松村光秀《黙唄》 コンテ・和紙 152.0 x 33.0cm 1984 年 Matsumura Koushu ハ Si/ent Song 松村光秀はつむら ・こうしゅう / 1937 ー 2012 年 ) 京都市生れ。 1952 年京都の看板屋「竹松画房」で働く。絵は独学。京展、 ニ科展に入選。京都祇園の都雅画廊で個展を開催。木彫も創る。 2012 年没、 74 歳。 343
松村光秀《蝶とほうづき》 油彩・キャン八ス 115.0 x 37.0cm 2008 年 Matsumura Koushu Butterf/y and Ground Cherries いの、 0 松村光秀はつむら ・こうしゅう / 1937 ー 2012 年 ) 京都市生れ。 1952 年京都の看板屋「竹松画房」て働く。絵は独学。京展、 ニ科展に入選。京都祇園の都雅画廊で個展を開催。木彫も創る。 2012 年没、 74 歳。 351
松村綾子《紫陽花》 油彩・キャンノ ( ス 38.0 x 45.4cm 1960 ー 73 年頃 Matsumura Ayak0 Hydrangeas 松村綾子 ( まつむら・あやこ / 1906 ー 1983 年 ) 1 27 その後、京都市展委員を務める。 83 年京都で没、 77 歳。 40 年ニ科会会友。紀元 2600 年奉祝美術展に出品。 62 年京都市展て受賞。 仙台生れ。関西美術院で都鳥英喜、黒田重太郎に師事。 1937 年ニ科展特待。
甲斐荘楠音《太夫道中図》 妖艶な太夫のめた官能 この作品を家の中で見つけたのが今から三〇年ほど前のことで、島原太夫の道中図であるこ とは一目で分かった。この絵を見たとき、その毒毒しさと妖艶さに驚き、横溝正史の作品を思 かむろ い出した。太夫のどこか冷めた表情と禿の不思議な笑み、寸召【 9 こ田 ま只百 ( 糸かく描かれた着物と孔雀 の羽、このバランスかよリミステリアスな日本画という印象を受けた。日頃見れていた美し く凛とした女性ではなく、不安定な歩みと見物人を見過ごす冷めた表情が、牙 ( 、メ ムこ寸して「この 世界か解るか」と言わんばかリであった。この絵は京都の画家によるものと推察し、インターネッ ト検索もない時代なので、図書館で『美術年鑑』を探し、その物故作家欄で甲斐荘楠音を発見 した。この作家は「醜い絵」と酷評されながら自身が女性的な男性であるがゆえに見えてくる 女住の醜い部分を描き続けた。その後、日本画家としての自分の居場所を失い映画界に身を転じ、 溝ロ健ニ監督のスタッフとして時代考証を担当し、「雨月物語」に代表される溝ロ健ニの世界を 支えるに至った。 この作品を観るとビロードの表具が妙に不気味で、「シャーン、シャーン」と音を響かせなが ら禿と共に、絵の中から太夫が歩き出して来るような不思議な世界に引き込まれてしまう。平 いきづく清念甲斐荘楠音展ーが開催さ 成九年京都国立近代美術館で「大正日本画の異才 れたとき、美術展の準備段階で多くの太夫の写真が確認され、美術館側が探しておられた太夫 図の一つがこの作品である。 橋本昌也 ( 京都府京都市 )
都鳥英喜《べニスサンマリア寺》 油彩・キャンノ ( ス 43.5 x 63.5cm 1920 年 TOtori Eiki The Basi/ica ofSaint Mary, Venice 都鳥英喜 ( ととり・えいき / 1873 ー 1943 年 ) 千葉県佐倉生れ。浅井忠に洋画を学ふ。 1891 年明治美術会会員。 1901 年 太平洋画会創立会員。 06 年関西美術院教授。 19 ー 21 年渡欧。 30 ー 41 年京都高等工芸学校教授。京都て没、 69 歳。 33
甲斐荘楠音《太夫道中図》 日本画絹本着色・軸 101.5 x 37.0cm 1924 年頃 Kainosh0 Tadaoto Tayu Dochu 朝 Parade of High-Ranking Courtesan) 甲斐荘楠音 ( かいのしよう・ただおと / 1894 ー 1978 年 ) 京都市生れ。 1915 年京都市立絵画専門学校卒業。 24 年国画創作協会会友。 28 年「新樹社」を結成。 40 年映画界に転身。 56 年「山賊会」の活動を通 じ絵画を発表する。 78 年没、 83 歳。
麻田浩《窓・鏡》 油彩・キャンバス 162.1 x 130.3cm 1993 年 Asada Hi roshi Ⅳ / ndo Ⅳ - M ⅲ・ 0 「 . 麻田 ) 告 ( あさだ・ひろし / 1931 ー 1997 年 ) 京都市生れ。 1955 年同志社大学卒。 68 年新制作協会会員。京展須田賞。 71 年渡仏。 プリ・ナショナル賞受賞。カンヌ国際版画芸術ビエンナーレ第 1 位受賞等多数。細 密な洋画を制作し、銅版画家としても活躍。京都府文化功労賞。自死、 65 歳。 329
三尾公三《蒼天へ》 アクリ丿レ、工アープラシ・バネ丿レ 117.0 x 117. Ocm 1999 年 Mi0 Kozo ん an ハ / u 肥 5 々 y ニ . 尾・公三 ( みお・こうぞう / 1923 ー 2000 年 ) 名古屋市生れ。 1942 年京都市立絵画専門学校日本画予科卒。 53 年光風賞 を受賞。 59 年光風会会員。 69 年サンパウロ・ビエンナーレ日本代表出品。 96 年芸術選奨文部大臣賞。京都て没、 76 歳。 32 /
浅井忠《さくら》 水彩・紙 13.7 x 23.4cm 1905 年 Asai Chu Cherry B / 0550mS 曵井忠 ( あさい・ちゅう / 1856 ー 1907 年 ) 江戸生れ。 1876 年彰技堂て学び、同年工部美術学校に入学。 78 年十一会を結成。 89 年明治美術会創立に参加。 98 年東京美術学校教授。 1900 ー 02 年渡欧。 02 年京都 高等工芸学校主席教授。 03 年聖護院洋画研究所創設。関西美術院長。京都て没、 51 歳。 1 5
菅楯彦《高士観梅図》 戦後の焼け野原の中て、楯彦は偉人〈の想いを馳せた。 私かこの作品に出会ったのは五、六歳頃で、再ひ目にしたのはニ六歳の時です。若輩者の私は、 日本画のことも知らずましてや作家名など知る由もあリませんでした。唯、後ろ姿であリなか ら何処となく温かく春の息吹を感じさせてくれるところが好きて、その墨の濃淡が柔らかい雰 囲気を醸し出しています。作者が「菅楯彦」と判明しても真贋は定かではあリませんでしたが、 この絵を観るといつも心が和むため、私は真筆であると強く思っていました。その後、田能村 直入の作品鑑定の機会を得た時、直入指定鑑定人田能村直外氏よリこの作品が真筆てあること を教えられ、私自身の感性が間違「ていないことも褒められ大いに喜んだのです。以降、作者 の名前・評価額にとらわれずに作品を鑑賞しようと努力し今日に至っています。私にとってこ の絵は、美術品を鑑賞するという新しい世界を教えてくれた作品であリます。 橋本昌也 ( 京都府京都市 )