しよ、つ力い 障害には、しつにさまざまなものがあ このシリ 1 ズでは、目、耳、からたの げんいん したいふじゅう ちてきしようがいじゅうどちょうふく り、その原因がわかっているものと、そ障害 ( 肢体不自由 ) 、知的障害、重度重複 しよ、つ力い うでないものとがあります。わかってい・障害についてしかふれられませんでし あと じこびようき る原因には、事故や病気、そして、後で・た。しかし、そのほかにも障害をもつ人 せんそうひんこん かいます お話しする戦争や貧困かあります。はっ ないしようがい きりとわかってはいないものの、汚染物内部障害をもつ人たちもいます。内部 しつひろ かんきようあっか 質の広がりもふくめて環境の悪化も、障・とは、自分のからだのなかという意味で しんぞうじんぞう かんが 害の原因のひとっとして考えられています。内部障害者には、心臓や腎臓、それ こきゅうき じこびようき かんきようおせん から呼吸器などに障害をもつ人たちがい す。事故や病気、それに環境汚染などが げんいん しよ、フカい いちぶ 原因なのですから、障害がごく一部の人 . ます。 しよう しようがいしゃ しんたいしようがい にだけ生じるものではないことかわかり また障害者のなかでも、身体障害に せいしんしようがいしゃ ます。わたしたちにとって、障害はけっ ついで多いのが精神障害者です。精神障 やまい して人ごとではありません。とっせんの害者とは、精神の病によって障害をもっ 事故や病気のために、 いつわたしたち自た人のことです。その病気のために、仕 ごと こんなん しん すこ ふしぎ 身に障害か起こっても少しも不思議では事もふくめて生活するのに困難をかかえ じんせい ないのです。 ている人たちです。長い人生のなかで、 やまい ねんばんしようがいしやはくしょ 平成十年版『障害者白書』によると、・精神的な病にかかる人は、百人のうちに にほんぜんこく 日本全国でなんらかの障害をもつ人は、十人をこえるといわれています。わたし およそ五百七十六万人いるとされ、二十 . たちにとって、精神病は、じつはとても みぢか 人にひとりが障害をもつ人なのです。 身近な病気ともいえるのです。 はな 障害は、すべての人の間題 。しょ一つ力し おせんぶつ ひと もんだい せいかっ しようがい だいかん 第 6 巻『からだに障害のある子といっしょに』 みずしまなほ く車いすの倉本勇輝くん ( 写真① ) と水島菜穂ちゃん ( 写真① ) 。 くらもとゆうき くるま
しよう力い ちてきしようがい 障害をもつ人たちは、まわりの人たち また知的障害をもつ人のなかには、ひ むち じかん の無知によって、さまざまな偏見にさらとつひとつのことをやるのに時間がかか しょ , つがいしゃ おも されてきました。そのひとつが、障害者る人がいて、十分なことができないと思 かんがかた はなにもできないという考え方です。こわれてしまうこともたくさんあります。 のような考え方こそが、障害をもつ人た でも、車いすの人のためにはスロープ はっき 1 レよ、つ力い ちの力を発揮させないことにつながってやエレベーター、目に障害をもつ人のた しかくしようがいしやおな おんせいじようほう いのちづな います。 めには音声情報、聞こえに障害をもつ人に歩く視覚障害者も同じです。命綱と ふじゅう えじようほう ちてきしようがい たとえは足の不自由な人は、自分の足には文字や絵の情報、知的障害をもつもいえる点字プロックにそって歩いてい い」、フ くるま し玉、フし じてんしゃ では移動することができません。でも車人には時間を用意すればどうてしよう。 ると、自転車や荷物に先をふさかれるば いすがあれば、自分で移動することがでそれぞれの障害か、それほど大きなものかりでなく、ぶつかってしまうことさえ かん だんさ きるようになります。車いすをつかうこ とはならす、障害をもつ人がそれを感じあるのです。段差はなくなり、ひとりで とで、移動のさまたげがとりのぞかれる・なくてすむようにできることも多いので歩けるようになったとしても、これでは げんじっ かつどう あんしん わけです。ところか現実はどうでしよう。す。障害をもつ人たちの活動をさまたげ安心して歩けません。 ど、フろ だんさ かいだん しよ、つへき ししハリアを 道路には段差があり、建物には階段があるものをハリア ( 障壁 ) とゝ どうしてバリアフリーが大切なのか、 かいしゃ り、学校や会社にかようことはもちろん、なくすことを「バリアフリ 1 」といいます。わたしたちひとりひとりかほんとうに理 まいにちか もの ふじゅう 力し 毎日の買い物にも不自由してしまいます。 ただ、さまざまなものかバリアフリー 解し、いつも配慮をわすれないようにし おな ーレよ、つ力し もんだい せいび 同じように、目に障害のある人や聞こ によって整備されれば、問題かすべて解なくてはいけません。 けっ おんせい しよ、つ力い り・カい えに障害のある人たちにとっては、音声決するわけではありません。たとえは車障害への理解とともに、さまざまな配 レよ、つほ、つ しかく じてんしゃ りよしやかい じっげん でえられる情報や視覚でえられる情報いすの人たちは、道におかれた自転車や、慮が社会で実現すれは、障害をもつ人の すく ふり いどう さんか しまよりももっ が少なく、ハンディキャップ ( 不利 ) にな車などによって、しはしは移動をさまた社会参加のチャンスは、ゝ げんじっ てんじ ひろ っているのが現実です。 げられています。点字フロックをたより ともっと ~ 広がることになるてしょ , っ ハリアフリー : : 障害を感じさせない社会づくり たてもの へんけん じぶん しよ、つ力し かん しやかい 力し にもっ たいせつ 0 \ \ い墨 だいかんしようがい かつどう 第 9 巻「障害のある人へのボランティア活動』 やえがし くるま かいじよ しむらあずさ く車いすの八重樫さんを介助する志村梓さん ( 右 ) 。
しよ、つ力い じぶん おな 障害をもっ子たちのために、さまざま 間として自分たちとまったく同じだと考 せんもんか かくしん な専門家がはたらいています。その人たえるようになりました。その確信をもと し」と おも げんぎい ちはどんなことを思い、仕事をしている に現在は、さまざまな障害をもつ人たち いりようめん ちいきせいかっ のてしようか の地域生活を、医療の面からささえてい げんごちょうかくしひとつまつまみこ びよういんしせつ 一一一一口語聴覚士の一松麻実子先生は、はじます。先生のおかげで、病院や施設では まな ふくし あんしん カくせし ちてきしよ、つかい めは福祉を学ぶ学生として知的障害をなく、安心して自分の家で暮らすことが もっ子とふれあいました。そして、子どできるようになった、たくさんの子たち もたちについて、もっとたくさんのこと 力います - ちてきしよう力い を知りたいと思うようになりました。そ 石井葉先生は、知的障害をもつ人や子 げ・ん′」りよ , フほうしんりカくあら あゆ こで、言語療法や心理学を新たに学ぶこ どもたちと五十年近く、ともに歩んでき ほいくし とにしたそうです。先生は、「いつまでもました。先生は保育士としてはたらくな せいちょうおうえん 子どもたちの成長を応援していきたい」 かで、障害をもっ子たちが、ちゃんとし せいちょう といっています。 たはたらきかけさえあれは成長してい いしざきあさよ しよ、つにか ねんれい 日 石崎朝世先生は、小児科のお医者さん くことを知りました。そういった、人門 たちや年齢はちがいます。勉強したこと にんげんぶぶん おくぶか かのうせい です。先生は、人間を部分ではなく全体のもっ奥深さ・可能性にひきつけられも同じではありません。でも、三人とも みち あゆ じぶん としてみられるから小児科の道をえらんて、きようまで歩んできたそうです。先障害をもっ子ももたない子も、自分らし せつきよくてき だそうです。これまで医師として、重い 生は、弓ゝ 号し子や障害をもっ子をいじめたく積極的に生きてほしい、そしてほかの しよ、つ力い せんもんびよう 障害をもっ子ともたちのための専門病り、からかったりすることはひきような人のいたみがわかる人になってほしいと 院でもはたらいてきました。先生はそのことで、いまでもゆるせないとゝ 。います。願っています。そして三人とも自分たち お だいす ほこ と去」に、 たとえ重い障害があっても、人 三人の先生たちは、ひとりひとり生い の仕事が大好きて誇りに思っています。 障害のある子とともに ーレよ一フカし し しゃ ぜんたい ししいよ、つ よわ 0 かんが ね べんきよう しようがい かいじよけん くんれんしみずかみ くんれん く①介助犬ペテロの訓練をする訓練士の水上さん。 もうどうけん かもの しもぐちせいこ < ①盲導犬ュピテルと買い物をする下ロ聖子さん。 かん かん 第 6 巻『からだに障害のある子といっしょに』 しようがい 第 1 巻『目に障害のある子といっしょに』
さんぽ せんそうひんこんう 「散歩のおしまいは、たいてし かったのか、そのことを日記に書きのこしかし、戦争や貧困が生みたすもっとも ちか や ん近くのアイスクリーム屋さんにたちよしました。このあとアンネは、ナチスに大きな不幸は、人を人として思えなくな ころ しょ一つかいしゃ にんげん ります。 ュタヤ人にも売ってくれるよって殺されてしまいます。 ることです。アンネも障害者も、人間と みせ お店です」と、アンネ・フランクは日記 ナチスか殺したのは、ユタヤ人だけでしてではなく、まるて「もの」のように ころ ちてきしようかい せいしんしようがい に書いています。 はありません。知的障害や精神障害な殺されていきました。 ぎせい やひょ , つき どこまでもつづく、石だたみとレンガどをもつ人たちもっきつぎと犠牲にな病気や事故だけでなく、戦争が、そし 力いろじゅよこ うんが はし すう ころ まず しよう力いしゃう づくりの家。街路樹の横には運河が走り 、数十万人の人たちか殺されたといわて貧しさが、いまも障害者を生みだし、 かいばっ せんそうあいだおな さべつう ます。海抜二メートルのオランダのアムれています。日本でも戦争の間、同じよ差別を生んでいます。 どうわ お しよ、つかいしゃ ステルタムは、童話のなかからぬけだしうなことか起こりました。 わたしたちはいつも、障害者をはじめ げんざい みんぞくしゅうきようたいりつこっきようせい へんけんさべっ てきたように美しい町です。しかし、そ 現在も、民族や宗教の対立、国境や政として、人間への偏見や差別をほうって まど しゅどうけん ちきゅうじよう ふんそう げんいん の石たたみを戦車がふみにじり、窓には治の主導権をめぐる紛争が地球上のどおいてはいけません。その大きな原因と じだい お 十′十に、刀 り . よ / 、 せんそうひんこん ナチスの旗がたなびいた時代がありましこかで起きています。戦いはいのちをおなる戦争や貧困を、なくすように努力し ぐん き た。それは一九四〇年、ドイツ軍がオラびやかし、手足をきすつけ、目や耳の機なければなりません。 しんにゆう のう おやころ しようかいしゃ ンタに進入した日からはじまりました。 能をうばいます。親が殺され、障害者に がいしゆっじ ぎせい せん ドイツ軍はユタヤ人に、外出時には なり、子どもも犠牲になっています。戦 ひだりむね そうひんこん ふ」、つ 「ダビデの星」のマークを左胸につける争や貧困は、たくさんの不幸を生みだし 当」よ、フせい ばくだんじらい よう強制しました。このマークによっ ます。爆弾や地雷のために障害者になる ひとめ えいようぶそく て、ユダヤ人であることか一目でわかる人もいます。栄養不足のために、障害を あか ようになり、買い物などがてきなくなり もってしまう赤ちゃんがいます。戦争が まず いり・よ、つ ました。アンネ・フランクは、アイスクあったり、貧しいために、十分な医療か しよ、つ力い リームか買える店のことがとてもうれしうけられず障害をもつ人たちがいます。 戦争や貧困は、障害や差別を生みだします せんそう せんしゃ もの ひんこん 、しょ , っ力し じ さべっ ふこ、つ さん′」・フしりよ、フ * 参考資料『少女アンネーーーその足跡』 くめみのるやく シュナーベル著 / 久米穣訳 かいせいしゃぶんこ 偕成社文庫 せんそう そくせき だいかん しようがい しばたせい ほいくえん むか ぜんもう < 保育園にお迎えにきた、全盲のお母さん・柴田聖子さん ( 左 ) 。 こ 第 1 巻「目に障害のある子といっしょに』 3
舌 かいしゃ しよ、つ . 力い 、ん↓ ーレよ、つ、んし いるといわれています。 日本の会社では、障害のある人を一定 仕事です」と語ります。障害は「できな こる わりあい ぎむ やくわり りえきお のうりよくじゅうぶん の割合でやとうことが義務づけられてい 会社の役割は、利益を追いもとめるだ い」とい一つことては、なノ、 、「能力か十分 しの ほ、フていこよ、フりつ こようりつ やく はっき ます。これを法定雇用率といい ( 雇用率は けではありません。社会の役に立っとい に発揮されていない」という意味だとも しゃいん やくわり いわれています。 一・八パ 1 セント ) 、社員が五十六人いれう役割ももとめられています。はたらき しよ、つ力いしゃ あたた あ第 ば、ひとりの障害者をやとわなければい たいと思っている障害をもつ人たち。そ 「とくに、人間としての温かさと思いや ぎんねん ひりつ せつきよくてき けません。たた残念なことに、この比率の人たちを積極的にやとうこともまた、 りをもって接するという、いちばん大切う障 ま・も やくはんすう こ、つけん を守っていない会社が約半数と、まだま会社が社会に貢献することのひとつであなことを教えられました。」 ちち おとな カ + 」 だたくさんあります。 ることを、大人になってからもみなさんとべつの会社の社長は語ります。 ぜんこくしようがいしやかず こくみんぜんたい こよ、つ しよ、つかいしゃ カわせいちょう はわすれないでいてください 全国の障害者の数は、国民全体のおよ 障害者の雇用は、やとう側も成長させ じっさい しよ、つ力いしゃ そ五パーセントです。このなかには障害 実際に、障害者をやとっている会社のてくれています。 、びよ、つき こ、つれし さん′」うしりよ、つ 参考資料『ともに生き、ともに働く』 が重かったり、病気や高齢のためにはた人は、 やまぐちこ - ついちちょ ーレト洋、フ しき 山凵光一著 / ミネルヴァ書房 らけない人もいます。でも多くの障害者「障害があるという意識がだんたんうす しやかい おも が、社会のなかではたらきたいと思って . れてきます。逆に、その意識があるあい ちょうさ にんげん たいとう イし います。 ( 一九九七年の調査では、約十万だは、人間として対等ではないのかもし ーノ 70 人の障害者が、はたらきたくてもはたられませんね。」 しよ、つ けないでいます。 ) と話します。そして、「はたらくうちに障 くタ しき かんがかたひろ かいしゃ なかま らン ハリアフリーの考え方が広かってきた害者ではなく、仲間という意識が生まれ たセ しやかい ガっ舌 とはいえ、いまも社会にはさまざまなハ る」といいます。 人い者 る塋〔 リアがあります。そのハリアのなかでも また、ほかの会社の社長は、 よ障 しよくぎよ、フ まいにちたから かれ の , フりよく とくに、職業につくことに対するハリア 「毎日か宝さがしですよ。彼らの能力を さんか はつけん こそが、障害者の社会参加をさまたげて いかに発見し、生かしていくか、それか ともにはたらくこと、ともに生きること おお ぎやく しゃちょう おし たいせつ かんしようがい ようい
ちいきふくし 「地域福祉」ということばを、聞いたこ ます。こういった生活か、たとえは十代をしたいと思っている」 し ちいきあんしん す とはありませんか から死ぬまでつつくこともあるのです。 「親が、わが子を地域に安心して住まわ しよ、つ力い しよ、つ力い じぶん しやかい これまでは、障害をもつ人たちは、施障害があることで、自分の好きなことせられるような社会にしてほしい。 せつく おも まも せんげん 設て暮らすことかあたりまえのことと思 ができなかったり、プライバシーが守ら このような宣言が、強い願いとして発 しせつ びよう げんじっ われてきました。大規模な施設では、学・れない生活はいやだと思う人たちがいま表されなければならないのか現実のすが びよういん じかんわり す ひつよう 校や病院のように一日の時間割がきめ . す。また、自分で住みたいところに住めたです。このことを変えていく必要があ こ、つい」、つ られ、それにしたがってみんなで行動をないのはおかしいと考える人たちがいまると思いませんか まいにち さいきん こうれいしやしよう力いしゃちいき しなくてはいけません。それか毎日つつ - す。どうして、ほかの人によってきめら 最近になって、高齢者や障害者の地域 っしよ、つ じぶんす せいかっ ふくし きます。また、ひとりになって自分の好 . れたところで、自分は一生を暮らさなけ・生活のために、さまざまな福祉サービス ぎもん きなことを楽しむことができなかった・ればならないのか、疑問に思ってとうせ・がおこなわれるようになりました。たと せいかっ ほ、フもん り、プライハシ 1 もない生活だったりしんのことです。 えは、ヘルバ ーさんなどが家に訪問し、 。しよ、つ力い ひつようかいじよ そこで、障害はあっても、わたしたち必要な介助をする「ホームヘルプ・サービ おな す につちゅうかつどうふくし と同じように、住みたいところに住める . ス」、それから日中の活動を福祉センタ かんが ひろ よ一つにしょ一つとい一つ辛コえが広がってきま ーなどで楽しむ「ディサーヒス」かあり ちいきふくし せわ した。その考えが、地域福祉ということ ます。また、家で世話ができなくなった いっていきかんしせつ ばにつなかりました。 ときに、一定期間、施設などでケアがう ちてきしよう力い しゆくはく 知的障害をもつ人たちは、つぎのよう けられる「スティ ( 宿泊 ) サ 1 ヒス」があ 力し せんげん じゅ、つじっ す に宣言しています ( 一九九九年、第回ります。こうしたサービスの充実で、「住 ぜんにほんいくせいかいぜんこくたいかい 全日本育成会全国大会 ) 。 みたいところで暮らしたい」という、障 しよ、つがい ねが 「わたしたちは、どんなに障害が重くて害をもつ人たちの願いがかなえられるよ ちいきせいかっ も、いろいろな助けをかりて地域で生活うになりつつあります。 自分が住みたいところで暮らしたい じぶん す し たす 事′し おも 学 / し おや つよねが くらもとゆうき くるま みずしまなほ < 車いすの倉本勇輝くん ( 写真① ) と水島菜穂ちゃん ( 写真① ) 。 しようがい かん 第 6 巻『からだに障害のある子といっしょに』
しよ、つかい きんちょう しょ , っ・カい あそ あ みなさんは、障害のある人を、「こわでしようか。これまで障害をもっ子と遊めて会って話をするときは、緊張するも おも じかん い」と思ったことはありませんか。人は、んたことのない子も、友だちになれるよのです。あわてないで、時間をかけて友 り・・カし そんざい だちになってくたさいそうすれば、や よく知らなかったり、理解できない存在うに、まずは話しかけてみてくたさい す を、「こわい」と思ってしまいます。それ くわしいことは、ほかの巻でふれてい さしい、かんはりや、スポ 1 ツか好き : あいて ちゅうい せかい は、相手がとのようなことをいったり、 ますが、ひとつだけ注意してほしいこと など、みんな個性をもった、世界でひと こ、フどう そんざい 行動するのかかわからないからです。まを書いておきましよう。それはあせらな りしかいない、かけがえのない存在だと じ た、なにかをいわれたりしたときに、自 い一つことかわかるてしょ一つ。 いことです。だれでも知らない人とはじ ぶん さいきんでんし 分かどうこたえていいのかわからないの また、最近は電子メールをやりとりし きんちょう で緊張し、それがこわいという気持ちに て、メール友だちになる人かふえていま しょ , つかい つながりやすいのです。 す。障害をもっ子のなかには、ことばの かいわ ことはを でも、「障害」にはかり目をとらわれな 障害かあって、会話のときに、 り・カし しようにしてみてくたさい。そうすれば、 理解するのに時間のかかる子がいます。 おな 障害をもっ子も、みんなと同じように楽 このために、会話のテンボかあわす、人 たい にカて でんわ しいことが大好きだし、みんなといっし と話すのか苦手になったり、電話がきら あそ ょに話したり、遊んだりしたいと思って いたったりします。ところかこういう子 しることがわかります。このためには、 たちも、 ハソコンをつかった電子メール かつどう き力い ひつよう なんかい いっしょに活動する機会が必要です。 なら、理解できるまで何回もメールを読 き力い った そのような機会はいくつもあります。 めるし、自分のペースで伝えたいことが とくし 学校活動のひとっとしておこなわれる、 書けます。もしパソコンが得意なら、こ よう′」がっこう ツ」、つりゆ , フかい たいけん かたち 養護学校などとの交流会や、体験ボラン ういった形で友だちになることもできま かつどう ぜっこ , フ す。 ティア活動などは、絶好の機会ではない いっしょにいたい、話したい かん こせい しようがい ん だい なんちょう くぼかなこ 難聴の久保香菜子ちゃん ( 写真①左はじ①左 ) と友だち。 しやしん 第 3 巻『耳に障害のある子といっしょに』
。しょっ力し じりつ せいしんてき しよ、つ力い ひつよう 障害をもつ人たちにも、「あたりまえ精神的な自立をすててはいけない。たと障害をもっ子が自分に必要なことを かんがかたひろ かん じようほうった の生活を」という考え方が広がりはじめえてきないことはいつばいあっても、そきめるためには、それに関する情報が伝 ねんだい かい′」 たのは一九五〇年代のことでした。このれは介護をうければいゝ しことだ。なによえられていなくてはいけません。情報が じぶん すく たいせつ 考え方を、ノ 1 マライセーションといし りも大切なことは、自分で考え、自分で少ないままきめてしまえは、まちがった はたん もくてき はんだん お デンマークの・ミッケルセンという人判断し、自分なりの人生の目的にむかっ 判断になってしまうことも起こってしま 十ノし すす います。 がとなえました。ミッケルセンは、第一一て進むことた」というものてした。 じせかいたいせん み アメリカでも、身のまわりのことがて 次世界大戦のときに、ナチス・ドイツの 自分のことは自分できめるために、 きようせいしゅうよ , フじよ しよう力いしゃ にんげんしつ じしん しよ、つ力い たいせつ 「強制収容所」での暮らしを体験しまきないことで、障害者はあたかも人間失ちばん大切なことは、障害をもっ子自身 ちてきしよ、フ いけん した。そして、そこでの生活と、「知的障格のように思われていました。重度の障が自分の意見をいおうという気持ちで 力いしやしせつ なお 害者施設」の暮らしか、あまりにも似て害か治るわけではありません。だからとす。小さいころから、障害かあるからと ぎもん かれ ひくっ しることに疑問をもちました。彼。。 いって、いつまでも卑屈な自分ではいた いって、意見を聞かれることもなければ、 しせつ かれ あいて 施設での生活はふつうの生活からはかけ くないと思いました。彳 皮らは、「自分でき また話をしても相手にされないままであ にんげんてき おも せきにん はなれた、人間的ではないものに思えためる、もちろん責任は自分でとる」とい れば、そのような気持ちは育たないでし せいしんじりつ のです。そこで彼は、「あたりまえの生活」う、精神の自立こそもっとも大切なこと よう。たとえ障害のために、自分の意見 つよしゅちょう ふじゅう った の大切さを、強く主張するようになりま たと考えました。 をいうことに不自由かあっても、伝えた こくさいしようがいしゃねん した。 日本でも、一九八一年の国際障害者年いという気持ちをはげまし、またその意 じゅ、フど し しようがいしやほんにん 一九七〇年代になり、アメリカの重度の前後から、障害者本人の意思を尊重す見をていねいに聞くようにすべきです。 しんたいしようがい すこ しせい の身体障害をもつ人たちによって、「自べきだという考え方か少しすっ広がってこのようなまわりの人の姿勢こそが、障 りっせいかつうんどう がいしやじしん しった 立生活運動」がはじまりました。その考きました。この自分のことは自分できめ害者自身のなかに、意思を伝えたいとい じゅうどしようがいしゃ じこけってい えは「たとえ重度の障害者であっても、 ることを自己決定といいます。 う気持ちを育てていきます。 たいせつ せいかっ 自分のことは、自分できめる じふん たいけん じ ぜんご にん じんせい そんちょう しょ》っ だいかんおもしようがい 第 8 巻『重い障害のある子といっしょに』 くんれん おおひらゆうき 、歩く訓練をする大平優希ちゃん。
もくじ 、しょ - っ力い 障害は、不自由であっても不幸ではない ハリアフリー : : 障害を感じさせない社会づくり いっしょにいたい、話したい 障害は、すべての人の間題 自分のことは、自分できめる 自分が住みたいところで暮らしたい ーレよ、つ。力い じぶん じぶん じゅう ー ) よ、つ力い ひと はな もんだい かん しやかい
あなたは、 しようがい 「障害」ってなんだろう ? かんが と考えたことはありませんか。 しよう力し この本では、「障害」や 「障害のある人」について いろいろと考えてみましよう。 かんが 文・藤田雅子 ( ふじた・まさこ ) 東京教育大学大学院教育学研究科博士課程 修了。現在、文教大学人間科学部教授。著書は 改訂心身障害人間学』 ( 岩崎学術出版社 ) など。 文・湯汲央史 ( ゆくみ、えいし ) 早稲田大学第一文学部心理学専攻卒業。現 在、発達協会事務局長。日本福祉教育専門学 校講師。社会福祉士・言語聴覚士。 写真・折原恵 ( おりはら・けい ) 出版社勤務を経て、フリーランスのカメラマンと して活躍。作品にタイ』「目に障害のある子とい っしょに』 ( ともに偕成社 ) などがある。 写真・渡辺眸 ( わたなべ・ひとみ ) 明治大学文学部卒業。作品は「猿年紀 ( 新潮 社 ) 、『西方神話 ( 中央公論新社 ) 、「知的障害の ある子といっしょに』 ( 偕成社 ) などがある。 写真・星川ひろ子 ( ほしかわ・ひろこ ) 『ばくたちのコンニヤク先生』 ( 小学館 ) で、日本絵 本賞受賞。他に『耳に障害のある子といっしょに 重い障害のある子といっしょに』 ( 偕成社 ) など。 写真・平井伸造 ( ひらい・しんぞう ) 東洋大学社会学部社会学科卒業。作品にか らだに障害のある子といっしょに 『はじめての点 字』 ( ともに偕成社 ) などがある。 しむらあずさ なかま 表紙・カバー写真・バザーのチラシをくばる志村梓さんと仲間たち ちてきしようがい なかいけんと 扉 ( P ・ 1 ) 写真・知的障害のある中井健人くん PubIished by KAISEI-SHA, Tokyo, Japan とびら