなことをおっしやっていたのか。佐藤 う言葉はあまりいい意味で使われないが、 エリート層がきちんと生かされない社会さんは日本国民として、彼らに今よりも 彼らは「君たちは選ばれた存在なのだ は滅びる、と。 っと積極的に国を背負う組織に人って活から義務を負え」と言われることに強い 佐藤ですが、実際のところ灘高の卒業躍してほしいと考えているんですね。 恐怖を覚えていて、犠牲を求められても 生には、官僚になることができるのに官佐藤そうです。灘高生たちには「良民何をしたらいいかわからないと感じてい 僚を選択していない人が結構多いんじゃ は官吏にならずーという思想がある。私 る。その恐怖に対し、なぜ佐藤さんは、 ないかという気がします。というのも、 はその殻を破ってほしいんです。 ずらした答え方をしたのでしよう。 彼らは先が見えすぎてしまうので、東大 佐藤私に言わせれば、彼らはすでにノ 「佐藤さん、逃けてます ? 」 文—から法学部に進んで 3 年生までに司 プレス・オプリージュを持っているんで 法試験の予備試験に合格して法曹界に進 加藤不安といえば、「ノブレス・オプすよ。この質問をすること自体、そして む、もしくは高級官僚になるといったエ リージュは自分たちに必要なのか。必要私に会いに来るという合理的に考えれば リートの常道を歩むことへの抵抗感があ だとすると、それはなぜなのか」との質無駄な事柄に時間を使うこと自体がその る。学部時代に天文学や歴史や哲学を勉 問がありました。でも、この時の返答が、証しです。そこで私はこの質問を「今の 強してから法科大学院に人って法曹界に 私には「あれ、佐藤さん、ちょっと逃げ僕たちに欠けているものは何でしよう 進むとか、理Ⅲから医学部に進んでも、 てる ? 」と思えまして ( 笑 ) 。 か ? 」だと解釈し、あえて絶対に関心が ちょっと変わった感じの開業医になると あるはずなのにそれまで一言も話題に出 : 女性問題で転ばないでね ( 一同笑 ) 。 てこなかった異性の問題に振ったんです。 か、あえて一筋縄ではいかない選択をす る人も多い。それは〈競争から降りる〉 つまらない女性に入れ込んで、人生のエ そうしたら彼ら、顔が真っ赤になっちゃ ネルギーをほとんどそこに注ぎ込んじゃ のとは違う。先が見えてしまう選択をし うんですよ ( 笑 ) 。 たくないのだと思います。 って、研究に手が付かなくなる研究者の加藤なってましたか。 加藤ああ、それで一つ謎が解けました。 卵とか、あるいは、いつの間にかストー 佐藤なっちゃう。そこが一番弱いとこ なぜ「イランとイラクの場所を正確に指カーみたいになっちゃって、取り返しの ろだという感じで ( 笑 ) 。 し示せる国会議員は半分もいないよ」と つかない人生を送る官僚とか、結構ある加藤うーん。この佐藤さんの〈お兄ち
きすぎて。 堀部好きな人、尊敬してやまない人の堀部とはいえ、坦々と記録するだけで 堀部自分を薄めて、どんどん百合子さ 目線でものを見る、ということで思い出はない。 んに近づいていく。いわば写経のように。 したのは、森田真生さんと岡潔との関係高山心は動くしドキドキするし、泣く 高山「写経」ってどういう意味がある です。岡潔という人は孤高の数学者で、 わけじゃないですか。ブハラのリャビ・ のか分からないけれど、たぶん憑依して しかも「数学は情緒である」という独特 ハウズという青みどろの池の縁の柳の葉 るんだと思うんです。百合子さんの目を の思想があった。森田さんは岡潔に出会ごしのタ陽を、百合子さんもこれを見た 借りてものを見ていた。『大が星見た』 って、自身も独立研究者となります。岡んじゃないかと思いながらじーんとして も『富士日記』も、何度も何度も読み返潔の文章を読み込んで血肉化し、重ねあ見ていました。どう説明もできないんだ して、好きなフレーズなんて、まるごと わせたあとで、はじめて自分の目線や感けど。 暗記するくらい。本を読みながら、その じ方といったものも出てくるんでしよう。堀部『大が星見た』がそうで、意味付 風景を見ているんです。旅に出たときも、高山さんが旅をして感じたように。 けや記号をまとうような旅とは正反対の 「これ」を実際に見たい、聞いて、匂い高山ええ、そうかもしれない。 旅の仕方でしよう。生理現象とか便所の を嗅いで、味わいたい ( とノートを見せ堀部そういう理解の仕方はとてもいい こととか、詳しく書くじゃないですか。 る ) 。ただそれだけ。 なと私は思うんですが。でも今はまだる彼女は写真もそんなに撮らないし。 堀部『大が星見た』の文章をコピーに っこしいと敬遠されるんです。自意識が とって貼って、持っていかれたんですすごく強いし、ものを調べるときに、検 、刀 索して自分が知りたいものしか見なくて 高山ええ。百合子さんに重なりたい、 済むわけだから。世の中ますますそうな みたいな感じなんですよ。実際は、生身 りますよね。 の私なので、会う人会う人に反応してい高山わあ、すごいお話になってきた るくわけですけどね。それでも自分らしい ( 笑 ) 。たぶんね、透明になりたいんだと をところと、百合子さんの好きなところは、 思うんですよ。好きすぎて。自分をなく で似てる気がしたんです。そう思えるのは、 して、出来事や人のなかに人り込んで、 作家とかそういうことでなく、人全般の見えたまま感じたままをただ写し取って いった本かもしれないです。この二冊 大中で、百合子さんくらいしかいないって は。 知らないだけかもしれないけど。 ス " ベキス 9 ン
男 の 1 イマヌエル・カント『たんなる理性の限界内の宗教』 ( カント全集 豊 ) 北岡武司訳、岩波書店、 2000 年。 2 かって、鶴見俊輔はこんなことを言っていた。人間のどんな性質も、 山 善い面と悪い面とがあるが、ひとつだけ、どこからどう見ても純粋に悪 を創作するタイプで、この作品についても、登場する人物やいだけの性質がある、と。鶴見によれば、それは「男の嫉妬」である。 東教授たちは、その男の嫉妬に駆り立てられて行動している。なぜ、男 企業に関して、実在のモデルがあると言われている。しかし、 の嫉妬だけが、特別なのか。おそらく、それは、「男らしさ」の本性に 小が大を喰うということだけが、リアリズムを裏切っている悖る、と感じられるからだ。つまり「男の嫉妬」は撞着語法である。だ が、はっきり言えば、実際には、嫉妬から完全に自由な男もいない。 ことになる。どうして、そうする必要があったのか。 3 定言命法とは、絶対的に無条件に、つまり普遍的に妥当する道徳法 そうしなければ、主人公の万俵大介を男にすることができ 則である。定言命法の反対語は仮言命法で、それは、「のときには ないからだ。大きい方の企業が小さい方を取り込む当たり前をせよ」という条件付きで成り立っ道徳法則だ。この「のときには」 という限定がないのが、定言命法である。 の合併には、「男」は登場しない。男らしさが生まれるのは、 4 逆に、男が、家族を犠牲にするような過酷な任務は嫌だ、とあっさ 何ごとかを得ようとする義務への、妥協なき執着が、本来の りと仕事を放棄したときには、家族の観点からも、その夫や父はスケー 欲望や願望の自己否定をももたらすほどにまで徹底されたとルが小さくつまらない男に見え、さらに男の自分たちへの愛も底が浅い ものに感じられてしまう。こんなこともあるだろう。 きである。実際、小が大を喰おうとすれば、小の側は、とき 5 『白い巨塔』と『華麗なる一族』の間には、ほんとうは、もうひと に自己矛盾的なことをあえて手がけなくてはならなくなる。 っ長編小説がある。『仮装集団』である。これは、『白い巨塔』の正篇を イエの繁栄を目指しているはずなのに、その傘下の最も大き完結させ、続篇を書くまでの間に書かれている。すなわち、この作品は、 昭和年から年にかけて週刊誌で連載され、貶年に、文藝春秋から単 な企業を平然と倒産させ、長男を自殺するほどにまで追い詰 行本として出版された。『仮装集団』は、音楽界の背後にある左翼的な めなくてはならないのだ。万俵大介は、今回提示した、男政治活動を扱ったもので、後の『沈まぬ太陽』などにつながる種子があ るという意味で興味深いが、社会的成功という点では、彼女の全作品の ( らしさ ) の定義を、端的に実現している。私生活のレベル 中で最も小さい。『仮装集団』は、山崎豊子にとってーー未完の遺作を での ( 悪としての ) 男らしさの表現は、もちろん、妻妾同衾別にするとーー ( 映画としてもテレビドラマとしても ) 映像化されなか った唯一の長編小説なのだ。前回の注 2 で言及した『花紋』でさえも一 の異常で倒錯的なスタイルである。 度はドラマ化されている ( 私は未見だが ) 。『花紋』を扱わなかったのと 同じ理由で、『仮装集団』は、ここでは考察の対象に含めない。 6 大介が鉄平の出自に疑いをもっているという設定は、大介の冷酷さ を薄めるための工夫である。そうした設定がなければ、大介の仕打ちは あまりにも悪魔的で、読者には耐え難い。物語では、鉄平の自殺の後、 血液型から鉄平はやはり大介の実子であったことが判明し、大介がショ ックを受けることになっている。こうした感傷的な展開で、大介の悪は 矮小化される。 ( つづく )
彼女を人として尊重するということだ。きっと今まで誰からて携帯をチェックした。何もなし。フィリップはあれからず もそんな扱いを受けたことはないだろう。これを機に彼女はっと、オーガズムなしのままキアステンをジーンズの上から 人としての尊厳に目覚めるのだ。アーモンドバターの空き瓶愛撫し続けている。わたしのゴーサインをひたすら待って、 ジーンズはもうぼろぼろ、指もマメだらけだ。バスルームの に唾を出した。痰壺っていうのもあんがい古風でいいものだ。 わたしが率直に意見を述べたからと言ってべつに彼女に感謝ほうでトイレを流す音がした。 してほしいとも思わないけれど、どうしてもと言うのなら、 直後にわたしの部屋のドアが勢いよく開いた。 受け人れるのもやぶさかではない。何回か練習もしてみた。 「客って誰よ ? 」と彼女は言った。部屋は暗かったけれど、 わたしは手紙を封筒に人れ、表に〈クリーさま〉と書いて、手紙を持っているのがわかった。 バスルームの鏡にテープで貼りつけた。彼女がそれを読むあ「何のこと ? 」 いだその場にいないほうがいいと思ったので、家を出た。 「金曜日にお客が来るからあたしに家を出てほしいって、こ エチオピア・レストランでフォークをくださいと言ったら、れ誰のことよ」 「ああ、古い友だちよ」 うちの料理は手で食べるのだと言われたので、ティクアウト 「古い友だち ? 」 にしてもらい、〈スターノ ヾックス〉でフォークを一本もらっ て車の中に座った。けれども、こんなに柔らかな食べ物でさ「ええ」 「なんて名前の人」 えわたしの喉は受け付けなかった。わたしはそれをホームレ 「クベルコ・ポンディっていうの」 スの人のために歩道の端に置いた。エチオピア人のホームレ スなら、きっと大喜びするだろう。ふるさとの味とこんな形「いかにも作ったって感じの名前ね」そう言いながらべッド に近づいてきた。 で再会するなんて、とても心あたたまる話だ。 家に戻ると、クリーはレンジでチンする感謝祭ディナーを「そ、彼にそう言っとくわ」 食べていた。彼女のお気に人りのやつだ。手紙のことが心配わたしはべッドから出て、ゆっくり彼女からあとずさった。 だったけれど、彼女はいたって平常運転で、テレビをつけたいま走れば追いかけられる展開になる。それでは怖すぎるの ままメールをし、雑誌を読んでいた。わかってくれたようだ。で、我慢してなるべくさりげない感じでドアのほうに歩いた。 たどり着く前に彼女にドアを閉められた。心臓がばくばくし、 わたしはネグリジェに着替え、洗面バッグをもってバスルー ムに行った。〈クリーさま〉の封筒はまだ鏡に貼ったままだ体が小刻みに震えた。シャミーラ・タイが言うところの「ア ドレナリン発動だ。これが始まったら、もうあとはやるし った。封筒を見ただけで中は読まなかったか、まだ一度もト イレに行っていないかのどちらかだ。わたしはべッドに人っかない。途中で止めたり、引き返したりはできない。暗闇で 114
を読んだらっかさんを分かったような気は誰が語るんですかね。僕も取材したい たのか、「ロ立て」がどういうものなの になるけど、でもやつばりますます摩訶んだけど : : : そうか、の加藤シ かが分かったし、色んなものがやっと腑 ゲアキ君に書いてもらえばいいんだ ! 不思議で正体不明な人という気もしてく に落ちた感じがあるよね。 るんです。下世話で気まぐれで、癇癪持樋口『ピンクとグレー』じゃなくて、 樋口 " 役者が持っている一一一口葉以上の台 ちで権威主義で、見栄っ張りで毒舌で、 「ギンとヤス」を ! 詞は生まれない % 大きな「答え」をも らいました。 博士そうそう、『蒲田行進曲』のヤス でもロマンチストで。怒りんにで威張り んぼでひねくれてて : : : でも、人間らし は、長谷川康夫の名からきているんです博士全盛期のつかさんの舞台だって、 いんですよね。だからあんな舞台が作れよね。そもそも『蒲田行進曲』は、歌手映像がほとんど残ってないからどんなも た、あんな作品が書けたと思うんです。 のあがた森魚さんがっか芝居に出たこと のだったか分からなかった。浅草キッド が発端で、あがたさんのに収録されもほぼ漫才をにしたことがないん 細部を補完する面白さ ていた同名の曲をつかさんが知り、先に ですけど、なぜ残さないの ? って聞かれ 題名から決まった。 たら、いつも「つかこうへいが芝居を 博士つかこうへいは 1982 年に劇団長谷川本来は松竹蒲田を舞台に、「サ 『風に書いた文学だ』って言ってたか を解散し、年に演劇活動を再開します。 ンセット大通り」みたいな芝居を作るは ら」と答えてた。でも、残ってると、そ 囲年代以降はジャニーズをはじめ、芸能ずだったのが、「徹子の部屋」で汐路章れはそれで、同時代に乗り遅れてきた人 界の人たちを役者として育てていった側 という俳優さんが「階段落ち」の話をし にとっては遺産ですよ ! 面もありますよね。阿部寛、黒木メイサ たのをつかさんが見て、東映京都撮影所長谷川でも逆に何も残ってないから、 : ・たけし軍団の三又又三もっか劇団に の物語になるんです。「銀ちゃん」は萬本が書けたり、話したり出来るんですよ。 人ったけど逃げ出した。 屋錦之介の「錦ちゃん」から。「ヤス」 もし映像とかきっちり残ってたら、こん た長谷川育ててないじゃん ( 笑 ) 。 の方は最初、僕をその役で芝居を作って なに偉そうに語れないよね。だいたい今 だ博士のイノッチから聞いたんですたら、名前がまんま役名に残っちゃった。 日のこれだって、文字に残すと、「なん 何けど、ある時、つかさんがジャニーズの博士こういう細部が面白いんだよな と中身のない」ってなるかも ( 笑 ) 。 広稽古場に突然来て、の木村拓哉あ ! 舞台裏や過去を遡って、細部を補博士わかりました、『波』 ( の掲載、 い君と中居君に「よーし、〃階段落ち〃や完して、人と分かち合うのが、評伝を読やめましよう ! ( 笑 ) うるぞ」って『蒲田行進曲』を口立てで始む楽しさだと思うんですよね。長谷川さ 七月七日神楽坂ラカグにて めたんですって。ビデオがあったら観た んが『つかこうへい正伝』を残してくれ 長谷川康夫『つかこうへい正伝 っ いよ ! そういう後期のつかさんの功績 1968 ー 1982 』 33972 一ー 2 発売中 たことで、どういう経緯で作品が生まれ しおじあきら
い。これは他の短篇、「おやすみ」のマナ きを、交情あった十人の女が思い語る」 つまり、ニシノ君と恋愛関係に落ちた女ミさんも「まりも」のサュリさんも他のい 性がそれぞれの思い出を語る十篇の短篇小ろんな女性たちも同じです。いや、小説の 説から出来ています。私は、死んだニシノ中だけでなく、女子会で喋りあう私の友人 君 ( の幽霊 ? ) が出てくる冒頭の短篇「。ハたちみんなもそんな感じ。よく言われるよ フェー」から惹かれました。今年の梅雨のうに、男性はこれまでの恋愛を別フォルダ 季節はこの本の一篇一篇を、いろんな場所に人れて、新しい恋愛は新規フォルダに人 れるけれど、女性はあっさりと上書きしち で時間をかけて読んでいきました。 「。ハフェー」は、ニシノ君と不倫関係のあやうのかもしれません。 川上弘美 った主婦が語り手。ある昼下がり、彼女のそれに女性の目から言えば、結局ニシノ 「ニ、ンノユキヒコの恋と冒険」 家の庭に、「死ぬときには夏美さんのとこ君が悪い。先の紹介文にあるように、確か 不規則な仕事をしていると、本を読む時ろに行くよ」と言っていたニシノ君が現れに優しいかもしれないけど、実は優しい人 間が細切れになってしまいます。どうしてます。折角、死んでから会いに来てくれてって沢山います。ニシノ君は恋人を満たし も物語に人りこむのが難しくなるので、大いるのに、夏美さんはほとんどニシノ君をてくれる思いやりがないんですね。「どう きな活字で組んだり、要点が攫みやすいデ相手にせず、娘のみなみに相手をさせますして僕はきちんとひとを愛せないんだろ ザインになっている自己啓発本などを読む ( 二人が付き合っていた時、みなみも一緒に会ううーと言うニシノ君に、マナミさんが内心、 「かわいそうなユキヒコ。でも、自分のせ ことが多くなります。素敵な女性になるたことがあり、彼に懐いていたので ) 。 「わたしは台所に戻って揚げ物をした。みいなんだから、わたしは知らない」と思う めの自分の磨き方、みたいなやつですね。 でも、やはり物語を読むことも大切で、なみはずっとニシノさんの隣に座っていた。通りです。私は〈こんな男、ほんとヤダ〉 そんな時には〈連作短篇集〉がいいみたい揚げ物の油の始末をしていると、みなみのと思いながら、面白く読み終りました。 です。この本もそんなスタイルの一冊。カ叫び声が聞こえた。 / 去ったな、と思っ映画版は竹野内豊さんが本当にカッコよ くて、ニシノ役にピッタリ ! ニシノ君の た」 庫バー裏の紹介文を引用してみます。 潮「姿よしセックスよし。女には一も二もなそして、母娘はそうめんの箱をバラした葬儀で出会ったみなみとサュリさんが彼を たく優しく、懲りることを知らない。だけど板でニシノ君の小さなお墓を作ってあげま思い出していく構成も良かった ( これは映 な最後には必ず去られてしまう。とめどないす。、この自分の中でケジメをつけている夏画版のオリジナル構成 ) 。ラスト近くにある、 画この世に真実の愛を探してさまよった、男美さんがいい。会いたいけど、会わない。みなみ ( 中村ゆりかさん ) のアップには涙し ( はら・みきえ女優 ) 一匹ニシノユキヒコの恋とかなしみの道行一度断ち切ったひとには愛おしさを見せなました。 画になうた ~ 新潮文庫一 , 、 恵
があった。たぶんもう一人のドクターだ。待合室のシダに水中性的な、馬っぽい顔をしていた。誰かに似ている気がした をやっているほうの。わたしは電話を切り、あらためてかけが、わからなかった。前にどこかで会ったことがあると誰に あかし なおして自分の名前と電話番号を吹きこんだ。セラピストにでも感じさせるのは、いいセラピストの証なのかもしれなか った。部屋が寒くありませんかと彼女は訊いた。小型の暖房 残すメッセージにしては、なんだか短すぎる気がした。 「歳は四十三歳です」相変わらずささやき声のまま、わたし器具のスイッチは切ってあった。大丈夫ですとわたしは答え はそう付け足した。「背は中くらい。髪は白髪まじりの茶色。た。 「で、今日はどうされました ? 」 子供なし。お電話ください。待ってます」 開いたシステム手帳の上に、べントー・ポックスがのって テ。イベツツ先生の診察日は毎週火曜から木曜だった。わたいた。前の患者が帰ったあと大急ぎでお昼をかき込んだんだ しが木曜つまり今日行きたいと言うと、彼女は来週の火曜でろうか。それとも空腹で目が回りそうなのを我慢しているん はどうかと言った。あと六日も液体食が続いたら、飢死してだろうか。「あの、よかったら食べてください、わたし気に しまうかもしれない。わたしの苦悩を察したのか、危険な状しませんから」とわたしは言った。彼女はおだやかな笑みを 態なんですか、と先生が訊いた。ええ、とわたしは言った。浮かべた。「いつでも好きなときに始めてくださいね」わた 来週の火曜日まで待っていたら、たぶん。今すぐ来ていただしはレザーのカウチの上で横向きになろうとしたが、脚を伸 ばすには長さが足りないと気づいて、すぐにまっすぐ座りな ければ昼休みのあいだに診察します、と彼女は言った。 車で同じ建物まで行き、同じエレベーターに乗り、同じフおした。そういうタイプのセラピストではないらしい。 わたしはヒステリー球のこと、それから胸骨甲状筋が固ま ロアで降りた。ドアのプロイヤード先生の名前が〈ルー ス日アン・ティベツツ医療ソーシャルワーカー〉という名ってしまったことを話した。何か思い当たるようなきっかけ 前にーーーアルミの枠の中にプラスチックのプレートを嵌めこはあるかと先生が訊いた。まだフィリップのことを人に言う む形式だったーー代わっていた。わたしは廊下を奥まで見わ気にはなれなかったので、うちにいる居候についてことこま かに説明したーー彼女が大きくて重たげな頭を振り振り居間 たし、いったいどれくらいの診療所が共同名義なんだろう、 と考えた。ふつうに通っていたら気づきもしないだろう。独をうろっく、その牛みたいな様子。臭くて鈍重な牛。 「 " プル〃は雄の牛ですよ」とティベツツ先生が言った。 立系の医者に二つもお世話になるなんて、きっとあまりふつ うのことじゃないのだ。受付には誰もいなかった。ゴルフ雑でもその一一一口葉がびったりだった。女はしゃべりすぎるくら いしゃべるし、小心すぎるくらいに小心だ。女はもっと弱い 誌を十五秒読んだところで診察室のドアが開いた。 ティベツツ先生は長身で、白髪まじりのすとんとした髪で、し、もっと柔らかい。女は風呂に人る。 プル 110