幸子 - みる会図書館


検索対象: 杉原千畝
48件見つかりました。

1. 杉原千畝

こころ おな おも おも 心はみんな同じなんですもの。彼女もきっとご主人のことを、誇りに思っていると思う わ」 いまゆきこ ことば ちうねむ ゆきこ じぶん 今や幸子の言葉は、すべて千畝に向けられていた。幸子は、自分をハンナの母親になぞ ちうねほこ おも らえて、実は自分こそが夫である千畝を誇りに思っていると、そう告げているのだ。 ゆきこ まどぎわちうねかたわ ちうねよ 幸子は、窓際の千畝の傍らにあらためて腰を下ろすと、正面から千畝に呼びかけた。 ちうね おも 「ねえ、千畝さん。あなたは、今でも、世界を変えたいと思っていますか ? 」 つねおも 「常に思ってる」 ちうねゆきこ こた 千畝も幸子から目をそらさずに答える。そして、 「すべてを失うことになっても、ついてきてくれるか ? 」 と ゆきこ まどむ なんみんたきびほのおゅ と幸子に問いかけた。窓の向こうでは、ユダヤ難民の焚火の炎が揺れている し」 くちもと う 口元ににつこりと満足げな笑みを浮かべて、幸子が頷いた ちうねけっ これで千畝の決意が固まった。 じつじぶん うしな め まんぞく かた かのじよ ゆきこ しゅじん うなず しようめん 0 ははおや 116

2. 杉原千畝

お ちうねて えんだい 縁台に置かれた千畝の手に、幸子が自分の手を重ねる。 にっぽんで 「日本を出ていってしまうのですね」 さび まなざ かげ ぼうしひろ 帽子の広いつばの陰から、寂しげな眼差しで幸子が見上げると、千畝は何も言わずにそ と ともな あるだ ゆきこ ゅうやみゆうほどう の手を取り、幸子を伴ってタ闇の遊歩道をゆっくりと歩き出した。 ねんちうねゆきこ けっこん 一九三六年、千畝は幸子と結婚した。 ひびやこうえんふたたはるめぐ そして日比谷公園に再び春が巡ってきた。 ふにんさき 「赴任先はどこですかね ? 」 えり ある いろど ちうねゆきこ ゃなぎやえざくら 再び柳と八重桜に彩られた池の周りを、千畝と幸子が歩いている。大きな襟のついた薄 かお ちうねうでく み 手のワンピースに身を包んだ幸子は、これまでにない晴れやかな顔で千畝と腕を組んでい う ちうね ふにんき た。千畝もいよいよ赴任が決まったことにほっとしたのか、終始、満足げな笑みを浮かべ ている。しかし、まだ赴任地は決定していなかった。 「やつばりヨーロッパ ? いや、でもアジアの国も行ってみたいわ。どんな服を持ってい 。。ししのかしら ! 」 ふたた つつ ふにんち いけまわ ゆきこ ゆきこ けってい じぶん てかさ ゆきこ くに まんぞく ちうねなに おお ふく え も うす -4-

3. 杉原千畝

ま ちうねのぞこ ちややみせさき 茶屋の店先でかき氷ができるのを待っ千畝を覗き込むようにして、幸子がはしゃいでい がみぼうし る。まとめ髪を帽子に収め、パフスリープの白いプラウスにタイトスカートという活動的 ふくそう ゆきこわかわか いっそうきわだ な服装が、幸子の若々しさを一層際立たせていた。 せかいじゅう 「す」い じゃあ世界中どこに行ってもやっていけるではないですか ! 」 う あ ちうね ようす 褒めちぎる幸子に、千畝もまんざらでもない様子だ。でき上がったかき氷を受け取ると、 しさきこし ちうねちややまええんだ、 ゆきこ ざぶとん 千畝は茶屋の前の縁台に先に腰かけた。やがて幸子がそのすぐ隣にツツ・ : と座布団を移動 ちぢ いちどすわなお ちうねゆきこ させていったん座り、わざわざもう一度座り直してさらに距離を縮めると、千畝は幸子の と おも だいたん ちうねようす 大胆さに思わずかき氷を崩す手を止めた。そんな千畝の様子に、 「うふふ」 う ゆきこ はじ 幸子はたまらず照れ笑いを浮かべ、「いただきます」とかき氷を食べ始めるのだった。 きせつめぐ いけみなもあかき ふたりおなちややえん さらに季節が巡り、紅葉が池の水面を赤や黄に染める秋の夕暮れ、二人は同じ茶屋の縁 こころも きより あ なら すわ 台に、心持ち距離を開けて並んで座っていた。 らいねん 「では来年には」 ゆきこ すわ てわら ごおり ごおり くずて おさ こうよう しろ そ あきゅうぐ きより ごおりた となり ゆきこ ごおり かつどうてき と とう

4. 杉原千畝

げんき 「そう。元気でいらっしやるといいですね」 ちうね きものえら て つづ 着物を選ぶ手を止めずに続ける幸子に、千畝は、 かえ 「もう帰っては来ないだろう」 かえ しず こえ ゆきこ ふかえ と返した。沈んだ声に、幸子がハッと振り返ると、千畝は何も言わずに手にした新聞に し もど め ちうね 目を戻す。千畝だけが、ペシュがこれからどんな戦いに身を投じるかを知っていたからだ。 じようおおひろま かろ おんがくあ 翌日。ルーマニアのペレシュ城の大広間では、着飾った男女が、軽やかな音楽に合わせ ちうね てダンスを踊っていた。バ ーカウンターでグラスを手にした千畝がダンスフロアに目をや きものすがたゆきこ きかざ ぐんぶく きだんせい ると、髪をアップにした着物姿の幸子が、軍服を着た男性と踊っている。着飾った幸子は、 いまであ ) 。ドレスアップした他の国の夫人たちにもまった 今も出会った頃のように初々しく美しし どうどう さ た ひかり く引けをとらない堂々とした立ち居振る舞いで、そこだけ光が差しているかのようだ。 こうけい ちうね その光景をしばらく眺めていた千畝は、やがてカウンターを離れると、幸子のもとへと よ おどお いっちよくせんあゆ だんせい ちうねき 直線に歩み寄った。ちょうど男性と踊り終えた幸子が千畝に気づき、微笑みかけると、 ねが 「一曲お願いできますか ? 」 よくじっ ひ いっきよく かみ おど ころ こ なが うつく ゆきこ ふ ま たたか ゆきこ きかざ て ちうねなに みとう だんじよ おど ほかくに はな ふじん ゆきこ ほほえ て しんぶん ゆきこ め 173

5. 杉原千畝

ははおやだ 幼いハンナは、母親に抱かれてウトウトしていた。もう眠いのだ。 ようす みまも ちうねはいご その様子をじっと見守る千畝の背後から、幸子が現れた じゃま 「お邪魔かしら」 くびよこ 幸子の言葉に、千畝は首を横に振った。 「子どもたちは ? 」 やす 「もうぐっすりと休んでます」 「当っ、刀」 ゆきこ ちうねかたりようてあず ちうね 幸子は千畝の肩に両手を預けて、千畝にもたれかかった。柵の外では、ハンナの母親が、 ハンナをあやしている。 おも 「ねえ、彼女には、どうしてご主人が一緒じゃないんだと思います ? 」 ははおや と しせんうご ちうね かえことば ハンナの母親から視線を動かさずに、幸子が問いかける。千畝には返す言葉が見つから まちが お せんそう おも ない間違いなくこの戦争で命を落としていると思うからだ。 わたし かあ あさ おも 「私には、あのお母さんは、ある朝いつものようにご主人を見送ったように思えます」 ちうね こし 千畝から体を離すと、幸子はそばのテープルに腰かけた。 おさな ゆきこ こ かのじよ からだはな ちうね ゆきこ いのち しゅじん いっしょ ゆきこ ゆきこ あらわ しゅじん ねむ さくそと みおく ははおや 114

6. 杉原千畝

なにげ りようじかんくるま カウナスの街角では、幸子が一人、グッジェの運転する領事館の車に乗っていた。何気 たお そとみ せいねんじめん なく外を見ると、三人の若者に取り囲まれた青年が地面に引き倒されている。 と 「止めて。車を止めて」 りゅうちょうえい′」ゆきこ 流暢な英語で幸子がグッジェに命じ、車が傍らに停まると、 「ちょっとあなたたち ! やめなさいー やめなさいったら ! 」 くるまなか せいねんけと わかもの ゆきこせいし 車の中から幸子が制止する。よってたかって青年を蹴飛ばしていた若者たちも、幸子の どくけ た いつばっせいねんはらみま 勢いに毒気を抜かれて、悔し紛れにとどめの一発を青年の腹に見舞うと、そそくさと立ち 去った。 ごえあ リンチを受けた青年が、うめき声を上げている。 ひとだいじようぶ 「あの人、大丈夫かしら ? 」 しん・ばい ことば と心配げな幸子の言葉に、 「ユダヤ人ですから。いつものことですよ」 き す グッジェは事もなげに切り捨てた。 さ いきお じん くるま まちかど ゆきこ こと ぬ と ゆきこ さんにんわかものとかこ せいねん くやまぎ ひとり くるまかたわ うんてん と ひ の ゆきこ

7. 杉原千畝

「あ、お帰りなさい。今日も早かったのね」 きたく ちうねき きものえら 帰宅した千畝に気づき、幸子が着物を選ぶ手を止めた。 「ああ・ : 」 すこし ちうね きもの 椅子に腰かけた千畝が、幸子の手にしている着物に目を留めると、 あした き おも 「明日のパーティーに、どれを着ようかと思って」 はな こた 華やいだ表情で幸子が答えた。 あした 「そ一つか、明日か」 こうしかんかた 「公使館の方も来られるのでしよう ? 」 「そうみたいだね」 ちうね よ はじ 千畝はそれだけ言うと、テープルに置かれていた新聞を手に取り、読み始めた。 「そういえば最近ペシュさんは ? 」 おも だ たず 幸子がふと思い出したように尋ねる。 かえ 「ポーランドに帰ったよ」 ちうね かるちょうし こた 千畝はごく軽い調子で答えた。 ゆきこ かえ ひょうじようゆきこ さいきん こ ゆきこ ゆきこ はや て お て と しんぶん め と て と 172

8. 杉原千畝

母親がアーロンの手からサンドイッチを一つ受け取り、抱いていたハンナに食べさせる。 ほおよろこ くちはこ 残りのサンドイッチを口に運ぶアーロンの姿に目を細め、母親は、ハンナの頬に喜びのキ スをした。 「それで、ペシュさんのご家族は今、どちらに ? 」 いっしょ 館の中では、幸子がペシュと一緒に夜食を取っていた。幸子が、和やかな会話のきで くも ひょうじよう たず ペシュに尋ねたそのとき、ペシュの表情は一瞬にして曇った。 かぞく ぐんしんこう 「家族は、ドイツ軍が侵攻してきたときに殺されました」 おどろ ゆきこ 驚いた幸子が、カップを置き、「ごめんなさい」と謝ると、 「いえ」 こた ペシュはそれだけ答え、あとはロをつぐむのだった。 しんぶんきじ その晩、幸子は一人、これまでに切り抜いてファイルしていた新聞記事のスクラップを よかえ 読み返していた。 のこ やかたなか ははおや ばんゆきこ ゆきこ ひとり かぞく くち やしよく すがため ひと ころ いっしゅん ほそ あやま ははおや ゆきこ なご 103

9. 杉原千畝

まつづ かえ 「でも、いつまでたっても帰ってこなかった。何日も待ち続けたんでしようね。きっと今 に帰ってくるって。この子たちを置いてあの人がいなくなるわけないって。でもある日、 かえ もう帰ってくることがないと知ってしまった」 ゆきこじしんおも ゆきこ ははおやこころなかさっ ハンナの母親の心の中を察しているはずの幸子の言葉が、いつの間にか幸子自身の思い あふだ となって、溢れ出していた。 まいあさ きけん 「でも、覚悟はしていたんです。危険だとわかっていたのに、毎朝、『もしかしたらこれ おもで おくだ かくご が最後になるかもしれない』って覚悟をして、送り出していたんです。だから、思い出の いえす 詰まった家を捨ててまで、逃げてくることができたんでしようね」 ゆきこ ははおやみ むすこ 息子のアーロンの肩を抱くハンナの母親を見て、幸子は息をついた しんばい しんばい 「心配いらないって言われると、心配してしまうものなのよ」 くる ひとり ほんねゆきこ ついに本音が幸子の口から漏れた。幸子は、これまで一人で迷いを抱え込んで苦しむ千 ちうね おも みまも うね 畝を、ハラハラしながら見守るしかなかったのだ。その思いに初めて気づいた千畝に、幸 つづ 子は続けた。 はだめ ひろ ふしぎ 「ほんと不思議よね。世界はこんなに広くて、そこにいる人は肌も目の色も全然違うのに、 こ かえ かくご かただ くち せかい こ ゆきこ ひと なんにち ひと まよ はじ かか いろぜんぜんちが こ ゆき 115

10. 杉原千畝

しん 〈きっとできると信じています〉 すす かざっとう じんしゅこくせきひとびとゆ さまざまな人種、国籍の人々が行き交う雑踏を、イリーナは確かな足取りで進んでい よ お てがみ ちうね 千畝も、イリーナの手紙をそろそろ読み終えようとしていた。 いっしようわす なまえ 〈あなたの名前を、私は一生、忘れないでしよう。その名は : ・〉 ちょ一つどそのとき、 ちうね 「千畝さん」 ちうねてがみ ゆきこ 背後から幸子が呼びかけた。千畝が手紙をしまってから、幸子がゆっくりと近付く ま 「あの子たち、待ちくたびれてますよ」 「ああ」 ちあき しゅうようじょにわひろき したみお ちうねゆきこ 千畝と幸子が丘の下を見下ろすと、収容所の庭で弘樹や千暁が、友達や大人たちとピク こ おか わたし な ゆきこ たし ともだちおとな あしど ちかづ 0 0 186