たんだと思います。 前野ええ、そう思いますね。 稲葉自然、暮らし、衣食住、祭り、芸能、精神世界、医療 : : : す べてが自然の中で一体化していた。それをぼくらは忘れかけそうに なってるんじゃないかと思います。民俗学者の柳田國男、折ロ信夫、 宮本常一 : の感じていた切実さは、そういうものだったと思いま す。それで民俗学の映像の上映会を定期的にやっているんです。 前野そうなんですか。 稲葉民俗学の知識をみんなでシェアし、どんな未来をつくりたい かを話しあっています。過去の人たちが次の世代に託した祈りや願 いがあり、命は続いている。祈りはいろんな形で残っている。数世 代前の人たちの願いを思い出すためにやっているつもりです。 前野全部勉強しなくちゃいけませんね。ギリシャ以降の学間はど んどん細分化して、細かいことをやってきたから、民俗学も医学も 脳科学も心理学も宗教も全部勉強しないと、ギリシャに戻れない すごく勉強しなければならない。 17 9 無意識対談④ x 稲葉俊郎 僚。「日本人とはなにか」を探求し続け た日本民俗学の開拓者。日本列島各地や 当時の日本領の外地をフィールドワーク し、東北地方の伝承の記録「遠野物語』 はか多くの著作を残した。 5 一折ロ信夫 ( おりくちしのぶ / 18 8 7 ~ 19 5 3 年 ) 日本の民俗学者・国 文学者・国語学者で、釈迢空 ( しやくちょ うくう ) と号した詩人・歌人でもあった。 柳田國男の高弟として民俗学の基礎を築 き、その研究成果は「折ロ学」と総称さ れている。 6 一宮本常一 ( みやもとつねいち / 1 9 0 7 ~ 19 81 年 ) 日本の民俗学者。 柳田國男の研究に関心を示し、生涯にわ たって日本各地をフィールドワークし続 け、膨大な記録を残した。漂泊民や被差 別民、性などの問題も重視し、生活用具 や技術に関する「民具学」という新たな 領域なども提唱した。
前野稲葉さんのご興味は民俗学も含めたものと いうことになるんですか ? 稲葉まあ、生命活動全般です ( 笑 ) 。 前野おお、なるほど。すべての学間といっても よさそうですね。 稲葉最初はいわゆる「医療」という狭いところから入ったんです。 その歴史を調べていったときに二つの発見がありました。ひとつは 先ほどお話しした民俗学と医療との関わりです。日本には自然と一 体化した中で、医療や衣食住の問題が総合的に入ってくる。ここを 研究してきた民俗学を受け継いで、医療につなげていきたい。 前野ええ。 稲葉もうひとつは、日本の医療の歴史には長い空白があるという 点です。 前野そうなんですか ? 稲葉ええ。約 5000 年前にインドでアーユルヴェーダが生まれ、 中国に渡って中医学になります。中医学は仏教医学や道教医学の混 美に 昇華する、 日本の医療 181 無意識対談④ x 稲葉俊郎 7 一創発 ( そうはっ / emergence) 部 分の性質の単純な総和にとどまらない性 質が、全体として現れることを指す。局 所的な複数の相互作用が全体に影響を与 え、その全体が個々の要素に影響を与え ることによって、新たな秩序が形成され る現象。 リ 0 ~ 6 世 8 一アーユルウェーダ紀元前 1 紀にまとめられたとされるインド大陸の 伝統的医学。サンスクリット語のアーユ ス ( 寿命・生気・生命 ) とヴェーダ ( 知識・ 科学 ) を組み合わせた「生命科学」とい う意味。医学のみならず、生活の知恵、 生命科学、哲学の概念も含み、病気の治 療や予防だけでなく、より良い生命を目 指す。健康の維持・増進や若返り、幸福 な人生、不幸な人生とは何かまでかを追 求する学間。
稲葉俊郎さんとの対談を終えて 合氣道、仏教、森と続き、最後は大学教員同士の対談になりました。 稲葉さんはまだ代半ばの若い医学者ですが、網羅している範囲の広さと洞察の深さに 圧倒されました。よどみなく話される言葉の情報量が非常に多い。でもそれだけでなく、 話す内容それぞれについて独自の視点から深く分析もなさっている。受動意識仮説につい ても、わたしが気づいていなかった明快な解釈を加えていただき、非常に参考になりまし 例えば、民俗学と医療との関わりについて。わたしもこれまで工学から始まり脳科学、 心理学、哲学など、さまざまなジャンルの知見に触れてきたつもりでしたが、民俗学にこ れほど多くのヒントが詰まっていることにはまったく気づいていませんでした。こんな魅 力的な学問があったのかとびつくりした次第です。また日本人が古くから伝えてきた「美」 の感覚についての深い洞察を聞いたときには、ぞくっとしました。日本人であるわたした ちは、無意識のうちにこうしたことを感じ取り、自然に表現し、長い年月をずっと伝えて きたのでしよう。文化と脳の関係、そこに関わる無意識の位置づけについても、きちんと 無意識対談④ x 稲葉俊郎 215
なお、「無意識」という言葉にはさまざまな定義がありますが、本書では「意識できな い脳の働き全般」を指す言葉として使っています。丿在 無意識の中に「前意識」というものを想定する場合も 意識」や「深層意識」と呼んだり、 ありますが、これらすべてを含んだものです。一般的にいわれる無意識とほぼ同じものと 思っていたたいていいでしょ , つ。 ー・東京大学医学部附属病院の医師であり、 医学は現代科学の粋を集めた世界でありながら、同時に「生命」や「幸福」という、理 屈ではなかなか割り切りづらいものを扱うジャンルです。その最先端におられる若手医師 が、東洋医学だけでなく、哲学や民俗学、古典芸能などを医療に取り入れ、無意識でのコ ミュニケーションも重視なさっていることを知り、お話をうかがいたいとお願いしました。 本書はこの 4 名の方々との対話を通じ、無意識を整え、無意識に委ねるコッと、そこか ら生まれる未来を探っていくものです。みなさんも、わたしとぜひ一緒に考え、そして感 じてみませんか。 018
考えてみる必要があるなと思いました。 もっとも印象的だったのは、稲葉さんがこうした分析を続ける目的が「一言葉にならない もの」「子どものときの宿題」を追求するためだという点です。言葉にできないものの正 体を知るため、膨大な言葉を重ねておられるわけです。最先端医療だけでなく民俗学、古 典芸能までも勉強して、壮大で夢のある世界観を展開しておられる。その姿勢は、同じ研 究者として、身が引き締まると同時に、非常に勇気づけられるものでした。 稲葉さんは強い信念をお持ちですが、非常に柔らかい物腰で全体感のあるお話をなさい ます。もっというと、「世界への愛」を感じます。これは今回対談させていただいた 4 名 全員に共通する部分で、こうした方々の言葉は無意識にズバッと入ってきます。これが「開 かれている」ということなのでしよう。 あらゆる学問に対しオープンになるとともに、たとえば東洋と西洋という区分も超えて 世界自体の大きな歴史に対してオープンになる。その先に見えてくるものは、美と調和の 未来である。それは必然である。そんな力強い想いを描くとき、心はおのずから整わざる を得ません。 216
稲葉人間を介したものなら、やはり芸術だと思います。 前野いわゆる美術品に限らず、俳句でもいい ? 稲葉はい。音楽、踊りやダンスでもいい と思います。芸術に触れることで感性の世界を 思い出す。それが自然とつながるきっかけになると思いますね。 学問は 前野こうしてお話を聞いていると、医療という分野の可能性を強く感 和洋中に じます。 使える 稲葉ありがとうございます。ただ、それも定義次第だと思います。す 包丁である ごく狭く定義すれば、病院の中だけに限定して、水槽の中でメジナをい じめることもできるでしよう ( 笑 ) 。でも、ぼくは医療自体の枠を広げたいと思っています。 先ほど話したような民俗学や古典芸能だけでなく、芸術も間違いなく、人を元気に幸せに 。、、匱を着たら元気になる、いし 、家に住んだら している。これはぼくにとって医療ですしし月 幸せになる、恋をしたら元気になる。すべてが医療として扱えます。地方をどうやって元 気にするかという地方創生も、すごく医療的な行為ととらえることができるんです。自然 を基礎にした自然医療のようなものに地方自治体が取り組むことで、地方をもっと元気に したいんです。自然が大好きですから。 2 0 9 無意識対談④ x 稲葉俊郎
な目的をちゃんと考えると、人類の歴史だけでも、古代ギリシャで おこなわれた数々の哲学的な思索、ブッダが暝想してたどり着い 涅槃 ( ニルヴァーナ ) の境地に考えが及ぶでしよう。その先をぼく らは積み上げていかなくちゃいけない。そこまで学んで終わりでは なくて、さらにその次へとさらに探みへと発展させていかないとい 十ノよ、 0 弟子は師匠を超えていき、そして思想や哲学は受け渡され 続けるのです。それはまさに「今」じゃないのかという、ある種の 切実さを感じるんです。 前野そういう意味では、マインドフルネスが流行っている西洋の ほうが、回帰しつつある感じがしますね。 稲葉やつばり、自分が今いる場所より、隣の花のほうがきれいに 見えるということはありそうです。だから日本人も日本や東洋にあ るものの良さを感じるより、西洋的なものをむしろ上等なものだと してありがたがり、取り入れてきたのでしよう。それまでの日本人 は自然と一体化した中で生きていた。自然科学のように自然との関 係性を切断し、客観化したり対象化したりできない感性を持ってい 1 7 8 4 一柳田國男 ( ゃなぎたくにお / 18 7 5 ~ 19 6 2 年 ) 日本の民俗学者・官
思考するようになりました。 3 歳くらいまではかなり抽象的な世界 にいたのを覚えています。絵画でいえば、パウル・クレーのような 世界です。 前野 2 歳の記憶って普通は覚えてないんじゃないですか ? 稲葉多くの方は忘れているだけなんだと思います。あまりにも抽 象的すぎる世界ですし、言語を介さない世界ですので、一言語を母体 として思考すると思い出しにくいだけなのだと思います。成長の過 程で、ある特定の言語を学習しますよね。日本語にせよ、英語にせ よ、その巨大な言語システムを学習する過程で、幼児期の思考は瓦 礫の下に埋もれてしまう。何かの拍子に、地下水のように湧き出し て、何かふと「言葉にならないもの」を思い出すとか、そういう感 じなのだと思います。言語を介さないイメージ世界はそういうもの に直結していますよね。ぼくのように、死に瀕したことを「今ここ」 のように覚えている人間は、その非言語の世界が常に露出している 感じなんです。 前野なるほど。強烈な体験をしてるから、忘れずにいる。 17 0 ( 18 / ) ( 1 ッ 4 ・ 2 一バウル・クレー 0 年 ) 世紀のスイスの画家。カンディ ンスキーらとともに青騎士グループを結 成し、バウハウスでも教鞭をとった。キュ ビズムからの影響に加え、民族美術、幼 児の絵にも大きな関心を持ち、童画のよ うな画風、色面で構成した純粋抽象、繊 細でセンスを感じさせる線描など、多彩 な表現を展開した。
4 一ポジテイプ心理学 ( を s 三イ e psy 「 藤平またプラスの記録をつけることもお勧めし 毎晩、 chology) 個人や社会を繁栄させるような 良かった ています。わたしたちは一日の終わりに「できな 強みや長所を研究する、近年注目されて ことを いる心理学の一分野。アメリカ心理学会 かったこと」「失敗したこと」を思い返しがちです。 思い出す の元会長、マーティン・セリグマン博士 そうではなく毎晩、その日に「できたこと」「良かっ は、「ポジテイプ心理学の父」と呼ばれ ている。精神疾患を治すことよりも、通 たこと、を例えば五つ以上記録したり、思い出す習慣をつけてもら 常の人生をより充実したものにするため うんです。 の研究がなされていて、「幸福になれば、 前野それはマーティン・セリグマン博士の「ポジテイプ心理学」 人は生産的で、行動的で、健康で、友好 と同じですね。もともとはうつ病の治療をしていた方ですが、病気的で、創造的になる」という研究結果が 出ている。 を問わず多くの人の幸福感を高めようと考案された心理学です。こ ちらでも、一日にあった良い出来事を三つ書き出すという方法が非 常に効果的だとされているんです。 藤平そうなんですか。 前野ほとんど一緒ですね。 藤平初めて知りました ( 笑 ) 。これはよくおこなっている指導です。 0 4 3 無意識対談① x 藤平信一
理学講座の教授でした。先ほど前野先生もおっしやってましたが、 哲学や倫理学で一生食べていける人はすごいじゃないですか。現代 にもこんな人がいるんだと思って「先生はどうしてこの時代に倫理 学をやろうと思われたんですか ? 」と聞いたことがあるんです。そ うしたら一一一 = ロ、「『みずから』と『おのずから』のあわいだよ、とおっ しやったんです。その言葉に、ぼくは稲妻に打たれたような衝撃を 受けたんです。 前野みずから、と、おのずからですか。 稲葉ええ。「みずから」と「おのずから」は、どちらも「自分」の「自」 に「ら」と送り仮名を振ります。昔の人は、あるときはルビを「み ずから」と振り、ある時は「おのずから」とルビを振った。この両 者が合わさってる言葉なんです。 前野ほお。 ( メモをとる ) 稲葉この仕事を「みずから」決定したというのは個人の意志や思 考です。同時に「おのずから」は運命的な働きですね。自然や宇宙 的な力で「おのずから」この仕事を選ぶことになったんだという意 2 0 0 6 一和辻哲郎 ( わっじてつろう / 18 89 ~ 1960 年 ) 『古寺巡礼』、『風土』 などの著作で知られる日本の哲学者、倫 理学者、文化史家、日本思想史家。主著 の『倫理学』は、近代日本における独創 性を備えたもっとも体系的な哲学書と呼 ばれる。生誕百年を記念し 1988 年度 より「和辻哲郎文化賞」 ( 姫路市主催 ) が、 優れた著作に毎年与えられている。