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検索対象: 性犯罪被害にあうということ
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1. 性犯罪被害にあうということ

不調については知らされなかった。失調症の彼女は紹介された仕事を無断で休み、 早退を繰り返した。友人が理由を尋ねても、「自律神経失調症だから」と謝罪どこ ろか病気を盾に開き直り、以後三カ月ほどで仕事を辞めてしまったそうだ。 友人はとても憤慨していた。 「なんでそんないい加減なことができるのか分からない " こ 「働く気がないなら私のところに来ないでほしかった ! 」 「自律神経失調症とかいうのに甘えてるだけなんじゃないの」 それに対し、私はこう反論した。 「できないんだよ。自分の感情を操作できないんだもん」 ここから私と友人の討論が始まった。 「なんでできないの ? 甘えだよ」 「だって、自律神経失調症なんでしょ ? そういう病気なんだから仕方ないじゃ 「じゃあ、働けないなら最初から紹介してなんて言わなきゃいいじゃないのー 「だから、精神的に不安定だから、『働かなきや』って思うときがあって、そのと ん」

2. 性犯罪被害にあうということ

133 放熱 いくつかに電話をしたり訪れてみたりしたが、電話に出た受付の人や、白衣を 着たカウンセラーに、「辛かったですね」「わかりますよ」と、嘘くさい言葉や笑 顔を浮かべられ、「もういいです . と逃げてきたところが何軒あったことか 武蔵野大学の敷地内にある、心理臨床センター そこで私は二週間に一回、カウンセリングを受けることにした。 事件後二年以上経ってからのことだった。それまではコントロールできていた はずなのに、夜中の動悸と、仕事帰りの足の竦みが何度も訪れ、他人に迷惑をか けるまでは至らないが、毎日の生活に支障をきたし始めた。 汚点のようなものを隠して生きることへの憤り。罪悪感や汚点と感じることへ の矛盾。 その矛盾に気がついたとき、自分でそれを認めることができなくなっていった。 その説明を電話でする自分が情けなくて仕方なかった。三年も経っているのに』 と、いまさら他人に頼ることも情けなく感じた。 電話に出た女性が、多少の話と概要を聞き、言ってくれた。

3. 性犯罪被害にあうということ

いたことがすべてとしか記憶がない私には、時間が余り過ぎるのではないか。 部屋に戻った私は、一人で眠ったのだろうか : 私は六時に起きて、仕事に行った。長時間泣いていたせいで瞼が腫れ、ひどく 不細工な顔だった。彼も仕事だったので、朝、目覚ましついでに謝罪の電話を入 れた 「お前、仕事行くのか ? こんな日くらい休めよ : : : 」 そんな返事が返ってきたが、仕事を休む理由が見つからない。 「こんなことで仕事を休んでいいの ? なんて言って休めばいいの ? ホントの ことなんて言えないよ ! 」 「体調悪いって言えばいいだろ ? 」 「なんで嘘つかなきゃいけないのよ ! 」 「じゃあホントのこと言うのか ? そんなことまで正直に言わなくたっていいだ 「ごめんね、ありがとう」の電話だったつもりが、喧嘩になってしまった。 まぶたは

4. 性犯罪被害にあうということ

き過ぎて」といった理由でごまかしていたが、段々と手際がよくなり、濡れタオ ルを凍らせて目を冷やす・温めるを繰り返して目の腫れを最小限にし、周囲にバ すべ レない術を覚えていった。目が腫れ、食欲がない理由のレバートリーも、徐々に 増えていった。 仕事に行くことは、苦痛ではなかった。毎朝決まった時間に起きて、仕事に行 く。このリズムを保つことが、唯一自分が事件に呑み込まれていないことを証明 することであるかのように思っていた。 社会とは甘えの利かないところだという規範意識 ( 私の勤めていた司法書士事 務所では、特にその意識が強いように思えた ) が、良くも悪くも私を律していた。 「仕事中は余計なことを考えないで済むから」 それもある。仕事の相手には、適当に嘘をついて話していることができたから、 感情も動くことがなく、記憶もなくいつもどおりに時間が過ぎていた。 対照的に家に帰ってからの時間や休日には、泣き通した記憶だけが残っている。 しばらくは友人との連絡も絶ち、遊びに行くこともなく、仕事以外の時間は家の お風呂でただ泣いていた。 ぬ

5. 性犯罪被害にあうということ

それでも、日記をつけるという作業は、本当は誰かに何かを伝えたかった当時の 私の必死な行動だったと思う。 日記は、「シンちゃん」と別れた二〇〇一年五月二十二日で終わっていた。 毎日の生活は、「いつもと変わらない日常」をこなすことで精一杯だった。仕事 や社会生活など、周りに他人がいて事件のことを公言できない場での私の生活は、 「何かあったと悟られないように」過ごし、それまでと変わらないように見えてい たと思う。実際、時間の速さや生活のリズムは何も変わっていなかった。 しかし、一人の時間には、それまでと同じ生活はまったくできなくなっていた。 食べることも忘れてしまう日々が続いた。ひと月で十三キロも体重が落ちた。 そもそも、生きる気力を失った人間が、食べようと思うわけがない。辛くて食べ られないのではなく、食べる必要がなかった。だからお腹も減らなかった。昼休 みは飲み物を片手に、ずっと歩き続けていた。一時間すっと。 仕事中、私は外回りの仕事があるため電車での移動が多く、一人になる時間が

6. 性犯罪被害にあうということ

169 合流 『性犯罪被害者のことを知ってほしい』 と思う気持ちは、どんどん大きくなっていった。 たくさんの被害者に会える仕事へ転職を決めた。 法律相談に訪れる人の対応をする仕事。性犯罪の被害者ではなかったが、悩み を抱えた人たちが情報を求めて問い合わせたり、訪れてくるところ。 毎日、ひっきりなしに電話がかかってくる。 事件から四年半が経ち、こうして書き留めていくうちに、気持ちや事実の整理 かずいぶんできてきた。 何かが片づいた感じがして、自分に起こったことも、把握できてきた。

7. 性犯罪被害にあうということ

そして日に日に、 『足りなかったものを補いたい』 『何かしたい』 という気持ちが大きくなっていった。 一人でも多くの被害者の声を聞きたいと思い、週に二回、仕事後に心理カウン セラ 1 育成の専門学校に通い始めた。 しかしここでも私は納得できないまま、むしろ反感を抱きつつ授業を受けるこ ととなる。 最初の授業。 「どんな人を相手にしたいか、どんな仕事をしたいか、どんなことに役立てたい か明確なものがある人いますか ? 」 という質問に、誰も手を挙げないので、私は、 「犯罪被害者、特に性犯罪の被害者の危機介入やカウンセリングをしたい。私自

8. 性犯罪被害にあうということ

61 日常生活 珍しくなかった。仕事や生活に支障がないように、私は電車に乗って移動すると きなど、目的地に着く頃に携帯電話のアラームが作動するようにセットしたりし ていた。 毎日必すそんな身体症状が出、精神的に不安定な日が続くことが当たり前のよ うになっていった。 でも、自分の頭がおかしいとは一度も思わなかった。「いま」が事件当時とは違 うことの判断はついていた。『いまは大丈夫だ』『いまは襲われてはいない』とい う認識かあるため、その苦痛が持続して抜け出せないことは、少なくとも私には なかった。社会に出ている間は、問題なく仕事をこなせていた。たとえ気持ちが ついていかなくても、やるべきことはやっていたのだ。 強い不安や身体症状、フラッシュバック : ・ : 。私が呈した症状は、まさに ( 心的外傷後ストレス障害 ) だったのかもしれない。私は精神科を受診して いないが、類似しているなあと思う点はいくつかあった。しかし、

9. 性犯罪被害にあうということ

198 とはいえ、「仕事」として私の話を聴いてくれようとする人たちは、まだまだ私 たちの声を理解して拾ってくれているわけではない。 取材の場で交わした約東を断りもなく破るなど、テレビとは、新聞とは、こう しなければ成り立たないと、当たり前のように「仕事」と割り切ってぶつかって くる 顔を出しているからもう大丈夫だろう、それなりの覚悟ができていて名前も顔 も出したのだろうと思われている気がしてならない。 それじやダメなんだ、と分かってもらうために、私は顔と名前を出した。 顔を出したから、人の希望に全部応えられるのではなくて、私たちの希望に応 えてもらうために、正しく希望を聞いてもらうために、私は声をあげた : : : つも 既存の環境に当てはめるのでは、、 しままでと何にも変わらない。 いまのままじやダメだから、伝えなきやと思ったんだ。 きちんと、要望を伝えていきたい。 士↑も 伝えなくちゃと思う半面、私には、護らなきゃならない場もある。私が声をあ

10. 性犯罪被害にあうということ

189 法律相談の業務に転職して、私は予想以上に多くの被害者に出会った。法律に かかわる仕事を選んだのは、そのためだった。制度や機関の情報も増え、裁判な どの仕組みも見えてきた。 仕事以外にも、性暴力被害者の自助グル 1 プ運営を手伝い、「仲間」ともいえる、 いろんな被害者に会うこともできた。 被害者の相談を電話ロで耳にする一方、加害者といわれる人たちに弁護人を付 する業務も経験し、事件の事実について、被害者側でも加害者側でもない、裁判 官や検察官の視点で書かれた書面も目にした。 性犯罪であれば、被害者の心情はもちろん、加害者の事情も書かれている。 感情移入とまではいかなくとも、ふと、自分を当てはめてみることもあった。 私は被害経験者だ それから