それでも、日記をつけるという作業は、本当は誰かに何かを伝えたかった当時の 私の必死な行動だったと思う。 日記は、「シンちゃん」と別れた二〇〇一年五月二十二日で終わっていた。 毎日の生活は、「いつもと変わらない日常」をこなすことで精一杯だった。仕事 や社会生活など、周りに他人がいて事件のことを公言できない場での私の生活は、 「何かあったと悟られないように」過ごし、それまでと変わらないように見えてい たと思う。実際、時間の速さや生活のリズムは何も変わっていなかった。 しかし、一人の時間には、それまでと同じ生活はまったくできなくなっていた。 食べることも忘れてしまう日々が続いた。ひと月で十三キロも体重が落ちた。 そもそも、生きる気力を失った人間が、食べようと思うわけがない。辛くて食べ られないのではなく、食べる必要がなかった。だからお腹も減らなかった。昼休 みは飲み物を片手に、ずっと歩き続けていた。一時間すっと。 仕事中、私は外回りの仕事があるため電車での移動が多く、一人になる時間が
163 放熱 そう思える理由がほしかった。 相手がたまたま知らない人だっただけ、話す時間が短かっただけ、そう言い聞 かせよ、つとすることもあった。 また、こ、つも考えよ、つとした。 『あの人たち ( 加害者 ) はレイプを悪いことだと思わない人なんだ。私は悪いと 思う人間なんだ。価値観がちょっと違う。ただそれだけのこと』 しかし、いくら自分に言い聞かせ、納得させようとしても、自分の気持ちがお さまらない それならば、同じ価値観の人たちの間で事を済ませてほしい。 理由なんかはっきりわからなくても、私を含め、言いようのない気持ちで傷つ いている人間がいる。それが事実で、誰かにそう思わせることは、やはり悪いこ となのだ。 彼らは楽しんだ。自分たちの欲望や冒険心や好奇心を満たすために、私はその
いつもそんな歪んだ気持ちになり、また事件のことを思い出すのだった。何も できないでいる周りの人間に恨みを覚えることさえあった。 ほんの少しのいたずらや痴漢行為が、私には人の何倍にもダメージになった。 いたすらをした人間がもしも人の困る顔を見たくてするのなら、その期待には大 いに応えていただろう 蘇ってくる感情について、時間を追って少し書きたいと思う。 正確に言えば、「感情」という表現は適切ではない。感覚とか反応、症状という ほ、つか近いかもしれない まず、引き金となるのは、事件を連想させる状況である。 例えば、暗かったり、大きな音を聞いたり、性的な言葉を聞いたり : ・ : ・ ( 私が レイプされたときのことを、できる限り「事件」という言葉に置き換えるのも、 少なからず「レイプ」という言葉に嫌悪感が残っているからだ ) 。 しかし、実際はそれだけではない。そんな引き金やきっかけなどなくても突然、 それはやってくる。津波に呑み込まれるかのように、目覚めたとき・電車に乗っ ゆが
176 彼は半分背負ってるという責任を果たした気持ちと、私は半分彼に預けている 楽さと。 でも、彼が責任を感じる必要は、少しもない。私は彼に責任を感じてほしくな くて、彼と別れたはずだ。 いま私がこうしていられるのは、彼の存在があったからだと思う。当時は知る ことも気づくこともできなかったが、彼は、私と違う苦しみをすっと感じていた のだ。 ただ、そのことを「私には言えなかった」と教えてくれた。それくらい私のこ とを考えていてくれて、私が泣いていたのと同じ時間、苦しみ考え続けていた。 それを私は、『当事者と周りの人間の苦しみは違う ! 』と、自分のことで精一杯 だった。 彼は、 「それでよかったんじゃないか ? お前が辛いのは、見てればわかったから。俺 よりももっといろんな苦しさがあることもね ラク
185 合流 きた。時間が解決するというのはこういうことなのだろう。寂しいことに、行動 を起こすまでの強いエネルギ 1 が失われていくのも感じている。 いままでは、風化を嫌い、自ら嫌な出来事を思い出す努力も続けてきた。しか し、いまでは思い出す努力を定期的にはしなくなってきた。思い出さないほうが 楽だから。 周りの人間が言い続けた、「忘れなさい」という言葉の意味は、私にとって楽な 状態を願ってのことだったのか。こう思えるまでに、私は四年もかかってしまっ 事件の日のことを思い出さない日々は、確かに楽である。でも、忘れることへ の違和感や罪悪感はいまもなくなることはない。 『なかったことにして、得をするのは誰 ? 』 私は何も嬉しくない。もともと、自分ではつくり出すはずのない感情や痛みを、 要らないものを受け取ったのだから。得をするのは、絶対に加害者だ。
53 日常生活 一日のうちに何度か、コンスタントにやってきた。 一人でいる時間は、事件のこと以外、考えた記憶がない。取り憑かれたように いつも事件のことばかり考え、汚らわしいと感じる自分をどうしたらよいのか解 らなかった。 フラフラしながら駅のプラットホームで電車を待っていると、 『何かのはすみで人に押されて線路に落ちちゃえばいいのになあ』 と、考えたりしていた。 性犯罪の被害にあったことをきっかけに、命を絶ってしまう被害者もいる。私 の場合、自殺はあまり真剣に選択肢に含まれることはなかったようだ。死にたい と思っても自分で命を絶っことができす、事故や病気が突然に起こらないかと思 うばかりだった。生きている無意味さよりも、くだらない人間のために命を絶っ ことを悔しいと感じる気持ちのほうが勝っていたのだろう。最後まで、誰かに任 せ、何かをなすりつけたかった。 そして、毎日の生活の中に、行く先のないどうしようもない憎悪が加わった。
私の事件の経緯やその直後の生活を一番知っているのは、当時つき合っていた 「シンちゃん」だった。 事件後数日間は、仕事の後に彼が私のアパ 1 トまで様子を見に来てくれたり、 時間が許せば、一緒に帰ったりしてくれていた。 一人で帰らなければならないときは、「また襲われてもいいの ? 心配じゃない の ? 」と、脅迫じみた電話をして彼に迎えに来てもらったことが、何度もあった。 別れ話を切り出されれば、 「逃げる気 ? ずっと側にいてくれるって言ったじゃないー 「あのとき私が公園の周りを通ったのはあなたのせいよ ! 」 「結局そんな薄情な人間なんだ ! 」 という具合に彼をなじる始末。ひど過ぎる そんな私の相手をすることに疲れたのか、喧嘩をすると、彼の口からも、 「お前ホントは喜んでたんだろ。スリルがあって気持ちいいとか思ってたんだろ」 「お前みたいな汚れた女とっき合ってやってんだ。感謝しろー とい、 2 言葉が出るよ、つになった。
き過ぎて」といった理由でごまかしていたが、段々と手際がよくなり、濡れタオ ルを凍らせて目を冷やす・温めるを繰り返して目の腫れを最小限にし、周囲にバ すべ レない術を覚えていった。目が腫れ、食欲がない理由のレバートリーも、徐々に 増えていった。 仕事に行くことは、苦痛ではなかった。毎朝決まった時間に起きて、仕事に行 く。このリズムを保つことが、唯一自分が事件に呑み込まれていないことを証明 することであるかのように思っていた。 社会とは甘えの利かないところだという規範意識 ( 私の勤めていた司法書士事 務所では、特にその意識が強いように思えた ) が、良くも悪くも私を律していた。 「仕事中は余計なことを考えないで済むから」 それもある。仕事の相手には、適当に嘘をついて話していることができたから、 感情も動くことがなく、記憶もなくいつもどおりに時間が過ぎていた。 対照的に家に帰ってからの時間や休日には、泣き通した記憶だけが残っている。 しばらくは友人との連絡も絶ち、遊びに行くこともなく、仕事以外の時間は家の お風呂でただ泣いていた。 ぬ
とき・夜暗い時間に道を歩いていて、大きな四輪駆動車を見たとき・ライプやコ ンサ 1 トのように、暗い場所で大きな音が鳴っているところに行ったときなど。 「シンちゃん」が友人と車で私を迎えに来てくれたとき、その車が大きな四駆だ った。私は乗ることができず、しやがみ込んで泣いてしまった。 「ちかん」や「えっち」など、他人の口から″性〃を連想させる言葉を聞いただ けでもその感覚は起こる 私の場合は毎月やってくる生理が引き金となり、始まってから終わるまでの一 ば、つこ、つえん 週間近くは、トイレに行くこともイヤで、膀胱炎になりかけたこともあった。ト イレで生理用品を投げつけたり、シャワーでずっと身体を洗っていることもあっ そうした感覚の後には、思考が停止する、いわゆるポ 1 ッとした時間がやって くることがあった。何分で終わるとか何時間もとか、計ったこともないが、毎回 その時間は違っていた。電車で降りる駅を乗り過ごしてしまったり、仕事後、帰 宅途中にフラッシュバックが起こり、気がついたら夜が明けていたということも
200 だろ、つと思っていた。 だから、前にも書いたが、兄には私の言葉で事件のことを伝えたことはない。 兄からのメ 1 ルには、こんな言葉が 時間が解決をするのではなく、時間が経って、「言えない」心理と「乗り越えた」 心理か何かを導いてくれるんだろう。兄はあの時、何をやっていたのだろうか ? 一部始終を記事で初めて知った。いままで「誤解していた」。それは、美佳のせい すがすが じゃない。美佳の写真にも、清々しさかあった。 そして、最後は、 兄として謝る。あの時なにもできなくてごめん。でも、今は、 身大の女性を、これからも応援します。がんばろうー ハ林美佳という等