がみられました。 正確さがさほど求められない時代に にある教会の鐘などを頼りに大まか 列車に乗って移動している間、 はあまり気にならなかったもので な時間を把握していれば生活に支障 人々は馬車や徒歩で移動している時す。しかし鉄道が発達すると乗り がありませんでした。 , 彼らの収人は とは異なり、景色をゆっくり楽しん換えなどの事情から規則正しいダ働いた時間というよりはその生産量 だり、季節を肌で感じたり、立ち寄イヤが求められ、時間の統一が必 で決まるため、人々は時計を気にか る店の店主と話をしたりする機会が要になりました。そこで一八四〇けなくても特に不自由を感じなかっ 奪われ、進むべースも自分では決め年頃、鉄道会社によって時間の統たのです。とりわけ自分の田畑で働 られずに極めて受動的な空間と抽象 一が実施され、その後、鉄道中央 く農家の人は仕事に対して遅刻や早 的な時間の中に閉じ込められること機関 (Railway Clearing House) が設退という感覚もなく、天気を見なが になりました。そして移動空間の中立されると、グリニッジ標準時が全 らの比較的自由な労働形態でした。 で乗客の関心事は、到着時の時刻と ての路線に共通の時間として取り人 ところが工業化に伴い、多くの人 その所要時間にばかり集中し、時間 れられ、時刻表も活用されました。 が工場で働くようになると、労働者 は主観的な知覚から切り離されて事これにより時間は自然と一体化した の勤務時間はそのまま自分の給料に 務的なものへと変化していきまし もの、人々の生活から派生するもの 反映されるため、人々は時間を事務 た。移動の間、景色を感じる空間が といった感覚が否定され、無機質で 的な数字として見るようになりまし 途絶えてしまったように、その土地人々を管理するためのものという認 た。また経営者の側でも、社員の遅 で楽しむ時間もまた消失したように識が広がっていったのです。 刻や早退を正確に記録し始めまし 感じられたのです。 さらに、この時代の時間の感覚に た。その結果、工場労働者の多くが その上、鉄道路線の拡大に伴い、 は鉄道の発達に加え、工場労働者の 時間に管理される感覚をもつように それまで存在していた地方固有の時 割合が増えたことや時計が普及した なったのです。 間も消えていきました。もともとイ ことも大きな影響を与えています。 かって農村部で生活していた者に ギリス国内には時差がありました。 多くの人が農業、漁業、林業、手工 とって、時間は″ pass するもの〃 これは交通手段にスピードや時刻の業に従事していた頃、人々は町や村 ( 進むもの、過ぎ去るもの ) でし
言動だといえるでしよう。たとえば収縮と拡大という二重の現象をもた ( 8 ) らした点です。すなわち郊外と中心 第五章で、アリスはアオムシに「あ んたは誰 ? 」と聞かれ、「あの、わ 部の間の距離感の収縮は、視点を変 たし、よくわからないんです。 えれば中心部の拡大にもつながった と考えられます。物語の中でアリス 自分がわからないんです」とあいま いな返事を繰り返しています。アリ の体が伸びたり縮んだりする現象 スは自身の体のサイズがコロコロ変 は、当時の発明品であるカメラのピ わることで混乱しているのも事実で ント合わせのイメージでもあります すが、同時に頻繁に空間を移動し、 が、同時に人や物が簡単に行き来す ある場所との関わりを持たないがた ることで生じてくる距離感の収縮と めに自己のアイデンティティを見失拡大というテーマを想起させます。 っているとも考えられます。空間を 列車に乗っての移動は、それ以前 あわただしく移動するアリスから と比べて途中の空間を味気ないもの は、交通網が急速に発達し、まるで にしてしまいましたが、その一方で④時間に対する新たな概念 チェスの駒のようにあちこちと移動空間の拡大と収縮という新たな感覚 pass から spend へ し始めた当時の人々の様子を読み取を人々にもたらしました。その結 次に人々の時間に対する感覚につ ることもできます。 果、たとえ地方でもスポーツ観戦へ いて見てみましよう。前述したよう またシヴェルプシュが指摘するよ 出かけたり、列車に乗ってリゾート うに、鉄道の登場によって人々の空 へ旅行したりという文化が生まれ、 に、シヴェルプシュは鉄道の登場に対 の 動 よって伝統的な時間の流れに変化が 間に対する概念と速度に対する認識人々の活動範囲は一気に広がってい 移 にも変化が見られたことは重要でし きました。ヴィクトリア時代はまさ見られた点に着目していますが、事部 第 よう。それは鉄道の速度が空間の収に「移動の文化」の始まりだったの実、ヴィクトリア時代には空間と共 です。 に時間に対する概念にも大きな変化 縮という単一現象ではなく、空間の リヴァプール & マンチェスター鉄道開通式の日 ( 1830 年 9 月 15 日 ) ( 8 ) Geschichte 施ド E な夜防ロん〃尾なら p. 37. 2
00 、 0 ~ 、 0000 、 00 、 00 シヴェルプシュ 『鉄道旅行の歴 G chic は 0 き 0 て の工場」としてのイギリスが海外に を吹き付け、その中の酸素の作用で はがね のる 分みⅳ ア。ヒールされました。万博ではその不純物を取り除き、鋼 ( 刃物やぜん 自て〃 ・え ス考励 建物だけでなく、会場内にも最先まいに使う強靭な鉄 ) を製造する画 リてな アい 端技術の工業品がずらりと並び、 期的な方法です。このべッセ「ーの・洋一 るつ すに ・話テ 一〇〇台も展示されたイギリスの鉄発明によってそれまで多くの産業で ( 一 ・勹ア - レ」イ 不足していた鋼が大量生産できるよ 道車両は見る者を圧倒しました。 ~ オデ その後もイギリスの製鉄業は発展うになり、ヴィクトリア時代の後半 し続け、一八五五年には製鉄界を揺には鋼がさらなる経済発展の原動力 となりました。 場する以前、人は馬車あるいは徒歩 るがす世界最大の発明の一つ、ヘン である村から別の村へ移動し、そこ リー・べッセマー (Henry Bessemer, ではみな風景空間の中に織り込まれ 1813 ・ 1898 ) の熔鋼転炉法が登場し③空間に対する新たな認識 ていたといいます。すなわち人は移 ました。これは融解した銑鉄に空気 『鉄道旅行の歴史』 (Geschichteder 動の過程において道端に咲く花の色 や香り、木々の間から聞こえる鳥の E 夛 b ミ e 1979 ) を書いた批評 さえずり、朝露や霜の感触、変化す 家のヴォルフガング・シヴェルプシ る雲の様子、体感温度などを直接五 ュ ( WoIfgang Schivelbusch, 1941 し 感で感じ、人間の小さな発見や感動 は、鉄道がもたらした現象の一つに ( 5 ) も含めて風景全体が構成されていた 従来の「時間と空間の抹殺」を挙げ という解釈です。ところが列車に乗刻 ています。ここでいう抹殺されたも の 動 って場所を移動すると、そのスピー のとは、人々にとっての伝統的な空 移 ドから人間の目は景色を追うことが部 ・間と時間の連続性です。まず空間に 第 できず、ほとんどの者が乗り物の中 ついて見てみましよう。 でその移動時間を睡眠や読書、おし シヴェルプシュによると鉄道が登 2 2
鉄道網の発達 ( 本城靖久『トーマス・クックの旅ーー近代ツーリズムの誕生』を参考に作成 ) ア / ヾティーン パースダンディー 工ティン / 、ラ カーライル 北海 北、海 ダシティー . 工ティ・ン / ヾラ リーズ マンチェスター / ッティンガム ラフ / ヾラー・ レスター / 、一ミンガム ラグビー グラスゴー グラスゴー ニューカッスノレ ウィットビー スカー / くラ ニューカッスノレ メ炙リポをト フリトウッド ーリヴァプ→レ リーズ マンチェスター レスター ラグビー ーフリートウッド リヴァプ→レ ーホーリーヘッド / 、一ミンカム ノリッチ ロンドン ドーヴァー ロンドン カ = ティフプリストル ェクセター プリマス ガーティフ 工クセター プリストル サウサンプトン サウサンプトン マイル マイル 1852 年の鉄道網 1840 年の鉄道網 ゃべりなどに費やしてしまいます。 窓の外の景色がない地下鉄に関して は尚のことでしよう。その結果、移 動の途中の空間は人間と一体化した もの、味わいのあるものから、見え ないもの、無機質なものへと変化 し、また人間自身も「単に目的地に ( 6 ) 運ばれる荷物」と化して、受動的な 時間と空間の中に取り込まれるよう になったのです。 地理学者、エドワード・レルフ ( Edwa 「 d Relph, 1944 ・ ) は、空間は 人間との関わりの中で名付けられ、 意味のある場所になって人間にとっ てのアイデンティティを獲得すると 述べていますが、この主張とアリス のアイデンティティの喪失のテーマ は深く関係しています。物語の中で アリスはしばしば自己のアイデンテ イティについて自間していますが、 いずれの場合も歯切れが悪く、即答 することができません。これははっ きり物を言うアリスには似合わない ( 6 ) G ビ、 c ん c んイ夜・ E なの防襯哲 , p. 40. ( 7 ) Edward Relph, 門“ビ cu P cel に、砌ビを参照
第 1 章第を 広がる空間 し、一八三〇年にはリヴァプールと バケチ ロロンの の「マも マンチェスター間でも新たに鉄道 〇電気機関車の誕生と地下世界 子車 & た 息関ルれ が開通して、一度に多くの人と物 が機一さ ン気プ用 ソ蒸ア使 『不思議の国のアリス』において、 の移動が可能になりました。また ンたヴで ヴし丿道 ヴィクトリア時代の幕開けと共に 一唯い主人公アリスの特徴を表す一言動の一 テと号タ つは「移動」することです。すなわ ストトス ( 一八三七年 ) 、より速度の速い電気 ち、アリスはある空間から別の空間 機関車が登場し、路線も大幅に拡大 へ頻繁に移動しています。この空間 していきました。一八三七年からの の移動と拡大というテーマはヴィク 一〇年間で鉄道会社の数は一〇倍以 ( 2 ) トリア時代を語る上で重要なテーマ 上 ( 五七六社 ) に増えたほどです。道 の一つになっています。 方、地下鉄に関しては一八六三 ン ダ イギリスでは発明家のリチャ年、グレート・ウエスタン鉄道 ン 4 ド・トレヴィシック (Richard ク ( G 「 eat western RaiIway ) のターミナ ス Trev 一 ( h 一 c 1771 ・ 1833 ) や技術者ル駅であった。ハディントンからロン 車 のジョージ・スティーヴンソン ドン発祥の地といわれるファリンド 気 ン・ストリート ( 現在のファリンド ( Geo 「 ge Stephenson, 178L 1848 ) ら の功績により、一八一五年に世界で ン ) まで世界初の地下鉄が開通しま界 ) 世 初めて蒸気機関車の営業運転が開始 した。これにより人間の活動の場は 4
左の挿絵を見るなりました。 と、アリスはドア バッケ を開けて次の場所ジ・ツアーを。 ( フ丿、移動しようとし考案し、それ一、も一 ています。ヴィクを実現させた に車 な等 トリア時代はそれのは、「近代 まで以上に人と物ツーリズム に第で等 がめまぐるしく移動する時代でしの父」と呼 じか た。ここでは、この時代に生まれた ばれるトーマ 「団体旅行」 ( バッケージ・ツアー ) ス・クック (Thomas Cook 乙 808 ー 社も遂に承諾し、七月五日の大会当 について見てみましよう。これによ一 892 ) です。彼はイングランドの日、彼は五七〇人の同志たちを集め りそれまで富裕層の娯楽であった旅レスターというところで印刷業を営てレスターからラフバラーまで日帰 行が、庶民にとっても身近なものにんでいましたが、禁酒運動にも力をり団体旅行を実施することに成功し 、冫いでおり、一八四一年にレスター ました。これは記念すべき世界初の 近くの町で禁酒同盟の大会が開かれ バッケージ・ツアーでもありまし る際には、多くの人がそれに参加すた。クックはその後も旅行をいくっ ることを見込んでパッケージ・ツア か企画し、クックの提案する旅は格 ーの企画を思いっきました。同じ日安で快適で安全だと評判を得るよう の同じ時刻に同じ列車へ大勢の人が になりました。 、乗車することを確約する代わりに、 そして一八五一年、ロンドンで世 運賃を下げるよう鉄道会社に掛け合界初の万国博覧会が開催された折に ったのです。 は、クックがその本領を発揮しま クックの熱心な説得により鉄道会す。ミッドランド鉄道の社長とクリ ↑トーマス・クック による最初のパッケ ージ・ツアーの様子 ( 1 841 年 ) ←クックが企画した 旅行の宣伝パンフレ ット。クックの会社 はのちに世界屈指の 旅行会社に。 4 材 A 村 ( 0 市ン・
いに , リヴァプール & マンチェスター 鉄道の 1 等客車。通称「トラベ には屋根と窓、カ ーテンも付いている。 ら不純物を取り除いたコークスを燃 紀後半に石炭を燃料とする蒸気機関 料とする方法 ( コークス高炉法 ) を と石炭を用いた製鉄の両方を実現さ 考案し、この問題を解決しました。 せ、産業革命への道を歩んでいくこ また、同じく製鉄業者のヘンリー・ とになります。 コート (Henry cort, c. 174L1800 ) 一九世紀に人り、製鉄業の発展を も反射炉を利用したパドル法を発明促したものは交通革命です。特にリ し、それまで木炭に頼っていた銑鉄ヴァプール & マンチェスター鉄道が を可鍛鉄に変える工程でも石炭を使 開通した一八三〇年以降は、蒸気 うことに成功したのです。これによ機関車とレールの製造が製鉄産業 り製鉄の全過程で石炭が燃料として の勢いを加速させました。事実、 使われることになり、イギリスでは 一八三八年までにイギリス国内で建 森の荒廃に歯止めをかけられたばか 設された鉄道の総延長は四八五 ( 4 ) りでなく、生産地をさらに広げて製に達していたといいます。イングラ 鉄でも世界をリードする存在になり ンド中西部のセヴァーン峡谷に架 ました。 けられたアイアン・プリッジ ( lron さらに技術者のジェームズ・ワッ Bridge) をはじめ、この時代に作ら ト (James watt, 1736 ・ 1819 ) が蒸気 れた数々の鉄橋は、鉄の時代のモニ の圧力を機械的エネルギーに変換す ュメントとして注目されました。 る回転式蒸気機関を発明すると、そ そして一八五一年に開催されたロ れが製鉄業にも導人され、渇水など ンドン万国博覧会では、三〇万枚 誌 天気に左右される水車の問題からも のガラスと四〇〇〇の鉄骨から 文 解放されました。このような技術の 作られたクリスタル・パ レス (The 鉄 進歩によって、イギリスでは一八世 CrystalPa1ace) が披露され、「世界 かたんてつ
第 - 章咢見せる空間 / 魅せる空間 カラス建築という魔法 ヴィクトリア時代、人々に多大な 影響を与え、新たな概念を生み出し たものに鉄道とガラス建築が挙げら れます。それはどちらも人々のライ フスタイルを変化させ、それぞれ 「移動の文化」と「視覚の文化を もたらしたからです。 先に引用したシヴェルプシュも、 鉄道とガラス建築の二つが当時のイ ギリスが誇る技術力や生産力を表し ている点に言及しています。特に積 載能力や硬度の高い鉄と、空間収容 力や美しさを兼ね備えたガラスとの 組み合わせがガラス建築に用いら れ、まるで夢のような空間を作り出 ロンドン万博の会場となったクリスタル・パレスの設計者、 ジョセフ・パクストン (Johseph Paxton, 1 803 - 1865 ) ①・ イ タ ス ン シ ン ウ れ ま 生 時 ア ク したことは意義深いでしよう。ガラ ス建築によって誕生した駅舎や展示 会場、屋根っきの遊歩街、店のショ ーウインドーなどはそのきらめく空 間によってそこにいる人々を魅了 し、またガラスを介して展示された 学 THE UNIVERSITY OF OXFORD 、 H00 ・ らこ二を二ー 一盟田盟 ( l) Geschichte ′・ E わ〃尾なに , p. 45. 4 4
、。月 , 7 日、→ギ。 = 蒸気機 ・、閃車を甫し、た世界初の公共鉄スト ン & ダーリントン鉄道が開通。こ の白、運転手を務めたのは鉄這の」 と呼ばれるジョ・スェイーヴン、 . 」提供 : Bridgeman lmages/ アフ朝 )
グレート・ウェスタン鉄道 (GWR) ロンドンとイングランド西部およびウェールズ を結んでいた鉄道。機関車の色はプランズウィ ック・グリーン。主任技術者はイザムバード・ キングダム・プルネル (lsambard Kingdom BruneI, 1806 ー 1 859 ) が務めた。 ~ 、 i い国ハい 地上だけでなく、地下世界にまで 気に広がりました。まさに人々にと ( 元 ⅸア っての空間の拡大です。それは翌年 - にはパディントンからハマースミスⅣ - へ、一八六五年になるとファリンド ン・ストリートからムアケートへとⅧ町 上上 路線を拡大し、交通渋滞のない地下 ペペ 鉄は早くて便利な人気の乗り物にな 右左 りました。 作者のルイス・キャロルが『地図 下の国のアリス』 ( 」ミ」斗 e ミミご 一、 , ・・ U 、ミ、、 G きミミ 1864 ) を完成させた 。 ! 前年に地下鉄が開通したことは偶然 ではないでしよう。完成するまで地 下鉄はイギリス国民の間で話題にの ぼり、キャロルもこの地下鉄に何ら かのインス。ヒレーションを得たと思 われるからです。事実、『地下の国 のアリス』では、アリスは深い穴に刻 落ちて地下世界へと人り込み、地下動 道を進みながら不思議な体験をして部 いきます。その際、各場面で出会う 生き物たちは一部を除いて互いに交 『鏡の国のアリス』 で電車に乗るアリス