度でも抱きしめてくれたらどんなに安心したか : : : 』 私が求めているのはそんなことだった。それをそのまま母に伝えたこともある。 しかし私の母は、それができない。それは、きっと、母にとっては、母が「娘を 傷つけられた」当事者だから : ・ 『でもね、事件の当事者は私なんだ : : : 』 母は、それを見失うほどのショックを受けていたのかもしれない この母とのやりとりが端緒となり、私はことあるごとに「被害を受けた当事者」 と「被害者の家族・遺族」との間に横たわる「溝」について考えるようになった。 親だからこそ真意を分かってほしいという気持ちと、子どもを信じて一言葉をその まま受け止める親の気持ちのすれ違いは、この先も埋まることはないのかもしれ 後日、父にも母の口から事実が伝わったようだが、父は私に何も言ってこなか った。
話を聞いた母から返ってきたのは、とくに動揺する様子もなく、私のことを思 ってか、 「何もなくてよかったじゃない という言葉だった。 『よかった』 倒れるかと思った。そしてそれ以上、母は私には何も聞かなかった。 一一〇〇一年のお正月、私は改めて母に、本当は逃げ切れなかった事実を話した。 毎年、お正月には父が都内の神社で、演奏会を行う。それを家族で聴きに行く のが恒例だった。 神社の境内で、甘酒を飲みながら父を待っているときのことだった。 「なんでいまさらそんなこと言うのよあんたの言うこと信じられない ! 」 母は私に怒りをぶつけてきた。私を心配するどころか、驚くような勢いで怒っ た。その日は、それ以上何も話さずに帰った。 ショックだった。
205 それから と、それを危険だからと断られ、「防犯ブザーしか買えなかった」とプ 1 プ 1 言い ながら帰ってきて、そのブザーを私にくれたことを思い出した。 この行動に、なぜ私は母の気持ちを感じ取れなかったのだろう。 何を感じ、母は交番に行ったのか 母のような考えの人だからこそ、父には分からなくても、母である自分が分か ってあげなくちゃ、と、一人で私のことを考えてくれていたのではないか。 私は、大事な機会を与えられ、メディアに取り上げられたことで、予想以上に たくさんの人の気持ちを知った。 伝えるとい、つことは、こんなに大切なことなのか : っと私は家族の気持ちを知った。 みんなが必死だったことを、私だけが辛かったわけじゃないことを。 身近だったからこそ、それぞれが必死で、衝突し、すれ違ってきた。 しかし、「伝える」ということで、周りに知ってもらい理解されることだけでは : と思い知った。いま、や
203 それから 「どうしてわざわざバラすの : と言われた。 相変わらずだなあと感じていたが、ある日、母から、父が出張でいないから、 泊まりに来てほしいと電話があり、実家に行った。 その晩、母と並んで寝た。 「私は、どうしても、美佳のやろうとしてることが、理解できないの」 と、母が話してきた。 「やろうとしてること ? 」 と、聞き返すと、 「母さんはね、事件のことを思い出したくないの。あんたは私たちのことを恨ん でいるかもしれないけど、母さんね、もしもあんたが自殺なんかしちゃったら、 お父さんたちには悪いけど、一緒に死のうって決めてたのよ。だって、わかって あげられないんだもの : 「大丈夫だよ。いま生きてるし、自殺する勇気なんてなかったよ。それにね、も
81 ニ次被害 私は、事実を話せないでいることに、罪悪感や悔しさを感じていた。その結果、 母にこそ事実を伝える決断をしたが、間違っていたのかもしかしたら、母はシ ョックをうまく表現できていなかったのかもしれないが、そのときの私がそこま で気を回す必要もないと思った。私は、最近まで、このときのことで親と衝突し てきた。 「親ならもっと心配するんじゃないの ? 」 「だったら最初から本当のこと言えばいいじゃないの ! 親の気も知らないで ! 」 「言えなかったんだよ : : : 」 「だから信じらんないって言ってんのよー この繰り返し。きっと、母は私以上に事実を受け止められすにいたのかもしれ ない、と思うようになった。だから必死に、私の言葉を信じようとして、憎まれ ロも、安心させようとして隠したことも、そのまま受け止めてしまう。 『なぜ当事者の私のことを一番に考えてくれない ? ″辛かったね〃ってたった一
し私が死ぬほど苦しかったとしても、母さんが死ぬことないよ、生きててほしい もんー 「うん、でもね、死んじゃう子だっているじゃない。父さんだって、ずっとそれ を心配してたのよ。それに、あんたがどう思っていようと、母さんは、あんたが 死んだら死ぬって決めてたの」 「なんで、あのときにそう言ってくれなかったの ? 」 「バカね、あのときのあんたの前で死ぬ話なんてできるわけないじゃないー 母は続けた。 「女の子は、誰かと一緒に幸せになるまでは、自分のことなんて、隠してでも、 精一杯良く見せていたほうが、楽だと思うのよ。美佳にもそうやって幸せになっ てほしい。だけど、わざわざ人前で自分が被害にあったことを話すのは、すごく 遠回りをしているように見えて : : : どうして美佳はそんな生き方を選ぶの ? 私は、初めて母の本心を聞いた。 事件があった真夏の暑い中、母が近くの交番でスタンガンをもらおうとしたこ
布団にくるまって眠っていたかった。この感覚は、後の事件のときと変わらない ように思う。その日、朝礼の後、二時限だけ授業をサポって部室で寝ていた。 何日か経って、夕飯のときに母が回覧板を持ってきた。″ 痴漢にご注意ください〃 というお知らせだった。 「裏の家の娘さん、そこの公園で変な男に襲われたんだって。かわいそうに。外 に出られないわね。あんたも気をつけなさいよ」 と、母は言った。 私は何も言えなかった。 その後、公園に大きな電灯が設置された。 レイプされることと、痴漢やわいせつ行為をされることーーそのニつの差は、 紙一重だと思っていた。 でも、違う。
91 ニ次被害 ってしま、つ。 近いからこそ受けるショックは、被害者にとっても家族にとっても、望むべき ことではない。 被害者に対する情報の少なさや偏見や思い込みが、こうした亀裂に繋がってし ま、つ 「もう誰にも話さないでちょうだいね」 母が私にそう言ったとき、私は人に言えない後ろめたいものを抱えた気持ちに なった。 それから友人に会うたびに、何か隠しごとをしているようで、それまで築いて きた友人との関係に、私から一方的な隔たりを感じるようになってしまった。 それでも私は、自分が大切だと思う相手には、自分に起こったことを知ってい てほしい。もしも私が死んだときに、「こんなことがあったね」と思い出してもら えるように、真実を知っていてほしい。 そう思って接してきた。 母の一言によって、そんな私の考えにストップがかかったわけだ。 きれつ
111 ゼロ地点 すんじゃない ! 」 いまどきそんな親がいるのかと思うくらい、父は憤慨し、私の言い分をまった く聞かなかった。母は、いつでも父の言うことが絶対である。何度かの言い合い の末、この一言で私は殴られ、勘当された。 づら 「親らしいこともできないくせに、こんなときだけ親面しないでよ ! 」 つか 母は私に掴みかかった。 「あんたは、何かっていうとあのときのことばっかりー いつまで根に持つのよ ! それまでの恩も忘れて ! 」 それを見ていた父は、何度も私を殴った。 ショックどころか、笑いか出た。 確かに言ってはいけない一言だったと思う。しかし、事件について、両親の言 葉にたびたび心なさを感じていた私には、勘当など何とも感じないことだった。 ただ、親の判断で「勘当」されたことが悔しかった。私から縁を切ることはでき なかったからだ。 社会人になっていた私は、金銭にも住むところにも、何も困ることはなかった。
87 ニ次被害 どんなに大切な人でも、その人を一時も目を離さす見守ることなどできない。 どんな慰めの言葉も意味を成さず、「無理なこと」と、人は割り切ろうとする。そ れならば、助けを求めることも、信用することも、無駄なことなのか 事実関係を 私はカウンセリングを受け、カウンセラ 1 育成の専門学校に通い、 傍観することを教えられた。両親のせいではなく、私のせいでもないことは、事 件が起きたその瞬間から分かっている。 私は毎朝一人で起きて、母が用意しておいてくれるドーナッとジュ 1 スを持っ て学校に行く。 「美佳は放っておいても大丈夫」 両親にはそう思っていてほしかった。 その私が、「大丈夫」じゃないと思われることをしてしまった : ・ 私が誰かに甘え、頼ろうとしている姿を見て、母は、 「そんなの美佳じゃない」 と言った。 そ、つ思った。