☆イベントからコミュニテイへ 年の初回のワークショップを終えて、自分はこういうことをとてもやりたいと思っ ていたのだ、としみじみしたことを覚えている。参加者同士が大人も子どもも対等で、刺激し あいながら、表現をし、共有する。だれが先生でも生徒でもない。おのずと、知りたいことや 考えたいことが生み出される場。これが、イベントで終わるのはもったいないと思い、初回ワ ークショップに参加した人たちに「企画して作品をつくりませんか」と呼びかけたところ、 5 なんともいとおしい。その心を知っての句だ。 2 番目の句は、毎年 1 月 4 日ごろをピークにやってくる「しぶんぎ座流星群」のこと。しぶ んぎ座流星群は、よく出現する年とそうでない年が極端にちがう。この年の「不発さ加減」が なんともいえず伝わってくる。 年に私の直観で始まったプラネタリウム・ワークショップは、私が科学館を退職し た 2016 年 3 月まで続いた。実施した回数は、回。言葉による表現以外にも、打楽器、オ ルゴール、ダンス、演劇、手話、絵本、粘土 : : : などあらゆる手段をつかって、宇宙や星を感 じながら「表現ーして「共有ーすることで、毎回、新しい驚きや感動を重ねてきたのである 43 4 心の中の星空をドームに一一プラネタリウム・ワークショップ
ように、六つの点で一つの文字を表す。それ一つひとつはまさしく「星」になるわけで、点図 をつくれる方にお願いして、多くの凸凹のある星図をつくってもらった。見える人も見えない 人も、一番直観的に理解できるものは、街中から見える星空と、満天の星空の比較だった。街 中の星空は、 3 等星ぐらいまでのまばらな星のパターン、一方、ライトダウンして見えるはず の満天の星空は、 6 等星までの星がすべて入った、紙一面にぼつぼつがあるようなパタ 1 ン。 プラネタリウムの中で、お客さんが一番感動のため息をつくのは、ライトダウンして、満天の 星空が浮かび上がる瞬間だ。その時間を共有するのに、この星図はだいぶ活躍した。 そんな活動をしているうちに、プラネタリウムに来ない人たちにももっと広く星空のことを 伝えよう、という想いが芽生えた。法人ュニバーサルデザイン絵本センターに企画を持 ち込み、「星の語り部」と彼らと協働で、『ねえおそらのあれなあに ? 』※というュニバ サルデザイン絵本の制作が実現した。点字や点図だけでは、見える人にはなかなかわかりにく 弱視の人にも不都合だ。この本は、ふつうの絵本と同じく墨字で書かれた文字や絵がある ところに、透明のアクリル素材で凸図を描き、触って絵がわかるようにしてある。 この絵本では、街にいる人間の親子、里にいるきつねの親子、山にいる熊の親子が、それぞ れに見上げる星空があり、そこでは星の数の圧倒的な違いが表現されている。そこに大きな流 れ星が流れて、みんなが見上げる星空は一つ、空はつながっているということを伝えるストー 79 8 見えない宇宙を共有する
という高校時代の決意は、サイクリングクラブで活動していたことで、だいぶ実現していた。 北海道の大きな自然、自転車での一人旅や仲間とのツアー、アラスカへの旅、そして札幌での 毎日から、私は自身の人生にとって一番大事なことを教わったように思う。それは「出逢いは 人生の糧」ということ。旅先での風景や自然・人、共鳴できる友、逢いたいと強く願う相手、 人々が積み上げてきた知やその表現物 : : : いずれも自身を感動させてくれるものとの出逢いに よって、人は育てられるのだ。だから、自分が体験するものすべてによって、「私」はできあ がっていく。心動かされるものにしたがって、一つでも多くの体験をする人生を生きよう、と。 大学 4 年生は、当然のことながら、その先の自身の将来についていろいろと考えたときであ る。 1 年生のときから、「オーロラの研究をしたい」と周囲に触れ回っていた状態だったので、 周囲にとっても自分にとっても、大学院に進んで研究することは自明のことのように思えた。 私の場合、「オーロラの研究をしたい」ということと「アラスカに住みたいⅡアラスカ大学の 大学院に行きたいーをごちゃまぜにしながら、 " 夢 ~ を追いかけていたような状態だったが、 現実は、オ 1 ロラの研究に必要なプラズマ物理学や電磁流体力学さえまともに勉強しないまま、 へストタイミングで、 片言の英語でアメリカの研究生活を送るなど、とんでもない話であった。、 日本のオーロラ研究の第一人者であった先生が名古屋大学の研究所に赴任するので、「ぜひ うちに来なさい」と誘ってくださった。大変ありがたい話であるのと同時に、自分が思い描い 1 そうだミュージアムをつくろう
陽系の惑星たちは、キロメートルという距離単位を使ってもかろうじて表現しきれる範囲にあ るが、星 ( 恒星 ) までの距離となると、キロメートルでは数字が大きくなりすぎる。地球から 見て太陽の次に近い恒星ーーケンタウルス座の。星ーーまでの距離は、地球から太陽までの距 離のざっと万倍もある。そんな大きな距離を表すために使われるのが「光年、という単位。 光の速さ ( およそ S 万 / 秒 ) で進んで 1 年かかる距離が 1 光年。。ケンタウリまでの距離は 4 ・ 3 光年。その星を出発した光が 4 ・ 3 年かかってようやく私たちの目に届くというわけだ。 1 年のうちでもっとも、きらびやかな明るい星が輝く冬の星々の中で、私が一番好きなのは、 冬のダイヤモンド ( 章扉写真 ) 。こんなにも大きくて、こんなにも安いダイヤモンドは他にな と こ いからね、といつもプラネタリウムの解説の中で語っている。ダイヤモンドの六つの星がそれ る 見 を ぞれどれだけの距離にあるかというのが、おもしろい。シリウスは、 9 光年。つまり、 9 歳の 分 子どもが生まれたときの光を今、私たちは見る。プロキオンは光年、ポルックスは光年、 と こ カペラは光年、アルデバランは光年。アルデバランぐらいまでは、私たちは人生の長さに る 置き換えて、昔を懐かしむように見ることができる。けれども、リゲルは光年、同じオ リオン座にあるべテルギウスは 640 光年、夏の大三角の一つとして知られるはくちょう座の デネプは約光年 : : : だんだんピンとこなくなるが、それでもまだ人間の歴史の年表の 中に入る。そして、私たちが望遠鏡を使わずに、肉眼で見ることのできるもっとも遠い天体は、
うちゅう人とあいました うちゅう人といっしょにうちゅうで一ばんおいしいおかしをたべました あそびました。かくれんぼしました。星のなかをのぞいてみました。 星のなかにかくれてみました。 そしたらうちゅう人にみつかってこんどはおにごっこをしました ずっとおともだちです。 そうなったらいいな うめもとなお ( 6 歳 ) その後、プラネタリウム作品づくりのみならず、視覚障害を持っ仲間たちとも出逢ったこと で、宇宙や星空の体験をしにくい人たちにも星空を、という活動に発展したり ( 8 章参照 ) 、 「ほしのうた」※という楽曲づくりに参加したり、市民による星空文化の発信を次々に行うよ うになった。それは、 2016 年の現在、「星つむぎの村」 ( エピローグ参照 ) に引き継がれて この集まりは、一人ひとりにとっての「居場所」でもあった。星によってつながれ、表現と 感動を共有する。そこには、受容という空気がおのずと生まれた。人は自己表現をし、それを 45 4 心の中の星空をドームに一一 - プラネタリウム・ワークショップ
アムをつくれば、オーロラを科学から見ることも、写真や絵画で表現することも、音楽や言葉 で表現することもできる。多分野をつなぐことができる [ と考えたのである。 これは、とてもいい考えに思えた。自分自身のミュージアム体験はたいしてあったわけでも 。しかし、このときの「直観ーが、ある意味、その後の人生のほぼ軸となってし ないのに : まったのである。そして、その根っこには、「好きなことをやって生きていこう」という星野 さんから学んだ精神があった。 けれども、お金も経験もない。そもそも、自分は「オーロラの研究をする」とみんなに触れ 回っているのだ。いきなり方向転換をする必要もないように思えた。とりあえず、勉強して大 学院にいって、オーロラの研究をやらなければ。大学院の 5 年間は、刺激的な得難い体験であ ると同時に、人生のどん底とも一一一一口える時期の混在であったのは、プロローグで述べたとおりで ある。 大学院での経験は、めぐりめぐって「そうだ、ミュージアムをつくろう」と思いついた自分 にもどってくるのに必要な時間だったのだと思う。そして、あらゆるジャンルをまたぐ「ミュ ージアム」という発想が、のちの自分の仕事の一番のキーワードである「つなぐ」を生みだし ていく元でもあったように思う。 1 そうだミュージアムをつくろう
他者に受け入れてもらうことなしに生きていくことができない。プラネタリウム・ワ 1 クショ ップをきっかけに、発展したこのコミュニティの受容の空気は、星の力に支えられながら、人 が表現しあうことの喜びによって生み出されたものなのだろう。
」というネット掲示板で、「オーロラストーリーーのことをだいぶ話題にしてもらったおか げだった。その掲示板を主宰していたのが、大阪在住の鳥海直美さんだった。彼女は、私と同 年代で、社会福祉を専門としていた。彼女の読む書物、聞く歌、目にする風景、それを表現す る言葉はどこまでも美しく、私は彼女の表現力を心底うらやましく思うと同時に、互いに刺激 し合える仲になったのが誇らしかった。 っ を 人と向き合う福祉という仕事にありながら、常に宇宙という視点を持っていた彼女から、私 が得たものは計り知れず大きい。彼女と仕事をする、つまり宇宙と福祉の接点は何だろうと考 祉 福 えていたときに思いついたのが、「いっか病院や施設でプラネタリウムーということだった。 療 医 けれども、そのころはまだ、宇宙と福祉・医療という分野が本来的なところでどうつながるの か、ということについて自身の中で腑に落ちるものはなかった。 を 年のプラネタリウム・ワークショップにはじまった「星の語り部」の活動 ( 4 章参 ち の 照 ) 、年の「戦場に輝くべガー約束の星を見上げてー ( 章参照 ) 、年の「星 て つむぎの歌」 ( 7 章参照 ) など象徴的な活動から多くのものを学んだ。それは、「生き死にーをを 考えることと、宇宙を知ることの近さである。 ー 49
ショップ」というアイデア。プラネタリウムはほぼ、一方的な知識伝達スタイルが典型的なも のであるが、そこに、相互作用やコミュニケーションが大前提である「ワークショップ」とい う相反する概念をつなげてみたのである。それを思いついた日、大阪にいる友人に興奮したメ ールを送っていて、そのメールがまだ手元にのこっているので、日付もばっちりわかる。二つ の一一一口葉を結びつけただけだったが、そこには副題があって「星と人の関係性を取りもどす、と いうものだった。そして、そのメールにあった一一一一口葉は、「自分の星座づくり、スライド & 朗読 ワーク、スターナビゲーション、音の持っ力、生命の根源とつながり、関係性の物語、自己表 現の場としてのプラネタリウム : 一見この意味不明な言葉の数々 : : : を理解してくれそう なのは、当時、このメールの相手ぐらいしかいなかったのだろう。けれども、日本中のプラネ タリウムのどこでもきっとやっていないことであり、それが全国に広がっていくかもしれない 様子を思い描いて興奮し、その夜は眠れないほどだった。プラネタリウムが受動的ではない、 人々が主体的に表現できる場になる。プラネタリウムというメディアを特徴づける「ドーム空 間・星空・暗闇・言葉・音楽・映像ーという場の力を使って、人々のコミュニケーションの場、 表現の場としていけるだろう、と思った。 前例のない、しかも概念さえないものを実行するのは、特に公共施設という場にあっては、 なかなか困難をともなう。しかし、幸いにも、当時の上司にあたる人は、この興奮を話せる相
「あなたの宇宙のドラマをきかせてくださいーと呼びかけ、星にまつわる詩を公募し選んだも のと、谷川俊太郎さんの絵本「ほしにむすばれてーを連詩のように組み合わせてつくったプラ ネタリウム番組が「 Memo ュ es ーほしにむすばれて」※である。全国から素敵な詩が noo 以 上集まった。 人は、星空との対峙によって、遠くから自分を見つめなおし、そして、自身の内面を語りだ す。それは、「なぜ、人は星を見上げるのか」という問いに対するこたえのようなもの。人々 が表現する宇宙は多様でありながら、どこか普遍性があるように思う。それを少し目に見える 形にしてみたい。 ☆夢、励まし、そして希望 わたしのしようらいのゆめはピア一一スト / お空を見ているとたのしくて / ピアノをひき たくなります ( 小学生 ) つかれて生きるのがいやになったとき、 / しらないうちに夜空の星を見ていた。 / とてもきれ いで心がやすらぐ。 / また明日からがんばろう。 ( ペンネーム流れ星歳 ) 1 3 ほしにむすばれて一一人、と宇宙のドラマ