158 被害者支援は何をめざすのか , ーー被害者から支援者、地域社会への架け橋』とい う本が目についた。 きれいなプル 1 の表紙で、私にもサッと読めそうな、冊子タイプの本。 『犯罪被害者ってなんだろう』『当事者と遺族・家族との関係は ? 』 という私の疑問に答えてくれそうな、やわらかいタイトル。 ただあり その著者が、片山徒有さん。 読み終えて、片山さんがどんな人なのだろうと気になり、インターネットで検 索してみた。 勉強会の開催や、被害者支援に関連するサイトにヒットする 片山さんの本や、片山さんのホームペ 1 ジが、これまで読んできた本や得た情 報と、何が違っていたのかはわからない。 ただなんとなく、すっと馴染む感じがして、連絡してみたいと思い、「私は性犯 罪の被害にあった者です」と、メールを送ってみた。 片山さんは、すぐに返事をくれて、何度かメ 1 ルのやりとりをした。
161 放熱 を受けている可能性だってある 「お友達に針を刺したらダメよ」と、大人は子どもに教える。それと同時に、「誰 かの心に傷をつけるようなことをしてはいけない」「人が嫌がることをすると、さ れた人は身体的にも傷つく。それは外傷だけではない。吐き気や震え、思考停止 など、気持ちへの影響もあり得る」ということも教えるべきではないだろうか 本来、「お友達に針を刺したらダメよ」という言葉の真意には、「お友達に針を 刺すと、そのお友達は痛いだけじゃなく、そのとき感じる″恐怖〃っていうもの によって、ずっと苦しい思いをすることになるのよ」ということまで含まれてい るはずなのである。それを、どれだけの人が理解しているのだろうか : 片山さんは、私が「なんとなくー感じることを、表現し、行動し、気づかせて くれる。まだ「思いっき」で行動していた私は、たくさんのアドバイスをもらっ 片山さんとの出会いは、私を前向きにしてくれた。
190 どんなに被害者に非がある、加害者が一〇〇パーセント悪いわけではないとい われても、その被害者が「イヤ ! 」と感じた気持ちは大切に汲みたい。 性犯罪の被害者が、名乗りを上げて権利を主張する場は、まだない。あっても、 出られないのかもしれない。だから、制度が変わろうとするとき、犯罪被害者支 援が取り上げられるとき、どうしてもその中に「性」犯罪被害者の声が、反映さ 一一〇〇七年三月。閣議決定によって刑事訴訟法の一部を改正する法案が国会に 提出された。この法案が通れば犯罪被害者が刑事裁判に参加できることになる、 と聞いて、 『私の犯人が捕まって裁判になったら、私も出たいと思うかな ? 』 と考えた。 いや、いまさら犯人になんて会いたくない 『誰のためにそんな権利が ? 』 と疑問に思っていると、片山さんが新聞に載っているのを目にした。片山さん
159 放熱 その「痛み」かなんで解らないかというと、やはり「教育」ではないかと思いま す 片山さんのメールの中で、とても印象に残ったのが、「心の痛み」について書か れたものだ。 頂いたメールではっと考え込んだ事がありました。 「痛みを感じる気持ち、危機への対応」です もしかすると、警察、検察、市民は「痛み」ではなく「傷み」と誤解しているの ではなかろうかと思うのです。 その差はどこにあるかと言うと文字通り「痛み」は当事者にしか解らないもので 「傷み」は社会的に回復可能な損傷という風に、明確に違いがあると思います。
210 私にとって、 「シンちゃん」は、事件のときの私を「知っている人」。 りようちゃんが、本当に「理解してくれる人」。 片山さんは、「気づいている人」。 私はレイプされたんだ。 犯人がどうであれ、私のダメ 1 ジは変わらない。 当時もいまも、私は変わらずにそう思っている。 性犯罪の被害者を救えるものは何か まずは、周囲の理解 被害者は、ます自分に向き合う時間を与えられなくては。 加害者を罰する前に、被害者が救われなくては。 そのために、制度や法律や機関が整っていかなくてはならない
1 91 それから は、その法案成立に「待った ! 」をかけていた。 久しぶりに片山さんに連絡し、彼が立ち上げた「被害者と司法を考える会」の 仲間に入れてもらった。 会議に参加すると、そこには学者や研究者などの専門家がズラリと並び、私は その席ではほとんど発言せすにいた。 シンポジウムを開くことになり、パネリストを検討するなか、 「被害者自身の声があったほうがいい。誰か : とい、つ話になり、 「私でよければ : : : 」 と申し出た。 「本当にいいの ? 無理しないでいいよ ? 」 と、心配してくれる人たちがたくさんいた。 その日の夜、りようちゃんに報告をした。 彼女の意見はいまでもいつも参考にしている。迷ったときは、私は必ずりよう