世界を変える。 1 枚の写真が 2016 / 8 Aug Vol.13 No. 8 8 月号 TOPPAN J A A N 00N E 町を一 お、ロ、チャック ! 写真 zsolent News/ アフロ 0 DAYS JAPAN 創刊 150 号記念特集 「民族浄化」という名のクルド人虐殺 / トライアング ル・シャツウ工スト工場の火災 / 暴力化する人種差別 / パレスチナ難民キャンプ での虐殺 / モルテイハイ・バヌヌの告発 / ケネティ大統領暗殺 / 仏教迫害に抗 議の自殺 / 国際反戦運動呼び起こした戦場写真 / 生き物の悲鳴 / 化粧品の ための動物実験 / 湾岸戦争時の虐殺 / イラク戦争・隠された写真 / 米軍による イラク人捕虜への虐待 / ホコ・ハラム誘拐事件 / 急増する難民 / 沖縄の怒り伝 え続ける。沖縄 2 紙の闘い / 人間の尊厳が奪われている場所、そこを「人間の戦 場」と呼ぶ。人々の意志が、戦争を止める日が必ず来る。 4 从々の尊厳が奪われている場所、そこを沃間の戦場クと呼ぶ」 広河隆一 ・こともある 国家を動かす DAYS フォトジャーナリスト DAYS JAPAN 発行人 コラム「 OUTLOO Follow 、、 Me DAYS JAPAN 公式 facebook www.facebook.com/daysjapan ・ net DAYS JAPAN 公式 twitter @DAYS_JAPAN 広河隆一公式 twitter @RyuichiHirokawa 48 50 44 参院選の焦点をほかす 東京都知事選の愚文 / 斎藤美奈子 45 〔 DAYS フロアップ DAYS のこほれ話をお伝えします 46 DAYS 創刊 150 号にいたたいたメッセージ / ヾックナン / ヾー 49 DAYS インフォメーション コラム編集委員おしりマコ・ケンの実際とつなの ! ? 不安で増える福島県「県民健康調査」検討委員会の傍聴者 52 DAYS 国際フォトジャーナリズム大賞 2016 受賞作品発表第 4 弾 バブリックプライズ ョンチ・チュー 美しいの向こう側 中国の毛皮産業 56 [ 営みの地球 ] O 62 編集後記 / DAYS イベントのお知らせ 写真・文 / ケビン・フレイヤー / ゲッテイイメージズ 初冬の祈祷会 チベット仏教の聖地 印刷テクノロシて 凸版印刷株式会社〒 101-0024 東京都千代田区神田和泉町 1 番地 www.toppan.co.jp
D AY s のこばれ話をお伝えします DAYS フォローアップ FOLLOW UP ・ラスト写真展@キッド・アイラック・アート・ホール DAYS JAPAN が毎年写真展を開催してきた、明大前 のキッド・アイラック・アート・ホールが 12 月で閉館になりま す。とても寂しいニュースですが、キッドでの DAYS ラスト写 真展を 7 月 1 日から 17 日に開催しました ! 今年のテーマは 「私たちの日常の裏側で・・・・・・」。ファストファッションの悲劇、 処分されるべットたち、毛皮商品の作られ方、遺伝子組み 換え作物の被害者、苦痛だらけの豚の一生など、ファッショ ンや食品業界の裏側に迫った内容でした。「動物たち、キ ツネやウサギや豚たちの眼がこっちを見ていてつらくなっ た。農薬被害の子どもたちの写真からも罪の意識を感じ た。被害にあう人と、何も知らず、もしくは気にせずに売っているモノだけ を見て購入する人と、あまりにも違いすぎて、残酷な現実があると思った。 少なからず、「買わない』選択をしたい」などの感想をいただきました。 ・福島の毋 354 人アンケート 7 月号で結果報告した「福島の母 福島の母 354 人本音アンケート」ですが、この 354 人本音アンケート どもの健避をと保養 アンケートは、 DAYS 被災児童支援 募金と未来の福島こども基金 (http: //fukushimachildrensfund.org/) 0 主催実施されました。 7 月 9 日 0 未ー 4 、 来の福島こども基金の総会では、この アンケートの報告の際に、 DAYS の誌 面も紹介されたそうです。 ・豊田直巳さん新作ドキュメンタリー完成 ! フォトジャーナリストの豊田直巳さんが原発事故で故郷を追われた人々 を追ったドキュメンタリー『奪われた村避難 5 年・目の飯舘村民』が完成し ました ! DVD 購入や自主上映をご希望の方は、公式ウエプサイトや Facebook ページをご覧の上、お申し込みください。 ・公式ウエプサイト : http://ubawaretamura.strikingly.com ・ Facebook ページ : https ・ //www.facebook.com/ubawaretamura/ 理履、キ、の、物を ・一枚の写真、こほれ話 今月号の特集で取り上げた、トルコの浜辺に打ち上げられたアイラン君 の写真について、 6 月 24 日付のスペイン「エル・パイス」紙ウエプ版に、「あ の亡くなった子の写真は、何をもたらしたか ? 」との記事が掲載されました。 この記事には、マドリードで開催中の、ヨーロッパに流入する難民について の写真展「楽園の扉へ向かって ! 」 ( 6 月 3 日 ~ 9 月 4 日 ) の関連イベントで討 論された内容が書かれています。 く一枚の写真は何かを変えるのに役立っているのか〉との問いに、シリアの 写真で 13 年にピュリツツア賞を受賞したマヌ・プラボさんはく「自分たちの やっていることが報われているとは思わない」〉と語ります。続いて、この 展覧会を担当した学芸員の 2 人もく「フォトジャーナリズムは、もはや何かを 変える力をもっているとは思えない」〉と発言します。一方で、 12 年に世界 報道写真コンテストで大賞を受賞したサムエル・アランダさんは、自身がシ 工ラレオネで撮影したェボラ熱で痛みに身悶える女の子の写真がニュー ョーク・タイムズに掲載されたことを例に取り、く「その写真がきっかけとなっ て、アメリカ政府が薬を送ることになった」〉とし、写真の力を肯定。これ に、写真史家のパプリオ・ロベス・モンデハルさんは、く「たしかに ( 欧州 連合本部のある ) プリュッセルの政治家たちの感覚は、一般社会からほど 遠いところにあるから、 ( ヨーロッパに到達する難民の ) 写真が彼らの心を 動かすことは少ないかもしれない。だけど、市民はサムエルの写真がそう だったように、写真によって突き動かされることはある」〉と援護しました。 さて、読者の皆さまは、今回の特集をご覧になって、写真の力について どのように感じられたでしようか ? ( 編集部・石田 ) ・講演会「日本会議と安倍政権」大盛況でした ! 7 月号でロングインタピューを掲載した 『日本会議の研究』の著者、菅野完さんの 講演会を 6 月 20 日、東京都中野区で開催し ました。誌面には掲載されていない内容も 次々と飛び出し、なかでも ( 「女、子どもは 黙れ」という男性優位社会が日本会議を支 えている。それは日本の縮図ともいえるとい う意味で ) 「日本会議は「ニッポンのオッサ ン会議』です」との発言に、思わず膝を打った次第です。 来場した方々からは、「 ( 菅野さんが ) 1 年前までサラリーマンだったとは 思えないくらい話がうまくて引き込まれました。おもしろかった ! が、最後に は身につまされました。日本的な意味での「フェミニスト』なのですが、ど こかで女性と同じ給料だったらヤダなとか思ったり・・・・・。そういう部分って ありますから、身につまされました」「憲法改正は 9 条ではなく、 24 条と緊急 事態条項が ( 狙われている ) 、左にもオッサンはたくさんいるなど、咀嚼し きれないたくさんの言葉、気づき、学びのきっかけを与えてもらいました」な どの感想が寄せられました。 ・平和への歌声響く 6 月 27 日、チェルノブイリ原発事 故から 30 年、福島原発事故から 5 年を振り返るためのイベント「ピース オンウイング」を東京都港区で開催 しました。チェルノブイリ、福島を取 材し続ける DAYS 発行人の広河 隆一のスライド講演や、チェルノブ イリで被災し、のちに日本に移住、 byAtsumi0DATE ノヾンドゥーラという楽器と歌で演奏活動を続けるナターシャ・グジーさんの 演奏などがありました。来場された方たちからは、「チェルノブイリ事故の ために故郷を離れなければならなかったナターシャさんの歌う「ふるさと』に は万感の思いが込められていて感動しました」「核と人間は共生・共存で きません」などの声をいただきました。 0 ということは・ 日本会議とは ニッポンのオッサン会議 作品へのコメント 高橋哲哉さん ( 東京大学大学院教授 ) 絆、恵み、喜び、故郷、 家族、未来・ ・これらを 一瞬にして奪われた村の人びと。飯舘村 5 年目の現在がここにある。この 作品がまた多くの人に迎えられることを祈念しています。 鎌田慧さん ( ルボライター ) 突然、ごく普通の生活を奪われて、それがどんなに大事なものだったのか、 愛おしくなる。動物、植物、人びととの繋がり、それは放射能に汚染され ていない土と美しい自然があってこそのものだったのだ。豊田直巳さんが 「までい ( 「手間ひまをかける」の意 ) 」に描いた、「かえらざる生活」。東 電よ、それを返せ ! ・訂正とお詫び DAYS JAPAN7 月号に誤りがありました。以下に訂正してお詫び申し 上げます。大変申し訳ございませんでした。 図 2 、高橋史朗氏プロフィール誤 ) ( 全学連 ) →正 ) ( 生学連 ) p. 16 本文 3 段目誤 ) 中革→正 ) 中核 p. 20 写真キャプション誤 ) 原子力防災対策現地本部 ( オフサイトセン p. 37 正 ) 原子力災害対策本部事務局 本文 2 段目誤 ) 10cpm → 正 ) 10 万 cpm p. 40 45 DAYS JAPAN 2016 / 8
( 下 ) 第 6 回福島県「県民健康調査」検討委員会の記者席にポツンと座るマ コさん。 2012 年 4 月 26 日 ( 左 ) 第 23 回検討委員会。記者席に加え、 般傍聴席も満席。 2016 年 6 月 6 日 です。Ⅱ年の第 4 回検討委員会から公ほしいです。原発事故後、線量の高い 開になりましたが、 その時は東京から ところで学校が再開され、屋外での運 取材に来た記者はおしどりだけで、あ一動部の部活も再開されたから。 とは福島の記者クラ。フの方たちだけで また、農家の方が「野菜にこんな異 した。傍聴者は 5 人いるかいないか。 常が出た」と持ってきてくださること でも今は、取材者は人を超え、傍聴】もあります。先日は、玉ネギに根が何一、 者も 100 人を超えています。昨年やか所も出てくると、現物を見せてくだ 今年から、初めて傍聴に来たという さった方がいました。「マコさんに会 方々も増えました。理由は「心配だカ えなかった場合は送ろうと思って」と、 ら」「なんかおかしいから」というもの。一絵も描いてくださっていました。「写 身内に甲状腺かんが出た、親戚にが一真じやわかりにくいから、スケッチし んが増えた、白血病、心筋梗塞、いろ たんです」。その絵がお上手だから、な いろ聞きます。言報のハカキを東にし一んか絵葉書みたいに ( い感じなんたけ て持ってきてくださった方もいまし 、実際は、形状異常の玉ネギなんだ よね : た。「なんでこんなに同級生が亡くな っているのか、以前はこんなことはな 「農家を数十年やっているけど、こん かった」と : : : 。福島県庁や福島県立 な異常は初めて」「玉ネキの根は、種 医科大学に質問したり、資料を見たり からいちはん初めに出てくる部分。 しても、納得がいかないからと傍聴に から、兀から種に異常があったんじゃ 来られている方々の多いことー ないかな。 1 個だけではなく、根が 3 「この質問をしてくたさい」とびっしつも 4 つも出てくる異常な玉ネギがた り書いた紙を用意していた方も くさんありました」とのことでした。 でも、現在の記者会見では、質問は その種はどこで購入したのか尋ねる ひとり 1 問まで、時間も限られていて、 と、福島の農協でとのことだったので、 指名されないこともあるので、預かっ いつごろのものなのかを聞くと、「多 た質問は全部できないの ! 分 1 年前か 2 年前のもの」だそう。さ その質問の中には、「子どものがんあ、これがどういうことを意味するの や白血病や心臓疾患や病気のデータ か、数人の研究者に質問を送りました。 を、 ( 学校の部活の ) 運動部と文化部に 来月、京都でおこなわれる研究会でも、 分けて調査できないか」というものが - 農学系の研究者に伺ってこようと思い ます。 ありました。「運動部の子どもの方が、 病気が多いんじゃないかと思う」とい あら、今回は検討委員会の話だけに う地元の方の心配に、きちんと答えて - なっちゃった。続きはまた今度ー おしとりまこ・けん よしもとクリエイテイプ・エージェンシー所属の 夫婦漫才コンビ。 DAYS JAPAN 編集委員、「沖 縄・球美の里」理事。福島原発事故以降、政府や 東電の記者会見に出席、また也取材も積極的に おこなっている。そのオ巣は、以下で公開中。 おしどりポータルサイト http://oshidori-makoken.com/ おしどりマコ・ケンの「脱ってみる ? 」マガジン 9 http://www.magazine9.jp/oshidori/ おしどりケンのワイヤーグラフ誌 http:″blogs.yahoo.co.jp/oshidori_ken_blog ニコニコ動画「おしどりチャンネル」 http://ch.nicovideo.jp/oshidori 51 DAYS JAPAN 2016 / 8 ( 上 ) 下から見た根が 4 か所ある玉ネギ。 ( 左 ) 農家の方からマコさんがもらった形状異 常の玉ネギのイラスト。 / イ、イ
「早朝 6 時少し前、領事公邸の外が騒がしい。 100 人以上もの老若男女が、何かを訴えている。 私はこれはただごとではないと思った」。 時は 1940 年 7 月 18 日、 日独伊三国同盟締結の 2 カ月前。 場所はバルト三国のひとつリトアニアの 首都カウナス。 当時の様子をこう回想するのは、 日本政府の訓令に従わず通過ピザを発給し、 6 ′ 000 人以上ものユダヤ人の命を救った 杉原千畝その人である。 1900 年 ( 明治 33 ) 岐阜県の八百津町に生まれる。 中学で成績のよい息子を医者にしたかった父は、 医学学校の受験手続きをする。 しかし千畝は、得意の語学を生かした仕事が希望。 入試当日は母が作った弁当だけを食べ、 試験を受けずに帰宅。当時から自身の価値基準を 信する気骨ある青年であった。 1918 年、早稲田大学高等師範部英語予科に入学。 果たしてその後外交官になった千畝は 満州国外交部、ヘルシンキ公使館勤務などを経て、 1939 年 8 月末にカウナス領事館の 領事代理に赴任したが、その直後に ナチス・ドイツはポーランドに侵攻。 こに第二次世界大戦の火蓋は切って落とされた。 その後もドイツ軍は各国を蹂躙しつづけ、 翌 40 年 6 月 14 日にはパリに入城。 ナチスに怯えるユダヤ人たちは逃げ場を失う。 こうして 7 月 18 日、彼らはカウナスの日本領事館に 通過ビザを求めてやってきたのであった。 「人道上どうしても拒否できない」と、 千畝は本国外務省に通過ビザ発給の許可を求め 2 度にわたり暗号電報を打つ。 しかし当時ドイツと同盟を結ばうとしていた 外務省の返答はいずれいノー 千畝は数日間悶々と考えに考え抜く。 「私を頼って来る人を見捨てるわけにはいかない。 でなければ私は神に背くことになる」。 幸子夫人の同意を確認し、外務省の訓令を 無視するという重たい決断を下したのであった。 かくして 7 月 29 日より約 1 カ月間、 千畝は寝食も忘れてピザを書きつづける。 リトアニアがソ連に併合された 8 月 3 日以降は モスクワから領事館退去命令が 再三あったが、これも虹視 いよいよ 9 月 5 日当地を離れることになったが、 カウナス駅まで多数のユダヤ人が押しかけ、 出発間際まで書きつづけたという℃ 47 年 4 月に帰国した千畝は同年 6 月に外務省を退官。 75 年まで貿易商社などで活躍。 そして 1986 年 7 月 31 日、鎌倉にて永眠する。 「私のしたことは、外交官としては 間違ったことだったのかもしれない。しかし それは人間として正しい行動だった」 と生前、幸子夫人に語っている杉原千畝 85 年にはイスラエル政府より、 「諸国民の中の正義の人賞」という 勲章を授与された。 国境や民族を超えた一個の生きる人間としての 勇気ある決断は、 ちの子どもたちの子どもたちのために」 いつの時代にあっても崇高である。 ※参考文献 : 「真相杉原ビサ / 渡辺勝正著 / 大正出版刊 この内容に関するご意見・ご感想をお待ちしております。おハガキ、メールまたは FAX にてお寄せください。 山田養蜂場 山田養蜂場ホームページ 〒 708-0393 岡山県苫田郡鏡野町市場 194 ( 株 ) 山田養蜂場「子どもたちのために DAYS JAPAN 係」 http : 〃 www.3838.00E 〈 E メール〉 kouhO@3838.com く FAX 〉 0868-54-7004 外交官としてではなく、 人間として当然の正しい決断をした。 一毎をミ響 第 / 杉原千畝 Chiune ihara ( 1900-1986 ) アどセラ - ビーを追究する Y A M A D A B E E F A R M