オーギュスト - みる会図書館


検索対象: マリー・アントワネットの噓
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1. マリー・アントワネットの噓

さて、そんな二人の編集者は、大量の資料を探す航海に出た。ますは基本文献の読 み込みである。マリー・ アントワネットと母・マリア・テレジアの往復書簡にはじま り、オーギュストやアントワネットの伝記を一つひとっ読み込んでいった。また、オ ーギュストの思想を知るために、彼の教育のプロセスを調べ、愛読書をたどり、また く、ルソーなどの啓蒙 フランス革命の契機となった当時の自由や平等の思想を学ぶべ 哲学にもふれた。時代の文化、政治背景、思想の系譜に至るまで縦横無尽に文献をあ たり、アーカイプした膨大な情報を精査した上で惣領のもとへ届ける。北本が『チェ ーザレ』の時にやってきた手法だ。稲葉はこの編集者の仕事の域を越えた作業に軽々 と順応し、さらに日仏両方の言語で資料を探した。 どんな文献であっても、必ず書き手の意図や解釈が存在する。だとすれば、書かれ た内容を鵜呑みにするのではなく、常にその信憑性を疑う必要がある。最初の難関は、 できるだけ正確さを期し、中立な立場で書かれたものの中から、物語の主軸を決める 「底本」を探し出すことにあった。 調査期間中、二人のメールのやり取りは四百通にも及んだ。はじめは、マ 1 第二章マンガ家と美術館のコラボはとうやって誕生したか

2. マリー・アントワネットの噓

大国同士の政略結婚ですよ。その重大責任を負わされたのが、たかだか十四歳と 十五歳の子どもたちというのもひどい話です。初潮もろくに来てない、幼い少女を見 きっと、とまどったんでしようね。そ たオーギュストのことを想像するだけで : して、あくまで人間らしい、誠実な態度であろうと努めたんじゃないかなって思いま す。オーギュストは、「まずは、お互いを知り合おう」とアントワネットに告げてい ますから。 結婚式を挙げてから約二カ月後の一七七〇年七月八日、オーギュストはアントワネ ットに次のように告げたといわれる 余は結婚に関することについて何も知らないわけではない。しかし身を委ねる 前に、妻であるあなたのことを知りたかったのだ。 ( 中略 ) コンピエーニュに行 って、二人で静かに夫婦の営みを始めよう。 ( 引用〕ジャンクリスチャン・プ ティフィス )

3. マリー・アントワネットの噓

「困惑して身体をこわばらせー「気のきかない様子で」「眠たげ」に、「儀礼どおりの キスーをしてくる男を前に、確かに魅力は感じられないだろう。長きにわたる戦争を 終結するため、フランスとオ 1 ストリアの政略結婚が成立した歴史的瞬間に対して、 あまりにも拍子抜けする書きぶりだ。これではアントワネットが夫のことを退屈に思 うのも無理はない、と想像してしまう 実はツヴァイクもルイ十六世は「五フィ 1 ト一〇インチ ( 一七八センチメートル ) ー だと書いているのだが、 その他の描写と革命時に噂された「ひ弱な男」のイメージが 先行し、ルイ十六世像は「チビでデブ」なビジュアルになっていることが多いのだ。 オーギュストのイメージが文献を読めば読むほど、かって想像していたものと違う んですよ。その決定打になったのが、データとして確実に残っているオーギュストの 身長。どんな人物だったかなんて印象論はいかようにも語れますけど、この数字はど うやら確からしい、と。それに、お輿入れ時のアントワネットは当時でも小柄な十四 歳。このときニ人に身長差があったことは明らかで、オーギュストからすれば、あま りにも幼い子どもに見えたのではないかと。そう考えはじめると、これまでのイメー

4. マリー・アントワネットの噓

その人物がどんな考えで、どんな動機で行動したか。歴史の結果を知っている人間 が持ってしまうフィルターから極力自由になるために、時代の思想と、人物の思想、 それがどういう関係にあったかを探っていく。定説とされる解釈にも積極的に疑問を オーギュストの時代は、市民が社会を牽引し始めた時ですよね。オーギュストはそ の重大な転換期に生まれた人物で、自身も市民に寄り添って変化を受け入れようとし ていたと思います。けれど、当然のことながら周囲の貴族階級の人間からは反発を受 けます。王政改革の失敗が結果として市民の絶望と国王への離反を生み、フランス革 命につながっていくんです。 でも、はたしてあの革命のやり方は正しかったのでしようか ? あのとき、まるで 魔女狩りのような集団ヒステリーが起きて、当時の貴族のドレスは旧体制の象徴とし て焼かれたり、処分されたため残っているものが非常に少ないのだそうです。どれも 職人が丁寧に作った芸術品なのに : 。そうした中で、王族をはじめ、何百人もの人 170

5. マリー・アントワネットの噓

第三章「歴史美術の職人」として マンガ家ならではの特殊能力ともいえる。それによって、文字べースで二次元で歴史 と向き合っていた時には気付かなかったものと出合うことがあるという。その象徴的 なエピソードのひとつに、マ 1 丿ー・アントワネットとルイ・オーギュストが初めて出 会う「コンピエーニュの森ーのシーンでの発見がある。 一七七〇年五月十四日、コンピエーニュの森でマリ 世と、夫となるルイ・オーギュストを含むフランス王家と初めて対面した。そのとき、 両者の出会いの場所となったのは「ベルヌ橋」、そこに馬車が停められた。 この一文がどうにも不可解だったんですよね。フランス語の文献を稲葉さんが調べ てくれたのですが、『橋の横』と書いてあるだけだという。どうして、森の中に橋が あるのだろう、と。もし、当時はコンピエーニュの森の中に河川敷があったのだとし たら、情景がまったく変わってしまいます。 それでどういう場所で対面が行われたのかが想像できなくて、気になって仕方なく なって。もう躍起になって調べてもらったら、マリー・アントワネット協会の方が「べ ・アントワネットはルイ十五 105

6. マリー・アントワネットの噓

第一章マリー 外科医に ( 編註※オーギュストへの ) 手術のメスをふるわせるべきか否か、会 議につぐ会議が重ねられた。 だがルイ十六世は、優柔不断な性格のせいで、思い切った行動には出られない。 ちょうしよう ・アントワネットの恥辱ともなり、宮廷中の嘲笑 ( 中略 ) 滑稽な状況は、マリ やマリア・テレジアの激怒を招き、ルイ十六世の名を地に墜とした。これがさら に二年続き、通算では驚くべきことに七年ともなったため、ついにヨーゼフ皇帝 自らパリへ乗り込んできて、意気地なしの義弟に手術を迫った。こうして悲しい 愛のシーザーはルビコン川を渡り、手術は成功。だがやっとのことで征服した魂 の帝国は、七年も続いた笑うべき戦いのおかげで荒廃しきっていた。 ( 引用【シ ュテファン・ツヴァイク ) ッヴァイクが言うように、オーギュストは本当に不能だったのだろうか。当時のゴ シップ紙に書かれた「ルイ十六世不能説」は、あくまで第三者や宮廷の噂を基にした ものだ。二人のべッドの様子などは、知る由もない。だが、この件について人類でた ・アントワネットの七つの嘘 お

7. マリー・アントワネットの噓

子供達が ・ ) うして 、一の土 - ま 6 眠らせて健やかで いられて あげなさい 何よりだ それもこれも あなたが この離宮を 私に与えて くださったから ですわ 誰の目も 気にせず ここで自由に 過ごせるのも 全てあなたの お陰です オーギュスト

8. マリー・アントワネットの噓

プロローグ ゴシップ記事の誕生 語り手によって、歴史は変わる。このことを、わたしたちは日頃からどれだけ意識 しているだろうか。教科書に書かれた情報は紛れもない「史実ーであり、「正しいもの」 であると誰もが信じている しかし、歴史は常に変わりゆくものだ。 意外に思うかもしれないが、歴史の研究者たちは、日々過去と向き合いながら、「新 たな真実」を追求し続けている。その結果、かっての常識を覆すような新説が更新さ れている。 フランス王妃マリー プロローグ ・アントワネットと国王ルイ十六世 ( ルイ・オーギュスト ) の まぎ

9. マリー・アントワネットの噓

ントワネットとマリア・テレジアの往復書簡を読むところからスタートした。 20 一 5.2. 一 7 Kitamoto ( 以下、 (-) to lnaba ( 以下、ー ) 「日本語に訳されたマリー・アントワネットがマリア・テレジアに送った書簡 集をすべて読み終えました。そして、下世話なタブロイド紙なみの熱心さで、書 簡の中でルイ・オーギュストとの関係について触れてあるところをすべて抜粋し ました。ここで調査をお願いしたいことがあります。わたしが抜粋した箇所から、 翻訳によって内容に誤解が生じていないか、原語の書簡集で文意を確認して頂き たいのですー 2015.2.17 lto K 「国立図書館のデータベースと照らし合わせてみましたが、誤訳などはなさそ うですよ。ただこの二人の書簡については、若い娘 ( マリ ・アントワネット ) が恐れている母 ( マリア・テレジア ) に、ったない言葉で書いた手紙ということ を忘れてはならないと思います。

10. マリー・アントワネットの噓

第二章マンガ家と美術館のコラボはどうやって誕生したか ジと折り合いがっかなくなってくるんですよね。 歴史をクリーニングする あれだけ妄想力はない、描きたいものはないと言い続ける惣領にとって、創作意欲 に火が付いたのはこのときだった。 これまでの歴史は嘘だったのかもしれない、と思った瞬間に、好奇心というスイツ チが入るのかもしれません。固定観念を崩す意外な史実を知ったときほど、興味がど んどんと湧いて、もっと知りたくなってくる。本当はこんな人だったんじゃないの ? と推理が広がります。それは、歴史をクリーニングする作業だとも = = ロえますね。 そのなかで、これまでと百八十度違う人物像が浮かび上がってきたとき、それを自 分なりに形にしてみたいという衝動が生まれます。今回、わたしの一番の関心は、歴 史に塗り替えられた「もっとも真実に近いと思われるルイ・オーギュスト」を描くこ とにありました。