年 - みる会図書館


検索対象: 波 2016年9月号
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1. 波 2016年9月号

が「売り言葉」は不問にされ、買い言葉のほうだけが、あた 体が報道されず、以後、ピタッと報道されなくなってしまっ た。その手の不可解さ、ダークなものが、「在日特権を許さかも売り言葉のどとく扱われている。じつに卑劣 ) 下劣な詐 、売り言葉グル ない」という至極まっとうな主張にも適用されて、不公平な欺的操作です。この状況は、行政・マスコミ ープ、、買い言葉グル 1 プ ( いわゆる「ヘイトスピーチ」をする人 扱いをされているのです。その理不尽さを打開するための苦 肉の策が、いわゆる「ヘイトスピーチ」なのです。であるかたち ) の三極構造を見せています。行政・マスコミが売り言 らには、彼らの主張を公明正大にとりあげる公平さをとりも葉グループを一方的に庇護し、買い言葉グループばかりを批 どすことこそが、ヘイトスピーチを解消する近道です。韓国判するーーこの状況、日本史上の何かに似ているとはお思い への配慮で、わが日本から言論の自由をなくしてはなりませになりませんか ? ん。平成の讒謗律「ヘイトスピーチ解消法」は今日にも廃棄そうです、忠臣蔵ですね。あのときも、幕府、吉良、浅野 という三極構造で、幕府が吉良を一方的に庇護し、浅野のみ されるべきです。 ヘイトスピーチは、喧嘩でいう「買い言葉」です。ところを断罪したことから、大石内蔵助ら赤穂浪士らが吉良邸に討 ち人るという究極のヘイトクライムを起こしたのでした。せ んかたなく過激な手段に訴えたのです。ヘイトを生むものは 主な「忠臣蔵物」の系譜 不公平さ、すなわち差別なのです。 17 01 年浅野内匠頭が江戸城中で吉良上野介へ刃傷に及ぶ というわけで、前置きが長くなりましたが、これより今回 1 人ー 0 00 年赤穂浪人四十七士が江戸市中の吉良邸へ討ち入る のテーマである「忠臣蔵」について語りましよう。 11 ー -1 0 年人形浄瑠璃「碁盤太平記」 ( 作・近松門左衛門 ) 17 4 8 年人形浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」 ( 作・竹田出雲他 ) 読者第一の稀有な作家 17 4 9 年歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」 ( 同右 ) 四世紀前半講談「赤穂義士伝」 ( 作・柴田南窓 ) 忠臣蔵は、どうもはやらないテーマになってしまったよう 14 イ 1 0 年映画「忠臣蔵」 ( 主演 " 尾上松之助 ) です。正面きって忠臣蔵を書き、しかもそれが評判になった いけみやしよういちろう 19 2 8 年小説『赤穂浪士』 ( 大仏次郎著 ) というのは、たぶん池宮彰一郎さんの『四十七人の刺客』 19 3 4 年新歌舞伎「元禄忠臣蔵」 ( 作・真山青果 ) -1 よ LO ー ( 角川文庫 ) が今のところ最後でしようか。はるか二十年以上 年小説『新・忠臣蔵』 ( 舟橋聖一著 ) 1958 年映画「忠臣蔵」 ( 主演【長谷川一夫 ) も昔のことです。 19 61 年映画「赤穂浪士」 ( 主演 " 片岡千恵蔵 ) 歴史小説とは、もちろん歴史上の事件、事象をあっかうわ 1964 年大河「赤穂浪士」 ( 主演【長谷川一夫 ) けですが、それを正面きって取りあげるだけが能ではありま

2. 波 2016年9月号

水と生きる SUIITORY 現在「天然水の森」は 13 都府県 18 簡所、総面積およそ 000ha 。 2020 年までに「天然水の森」を 12 , 000ha に 拡大することを目指しています。 これは、工場で汲み上げる地下水量の 約 2 倍を育む森の広さです。 サントリー 天然水の森 PROJECT. 4 9 1 0 0 6 8 2 5 0 9 6 6 0 0 0 9 5 雑誌 06823-09 http://suntory.jp/FOREST/ サントリーの大事な仕事です。 10 0 年先 2 00 年先を想う 「天然水の森」プロジェクト。 森を元気にしよう、と始めた 未来の子どもたちへつなぐために この貴重な天然水を およそ 20 年以上もかけてうみだす地下水。 サントリーの天然水は、森が そう決めました。 なんて言うのはやめよう。 「 100 年も先のことは、わからない」

3. 波 2016年9月号

建築というリングでの戦いを観るように ーー古山正雄『安藤忠雄野獣の肖像』 藤塚光政 一九四一年生まれの安藤が建築家を目指した一九六〇年代たと自著に記しているそうだが、古山はそれをこう分析する。 中頃は、国家的プロジェクトの東京五輪も終わり、七〇年の「彼がアクロポリスで発見したのは、古典の美というよりは 大阪万国博の建設中で、七五年の沖縄海洋博もすでに先輩た論理のカ、秩序の源泉としての数学というものであった」 ちによって手が付けられていた。同年代の建築家には、この つまり、。ハルテノン神殿の崇高さは、抽象的な美ではなく、 世は収穫が終わった茫々たる野のように見えたことだろう。冷静に計算された幾何学的な数字によって構成されており、 建築は空間に秩序を構築することと悟った瞬間だったのだ。 本書の著者で京都工芸繊維大学の学長である古山正雄は、 安藤の名を世に知らしめた作品といえば、一九七六年に完 安藤より六つ歳下の京都生まれで、自身も建築と都市工学を成した「住吉の長屋」である。室内が大きな中庭で分断され 学んでいる。一九七七年、初めて安藤と会って、それから四ているため、雨天にトイレに行くにも傘が必要なのは有名な 十年近く、一緒に海外にも行き、安藤の新しい建築が完成す話だ。かっては建て主は被害者だと議論を呼んだこともあっ るたびに呼ばれて見学するなど、長い付き合いが続いている たが、実際には建て主はこれを受け人れるというより、むし という。 ろ屋根がない開放感を望み、勇んで若き安藤と一緒に闘いに そうした中で聞き取ったのだろうか、安藤の幼少時代に始挑んだのだから、スゴイ時代だった。 まり、建築家になるべく孤高の鍛錬をしていた時代、やがて 世界を目指してグランドッアーに旅立っ様子など、若い頃の本書には「住吉の長屋」はもちろんだが、さかのぼること 安藤の生き方や思考回路を詳細に綴っている。 三年、『都市住宅』一九七三年七月号に発表された「都市ゲ 当時ギリシャを旅した安藤は、。ハルテノン神殿を前に、 リラ住居」と称する三つの計画も出ていて、なんだか懐かし 「この場所を支配しているのは数学だ」という答えを見つけい。安藤が三十二歳のときのデビュー作で、実にカッコいい

4. 波 2016年9月号

暗黒事件史日本を変えた犯罪者たち 生や旅行者をかどわかし、北朝鮮に連れ出す工作を担ったのの実家に届いた。まさに命の手紙である。 その後の捜査により、森や黒田と石岡がいっしょにおさま だった。彼女たちの被害者の一人と目されるのが、神戸市出 身の有本恵子である。八三年、留学先のロンドンで消息が途っているスナップ写真をはじめ、拉致の痕跡が明るみになっ 絶えた彼女が、実は北朝鮮にいると判明したのは、八八年九た。金正日に小泉純一郎が日本人拉致を認めさせた二〇〇一一 年からさかのぼること十年以上前、すでに動かぬ証拠が存在 月のこと。それは一通の手紙がきっかけだった。 〈私と松木薫さん ( 京都外大大学院生 ) は、元気です。途中していたのである。 で合流した有本恵子君 ( 神一尸市出身 ) 供々、三人で助け合っ実は、くだんの手紙はよど号犯の田宮のもとにももたらさ て平壌市で暮らして居ります。事情あって、欧州に居た私達れている。 「今は騒がないでほしい」 は、こうして北朝鮮にて長期滞在するようになりました〉 田宮は取材で訪朝したジャーナリストの高沢皓司にそう伝 ( 原文ママ、一部抜粋 ) 手紙の差出人は石岡亨だ。八〇年にスペインのマドリッドえたと言い残し、九五年にこの世を去った。 よど号犯グループ、連合赤軍、日本赤軍と枝分かれした赤 で行方不明になった石岡は、田宮の妻、森順子や若林の妻で ある黒田佐喜子とバルセロナで出会い、松木といっしょに北軍派は、償いようのない大きな罪を残し、自滅していった。 朝鮮に連れ去られたと伝えられる。そこから有本といっしよその過激な新左翼運動の暗部が明るみになるにしたがい、左 に北朝鮮で幽閉されてきたに違いない。それを日本の家族に翼勢力全体が衰退していった。やがて本来あるべき市民運動 知らせるために手紙を書き、小さく折りたたんで常にポケツや労働争議まで下火になり、代わって狂信的な宗教集団や差 別を助長する極端なナショナリズムが出現する。 トに携帯し、北朝鮮にやって来る欧州の外国人に手渡すチャ ンスを窺ってきた。それが行方不明になって八年後に北海道 水一尸黄門天下の副編集長 「国史」編纂のため 光圀公は覚さん介さんど第一【 ′原稿取り立ての旅に出た ! 月村了衛 切りよ 「 ) " 一 ~ 一一四ホ判ハ十様ガバ年☆定価本体 1600 円十税 ( 敬称略、つづく ) 徳間書店 〒 1 05-8055 東京都港区芝大門 2-2-1 TEL.048-451-5960 ( 受注 ) http://www.tokuma.jp

5. 波 2016年9月号

角幡唯介『漂流』 、 , 、粐土地にからめとられていく、 人間の生き方 他者の生き様、海、南方一。 4 年ぶりの 長編ノンフィクションは今までとはまった くちがったものになった。 刊行特別対談 角幡唯介 ( ノンフィクション作家 ) かくはたゆうすけ おのまさつぐ 小野正嗣筰家 ) 1 「九年前の祈り』で芥川賞を受賞した小 野さんの故郷は大分県の漁師町・蒲江町 ( 現・佐伯市 ) 。作品にも漁村が舞台とな ったものがいくつもある。角幡さんの新 刊「漂流』では、沖縄県伊良部島佐良浜 の、マグロ漁師の生き様が描かれている。 取材・執筆の裏話、テーマだった海と人 間、生まれ育った土地と気質を中心に一一 人の対談は進んだ。 『漂流』のあらすじ佐良浜のマグロ漁 師・本村実さんは、一九九四年冬、三十 七日間もの漂流の末、「奇跡の生還」を 遂ける。だが八年後、九死に一生を得た にもかかわらす、本村さんは再び船を出 す。彼を海へ向かわせたものとは ? 漁師を取材するということ 小野まず、冒頭なんですが、角幡さん は救命筏で漂流した本村さんに電話する。 本人が不在で奥さんが出て伝言をたのむ と、「じつは、十年ほど前から行方不明 になっているんです」と言われる。突然、 「行方不明ーと聞いて、これは物語にな るぞと思ったんじゃないですか ? 角幡いや、逆ですね。終わったと思っ

6. 波 2016年9月号

女児失踪事件の背後の冷たさ よしあき ーー安東能明『広域指定』 ( 新潮文庫 ) 村上貴史 安東能明は豊かな鉱脈を見つけたなーーそう感じる。 ズは、人気を確かなものにしてきているのだ。そして五月刊 彼のデビューは約二十年前のこと。一九九四年に『死が舞の『伴連れ』に続き、八月にはシリーズ第四作が早くも刊行 い降りた』で日本推理サス。ヘンス大賞優秀賞を獲得し、翌年されることになった。シリーズ初長篇の『広域指定』だ。 刊行された同書でデビューしたのだ。続く第一一作は、二〇〇今回キーとなる事件は、小学三年生の少女の失踪事件であ 〇年にホラーサスペンス大賞特別賞を受賞した『鬼子母神』。る。いつもならタ方四時には帰宅しているはずの笠原未希が、 その後専業作家となり、ホラーやミステリなど幅広く執筆を夜の九時になっても帰宅しないという通報があったのだ。当 続け、デビューから十五年となる二〇一〇年に「随監」で日直担当だった柴崎は、刑事課の巡査、高野朋美と連携して初 本推理作家協会賞 ( 短編部門 ) を射止めた。その「随監」を動にあたる。そんな折、柴崎に凶悪犯罪を専門に扱う捜査一 含む柴崎警部の警察小説シリーズこそが、鉱脈であった。 課第八係から連絡があり、笠原宅に鑑識と特殊班を投人する 柴崎は、部下の拳銃自殺事件によって三十六歳にして突然という。なぜ捜査一課がそうまで積極的に動くのか。柴崎の エリートコースから転げ落ち、左遷された。綾瀬署警務課の疑問は解かれないまま朝を迎え、そして笠原未希は依然とし 課長代理として、署員の人事や福利厚生を担当するようになて帰宅しない。そうこうするうちに、柏で起きた過去の女児 ったのである。そんな彼の左遷後の活躍を描いた『撃てない誘拐殺人事件との関連が浮かび上がる : 警官』は、「随監」を収録して二〇一〇年に刊行された。二 柴崎のシリーズで安東能明は、事件そのものの醜さや怖ろ 〇一四年には第二短篇集『出署せず』が、そして今年に人っしさと、組織のなかで生きる警察官の人間ドラマという二つ て第三短篇集『伴連れ』が刊行されている。今年は『撃てなの異なる要素を、事件の解明という行為で鮮やかに串刺しに い警官』が全五話で > ドラマ化されており、柴崎のシリー しながら、一つの物語として描き続けてきた。その特徴は、 100

7. 波 2016年9月号

フ イ アキールとは、 2 014 年にイギリス ロ間 のノリッチ文芸フェ 、、、い正スで知り合「た。彼 ア一い野に誘われて街を散歩 フキ、 することになり、書 店に入って刊行され たばかりのこの本を買った。アキール は照れくさそうに笑った。読後、余韻 がすっと残った。アメリカに移住した インド人家族の物語。語り手の兄は高 校入学前に。フール事故で脳を損傷し、 植物状態となる。変わり果てた兄の介 護に追われて心身ともに疲弊していく 家族。ほぼ作者の実体験だ。シン。フル で淡々とした文章から、痛みと優しさ、 大きな哀しみが心に染みこんでくる。 「完成するまでに肥年半かかったんだ」 とアキールは言った。文字通り骨身を 削って書かれたこの小説は、 2 015 年に、第 2 回フォリオ文学賞、 2 01 6 年には、国際— 0 ダブリン文 学賞を立て続けに受賞した。この素晴 らしい作品を日本の読者に届けられる ことがとても嬉しい。三〇一七年三月刊行予定 ) FA 、 凵 F E 0 れ 0 を・一 A K H Ⅳ SHARMÄ イ 、ン ニューヨークの秋の 宵、ある若者が散歩を 一光一始める。マン ( ッタン フコ洋 " を彷徨い歩き、建物や 一 0 磯風景に目を凝らし、人 オジ 小の話に耳を傾け、何か を思索する。考えるこ とといえば、グスタフ・マーラーから、 白い鯨、奴隷の歴史や、祖国ナイジェ リアまで、実に様々だ。この孤独な散 歩者はブリュッセルでも通りを歩き回 り、街を見て、話を聞き、そして考える。 本書は都市を舞台にした散歩小説だ。 同時に移民の物語でもある。読み進め れば、街の記憶とともに移民の歴史が 浮かび上がる。彼らの孤独な声も聞こ えてくる。 イギリスの書店でこの小説と出会っ た時、店員さんに「写真みたいな小説 だよ」と言われた。その通りだった。 写真家でもあるテジュ・コールの情景 描写は、映像的であり繊細だ。静かで 美しい散歩小説。 Z / ヘミング ウェイ賞、ローゼンタール基金賞受賞。 ( 二〇一七年春刊行予定 ) 0 P E N 引 T Y T 日 U C 0 [ E 9 しレ いにしえの騎士のよ 怒子うな名を持ち、〉 = イ クス。ヒアをこよなく愛 とグ一惠 する俳優志望の若者 △叩ン多 Ⅶが、同じ大学の学生で モデルもしている孤高 ロ光 の少女と出会って電撃 的に結ばれる。彼らの結婚を、夫と妻 のそれそれの視点で追った作品で、後 半には様々などんでん返しが・ 特のエロチシズムが漂う作品で、それ 自体がテーマではないが、死の影も随 所に漂う。 また、深刻なはすの場面に笑いが仕 組まれていたり、意外な箇所に胸を突 くような深い悲しみを伝える一節が潜 んでいたり、喜劇と悲劇が表裏一体と なったこの作品の物語世界では、聖と 俗もまた混淆しているのだ。スケール の大きい作品で、翻訳しながら作者の 熱量の高さをひしひしと感じている。 この作家の短篇は村上春樹さんの訳で すでに出ているが、長篇は初めての邦 訳。全米図書賞最終候補作。 三〇一七年夏刊行予定 ) し動新

8. 波 2016年9月号

ー一 . 暗黒事史 さっさあっゆき 警視庁警備第一課長だった佐々淳行は、自著『連合赤軍 「よど号」事件と連合赤軍 「あさま山荘」事件』 ( 文春文庫 ) で、新左翼の過激派との攻 暴力革命をいとわない新左翼の大学生が暴れまわった時代防を " 城攻め〃と呼び、こう記している。 しおみたかや だった。大学やセクトの垣根を越えて七〇年安保を闘うとい 塩見孝也が共産同戦旗派から「共産主義者同盟赤軍派」と う旗印の下、全学共闘会議 ( 全共闘 ) が結成される一方、全して独立したのは、そんな学生運動の真っただ中の六九年九 日本学生自治会総連合 ( 全学連 ) が二十以上の集団に分裂し、月である。京都大学文学部時代から共産主義者同盟 ( プン 学園封鎖が全国に波及していった。最も著名な大学闘争が、 ト ) の活動家として鳴らした塩見は、大阪市立大学の田宮高 一九六八年医学部を拠点にした東大安田講堂紛争である。 麿を赤軍派の軍事委員長に迎え人れ、世界革命を唱えた。 事態を重く見た、ときの佐藤栄作政権は、一年以内に正常もっとも結成当初の赤軍派は、二十四派の過激派の一派に 化できない大学を廃校にするという前代未聞の法案まで国会過ぎず、警察もさほど眼中にはなかったようだ。佐々はこう に提出し、紛争の鎮静化を図った。そして六九年八月、大学も書いている。 臨時措置法が施行されると、全国の大学が警察に、学生の築〈昭和四十四年九月四日の時点では ( 注Ⅱアイルラン いたパリケードの撤去を要請、機動隊や警備・公安警察が極ド共和国軍 ) の真似をしてナイロン・ストッキングをかぶつ 左過激派と激突していった。 て葛飾公会堂に集った三百人の新派閥「赤軍派」など、相手 〈警視庁機動隊は、東奔西走、都内三十七大学の学園紛争にをしてる閑はなかったのだ〉 百八十四回出動し、″城攻め〃すなわち暴力学生によりバリ ところが七〇年代に人ると、その佐々たち警備担当者を仰 ケード封鎖された校舎の封鎖解除警備を七十五回実施してい天させる事件が立て続けに起きる。軍事委員長の田宮たちに る。つまり二日に一度どこかの大学キャン。ハスに攻めこみ、 よる「よど号のハイジャック」を皮切りに、連合赤軍の「あ 五日に一度″城攻め〃を行っていた勘定になる〉 さま山荘のたてこもり」や「山岳キャンプリンチ事件」、さ 犯ー lsao Mori まろ たみやたか

9. 波 2016年9月号

室町小説の誕生 早島大祐 垣根涼介『室町無頼』 カキネさんという方から、編集者を通じて、小説執筆のたなどの丘陵に登り詰めるなど、当初から、高所からの眺めに めに足軽や室町時代について話が聞きたいとの依頼を受けた こだわっておられた。私に白羽の矢がたったのも、足軽に関 のは、確か三、四年前のことだった。ネットで検索してみるわる本と、相国寺大塔について触れた著作があったからであ と、現代のアウトローを題材に小説を書かれている方で、そる。 れらのうちのいくつかは、テレビドラマ化もされている。垣 小説にもたびたび登場する、この相国寺大塔とは、応永六 よしあきら 根涼介さんが流行作家であることはすぐにわかった。 年 ( 一三九九 ) に室町幕府三代将軍足利義満が、亡父義詮の 最初に私の職場でお会いした際、赤いシャツを着て、同伴三三回忌法要にあたり、菩提追善のために建立した約一一〇 した背の高い編集者を「ノリオちゃん、ノリオちゃん」と連メートルの高さの大塔で、自身の権勢を誇示する役割も果た 呼して来られた様子は、こちらが想像する業界人の姿そのもしていた。しかしその高さ故に雷火で頻繁に焼失し、応永十 のだったが、実際に依頼された仕事内容は少々、予想とは異年 ( 一四〇一一 l) に焼失したのち、義満が当時、住んでいた北 なっていた。私に求められているのは、小説の舞台の小道具山第 ( 今の金閣寺 ) に北山大塔として再建され、この建物も かみしも としての史実の提供であり、有り体にいえば、裃をつけた現応永二三年 ( 一四一六 ) に焼けて再び相国寺横に建て直され、 代劇の裃の調達役だと思っていたからである。 最終的に文明一一年 ( 一四七〇 ) にやはり落雷による火災で失 ところが、案に相違して垣根さんは史実の確認に熱心であわれた幻の塔である。 り、その勢いを前に、時にこちらが圧倒されることもあった。頻繁に雷火で焼失ということ自体が、この塔の高さをよく むこう 一例をあげよう。垣根さんは事前に伏見稲荷大社や向日神社物語るが、執筆が具体化する過程で相国寺大塔付近で徳政一 室町無」・ 刊行記念特集 しようこくじ

10. 波 2016年9月号

すこし前のことですが、わたしは新聞を読んでいて、 歴史の中の「天使の顔」 歴史はくりかえす、という言葉があります。過去のあやま「まさに歴史はくりかえすだなあ。これって、平成の讒謗律 ちを教訓として学んだはずなのに、嗚呼、また同じことを犯じゃないか ! 」 と歎息、いや戦慄したことがあります。何のことか説明す してしまったよーーーという歎息的ニュアンスでしようか。 では、なぜ歴史はくりかえす ? つまり、過去のあやまちる前に、まず讒謗律について触れておきましよう。 を教訓として学んだはずなのに、どうして人間は同じことを「 1875 年の言論弾圧法規。政府擁護のため、著作・文書 しばしば反復してしまうのか ? それは現在の状況が、実はなどで官僚らの批判を讒謗 ( そしること ) であるとして禁止 過去と同じであるにもかかわらず一見すると別もののようなし、刑罰を規定」 ( 『日本史用語集』山川出版社 ) 様相で立ちあらわれてくるので、それと気づかず、同様のあ「明治政府によって公布された言論規制法令。著作類により やまちをくりかえしてしまうのです。特撮テレビドラマ『宇人を讒謗する者を罰するものであったが、そのねらいは自由 民権運動などの政府批判の抑圧にあった」 ( 『広辞苑』第六版 ) 宙刑事ギャパン』、 / テレビ朝日系列 ) の主題歌に、 明治八年の言論弾圧法規、言論規制法令が百四十一年をへ 釞悪いャッらは天使の顔して心で爪をといでるものサ とあるとおり、ちがう顔して出てくるがゆえに、気づかなて、平成一一十八年の今の世に復活した、とわたしには感ぜら れたのですが、もちろん讒謗律というそっくりそのままの名 いという次第です。 歴史の極意・小説の奧儀 ー忠臣蔵から考える「史的眼力」 荒山徹 ざんぼうりつ