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検索対象: 現代日本の文学23:林芙美子 平林たい子 集
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1. 現代日本の文学23:林芙美子 平林たい子 集

世の中はあまくないということだけは骨身に徹して教えらの波の中にただよってもがいているうちに、こんな岸に打 れた。ところが、彼は、やはり三年まえと同じに、他人かち寄せられたのである。 この室には、ツルヤを出た芙美子も、ときどき、たずね ら金を出させたり、名士にすがったりすることばかりをた よりにしている。しかし私は、彼にたいする失望よりもさてきた。 きに、そんな彼をまた道連れにした自分自身にたいする悲「あんた、伊東さんていい人じゃないの。そんなに男にい ろいろ注文を出したって、一人で兼ねそなえている人間は 哀を感じた。 いないわ。あなたを愛していれば、それでよしとしなくっ あのとき、石田がむりなことをして引き合わせさえしな ければ、こんなことにもならなかったのにと、人をうらんちゃ。あなたが、あんなに愛している人を捨てたら、 でみてもはじまらない。だれよりも自分が、こんな道をえむくいはこないわよ。」 らびさえしなければ、こういうことにはならなかったので芙美子の哲学にしたがえば、愛してくれてさえいればむ くいなければならないのである。 ある。 室をもってから、わずかに、七八日めだったと思う。私しかし、仕事をしたい野心と自信に燃えていた私は、芙 ぽだいしん は、伊東が外出しているあいだに、置手紙をして、深川の美子のような菩提心には耳をかさなかった。 室から逃げ出してしまった。 迷いのあるところには迷いが重なるものである。あとで 考えてみると、伊東にすまないことだし、石田とも後味の隠れ家はすぐにわかってしまった。伊東がまずおどかし 悪い別れ方だった。が、私は、そのときを最後に、石田とに来て、畳の上で新聞紙を燃やしていやがらせた。入れか も伊東ともきつばり別れる決心をして、本郷の大黒屋といわって、石田もやってくる。彼はまた私のいないまにせま い室の家具のありったけを探して、小さい箱にかくしてい 花う酒屋の二階に、自分一人の室を借りた。 めいもう の た原稿料を全部持ち去ったりする。彼のいやがらせは、伊 これだけの迷妄をくぐらなければ、一人立ちする決心が きようらんどとう 砂つかないとは、自分でも甲蛩ないことであ 0 た。しか東とちが 0 て、実用をかねていた。 し、私は、強いようで弱い女だった。どうやら原稿で食べ大きな決心で始めた一人暮らしは、狂瀾怒濤の中にただ られるようにはなっていたが、愛なしに一人立ちして行くよっているようなものだった。しかし、みんな自分でまい カ生た種だから、じっとこらえているほかない。 のは、飢えよりも何層倍かおそろしいことだった。・、、 へや

2. 現代日本の文学23:林芙美子 平林たい子 集

私 の 十 五 く ら い じ 食 ぇ な ね た 143 て貨 めと し′ 二黒 ア重奥そ自ニ らんれ枚ずね のう 転イ のを 十私はは よあ らお いお り揚 のげ こな っサ 人楽 に黒 たを のと でし もた 書が め帰 でか叩にツ 上ひ れと 奥て 私い もし っ白指さ話と 出ら 来ま こけ て女 っか 私カ 女た い人 のてら る達 が持 のひ 寒て 私ア 事ヤおで でも ッ扇な相白は ア早 ・をよ う二だ階し袋る仕 x ご階相下たをと事日 の持 顔の る出飛 / 、き いん母ばてめれ い飛大手 たお 0 り でな此月 頃給 セ勤 ルは を押暗ナ 読若機きら かれ 風し いん 器の って ドに の楽 。私円 : し 立イ 買輪 の電 ま中 何ラ つ車 盾ーシ 両用 放浪 い袴貴 : て言役こ を・・女・た 八にいまん なたてだなれ人金 ず靴豸一ひにたにを て よねを く つ 、つ い よ う で は 見 る と が や ら か 記 っ て く り ば橋る の ナど 田、いお っ陽ひき たをな カ : 、風 ア子こハ器私さ部 ば し て た 重 。聞月 く 、れも も 上のて かはい ら 高て知 。なさ前 し、 足意私ナ も き 男 つ息か カ : て 来 る と 私 は 以 、外 に ら っ の ら の は 、良 に両中 冫こ やのかよ高 。から扇も、 い ナこ の く しなたをく のん屋やを風 。出め暑 の を・ 召女三 の は の 、間 す と 氷 し と て る の し、 、好旨しはに う る と 計 う 恰でれ紙と人ん り赤 、し る あし色 、を はいの ー 1 オ ヤ ょあ う ま に の 人 も い 、務 服 に 着 か ぇ な が ら や イ ン キ を 机 か ら 出 し て ド る 眼 が鉛鏡肩を け し ひ 。とを ざ ま 役 、が の と筆をを一きか 、た鳴なな社く給 勤 ら 勉 強 も る と ま の じ よ う だ よ 0 ら し る 彼 女 は 気 軽 そ う ロ を ア シ し 私をと 強 鏡く薄 し た こ男イ 、黒私お板小 茶 の ャ梯を て水段ハを いををハ突 び 、頬るは ト 掌五 にら十 の銭 せ銀 。私こ い屑の 箱扇 の台器 冫こを・ がすか に けし客そでイ、 いされ走 つ ごし店 て の い広さ小おっ勤馴な さ 。役見んる女 は 、し いあけ たてげたて のを下電る 、差いを と 茶 つ 車 て に僧リ え り来 の 。は 忙 が 力、 ン ヤ つ を し て 分月 の 、出 い丹に粉 出塗ぬで い箱ナ 。両や 手 て は 遠 お さ ん 、だ垂さて大七 0 げ を・ も の の 、青 の 私 は 黙 て 笑 つ て た の泡るけ 心、チ の んなか、 う い中立とて と い 呼 ん で い る ス ひ ね の棒 す重は 室え 新く 聞て少 を で重よ い役し たの 。相 : 良ら さ ん . が んい嫌えつイ のくレ い いのた 。達朝 カ : い いいに もた乗 と い いがるト ツ の 社 へ 行 く た ら も し、 た

3. 現代日本の文学23:林芙美子 平林たい子 集

んですが、このひとを二三日お借りでぎないでしようか。」な気持でいた。その目で見ると、カフェあたりで演ずる末 しよう 芻と、私のいるところで申しこんだ。 梢的な男の癖などにおどろくものかと、たかをくくってい 「あら、失礼だわね。平林さんが女給になるなんて。私がた。 前にお頼みしようと思ったのは、会計や女給たちの監督衆木さんの不満そうな顔を見ないようにして、私は階下 よ。お客様に直接料理を持っていくようなことを、平林さの女給になってしまった。 んにさせようなんて心臓が強すぎるわ。」 しかし、私は、衆木さんの大げさな抗議を徴笑してやり すごしていた。 衆木さんに手をひかせるほど仕入れをごまかしたという きれ 「衆木さん、私、女給になるわ。こんなぶつきら棒な女のだけに、この店の主人であるコックは、肉一片、骨一本も サ 1 ビスでもまに合うんだったら、やって見ましよう。」むだにはしないしまりやだった。年齢はもう四十近く見え けいるい 「へえ。」 たが、独身で、たずねてくる係累もなかった。金をためる 衆木さんは、あきれて私の顔をながめて、 ためには、結婚さえ眼中にはないという酷烈な男である。 「平林さん、女給って、とてもたいへんな仕事よ。男の機彼は、オープンにむかって、料理をこしらえて、窓から女 げん きたな 嫌をとることは、専門家でなくちやできないわ。」 給に渡してしまうと、汚いカーテンをめくったまま、いっ まなざ 「そうかしら、でもそんなにむずかしくもないでしよう。 までも女給のサ】ビスぶりを観察していた。その眼差しの 本来男なんてものは、そんなにむずかしくできたものじゃ鋭さを横合いから眺めると、私はそっとする。 ないと思いますよ。」 はじめてコック場にはいっていった日に、私をおどろか 衆木さんは、私を、男を知らないかたいインテリ型の女したことは、二階の衆木夫人が、 ぞうきん だときめているらしい。そういえば、私は何もうち明けて「雑巾にでもなさい。」 よ、つこ 0 と言ってよこした破れた敷布を、 ふきん 「衆木さん、男の法則なんて単純なものですよ。それを幾「雑巾にはもったいない。布巾にしたら大きくて使いしし 度でも、繰りかえしているだけのことですよ。何も複雑なですよ。」 ことはありやしないわ。」 「あらいやだ、敷布を布巾にする人がありますか。そんな 私は、もう、男性の源みたいなものを見てしまったようサービスぶりでは、お客様が、みな逃げてしまいますよ。」 なが まっ

4. 現代日本の文学23:林芙美子 平林たい子 集

みなそれだ。 ああ、ああ、ああ、 切りつけろそれらに とんでのけろ、はねとばせ 私が何べん叫びよばった事か、苦しい ( 七月 x 日 ) 血を吐くように藝術を吐き出して狂人のやうに踊りよ ろこばう。 胸に凍るような侘しさだ。夕方、頭の禿げた男の言う事 には、「俺はこれから女郎買いに行くのだが、でもお前さ んが好きになったよ、どうだい ? 」私は白いエプロンをく 槐多はかくも叫びつづけている。こんなうらぶれた思い しやくしやに円めて、涙を口にくくんだ。 の日、チェホフよ、アルツイ・ハアセフよ、シュニツッラ 「お母アさん ! お母アさん ! 」 ア、私の心の古里を読みたいものだと思う。働くと言う事 何もかも厭になってしまって、二階の女給部屋の隅に寝を辛いと思った事は一度もないけれど、今白こそ安息がほ ねすみ ころんでいる。鼠が群をなして走っている。暗さが眼に馴しいと思う。だが今はみんなお伽話のようなことだ。 ふろしき いしくれ ころ なおや れてくると、雑然と風呂敷包みが石塊のように四囲に転が薄暗い部屋の中に、私は直哉の「和解」を思い出してい っていて、寝巻や帯が、海草のように壁に乱れていた。煮た。こんなカフェーの雑音に巻かれていると、日記をつけ すすめ えくり返るようなそうぞうしい階下の雑音の上に、おばける事さえおっくうになって来ている。 まず雀が鳴いて でも出て来そうに、女給部屋は淋しいのだ。ドクドクと流いるところ、朗かな朝陽が長閑に光っているところ、陽に はんらん れ落ちる涙と、ガスのように抜けて行く悲しみの氾濫、何あたって青葉の音が色が雨のように薫じているところ、槐 か正しい生活にありつきたいと思うなり。そうして落ちっ多ではないけれど、狂人のように、一人居の住居が恋しく いて本を読みたいものだ。 なりました。 むな そうろう ただ 十方空しく御座候だ。暗いので、私は只じっと眼をと しふねく強く じているなり。 くせあそび 家の貧苦、酒の癖、遊怠の癖。 「オイ ! ゆみちゃんはどこへ行ったんだい ? 」 つむいて子供の無邪気な物語を書いていると、つい目頭が 熱くなって来るのだ。 イビッな男とニンシキフソクの女では、一生たったとて 白い御飯が食えそうにもありません。 しみ おれ わび さび あたり すみ めがしら * かいた のどか くん

5. 現代日本の文学23:林芙美子 平林たい子 集

いままでは、こういう行動を肯定していた私なのに、彼て、 女が言葉で論じるよりも先に実行したのをみると、私は自「ほかの人と話をしてはいけませんよ。さ、早く、裏階段 分が何かほかの堅い殻をもった人間だったということに気からかえって がついた。 と叱咤した。ほんの一瞬間に私とやえ子とは失業者となっ て、十五円はいった包を片手につかんで、裏口から表に追 二人がこんなことからひどく不安定な気持だったとき、 い出された。 私たち二人の生活に大鉄槌が振りおろされた。 ある日、私たちが出勤すると、待っていた石山書記補「弱った。どうする ? 」 が、二人を別室につれて行った。 二人は表に出ると顔を見あわせた。東京に出て来て、ま 「きようは、大へんかなしいことをお二人に知らせなくち ゃならないのよ。二人とも局をやめていただくことに、幹だ二カ月にしかなっていない。気よわいやえ子の目には涙 が光っている。 部の方々がきめたらしいんですよ。」 私はあきれていたが、そう言われれば思いあたることが「約束しましよう。信濃館のおばさんには、このことをか ある。 くしておこうじゃないの。」 「それがいいわ。」 一一三日まえだった。私は自分のつかっている交換台をつ かって、麹町の堺利彦氏のところに電話をかけた。交換台と二人は約束した。翌日から新聞広告を見て仕事さがしで の通話は、はるか向こうに陣どっている監督のところにつある。いつものように朝、家を出てタ方かえって、夜は私 ながるようになっていて、だれが何をしゃべっているか彼だけ夜学に行く。 おまささんは、金ぶちの老眼鏡をかけて、毎朝出勤姿の 女がきこうと思えば、・フラグをさしさえすればすぐきける 花仕組みになっている。 私たちをガラスごしにのそいている。この、私の母のいと こにあたる六十何歳のおまささんのことを、ついでに書く 私がお手のものの電話で堺夫人としゃ・ヘっていたとぎ、 監督がじろりと私の方を見た。私はあわてて・フラグをはず必要がある。 砂 したが、すでに遅かったのだ。 おまささんと、妹のおさとさんとは、私の家から養子に くびき 局は馘った私たちに、十五円ずつの手当をくれた。そし行った母の伯父の二人娘だった。妹のおさとさんに、私の からだ て、石山書記補の上役のお婆さん監督が控室にあらわれ村から百姓の養子が行ったけれども、おさとさんは、体 こうじ おそ から てつつい ばあ しった

6. 現代日本の文学23:林芙美子 平林たい子 集

こう言って、父は陽に焼けた厚司一枚で汽車に乗って行 である。後の方から、「おっさんよっ ! 」と呼ぶ声がした。 渡り歩きの坑夫が呼んでいるらしかった。父は荷車を止めった。私は一日も休めないアン・ ( ンの行商である。雨が降 のうがた て「何そ ! 」と呼応した。二人の坑夫がいながらついてると、直方の街中を軒並にアン・ ( ンを売って歩いた。 このころの思い出は一生忘れることは出来ないのだ。私 来た。二日も食わないのだと言う。逃げて来たのかと父が ちょっと には、商売は一寸も苦痛ではなかった。一軒一軒歩いて行 聞いていた。二人共鮮人であった。折尾まで行くのだか くと、五銭、二銭、三銭と言う風に、私のこしらえた財布 ら、金を貸してくれと何度も頭をさげた。父は沈黙って五 十銭銀貨を二枚出すと、一人ずつに握らせてやった。堤のには金がたまって行く。そして私は、自分がどんなに商売 じようす ぼうぼう 上を冷たい風が吹いて行く。茫々とした二人の鮮人の頭の上手であるかを母に賞めてもらうのが楽しみであった。私 は二ヶ月もアンパンを売って母と暮した。或る日、街から 上に星が光っていて、妙にガクガク私たちは慄えていた へこおび が、二人共一円もらうと、私達の車の後を押して長い事沈帰ると、美しいヒワ色の兵児帯を母が縫っていた。 「どぎゃんしたと ? 」 黙って町までついて来た。 - ようい しばらくして父は祖父が死んだので、岡山へ田地を売り私は驚異の眼をみはったものだ。四国のお父つあんから に帰って行った。少し資本をこしらえて来て、唐津物の糶送って来たのだと母は言っていた。私はなぜか胸が鳴って いた。間もなく、呼びに帰って来た義父と一緒に、私達三 売りをしてみたい、これが唯一の目的であった。何によら ず炭坑街で、てっと早く売れるものは、食物である。母人は、直方を引きあげて、折尾行きの汽車に乗った。毎日 あの道を歩いたのだ。汽車が遠賀川の鉄橋を越すと、堤に の・ハナナと、私のアン・ ( ンは、雨が降りさえしなければ、 二人の食べる位は売れて行った。馬屋の払いは月二円二十そった白い路が暮れそめていて、私の目に悲しくうつるの であった。白帆が一ッ川上へ登っている、なっかしい景色 銭で、今は母も家を一軒借りるより螳方が楽だと言 0 てい た。だが、どこまで行ってもみじめすぎる私達である。秋である。汽車の中では、金鎖や、指輪や、風船、絵本など になると、神経痛で、母は何日も商売を休むし、父は田地を売る商人が、長い事しゃ・ヘくっていた。父は赤い硝子玉 を売ってたった四十円の金しか持って来なかった。父はそのはいった指輪を私に買ってくれたりした。 の金で、唐津焼を仕入れると、佐世保へ一人で働きに行っ てしまった。 「じきニ人は呼ぶけんのう : : : 」 ふる つつみ せり あっ・ [

7. 現代日本の文学23:林芙美子 平林たい子 集

かみきれ なかがいやになったから死ぬ」と紙片に書いた遺書があたその記事をよんで、魂が凍えて行く思しオ大 、、・こっ : 。有島氏 が、アナーキストや社会主義者に気持よく金をくれたとみ 私はさすがにうろたえた。あわてて便所から台所までさえたのは、貰う方の勝手な解釈だった。氏が、そうしたう ぎたな がして押入れをあけると、彼が倒れて失神している。 す汚い訪問者を嫌っていたことが、死後に発表された文章 「どうしたの。どうしたのよ ! 」 でわかった。そういう人間が寄って行くことも、氏を厭世 と叫びながら抱きおこすと、 的にさせた一つの原因らしい 「のんだ。のんだ : : : 。」 しかし私は素直に氏の死に頭をさげる気持をひと益みゆ と彼はロばしって、とめどなく涙を流す。 がませて、いっそそういう汚い人間として、徹底して自己 「何をのんだの。言って , ーー早く言って 反省の苦痛を忘れようという逆な気持になっていた。 が、そのとき、私は、彼のうしろにうちわがかくしてあ しかし、私も、本来は夫の伊東と同じで、会社へ金をゆ るのをちらりと見てしまう。これは芝居だと私はさとっすりに行くことがはまり役ではない。こんな人生の底潮に て、急に落ちついて、彼をどやしてやる。 沈みきるには若すぎたし、まだほんとうに人生に失望し切 ったわけでもない。 夏いつばいわけのわからぬかせぎで食べつないだもの 震災 の、けつきよく、私は、何かちゃんとした職業がもちたい 気持を押さえられなかった。雲の多い九月一日の朝だっ こ 0 「やつばり私、きようは、仕事をさがしに行くことにしま 花 その夏は、有島武郎氏と波多野秋子氏との心中事件が世すわ。」 の ーくじゅう 間の話題をにぎわしていた。 私は、朝刊の求人広告を見てから、食卓で墨汁をつかっ 漠 私と伊東とが朝鮮に行くとき金をくれた有島氏は、私たて履歴書を書いた。それから、窓辺で髪をといて、出かけ 砂 ちが、ふたたび東京にもどってくるあいだに、軽井沢の別る用意をはじめた。 荘で、二目と見られない蛆だらけの死体となって、発見さ そのとき、あたりに不意な騒音が起こったとみるまに、 れた。私たちは東京に帰る汽車の中で、社会面を全部埋めぐらぐらとおどろくべき上ド動の地震が古めかしい二階を きら こご そこしお えんゼい

8. 現代日本の文学23:林芙美子 平林たい子 集

176 亭主が出て来た。 「また来て下さい、夏はいいんですよ。」 お君さんと違って家のない私は、又ここへ逆もどりした「こんなところでよければ、いつまででもいらっしゃい。 いなっかしい気持ちで、マダム・ロアを振り返った。沈黙またそのうちいいところがありますよ。」と言ってくれる。 った女ってしつかりしているものだ。背広を着た彼女が、 部屋の中には、若い女の着物がぬぎ散らかしてあった。 二階から私達を時までも見送ってくれていた。 「よかったら家へいらっしゃいよ。雑居だけどいいじゃな夜更け。フッと目が覚めると、 いの : : : そしてゆっくりさがせば。」 「子供なんかを駅へむかいにやる必要はないじゃありませ あなた 駅で・ハナナをむきながら、お君さんがこう言ってくれんか、貴方が行っていらっしゃい、貴方が厭だったら私が た。東京へ行ったところで、ひねくれたあの男は、私を又行って来ます。」 なぐ たた かん 殴ったり叩いたりするのかも知れない。、 しっそお君さんの お君さんの癇走った声がしている。やがて、土間をあけ めかけ 家にでもやっかいになりましよう。サンドウィッチを買っる音がして、御亭主が駅へ妾さんをむかいに出て行った。 て汽車に乗 0 た。汽車の中には桜の 1 クをつけたおり「オイお君 ! お前もいいかげん馬鹿だよ、なめられてや さんの人達がいつばいあふれていた。 がって : : : 」 向うのはじに寝ていたお婆さんがロぎたなくお君さんを 「桜時はこれだから研ね : : : 」 ののしっている。ああ何と言う事だろう、何と言う家族な 一つの腰掛けをやっとみつけると、三人で腰を掛ける。 のだろうと思う。硝子窓の向うには春の夜霧が流れてい 「子供との汽車の旅なんて何年にもない事だわ。」 よふ た。一緒に眠っている人達の、思い思いの苦しみが、夜更 夕方、お君さんの板橋の家へ着いた。 けの部屋に満ちていて、私はたった一人の部屋がほしくな っていた。 「随分、一人でやるのは心配したけれど、一人で行きたい って言うから、あたしがやったんだよ。」 ばうぼう ばあ 髪を蓬々させたお婆さんが寝転んで煙を吸っていた。 ( 四月 x 日 ) 「此間は失礼しました、今日は何だか一緒にかえりたくな 雨。終日坊やと遊ぶ。妾はお久さんと言って骨の高い ってついて来ましたのよ。」 女だった。お君さんの方がずっと柔かくて美しいひとだの 長屋だてのギシギシした板の間をふんで、お君さんの御に、縁と言うものは不思議なものだと思う。男ってどうし この ねころ だま ガラス

9. 現代日本の文学23:林芙美子 平林たい子 集

384 は卑屈なまでに気弱く努めているけれども、本来気むずか たい生地ばかりだが、折目がきっちりして真新しいのが私 しいところのある孤独な人間だった。生活が落ちついてか たちにはめずらしい ら、彼が書いたまま売れずに引出しにしまってある小説の 「おだやかな人だわねえ。壺井さんの奥さんて、まるで女 原稿を、いくつもぬすみ読んだ。いまさら幻滅するのはおの聖人じゃないの。」 かしいと自分をさとすけれども、私は失望せずにはいられ芙美子は、よい声でおもしろそうに私にささやく。身が ない。おそらくこれだけの才能では、それを将来職業にすたく生きて来た女にたいするちょっとした皮肉のひびく言 ることはとてもむずかしいだろう。しかし、相手が私にとい方である。 って、はずれであれ、当りであれ、どんなにも努力してこ栄さんは、濶達な字で、通信社の原稿を複写する割のよ れ以上離婚沙汰を起こすまいという銚子での誓いには、私い内職をしていた。それに、あずかっている女の子の養育 自身がこの生活の主役となって、石田をたのまずに生活と料がくるので、三軒のうちで、生活は一番らくだった。床 たたかってゆくことが自然に意味されていた。いまさら、 の間には誰が弾くのかマンドリンが置いてある。あるとき 相手への失望で動揺するような生半可な立場ではいった生石田は、そのマンドリンを弾くからとかりて来て質に入れ さんたん 活ではないはずである。 た。私たちの生活はそれほど惨澹たるものだった。 私の決意はかたか 0 たから、かえって石田の気むずかし気候はだんだんあたたかくな 0 たが、私たちの生活は少 しよう さには、やわらかく応対することができた。 しも目処がたたない。米を一斗買ったことも、醤油を一升 まとめて買ったことも、まだ一度もなかった。私は芙美子 五 に教えられたり、自身の判断にしたがったりして、童話や しばらくすると、壺井家の隣のちょうど私たちの二階か少女小説を書き、市内に売りに行くほか窮した生活を救う ら見おろせる位置に、野村夫妻が引越してきた。世田谷の道はない。しかし、たいていの原稿はまるで糸がつけてあ 三軒茶屋はにぎやかになった。 るように、売込み先からもどってくる。あるときには少し 壺井夫人の栄さんは、私や芙美子とちがって、人情おだ寄り道してかえった私よりもさきに、原稿が速達でかえっ やかな瀬戸内海の島で、職業婦人だった物がたい女だっていた。 た。気質も南風のようにやわらかで角がなく、持ってきた しかし、私は少しも生活に絶望していなかった。暮らし 嫁入仕度のきものは、自身稼いでつくったものらしい手がに困れば困るほど、私は、自分が世間の価値を、さかさに かせ なまはんか かったっ

10. 現代日本の文学23:林芙美子 平林たい子 集

返してもらっても当然だというところから、銀行の決算報風俗に目をみはった。 ふうてい とびら 告の時期をめがけて、金をもらいにゆく風習が、そのころ 私は、こんな風体で、銀行の扉をあけて、横の口から、 アナーキストばかりでなく、右翼の国粋主義者の羽織ゴロ羽織ゴロの中を分けてはいって行く。銀行は、こんなゆす のあいだでも盛んだった。アナ 1 キストのあいだでは、こりの係として、やはり、ゴロつきあがりらしい人を雇って れをリヤクといし こんな商売をリヤク屋と言った。 応対させていた。 気候は暑い夏だった。伊東は、シャッ一枚で、夕方しょ 私は、手製の名刺と一しょに請求書のようなものを出し ん・ほり汗になってかえってくる。が、もらってくる金高はてから、うしろの腰かけに待っている。 いくらでもなかった。 「お嬢さん、あなたはいくらいるんですか。」 「二十円。」 「ああいやだ、いやだ。こんな生活はいやだ。」 くつじよく さすがに彼は、いわれなく人に金をねだる屈辱の耐えが 「とんでもない話です。きようは十円平均でごかんべん願 たさに暗い顔をしていた。ところが、私は、そんな彼の感いたいです。予算がありますからね。」 傷的な顔を見ると、むしろ歯がゆい思いがした。 「だめ、だめ。男の方はたくさんいるから十円平均にして 「あら ! これつきりもらえなかったんですか。あそこおいてください。だけど、私は女よ。女がこんな所にくる は、今期の決算成績がいいので、とても出しつぶりがいし ということは大変なことだわ。その勇気だけだって、百円 って、 x x さんが言ってたわ。」 や二百円の価値があるじゃない ? 」 私は、伊東のもらって来た金に不平を言った。 こんな理屈をこねたあげく、けつきよく、私は二十円せ 「それなら、お前が行 0 たらいいだろう。缶にはこんなこしめて、かえりに牛肉だの野菜だの米だのを、手に持てな とはできないよ。いやだ。いやだ。」 いほど買って、とくとくとその二階にかえってくる。家で 「じゃあ、あしたは私が行きます。見ていてごらんなさは伊東が七輪をばたばたあおぎながら、もう私がかえって い。私は、五円なんていう、はした金はとって来ないか くるかと路地の方を見ているのである。が彼は、こんなふ ら。」 うな私の気の強さに、ほとほと閉ロしていた。あるときに えりもと 私は襟元で思いぎり切った断髪に、洋行がえりのひとが は、そうして私がかえってくる時間に押入れにかくれてい ながじゅばん 夫人のヨーロッパ滞在中の長襦袢のようなきものをくれたた。 のを着ていた。道でも電車の中でも、人々は、大胆な私の私が室にあがると彼の姿はなく、机の上を見ると「世の へキ