行くわけではありません。思いもかけないような危機、望まない悲しい出来事が、誰にも 必ず起こります。これは「わたしの人生」という物語が綻びかけている状態です。こうい うときに、この綻びを修復するような大きな物語を提供する。これが水平方向の機能、 ランスレーションです。 前野どうしてトランスレーション ( 翻訳 ) なんですか ? 松本悩んだり、不安を感じるのは、自分自身の物語の意味を見失っている状態ですよね。 世界中に語り継がれている宗教説話や神話には、人類が時代や文化を超えて求める物語の 普遍的な原型があるといわれています。ですから、個人の綻んだ物語をより大きな物語と の翻訳作業を通じて、その意味を回復させていくのです。解釈し直すといってもいいかも しれません。 前野ああ、なるほど。意味を与えるんですね。では、垂直方向は ? 松本これは、物語はもういらないという人たちに応えるための機能です。もういい加減、 という人は少数派ながらも存在します。 フィクションを生きるのはまっぴらごめんだー 物語を夢に置き換えて表現するなら、ずっと夢を見続けて生きてきた人、これが本当の夢 かな ? いや違う、こっちが本当かな ? というふうに、夢から夢へと水平方向にさまよっ てきた人が、ふっと気づいて「もう、夢そのものから醒めたい」と考え、垂直方向にべク 0 8 2 ほころ
トルが転換することがあるわけです。個人の物語からも、もっと大きな物語からも自由に なって、自己変革を求める。物語的な意味を求めてしまうのが人間の宿命だとしたら、こ れは人間をやめようということでもあります ( 笑 ) 。 前野仏教にはたしかにそういう側面がありますね。座禅、暝想のメソッドにはとくにそ ういう役割を感じます。 松本そう思います。他の宗教は詳しくないですが、ケン・ウイルバーはキリスト教など さまざまな宗教にも、そうした機能があるといっていますね。 前野いま少数派だとおっしゃいましたが、宗教に垂直方向のトランス 物語から 自由になる フォーメーションを求める人も結構いるんじゃないですか ? 松本とうでしよう。実際に「どうしても悟りたい」というニーズはや はり少ないんじゃないでしようか。京都・法然院の住職さんと話したときには、日本の仏 教は先祖教と仏教の両方を担っているんじゃないかという話になりました。先祖教という のは、伝統的な死者供養です。寺は、亡くなられた方々の生前から死後の物語を語ったり、 儀礼をおこなう装置になっている。先ほどの説明でいえば、トランスレーションの機能が 重視されていると思います。「堕落した」なんて否定的なニュアンスでいわれることもあ 無意識対談② x 松本紹圭 0 8 3
「わたしとは何か」という問いへの理解が多少なりとも進むのであれば、悪いことではな いと思います。 前野しかし組織の業績や自分自身のパフォーマンスを上げるというのは、ある枠組みの 中での物語に過ぎないんじゃないですか ? 松本たしかに水平方向の文脈だと思います。ほんの少し垂直方向のメソッドを取り入れ ながらも、結局は、水平の物語に還元していると感じますね。願わくは、このシステム自 体を打ち破って、物語を生きること自体をやめようという人が一人でも増えれば、とは思 います。 ダボス会議に参加させていただいたとき、今の資本主義システムの行き詰まりと打開策 が大きなテーマとなっていました。その場にはそのシステムを引っ張ってきた張本人たち が集まっているわけですが、そういう人たちが「次はどうしたらいいのだろう」という意 識に変わってきているのを、ヒシヒシと感じました。 多くの人々は、資本主義の「次」のシステムを考えています。でも、システムを変えれば、 何かがガラッと解決するわけじゃないですよね。多少はマシなシステムに変わっても、プ レイヤーである人間が変わらないかぎり、同じことの繰り返しで根本的には変わりません。 自分たちが迷っていることに気づかないままなら、どんな物語を用意してもグリード ( 強 無意識対談② x 松本紹圭 0 9 9
前野おもしろい。でも、それは宗教なんですか ね。 松本現代思想家のケン・ウイルバーは、宗教に は二つの方向の機能があると説明しています。水 平方向の機能はトランスレーション ( 翻訳、物語化 ) で、垂直方向 はトランスフォーメーション ( 変容 ) 。歴史的に長く受け継がれて きた宗教には、この二方向の機能が備わっているというんです。 前野はい。 松本 ・ 9 % の人々が求めるのは水平方向の機能です。例えば、 近しい人が亡くなると悲しい。どこに行ったんだろう。どこに向かっ て手を合わせればいいんだろう。何かしてあげられることはないだ ろうか。浄土教はそこに「浄土」という物語を提示して、サポート する。 大半の人にとって、人生が思い通りにうまくいっているときに、 宗教は必要ありません。「わたしの人生」という物語に、自分自身 で意味を見いだしているからです。でも、人生はずっと思い通り 死後の 世界に 意味を与える 0 81 無意識対談② x 松本紹圭 3 一ヶン・ウイルバー ( 19 4 9 年 ~ ) アメリカの現代思想家。インテグラル思 想の提唱者。その著作は以上にも及び、 世界中の言語に翻訳されている。代表作 に『進化の構造』、「宗教と科学の統合」 などがある
松本たしかに南無阿弥陀仏の六文字には、先ほどお話ししたように、浄土や阿弥陀仏の 物語が織り込まれています。でも、その中身を知っていても知らなくても、どっちでもい いんですよ ( 笑 ) 。縁にしたがって、称えるなら称えればいい。 いいんだ ( 笑 ) 。 松本最近、念仏のパワフルさをすごく感じるようになったんです。浄土真宗の僧侶だか らっていうわけじゃないんですよ。わたしはこうして袈裟なんか着ていますけど、相変わ らず、悩んで、迷って、失敗してばかりの人生です。いざ肉親や親しい人の死に直面した ら、すべては幻想の物語に過ぎないだなんて、とても割り切れません。「何かできること はないか」と思うし、「浄土にいるんだろうか」などとイメージしてしまう。念仏は、そ のような思いとともに称えることもできる。つまり水平的な機能としても、念仏は豊かな ものを備えているんです。 前野なるほど。念仏にも、二つの機能があるんですね。 松本 垂直にも、水平にも答えてくれる、パワフルな二重性を持っているんです。 わたしも身近な人の死を通して、そのことを再発見しました。 0 8 7 無意識対談② x 松本紹圭
たんだと思います。 前野ええ、そう思いますね。 稲葉自然、暮らし、衣食住、祭り、芸能、精神世界、医療 : : : す べてが自然の中で一体化していた。それをぼくらは忘れかけそうに なってるんじゃないかと思います。民俗学者の柳田國男、折ロ信夫、 宮本常一 : の感じていた切実さは、そういうものだったと思いま す。それで民俗学の映像の上映会を定期的にやっているんです。 前野そうなんですか。 稲葉民俗学の知識をみんなでシェアし、どんな未来をつくりたい かを話しあっています。過去の人たちが次の世代に託した祈りや願 いがあり、命は続いている。祈りはいろんな形で残っている。数世 代前の人たちの願いを思い出すためにやっているつもりです。 前野全部勉強しなくちゃいけませんね。ギリシャ以降の学間はど んどん細分化して、細かいことをやってきたから、民俗学も医学も 脳科学も心理学も宗教も全部勉強しないと、ギリシャに戻れない すごく勉強しなければならない。 17 9 無意識対談④ x 稲葉俊郎 僚。「日本人とはなにか」を探求し続け た日本民俗学の開拓者。日本列島各地や 当時の日本領の外地をフィールドワーク し、東北地方の伝承の記録「遠野物語』 はか多くの著作を残した。 5 一折ロ信夫 ( おりくちしのぶ / 18 8 7 ~ 19 5 3 年 ) 日本の民俗学者・国 文学者・国語学者で、釈迢空 ( しやくちょ うくう ) と号した詩人・歌人でもあった。 柳田國男の高弟として民俗学の基礎を築 き、その研究成果は「折ロ学」と総称さ れている。 6 一宮本常一 ( みやもとつねいち / 1 9 0 7 ~ 19 81 年 ) 日本の民俗学者。 柳田國男の研究に関心を示し、生涯にわ たって日本各地をフィールドワークし続 け、膨大な記録を残した。漂泊民や被差 別民、性などの問題も重視し、生活用具 や技術に関する「民具学」という新たな 領域なども提唱した。
欲 ) のしもべになったり、自分が脅かされる恐怖から逃れようと暴力的になったりしてし ま一つ。 瞑想プームを通じてであれ、そういう物語から脱していく人が一人でも増えれば、ちょっ とは覚醒したということになるんじゃないでしようか。そういう意味では、仏教はヒュ マニズムではないんです。もともと仏になるための教えですから、人間が人間じゃなくな る必要があるんです。 前野垂直に上がるためには、ね。 松本そうですね。水平方向にシステムを横滑りさせるのではなく、システムの支配を乗 り越える個々人の、垂直方向へのパラダイムシフトが必要です。今、マインドフルネスや しいなと思、 が注目されていますので、そのようなシフトを経験する人が増えると、 ます。 日本人の 前野日本にも垂直を目指そうという人が、五〇〇〇万人くらいいたら 無意識には なあと思います。 仏教性が 根付いている松本とうなるんでしようね。より本質的な幸せを目指す人が増えるの は良いことだと思います。 10 0
前野ぼくは以前「今日死んでもいい」と本気で思っていて『「死ぬの が怖い」とはどういうことか』という本を書いたんです。ところが執筆 のために自分の心理を一生懸命分析していたら、ものすごく死ぬのが怖 くなってしまったんですよ ( 笑 ) 。 松本 ( 笑 ) 前野でも、今ジョブズのマネで「今日が人生最後の日だとしたら」と考えてみて、ふつ と一瞬死んでもいいのかなと思ったんですよ。仏教は、本当にそういう感じなのかなあと 思いました。ノウハウ集ではなく、大きな物語とつながる部分があるんですね。 松本そうですね。仏教はノウハウ集ではありません。目的が設定できないからです。目 的といっても、誰が何を目指すの ? となってしまう。仮に悟りという目的に向かったと しても、悟ったときには、それを得るべきわたしはいないという ( 笑 ) 。「目指す」という 考え方が解体されてしまうんです。 前野そうでしたね。悟りは掴めない。 松本真剣であっても、深刻になり過ぎない。笑いも大切だなあって最近つくづく思いま すよ。 わから なくても いいじゃない 1 10
藤平信一さんとの対談を終えて 無意識を整える習慣 無意識対談② >< 松本紹圭光明寺僧侶 ハンディな仏教「念仏」 / 「わたし」とは幻想である / 「わかっていること」と 「できること」の違い / 煩悩も幻想ではないのか ? / 手放す技術としての仏教 / 死 後の世界に意味を与える / 物語から自由になる / 念仏は誰が称えているのか / 念 仏のパワフルな二重性 / ジョブズのコーリング / ホントのところは否定形でしか あらわせない / 道元や親鸞は無意識の大切さに気づいていた ? / アメリカの瞑想 プームと自然法爾 / 呼吸を意識するⅡ無意識の扉を開く / 歩くこともコーリング / 「次」のシステムではなく「脱」けだす / 日本人の無意識には仏教性が根付い ている / インターネット時代の可能性と危険性 / 科学からの垂直アプローチ / 型 じゃないことを知るための「型」 / ものの扱いが粗雑だと心も粗雑になる / わか らなくてもいいじゃない 0 6 9 0 6 8 0 6 4
ろうと思うんです。「自分で意志決定ができないなんて、どうすればいいの」と不安を感 じて、どうしてもストーリーを描いちゃう。すると、運命はすべてあらかじめ決められて いるんじゃないかという運命決定論的なイメージになると思うんです。 とわたしは考えています。 前野そうではない、 松本わたしもそう思います。「すべては縁によって成り立っている」と説いた釈尊も、 弟子から同じような質問を投げかけられているんですよ。 松本じつは釈尊はこれに答えていません。そうだとはいえないし、そうでないともいえ ないとしている。これはわたしの解釈ですが、二元論的なビジョンではどうしてもそうい うとらえ方になってしまうから答えなかったのではないでしようか。でも、非二元論的な ビジョンから見れば、それは我々が囚われている物語による解釈に過ぎないんです。そこ が腹落ちできれば、不安は感じない。 前野松本さんは、どう受け取られましたか ? 松本わたしも受動意識仮説は、運命決定論ではないと思います。仏教の「縁によって成 り立っている」を、前野先生の科学の立場から意味づけると「受動意識仮説」ということ になるのかな、と受け取りました。だから、手を動かそうと意識するより前に、手がもう 0 9 2