質問 - みる会図書館


検索対象: 「心理テスト」はウソでした。
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1. 「心理テスト」はウソでした。

総括すれば " 古代の遺物〃 -1 0 0 月 年蔔、骨相学が大流行した。精密な測定用具も工夫された。骨相学は当時の自然科学の 時代にふさわしく、客観的な学問であった。しかし、骨の形は環境で大きく変化するし、性格特 性との対応付けは恣意的で、まったく根拠のない解釈が流行した。 内田クレベリン検査も加算作業という客観的なデータを基に適性や性格を診断するというのが ウリである。加算作業自体は客観的であるが、変動量は不安定で、状況次第で大きく変化する。 解釈法を支持する証拠もほとんどない。日本独自の心理テストであるが、世界に誇れる内容とは スとても思えない。 テ 理 まとめてみよう。 客 る れ ・作業量は知能検査と 0 ・ 7 の相関があり、簡易知能検査としては使える 用 ・変動量は情緒安定性より外向性と関係する。ただし、信頼性係数は 0 ・ 3 から 0 ・ 4 程度 多 で 験 で、心理テストとして使える水準ではない。 試 用 ・定型パタンを示す人は半数以下である。内田クレベリン検査の練習をすると非定型と判定 採 章 第 * 【 http://www.ffmrl.com/3/ 219

2. 「心理テスト」はウソでした。

となった。 辻岡は、こういう結果からの類型の妥当性が証明されたと主張している。私はびつくりし てしまった。建設的発言が型に多いのは、確かに妥当性の根拠になるだろう。しかし、消極的 な 0 型で、建設的発言が多い。これは妥当性を否定する証拠である。 < 型は平凡なはずだが、破 壊的、攻撃的言動が顕著である。風変わりな問題児型も異常に多い。こんな大昔から学級崩壊 があったのだろうか。の判定結果がおかしいのではないか。結果は類型解釈と大いに矛盾し ているので、妥当性が否定されたと解釈すべきだろう。 " 白衣の天使。がブラックリスト入り 昔々、看護学校で心理学の非常勤講師をしたことがある。私の講義の評判はすごく悪かった。 、い理学は比較的まっとうな学問で、科学の一つである。科学だからきちんとさまざまな細かいこ とを理解し、覚えないといけない。自分の悩みを手つ取り早く解決したいと思って、心理学を勉 強する人は裏切られた印象を持つ。私の講義は、科学的、客観的で無味乾燥。ともかく、みなさ んの期待を見事に裏切ったという点ではやはり 100 点満点だった。 評判が最悪の私の講義でも、性格検査をやるとなると、途端に人気が出る。みんなの目の輝き が違う。当時、性格検査となると定番のしかなかった。カ 1 ポン式の >-4()5 を実施して、整理 してプロファイルを描く。次に複雑な類型の系統値を計算する。そして、結果が出てびつくり。 154

3. 「心理テスト」はウソでした。

から「シミ」というあだ名で呼ばれていたという。 1904 年にシャフハウゼン州立学校を優秀 な成績で卒業した。父親が絽歳の時に死去したためか、医学を志した。 1909 年に、ミュ 1 スターリンゲン州立精神病院に就職し、 1913 年まで勤めた。この間 に学位を取り、その後、いくつかの病院を転々とした。学問研究の機会は与えられなかった。 1 914 年、ヴァルダウ精神病院での勤務も俸給が少なく、仕事も面白くなかったが、研究する時 間があった。この時、ロールシャッハは民族学にも興味を示し、次第に伝統や迷信に関する資料 を集め、土着の宗教研究に没頭した。その研究は彼のライフワークになり、 4005500 ペ 1 ジの本にまとめられる予定だった。 1917 年、インクのシミ検査が、精神診断の手段として使えることに気づいた。突然、ロー ルシャッハは宗教研究を放棄した。 1918 年にインクのシミ図版を作成して、正常者と精神病 者にインクのシミ検査を実施し、反応を比較する研究に没頭した。 そのうち枚がよく用いられた。ヘリ ロ 1 ルシャッハが作成した図版は枚くらいだったが、 ザウの医学会で発表したが、理解されなかった。彼はあちこちの出版社に原稿を送ったが断られ、 スプリンガー社のみは受け付けてくれた。しかし、図版を 6 枚に減らすように要求された。ロ 1 ルシャッハはこれを拒否し、原稿を書き直して、他の出版社に送った。ようやくべルンのビルヒ ャーという小さな出版社が引き受けてくれたが、図版を枚も印刷できないと言われた。それで ロールシャッハは図版を 2 枚に減らし、もう一度原稿を書き直した。 1921 年にようやく「精