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検索対象: 20歳のときに知っておきたかったこと : スタンフォード大学集中講義
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1. 20歳のときに知っておきたかったこと : スタンフォード大学集中講義

刺激を受けたいと思いました。そのため、毎年、仕事と子育てにどれだけの時間が必要か を考え、柔軟な対応が許されるプロジェクトを引き受ける方法を見つけたのです。子ども がいなければ、おそらく考えもしなかった課題に取り組みました。子ども向けの本の執筆 に取りかかり、理科の教師向けにインターネット・サイトを立ち上げました。私立の小学 校で理科を教えたりもしました。長い目で見れば、こうした経験は、フルタイムの仕事に 復帰したときに驚くほど役立ちました。著者としてやっていけるとお墨付きを得られまし たし、ウエプサイトのデザインもできるようになりました。教師として貴重な経験も積み ました。どのスキルも、現在の仕事で毎日使っています。 振り返ってみると、キャリアを築くうえでもっと早くに知っておきたかったことは、わ たしが受けた昔ながらのアドバイスとは逆であったことに気づきます。そのなかで、いち ばん大切なことは何でしようか ? 仕事だとは思わずに取り組める役割を、社会のなかに 見つけることだと思います。スキルと情熱と市場が重なる場所を見極められたとき、その 役割は見つかります。それは、やりかいがあるというだけではなく、前向きに情熱を傾け られ、人生を奪うのではなく人生を豊かにしてくれるのです。びたりとはまる役割を見つ けるには、実験を繰り返し、多くの選択肢を試し、周りから明に暗に受け取っているメッ セージを検証し、正しくないと思えば突っぱねることが必要です。 キャリアを重ねていく、っちに、いまどこにいて、どこに行こ、つとしているのかを頻繁に 137 第 6 章絶対いやだ ! 工学なんて女がするもんだ

2. 20歳のときに知っておきたかったこと : スタンフォード大学集中講義

大通りを運転し、踏みならされた道を歩いても一向に構いません。でも、常識は何かを考 え、見直そうとすれば、そして、自分に投影された自分自身や周りの期待を裏切ってもい いと思えれば、選択肢は限りなく広がります。快適な場所から踏み出すことを恐れないで。 不可能なことなどないと呑んでかかって、月並みな考えをひっくり返してください。先ほ どの学生の言葉のように、「決まりきった次のステップーでないことをするには訓練が必 要です。経験を積めば積むほど、選択肢の幅は、自分が思っていたよりもはるかに広いこ とがわかるはすです。たったひとつだけル 1 ルがあるとすれば、あなた自身がエネルギー と想像力を解放してあげればどこまでも行ける、ということです。

3. 20歳のときに知っておきたかったこと : スタンフォード大学集中講義

ります。 変わった性癖をもつ人間は、独創的で何ものにも囚われない発想をするものです。 彼の考えはまったく独創的なもので、じつは何も考えていないのかもしれません。 この男は酒のためとあれば、何でもします。働くことだってするかもしれません。 刑務所を出たいま、どこかの大学院が面倒を見てくれたとしても、保護観察司は気 にはしないと思います。彼はアウトロ 1 のオ 1 ト、ハイクラブ、「ヘルズ・エンジェル ズーのリーダーで、わたしが話した連中は皆、ホワイトカラー犯罪に手を染めると言 っています。 ハスのうしろの床に寝転がっていた連中のなかでは、この男が最高です。 全体的な印象としては、わたしがもっともらしく一一一一口うほど良くありません。わたし を刑務所から出してくださいそうすれば、彼の代わりにシカゴに行けますから。 ワシントン州ワラワラ、ワラワラ連邦刑務所 囚人番号三三五三四二号プフォード・・モートン ジョンが面接に現れると、奇抜な願書を出してきた男を一目見ようと、誰もが自室のド アを開けて覗きました。意外にも、ジョンは礼儀正しく、落ち着いていました。そして、 55 第 3 章ビキニを着るか、さもなくば死か

4. 20歳のときに知っておきたかったこと : スタンフォード大学集中講義

ことかできる ハンドをつぎの挑戦者に渡す。 「実行バンド」は、何の変哲もないただのゴムバンドですが、前からやろうしてできなか ったことを実行に移すインセンテイプになります。時には、ゴムバンドのようにシンプル なものが、人を動かすきっかけになることだってあるのです。「実行バンドキャンペ 1 ンは、ほんの数日で終わりましたが、その短いあいだに、さまざまな行動を巻き起こしま した。母親に電話した学生もいれば、お世話になった人にカードを送って感謝の気持ちを 表した人もいます。ほかにも、新しいェクササイズやサマ 1 ・キャンプを始めた人、長い あいだ音信が途絶えていた友人に連絡を取ろうと思いたった人、自分で見つけた慈善団体 に寄付した人もいました。ゴムバンドひとつで、これほどの行動を巻き起こせるのだと想 像しただけで、わくわくしませんか ? もうひとつ、はっきり一言えることがあります。何 もしないのと、何かをするという二つの選択肢を切り替えるのは、ほんの小さなスイッチ ですが、選択の結果は大きく違ってくる、という点です。 こうした考えから、わたしは、授業で簡単な課題を出しました。生活のなかで困ってい ることを、違う視点から見てもらうための課題です。学生には、困っていることをひとっ 挙げ、身の回りにあるモノを何でもいいからひとっ適当に選ぶように指示しました。つぎ

5. 20歳のときに知っておきたかったこと : スタンフォード大学集中講義

のだと自分に許しさえすれば、問題は解決できることを示してくれたのだと。 目を凝らして、身の回りにチャンスを見つけ、そのチャンスを徹底的に生かせばいいの ではないか ? 第二回の「イノベーション・ト 1 ナメント」から生まれたプロジェクトの ひとつは、こうした考えに光をあてました。参加者にはゴムバンドを渡し、制限時間のあ いだにできるだけ多くの価値を生み出す、という課題を出しました。あるチ 1 ムは、ゴム ハンドをリストバンドに見たて、「実行バンドと称して、先延ばしにしがちなことを実 行するきっかけにしてもらおうと考えました。これは巧みなアイデアですが、ヒントがあ ります。癌と闘いながらッ 1 ル・ド・フランスで連覇を成し遂げたランス・ア 1 ムストロ ングへの連帯の意思を表す黄色のリストバンドです。「」と書かれ たバンドの収益は、癌患者の支援に当てられました。 しくつかの決まり事があります。 「実一打バンドには、、 ・自分が実行することを決めて、バンドを手首につける。 ・決めたことを実行できたら、バンドを外す。 ・実行できたら、「実行バンドのウエプサイトに記録する。ゴムバンドには一個ずつ 番号が印字されているので、ひとつのゴムバンドが、どんな行動を起こしたかを知る 29 第 2 章常識破りのサーカス

6. 20歳のときに知っておきたかったこと : スタンフォード大学集中講義

いえば、これは大きなチャンスでもあります。融通のきかないふつうの仕事では子育てと 両立しないので、否応なくエ夫するようになります。子どもにとって必要なことは変化し ていくため、責任の重さの異なるさまざまな仕事を試してみることができます。渦中にい るときはわからなくても、キャリアはまだ先があり、幼い子どもに手がかかるのはほんの 数年なのです。子どもが大きくなれば、それまで以上に仕事に励み、キャリアアップする ことだってできます。一九九七年版のスタンフォ 1 ドの学内誌に掲載された以下の文章は、 こうした考えを鋭く指摘しています。 一九五〇年にスタンフォード大学を卒業し、五二年に法学の学位を取得した女性が います。彼女は、次男が生まれて五年間は有給の仕事に就かず、フェニックス・ジュ ・リーグや救世軍などのボランティア活動で忙しく活躍しました。その後、いち ばん下の子が学校にあがったのを機に、州検事総長のオフィスでパ 1 トタイムで働く ことにしました。 子どもたちと家で過ごした時間は、キャリアの妨げにはなりませんでした : : : 現在 の女子大学院生は、自分の頃よりも環境に恵まれていると言います。「ひとつの救い いまの女性の寿命が延びていることです。働く期間が長くなり、キャリアをいく つも変えていけるようになっているのです。だから、二、三年とられたとしても、す 135 第 6 章絶対いやだ ! 工学なんて女がするもんだ

7. 20歳のときに知っておきたかったこと : スタンフォード大学集中講義

入ってからです。初めて神経科学の授業をとったのは、大学二年でした。授業では、「脳 の特定部位の機能を調べるための実験を考える」という変わった課題が出ました。まだ誰 にもわかっていないので、その機能を解明するのがわたしたちの役目だというのです。な んとか考えて、レポートを提出しました。一週間あまり経って返されたレポートの表紙に は、こう書かれていました。「ティナ、君は科学者の考え方ができている」。わたしが科学 者になった瞬間でした。わたしは、脳研究に対する情熱を理解し、背中を押してくれる人 を待っていたのです。このように、わたしたちはみな、周りが発するメッセージから大き な影響を受けています。そのメッセージは、「看護師になりなさい」とか、「科学者の考え 方ができている」といった直接的なものもあれば、長年、女性の技術者や男性の外科医ば かり見続ける、といった環境に根づいたものもあるのです。 二〇代前半の頃、自分自身に求めることと、他人から求められることを分けて考えるの は、思いのほか難しいことでした。教え子の多くもおなじだと思います。何人からも「指 導を受ける」ので、自分でやりたいことを見つけるのが難しくなっているとこばします。 いまでも鮮明に覚えているのですが、他人に強く勧められるとかえって、やめておこう、 避けよう、そうすれば他人の期待に関係なく、自分のしたいことがわかるはす、という思 いに駆られたことがありました。具体的な話をしましよう。わたしは、ロチェスタ 1 大学 126

8. 20歳のときに知っておきたかったこと : スタンフォード大学集中講義

ぎ込む前の初期の段階であれば、はるかにやりやすいものです。後になればなるほど、時 間やエネルギーをつぎ込んでしまい、引くに引けなくなります。仕事でも、株式投資でも、 人間関係でもおなじことが言えます。あのレオナルド・ダ・ビンチも、「最初に抵抗する 方が、あとになってから抵抗するよりも楽」だと言っています。組織行動の専門家のロハ ート・サットンは、著書の『あなたの職場のイヤな奴』 ( 講談社 ) のなかで、「ダビンチ・ ル 1 ルを詳しく論じています。サットンは、自分に合わない仕事は、どうしようもない と思ったらすぐにやめるべきだと言います。一般論としてまとめたものを紹介しましよう。 何かを決める際には、過去にどれだけコストをかけたかを考えに入れるべきではな たいていの人は、この原則を知っている。だが「投資しすぎて、引くに引けな い症候群ーはかなり強力だ。何年にもわたって努力や苦労を重ねてくると、つい正当 化したくなり、自分自身にも周りにも「これにはなにか価値や意味があるはずだ」と か「だからここまで賭けたのだ」と言ってしまう。 何かをやめると、じつは驚くほど元気が出ます。決めるのは自分であり、その気になれ ばいつだってやめられることに気づきます。自分で自分を檻に入れ、見張りをする必要な どないし、、つまくいかない場所に引きこもる必要もありません。とはいえ、やめるのが簡 * 6

9. 20歳のときに知っておきたかったこと : スタンフォード大学集中講義

ら、たいていの状況ではこうしたことは起こりません。わたしたちは、「最低限の条件を 満たすーよう促されています。つまり、要求されたことに応えるために最小限の努力をす るよう暗に明に促されているのです。たとえば、教師は課題を出すとき、及第点を取るに は何が必要かをはっきりと言います。いまも昔も学生は、きまって「これ、試験に出ます か ? 」と聞いてきます。教師はこの質問を嫌います。とはいえ学生には、自分が望む成績 を取れる最小限の努力でいいという考えが、長年のあいだに刷り込まれます。仕事でも、 上司がポーナスや昇進の査定に必要な基準をあきらかにすると、おなじことが起こります。 見返りに何を得るかが正確にわかっていれば、最低基準を満たすのは簡単です。でも、 こうした限度を外したときにこそ、目を瞠るようなすばらしいことが起きるのです。じっ は、わたしたちひとりひとりは、こうした限度を取り外してしまいたいという鬱積した欲 求を抱えているのではないでしようか ? ソーダの瓶を振ったときのように、限度とされ るものを取っ払うと、めざましい力を発揮するのです。 アシュウイニ・ドーシというすばらしいお手本がいます。彼女は数年前、大学院生のと きに、部のリサーチ・アシスタントとして応募して来ました。わたしは偏見のない人間だ と思いますが、それでも面接に現れた彼女を一目見たときには、一瞬、怯んでしまいまし た。アシュウイニは美しい女性ですが、身長が一メートルそこそこしかないのです。声も 幼児のようです。でも、考え方は大人の成熟した女性のそれでした。わたしは採用できな 189 第 9 章これ、試験に出ますか ?

10. 20歳のときに知っておきたかったこと : スタンフォード大学集中講義

わたしの父は現役時代、有能な企業幹部でした。技術者を振り出しに、マネジャ 1 、経 営幹部へと出世を重ね、いくつかの世界的な大企業で要職を務めました。父が副社長から 執行副社長へ、上級執行副社長へと昇進を重ねていく姿を、わたしは当然のように見てい ました。判で押したように、ほば二年おきに昇進したからです。わたしにとって、父の経 歴は眩しくもあり、良きお手本だと思っていました。 だから、わたしが新しい名刺を見せたときの父の困惑ぶりには面喰らいました。名刺に は「社長ティナ・・シーリグ」と書いてありました。わたしは自分の会社を興し、名 刺をつくったのです。父は名刺をしげしげ眺めた後、わたしに向かってこ、 2 言いました。 「自分で自分のことを社長なんて名乗れないよ」。父の経験からすると、誰かが引き上げて くれない限り、トップになどなれないのです。自分で自分を指名することなどできません。 父は、誰かに引き上げられてはじめて大きな責任をもっ地位につける世界にどっぷり浸っ ていたので、わたしがみずから社長を名乗るなど、思いも寄らないことだったのです。 父のような考えの持ち主には、幾度となく出会ってきました。たとえば二〇年前、わ たしが本を書くつもりだと友人に打ち明けたとき、「どうして、本なんて書けると思うわ 皮女こ言わせれば、誰か権威のある人のお墨付きでももらえない け ? と驚かれました。彳。 限り、本を書く、などという大それた行為はしてはいけないことでした。でも、わたしに は自信がありました。たしかに大それた目標です。でも、やってみない手はありません。