主人公 - みる会図書館


検索対象: 波 2016年9月号
18件見つかりました。

1. 波 2016年9月号

『何様』は、二〇一二年十一月に書き下ろし作品として上梓た小早川理香と宮本隆良の出会いの物語だ。「小さなころか され、直木賞を受賞した朝井リョウの代表作『何者』のアナら、女の子とじようずに二人組になれなかった」理香が、ル ームシェアをしたいと考える大学の友人の気を惹くために、 ザーストーリー短編集である。『何者』は、ソーシャルメデ ィア時代の自意識とコミ = ニケーションの問題を、就活とい人気テレビ番組のセットの調度品で部屋を飾ろうとする。流 う日本固有の儀礼を通してあぶり出した作品であるが、本書行りの品々で友人を釣る理香の目論みは外れ、結局家具を購 に収められた六つの短編は『何者』に登場した人物のそれ以入したインテリアショップで働く隆良と「二人組」を組む。 前 / 以後の時間を、朝井ならではの巧みな趣向と構成によっ外面を取り繕い中身が希薄な隆良を理香は見切っている。そ んな理香もまた虚飾に満ちた自身を自覚している。同質的な て描きだしている。 小さな謎をフックのように配置し、ライトなミステリに仕お似合いカップルの共同生活は、かくして始まる。 立てあげるのが朝井の作品世界の特徴である。『何者』で提『何様』を読み進めていくと、『何者』のメインの登場人物 示された謎の一つが、出版社への就職にこだわった神谷光太六名が各短編の主人公に必ずしも据えられていないことに気 郎の動機である。光太郎と英語が巧みなクラスメートの女子がつく。たとえば「逆算」の主人公で鉄道会社に勤務する松 の決定的な出会いの情景を描いた「水曜日の南階段はきれ本有季は、初登場の人物である。元恋人の心ないひと言に傷 い」は、謎の中心に迫る。光太郎と彼女の将来についての濃つき、人生の時間を逆算する強迫観念に取り憑かれた彼女を 密な夢の交換の物語は、朝井の創作の原点が高校生小説であ救うのが、『何者』ではサプの登場人物であったサワ先輩こ と沢渡である。サワ先輩は、『何者』の主人公二宮拓人のよ ったことに改めて気づかせてくれる。 「それでは二人組を作ってください」も、『何者』に登場しき相談相手として、様々なアド・ハイスを与える良識人であっ 何様 人間関係でリンクする 豊かな群像劇 刊行記念特集 榎本正樹 様 何

2. 波 2016年9月号

人間関係でリンクする豊かな群像劇 たが、「逆算、においても、沢渡の包容力とユーモアが有季本書を締めくくる表題作の主人公は、—e 企業に勤務する を救う。有季は沢渡のキャラクターの「映し手」として機能男性新人社員。彼は入社一年目であるにもかかわらず、人事 する主人公といえる。 部に配属される。少し前まで選考される学生の側にいた彼が、 続く「きみだけの絶対」では劇団を主宰する烏丸ギンジの面接官の仕事を担当する状況設定によって、『何者』の世界 甥の高校生が、「むしやくしやしてやった、と言ってみたかが逆視点でとらえ直される。彼は『何者』のあるシーンで、 った」では田名部瑞月の父親と親しくなるマナー講師の桑原拓人と接点をもつ人物でもある。 正美が主人公に置かれる。日常の中で彼らにふとした「気づ大きな決断を強いられる、ある個人的なできごとをきっか き」をもたらす「触媒」のような存在として、ギンジや瑞月けに、彼は「切実な、誠実な動機を抱えているかもしれない は登場する。ここにおいて、『何様』は単なる『何者』のア学生たちを選別する立場」に疑問を感じ始める。特に動機を ナザーストーリーやスピンオフ作品ではないことが了解されもたず偶然入社できた会社で、命じられるまま未経験の面接 てくる。『何者』を起点に始まった物語は、人間関係でリン官の仕事をする自分の立ち位置の不誠実さに思い到る。「当 クする群像劇の広がりを見せている。『何者』を引き継いだ事者としての言葉」こそが尊重されるべきと思い悩む彼に、 『何様』は、二十一世紀初頭の日本社会を定点観測する試み距離感を感じていた女性上司の言葉が差しだされる。ラスト に満ちている。今後も「何」シリーズが書き継がれていくと近くの彼と上司の「誠実さ」をめぐる対話は、小説的思考が すれば、それは朝井にとってのライフワークになるはずだ。 生みだした、まさに思考Ⅱ至高の賜だと思う。 『何者』と『何様』は、そのような重みと意味合いを含んだ ( えのもと・まさき文芸評論家 ) 連作である。 朝井リョウ『何様』 333062 ー 2 8 月引日発売 『源氏物語』の主役は光源氏で◎人生を新たな目で見直すために - 源氏物語と日本人 はなく、紫式部 ? 心理療法家 ー紫マンダラー 独特の読みによって日本人の心 人ョ 大人に曽る熊葉子書 ( 解説河合俊雄 ) 性の古層を描く。本体 1300 円 皮弑 本シ刪河合隼雄 / 河合俊雄編 心理療法家・河合隼雄が、日本 子どもの文学 , 、。Ⅱ物語を生きる の王朝物語を読み、現代人が自児童文学研究者の草分けが、子どもの文学 物 分の物語を作る上で参考になるの価値を示し、幸福を描く多様な物語の世 ( 解説”小川洋子 ) 知恵を探る。 四六判・本体 2100 円 本体 1140 円界へと読者を誘う。 岩波現代文庫 ー今は昔、昔は今ー 河合隼雄 / 河合俊雄編

3. 波 2016年9月号

ていました。真珠、化石、隕石。運び出せる 以上の興味を読者に持ってもらいたかったん 重さであれば、どうにかして運び出そうと博です。 物館は手を尽くしました。僕はそうした状況 について想像をめぐらせたんです。 そんなわけで、僕が知る限り、 ハリの自然 史博物館には呪われたダイヤモンドはありま せん。すべて架空の ものです。 目の見えない少女 を主人公にすること は決めていましたか ら、次はこう考えま した。「人々の目を 奪い、でも視力を 失った人にはそのカ が及ばないようなも のは何かワ」そこで、 宝石だと思ったわけ です。 ただ、僕は読者に、 宝石についてのドラ める人」の主人公も、マリー = ロールと同じよう マチックな疑問を持たせるだけで終わりたく に目が見えない人物です。語り手の目か見えない はありませんでした。その答えが出てしまえ ば、読者の興味はそこで終わってしまう。僕ということにはどんな意味があるのでしようか その質問はよくされますが、答えはないん はふたりの子どもたちの個性をしつかりと描 です。気がついたらそうなっていました。も き出して「このダイヤモンドは呪われている ともと、マリ 日ロールの章の一部は、僕自 のか」とか「宝石は本当にあるのか」という 手触りで美しさを知る 短篇集『シェル・コレクター』の表題作「貝を集 身の作家としての弱点を克服しようとする練 習から生まれたものです。僕は視覚的な描写 にかなり頼ってしまうので、他の感覚を中心 にした文章を書いて、それをリアルなものと して読んでもらえるか試していました。 Ⅱロールが非常に危険な それから、マリー 状況に身を置いていることも理由だったかも しれません。包囲戦のとき、彼女のそばには 数日間にわたって誰もいないわけです。それ 以上に危うい状況があるでしようか ? それ でも、自分の心の奥になんらかの強さを見出 して、参ってしまわすにいられるでしよう かワ・僕にそれができるかどうかはわかりま せん。マリー Ⅱロールは間違いなく、僕より も強く、勇敢です。あの屋根裏部屋の周りに は砲弾が降り注いでいるのに、彼女は正気を 保つ方法を見つけ出したのですから。 「シェル」っながりでいえば、彼女には貝殻 に興味を持ってもらいたいということは、は じめから思っていました。僕はずっと、軟体 動物の外見の美しさと手触りに惹かれてきま した。子どものころは、いつも貝を集めてい ました。それが「貝を集める人」とマリー ロールの両方に吹きこまれています。なぜ自 然は、それほどまでの美を目指すのか ? 僕 にとって、その問いは貝殻に凝縮されていま す。目が見えないため、指で貝殻の種類を区 シェル

4. 波 2016年9月号

ケトル 歴史の極意・小説の奥儀 ら送られてくる刺客とも闘わねばならず、又八郎は大変です せん。裏技的なテクニックもあります。例をあげますと、 おさらぎじろう 大仏次郎さんは鞍馬天狗という架空のヒーローを想像し、そが、主人公が大変であればあるほど、読者としては面白いわけ れを実在の新選組と闘わせることによって、幕末の事象をあで、このあたりストーリーテラーとしての藤沢さんの筆運び ざやかに描きだしました。つまり虚構を前面に押し出しつつ、は見事なものです。又八郎の容姿は、こう描写されています。 史実を絡めるというテクニックですが、これを忠臣蔵でやっ ふじさわしゅうへい たのが、藤沢周平さんの『用心棒日月抄』 ( 新潮文庫 ) です。 又八郎が町を歩いて行く。月代がのび、衣服また少々垢 やっ 主人公は青江又八郎という侍で、大仏さんの鞍馬天狗と同 じみて、浪人暮らしに幾分人体が悴れてきた感じだが、そ じく、藤沢さんが創造した架空のキャラクターです。北国の ういう又八郎を擦れ違う女が時どき振りかえる。 小藩で馬廻り百石の武士でしたが、偶然、藩主毒殺の陰謀を 振りむくのは、垢じみている衣服を憐れむわけではない 耳にし、許嫁の父である徒目付に打ち明けます。ところが、 だろう。又八郎は長身で、彫りが深い男くさい顔をしてい せいかんからだ 将来岳父になるべきこの徒目付が、なんと陰謀の一派に与し る。痩せて見えるが、肩幅は十分に広く精悍な身体つきだ ていて、反射的に又八郎は彼を斬ってしまう。で、脱藩。江 った。そのうえ人を斬って国元を出奔し、世を忍んできた うらだな 戸の裏店に住んで、生活のために用心棒をなりわいとしてい 月日が、二十六歳の風貌に若干の苦味をつけ加えている。女 るーーという設定で、題の由来になっています。 たちが振り返るのは、そういう又八郎にまつわりついてい 全十編からなる連作集で、それぞれの回で又八郎がさまざ る一種憂鬱げなかげりに気をひかれるのかも知れなかった。 まな用心棒稼業に手を出し、あるときは謎を解き、あるとき くにもと は危難をくぐりぬけ、と毎回興趣にとんでいるうえ、国許か この又八郎の用心棒稼業に、赤穂浪士や吉良の手の者たち 中 発 http://www.ohtabooks.com/qjkettle/ 評 好 1 5 削 9 目田 + 田圧 ゅううつ ふうぼう さかやき あわ あか

5. 波 2016年9月号

驫蠻アッ委をアイツを第 . Alibi lke, Selected Short Stories La こ ne 「》 Ring アメリカの男たちが好きなもの 『アリバイ , アイクラードナー傑作選』 リング・ラードナー ト、加島祥造 / 訳 かわもと・さぶろう ( 評論家 ) アメリカの男たちが好きなものは、野球とそし リング・ラードナーはこの西部の男たちの伝統 てほら話 (tall tale) だろう。かのシュ 1 レス・ を受継いでいる。私見だから、本当かどうかは知 ジョーのス。ハイクがクー。ハーズタウンの野球博物らない。有名な一篇「チャンピオン」の主人公は、 館に展示されているという話などその好例。リン身体障害者の弟や母親、さらには付合う女性にま グ・ラードナーは、野球とほら話を愛した作家で、で暴力を振う。無茶苦茶な男だが、これもほら話 マーク・トウェインやオー・ヘンリー、ディモの主人公としてなら面白い。 ン・ラニャン、ジェイムズ・サー ーに通じる。 ちなみにこの短篇は一九四九年に、マーク・ロ 『アリバイ・アイク』に収められた短篇には野球プスン監督、カーク・ダグラス主演で映画化され ものが多いし、大半はほら話である。「アリ。 ハているが、原作のほら話の面白さはなく、製 ・クレイマーだったこ イ・アイク」は、言い訳ばかりしている野球選手作が真面目なスタンリー の話。失敗した時に言い訳するだけではない。タ ともあり、ひどくシリアスな映画になってしま イムリーを打った時にも言い訳するから尋常ではった。 ない。つまり、ほら話である。 ほら話とは文学手法でいえば誇張 ( ジョン・ア アメリカの男たちはなぜ野球とほら話が好きな ーヴィングもこれが好き ) 。やはり野球小説の逸 のか。私見では、たぶん西部開拓の歴史と関わっ 品「ハリー・ケーン」の、頭の少しとろい剛球投 ている。一人でフロンティアを行く。寂しい。家手が、三試合連続でマウンドにあがるなんて古き が恋しい。家を作ろうとする。野球は、寺山修司良き時代のほら話だろう ( あっ、日本にも稲尾や がいったように家に帰ってくるゲームである。自杉浦がいたか ) 。 然と男たちは野球が好きになる。 ほら話は、品良くいえば伝説、神話である。西 さらに。荒野を旅する男たちは、見知らぬ男た部劇の神様、ジョン・フォ 1 ドはかって、「あな ちと出会い、夜、キャンプする。焚き火をする。 たの映画は事実かーと問われて、愉快そうに ( 無 そこで「こんな話、知っているか」とキャンプフ 論、想像 ) いった。「事実と伝説のどちらかを選 アイア・トークが始まる。話を面白くするために、べといわれたときはいつも伝説をとった」。これ どんどん嘘を加えてゆく。ほら話になる。 でいい。

6. 波 2016年9月号

では、善を代表する男の存在感がずっと大きくされ、悪の側かったのだろうか。なぜ、彼女は、悪を代表する男を圧倒的 の男と均衡するように変更されているのだ。 な中心にすえたのか。 このことは、キャスティングを見ただけでも明らかだ。 2 この連載の中で暗示してきた仮説は ) これは、時代精神の 003 年の『白い巨塔』の里見脩一一役は、江口洋介である。 無意識の影響の結果ではないか、というものである。日本の これ以前の映像作品では、この人物は、田村高廣、山本學、戦後のこの時期、何らかの理由によって、前回定義したよう 平田満といった、渋い脇役タイプの俳優によって演じられてな「男」を、善を体現する人物によって表現することは困難 きた。江口洋介のような、派手な俳優が演じる役ではない。 というより不可能 だったのだ。そもそも、戦後一貫 山本學は、 2003 年のドラマに関して、「役者の感情表現して、この国では男らしい男を造形することが難しかった。 や演出が大袈裟すぎる」という批判的な感想を述べているとそれでも、山崎がまさにそうしたように、あえて「男」を描 のことだが、彼が主に念頭においていたのは、自分自身も演けば、その男は、悪の方へとーーカントの悪の範疇をはみ出 じた里見脩二だったに違いない。善の男の存在感を高めたとしているような過剰な悪の方へとーーー大きく旋回してしまう。 いう点では、『華麗なる一族』の方がより徹底している。 2 このことを、山崎や、他の作家たちが意識しているわけでは 007 年のテレビドラマで、万俵大介の息子鉄平を演じたのない。だが、そうなってしまうのだ。これが仮説である。今 は、木村拓哉である。俳優起用が示しているように、このテ回は、山崎作品を少し離れ、つまり同時代の別の作家の文学 レビドラマ版は、主人公を変えてしまっている。 2 0 0 7 年作品を素材にして、この仮説を補強しておこう。 の『華麗なる一族』の主人公は、万俵大介ではなく万俵鉄平 であり、主演は、北大路欣也ではなく木村拓哉である。 もう一つのベストセラー小説 こうした変更は、幻世紀の脚本家や演出家には、悪を象徴三浦綾子の『氷点』は、いくつもの理由から、このような する「男」 ( だけ ) を中心に作品を構成することが難しいと考察の対象にふさわしい。この作品は、昭和 ( 感じられていたこと、幻世紀の視聴者は、善のヒーローが活年肥月から翌年Ⅱ月まで、つまり『白い巨塔』の週刊誌連載 躍するもっと標準的な展開を望んでいる ( と制作者は予想しとほぼ重なるかたちで、新聞に連載された。連載中から反響 崎ていた ) ことを意味しているだろう。それでは、どうして、 が大きく、単行本が大ベストセラーになった点でも、『白い 山崎豊子は、善の側に立つ人物の存在感をもっと大きくしな巨塔』と共通している。作者の三浦は、山崎豊子と同世代に

7. 波 2016年9月号

新三 : 小説新潮 編集長から ライフワ ク 人生の仕事 「空気の読めないャッ」という 今年の春頃、経歴詐称でテレ ◎宮本輝氏の新連載「野の春」ッ た像 ビから去っていったコメンテー 表現があるが、その日本代表とっ肖 ( 第一回一〇〇枚 ) を開始する。ャ 自伝的大河小説『流転の海』の、 ターがいたが、「慰安婦狩り」 もいえるのが、我らが竜崎伸也乍の だ。いや、「読めない」のでは を捏造した吉田清治なる人物は 完結篇である。自身の父を主人よ を男 公のモデルとし、三十五年間に なく、あえて「読まない」。今 その比ではなかった。自著の経 ま 題 野敏氏「隠蔽捜査」シリーズの 歴は虚実ない交ぜで、名前はい 及び書きがれてきた、まさに 人生の仕事だ。だが、本作が描 主人公で、東大出のキャリア官 くつもあり、本当の生年も出身 ョ市 を くのは作家自身の家族史だけで 僚でありながら、諸事情あって 地もわからない。当然、学歴、 安 はない。終戦直後から高度経済 今は所轄署の署長の身。本号か 職歴なども不明だった。今回、 空 慰 成長期に生きた数多くの登場人 ら連載の始まるシリーズ第 7 弾 ジャーナリストの大高未貴さん 物の、それぞれにかけがえのな 「棲月」も、もう冒頭から問題 が吉田氏長男のロングインタビ い生を交響曲のように描いたこ が起きまくって大変なことに。 ューに成功、周辺取材も行い、 十 とでも、『流転の海』を人生の 特集「謎とサスペンスの迷宮」 その生涯の一端を明らかにした。 円 では、このナイスガイの活躍を それにしても、これまでなぜ 仕事と呼ぶべきではないか◎古月 6 中 どの新聞も人物自体を検証して 井由吉氏が一年をかけて書き続 9 売筆頭に、やはり新連載「鬼門の 十 本発 円 けた連作小説が「その日暮らし」 . 将軍」の高田崇史氏ほか、第一 こなかったのか。新聞は自らの をもって完結。臓器の「腫れ物」 線作家 5 氏が腕を振るっている。 1 中主張に沿ったものなら多少おか 9 売 を手術し、杖に頼る身となった また、前号に続いての夏目漱 本発しなことでもスルーするらしい。 ことを綴る七十八歳の作家の筆 石没後百年トリビュート 企画 特集の「『人権』に軋む日本」 「吾輩も猫である」後編は、荻 についても同じことが言える。 円働発は、しかし何と自由なのか。幼 原浩、恩田陸、原田マハ、村山 「人権」という錦の御旗を振り 由佳、山内マリコという贅沢な かざされると、おかしなことも 歩中に不意に襲われた心地よさ 顔触れだ。しかも、直木賞を受 そうとは書かないし、究明もし に呆然とするーー氏の生がその 賞したばかりの荻原氏作品は、 ない。措置人院問題など、そう まま結品化した本作もまた、人 驚愕の内容で : : : 。詳細は書け した問題の数々を取り上げてみ た。 ないので、ぜひ誌面にてど確認 者・柳瀬尚紀氏の逝去を悼み、 を。期待の新鋭・奥田亜希子氏 さて、今号より編集長を務め 未完に終わった『ガリヴァ 1 旅 ることになりました。引き続き の連載「リ・ハース & リ・ハース」 行記』冒頭部の翻訳を掲載する。 も本号から。 ご愛読いただけますようお願い ( 編集長・矢野優 ) ( 編集長・江木裕計 ) します。 ( 編集長・若杉良作 ) 新潮

8. 波 2016年9月号

善意の人たらんとする、すべての君よ 浅生鴨『アグニオン』 杉江松恋 る一族の言葉だった。彼は成長する中で、奇妙なことに気づ 人生を変えたいと願っている二人の若者が登場する。 一族の者の体表を薄い光帯が覆っているのが見えるのだ。 一人の名はユジーンという。彼が生きているのは、一つのく。 機関によってすべてが統、ヘられている世界である。ュジー光帯を読むことでその人の感情がわかる。それをいじること ンの住む南ガリオアは最貧地帯であり、住民の大部分がモグで、感情を変化させることも可能なのだ。その能力が、ヌー ラとよばれる地下の採鉱作業員として働いている。しかし彼の運命を変えてしまうことになる。 は、選良となって世界をより住みやすいものとして変えてい浅生鴨『アグニオン』を手にした人の胸に初めに浮かぶの きたいという強い願望を持っていた。そのためには宇宙で働は、主人公も世界観も異なる二つの物語が並行して進んでい くのはなぜか、という疑問だろう。だが、それ以外にもこの ける職場に異動し、機関員となることを目指すしかない。大 望を抱いたユジーンが鉱山局の人事部を訪ねると、そこで待小説には謎の部分が多いのである。 アクトグラフ ュジーンの世界では、人々は言動端子を常に身につけるこ ち受けていたのは意外な対応だった。なんと、宇宙局の特別 候補生として抜擢されることになったのだ。戸惑う暇さえ与とを義務づけられている。日々の会話や行動は監視されてお り、争いだけではなく、度の過ぎた欲望を持っことも禁止さ えられず、彼は月に向かうシャトルへと乗り込む。 インスペクタ もう一人の若者はヌーという名前を与えられる。彼が生きれている。それを行っているのが機関を統率する監理者とい う人々だ。そうした体制によって世界は統一されたのであり、 るのは、ユジーンのものとは様相の異なる世界だ。スーは、 アグニオン 旅先で身ごもったらしい母親によって父親のわからない子供全人類を善き人に導くという究極の目的が機関にはあった。 として産み落とされた。そのため、掟により存在しない者とそこにユジーンのような一介の労働者がなぜ登用されること して扱われることになったのである。ヌーとはゼロを意味すになったのかが最大の謎である。ヌーの物語においては、彼 アルピトリオ

9. 波 2016年9月号

それそれの近未来 くてたまらない。 東京シティーの三鷹市に母親と暮らす 未来社会を描くのは専門の作家と 今や現実世界でもによるチェスや フォギーは、ロポット製作販売の超巨大 は限らない。その切り口もさまざまで、 将棋対戦、小説の執筆などが高い水準で 企業の重職につく山萩氏の依頼により、 そこに作家の個性が感じられて楽しい。 昨今目に留まるのは「」「終末 ( デ彼が作った自分の仮想の墓の音響設計を実現されている。では、生身の人間の知性 や個性、趣味嗜好性、あるいはさらに大雑 手伝うことに。山萩氏自身も天才的な口 イストピア ) 」「生殖」というテーマ。 ーチャル空間の中に把にいうと、人格というものは一体何か テーマ「—」ではなんといっても奥ポット工学者で、バ 泉光さんの『ビビビ・ビ・バップ』 ( 講新宿を構築。棋士の大山康晴十五世名人とふと考える。一大工ンターティンメン ト作品でありながら、やはり今の社会の、 談社 ) 。 664 。ヘージの大作である。『鳥や古今亭志ん生といった昭和の偉人、さ 未来に向けてのあり方や人間と技術の関 類学者のファンタジア』に登場した池永らにはエリック・ドルフィーやチャーリ わりなど、鋭く訴えてくる深みがある。 ・。ハーカーといったジャズ界の巨匠た 霧子の曾孫にあたるジャズピアニストに それにしても猫のドルフィーがなんと して音響設計士の女性、フォギーこと木ちのアンドロイドが登場。彼らの存在は も愛おしい。うちの愛猫もアンドロイド 藤桐が主人公。語り手はアンドロイド猫現実世界に浸食し、やがて奇妙な事件が になって甦ってくれたら : : : と思わずに のドルフィーだ。奥泉作品にたびたび登発生。さらには電脳ウイルスの大感染の はいられないくらい。 場する光る猫がここにも ! などとこれ危機が世界に迫る、という内容だ。とび までの読者の心をくすぐるポイントも盛きり賑やかでチャーミングで、そしてど 終末の救世主 りだくさん、もちろん著者の作品は本書こかからジャズが聴こえてきそうな軽快 「終末 ( ディストピア ) ーから選ぶのは な世界の中に潜るような読書体験が楽し がはじめてという人でも楽しめる。 瀧井朝世 」ソ A ) , 0 雇た B00 た ReviewO = 第 78 回 =

10. 波 2016年9月号

子を愛そう、と提案し、それをやり遂げたらどうだっただろ ができなかったのだ。陽子を引きとったのは、夏枝に、 うか。これこそ、究極の倫理的な行為であり、最高善の実践 佐石の子を育てさせたいという残忍な思いがあったこと だったのではあるまいか。 を、わたしは白状してしまいたいのだ。 なぜ、実際の筋とは異なるこんな仮定について書いている このように、啓造にとって、「汝の敵を愛せよ」は真の動 のかと言えば、この小説には、辻ロ夫妻に「これ」をやらせ機を隠す偽装の「お題目」に過ぎない。だが、そんなことな たかったという密かな、ほとんど無意識と言ってもよい願望らば、つまりこれが真実を隠すだけのものならば、どうして が潜在していることがわかるからである。言い換えれば、辻彼は、この言葉にこだわり、頻繁にロにするのか。辻口に、 ロ啓造は、「これ」をなしえたら、それだけの強さが自分にこの命令を実現したいという欲望があるからではないか。い あったならば、という欲望を、そうとは自覚することなくもや、むしろこう言うべきであろう。作者 ( 三浦綾子 ) の中に、 っている。どこから、そんなことがわかるのか。小説の中で、主人公に、自分の最愛の娘を殺した最も憎き者の子をまさに 繰り返し、キリストのひとつの言葉が引用されていることかその殺された子と同じ深さで愛そうとする、とてつもない企 ら、である。「汝の敵を愛すべし」という一一一口葉だ。 てに挑戦させたい、という願望があったのだ、と。 もし犯人の子を育てたならば、この命令を実践したことに どうして、教会にも行かず、クリスチャンでもない辻ロ啓 なるだろう。究極の隣人愛を意味するこの命令を、啓造は人造が新約聖書のこの命令にこだわっているのか。小説の冒頭 生の指針としている。しかし、彼自身、こんな高尚な動機でに近い箇所、まだルリ子の殺害が発覚する前に、次のように 佐石の娘を引き取ったわけではないことを自覚している。こ説明される。 れを表向きの口実にして、夏枝への復讐を果たそうとしてい 啓造は「汝の敵を愛すべし」という言葉を思い出して るだけだ。このことを反省する場面で、何度もこのキリスト いた。学生時代だった。夏枝の父である津川教授がいっ の命令が引用される。たとえば、夏枝に盗み読まれてしまっ たことがあった。 明た、高木への ( 出されなかった ) 手紙にはこうある。 「君達はドイツ語がむずかしいとか、診断がどうだとか の ついでに白状することがある。わたしは、「汝の敵を愛 いいますがね。わたしは、何がむずかしいといって、キ 子 豊 崎 せよ」をかくれみのにした、みにくい男なのだ。君ばか リストの " 汝の敵を愛すべし〃ということほど、むずか 山 りか自分自身をもダマしながら、実は夏枝をゆるすこと しいものは、この世にないと思いますね。大ていのこと