209 最後に伝えたいこと これらの事件の違いは何なんだろう : : : 担当する警察官や検事の個人的判断により、扱いが変わったりしないと信じた 警察や検察のふるいにかけられないと、犯罪被害者と呼ばれないのだろうか そんなことはないはずだ。 私は、法によって裁かれることが、被害や加害を認め、正しく理解されること だとは思わない。 私の事件はといえば : ・・ : 。 二〇〇七年五月、地検から処分通知が届いた 被疑者不詳、不詳 罪名「強姦未遂」 加害者が特定されなくても、地検から「不起訴」の連絡が来た。 それがなんだ。
189 法律相談の業務に転職して、私は予想以上に多くの被害者に出会った。法律に かかわる仕事を選んだのは、そのためだった。制度や機関の情報も増え、裁判な どの仕組みも見えてきた。 仕事以外にも、性暴力被害者の自助グル 1 プ運営を手伝い、「仲間」ともいえる、 いろんな被害者に会うこともできた。 被害者の相談を電話ロで耳にする一方、加害者といわれる人たちに弁護人を付 する業務も経験し、事件の事実について、被害者側でも加害者側でもない、裁判 官や検察官の視点で書かれた書面も目にした。 性犯罪であれば、被害者の心情はもちろん、加害者の事情も書かれている。 感情移入とまではいかなくとも、ふと、自分を当てはめてみることもあった。 私は被害経験者だ それから
るしか、自分を守る方法がない。感情や表現する力が凍っていることに気づいて はいるが、身体反応が先に出てくるため、「恐怖」という感情だけを強く感じてし まう。そしてそれによる身体反応が起こるという悪循環が繰り返されるのではな いたろ、つか 一方、地震災害や台風被害でを発症した人の場合、一般的に性犯罪被 害者より自責の気持ちは生じにくいといっていいだろう。その代わり、自然とい うどうしようもないものを相手に、怒りをぶつける先がないという無力感と、ぶ つけても仕方ないという諦めが共存しているのかもしれない 凶悪犯罪と自然災害。まったく性格を異にする一一つの事柄を契機に同じ症状が 出たとしても、そこには、大きな違いかあるように感じる なぜなら、自然災害は、誰もがその被害の内容を想像しやすく、周りの「理解」 を得やすいから。 性犯罪の被害者は、どうだろう : ・ 「言えない」から、被害の状況が分かりにくい社会ができあがっている。自責の 気持ちの有無の原因は、そこにあるのではないかと思う。
147 放熱 と質問した。すると、 「それが悪いことだっていうのはあなたの価値観で、相手に対して押しつけてい るよね ? それではだめです」 との答えが返ってきた。 「じゃあ、道徳とか善悪って何ですか ? 」 「何でしよう : : : 哲学的で答えが出せないね」 : はハ、らかされた。 ・あ・い士い 物事の善悪を曖味にしてまで相手の存在を認めることが、カウンセリングなの それならば私は、カウンセラ 1 にはなれない 被害者にとって、加害者は「悪」なのだ。 どう転んでも、私には被害にあった経験があって、被害者を守るための仕事が したかったのだから。被害者として、社会や周りの人に分かってもらうために必 要なものを探したかったのだから。 そしてもし、どこかに同じよ、つに被害を受けたり、もっともっと苦しい思いを
165 放熱 子供らを被害者に加害者にもせずに この街で暮らすためまず何をすべきだろう ? でももしも被害者に加害者になったとき かろうじて出来ることは 相変わらず性懲りもなく 愛すこと以外にない タダタダダキアッテ ( ただただ抱き合って ) カタタタキダキアッテ ( 肩叩き抱き合って ) テヲトッテダキアッテ ( 手を取って抱き合って ) タダタダタダ ( ただただただ ) タダタダタダ ( ただただただ ) タダタダキアッティコウ ( ただた抱き合っていこう ) タタカッテタタカッテ ( 戦って戦って )
190 どんなに被害者に非がある、加害者が一〇〇パーセント悪いわけではないとい われても、その被害者が「イヤ ! 」と感じた気持ちは大切に汲みたい。 性犯罪の被害者が、名乗りを上げて権利を主張する場は、まだない。あっても、 出られないのかもしれない。だから、制度が変わろうとするとき、犯罪被害者支 援が取り上げられるとき、どうしてもその中に「性」犯罪被害者の声が、反映さ 一一〇〇七年三月。閣議決定によって刑事訴訟法の一部を改正する法案が国会に 提出された。この法案が通れば犯罪被害者が刑事裁判に参加できることになる、 と聞いて、 『私の犯人が捕まって裁判になったら、私も出たいと思うかな ? 』 と考えた。 いや、いまさら犯人になんて会いたくない 『誰のためにそんな権利が ? 』 と疑問に思っていると、片山さんが新聞に載っているのを目にした。片山さん
この頃、ふとつけたテレビの番組で、息子を集団暴行で亡くした母親が、少年 院で講演をしている光景を見た。 母親は、息子の顔写真を缶バッチにして胸にいくつもつけ、赤ん坊の頃、小学 生時代 5 中学生時代と、年代を追って数枚もの写真をパネルにして掲げていた。 そして「こんなに素直な子でした」「私にとっては目に入れても痛くないかわいい 子でした」と、遺族の ( 正確には母親の ) 思いを訴えていた。 加害者に被害者の声を伝え、少年たちの更生に役立てる、という趣旨の講演だ ったようだが、 それが、被害者のやるべきことなのだろうか 数カ所の少年院で講演が行われているのだから、少年たちの更生には役立って はいるようだ。加害者の少年たちも、 「被害者の家族の気持ちなんて考えたことなかった」 でも、年齢の制限がある理由を知らせてほしかった。なせ二十代の私にはサポ 1 トができないと判断するのか
210 私にとって、 「シンちゃん」は、事件のときの私を「知っている人」。 りようちゃんが、本当に「理解してくれる人」。 片山さんは、「気づいている人」。 私はレイプされたんだ。 犯人がどうであれ、私のダメ 1 ジは変わらない。 当時もいまも、私は変わらずにそう思っている。 性犯罪の被害者を救えるものは何か まずは、周囲の理解 被害者は、ます自分に向き合う時間を与えられなくては。 加害者を罰する前に、被害者が救われなくては。 そのために、制度や法律や機関が整っていかなくてはならない
156 そうじゃないんじゃないの ? もしかしたら、そのお母さんの行動は、正しいのかもしれない。見ている人間 が同情し、犯罪への怒りを新たにするかもしれない。 でも、遺族の気持ちは、空回りしていることもあるのでは ? 残された遺族は、被害を、簡単に他人のせいにできる。警察の対応が、道路舗 装が、国が、行政が、加害者の親が : : : 。被害者を思えばこその行動ではあろう が、もしもあなた方の身近な大切な人がそんな目にあわなかったら、今の気持ち に気づいただろうか それは、生き残った当事者である私にも当てはまる。 でも、気づいても誰のせいにもできずにいるのが、性犯罪被害者。 あの道を歩いたこと、その場にいたこと、容姿にまで後悔と反省を重ねている 人さえいる。生まれてきたことや自分の存在そのものに矛先が向き、命を絶った 人もいる。
157 放熱 自分の大切な人を傷つけられたら、その人の心は傷つく。でも、当事者にとっ ては、その傷つけられた大切な人、が、自分自身なのだ。気持ちも痛みも整理で きない。自分には同情することもできない。家族や遺族ができること・感じるこ とと、被害当事者ができること・感じることは違うはずだ。 『被害当事者を支援する活動がしたい』 その思いは、ますます強くなっていった。 被害者支援の本や加害者の本、事件の本など、いろんな本を探しては読んだ。 しかし、どんな本を読んでも、私の持っている違和感が解消されるどころか、 余計に疎外感や、違和感が膨らんでいく。 なんとなく、遺族を支援するものが多くて、私が感じている気持ちと合わない 難しくてわからなかったり、なんか違う。 ある日の昼休み、職場の近くの本屋でまたフラフラと本棚を見ていると、『犯罪