けれども、生命体としての私たちと月の間には、やはり切っても切れない関係がある。そも そもこの大きな月がなかったら、地球の自転速度はかなり速くなり、砂嵐が舞い上がり、生命 を育む環境にならなかった、と考えられているし、月がその引力で、地球の海をひつばったり 手放したりしたことで、海はよりよく混ぜられ、生命の多様性のきっかけにもなっている。さ まざまな社会活動にむすびつけて語られるのも、月が満ちて欠けてゆくそのリズムを、生命体 として感じながら進化してきた故のことなのだろう。 もう一つ、月が私たちに与えてくれた恵みで忘れてはならないのが、季節の変化だ。季節の 変化は地球の自転軸の傾きがつくりだしているが、その傾きが月の誕生に関わっていると考え られているのだ。月の成因として現在、もっとも有力な説は、今からおよそ妬億年前、火星ほ どの大きさの小惑星が原始地球にぶつかってできたとされるジャイアントインパクト説である 大衝突の際に、地球の自転軸は傾き、それを保ったまま太陽の周りを公転している。それゆえ、 日本がある中緯度では、春夏秋冬という美しい四季の変化のある環境が生まれたのである。 太陽、月、星が作り出した、大いなるリズムの中で私たちは生きている。それを体と心で感 じられること。それは、私たちの、「生きるために生きるーエネルギーに関わってくることな のだろう。私は、しし座流星群のあの夜に、言葉ではなく、エネルギーとしてそれを受け取っ たような気がしている。
☆祈り ひとが逝くときは星になるんだって / わたしは流れ星になりたい / 願いを叶える流れ星に / ひとりで泣くひとが / これ以上ふえないように / いつも側にいる星ではないけれど / 一瞬で消 えてしまう星だけれど / そのきらめきに / あなたが顔をあげてくれるならば / わたしはせいい っぱいの輝きでこの天空 ( そら ) を翔けてゆく ( ペンネーム e. k. ) 死んだら星になる、という考えはずっと昔からあるのだろう。そう思うことが、地上に生き ☆記憶 五つの時 / 父と見た星がみたい / そう思うのは / なぜだろうか ( 中学生 ) プラネタリウムを見てくださった人が、「昔、〇〇で見た星を思い出しました」という感想 を残していくことがよくある。星空は、記憶を引き出すものでもあると思う。空にはいつも、 必ず星があるから。 ー 2 2
一人はなせ、歌うのだろう。 ( 中略 ) 人が、こどばにリスムを村け、メロディーに乗せ、 ニーを重ねて歌うこどをこんなに愛するのは、なせだろうか たぶんそれは、字宙そのものがうただからだ。宇宙の時間を打っリスムど、字宙の歴史をて るメロディー、 そして宇宙の空間に満ちるハーモニーの幸福な三位一体によ「て、字宙は今も歌 ・つている。 晴佐久昌英※ ☆音楽と星空は高めあう ある中学校での講演後にこんな感想をもらったことがある。「ぼくはある一つの考えにたど り着きました。それは宇宙と音楽は似ているということです。美しいこと、人々に安らぎを与 えること、時代や方法によってとらえ方が変わること : : : 」。私は講演の中で、いつもの演出 として音楽をフル活用していたが、特に音楽の説明をしたわけではなかった。「似ている」と いった彼の感性がとても素敵だ。彼が書いてくれたとおり、美しいことや心に訴えかけてくる こと以外にも、音楽を楽しむことと星を見上げることはどちらも、ほとんどの人が体験をして ー 42
アムをつくれば、オーロラを科学から見ることも、写真や絵画で表現することも、音楽や言葉 で表現することもできる。多分野をつなぐことができる [ と考えたのである。 これは、とてもいい考えに思えた。自分自身のミュージアム体験はたいしてあったわけでも 。しかし、このときの「直観ーが、ある意味、その後の人生のほぼ軸となってし ないのに : まったのである。そして、その根っこには、「好きなことをやって生きていこう」という星野 さんから学んだ精神があった。 けれども、お金も経験もない。そもそも、自分は「オーロラの研究をする」とみんなに触れ 回っているのだ。いきなり方向転換をする必要もないように思えた。とりあえず、勉強して大 学院にいって、オーロラの研究をやらなければ。大学院の 5 年間は、刺激的な得難い体験であ ると同時に、人生のどん底とも一一一一口える時期の混在であったのは、プロローグで述べたとおりで ある。 大学院での経験は、めぐりめぐって「そうだ、ミュージアムをつくろう」と思いついた自分 にもどってくるのに必要な時間だったのだと思う。そして、あらゆるジャンルをまたぐ「ミュ ージアム」という発想が、のちの自分の仕事の一番のキーワードである「つなぐ」を生みだし ていく元でもあったように思う。 1 そうだミュージアムをつくろう
共鳴の空気が動く。覚さんがよく表現する、「自分の井戸の深いところに降りて、言葉を探す と、誰かと海の底でつながるようなそんな言葉に出逢える時間になる。 2014 年、「星空書簡」に参加してきた熊谷穂乃花さんは高校 2 年生だった。人一倍豊か な感受性を持ち、いろんなことで悩んでいた彼女が、私の星空の話や覚さんの言葉に出逢い 手紙を書いた。それを聞いた会場全体は、涙であふれかえってしまった。彼女の人生にとって も、私たち企画者にとっても深く心に刻まれる出来事となった。 今、彼女は大学生になり、将来の夢にむかってあるきはじめている。 宇宙の神さまへ こんにちは。私は小さな街に住む歳の高校生です。 今の私は、これから始まる長い長い自分だけの人生を、どう生きようかとすごく悩み、 考え続けています。そして、人間である自分の存在が何なのか、人生とは何なのか、 いっか必ずおとずれる人間の死というまでの時間をどう過ごせばよいのか、いつも考え ています。 そんな私に案内が届き、そして今日、宇宙の世界へ行きました。プラネタリウムを体験 したのです。まるで、宇宙空間を泳いでいるようでした。私が想像していた宇宙の規模は 9 15 手紙を書くこと、見上げること
の様ににてはるか虚空に消えにけりと言葉が添えられている。まるで空を飛ぶ銀河鉄道を 想起させるような詩である。 嘉内は、これ以外にも甲府中学時代に、多く文章を残している。最も印象的なのは、「吾等 が最大幸福は何なるか , という演説原稿。トルストイにも影響を受け、人間の幸せとはいった い何かということをとことん考えていた少年であった。そして、物質文明が進んでいくことに 危機感を感じ、真の幸福とは精神の満足だと、説いている。 ハレー彗星から 7 年後、嘉内は、盛岡高等農林学校で賢治と出会い、文学・哲学・科学・芸 術・思想、あらゆる方面で、議論しあい共感しあう唯一無二の親友となった。賢治研究の中で はじめて保阪嘉内という切り口から賢治作品を考察した菅原千恵子氏は、その著書『宮沢賢治 の青春ー " ただ一人の友 ~ 保阪嘉内をめぐって』※引で、こう語る。賢治の後半生における作品 のほとんどは、「ある特定の読者、おそらくは訣別してしまった一人の友『私が保阪嘉内』へ 賢治が送り続けたメッセージだった」のではないか、と。この考えに肩入れをするならば、 「銀河鉄道の夜、という難解な名作と、嘉内の存在は切っても切れない関係だったに違いない と思うのである。
どうにも答えが出ず、アラスカに出向いた。そのことが一つの光となり、見失った自分を取 り戻すべく、私は「自分が好きでいられる自分」とはどんなものだったか書きだしてみた。そ して、亡くなった星野さんに長い手紙を書いた。星野さんへの手紙でありながら、自身のそれ までを振り返り、未来に向けた決意のような文章。以下は、その一部である。 「北海道の自然に魅了され、多くの人々に出会った多感な大学時代を経て、大学院で自然科学 の研究の現場に触れてきた私の今の目標は、サイエンスと社会の接点をつくりだすことにある。 正直いって私はサイエンスそのものより、人間と自然そのものに対する思い入れのほうが強い ただ、人がやるからサイエンスが面白いのであり、自然があるからサイエンスがある。その視 点から、私はなるべくたくさんの人にとってサイエンスが文化になれば素晴らしいなと想って 紙 手 の いる。自然に対する愛情や、好奇心がサイエンスをつくりだすということを、研究の現場と一 年 般の人々をつなげられる場所を提供することによって伝えたい。サイエンスを知ることで、得 られる新たな驚き、発見がどこかで人間や自然を愛することにもつながるのではないかという グ 予感がある。ほんとうにつながるかどうかはわからない。けれど、人と人をつなげ、多くの人口 プ 生を知り、多くの考えに出会う。そうした営みの中にサイエンスがあるということ、驚きは自 然が与えてくれるものだということ、これは確信をもってそうだといえる
アムと思っていた夢をほんとうに実現できるのか : : : 切実さは増していく。組織の中で働いて いると、そういった思いとは別の次一兀で、組織のために費やす時間が増えていく。私はずっと この組織の中で生きていくのだろうか ? 山梨県立科学館という、自分の仕事のすべてがここ から始まり、多大なる愛着をもって共に育ってきた大切な場所。そこを離れるのか ? と、具 体的に考えはじめたのはいつだったろう。 ちょうど「星つむぎの歌のプロジェクトから派生して、「星つむぎの村」という構想がで きはじめた年あたり。覚和歌子さんに「で、真理子さん、いつやめるの ? ーと聞か れ、自分の心がきれいに半分ずつ、「やめるなんてムリ」という思いと、「そうか、やめるとい う選択があった」という思いが、一度に交錯して、それからしばらく気持ちが落ち着かなくな へ った。仕事や創作をしてきた多くの仲間と一緒であれば、いっか自分で場をつくりたいという 漠然とした思いはきっと実現するのだろう、という考えにどんどんと傾いていった。覚さんの る 「そのときがくればきっとわかるでしょ , という一言葉を、心の片隅に置きながら、相変わらず」 を 忙しい毎日を過ごしていた。 星 年は、科学館のプラネタリウムをリニュ 1 アルした年である。このリニューアルの 機会は、私にとって、一一つの相反する力、科学館に引き留められる力と、外に向かっていくカ が同時に働いたときだった。このリニューアルで、日本ではじめて「プレアデスシステムーを ー 59
8 見えない宇宙を共有する ユニバーサルテザイン絵本『ねえおそらのあれなあに ? 』 を指で読む、星の語り部のメンバー。 ( 撮影 : 跡部浩一 )
星空と夢や希望は切り離せないもの、とあらためて教えられた。「星を見上げるーという行 為そのものが、上を見上げるということであり、そこには深呼吸とか、胸を開くとか、そんな 行動が伴うゆえに、人間の純粋なところで希望を感じることのできるものなのだろう。 ☆感謝 お母さんと / 夜空を散歩 / 上を見上げると / 満天の星空 / いつもお母さん / ありがとう ( 小 学生 ) 星を見上げることと、手紙を書くことは似ていると思う。そこに共通しているのは、相手に 面と向かって言いづらいことを、星を見ることで、また手紙に託すことで、言えることがきっ とある、とい , っこと。 ☆好奇心 お星さまは、キラキラキラ。 / 顔も体もキラキラキラ。 / お星さまは、小さいのかな ? / それ ー 20