竪穴住居を覗いてみよう ! ま网の上 の 0 ④ 0 の ~ うな所 出人。 き材料 0.0 ナ ? やまみ 0 臭料 ①上から 般的な住居はだいたい直径 5 E ほ どの円形、または楕円のような形 をしていて、その中央に炉がありました。 炉の周りは皆が食事をする場所でもあるの 暮で、叩き締められて硬くなった床の上に、 植物で編んだ敷物などが敷かれていたよう 囲か すりいし です。料理で使う磨石や石皿、煮炊き用の の土器が壁際に置かれ、入り口から 1 番奥に は祭壇のように土偶などが置かれていたか 要の 必た もしれません。 竪穴住居の 『間取り』 < 】そうです。 ワンルームでした。 0 】建て方を見て思った のですが、つまり 竪穴住居って今で言う ワンルームですか ?
ストーンサークルと時の流れ 1 0 0 0 】縄文人って時間とかわかっていたんですかね ? < 】縄文人たちは、自然の恵みから 時の流れを理解していたようです。 文の生活力レンダー ( % ペー と呼ばれる立石のある不思議な遺跡で ジ ) にあるように、どの時期にす。 何が獲れるのかを頭に入れて彼らは食その下は共同墓地になっていると考 料計画を立てていたはずですから、 1 えられているようですが、なんとも意 年の大きな時間の流れはわかっていた味有りげです。この遺跡からは祭祀に でーしよ、つ。 使われたと思われる土偶、土器、石器 それ以外に、諸説ありますが、縄文も多数出土しています。事実はわかり 時代の日時計だったのではないかと = = 口ませんが、夜と昼の長さが同じになる われるものがあります。それは秋田県春分や秋分の日に、このストーンサー おおゆかんじようれっせき クルの周りに集落の人々が集まって祀 鹿角市にある大湯環状列石は直径 E と E の 2 つの環状列石 ( ストーン りを行っていたかもしれません。 サークル ) で、内側にそれぞれ直径 E 前後のサークルがあり、「日時計」 0 ー 22
3 食べる 食べ物の地域差 ■ C3 植物 ■ C4 植物 ■陸上動物 ・海獣 ・魚介類 C3 植物 堅果類、根菜等 の自然植物、コ メ、マメ等の栽 培植物 C4 植物 アワ、ヒ工、モロ コシ、キビ等の 雑穀類 寄倉岩陰遺跡三貫地貝塚北黄金貝塚 参照南川雅男「炭素・窒素同位体分析により復元した先史日本人の食生態」 2001 料の地域差を裏付ける、こんな 分析があります。 この分析結果からは、広島県庄原市 よせくらいわかげ 寄倉岩陰遺跡で出土した縄文人の主な タンバク源は人骨分析からドングリや クリ、クルミなどの木の実だったこと きた がわかります。一方、北海道伊達市北 黄金貝塚の縄文人の主なタンバク源は シャチやトドなどの海獣だったようで す。近くで採れたものの違いと考えら れる明らかな地域性が見られることが わかります。そして福島県相馬郡新地 さんがんじ 町三貫地貝塚での分析からは植物、陸 の動物が多く、魚介類の利用が思いの ほか少ないことに驚きます。 当たり前と = = ロえばそうなのですが、 フ イ 科学的な分析からも縄文人たちが身近妨 な環境から採れるものに依存し、暮ら れ ら していたことがわかったのです。 知 7 0 こがね
0 縄文人の一生 博物館や資料館の中には、 復元した衣装が着られる場所もあります。 刺しゅう飾り 縄文時代の服 ( 復元より ) かんとうい こうした形のほかに、大きな布に頭の部分を空けた貫頭衣も あったかもしれません。また、編布は使うほど柔らかくなるた め、着ていくうちに着心地・さわり心地がよくなっていったこと でしよう。 素朴なギモン 1 着につき、作るのにどのく らいの時間がかかったので しようか ? な合 バ布 と 布・ か よ し 想地跡 がわ で く っ 試算によると、 1 着の服を作る 像 に も し り せ に か で ためにかかる時間は、 1 日 8 さ 染 り 染 工着 ま 木 る ま 来 天 時間編むと仮定して、 1 年以 れ色 出 め 然 、夫 す だ 上 る 顔 し 地 。ち し 土 と て が 上もの時間がかかるようです。 し 料 が い た た や 柔 で オつ つ 編む以外にも植物を刈り取 よ 難 ま 糸 た の さ り と で り、糸にする作業があるわけ す で土 で わ わ布 も あ か く し ですし、毎日そればかりやって 。刺偶 る す り く あ 叩 い と は 繍 す き いたわけではないでしようか の し 0 ) - つ / い ン 出 地 を 姿 た る て そ で ら、 1 着につき 2 年か 3 年の時 が 繊 、硬 ガ 来 施 か よ の 間がかかったかもしれません。 上 良 と 維 水 フ く ま し り つ 参照尾関清子『縄文の衣』 1996 、で が で を く や に て 反 ヨ縫 っ な い そ で ノ、 る 少 0 シ た り し た い は の 0 79 知られざる縄文ライフ
0 縄文人のすがたと暮らし になると夏に着ていた服の上 から、イノシシやシカの毛皮 や、これらの動物の毛皮をなめした革 を防寒用に羽織っていたと考えられ ます。モカシンのような 1 枚革の革靴だと想 像されますが、雪 が積もる冬は動物 の革を使った靴を 作り、履いていた のではないでしよう か。アイヌの人たちは サケの皮で靴を作っていたようですか ら、同じように縄文人もサケの皮で靴 . 、 を作っていても不思議ではありません。 剥す もちろん寒さに対して慣れはあるでかね 物重 獲を しようが、ムフのようにダウンコートが あるわけでも、ウールのセーターがあ るわけでもない縄文時代に、寒さを乗 り切ろうとするならば、動物の毛皮は 大事な防寒具だったことでしよう。 0 素朴なギモン 衣替えって どうしていたの ? 今のように何着も洋服があ り、季節ごとに着るものを変 えていた時代ではありませ ん。寒くなればいつも着て いる植物繊維で出来た服の 上に、動物の毛皮を羽織っ て防寒する程度だと考えて 下さい。 元々衣替えは平安時代の 宮中行事から始まったとされ ます。つまりそれ以前にはそ んな考え方も習慣もありま せんでした。 革で防寒をします。 引知られざる縄文ライフ
縄文人の普段着 文時代には既に植物の繊維で大しいてま のるなしれ あんぎん とえ素暮も 作られた編布と呼ばれる布が る考質でか 取をはちの ありました ( ページ ) 。この布は、 をさ段たたん 糸変普でいせ 遺跡から発見されるわずかな繊維片や 土器を作る際に底に付いた織物の痕な どから存在が明らかに なったのです。 動物の骨や角で 作った針と植物繊 維で作った糸を使っ て編布を縫い合わせ、簡 単な服を作り、着ていたのではないか ジ と言われています。もしかすると少し ぐらい刺繍など施していたかもしれま布で 0 】彼らは何を着ていたんですか ? < 【季節によって違いがあったと思われます。 せんが、植物から糸を作るのも手作業 ですから、普段着にそこまでこだわっ ていたかはわかりません。動きやすい ようアクセサリーなどは最小限にして いたはず。布といっても目はそこまで 詰まっていなかったでしようし、そこ そこ風通しが良かったのではないかと 想像されます。 表と裏 2 枚を縫い合 わせていたかもしれ ません。 裸足だったかもしれません . ・し、革を用いた簡易な靴を 履いて、ケガから足を保護 していたかもしれません。 0
0 縄文人のすがたと暮らし 縄文系 ? 弥生系 ? 縄文系はソース顔 全体的に 彫が深い / ′ン 彫りが深く鼻が高い、いわゆるソース顔だった と考えられています。 " " ・少し出っ張った眉間 お酒に強く赤くなりにくい ・上下の歯がびったり合わさる 噛み合わせ。歯は小さめ。 湿った耳あか・ - き - 白 " 工ラが張って四角い顎 弥生系はしようゆ顔 あっさりとした、いわゆるしようゆ顔だったと考え られています。 お酒に弱く すぐ赤くなる 低い鼻 乾いた耳あカ 上の歯が前に出る 鋏状の噛み合わせ。 歯は大きめで少しガタガタ。 工ラが張っておらず 丸みを帯びた顎 29 知られざる縄文ライフ 面長で のっへり、 薄めの顔
顔つきと体つき 土した人骨から、縄文人の顔の ところで、皆さんは 形や体の大きさが推定されてい 自分について「縄文系」 ます。 とか「弥生系」などと思っ 縄文人の平均的な身長は男性が約たことはありますか ? 15 8 師、女性か約 15 3 師。今よ 左ページで、現代に残 りもだいぶ小柄な彼ら。野山を歩いてる縄文系、弥生系の見分け 狩りをしたり、丸木舟に乗って漁をす方をご紹介します。ご自身 る彼らの生活スタイルを考えると、 のことを思い浮かべながらな がっちりとした筋肉質な体つきの縄文がめてみて下さい 人の姿が浮かび上がります。 な人 柄文 0 < 】それを知るために、まずは 縄文人の身体的特徴を見てみましよう。 0 】縄文人ってどんな見た目の 人たちだったんですか ? 円 2 ( “ 現代人や弥生人と 比べると随分と小柄 だったようです。 渡来系弥生人 縄文人 現代人
縄文人の 1 日 らにとって炉の火は暮 らしに欠かせない大 切なもの。目覚めると同時に、 寝る時に灰を被せておいた火 種を起こし、近くの川に土器 を持って水を汲みに行き、そ れを炉にかけてお湯を沸かし ます。前日の夜ご飯の残り ( 縄 文クッキーなど ) があればそ れを食べ、お湯を飲み、 1 日 が始まったのではないで しようか ? 季節に応 じて採集する植物は 違いますが、朝か 0 0 】縄文時代の 1 日の暮らしかたは ? <: 遺物 ( ※ ) から迫ることは難しい ですが、想像してみましよう。 日の出 2 火種起こし 水汲み 採集 道具の手入れ ( ※ ) 遺物・・・遺跡から出土する土器・石器・骨格器や動植 物、その他様々な道具や生活に関わる用具一切の総称。 3
向こう三軒 両隣のお付き合い < 】当時はひとつの集落に、だいたい 4 軒から 6 軒ほどが暮らしていたと言われています。 らが暮らしていた集落の想像図 場を持つような大規模集 を前のページに載せています。 落の場合、時には数十 彼らは台地状で風通しが良く、水場軒以上が環状や馬蹄形に広場 が近いながらも水害に遭わないようなを取り囲むように家を建て 場所に好んで家を建てていました。集て暮らしていた痕跡も残っ 落の構成は血縁が多く、親戚同士が森ています。家の周りには、 を切り開いて暮らしていたようです。 不要なものを廃棄する場所が しかし、これは一般的な集落のイメー あり、周囲の森には管理され ジで、場所や時期によって様々な形が たクリやウルシの木がある集落 ありました。 もあったようです。お墓も集落の 中にありました。 0 0 】縄文時代にもお隣りさんとかいたんでしようか ? 0 4