太古の祈り 文時代には今のような神社やおれた霊的存在に対する畏怖の念が、今たい、すがりたいと思うのは、古今東 寺などはありません。その代わに続いているのかもしれません。 西共通の感情と言えます。もっと言え りに集落や周辺の人々が集まって祀り また自然のリズムに対しても祈りをば人間の根源的欲求だといっていいか を行っていました ( ページ ) 。 捧げていたのではないでしようか。太もしれません。 自然界の霊的存在を感じ、それらと陽の力が一番弱まる冬至、昼と夜が同特に、縄文時代のように自然に依存 共に生きていたと思われる彼らは、特じ長さになる春分、秋分。時には満月する厳しい環境を生き抜いて行く時に 定の存在に祈るというよりは、いろい の夜や新月の夜にも祀りを行ったかもは、仲間以外にも心の拠り所が必要 ろなものに対して祈りを捧げるといっ しれません。その時に登場するのが土だったのではないでしようか。 た具合だったようです。 偶 ( 124 ページ ) や石棒 ( 136 ページ ) 皆で祈ることで心に平安をもたら 今でも「お天道様が見ているから悪なのです。それらの道具を使い、自分し、絆を強め、日々の暮らしを紡いで い事は出来ない , と言ったりする事がたちの願いを叶えようとしたのです。 いく。そんな祈りが縄文時代にはあっ ありますが、これは、縄文時代に培わ 人が生きていくうえで、何かに祈り たのです。 0 0 】縄文時代のお祈りってどんなものだったんですか。 < 】今のような神社やお寺などはなく、 祀りが執り行われていました。 ー 20
す。家の炉の周りから見つかることも あれば、お墓の中から見つかることも あります。これはどういうことなので ーしよ、つ・か 石棒は土偶と同じように祈りの道具 として使われたとされ、祭祀が済んだ あとに集落内に立てておき、一定期間 が経った頃に、焼いて打ち割り廃棄し た、という説があるようです。 縄文人たちは男女の交わりによって 新たな命が宿ることを知っていたはず です。つまり自然界も同じ作用で命が 再生しているのだと理解し、男女を 象った道具を使って祈りを捧げていた のかもしれません。 現代にもこ、つした祈りがもとになっ たようなお祭りがありますが、遡って 行けば、縄文時代に通じているという ことです。 石棒へ祈る 現代の似たようなお祭りでは子係繁栄を 祈願します。縄文時代も同じだったのかも しれません。 0 7 知られざる縄文ライフ
食料調達が一番のお仕事 縄文食料事情 旬がわかる食料カレンダー 冒険の連続だった食の追求 g 縄文人のおいしい食卓 食卓を彩る食器と調理器具 高カロリーな食卓 海の民と山の民 縄文食料地図 0 海路を使って運ばれる交易品 縄文人も歯が大事 叫植物栽培は縄文から ? 8 縄文時代隣の国の晩御飯 ( 0 ミ m コ Co 一 u ョコ 3 章 縄文人と食 R 太古の祈り 盟ストーンサークルと時の流れ 土偶と祈り 縄文の造形美『土偶』 縄文の女神 縄文ビーナス 仮面の女神 合掌土偶 中空土偶 もうひとつの祈りの道具、石棒 自然に向けられた創造性 土器は交流の証 縄文の美の発見者岡本太郎 穏やかな流れの中でー縄文から弥生へー 日常に取り入れたい縄文グッズ 資料提供先博物館データ 写真提供・協力一覧 5 参考・引用文献 Co ミョコ 4 章 縄文の祈り 第一町れ物 / ーいハ 0
祈りの場で使われた道具 土器や石器のような明確な使用用途が想像しにくい土偶や石棒 は、祈りの道具として使われていたのかもしれません。 奈良県橿原市観音寺本馬遺跡出土石棒 奈良県立橿原考古学研究所蔵 石棒 男性を象ったとされ る石製品です。 太さや大きさは様々 ですが、短く折れ、 焼かれたものが多く 出土しています。 奈良県橿原市観音寺本馬遺跡出土土偶 奈良県立橿原考古学研究所蔵 土偶 人型の焼き物。多くは女性 を象ったとされています。 日本全国から出土してお り、縄文時代を通じて見ら れる代表的な遺物のひと つでもあります。 ノ′ 知られざる縄文ライフ
土偶と祈り 0 中空土偶 約 3500 年前 ( 縄文時代後期後半 ) ちょぼないの 北海道函館市著保内野遺跡出土 合掌土偶 約 3500 年前 ( 縄文時代後期後半 ) かざはり 青森県八戸市風張 1 遺跡出土 古いものから 並べると・・・ 0 中期 文人たちは様々な形で自然に祈 りを捧げていたと考えられます。 そんな祈りの道具としても使われた 「土偶。 次のページから、そんな土偶の中か ら国宝に指定された 5 体の土偶を紹介 していきます。 後期前半 縄文の女神 約 4 500 年前 ( 縄文時代中期 ) にしのまえ 山形県最上郡舟形町西ノ前遺跡出土 後期後半
知られざる 縄文ライフ 祈り ◎◎ 知られざる縄文ライフ 9
そして祀りと同時に祭りも開催され よりも人口が少なく、そして近実るように」「子宝に恵まれるように」 隣の集落とも距離があった縄「皆が健康で健やかに暮らせるように」たはず。遺跡からは土笛や動物の皮を 文時代。日常的に他の集落の人と出会など、祈りを捧げる祀りをしていたと貼って太鼓として使ったと思われる土 器も発見されていますから、歌や音楽 考えられています。 、つことは難しいでしよ、つ。 実際に縄文時代の遺跡からは、何らが流れて賑やかだったことでしよう。 そこで考えられる出会いの場はいく つかありますが、その 1 っとして、近かの儀礼を行ったとされる場所が数多娯楽が今のように沢山あるわけでは く発見されており、祈る道具として使ありませんから、長老から働き盛りの 隣の集落が集まって行う祭りが大きな イベントだったのではないでしようか。われたとされる土偶 ( 124 ページ ) 人たちはもちろん、子供たちも参加を せきぽ、つ 心待ちにしていたはずです。 縄文時代の祭りは、祀りの場でもや石棒 ( 13 6 ページ ) なども見つかっ ています。 あったと考えられています。つまり、 人々が集まり、自然に対して祈りを捧 げる場であったということ。「シカや イノシシ、魚介類がたくさん獲れるよ うに」「森にクリやクルミがたくさん 今も昔も祭りは出会いの場 < 【その 1 つが、近隣の集落が集まって行う 祭りだったと考えられます。 今 = 0 0 【縄文時代はどうやって人と出会っていたんですか ? 0
4 祈り 0 03 00 0 ストーンサークル 祭祀のためとも、日時計だったとも言われて います。日本で最初に報告された環状列石 おしよろ は、北海道小樽市にある忍路環状列石です。 時間の流れは今も縄文時代も変わりませんが、 時が過ぎるのを早く感じるのは、私たちの日々の 暮らしがちょっと忙しすぎるのかもしれませんね。 知られざる縄文ライフ
んなが集まる場で知らない集落 の者同士が仲良くなるには、車 座になって食事を共にすることが一番 です。 どこの森にはどんなキノコが生えて いる、今年はサケがよく獲れるなど生 活に欠かせない情報を交換したり、シ 力の角で出来た自慢の釣り針を見せ 合ったりしたのかもしれません。 : 。隣丿 そして時には恋の予感も : に座った子は面白くて話しやすいわ、 あの焚火の向こうに見えるあの子は逞 しくて、狩りも上手いんじゃないかし ら。シカの肉を分け合いながら、祭り 独特な高揚感の中、素敵な人との出会 いがあったかもしれません。 祀り ( 祭り ) の場は、祈りを捧げる ことはもちろんのこと、出会いの場と しても大切にされていたのではないで ーしよ、つか 宴もたけなわ ニワトコやヤマブドウなど の果実で作ったお酒を 飲んでいたのかも しれません。
食卓を彩る食器と調理器具 0 】縄文時代にもお皿ってあったんですか ? やつばり木でできているんでしようか ? < 】縄文時代の遺跡からは木のお皿よりも石でできた道具としてのお皿がよく出土します。 石皿と磨石 すりいし 石皿にクルミを置き、上から磨石で殻を叩き割り、出てきた実をすり潰して粉にし たり、肉や魚などをミンチ状にすり潰したりしたようです。時には、 ' こに薬草を 置いてペースト状にし、飲んだり身体に貼付けたりしたかもしれません。 石皿と磨石は非常に便利な道具だったと考えられます。 煮炊きする今の鍋のようなも のです。コンロの代わりに炉 が住居内に作られ、そこで調 理をしていました。 くぼみいし 凹石とたたき石 木の実などをたたいて潰していたの かもしれません。 に浸かった低地の遺跡であ れば木の器や手杓が発見され ることがあるものの、一般的な遺跡で は有機物である木材はなかなか残りま せん。その代わり、石でできた皿がた くさん見つかっていますが、この皿は 食器としてではなく、磨石とセットで 道具として使っていたようです。この 他の調理器具とし て、土器などが 一・ありました。 ー 02