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1. バカタレ―!就活のバカタレ―!

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一生山登りをしているだけなら気はラクだし きっと楽しい。だが研究者としてやっていく には結果を出さねばならない。歳でどこか 就職すれば今よりもおもしろい人生が待っ時。ほくはようやく腰を上げた。それにしての大学のパーマネントを得たとして定年退職 ているし、ぼくらの前には輝かしい人生が広もメンドクセえなあ、などとブップッつぶやするまでの年間、。 すっと論文を書き続けな がっていくー丨・ーそんな保証などどこにもない きながら、分ほどかけゆっくりと撤収作業ければならないのである。余程の天才でもな 売り手の 2009 年から不況の cvo•-o 年を終わらせた。重い気分を引きずりながらそい限りどだい無理な話だ。卒論を始めて自分 卒ヘーーー留年し 120 社落ち落ちてわしも考の日の野外調査を始めた頃には、太陽はすつの頭の悪さは痛感していた。頭が良くなけれ えた。若者は自分の人生を素手で切り開くべかりのばってしまっていたのだった。 ば正義感も強くない。ばくは卑法な性格なの きである 幻歳、一度目の大学 4 年生の春、ばくは卒で、結果が出せなかった時には将来どこかで 業研究で秩父山中にいた。宿泊費をケチるた研究データを捏造するんだろうなあと感じて 捏造研究者 め公園などにテントを張りつつ地質調査を いた研究者になりたい思いは徐々にほやけ 行っていた。夜は適当なところにテントを張っつあった。 子供の声で目が覚めた。 り、昼は群馬と埼玉の県境で石ころを叩き割地質調査は一人で行うため考える時間は無 その日、ばくがモンベルのテントを張ってる生活である。はじめは山歩きしながらの卒尽蔵にある。ひたすら地層を探し野帳にメモ いたのは、秩父市内を見下ろす公園だった。業研究が楽しくて仕方なかった。高校の頃はを取りながら、昼間の頭に浮かんでくるのは 公園にはローラ 1 滑り台があり、ローラー音登山部だったので昔から山は好きだったし、将来への漠然とした不安ばかりだ。夜は夜で、 が大きくなるにつれて次第に子供のカンダカ好きで選んだ地質専攻だった。九州大学で生 叔父が研究職というなんだかワケが分か 声が聞こえてくる。騒音に耐えかね、のその物学の教鞭をふるう叔父に産れ、大学に入っらない身内の肩書きに甘えつつ、しかしなが そとテントを這い出てみると遠足中の幼稚園た頃は地質学の研究者を目指していた。 らばく自身は研究職就けなくて歳の博士号 児にぐるりと囲まれていた。 持ちニートになっちゃったねえアハハとニガ 公園の片隅にペグなしで張っていたテント人生をばんやり考える春から実際の卒業笑いを繰り返すポャケ人生を送るのだろうか は、天幕が弛み夜露でビショビショに濡れて研究を始め、将来を初めて意識した。このま などとテントの中で一人ボタボタ涙をこ いる。キャンプの朝にしては遅すぎる午前 9 までいいのだろうかと考えるようになった。ばすばかりなのであった。秩父の山々が初夏 振り向けば 120 社の右往左往

3. バカタレ―!就活のバカタレ―!

究生の間にポスター発表も一度やりましたし。ので別々である ) と 3 回も大きな出来事があ風はとても大事だし、面接官は結構こういう で、まあ履歴書のほうは 2 行分追加するだけり、その前 2 週間ぐらいはほとんど就活まとところも見ていると思う。ちなみに自分が ( まあこれが結構めんどくさいです力 1 ゞ。行もにできていなかったりするので、こういっ入った会社は内定式のあとほとんどみんなす 増えるだけでも大変 ) だからまあ置いとくとた事態に備えて先にしつかりと実験結果を出ぐに帰ったし引きこもり体質な自分には合っ して、やはり問題は面接ですよね。面接でこしておきましよう。自分の研究分野は磁性薄ている ! ! 適当にだらだらと書きましたが、 の 1 年分のプランクはまあ聞かれるに決まっ膜なのですが、実験量が膨大でなかなか結果 2011 年 3 月卒業の人も 2012 年 3 月 ているわけですよ。というわけで、面接対策がでないため、とても苦労したので、そうい卒業の人もきっと今の状況から改善はなかな としてのセオリーとしてはこれを武器にするう研究室に入らないようにしよう ! かしないと思うので、自分の今までの人生に んだ ! ! となるわけですが、そんなの簡単にでは最後に、自分が会社を選択する上で一自信を持って ( これ大事。自信がないと面接 出来たらみんなやってるわあほか。だからこ番大事だなあと思った社風について書こうとで弱気になってしまったり・ : ) かんばって社 そ出来たときには武器にはなると。結局自分思、つ。ここでい、つ社風はまあすなわち会社会人を目指しましよう。 の場合はまったく武器に出来なかったわけでの雰囲気なんだけど、 すが。最終面接で「そこまでやったのに何でこれはとても大事で一 ↑ = = 不にいかなかったの ? ん ? と聞かれす。社風にあわない て一瞬躊躇してしまったりした。内定をも会社に行くと大変な一 らったところではその一年で反省して勉強おことになる。たとえ一 しの 山山をこ よび実験をしつかりと行い、発表もしたりしば内定式の飲み会で在 現 ( 女ロ」 ン・卑 ましたで通ったのでたいして聞かれなかった一番端の人一気飲み 年、勹月 だけですので、結局武器には出来ませんでしをして、次にその左 0 気 成 言どイ , を たね。どうやったら武器にできるんだろうか。隣の人が一気飲みを 年 「 ( 格ら五望告ュ、ス 志、三 0 し。又 ちなみに、研究のほうは 2 月に中間発表、し、次にその左隣の 1 丸聿ロ技 4 月 1 日に学会発表、 6 月はじめに中間発表人が一気飲み : ・とい ( 我が研究室は学部で所属しているところとうのを聞いた。こん囎 ~ 名年日終歴味 氏生月最学趣ニニロ特新日 こ苦の 研究科で所属しているところがちょっと違うなことかあるので社 一工学研究科生による就活に関する適当な考察

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を迎え始め山全体が石灰でできた武甲山を白話がずいぶん別なところへ行ってしまった。てもらうに限るのだが、友人の深刻な反応を く際だたせる頃には、ばくの研究職に対する院試のことを書いていたのだ。 受け、初めて事の重大さを認識した。 心は完全に折れてしまっていた。 その夏には大切な院試が控えているにも関 小さい頃からキャンプや一人旅が大変好き わらず、ばくはコミックマーケットに申し込だったため、大学入りたての頃には地質学の おい、お前落ちてるぞ夏休みに入った。んでいた。夏コミの 2 日後が院試だった時に研究者になろうと漠然と考えているだけだっ 周囲は院試に向けて準備し始める頃だが、ばは大変笑った。「すいません、コミケに出るた。大学も 4 年になり卒業研究を始めてみて、 くは同人活動をしていた。大学から始めた同ため OQ を作るので暫く研究を休みますーとようやく将来に対する不安が芽生え始めたも 人活動をやめられなかったばくは、卒業研究言ったところほくの指導教官は呆れ顔だったのの、まだ楽観視しすぎていた。ばくがコミ をやっている最中も次に出す OQ のことばかのを思い出す。院に進めばモラトリアム 2 年ケで薄い本を買い漁っている間、同期の友人 りを考えていた。趣味で二胡を弾いてを継続で同人がまだ続けられるなあなどと、冷は院試に向けて指導教官と面接の打ち合わせ 作っていたため忙しかったのだ。。高校の頃め切った研究者への熱意の中でポンヤリとに余念がなかったのである。院進は漠然と考 まで旅バカだったため、大学で完全に別のこ考えていた。案の定、 とをやるのは楽しかった。ばくが中学生の頃筑波大同期の中でた はちょうどフィールやイマージュなど癒し音だ一人、自大の院試 楽が最盛期であり、チェン・ミンやウェイウェに落ちた。 イ・ウーといった中国人が日本で二胡を弾きやや ? ややや ? と 始めた頃だったように思う。大学 1 年の 6 月自分の置かれた状況 から二胡を習い始めたがアジアの哀しみ満ちに面食らった。院試 司丈ン た音色に惹かれたとか、なんとなく中国文化落ちたんだけど ! と 平 が好きだったとかそういう適当な理由だ。 仲の良い友人に話し さ ナ琴 下 て 大学 3 年の冬にそれまでなんとなく弾いてたところええっと本 版 し 介 いただけの二胡を、同人 O Q にして頒布しょ当に驚いていた。こ を 地 うと思いついた。ほくは同人サークルでの音ういう時は「バッカ e 名終歴 氏最学出 楽活動というものにハマっていた。 でえ」と笑い飛ばし い、い、大県日田予 最近の面日い発見 イセトも企いてれえ 直でちえれ。 ぞ、、るキにル人のケアをでをる人は にん、しラトスイしをらなソ 座右の銘 191 振り抜けば 1 2 0 社の右往左往

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られなかったし、就活の経験も浅く準備不足始めた。まだまだどうにかなると思って就活きなかったこともあり、おれは中途半端な研 だった。あの人事のお姉さん美人だったな。に専念することにした。この時期はたくさん究状況ということをばっさばっさされた言い ロ月は他にエキスボとか学内説明会とかあっを書いた。 2 日に 1 通くらいのペースで訳にしておこう。そして次の週にはカネボウ たけどあまり参加した意味なかった。 郵送してたもんだから学内にある簡易郵便局化粧品のと課題提出が待っていたのでギ 新年を迎えてだんだんと説明会が立て込んのおばちゃんにも顔を覚えられた。そして郵リギリまで粘ってどうにか仕上げた。郵送し でくるようになってきた。同時に志望業界で送費や履歴書のお金、証明写真などで気づかなきゃならんかったけど日曜なので車をもっ ある化粧品会社の大手の会社などにをぬうちに費用がかさんでいた。中旬になるとている後輩に頼んで大きな郵便局まで連れて 送ったり目薬で有名な会社の説明会にいってロート製薬の面接があるので夜行バスに乗っ行ってもらい速達で出した。これは間に合う を提出したりなどしていた。このころはて大阪まで面接をうけにいってきた。いざ面かどうか本当にぎりぎりだったが後に選考通 研究室に夜遅くまで残っての先輩たちも接にいってみると来てる人の多さにびつく過の案内が来て届いていたことが判明した。 修論を書いたりしているのに紛れて日々 c.xacn りした。を見てよさそ、つなのをたくさそして 2 月はまだ終わらない。その数日後に を書いていた。ここで提出したも何通かん集めといて集団面 7 通ったのでおれも本気出せば大手の内定もら接でばっさばっさす 、フを えると勘違いしていた。 (f) 送ったのはどれる選考だったんだね。 ま・モ丈」ー「ノ 【て もみんな知ってるような企業ばかりで「身の内容はほほ技術面接 イ . 乙 丈にあった就活」というのができていなかつで研究内容に関する よおなた ス「 . 廴 用 たと思う。そんなかんじで新年の 1 月は終知識や研究スタイル、 女冐 ( 、ニ 日 秋 わった。 臼廴ムこ ストラテジーを聞か ~ を舛 フ / 2 月になるとが通ったりしたのでいろれたりした。おれの レ小 4 ( ( 勝 平 、、は機 一不 ち ~ 乙、タ いろと面接にいくことになったがその前に研究室は比較的意識 ネさす , ~ れ望も勹 ス 々 ( 日・第「フ 2 志月 下化 , .. た第日田て匕し ク 1 は中間発表をやらなきゃいけなか 0 た。たの低い人が集ま 0 て釘カし 廴も弁乙ム 定 十 0 ー。一介 の、イ 土円な 1 ーマ だこれは適当な感じで準備してたのでボロポきていたり、教授も c.D 4 の吶 , こ 々 を一生勾銘 の。目レ本 右。勹ーの ロな発表に終わってしまったと同時に就活の退官近いので高いレ頂 ( 名年日イ歴身 Z 氏生月バト出キ 座 こ , 一•-éム , 沽れロ u 」 影響でうまく研究が進んでないことに気づきベルの研究とかはで 4

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博物学然とした風貌である。 偏差値 35 、哲学専攻者たちのプロ農を継ぐヘーゲル研究者 ( 口癖は「ふーん、 哲学とは、要は「女子中学生の交換日記 フィール そうかね」 ) いいだろう。ただし の研究ーだと思えば 年にも渡る、分厚い交換日記の研究お喋りが過ぎた、我が哲学科の就職の状況 2 就職活動をしないまま卒業するスコラ学 について述べよう。 7 人いる卒業見込生 ( 予研究者 ( 口癖は「それをお前に言われる理由 算不足で所帯が小さいのだ ) の中で就職活動はないが」 ) たとえばこんなことを想像してほしい。あを成功させたのは知る限り一人で、化学科か なたは田舎から転校してきた中学生だとしよら転科してきた、いわゆる理系ドロップアウ 3 単位不足で留年する論理哲学研究者 ( ロ トだ。しかしディズニーリゾートはジャング癖は「だってセンセイ 5 じゃないっすか」 ) 判別も難しい都会のギャル文字を解読し、ルクルーズのキャストを三年間勤め上げ、大 今は何の話題がホットなのかを解読しなけれ手百貨店に内定を決 ばならない。 めた、まさに違う世 「この時 < 子は麻布十番の鯛焼きのことを界の住人。笑顔が爽 話しているように見せかけながら、子のやかで親切、誰にで 、つ 持っている化粧品を使い方を批判していたのも親身にあたってく れる、友達甲斐のあ 在 というあなたの考察が大勢の人に認められる人間とはこのこと 現 0 女 日 れば、その書き込みは交換日記の輝かしい 1 である。 ページとなるだろ、つ。 では、その大いな る例外を抜いて、他 さイ 電見 そんな作業を無為と感じるかどうか、これのメンバーを紹介し 4 ろ し 、′発 はもしかしたら哲学科の適性なのかもしれなよう。 面 4 地 の b—名年日イ歴身 近「お Z 氏生月バト出 L.LJ ヾ、」 0 東北で実家の酪 ト・邸會 . ( ル、 4 ・み・レ ) 119 就職偏差値 35 ! ! 夢を諦めるための就活 @哲学科

7. バカタレ―!就活のバカタレ―!

アドバイスをもらったりしていたのだが、 2 8 年 2 月、初め で ての就職活動をむかえる 企業によってはマイベージのアクセス回 ことになった。学部生の 2 数も確認しているという話をきいたため、 の毎日のようにマイベージをチェックして ときにただ研究職につけ タ ればいいやとしか考えず さいた。今思うととても無駄な作業だった。 ス に大学院に進学したためラ用びおそうこうしているうちにⅡ月に入りよう に就職活動を超甘くみてク採専とリ こギやくマイナビなどでエントリーしていた 定秋貴 いた。院生だし研究も頑 内の反め小林製薬の会社説明会にいくことにな 0 た。ここの人事はやり手の人らしく、説大手は早めに採用があるからここで決めてお 張ってるし、何より先輩い負田 @ は 明会に加えてこれから就活をする学生にけば早いところ就活を終わらせて研究に打ち たちや学部生時代の同期 ~ 勝 = むけてのセミナーも行われた。そこでリー 込めるなどと幻想を思い浮かべていた。説日 もすんなりと就職を決め ていたので楽勝で決まるだろうと大きな勘違マンショックを迎えた年の動向についても話会と面接を同時に行う形式で、説明会はまっ いをしていた。いや、 ーマンがやらかしてが行われたりなどありがたいお話を聞くことたく緊張していなかったが面接が始まる前に くれなければそこまで大きな間違いにはならができた。「自分の身の丈にあった就活をすなるとだんだん体がプルツてきた。あれ、も なかったかもしれない。とりあえず世間知らること。ー「大学受験と同じように大手ばかりしかしておれ緊張してるのか・・・面接なん ずなおれは企業へのエントリーを始めた。都でなく滑り止めとなるような企業も受けるこて初めてだったから会場の扉を開ける前にビ 面 会に出て仕事をしてみたいと思っていたのでと。」など基本だがとても重要なことを学んクンビクンしてとまらなかった。やばい、 都会にある企業や誰でも知ってるようなとこだけど頭の悪いびーさかはこれを実行できて接官の人事のお姉さんが美人すぎるし、男の いなかったために就活で苦労することになる研究員の人もイケメンすぎる。さらに隣に ろへエントリーした。バカなことをしたな あ。 2 月の段階ではエントリーが始まったばのだった。そのあとに大阪にいる中の良い先座って一緒に面接をした女の子もかわいいし かりでばちばちエントリ さらにビクンビクンした ! 面接で学生時代に ーシートを書かされ輩と飲んでから帰った。 るようになったくらいだった。研究室の先輩 ロ月になるといよいよ大手の採用活動が本やったことがどう仕事に役に立つのかだと から譲り受けた就活本をみながらせっせと格的に始まりだした。そしてびーさかはか、の内容について聞くという普通の質 co を書いた。仲のいい先輩からいろいろともとおり初めての面接に行くことになった。問だったけどぶるぶるしてたのでうまく答え ャケ酒タワーで出入りが困難

8. バカタレ―!就活のバカタレ―!

志望業界の湧永製薬から通知をもらい、面接いったのだが、トラブル発生。成績証明書が受けに来ていたのは同じ大学のひとばかりで しかも 6 人しかいなかったよ。面接もすごく しかも会場に着くと参加のメー に望んだ。製薬会社の研究職というだけに難ない・ しい面接だった。業界研究ができているかやルが返信されてませんよと言われたりした。和やかで中小企業ってこんな感じなのかと面 研究スタイルについて質問された。ここの面メールについては向こう側のミスだった。一食らった。そして数日後に社長面接に来てく 接で最初の質問の時に一番端っこに座ってた般常識テストと作文、面接がおこなわれておれと電話があった。藁にもすがる思いで受け おれがなぜかスルーされて 2 番目の人から受れは散った。この辺から本気で留年して就活ていたおれは即答で受けさせていただきます け答えが始まって 1 周してから思い出すかのするかさっさと修了して公務員の勉強に専念と返事をした。そして社長面接をしてから 2 日・後にここから内定をもら、つことになった。 ように聞かれたのは落とすフラグだったのでするかなどを真剣に考えるようになった。 トーアェイヨーでになることを考えて研究開発職につくという夢を途中あきらめて すね、わかります。 6 月に入ってからも 3 社 いた俺は絶望していた。だがここであきらめ他職種でも就職活動をしてあがきつづけたり 面接を受けたがみんなお祈りだった。切羽 詰ってきたおれは公務員試験も受けたりしたたら試合終了だ、まだ選考に応募しているともしたが結果的に本来の希望職種に就くこと か勉強なんてしてないから受かるわけがなころはあるから頑張ろう。月に入ってかかできそうなので良かった。ようやく脱・無 かった。 7 月も面接 1 社に説明会 3 社受けたら後輩がお水のバイトで見つけて教えてくれい内定クラスタを実現することができて今に んだけどね、おれは無い内定クラスタのままた山口にあるリサイクルトナーの会社の三笠至る。 だった。 8 月もいろいろと受けたが余裕でダ産業を受けた。よくある一般常識の筆記試験 無い内定クラスタびーさかによる就職活動 と英語の試験に面接と三本立ての選考だった。 メだった。 用 のガイドライン 就活の大原則「新卒で人生の 9 割は決ま 工 フ これから就職活動を始める方は就職氷河期の る」、これががよりびーさかを苦しめた。 茶で不安になるかもしれません。何の予備知識勝 9 月からは秋採用が始まる。これに全力を タ もなしに就職活動をするとあなたも無い内定 ス 注いで就職を決めようと再び頑張ろうと決意 ラ した。 9 月にトーアェイヨーの筆記試験をう なクラスタになってしまいかねません。ここでク 定 ッ 就職活動で起こりうるトラブルとその対策に内 けに広島に行った。筆記試験は生物学の超基 無 イついてご紹介していこうと思います。 礎的な内容で専門だったおれは余裕だった。 9 月後半に東京で面接ということで勇んで

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たほうが詳しいんじゃない。ーと、明らかにもっといろいろな視野を持っことと、人とのしかし、 3 0 社ほどの化学メーカーにほとん 退屈そうに答えているのがわかった。しかつながりを大切にしなさいとの忠告であった。ど相手にされなかったのに、最終役員面接の し、本田さんは仕事のお話をするどころか、本田さんから忠告された中でも、「チャンス時点でもう十分満足をしていた。そのため、 「そんなことよりも、そっちの研究の調子はを最大限に利用しなさい」というのは私にももう、やれることをやったので、海いはまっ たくなかった。 どう ? ーとか、「最近、こんなことがあった思い当たる節があった。 んだよ」とか、全然関係ない話題を振ってき実は、私の指導教授は元電機メーカーで部現在は、紹介していただいた総合電機メー た。仕事以外の話題だったため、私は内心焦っ長まで務めたことのある方であったため、非カーで研究者としてお世話になっている。実 てしまったが、本田さんは私を諭したように、常にその会社と強いつながりを持っていた。際、仕事をしている内容は、機械系や電気系 語り始めた。 ただ、電機メーカーであったため、専門外だつなどになってしまっているが、その中で、 「仕事の情報なんて、調べれば いくらでもたことと、何よりこの様な形で入るのは自分学に関係した新しい研究開発を立ち上げると 出てくるけど、そこの人間関係なんて調べての信念が崩れることではないかと危惧をして いう事で、新入社員ながら私に白羽の矢が もわからない。仕事が厳しいかなんてどこへいた。そのため、このチャンスを利用するべ立った。おかげ様で、現在は充実した日々を 行っても一緒。まして、先のことなんて何がきなのかどうか、しばらく考える日々か続い過ごさせてもらっている。結果的には、化学 起こるかわからない。たた、こうした人間関た。 メーカーでの研究ができなかったが、周りが 係は自ら築くことができるし、仕事は一人で 3 月下旬。桜の季節に差し掛かり、企業は化学で優秀な人間がいる中で、自分を最大限 はできない。それはどんなに優秀な人であっ学生に対して内々定の準備に取り掛かる。そ生かせるのかはわからない。今の企業に入っ てもだよ。人のつながりは大事にしたほうがのため、この頃から非常に荒ただしい季節にて、何も化学とは関係ない業種では、化学が 1 つの大きな武器となることがわかった。なに いいよ。君もチャンスがあるなら最大限利用なってくる。私は、 3 月下旬に念願の化学 で するべきだと思うよ。」 メーカーから、最初で最後の最終役員面接まので、今後就活する人間にとって、参考にしク て と私に対してこの様に伝えた。私は、就職で行くことができた。その会社は、産業用ガてほしい。 っ 活動のためにお話をうかがうために、就職活スのトップメーカーと呼ばれているところで、ちなみに余談ではあるが、 << 硝子での工場 市 動以外の話を聞いたら時間がもったいないと現在では、日本でトップシェアを持っている。見学に対する交通費は首都圈一律円、手 感じていて、周りが見えていなかったことはだが、私は最終役員面接で落ちてしまい、そ部長クラスの年収は約万円だそうな。売 確かである。本田さんはそんな私に対して、の時点で化学メーカーに勤めることを諦めた。まあ、今となっては関係のない話だが。

10. バカタレ―!就活のバカタレ―!

私の就職活動は、 と語っていた。当時の状況を考えしまい、まわりの人たちがまったくアピール跖 年度の所謂「売り ると確かに感慨深いものを感じる。 をできない状態という最悪の結果になった。 手市場」と呼ばれていた時 私自身は就職活動を始めるとき面接後の帰り道で、その男は、「俺は好印象 場なし 代だった。しかし、実際に は、売り手市場だからといって、甘だったし楽勝だったよ ! 」とか、「ここが駄 市はい 蓋を開けてみれば「これ く見ているわけではなかった。しか目でも売り手市場だから大丈夫だよ ! 」と、 は本当に売り手市場なの し、自分自身のこころの片隅に「ま語っていた。その後の面接でその男を見かけ 手でか あ、最後は何とかなるだろう」といていない。このような、ケースを経験したの か ? 。と疑念を抱きながり - クあ らの就職活動だった。な うことを無意識に感じていたのかもは私だけではないと思う 売ラ = ぜ、そのように感じたかと しれない。実際に、当時のニュースところで、私の母校は千葉県に拠点を持っ いうと「一生懸命がんばれ や新聞では「売り手市場」と騒がれ、大学で、当時、私は有機化学関係の研究室に ば、いっか報われるーという大前提が崩壊し学生たちの間でも就活に対する不安がある一所属していた。就職希望先も、化学メーカー たこと。その理由に、気が付くのに結構な時方で、心の奥には、まあ、何とかなるだろへの就職を考えていたが、私の専攻自体が純 間を費やした。がんばっている姿を見せれば、う ! という「根拠のない自信」が蔓延してい粋の化学を研究している専攻ではなく、建築 企業に対して何とか通じるものがあると錯た。その「根拠のない自信」が、みんなを翻もやっていれば都市のインフラなども行って 覚を起こしてしまい、実は今までの学校生活弄させていた。 いる、いわゆる寄集めの専攻である。そのた では敷かれたレールをただ進んでいただけで実際に私が経験したことだが、ある鉄鋼め、化学を研究しているのにもかかわらず、 あったことに、就活当時は気が付かなかった。メーカーの集団面接へ行ったときに、まわり化学メーカーからはまったく相手にされない 後に、就職活動が終ったときに、精神講座のの人たちが緊張している中で一人だけ違う雰状況であった。それは何故かというと、採用 教授から聞いた話で、 囲気の男がいた。その男は、、、 し力にも俺は他側にとって一から化学を勉強していない者を 「人間は常に都合の良いように、解釈や希の学生とは違うんだよ ! というオーラを漂わ採用すると、あまりにもリスクが高すぎるそ 望をもたらし、自分の精神を安定させる防衛せていた。だが、蓋を開けてみると、質問さうだ。ただでさえ、一から化学を専攻してい 本能が働く。更に周りを冷静に見られていなれた内容をきちんと受け答えできていないどた人でも就職枠が厳しい状態であったため、 い状況では、より強い防衛本能が働く傾向にころか、非常に話しが長い。集団面接のため、同じ土俵に立つのは至難の業である。そのた ある。」 その男のおかげで全体の面接時間が終わってめ、スタートラインに立つ前から結果は判明