言葉 - みる会図書館


検索対象: 目標にいどむ青春 : 大輔のベースボール魂
24件見つかりました。

1. 目標にいどむ青春 : 大輔のベースボール魂

ごんどうかんとく はすれた権藤監督は、 「足取りが重たいよ。言葉はない。」 かた とガックリと肩を落としていた。 ところで、「横浜以外だったら、社会人野球に行くといっていた大輔だが、ドラフ わたなべかんとく トが終わると、ただちに横浜高校の渡辺監督に呼ばれた。 「大輔、自分がいままで決めていたことをひっくり返すのは、けっしてはずかしいこと しま、ここでおまえにとってだいじなことは、自分の進路をあせらず、じっ ではない。、 くり考えることだ。」 野球のこともそうだが、渡辺監督には、人間としてどう生きるかを教えられてきた。 それだけに、言葉の一つ一つが重くのしかかってくる。さらに、監督は言葉をつづけた。 「西武はすばらしいチ 1 ムだ。おまえの希望は、プロ野球に入って、日本シリーズの舞 台で投げることだったはすだ。だったら、西武はそういうチャンスが十分にある。 渡辺監督の話を聞くにつれ、希望球団にはすれたショックが少しずつうすらいでいっ よこはま だいすけ 116

2. 目標にいどむ青春 : 大輔のベースボール魂

「一週間ぐらい、なにもする気になれなかった。ただ、ポケッとすごすだけでした。先 輩に申しわけないという気持ちでいつばいでしたから : わたなべかんとく そんな大輔に、渡辺監督はこういって声をかけた。 「これからの練習は、ただの練習ではいけない。 一日一日を目標を持ってすごすことで、 その目標が近くなる。一人で見る夢はただの夢だが、全員で見る夢は実現への夢になる んだ。」 プロに入ってからも、大輔は、この言葉を忘れた日がなし 、。いまなお、彼の記憶に残 る言葉の一つだ。渡辺監督の言葉によって、大輔は、自分の気持ちの整理をする事がで きたのであった。 わたなべかんとく 渡辺監督はのちに、「あの負けがなければ、春夏連覇はできなかったかもしれない」と しっていたが、 一つの負けが大輔にいろいろな教訓を残したのはたしかであった。 ぐんまっきょの 新チームのスタートは、群馬県月夜野町の合宿からスタートした。大輔は、ふたたび 下半身の強化に取りくまなければならなかった。 おぐら 小倉部長との戦いが、また始まった。アメリカンノックを、一日鬨本捕球ができなけ新 れんば かれ

3. 目標にいどむ青春 : 大輔のベースボール魂

きようとせいしよ、つ その言葉どおり、京都成章の打者人に対して、四球こそ 3 個あったものの、一本の ヒットも与えない、ノーヒットノ 1 ランという大記録を達成してしまったのだ。 史上二人目の決勝戦でのノーヒットノ 1 ラン。が、大輔は自分の記録より優勝できた すなお ことを素直に喜んだ。 「三年間いっしょにやってきた仲間たちと、二度も日本になれて本当によかった。い ままでで、いちばんうれしい優勝です。」 春夏制覇の喜びをそういって感謝した。そして、もう一度、「アイツら、最高の仲間 です」とつづけた。 その大輔のグラブには、『 ( 一人は全員のために ) 』というし しゅ、つがきざまれていた。 だいすけ 112

4. 目標にいどむ青春 : 大輔のベースボール魂

きす つもきれいにならされていることに気がついた。大輔が、傷つけた地面を、投げおわる たびにきれいに直していったからだ。 「まだ十八歳だというのに、プロで何年もやっているようなャツですね。 そういって、大輔のマナ 1 を絶賛した。どうじに、これから先、 同士として投げあわなければならない「おそれ」をひそかに感じていた。 そして、その日は意外と早くやってきた。そのわずか一週間後の四月二十一日、二人 はふたたび対戦することになったのだ。試合前、「 0 点におさえれば、負けはありませ んから」という大輔 その言葉どおり、ロッテのスコアボ 1 ドには「 0 」が最後までならんだ。前の対戦で はっしば 本塁打を打たれている初芝選手からも、 2 個の三振を奪って、しつかりとリべンジして いる。泣いたのは、こんどは黒木投手のほうだった。 ぜっさん ・リーグのエース 131

5. 目標にいどむ青春 : 大輔のベースボール魂

すれば、スクイズという手もあったが、ここは選手の自由にまかせようと考えていた ここまでくれば、あとは選手を信じるしかない。スクイズで失敗すれば、悔いが残るか もしれないからだ。 、か A 」、つ その思いが伝わったのだろうか、加藤選手が必死に食いついた当たりがショ 1 トゴロ ときわ になる間に、三塁走者の常盤選手か本塁をかけぬけた。 ここでドラマが終われば、ふつうの熱戦だ。が、これで終わらないから「大死闘」に なる。その裏、またもや学園が追いついてくるのだ。 「これだけ、いい試合をしているのだから、負けてもいいやと思うかもしれないか、こ ういうゲ 1 ムだからこそ、負けてはいけないんだって、選手に何度もいって聞かせまし 渡辺監督の言葉が通じたのだろうか片回表、二死からショートゴロエラーで出塁し た柴選手のあと、常盤選手がライトにホームランを放つのだ。 「あのホームランで、はじめて勝てるという確信が持てました。思わず、涙が出てし まいました。」 なみだ だいしと、つ 107

6. 目標にいどむ青春 : 大輔のベースボール魂

「剣道をやらしてみたら : : : 。」 ふくずみけんゅうかい とすすめてくれたのだ。近くに福住剣友会という町道場があり、元気な子どもたちが集 まっていた。 「同じばうつきれを持ってあばれるにしても、ルールにのったケンカなら、どんどんや ればいい。 そのかわり負けるなよ。」 さとる これが相談を受けた父親、諭さんの言葉だった。剣道を " ル 1 ルにのったケンカ。と いうところが、いかにも大輔のお父さんらしい。そんなすすめ方をする父親は、そうは いないだろう。 少年剣士の道を歩みはじめた大輔。父親は野球、母はバレーポールという、スポ 1 ッ はい - んりよく 家のえいきようか、みるみるうでを上げていく。もともと、人一倍強かった背筋力が、 剣道をやることにより、ますますみがきかかかっていくのである が、正直にいうと、大輔は剣道が好きではなかった。週三回、夜の七時になると、母 親に連れられてしかたなく通っていたが、ほんとうのところ、気がすすまなかったので ある。 だいすけ

7. 目標にいどむ青春 : 大輔のベースボール魂

フライで 1 点を先制その後 8 回には大輔の 2 ランをふくむ、 5 本の長短打を集中し、 5 点の追加点をあげ、試合を決めた。この試合、大輔は相手をシャットアウトに封じる とともに、 151 キロのスピ 1 ド記録をマ 1 クした。 「いい投手が相手だと燃えるんです。できは点。ヒットを 5 本を打たれたのでマイナ ス 5 点です。」 大輔の言葉から、、杉内投手が前の試合でノーヒットノ 1 ランを達成していたのをそ まっざか うとう意識していることがわかった。杉内投手は「やつばり、松坂はナンバ 1 ワンの投 ほんね 手でした」と本音をうち明けたのであった。 鹿児島実業に勝利した横浜高校は、次の石川県の星陵高校を 5 対 0 と下し、準々決勝 に進んだのである 一いりよう 103

8. 目標にいどむ青春 : 大輔のベースボール魂

の転換をすすめた。 「せつかく、個人の限界がわかりかけてきたのだし、いままでのカまかせの投球を考え なおしてもいいのではないか。」 渡辺監督の言葉をいいかえれば、カでねじふせるのではなく、コントロ 1 ルを主体に したピッチングをおばえろということだ。それには、ストレートだけでなく変化球をお ばえることが、ど、つしても必要になる 秋の声を聞きはじめるころ、プルペンには一本の糸が張られた。その糸にかするよう にボ 1 ルを投げること。そこまでコントロールをみがけ、というのが監督の命令であっ そのとき、監督からもう一つ提案されたことがあった。それは連投にも持ちこたえら れるような強い体、つまり、肉体改造のすすめである これにも、大輔はすぐに反応した。練習が終わると、京浜急行と山手線を乗りついで、 えびす 東京恵比寿にあるスポーツジムに通いはじめたのだ。 あれほどトレーニングぎらいだった大輔が、週三回、学校から一時間半かけて通いっ てんかん

9. 目標にいどむ青春 : 大輔のベースボール魂

0 夢は、れ 6 あ 2 ガれ 6 ま手にるつ J 亡 A 」、つム、つ 東陽フェニックスに入ってからは、野球に明けくれる毎日だったが、休みの日などは、 父親に連れられて、プロ野球の試合を見にいったものだ。東京ド 1 ムの応援席で、かぶ るのは「マーク」のついた帽子だ。 たじり ピーエル きょはらかすひろ が、最初のころは、田尻コーチが o-\*-a 学園出身ということもあり、清原和博選手 ( 当 時西武 ) のファンだった。 学園で活躍した清原選手は、西武に入ってからも不動の四番打者である。日本一 人前ではじめて見せた涙。それは、なぜだったのだろうか。だいじな試合に投げられ じせきねん なかったくやしさからなのか、それとも、自分のわがままで登板しなかった自責の念か らなのか、その真相をいまだに大輔は語ろうとしない。ただ、はっきりいえることは、 その後、どんな試合であれ、投げたくないという言葉を発していない。 「投げろといわれれば、いつでもいきます。」 せいぶ なみだ

10. 目標にいどむ青春 : 大輔のベースボール魂

られた大輔は、二つ返事で入ることにした。 「野球がやれるとわかったときの、うれしそうな顔といったら : は野球が向いていたのかなって、あのとき、思いました。」 由美子さんの言葉である。大輔が野球をやることになって、だれより喜んだのが、父 親の諭さんであった。さっそく、息子をスポーツ用品店に連れてゆき、用具を買いあた えたことはい、つまでもない : 運命の分かれ目といったら、オ 1 バ 1 だろうか。もし、大輔が同じ社宅に住む子の野 球チームに入っていたら、いまの松坂大輔があったかどうか A 」、つよ、つ なせなら、大輔が入った「東陽フェニックス」は江東区でも指折りの強豪チ 1 ムであ かれ る。きびしい練習の中で、彼はめきめき頭角を現してゆく。それを考えると、なにが人 の運命を左右するか、これほどわからないものはない。 さとる だいすけ A てつか′、 こ、つと、つ やつばり、大輔に きようご、つ