エッフェル塔 - みる会図書館


検索対象: うたかたの花
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1. うたかたの花

人、百年間の入場者総数は一九九三年に一億五千万を超えた。世界的な旅行プームが続く限り、こ の数はさらに増え続けるであろう。私たちもその中の一人ではあるが、エッフェル塔の翻訳や著作 をもってエッフェル塔に登った人の数は多分きわめて少数であろう。 ェッフェル塔の見学は、訳者にとって貴重な体験であり、忘れ難い一日となった。塔を降りて、 公園の中を歩いた。セーヌ川をはさんで、対岸にシャイヨー宮が見える。一九三七年の万国博用に 建てられた建物で、デュフィのフレスコ画「電気の精ーが展示されたという。これは『電気の精と ハリ』に出てくるので、頭に残っている。 「あれがシャイヨ 1 宮よー 「そうか。この次にしよう。もう帰ろうよ」 もう六時近いが、ヨーロッパは夏時間のせいか明るさが残っている。この次はいっ来られるだろ うか ? ェッフェル塔はパリのあちこちから見られるが、やはり近くで登って見るエッフェル塔は 格別である。まして、翻訳後登ったのは、今日が初めてであり、技術者の案内つきである。これ以 上の幸運があるだろうか。訳者冥利につきるとは、このことであろう。振り返ると、エッフェル塔出 の先にエッフェルの顔が浮かんだような気がした。北脚のエッフェルが現れたのだろうか。もう一思 度振り返ると、エッフェル塔が小さく見えた。私は不意に自宅の小さな十センチほどのエッフェル 塔の模型を思い出した。二十年以上前に東京のデパートで買い求めたものだ。そのころはフランス 旅行など思いもよらず、ただのフランス語講座だけがささやかな慰めだった。学生時代にフ ランス語を専攻したのではあるが、家庭に入ってからは、鳴かず飛ばずの生活を送っていた。その 2 ろ 7

2. うたかたの花

「前は、いたけれど、今はいません。事務所に行かれるといいでしよう」 この日は週末の土曜日だった。サイツ氏は車で三時間かかるコンピエーニュに戻るという。 にも仕事場があるので、両方に住宅があるらしい。互いに別れの挨拶を交わし、佐藤と私は地下鉄 でエッフェル塔へと向かった。 実は、エッフェル塔へ登るのは、これが初めてである。二年前パリを去る前日の一時ごろプロッ ソレ氏に『エッフェル塔物語』を推薦され、エッフェル塔の近くの公園まで来たが、あまりの人波 に恐れをなして、次の予定の場所 ( フランス国立図書館 ) へ行った覚えがある。つまりエッフェル 塔へ一度も登ることなく、翻訳に取り組んだわけだ。このことをサイツ氏に述べて、「ちょっとお かしいと思いますか ? ーと聞くと、「別におかしくはないですーと真顔で答えたのだった。 翻訳に専念した一年間、さらに今年五月に出版されてからパリに来るまでの四か月間、エッフェ ル塔に今度こそ登ってみたいという願望がいつも心の奥にあった。また前回は急いでいたせいもあ り、土産物屋ものぞかなかったため、エッフェル塔に関する資料もほとんど入手しなかった。翻訳 に行き詰まると、土産物屋にでも何かヒントになるような資料はなかったかしらなどと何度も思い もしたが、あとの祭りだった。しかし、意外なことに、土産物屋には、エッフェルやエッフェル塔 関連の文献資料のごときものはなく、ただ観光客用の通俗的な土産物が並んでいた。イギリスの 「シェークスピア・センター」 ( 生地ストラットフォード・アポン・エイヴォンにある ) のようなも のを期待していた私は、少しがっかりした。 2 ろ 4

3. うたかたの花

『エッフェル塔物語』とエッフェル塔 今回の旅のハイライト、一番楽しかったのは、訳書『エッフェル塔物語』の原作者に会い、その あとエッフェル塔を見学したことである。 『エッフェル塔物語』の原題は、 LA TOUR EIFFEL Cent ans de sollicitude ( ェッフェル塔、 百年の思い ) である。この本の翻訳は、二年前の二〇〇一年夏プラン社を訪れた折に、取締役のプ ロッソレ氏から翻訳を勧められたのが動機であった。贈られた原本を日本へ持ち帰り、編集部の承 諾を得て、出版にこぎつけたのである。 原作者フレデリック・サイツ氏はコンピエーニュ技術大学教授で建築の専門家である。滞在先の ホテルへ訪ねてきてくれたサイツ氏を近くの中華料理店へ誘い会食した。早速訳書と訳者あとがき の仏訳と新聞・雑誌の紹介記事の仏訳を渡すと、とても喜んでくれた。訳書の表紙の帯封には自作 の和歌 ( 百年の思いのこもる鉄の塔ェッフェルの夢フランスの夢 ) があるが、これも説明する咄 思 と、「エッフェルの夢ーと繰り返してみせた。 の 原作者に会い確認した重要事項の一つは、万博用地の表記に関することである。原文には、二九 一〇〇〇メ 1 トルとしか記述されていないが、百年前の公文書の様式でもあり、単に「メートル の意味ではなく、「平方メ 1 トルーの意味であることが判明した。もちろん、訳文としては、前後 の事情から「平方メ 1 トル」として訳したので、問題はないが、確認できてよかったと思った。 2 ろ 1

4. うたかたの花

夕方八時すぎでしたが、エッフェル塔が金色に輝いて見えました」 「それはよかったですね」とフォレ氏。 数年前パックツアーでフランスめぐり ( 現地十日間 ) をした時の最後の「お別れディナー」の場 所がモンパルナス・タワ 1 だったのだ。あの時は、最初の訳書『電気の精とパリ』の翻訳が決まる か決まらないかの瀬戸際で、何とか出版にこぎつけたいと、そればかり祈るような気持ちで旅を続 けていた。その時に比べれば、今は何という幸運であろうかー あれからわずか五年ぐらいの間に五冊の訳本を翻訳・出版の機会に恵まれた。『エッフェル塔物 語』は四冊目であるが、訳者という肩書きがあればこそ、技術部門の責任者の案内つきで、エッフ エル塔内部を見学するという破格の待遇を受けることができた。亡き父母にこの話をしたら、きっ と喜んでくれただろう。多分天国から見ているに違いない 「それでは、ごゆっくりどうぞ。と言って、フォレ氏は特別の入場券を渡してくれた。夜十一時ま でいられるらしい。四階に生前のエッフェルがエジソンと談笑している場面を示す部屋があった。 いずれも実物大の人形であるが、エッフェルの使っていた部屋がそのまま再現されている。他に は、工事に使われた水力機械の実物と土台の写真が展示してある。郵便局もある。中に入って、葉 書の一枚も出してみたかったが、佐藤が急いでいたので、やめた。この日の朝郵便局へ行き、二十 分も待たされたのがコタエタらしい 二階はほとんどカフェテリアと土産物屋である。初期のころは、世界各国の料理店が軒を連ねて いたらしいが、今ではすっかり庶民の街となった観がある。ェッフェル塔の入場者は年間四百万 2 ろ 6

5. うたかたの花

つかは自分も住む時が来るのだろうか。 オペラ座の近くの商店街に「パッサージュ」を発見した。「パッサージューはガラス工芸のアー ケードで、十九世紀後半に多く造られた。国立図書館の近くのパレ・ロワイヤルの「パッサージ ュ [ が有名であるが ( べンヤミンがその付近を散策し『パッサ 1 ジュ論』のヒントを得たという ) 、 ハレ・ロワイヤルへ立ち寄るヒマがなかったので、今回は見送りと思っていたが、思いがけない場 所で発見できた。この商店街には、鉄道初期の客車が一両陳列してあった。由来などを示すものは リの中心街にある。リョン駅にでもあれ 一切ない。通常なら博物館行きとなりそうなものが、パ ば、まだ分かるがなどと思った。国立工芸院がふさわしい場所かもしれないが、そういえば、あそ こは大きなものはなかったようだ。アメリカの「アメリカ歴史博物館」には、バスや列車が館内に これ あったが : : : 。商店街の中の客車は意外ではあるが、人目に触れる方がよいのかもしれない。 も、産業遺産の一つであろう。 「エッフェル塔のそばへ行ってみよう」と川村が誘った。 ェッフェル塔の概要と背景を説明してくれた。 ェッフェル塔は一八八九年パリ万国博の呼び物としてギュスタヴ・エッフェルによって建てられ たが、建設当初から美観を損なうという反対意見も多かった。営業権が消滅する一九〇九年には取 り壊しが予定されていたが、当時発明されたばかりの無線通信のアンテナとして役立っことが分か 存続が決定した。その後ラジオ放送、テレビ放送の施設として親しまれるようになり、次第に パリのシンポル、フランス全体のシンポルとなった。文化遺産。世界遺産。ェッフェル塔には、。、 164

6. うたかたの花

よく分からないし」 「何だか疲れましたね」 パリの本屋で、適当な本を探すつもりだったが、本が多く、どう選べばよいか途方に暮れた。選 ぶ基準も、あってなきがごとしなのだから、迷うのも当然である。結局、彼は参考資料として技術 や博物館関係の書物を買い漁った。 「やつばり、プロッソレが勧めてくれた『エッフェル塔』がいいかな。とにかく、日本人に知られ ているし」 「そうですね。メールで編集長に、推薦されたことを知らせてくださいね」 「そうしよう。もう帰ろうか」 帰りの話題はプラン社が中心だった。バニューのように、レストランに招待されたわけではない が、最高のもてなしを受けた気がした。 「取締役が出てくるとは、思わなかったな」 「ほんと。ビジネスかも知れないけれど、『エッフェル塔』を推薦してくれたし 「これで、原作者全員に会ったことになるね。あとは、博物館だね」 「帰国する前に、エッフェル塔を見にいきましようよ。是非見たいわ」 「そうだね。それが、旅の終わりかな」 148

7. うたかたの花

聞きながら、出版カタログの解説をしてくれた。 「文化遺産の運命シリーズというのが出るんです。第一作は『エッフェル塔』ですが、どうです か ? 四月に出たばかりですー 「文化遺産の運命シリーズ。とは十冊以上のシリ 1 ズで、次のように要約されている。「文化遺産 の歴史 : : : それぞれの時代には驚き、象徴、魅力が隠れている。通説とは逆に、我々の時代に最も 近い時代がしばしば一番好奇心をそそる時代でもある。文化遺産は絶えず復活する運命にあるが、 時には波乱万丈の再生となることもある」。具体的には、『エッフェル塔』を先頭に、『トロネ修道 院』『エ業都市ル・クルゾ』『アネ城』『ヴィランドリ城の庭園』『アルクⅡ工Ⅱスナン王立製塩所』 が続く予定という。 「日本では、エッフェル塔がよく知られています。それを見せてください と川村。 「どうぞーと手渡してくれた。 「エッフェル塔ーは二百ペ 1 ジ未満の比較的薄い本ではあるが、図版も多く、一般向けである。何命 る より、知名度がある。川村は私の方を向いて、「これにしよう。もっとも、編集長がどう一言うか分あ 甲 からないが」と言った。私もうなずいた。 て き 「それでは、この本をいただいて帰って、編集長に相談してみます。また、ご連絡しますーと川 生 村。 「ご返事を待ってます」とプロッソレ。「他の本はまだ出てませんが、興味のあるものはあります カ ? と聞いた。

8. うたかたの花

当日券の売り場はもっと混雑していた。 「これじゃ、ムリだね。切符を買うだけで一時間以上かかるね。残念だけど、この次にしよう」と 川村が言った。 「そうね。『エッフェル塔』の翻訳が出版されたら、また来ましようか。出版祝いに」と私。近く のべンチに腰を下ろした。 プラン出版社の取締役のプロッソレが『エッフェル塔』を推薦してくれたので、帰国後編集長に 企画書を提出し、承諾があれば、翻訳にとりかかることにしていた。そこで、パリ滞在の最後の思 い出に、エッフェル塔を見にきたのだ。 しいか」 「日本に帰ったら、早速企画書を書こう。編集長がしてくれるとゝ 「出版されたら、プロッソレさんに見せたいですね」 「そうだね。きっと、喜んでくれるだろう」 「ここの売店にでも、置いてもらえないかしら ? 日本人観光客も多いことですし」 「それも、プロッソレさんに頼んでみよう。案外うまく行くかもしれないよ。国立図書館だって、 受け入れてくれたんだからー 「ほんと。意外でしたね。『人生には、思いがけないことがある』なんて、プロッソレさんも言っ てましたけどね。ともかく、『寄贈』の件は、原書に価値があるということかしら」 「すると、『ファープルの昆虫記』のように、原書の価値が高いと、世界的にロングセラーとなり、 訳者の名前も残るというわけかな。そうなればいいね」 162

9. うたかたの花

ェッフェル塔 ツアーの最後はパリだった。ジャンヌ・ダルクが処刑され、今は記念聖堂が建っているルーアン を経て、パリのコンコルド・ラファイエット・ホテルに入った時は、日が暮れていた。ロビーに立 って見渡すと、ポストンのマリオット・ホテルが思い出された。不意に、田中の顔が浮かんだ。広 いロビ 1 の向こうから、こちらに向かってくる男性が彼にそっくりに見えた。やはり、団体客の中 に一人まじって旅をするのは侘しいものだ。日頃の生活も人生経験も違う人々と一緒に、時間だけ を共有するのだから、どこかにムリがあるのかもしれない。彼ならすぐ分かってくれることも、他 の人には通じないのかもしれない。無事に帰国したら、早速彼に会って旅行中のいろいろな出来事 や感想を伝えたい。彼と滞在したマリオット・ホテルを思い出したので、急にホームシックになっ てしまった。 行 旅 夕食の席は、五十九階建てのモンパルナス・タワーの中のレストランだった。最上階のレストラ ス ンに入ると、暗闇の中にライトアップされたエッフェル塔が浮かび上がっていた。建物のライトアラ ップは、今では日本でも珍しくなくなったが、多分その起源はこのエッフェル塔のようだ。『電気あ あ の精とパリ』には、十九世紀の終わりにエッフェル塔は色フィルターっきの電気標識灯をもち、好 天の際はその標識灯はオルレアン ( パリの南方一一六キロメートル ) にまで届いたという文章があ る。「電気ーが出現するとともに、「夜ーが終わり、不夜城のごとき都会が出現したのだ。現在、夜

10. うたかたの花

生きて甲斐ある命ーー原作者を訪ねて ( 二〇〇一年、パリ ) バニュー / リョン駅 / ポーヌ / フランス国立図書館 / プラン出版社 / 国立工芸院技術工芸博物館 / ポンピドウー・センター / ェッフェル塔 4 ゼウス神殿 ( 二〇〇二年 ) ・ コリントス、エピダウロス、ミケーネ、オリンピア / デルフィ、メテオラ / アクロポリス / エーゲ海一日クルーズ / コペンハーゲン パリの思い出 ( 二〇〇三年 ) : ガール・ド・リョンと周辺 / フランス国立図書館 / 国立工芸院技術工芸博物館 / プロッソレ氏 / フランス学士院科学アカデミー / ロンドン / ロンドンからプラウンシュヴァイクへ / ベルリンから空路ミュンヘンへ / ミュンヘンからパリへ / バスティーユ広場 / リールへ / ラ・ヴィレットの技術図書館 / プーランジェ氏 / パリ最後の日 / モンマルトルの丘 / 『エッフェル塔物語』とエッフェル塔 次 目