第十回 。これまでのあらすじ 明治九年。沖田総司の甥・芳次郎は、西郷隆盛が設立し【 た鹿児島の私学校で、庄内からの留学生の世話役を務め ていたが、酒井玄蕃の死から立ち直れずにいた。 十九、東京からの噂 「しかけてきた。そうみるべきでごわそんな」 こうのしゆいちろう そういったのは、河野主一郎だった。 鹿児島県士族の河野は元近衛陸軍大尉で、私学校の中心人 物のひとりである。二十九歳という年齢から、普段から兄貴 分といおうか、若党たちのまとめ役の感もあった。 もう八月も末だったが、まだ鹿児島では蝿が鳴く。ただジ ッとしていても汗が滴り、手拭いが放せない。午前の教練を 終え、それは時刻も暑いさかり、午後早くの私学校だった。 河野に声をかけられたのは、全部で二十人ほどの生徒たち だった。ただ暑いからだったが、校舎北側の日陰に集うと、 なんだか人目を避けている風になった。実際、それは校長の しのはらくにもとむらたしんばち 篠原国幹や村田新八は通していない話だった。 よしじろう さかきばらとも 芳次郎もいたが、庄内の榊原や伴も呼ばれたので、それな らと腰を浮かせたわけではなかった。河野に加えた山野田一 たきしちのじよう 輔、高城七之丞らと密かに集い、事前に話を詰めた一人で、 むしろ呼び出したほうの側である。 芳次郎は励ますような頷きを示した。小さく頷きを返すと、 絵・安里英睛 河野は続けた。 おおやま 「知っちよるように、七月に大山殿が内務省に呼び出された。 0 やまのだいっ
鹿児島県令が東京で、どげんな仕事があっちゅうとか思っち「そのための東京呼び出しじゃった。県令の大山殿だけじゃ よったら、こいじゃ」 なか。他の県官たちも、おいおいクビにされていくこつじゃ 「こいとは」 ろ。そげんなったら、県官は日向どころか、肥前か、土佐か、 「宮崎県との合併じゃ」 長門か、いずれにせよ、来るときは東京からになりもそな」 明治九年八月一一十一日、第二次府県統合は鹿児島県も例外「東京から ? 政府から ? まさか」 でなかった。が、それも奇妙な印象は否めなかった。 「ありえん、ありえん。こん鹿児島では、私学校の者じゃな 全国的に管区の広域化が進められたが、併せられたのは旧 かや、県官にはなれもはん。私学校の者はクビにもならん。 藩の規模で十万石、二十万石というような小県が、ほとんどで私学校が怖くて、誰ひとり辞めさせられん」 ある。日本第一一の大藩、旧薩摩藩を土台にしたのだから、鹿児「同じ理屈で、東京から来た県官が命令しても、こん鹿児島 島県の場合はこれにあたらない。宮崎県とて、すでに美々津では誰も動かん」 県、都城県を併せて、日向一国に相当していた。この二県を「そん通りじゃ。東京の大山殿も、そいなら県官総辞職じゃ、 統合して、全国でも類をみない巨大県の誕生となったのだ。県士族なし、私学校なしで県政が立ち行くなら、どうぞやっ 「鹿児島県が大うなるちゅうは、悪か話ではなかでしよう」たもんせていうて、政府に脅しをかけたらしい」 ふじの 若い藤野に返されて、河野は道理を諭す顔になった。 高城に教えられて、生徒一同は手を叩いた。固く拳を握り 「名前だけの鹿児島県では仕方なか。大切なのは中身じゃ」しめ、次から次と打ち上げもする。さすが大山殿じゃ。政府 「中身は別になるとですか。日向の者が乗りこんでくっとでの輩どま、ちいとも恐れてごわされん。当たり前じゃ。あの おおくにいちぞう すか。宮崎権令が鹿児島県令になるとですか」 大久保一蔵じゃっち、大山殿にはチゴと変わらん。 ふくやま 「阿呆か。宮崎権令でん、薩摩の福山殿じゃー 河野は高く手を上げ、皆の注意を喚起してから再開した。 よしむら 吉村が同じ世代の気安さで、藤野の頭を叩いた。 「こん話がどげんに落着するかはわからん。じゃっどん、政 「なにすっと。おいがいうとは、福山殿は職を解かれたち聞府がしかけてきたちいうこつは間違いなか。それが証拠に、 いたからじゃ 庄内鶴岡もやられちよる」 「そいが鹿児島県令の大山殿も変わらん」 水を向けられて、榊原と伴も口を開いた。 と、年嵩の山野田が割りこんだ。河野が後を受けた。 「ええ、父からの手紙によれば、鶴岡県は山形県に吸収され 「ああ、そうじゃ、東京でクビにされてしもた」 て、もう名前もなくなったということです」 みしま 訓そう明かされると、一同は驚きに絶句した。確かに東京か「一昨年には東京から三島県令が来ていましたが、県官で残 ら届けられたばかりの報だ。河野は苦々しい口ぶりで続けた。った旧庄内藩士も、いよいよ一掃されるんじゃないかと。鶴 ふと
遺訓 「で、その玄蕃様が、どげんしたと」 ぎと思うときがある。けど、考えすぎなら考えすぎで構わな 「知っているひともいるかと思うけど、玄蕃様、この二月にいから、もっと考えすぎるべきだったというか、こうして玄 亡くなられたんです。それを僕は暗殺されたと考えていて」蕃様に亡くなられてしまえば、考えすぎることもできないわ 芳次郎が続けると、ざわと空気に不穏な波が立った。伴とけだから、後悔してもしきれないというか」 榊原が、まっさきに言葉にした。 面々は静かなままだった。後を受けて、河野が話を改めた。 「玄蕃様は病気で亡くなられたんじゃあ : : : 」 「庄内に起きたこつは、鹿児島にも起きる。南洲先生にも、 「ええ、こんなに早く逝かれるとは思わなかったけど、最後暗殺計画の噂がある」 にお会いしたときも、お加減が優れないご様子でした」 今度は騒然となって、方々から声が上がった。いくら政府 「その通りだよ。玄蕃様は病気だった。あるいは病気にされでも、南洲先生を殺すなんて話はなか。大久保さあが許すわ たというべきか、僕が疑っているのは毒殺なんだ」 けなか。いや、わからん。大久保さあは、おひとが変わられ 伴と榊原は言葉をなくした。芳次郎も済まなく思わないわた。待て、待て、憶測で物をいうわけにはいかん。 けではない。驚かせてしまったろうし、その打撃は心の傷に「単なる憶測じゃなか。東京では、公然と噂されとる」 なるかもしれない。それでも隠しておくつもりはなかった。 と、河野は続けた。同時に懐から取り出して、束の紙片を なつに打ち明け、それから芳次郎は止められなくなってい高く掲げた。 きりの た。受け止められたと感じたことで、むしろ伏せるべきでは「こいは桐野先生から借りてきた新聞じゃ。先生の陸軍時代 えびはらをく ないと考えるようになった。ああ、酒井玄蕃の悲劇を世の不の部下、海老原穆が東京で出しとる新聞じゃ。この『評論新 幸とも思うなら、皆に知ってもらわなければならない。 聞』を読めば、わかる」 薩摩の面々とて、沈黙に囚われたままだった。それに向き河野は生徒のひとりに紙片を渡した。回し読みで目を通し なおると、芳次郎は説明を加えた。 た者から、順々に顔を青くした。本当じゃ、西郷南洲の暗殺 「僕は護衛として、この二年くらい玄蕃様に従いました。そ計画ありち書いてある。警視庁が刺客ば送り出したとも。ど れで、気づいたんです。政府の仕事を引き受けると、必ず接げんしもそ。このまま手を拱いているわけにはいきもはん。 待されて、そうすると必ず体調を崩されると。鶴岡に戻ると、南洲先生をお守りせんとならん。 いくらか持ち直すんですが、また呼び出されると、体調を崩「護衛隊を作りもんそ」 されて。それで、とうとう : : : 」 と、どこかから声が上がった。そうじゃ、護衛隊じゃ。暗 殺どま、おいどんらが阻めばよかと。刺客どま、逆に斬り捨 「偶然いうこつは」と、藤野が聞いた。 「あるかもしれない。毒を盛られたなんて、今だって考えすててやればよかと。ああ、いつでん刀は出せっとじゃ。廃刀 さかい
令に逆らうのは古か、こだわる意味はなかちいうても、捨て河野の脅すような声に問われれば、ないと後ずさりする者 てしもたわけではなか。ただ家に置いてあるだけじゃ。賛同はいなかった。 の声が続けば、芳次郎もよしと拳を握る思いだった。 二十、事件 「しかし、南洲先生は私学校におられるわけではありもはん。 御宅におられっともかぎらず、そいどころか一所にジッとし ウィリアム・ウィリスは、鹿児島県に雇われているイギリ ていてはくいやれん」 ス人の医師である。そのウィリスに西郷は聞かされた。 「おいどんらが、ついて回ればよか」 欧州でロシアの動きが活発になっている。キリスト教徒弾 「問題は別じゃ。護衛がつくなんちこっ、恐らく南洲先生は圧の阻止を名目に、イスラム教を奉じるトルコに南下する素 喜ばれん」 ぶりがある。 「きっと止めろち申されもすな」 列強がこぞって干渉し、ロシアの野望を阻むかと思いきや、 「こっそり、お守りすればいいんです」 そうなる様子でもない。オーストリアは自らのポスニア・ヘ と、芳次郎はいって出た。自分から喋るほうではなかった ルツェゴビナ占領を容認させ、そのかわりに中立を守る見通 が、今度ばかりは黙っていられなかった。これこそは酒井玄しだ。イスタンプールとエジプトの保全を条件に、イギリス 蕃の遺志だと思うからだ。鹿児島に行けというのは、つまりまでが黙認の構えを示しそうだという。 は西郷南洲を守れということなのだ。 露土戦争は、もはや開戦前夜である。それがウィリス医師 「というより、こっそりやるしかありませんよ。私学校で公が加えた寸評でもあった。 然と護衛隊なんか作るわけにはいきませんよ」 事件である。まさに由々しき事態で、遠い西方の話では片 「篠原先生や村田先生は、許してはくれんじやろか」 づけられない。 「仮に許してくれもしたら、そいはそいで問題じゃ。なにか西で攻勢に出られるのは、東、つまりはアジアが楽になっ あれば、私学校が責めを負うこつになる。次第によっては、 たからだ。韓国、清国は、もとより相手ではない。問題は他 政府に懲罰の名分を与えるこつにもなる」 でもない、日本なのだ。千島・樺太交換条約を結んで、その 河野がいえば、芳次郎も言葉を足す。 実力行使に備える必要がなくなったのだ。 「刺客が来たなら、それを斬らなければならないわけだから アジアの余裕で、ロシアは欧州を攻める。西で得られたも ね。私学校として、政府の人間は殺せない。けど、私人としのがあれば、その新たな力で再び東を攻めるだろう。千島・ て葬るなら、ただ僕らが人殺しの罪に問われるだけだ」 樺太交換条約を結んだからといって、日本は安穏としていら 「おはんらに、その覚悟があっとかち聞いとると」 れない。それでロシアの脅威がすぎたと考えるべきではない。
遺訓 「まったく、何をしちょっとか」 「おいどんが備えねば」 独り言に吐き出すと、西郷はその大きな手に、透明より僅と、西郷は思いを新たにした。やはり自ら備えるしかない。 かに濁る湯水をすくった。バシャパシャと顔にかけてから、 この鹿児島で、それを急がなければならない。また顔を洗お また大きく目を見開く。 うと、湯をすくいかけたときだった。 「うんにや、なにもしとらんのが問題か」 連れてきた大が鳴いた。 「ツン、どげんしたと」 ロシアは樺太では満足しない。次は北海道を狙う。その北 海道に備えはあるか。開拓は進んでいるか。屯田兵の配置は「南洲先生」 万全か。いや、駄目だ。この七月、黒田は開拓使で大判官と 人の言葉で答えが返った。湯壺から振り返ると、ぞろぞろ まつもとじゅうろう なっていた旧庄内藩士、松本十郎にも辞められてしまったとと若い連中が、七人、八人と現れた。その顔にも覚えがある。 いう。アイヌの処遇を巡って意見が対立したからだと聞くが、先頭が河野主一郎で、続くのは私学校の生徒たちだ。あとは 専ら東京にいる長官が、現場の柱石を失って、この先どうす庄内から来た沖田芳次郎と、それに残り二人は、さて : るというのか。今の北海道は丸腰同然ではないか。 西郷は顔を戻すと、背中で質した。 「はん、何いうたち仕方なかか」 「おはんら、こげなところで、なにやっちよる」 日当山温泉は鹿児島県姶良郡、すなわち城下から北の霧島「不審な輩が先生のまわりをうろついておりもした」 にある湯治場である。野山に囲まれ、大を連れた猟がてらに と、河野が答えた。西郷は顔を洗いなおした。 寄るのが、ちょうどよい。元湯の近くの龍宝家と懇意なこと「うろついとったのは、おはんらも同じじやろ。なんのつも もあって、西郷は頻々と浸かりに来る。 りか。おいの護衛でんしとるつもりね。そげなこっ、頼んだ 十一月に人ったその日も、兎狩りの山歩きで疲れた身体を覚えはなかど」 癒していた。湯壺に沈むときは、ちょっと慎重にならないと「あいすまんことでごわす。じゃっどん、こげな者が二人も いけないほどの熱さがあるが、それも火照る顔を涼風が撫で先生を探る素ぶりで : : : 」 てすぎるなら、ひとり考え事をするのに悪くない。 突き出された二人は、二人とも巡査の制服を着ていた。 ロシアの脅威に備えよなどと、今の政府に求めても駄目だ「どこの何者じゃ」 った。目先のことしか考えられない。列強ならざるアジア諸「鹿児島県の巡査です」 国に鋼を鳴らして、それで悦に人るばかりだ。この期に及ん ひとりが答えた。今にも消え人りそうな声だった。はて、 では、ああせよ、こうせよと論じる気にもならない。正論をと西郷は考える。それなら私学校の生徒たちが、いや、自分 唱えたいと議会の設立を待っ間に、もう日本は滅びてしまう。にしてみても、不審に思うはずがない。鹿児島県の巡査とい ひなたやま ない あいら くろだ
岡は県支庁だけになって、席から減らされましたから」 いが、ひいては皇国を守る戦いになりもそ」 「その少ない席に座る役人は、東京からくっとですか」 「やはり、こん鹿児島から奸臣征伐の兵を東京に : : : 」 私学校の生徒たちは、今度は次々立ち上がった。手で腿の「待て」 あたりを叩き、あるいは足を踏み鳴らし、それぞれ激昂の様と、そこで河野が話を止めた。手ぶりまで送られれば、興 子を示して、また勝手に喋り始めた。庄内までそげんなって、奮の生徒たちも腰を下ろさないではいられなくなる。 鹿児島も免れられんちことですか。薩長土肥、そいも一握 り「おはんら、あん狡賢か政府が、そんぐらい先読みせんと思 の者だけが、自分らだけで給金せしめて、そいで贅沢三昧でうとか。先手を打たんと思うとか」 ごわす。士族の秩禄も、今年で打ち切られるち聞きもした。 「河野さあ、そいは」 給金もなし、秩禄もなしで、政府はおいどんらに死ねいうち「南洲先生に決まっちよる」 よるわけですか。うんにや、貧乏はよか。そげな卑しか奢侈ピリと一同に緊張が走った。 は、もとより望むところではごわはん。どうでん悔しかは、 「ああ、南洲先生じゃ。今の政府を許せんと感じとるありと この美し皇国が不潔な連中の勝手にされてしまうこつじゃ。 あらゆる者、士族も、民権家も、民草じゃっち、誰も彼もが 「有司専制、まさに有司専制でごわす」 南洲先生に期待しちよる。政府を倒せる御人がいつなら、そ 「こげな悪政をさせるための御一新では、なかったはずではいは南洲先生しかおらんち考えとる。御一新をやりなおすも、 ごわはんか」 やりなおさんも、南洲先生が決めるこつじゃ。そいは政府の 「士族が滅びてしもたら、悪政に物申す者もなくなりもす」連中も重々承知しとる。どげんかせんといかんと、すでに策 「物申されたくなかいうこつでごわそ。そいで政府は士族をでん巡らしとるかもしれん。なあ、沖田殿」 潰しにかかっちよるのでごわそ」 名前が出されると、皆が一斉に目をくれた。それまで一言 「民権運動もはかどらん。議会などできもはん。悪しき有司もなくいたが、芳次郎は臆さなかった。 げんば 専制は改まらん。ほんのこっ、どげんかなりもはんか」 「玄蕃様のことですね」 「御一新じゃ。もういっぺん御一新するしかなか」 私学校の面々は、また左右と囁いた。玄蕃様ち、庄内の 「おはん、政府を倒すちいうちよるか。そげんな大それた話「鬼玄蕃」のことでごわんそ。ああ、戊辰の名将じゃ。あげ は、軽々しくできもはんぞ」 な恐ろしか男もおらんち、秋田で戦った父上がいうとった。 「じゃっどん、なにもせんと、こんまま倒されるだけでごわじゃっどん、鹿児島に来られた玄蕃殿は、まこち上品な御仁 でごわした。本物の才人ち、あげな風かもしれん。そうじゃ きりんじ 「そうじゃ。こいは自分の身を守る戦いじゃ。うんにや、そな。伴と榊原のごたる麒麟児をよこした方じゃち。 おきた
えば、県の警察担当である第四課の課長中島を筆頭に、ほぼ敬神党という、神職に率いられた百九十人余が、刀槍のみで 熊本鎮台を襲ったもので、千島・樺太交換条約に反対、さら 全員が私学校の関係者で占められているからだ。 に廃刀令にも大いに非を鳴らしたという。 「みん顔じゃが」 次が十月一一十七日、福岡県の秋月の乱で、旧秋月藩士二百三 西郷が続けると、もうひとりが今度は裏返る声で答えた。 「日向から来ました。こん夏に宮崎県から鹿児島県の所属に十人が挙兵、こちらは熊本鎮台小倉営所の兵と戦ったという。 その動きから連携を約していたと思われるのが、十月一一十 なりまして」 それなら、ない話ではない。恐らく嘘ではないだろう。で八日に起きた萩の乱だった。首謀者がかって政府で参議を務 まえばらいっせい あるかぎり、巡査が管轄のなかで仕事に励んでいるだけなのめた前原一誠で、殉国軍を名乗る三百人が、山口県庁を襲撃 しようとしたというのだ。 だから、それを咎めることもできない。 知らなかったーー山歩きしすぎたか「知らなかった。いや、 「で、おいに何用か」 隣県だけに熊本で何か起きたらしいと、それくらいは聞いて 「先生の様子をみてこい、いわれもした」 いた。が、秋月、萩と蜂起が続いていたとは知らなかった。 「誰に。課長の中島にじゃなかろう」 驚きもしたが、その西郷も唖然とするほどではなかった。 考えられないわけではない。それどころか、よくわかる。我 「よか。じゃっどん、ないごて、おいの様子を探るとね」 聞きながら、西郷は自分でも見当をつけてみた。政府に復慢ならない気分はわかる。こんな政府は倒してしまえと、憤 さんじようさねとみ 職しろと求める太政大臣三条実美の誘いを、今も断り続けてる気分はよくわかるのである。 いるからか。それとも鹿児島県令大山綱良が、呼び出された「はははは」と、西郷は笑い声を立てた。「愉快、愉快、両 三日、珍しく愉快の報を得もしてごわす。前原さあも奮発な 東京で悶着でも起こしたのか。 されて、今頃は大阪あたりまで手に人れもしたのでなかか」 日向から来た巡査は、思いもよらない答えを返した。 二人の巡査は声もなかった。どういう顔をしてよいのかも、 「蜂起に加担する風はないか、探ってこいといわれもした」 わからないようだった。河野が諫めた。 「蜂起 ? 今頃になって佐賀の乱もなかでごわそ」 「失礼ながら、笑い事ではありもはん。というのも、先生な 「いえ、萩の乱のことです」 のでごわす。各地で反乱が起きて、先生の去就に注目が集ま 「萩 ? 萩ち、長州の萩ね」 っちょいもす。先生が起たれれば、西国ぐらいはすぐ取れも 「はい。熊本、秋月に続いての萩です」 んそ。冗談でなく、そいこそ大阪まで押さえもんそ。そげん 二人の巡査は明かした。蜂起反乱が相次いでいた。 して、政府が恐れるだけではありもはん。その政府を倒して 最初が十月二十四日、熊本県で起きた神風連の乱だった。 つなよし なかじま 8
編集長から 2016 年秋号応援の達人になろう ! 本体 907 円十税 10 月 4 日発売 考える人 最新号の特集テーマは「応は ? ・ 夏に実施したニコラモデルオ、りで第 5 回ニコ☆プチモデルオ 1 援」です。リオ五輪、。ハラリン ディションの募集がスタートし のカ 1 ディシ , ンで、一万三千通のかま ました。月号には昨年プチ⑩ ピックの応援、プロ野球の応援る努応募の中から 4 名の = 「⑩が選生る に選ばれた高田凛◎と山内寧々 ス。ホーツと切 0 ても切れなれ ばれました。東京都出身多田成学な ◎のオーデ体験記を紹介してい 美ちゃん ( 中 1 ) 、神奈川県出身ハこ い「応援」ですが、もっと裾野よ ? ・ ます。 ( ◎は「ちゃん」の意 ) 皀濵尾咲綺ちゃん ( 中 1 ) 、大阪府 の広いテーであることはご承に 0 月 の⑩ 現在小学 6 年生のリン◎は愛 知の通りです。 通チ ⑩才出身青井乃乃ちゃん ( 中 1 ) 、そ 知県在住。小 3 のときにニコ☆ 特集を思い立ったきっかけは、 して佐賀県出身若林真帆ちゃん コ 普プ プチを知ってモデルに憧れ、応 ( 小 6 ) です。書類審査↓面接↓ この春の出来事でした。四月に カメラテストと関門をクリアし 募の条件、身長 145 5 になっ 雑誌のスリム化、大幅値下げに てチャレンジ。応募総数 ( 61 踏み切った際、東京糸井重里事 た 4 名ですが、かわいい顔立ち 21 通 ) ↓書類審査通過者 ( 約 やスタイルに恵まれただけでは 務所「 TOBICHI ②」の皆さん 号 名 ) ↓プチ⑩決定 ( 6 名 ) と、 なく、その過程ですでに多くの が、三日間の記念イベントで大 月円 その時々でうれし泣きと反省を 努力をしていたことに驚きます。 いにもり立ててくれたのです。 0 売繰り返しながら見事合格凵今 私たちが応援されたのです。 今月号の新ニコ⑩プロフによ 1 本発 では人気プチ⑩として大活躍し ると、応募写真を 100 枚、 2 その時の手際のいい、繊細で ロ万売 ています。 00 枚撮っていたり ( 編集部に 行き届いた応援には感激しまし 小 5 のネネ◎はチアダンスの た。さりげなく、かっ熱い 月 3 日送るのはたった 2 枚 ) 、モデル 練習に明け暮れ、全国大会に出 ポーズの練習は当たり前で、ポ " 応援のプロ〃を感じました。 1 本 場するほどの実力。相当に意思 考えてみれば、編集者という私 ージングノートを作ったり、筋 が強いらしく、ママに「絶対に トレしてからだを整えたりと意 たちの仕事も、基本は応援、そ ムリ」と言われながらもプチ⑩ れに尽きる、と言えそうです。 識が高いのです ! モデルにも になる夢をかなえました。 発信力が求められるいま、応募 さて、どうしたら人の心に響′ . 2 人とも撮影が始まると表情 してくる読者たちも進化してい くいい応援ができるのか。悩ん るよう。 もポーズもキラキラしてプロの だことのある人も多いでしよう。 きょはらかやあおしまひな 顔になります。自分の意思でプ 松岡修造さんも登場します。是 表紙は清原果耶と青島妃菜の チ⑩になったという経験は、大 非、参考にしていただきたいと 同級生仲良しコンビ。朝ドラや きな自信を与えてくれるのです。 思います。 映画で女優としても活躍するカ ( 編集長・山元琢治 ) ャちゃんですが、ニコラの表紙 ( 編集長・河野通和 ) ・偶数月日発売 % 1 ・ 4 ・ 7 ・月の 4 日発売 は初 ! ( 編集長・眞部菊実 ) 0 ☆
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これはまずいと感じる出会いが、今まで生きてきて何度か 、六冊の本がくつついてしまった。一つ一つの物語の完成 ある。この出会いは、自分の価値観を変えてしまうほどだ。度、満足感に、そんなことを思う。 全身が、甘く切ないものや黒く醜いもので満たされ過ぎてし 完成度とは言っても例えば文学史的価値があるとか、人間 まう。油断すれば心をまるごと食べられてしまう。そんな、 の思考を高みに導くとか、そういう難しいことを指して言葉 出会い。 を選んだわけではない。僕はそういうことにはあんまり興味 彩瀬まるさんという小説家との出会いもそういうものだと、 がない。単純に、収録されている六つの作品すべてが、エン 「朝が来るまでそばにいるーを拝読し、確信した。読んでいターテイメントとして面白いという意味だ。 る途中、文章から手が伸びてきて本の中に引きずりこまれる 六つの作品群の中で彩瀬まるさんは生と死について書いて かと田 5 った。 いる。こことここじゃない場所についての話をしている。そ 本作には彩瀬さんが数年にわたって執筆された短編が六話して、自己と他者についての物語を綴っている。それぞれ、 収録されている。短編集は長編とは違って一つの価値観を持決して交わることのないはずのものが触れ境界線が曖昧にな って描かれるわけではないから、ともすれば見えるものがぼる瞬間が描かれている。その瞬間の味わいにこそ、この本を やけてしまって味が薄くなるなんて、そんなことを考えてこ読むことの最高の面白さがあると、僕は思う。 の本を読みだすと、きっと面食らう。 その面白さは、スカッとする面白さや、大感動する面白さ、 何故なら、この本では正真正銘「彩瀬まるの小説」を六つとは違う。異質なものに触れた時、心のどこかをくすぐられ 読むことになる。短編が集まって一冊の本になったのではなるような怖さにも似た快感を抱く、そういう面白さ。 異なるものに手を伸ばす 彩瀬まる『朝が来るまでそばにいる』 住野よる