「今度の貴女の日経新聞の連載ね。読みはじめてすぐに気がけないと泣きごとをいっている場合ではないと自分を叱咜し ついた。理屈っぽいところがなくなって、すんなりドラマにて、はっと思い出したのはサンフランシスコへ出かけた際に、 融け込んで行ける。やつばり、挿絵の効果って妻いと思っむこうに在住していた知人から紹介された一人の女性の生き 方であった。 た」 その女性の母親はこの前の戦争の末期に九州の軍事基地に 帰宅して新聞を開き、「女の顔」の部分を眺めた。友人の 言葉の意味が素直に納得出来た。心に浮んで来たのは直木賞動員されていた女子学生であった。基地で働く中に一人の兵 を受賞した直後に恩師である長谷川伸先生のおっしやった言士と知り合い、恋仲になった。恋人は基地から出撃して行き、 二度と帰らなかった。恋人の命の形見を産んだ若い母親は終 葉であった。 戦後の日本で苦労を重ねながら娘を育てていたが、周囲から 「十年、待っことにしよう。 てて 今、君は決して焦ることはない。その代り十年後には直木父なし児を産んだふしだらな女と非難され、追われるように 賞にふさわしいだけの作品を書く作家になっていることだ。故郷を出て女手一つで女児を育てていた。やがて、雇い主が それが、直木賞を君に与えて下さった方々に対する責務だ。商用でサンフランシスコへ移住することになり乞われて同行 それまで、もしも、君の作品を読み続けて下さる読者の方し、母子揃ってサンフ一フンシスコで働いていた。 私がその母子の話を聞いたのは友人に誘われてサンフラン があったとしたら、その方々へ、君の出来る唯一の恩返し シスコへ遊びに行き、戦争前からサンフランシスコへ渡って だとわたしは思う」 あの時の先生の声が耳許に甦って来たようで私は元気を取日本料理店を経営している一家の人々からであった。 紹介されて、私はその娘さんに会った。すでに娘さんのお り戻した。 なくな 友人がいったように、挿絵の世界で大御所と呼ばれるほど母さんは歿っていて、娘さんは結婚もせずサンフランシスコ の地位にある岩田さんがまだ駈け出しの新人作家である私のの日本人町の人々の中で暮していた。小柄で、もの静かな印 作品に挿絵をつき合って下さっている。それも友人が指摘し象だったが、こちらの問いかけには明るく、はきはきしたロ たように情感に満ちた岩田さん独特の画風が、どれほど小説調で答えてくれる。話していて気がついたのは、この人のお 母さんが歿るまで娘に語り続けたのは美しい日本の風景であ の助けになっていることか。 こころづか 、人情であり、礼儀であり、そして心遣いであったろうと これほどの幸運に恵まれているのに、思うような作品が書 びと
定本夢野久作全集 西原和海・川崎賢子・沢田安史・谷口基編 「ドグラ・マグラ』で知られる日本近代文学史上類なき作家夢 野久作。その全作品を網羅的に集成した初の決定版全 集。単行本未収録の資料多数。第 1 巻は初期作品ほか「死 後の恋」「瓶詰地獄」など 1917 ~ 31 年の小説を収録。 第 1 巻「小説 I 」 9500 円十税 * 内容見本呈 後藤明生コション いとうせいこう・奥泉光・島田雅彦・渡部直己編集委員 「西野は北村に弱味を握られていると思っている」一一一「内 向の世代」の旗手による、珠玉の作品群。第 1 巻には「関 係」「笑い地獄」ほか粒ぞろいの初期秀作 8 作を収録。い ま、読むなら後藤である。月報 = 蓮實重彦・福永信・滝ロ悠生 第 1 巻「前期 I 」 3000 円十税 * 内容見本呈 ぼくのミステリ・クロニクレ 戸川安宣 / 空犬太郎編 東京創元社で伝説の叢書「日本探偵小説全集」を企画す る一方、北村薫ら多くの作家を発掘し戦後の日本ミステリ 界を牽引した名編集者が、その編集人生を語る。ミステリ ファン必携の一冊。 2700 円十税 手のひらに 文学を。 文鳥文庫は 長くても十六ページ。 一息つきながら 文学にでも 触れてみませんか。 全 8 巻 全 5 巻 河出書房新社創業 130 周年記念企画 。全集 設一出を、学一 ロ月 4 ・ / ー 9 税 海と人と魚は : 文 ~ 量洋信凛格 1 す農安ロ処引緬 日本漁業の最前線 一一ⅱ享田谷宮 雨 4 の 上野敏彦著 提崎・世・ の孫弘忠正 原発事故と風評被害、乱獲や 宣叨 c 1 「貧栄養化」による資源の減 9 6 節木渡中 山鈴、・原税 少、中国や台湾などの船との税 + 坂 攻防など、厳しい状況にある + 漁業の最前線を訪ね、漁師と円 子井田田 / 港 ゅ都 金広太安 1 共に船に乗りながら、日本漁叩亠具 東 巻四六判上製各巻平均 3 。。頁 各巻・ 270 。円 529 。。円十税 全全巻揃・ 42 。。。円 + 税 内山節著作集 文 ~ 近現代を超える独自の思想を形成してきた内山節の真髄をなす著作を収録。 品切れ本も多く貴重。各巻に著者執筆による解題付き。 農「 文鳥文庫 国書刊行会哥品粤 ・好評刊行中 全 30 巻 第一線作家の 古典新訳、 選び抜かれた 近現代作品 ! 各巻本体 20 開 ~ 3500 円 ( 税別 ) 河出書房新社 http://www.kawade.co.jp/ 〒 151 51 東京都渋谷区千駄ヶ谷 2-32-2 容 03-3404-1201
男にとって仕事とは何か 北上次郎 篠田節子『銀婚式』 本書の単行本版が刊行されたのは 2011 年の肥月だが、 の仕事と人生が徹底してリアルに描かれるのだ。もう読み始 新刊書店でこの本を手に取った日のことをまだ覚えている。 めたらやめられません。すごいな篠田節子は。 その帯にはこうあったのである。 主人公は高澤修平。証券会社のニューヨーク本部に勤務し ていたが、本社が破綻したのでアメリカ法人の後始末に追わ 激動する時代の「家族」の物語 れ、破綻から二年後、ようやく日本に帰国してくるところか らこの物語の幕が開く。ほとんどの同僚はさっさと再就職を えつ、と思った。篠田節子が家族小説を書くなんてことが決めて去っていった。早ければ早いほど、好条件の再就職先 あるだろうか。正直に言うと私自身は家族小説を好きなのだ があったようだ。高澤修平は一一年遅れなので、なかなか再就 が、篠田節子はそういうジャンルから遠いところにいる作家職が決まらない。この挿話で高澤修平の性格を読者に伝えた である。誰がどう見たって篠田節子に家族小説は似合わない。あと、知人の紹介で人ったのが、損保会社。 たとえばこの直前に上梓したのが『はぐれ猿は熱帯雨林の夢新しい時代に対応するために、会社の古い体質を変革する を見るか』という奇想天外な作品集なのだ ( これもまた傑作矢面に高澤は立たざるを得なくなるのだが、その具体的な挿 であった ) 。こういう作家が普通の家族小説など書くわけが話が一つずつ克明に描かれていくので、ぐいぐい物語に引き ない。もちろん、その家族にカッコがついているから普通の込まれていく。証券会社にも損保会社にも勤めた経験はない 家族小説ではないんだろうが、ホントかよと疑ってしまったが、こういうやつっているよなあという人物が次々に立ち現 ことを反省する。 れるのだ。 これがすごかったのである。バブル崩壊後のビジネスマン これだけでもバブル崩壊後のビジネスマンのその後の人生 今月の新潮文庫 銀女式 / 篠田節子
てまえ ところがあったが、母のお点前は子供心にも見事だと思えた年「鏨師」で直木賞を受賞し作家の末席にもぐり込んだ。そ し、生け花の手順をお弟子さんに教える母のやり方にも成程して十年、日本経済新聞から連載小説の依頼があった時、編 と感心したものの、お弟子さんの稽古が終ると呼びつけられ集者が挿絵は岩田専太郎先生にお願いしようと思っているの て、花材の扱いが乱暴だの、茶室へ人ってからの動きが粗雑ですが、如何なものですかと聞かされて正直の所、耳を疑っ だのと叱られてばかりの稽古が楽しいわけはなく、宿題があた。こちらは、ぼっと出の新人作家で初の新聞小説だという るの、友達と約束したからのと、いいわけを考えては、稽古のにその挿絵を大べテランの岩田さんがひき受けて下さると は、月にスッポン、提灯に釣り鐘ではないかと思った。びつ のずる休みを企てた。 くり仰天して声も出ない私を見て編集者は今度の連載を私が その一方で、父の稽古のほうは大好きであった。 父は神道無念流の免許皆伝だとかで、神社の境内にある剣引き受けるという前提でと断って、内輪話をしてくれた。目 道場で弟子に稽古をつけていた。集って来るのは若い警察官下、連載中の小説が終りに近づき、次の作家を誰にと編集者 から小学校の男子児童までさまざまで各々の腕に応じての鍛会議をした結果、私の名前が出て、若い作家もいいではない 練をほぼ一日中やっている。私は父親っ子であった。母のほかと衆議一決して社長に報告に行った。たまたま、そこに別 うは神社の神主の女房として使用人の世話や家族の日常生活の用事で岩田さんがみえていて平岩さんが書くなら、わたし しゅうとしゅうとめ のあれこれに気をくばらねばならないし、隠居所の舅姑が挿絵をやらしてもらいましよう、と申し出られて、社長も の世話もある。加えて茶道、華道の教授となると体がいくつ大満足の御様子でした。とにかく、そんなわけですから何分 あっても足りないくらい忙しい。加えて一人娘はいくらいつよろしくといわれて私は夢心地で頭を下げた。 そうした経緯でスタートした「女の顔」と題した連載小説 ても茶道も華道もやる気がない。 後になって気がついたことだが、あの頃の母は孤独であっは、私にとって直木賞を受賞してちょうど十年目に当った。 十年前、自分の実力より遥かに大きな賞に押しつぶされそ たのかも知れない。 影神社の祭礼の万燈の絵に岩田さんが母をモデルにしたのはうになっていた私が恩師や先輩に支えられ、はげまされてな いその頃の母が持っていた憂愁の気配といったものに着目されんとか今日まで歩き続けた。その成果が「女の顔」にどんな 形で出て来るものか否か、私自身、全く見当もっかなかった ったせいではなかったかと思う。 な ともあれ、それから十数年の歳月が過ぎて私は昭和三十四が、書きはじめて間もなく友人にいわれた。 たがねし
猛老猫の逆襲 一方で画家が、一方で海外組が、那覇の 絵は時々しか見なかった。初期の前衛的 ただ、真喜志さんとおれがそうであっ たような「不意の出会い」の面白さと貴重空気をふるわせている。このダイナミズ な作品から平面の表現、漆喰の壁シリー ムが、これからも他では起き得ない芸術 さが、そこに存在するのは確かだと思う。 ズから社会的な批判を盛り込んだポップ 始まる前に楽屋に我部さんがふらりと的表現をこの地で炸裂させていくだろう。 なスタイルまで、限界のない力強いタッ チ、色彩が目に飛び込んでくる。その瞬現れたのには驚いた。「え、ロサンゼル スにいるんじゃなかったの ? 」丁度一昨 間に音が影響を受けることがある。高い 日まで「ウチナーンチュ大会」が開かれ か低いか中間か大きいか小さいか中間か ていた。「ウチナーンチュ」は沖縄の人 協調する和音か不協和音か動きは細かい が自分たちのことを指す言葉だ。その場 のか大きいのか速いのか遅いのか連続し て出す音の数は一つから無限大までどれ合、おれ達は「ヤマトンチュー」となる。 を選ぶのか、これらが瞬時に決定されて世界中に住む沖縄の人が帰沖して盛り上 がった。帰沖する若者のほとんどに日本 演奏が進んでいく。その過程で、絵画の どの構図、どの色彩、どのタッチがどう語が通じないという現実もある。米国の ある団体に関わり通訳的役割もこなす我 絡むのか。あるいは絵と音はまったく別 のものとして同時存在しているのか。答部さんは、こうした情勢を一気に教えて えはない。 くれた。 三歳から東京に住む台湾人作家が、 台湾・中国・日本、三つの母語の IOO 8 年代の青春 狭間で揺れ、惑いながら、自身の ルーツを探った四年の歩みを集約 ! 司修著 19 0 0 円 大江健三郎作品の装幀を手がけ、同時 代を伴走してきた著者が、六〇年代の褞又柔著 大江文学と向き合い、現代への鮮烈な メッセージを掴み取る ! 2 6 0 0 円 台湾生まれ日本語育ち 60 代の纛 大健一作の麓簽は ; 社がらずもトを僻してき 5 : 人江文学から読み解く現代への 鮮烈なメッセージ ! 温又柔 ! 日ム、快袒我住在日語 わたしは日本語に 住んでいます 第設、第まを第、をを第、 られ = 東京都千代田区神田小川町 3 ー 24 http://、Ⅷ喞.hakusuisha.co・jp/ Tel. 03 ー 3291-7811 ※価格は税別 白水社
描き出された、美しく幻想的な絵に感嘆 まな事情を、その古さの中に閉じ込めたまま、途方に暮れて 欲しくもないガラクタのような品物が、いっか買い手の人、いる気の毒な迷子なのかもしれません 生に影響を及ぼし始める。恋の成就や仕事の成功、願ってい 柴田よしきはその迷子たちが居場所を求める願いを、美し い物語に編んだ。それぞれの縄は織り上げられ、大きなタベ た生活が手に人り、人間関係も改善されていく。 だが、幸と不幸は表裏一体。幸せが大きければ ) そのふりストリーとなって美しい絵が描き出されていく。 ハードボイルドな 一一十年以上第一線で活躍し、警察小説や 幅だけ不幸がやってくる。やがて彼らは気づき始める。この どのミステリーから、やホラーティストの物語など八十 幸せも不幸せも、あの古道具屋で買った品物がもたらしたこ とだ。なんで自分はあんなものを買ってしまったんだろう。 作以上の小説を上梓してきたべテラン人気作家の柴田よしき あの不思議な顔をした店主は、私の魂と取引をする悪魔だつだが、これほどファンタジー要素の強い作品は、珍しいので たのだろうか。 はないだろうか。柴田作品の特徴ともいえる、緻密な構成と 気が付くと、糾われた縄は他人の人生とも絡まっていた。知的な雰囲気はそのままに、幻想的な風景のジグソーパズル 古道具屋に再び集まった買い主たちと買われていった品物たが出来上がっていく。 よじ だが最後の 1 ピースまで気を抜いてはいけない。すべての ちのそれぞれのエピソードは、捩れながらひとつの縄に繋が きっかけは、出来上がったときに初めてわかるのだから。 っていった。その縄の先に見えたものは何か・ ( あずま・えりか書評家 ) 所有者がいなくなった物たちは、この世に取り残される。 柴田よしき『さまよえる古道具屋の物語』 47 一一 05 ー 5 発売中 骨董や古道具というのはそうした個人の抱えた人生、さまざ ェクス・フリスハイジャック事件、難病持ちの音楽 Ⅳ税 ボラーニョ・コレクション 家、オフィスで働くゾンビ、消えた間槲 文化人類学者 : : : ポスト・アメリカ価 世代の新星による第一短篇集。 2 6 0 0 円神 マヌエル・ゴンザレス著藤井光訳 千 / 都叩 京 ミニチュアの妻 東 はるかな星 はるかな星 物を屬ををー もうびとつの戦惞の物語 ロベルト・ボラーニョ著斎藤文子訳 軍政下のチリ、複数の名をもつ前衛詩人にして殺人鬼 ・『アメリカ大陸のナチ文学』最終章の主人公をめ ぐるもうひとつの戦慄の物語。 1900 円 白水社
うな秘密の征服欲の暴露には舌を巻く。ここまで言語化して手として親愛を覚えたりしながら、マルトに対しては傲慢に いいのかね、と怖くなるし、強烈に興味深い。でも読んでい振る舞う。マルトは主人公にさまざまな判断をゆだね、従属 て不安になってくるので、わたしを以前共感のるつぼに陥れする態度を見せながら、意識してかせずにか主人公を激しい たトニオ・クレーゲルと対決してもらいたくなるのだが、お心のやりとりに巻き込む。そして周りの人間は彼らをおもち そらくトニオ惨敗だろう。がんばれトニオ。 やにする。どんどん見苦しくなってゆく人間模様が、それで 恋に落ちかけている半ばのマルトが、十九歳にして「わた も目が離せないのは、これらの誰にも人間の普遍性が閉じ しが泣いているのは、あなたより年をとりすぎているからこめられているからだろう。どこまでが事実でどこまでが よ ! 」と言う部分は、主人公でなくても本当にぐっとくる。 創作なのかはわからないけれども、それらを描くラディゲ 二人は当然付き合うことになり、片方が片方を家へと送り届の手つきの精度は恐ろしく高い。天才というのもうなずけ けたと思ったら、もう片方が相手を心配になってそちらに送る。 って、これではきりがないからと中間の地点で別れる、とい マルトという女性を、結局最後の最後までつかませず、ラ うような純愛つぼいエピソードを挟んだり、マルトの家に忍ストの三行では何がなんだかよくわからないけど絶望的な気 んでいくのに、友達と遊びに行くからと母親に説明すると弁分にさせる。完成度はとても高い。かっ強烈に息苦しかった。 当を押しつけられて隠し場所に困った、みたいなとほほなこ主人公は控えめに言ってもクズなのだが、ナルシズムとは ともあったりする。のだが。 縁に感じられる。けれどもそう見せかけて騙せてる俺 ( 一フデ 恋愛の始まりからその腐敗と昇華までを、余すところなく イゲ ) すごいなのかもしれず、主人公とマルト、主人公と周 描いた作品なのだろうと思う。ラディゲは実際に、十四歳の囲のみならず、書き手と読者の間にも果てしない駆け引きと 時に二十四歳の結婚している女性と恋愛をしていたそうで、緊張を強いる。正直に言うけど、そこそこ長い間この欄で文 作品は、主人公とマルトの関係のみならず、「十代半ばの少章を書かせてもらっていろいろな作家の本を読んだけれども、 年が不倫をしている」ということが引き起こす余波のすべてこんなに作者と距離を置きたいと思ったのは初めてだ。なん を書き尽くそうとしているかのように思える。揺れ動く両親だこの筋違いな被害者意識はという感じなのだが、それほど の態度しかり、不倫の醜聞に乗じて二人を排除する周囲のカのある小説だということだ。 人々しかり、マルトの新婚の家の階下のゲスなのぞき根性の 読まずにはいられないのにきっかった。天才がこんなに性 夫婦しかり。ただ、マルトの夫のジャックだけが、話の外側格悪かったらつらい、と泣いて帰ってきた感じだ。中二で読 にいて、多くを語られないことによって品性を保っている。 まなくて本当に良かった。 主人公はジャックに嫉妬したかと思えばマルトを共有する相 ( 邦訳は中条省平訳・光文社古典新訳文庫ほか )
「 00 万回言 0 ても、言い足りないけど には子どもに対しては「 ZO と言わない お父さん」だった。 ェビデンスを重んじるみ。 竹田二人の子どものことは本当に大切 にしていました。母親の私とは違い、父 剪の子だった 親として少し距離を置いて見守っていた ようです。 竹田圭吾の素顔 山本作品のなかで書かれていましたが、 やはり息子さんの反抗期は大変でしたか。 竹田はい。息子が何を考えているのか 山本一郎 X 竹田裕子 ( 実業家、作家 ) ーーみト第 . 、 " ゞ : 、まったく分からず頭に血が上りがちな私 の傍らで、圭吾さんは「大丈夫、大丈夫。 山本六年前に取材でご一緒して以来、 した ! 確かにちょっと変わったツポが俺もそうだったから。何も言わなくてい 竹田圭吾さんとおっきあいさせていただ ある人でした。 いよ。ここからは父親の出番だからーと きました。早いもので、亡くなられてか 言っていました。 知られざる家庭での姿 ら、一年になりますね。 山本うちは息子が三人います。子ども 竹田主人の方が年上だったこともあり、 山本竹田さんは、プライベートについ の誕生の報告をしたときに、竹田さんに 上から目線でいろいろと申し上げたので てはいっさい話しませんでした。『一〇「今のうちに体を鍛えておけ」とアドバ はないかと思います。 〇万回言っても、言い足りないけど』に イスいただいたことをよく覚えていま 山本竹田さんは普段はテレビでコメン はご家族への情愛が描かれていました。 す ( 笑 ) 。大学生のお嬢さんの留学の学内 トされているときのように穏やかですが、初めて知ったのですが、ご家庭にずいぶ選考のエピソードも出てきましたが、一 突然「そこか ! 」と驚くようなポイント ん時間を割く、「いいお父さん」だった年の交換留学を目指すお嬢さんに、「な のですね。 で怒り出しますよね。「黒ひげ危機一発」 ぜ四年間でなく一年なのか」と尋ねたり みたいなスリルがあって、思わぬとこ していました。仕事だけでなく家庭でも、 ろで、お叱りを受けることもありまし ここ一番というときは、家族の中でも 非常に細かい人だったのですね。 た ( 笑 ) 。 父親というよりジャーナリストの顔を見竹田そうなんです。娘は「お父さんの 竹田それは本当に申し訳ありませんでせることもあった圭吾さんだが、基本的質問に答えていれば、誰でも受かるよ。 刊行記念対談 ( 本書頁 )
などというのは、まだましなほうで、 西部のアイダホ州に生まれ、同じ西部の 『乱』も観ましたね」 「島根ってどこ ? 」 ワシントン州で育ったキッドさんは、大 「黒澤の最後の作品は『まあだだよ』だ 逆に何度もそう聞かれ、だんだん不安 ったでしょ ? 」 学生になるまではとりたてて日本に関心 になった。 があるわけではなかったという。大学の 「ええ、そうですね」 キッドさんが大学のある松江市にやっ 「あのとき『週刊新潮』が『黒澤明、も学生寮で日本から来た留学生と親しくな て来た年から、さかのぼること百十年近 り、その日本人の友人に勧められて、日 ういいよ』っていう記事を出したんです く前に、アメリカの月刊誌の特派員とし よ」 本語を学ぶことにした。 てこの地を訪れ、そのまま住み着いて、 「『日本語の授業、受けてみたら ? 』っ 私がこう言うやいなや、キッドさんは 『怪談』や『日本の面影』といった名作 ていう友達のチョー軽いひとことと、 爆笑して、笑いが止まらなくなった。さ を残した作家の名前は、来日するまでま 『じゃあ、そうしようか』っていう僕の らに当方が、 ったく知らなかった。そのキッドさんが、 チョー軽い返事で、人生が決まっちゃっ 「 ( 大監督に対して ) ひどいよねえ。同 いまでは地元紙に「現代のラフカディ じ出版社の雑誌 ( 本誌のこと ) に、僕の た。だから注意してください」 オ ・ハーン」と紹介されるのだから、こ 原稿も載るんだよ」 と真顔で言って、こちらを笑わせる。 れもまた巡り合わせというべきか。 一九九七年 ( 平成九年 ) に旅行で初め と付け足すと、キッドさんは、 大学に人ったのはちょうど十月で、最 「あっ、そうなんですか。でも、『もう て日本を訪ね、翌九八年に、母校の大学 かみありづき いいよ』はいいなあ」 と提携している国立島根大学 ( 現在・国初の日本語の授業の際、「神在月」とい う言い方を習った。日本中の神様が島根 立大学法人島根大学 ) に留学した。 と、まだおかしそうに徴笑んでいる。 言うまでもなく、日本の " かくれん 日本の提携大学は東京や京都など全国にある「出雲大社」という場所に集まる かんなづき からだそうで、島根以外では「神無月」 に四校あったのだが、 ぼ〃のやりとりを知らなければ、こんな と呼ぶことも知り、 「日本語を勉強するなら、英語を話せる ふうに打てば響くような反応は返ってこ 「よくわからないけど、島根ってかなり ない。私は仕事柄、日本語に堪能な外国人が少なそうな、より厳しい環境がい すごいところだな」 出身者を大勢知っているが、このレベル に と田 5 った。 の日本語能力の持ち主は「稀有」と断言 と、島根を選んだ。 耄してもよい。 しかし、留学してひと月が経ったころ、 日本人の友人たちの反応は、 精神的にどっと落ち込んでしまった。 一九七七年 ( 昭和五二年 ) にアメリカ 「すごい田舎だよ」
いう環境のなかで幼少時からクラシック の前で、思い浮かぶよしなしごとを喋っ軍機や戦艦が頻繁に出てくる。戦闘機の 音楽に触れる機会があった。母方の御祖た。 コックピットや機首をスー。ハーリアリズ きんじようきょまっ 父の金城清松氏は沖縄で最初の結核療養 翌日のセレモニーは、朝の 9 時半、美ムで描くこともある。ある年自宅に伺っ 所を明治年に創られた。その後、その術館ホワイエの特別ステージで開始され て話をしていた時に、「機能性を突き詰 土地の・一部を琉球大学に譲る。また大叔 た。まずは開会式。企画紹介を島筒格氏めたものはやはり美しいんだ。戦闘機も 母様には、平良敏子さんがいてこの方は ( 展覧会担当学芸員 ) 、田名真之館長の挨そうなんだ」という言葉を直に聞いたこ ばしようふ 芭蕉布を作る九十歳を超える人間国宝だ。拶、真喜志好一氏 ( 令弟 ) の関係者挨拶、とがある。 また沖縄県芸大の開学部記念式典では、 そして、テープカットに進んだ。これに 美しいが害がある。究極の美は究極の たかのすけ 初代音楽学部長の渡辺高之助氏の門弟と は、田名館長、真喜志民子氏、真喜志好害を生む。マキシ作品にはこれが全て現 して、美保子先生ご自身が首里城で歌っ 一氏、仲里効氏、能勢孝一一郎氏と共におれている。そこにユーモラスな味付けが またよしこうわ た。父方の御祖父の又吉康和氏は那覇市れも参加した。開催記念セレモニーとし 加わることもある。まさにアンビバレン 長だったが、大規模な道路を作り、それ て、その場でソロピアノを弾く。アー ト ( 二律背反 ) だ。当日配られた e シャ は「又吉道路」と呼ばれた。このような ト・プレイキー十八番の名曲「チュニジ ツにも「 ambivalent 」と書いてある。そ 話をすると、皆誰かが思い当たって夫々 アの夜」を捧げた。 もそもこの展示会の公式タイトルが「真 に話がはずんだ。ありがたいご縁だ。 夜になり、ソロコンサートの本番を迎喜志勉展″アンビバレント〃」だった。 美保子先生が嫁がれたのが菅家医院の えた。ピアノの合間に徳田陽子さんとの トム・マックスを表すキーワードはこれ 菅家克彦先生で、こちらは菅原道真の子 トークをはさんだ三部形式だ。 だと誰しもが認めているのだ。米国で生 孫だから、古都と王国相まみえるダイナ 真喜志勉の作品が大きなスクリーンに まれたジャズを愛せずにはいられないが、 ミックな展開と思わざるを得ない。 次々と映されていくのと同時に弾き始め その米国は米軍となって沖縄に害を及ぼ この食事会の前までは、展覧会の会場、る。つまりは絵との共演だ。「絵から何す。アンビ・ハレントは、しかし、全ての 県立博物館・美術館にいた。開場を明日 を得て音を出すのか」とよく聞かれるが、人間に存在するものだ。その普遍性を早 に控えて、マキシ作品が全て展示されて答えは難しい。その場で湧き上がる音を くから察知して表現し続けたのが真喜志 いる巨大な空間を全て見て回った。その 即興で綴るのだが、前日からの印象も全さんの人生だったのだろう。 際テレビ取材があり、遍歴ごとの絵画群て反映する。マキシ作品には、米国の空 そんなことを考えながら弾き続けた。 それぞれ