☆科学館から外へ 代のころ、同年代の知人が相次いで亡くなった。大学のクラブの後輩、先輩がそれぞれ事 故で、同じ学科の先輩が雪崩に巻き込まれて。そして、歳のときに、星野道夫さんの急逝。 そういった知人の死は、人生の短さをつきつけられ、「明日死んでもいいように今日を生きな ければ」という焦りと同時に生きるエネルギーを与えられた。もちろん真のエネルギーになる までに、多くの行き場のない悶々とした時間を要したけれども。 年を経れば経るほど、自分に残される時間の短さを思う。その短い時間の中で、どれだけ、 出逢うべき人たちに出逢えるか、自分が他者のために何かができるか、そしていっかミュージ - 生等つ、いるどい・つ、」ど 、 4 《一暑、マ、いナつどい - つ、」ど それはミニスカート それはプラネタリウム 谷川梭太郎 x 引 ー 58
人はなせ 星を見上げるの 人は % 星を見止げるのか星、。仕事 星とつなぐ仕事髙橋真理子 星野道夫に、オーロラに憧れた高校生は、 研究者から星と人々をつなぐ仕事にふみだした : 宇宙飛行士のウェイクアップコールに使われた 「星つむぎの歌」をつむぎだした人びとの想い 視覚障害者か、星空に抱く想い。震災に遭った入々か、 満天の星空にもらった希望と勇気 星と戦争の関係を掘り起こし、織り姫星にがけた人びとの平和への思いを伝える 星と人とをつなぐ仕事を通して見えた人の思い、未来を語る 髙橋真理子 ( たかはしまりこ ) / 宙先案内人 1970 年、埼玉県出身。山梨県在住。北海道大学理学部、 名古屋大学大学院で、オーロラ研究を行う。 97 年から山 梨県立科学館天文担当として、全国のプラネタリウム で類をみない斬新な番組制作や企画を行う。 2013 年に 独立、宇宙と音楽を融合させた公演や出張プラネタリ ウムを「とどける」仕事へ。特に、本物の星空を見ること のできない人たちに星空を楽しんでもらう「病院がプ ラネタリウム」プロジェクトでは、全国の病院からオ ファーがある。 現在、星空工房アルリシャ代表、星つむぎの村共同代 表、日本大学芸術学部・山梨県立大学・帝京科学大学非 常勤講師。 2008 年人間カ大賞・文部科学大臣奨励賞、 2013 年日本博物館協会活動奨励賞など受賞。共訳書に 星空散歩ができる本』 ( 恒星社厚生閣 ) など、雑誌への 執筆、新聞連載多数。 公式サイト http://alricha.net 9784406060448 1 9 2 0 0 4 4 0 1 8 0 0 9 BN978-4-406-06044-8 C0044 \ 1800E 定価体体頂 00 ( 税別 ) 新日本出版社 髙橋真理子 新日本出版社 新日本出版社 装丁◎宮川和夫事務所 カバー写真◎跡部浩一
県立科学館の前身である、青少年科学センターにも手紙を出していた。センターの所長さんが 新しい科学館の職員募集をしていることを教えてくださらなかったら、私のその後の人生はま ったく違うものになっていた。出逢うべき人にも出逢わずに。 ☆手紙とプラネタリウム 星を見上げることと、手紙を書くことは似ている。その時間が生み出す価値という点におい て。相手を想うこと、自分をみつめなおすこと、そんな時間を、どちらの行為も与えてくれる と こ ように思うのだ。私がこれまで制作してきた本以上のプラネタリウム番組には、手紙の登場 る 率が高い。「戦場に輝くべガー ( Ⅱ章参照 ) のストーリーはすべて和夫と久子の手紙のやりとり 上 見 で構成されているし、「星月夜」 ( 5 章参照 ) は、主人公の青年が一晩、星とともに過ごして気 と こ づいたことを彼女への手紙にしたためるシーンで終わる。「二人の銀河鉄道ー ( 章参照 ) も、 賢治と嘉内が互いに交わした手紙が物語を支えているし、「きみが住む星ー ( 原作・池澤夏紙 樹 ) 皛という番組も、世界を旅する青年が、恋人にあてる手紙で構成される番組である。 そんな星と手紙の親和性から、手紙を使った企画もよく行っている。いくつかの大学の「宇 宙の科学ーという講義を受け持っているが、その課題の一つに、「本講義で新たに気づいたこ ー 35
テクノロジーは人間を宇宙まて運ぶ時代をもたらし、自然科学は私たちか誰てあるのかをたし一 - かに解き明かしつつある。それなのに、科学の知はなぜか私たちど世界どのつながリを語っては - / 、れがよい それどころか、世界は自己から切リ離され、対象化され、精神的な豊かさからどんど んど遠ざかってゆく。私たちは、人間の存在を宇宙の中て位置づけるため、神話の力を要どし 一ているのかもしれな、 星野道夫※ 1 ☆科学を物語る 1996 年 8 月 8 日の星野道夫さんの突然の訃報の後、「アラスカ , と「オーロラ」に憧れ、 夢を追いかけて一生懸命生きてきたつもりだった自分とは、いったいなんだったのかと、自分 をすべて見失ったような時期を過ごしていた。博士課程 3 年目の迷える大学院生だった。 1 か 月ほど、どうにも暗闇から抜け出ることができず、アラスカに行って考えよう、と思い立った。 帰りの飛行機の中で、「アラスカⅡ象徴ーという一言葉が思い浮かぶ。私は星野さんを通じてし か、アラスカを知らない。何かとても大切なキーワードではあるけれども、私はアラスカに住 0 3
高橋真理子 ( たかはしまりこ ) 1970 年、埼玉県出身。山梨県在住。宙先案内人。北海道大学 理学部、名古屋大学大学院で、オーロラ研究を行う。 97 年か ら山梨県立科学館天文担当として、全国のプラネタリウムで類 をみない斬新な番組制作や企画を行う。 2013 年に独立、宇宙 と音楽を融合させた公演や出張プラネタリウムを「とどける」 仕事へ。特に、本物の星空を見ることのできない人たちに星空 を楽しんでもらう「病院がプラネタリウム」プロジェクトでは、 全国の病院からオファーがある。 現在、星空工房アルリシャ代表、星つむぎの村共同代表、日本 大学芸術学部・山梨県立大学・帝京科学大学非常勤講師。 288 年人間カ大賞・文部科学大臣奨励賞、 2013 年日本博物館協会 活動奨励賞など受賞。共訳書に「星空散歩ができる本」 ( 恒星 社厚生閣 ) など、雑誌への執筆、新聞連載多数。 公式サイト http:〃alricha.net ひと 人はなぜ星を見上げるのカ 2016 年 8 月 25 日初版 2017 年 8 月 30 日第 3 刷 はしひと 星と人をつなぐ仕事 発行者 著者 高橋真理子 田所稔 郵便番号 151 ー開 51 東京都渋谷区千駄ヶ谷 4 ー 25 ー 6 発行所株式会社新日本出版社 電話 03 ( 3423 ) 制 02 ( 営業 ) 03 ( 3423 ) 9323 ( 編集 ) info@shinnihon-net.co.jp www.shinnihon-net.co.jp 振替番号 8130-0 ー 13 1 印刷亨有堂印刷所製本光陽メディア 落丁・乱丁がありましたらおとりかえいたします。 ⑥ Mariko Takahashi 2016 ISBN978 ー 4 ー 4 開ー 06044 ー 8 C 開 44 Printed ⅲ J 叩 an く日本複製権センター委託出版物〉 本書を無断で複写複製 ( コピー ) することは、著作権法上の例外を 除き、禁じられています。本書をコピーされる場合は、事前に日本 複製権センター ( 03 ー 340 ト 2382 ) の許諾を受けてください。
の様ににてはるか虚空に消えにけりと言葉が添えられている。まるで空を飛ぶ銀河鉄道を 想起させるような詩である。 嘉内は、これ以外にも甲府中学時代に、多く文章を残している。最も印象的なのは、「吾等 が最大幸福は何なるか , という演説原稿。トルストイにも影響を受け、人間の幸せとはいった い何かということをとことん考えていた少年であった。そして、物質文明が進んでいくことに 危機感を感じ、真の幸福とは精神の満足だと、説いている。 ハレー彗星から 7 年後、嘉内は、盛岡高等農林学校で賢治と出会い、文学・哲学・科学・芸 術・思想、あらゆる方面で、議論しあい共感しあう唯一無二の親友となった。賢治研究の中で はじめて保阪嘉内という切り口から賢治作品を考察した菅原千恵子氏は、その著書『宮沢賢治 の青春ー " ただ一人の友 ~ 保阪嘉内をめぐって』※引で、こう語る。賢治の後半生における作品 のほとんどは、「ある特定の読者、おそらくは訣別してしまった一人の友『私が保阪嘉内』へ 賢治が送り続けたメッセージだった」のではないか、と。この考えに肩入れをするならば、 「銀河鉄道の夜、という難解な名作と、嘉内の存在は切っても切れない関係だったに違いない と思うのである。
☆プラネタリウム 1 年目 1997 年 4 月、私は開館を 1 年後に控えた山梨県立科学館の準備室に非常勤として配属さ れた。実は、私は驚くほど星座の名前を知らず、プラネタリウムのこともほとんど知らなかっ た。あったのは「科学と社会をつなぎたい」「いっかミュージアムをつくりたい」という思い だけ。社会人であること、プラネタリウムの解説、機械、番組制作 : : : どれをとっても経験ゼ ロなのに、準備室内では、「プラネのことはすべて任せるよ、という状況。助けてもらったの は他のプラネタリウム館の諸先輩方だった。あちこちのプラネタリウムを見に行き、研修をさ せてもらった。就職と同時に入籍していたが、夫は仙台にある大学の教員だったので、研修名 目で仙台市天文台や仙台こども宇宙館 ( 現在は一一つが統合されて、新しい仙台市天文台となって いる ) には 1 か月近くお世話になった。プラネタリウムは、来る人たちがとても幸せな気分に 私はふたつのこどに畏敬の念を抱いています。 満天の空ど自分の中にある宇宙てす。 アルバ ート・アイン、ンユタイン※ 5
「私たちと世界とのつながりーを語るための科学。それを実現するための科学と社会をつなぐ 仕事。人を相手にする仕事。そんな模索の中で、私は、科学館というところを就職先として探 し始め、全国にある科学館、科学系博物館館以上に手紙を書いた。そして新しい科学館がで きることを知らされ、山梨県に拾ってもらった。オープン前の山梨県立科学館に就職すること ができたのである。 あれから間もなく年。当時、その魅力を知らずにいたプラネタリウムという場を与えられ、 プラネタリウムは、他のメディアには真似できない、星や宇宙と暗闇を中心とした総合芸術の 、心から幸 場であることに気づいた。星空と対峙することの意味を考え、多くの人々に出会い せと思える仕事をやってきた。さまざまな実践の中で気づかされてきた「星の力」。それを必 要とするであろう人のところに届けるべく、 2013 年、科学館の正規職員を辞して非常勤に そごらさき なると同時に、「宙先案内人」として活動をはじめた。そして 2016 年、科学館を退職し、 仲間たちと「星つむぎの村ーという団体を立ち上げて、あらたなスタートラインにたっている。 あの手紙を書いたときには非常に漠然としていたことが、今は、「人々の心の中にある星空」 と、「科学が描く宇宙」を大きなよりどころとして、宇宙と私たちをつなぐ物語を語り、「星と 人をつなぐ」仕事をしている。 7 プロローグーー 20 年前の手紙から
も探求は続く。世の中は不思議に満ちていて、おそらくいつまでも続いていくだろう。その不 思議さが、自然に対する畏れを教える。自然の不思議さと人間の感情としての畏れ、また自殀 に対する懐かしさや愛おしさ、そういったものを対立させず、静かにつないでみたい。星野さ んの死は、私が向かうべき道に光をあててくれた。そして、その翌年、私は、「科学を物語る」 のに最適ともいえるプラネタリウムという場に出逢ったのである。 ☆科学と神話をつなぐ 山梨に来ることが決まったのは、 1997 年 3 月。研究を半ば投げ出してきた私にとって、 その事実と向きあいながら「自分の仕事ーをしていくには、山梨という地に足をつけて、自分 で選び取ったこの道を全うすること、それしか方法がない、と思っていた。 新たな場所で出会った「プラネタリウム」は想像以上に素晴らしいメディアだった。私がそ れまでに漠然と考えていた理想のミュージアムーー科学も音楽も芸術も文学も全部つながると ころーーーに近い、総合芸術の場ともいえるものなのだ。プラネタリウム番組という、星、映像、 言葉、音響、を組み合わせて展開する作品づくりを通して、科学とそれ以外のものを融合する のに、最高のメディアとさえ感じるようになった。
む必要はない。自分の足で立てる場所を探さなければ、と思った。 1990 年の初めてのアラ スカが自分にとって一つの時代の始まりだったように、今回のアラスカがきっとその時代の終 わりと新たな時代の始まりをつくる、そんな気がした。 そのときに、あらためて読み直していた星野さんの本の中に、冒頭の文章を見つける。これ はまさしく自分の問題であることに気づいた。「オーロラの中をどれだけの電流が流れている かを計算することが、私の人生にとってどれだけ大事なのだろう」と思ったときに、さほど大 事ではないという結論を出した私。オーロラの科学的知見と、人間をつなぐ物語が、そのとき の も には描けなかったのだ。けれども、科学の知見をただ説明するのではなく、科学を物語ること ができたとき、自分に深い納得がやってくるのではないか、と思い至る。このときの直観があ出 生 る意味、その後の年の仕事を支えていた、といっても過言ではない。 自然科学は、人間の力を遥か超えたところに存在する自然現象について、「それを司る法則 を見出したいー「意味を理解したい」という好奇心に支えられた営みである。その先にはいっ ス ロ たい何があるのか。全宇宙の理解だろうか。しかしそう思っている研究者はそうはいないだろ オ う。少しでも理解したいと思っている一方で、何かがわかると、またその倍ぐらいにわからな いことが出てくるということを彼らは知っている。宇宙全体で起きているすべての現象のうち、 私たちが何割ぐらい理解し、何割わかっていないのか、それさえもわからないのだ。いつまで