感じたりしてしまうのではないか。 刑事さんが私に言った言葉は、そんな例をたくさん見てきたからなのかもしれ ない。そんな意味でも、犯罪は、被害者とその周りの人々、そしてその関係にま で大きな影響を及ばすことがある そして私のわがままはどんどん暴走した。それは態度として表れる前に、心の 中に芽生える他人への不信感や、他人を見下すような思考回路として表れた。 「俺の辛さがお前に解るのか」 ( 彼 ) 『じゃあ私の辛さは解るの ? 』 ( 私 ) 「父さんだってな、人に聞いたりしてお前にどう接したらいいか考えてんだー お前はそんなこと知らないだろ ! 」 ( 父 ) 『私が男に何をされたのか、何を言われたのか、知らないでしよう ? 結局は私 の望むように接してくれないじゃん』 ( 私 ) おれ
133 放熱 いくつかに電話をしたり訪れてみたりしたが、電話に出た受付の人や、白衣を 着たカウンセラーに、「辛かったですね」「わかりますよ」と、嘘くさい言葉や笑 顔を浮かべられ、「もういいです . と逃げてきたところが何軒あったことか 武蔵野大学の敷地内にある、心理臨床センター そこで私は二週間に一回、カウンセリングを受けることにした。 事件後二年以上経ってからのことだった。それまではコントロールできていた はずなのに、夜中の動悸と、仕事帰りの足の竦みが何度も訪れ、他人に迷惑をか けるまでは至らないが、毎日の生活に支障をきたし始めた。 汚点のようなものを隠して生きることへの憤り。罪悪感や汚点と感じることへ の矛盾。 その矛盾に気がついたとき、自分でそれを認めることができなくなっていった。 その説明を電話でする自分が情けなくて仕方なかった。三年も経っているのに』 と、いまさら他人に頼ることも情けなく感じた。 電話に出た女性が、多少の話と概要を聞き、言ってくれた。
73 日常生活 『しようがないじゃん。他人の手で生活や気持ち、身体までを乱されたんだから。 私のせいじゃないんだから、あんたたちがどうにかしてよ』 と、いつも誰かに責任を押しつけて周囲に甘えていた。 『私の身体が理解しているからそれでいい』 と、自分本位に理解しているつもりだった。 そんな勝手な理解からか、思い込みからか、 『私が事件にあったことを知る人には、私を護る義務がある ! 』 という押しつけがましく依存的な、信念にも近い強い感情が生まれた。事件の ことを武器のように切り出し、周囲の人間を、私を護らなければいけない状況に 追い込んでいた。 人に押しつけつばなしだった。 『護られて当たり前』 とさえ思っていた。
164 道具として使われた。 私は、いまどこでどうしているかも知れない加害者を許すことができない しかし、私が許せないのは、彼ら個人ではなく、彼らが自分の興味や欲望を満 たすためだけに他人を巻き添えにしたことである。彼らはきっと、何も気づいて いないだろうし、もう私のことなんか忘れているはずだ。 もしも覚えているのなら、「ごめんね」と思っていてほしい。 AJO ある日、「シンちゃん」からパソコンに、曲と詞が送られてきた。「お前が聴け」 私が好きな、 Mr. Children の「タガタメ」という曲だった。 メッセージ性が強いので、すぐに化せすにラジオ限定で流すことから始ま った曲。
85 ニ次被害 ついたり、他人に迷惑をかけるようなことをすると、徹底的に怒られる。父のお しか 説教は、何時間にも及び、母のお叱りも妥協を知らなかった。 小さい頃は、言うことを聞かないと手足を縛られて押し入れに閉じ込められた 家から閉め出されたり。 泣こうがわめこうが、反省して謝るまでは、許してもらえない 「ロの利き方が悪い ! 」 と、殴られたりもする。たとえそれが父の聞き間違いであったとしても、謝る のは子どものほうだ。 万が一、それを指摘して、 「お父さん、謝ってよー なんて言った日には、 「親に向かって謝れとは何事だ」 と、手が飛んできて、その後延々とお説教をされる。 もちろんその間、正座。 口先だけで「すみませんでした」と言っても通用せず、何を反省し、何に対し
31 事件 私は嘘をついた。 「どうして分かるの ? と聞かれ、一瞬言葉に詰まった。 「だって : : : 、初めてじゃないですから」 「何を入れられたの ? 「そこまでは分からない。でも違う」 もてあそ 事実、人体ではないものも入れられ、弄ばれた。それは確かだった。それくら いのことは、解る 「じゃあ、何かでいたずらされたんだ。おもちやか何か ? 「解りません。でも、すごく痛かったし、私、今日生理だから、嫌だったんじゃ ないでしよ、つか , 事実と嘘が、めちゃくちゃだった。聞いて助けてほしい気持ちと知られたくな い話したくない思い出したくない気持ちが交ざり、中途半端な証言になってしま っていた。警察というよりは他人に対する防衛本能、拒否感は自然に芽生えてい た。たとえ相手が警察とはいえ、初対面の人をいきなり信用することができなか
109 ゼロ地点 「シンちゃん」と別れたことで、事件のことを口に出す機会が減ったせいか、私 は、表向きの生活に支障をきたすことはなくなっていった。 大声で泣き叫んだり、誰かに当たったりすることもできなかったから。 不思議と、他人といる私は、事件のことを隠し、思い出さないようにし、ひと りになる時間を待っているようだった。 辛いはすの思いを吐き出す時間がほしかったのだ。 部屋に帰ってひとりになれば、誰の目を気にすることもなく自分の気持ちと向 き合える : : : 。溢れてくる恐怖や涙、震え、記憶、フラッシュバックを受け入れ るしかなかった。 後の夫には、つき合ってから四カ月くらい経った頃、事件のことを話した。 詳細は話さなかった。 ただ、レイプされたことがある、とだけ伝えた。 気分が悪くなって吐いてしまうことは相変わらず伝えられなかった。 彼は、
37 事件 私は、職場に欠勤理由をどう伝えていいのか分からなかった。風邪だと偽れば よかったのかもしれない。難しいことではないはずなのに、できなかった。優先 すべきものが、私にはいまでもわからない 結局、私は事件後、事件のショックを理由に欠勤することも遅刻することも一 度もなかった。 今考えると、「事故にあった」とでも言えたはすだ。しかし、そのときの私には、 事件のことを隠すことや、言えないことへの疑問や反感、悔しさがあり、事件そ のものを偽って伝えることに抵抗があった。どこまでを他人に話し、どこからを 隠したらよいのかの判断がっかず、本当は誰かの口から休む理由を伝えてほしか った。 職場に行くと、 「瞼が腫れてるけど大丈夫か ? 具合でも悪いのか ? 」 と聞かれてしまった。 「昨日彼と喧嘩して泣いちゃったんです [
182 『分かってもらえない』 と思、つことは、正解ともい、んる 実際、直後の動揺や硬直や恐怖や混乱を誰よりも強く感じているのは本人なの だから。いまの私がまたあの感覚に戻れと言われたら、私は全力で逃げるだろう。 思いっきり被害者面すれよ、 ( しい。だけど、私や「りようちゃん」がそうだった ように、被害者「面をしていた自分を客観的に見られる日が、いっか必ず来る はす。いっか必す、自分が感じられなかったことを、自分のこととして感じるこ とができるはす。これは気休めでも何でもなく、私たちが身をもって体験したこ となんだ。 ″事実を受け止める〃こと。 これが被害者にも周りの人たちにも、何よりも必要なことなのではないか。 事実とは : 被害者にとっては、 「被害にあい、自分の身体や気持ちが傷ついていること。そしてそれは他人の手
156 そうじゃないんじゃないの ? もしかしたら、そのお母さんの行動は、正しいのかもしれない。見ている人間 が同情し、犯罪への怒りを新たにするかもしれない。 でも、遺族の気持ちは、空回りしていることもあるのでは ? 残された遺族は、被害を、簡単に他人のせいにできる。警察の対応が、道路舗 装が、国が、行政が、加害者の親が : : : 。被害者を思えばこその行動ではあろう が、もしもあなた方の身近な大切な人がそんな目にあわなかったら、今の気持ち に気づいただろうか それは、生き残った当事者である私にも当てはまる。 でも、気づいても誰のせいにもできずにいるのが、性犯罪被害者。 あの道を歩いたこと、その場にいたこと、容姿にまで後悔と反省を重ねている 人さえいる。生まれてきたことや自分の存在そのものに矛先が向き、命を絶った 人もいる。