たい子 - みる会図書館


検索対象: 現代日本の文学23:林芙美子 平林たい子 集
77件見つかりました。

1. 現代日本の文学23:林芙美子 平林たい子 集

ヤクニヤした嫗つきをしていた。でも人の良さそうな坊ち 日本橋に立ちました。 ゃんである。こんな人に詩集を出して貰ったって仕様がな い。私は菓子を買って来た。炬燵にあたって三人で雑談を 日本橋 ! 日本橋 ! する。やがて、飯田さんと x x さん一一人ではいって来る、 日本橋はよいところ ただならない空気だ。 白いが飛んでゐた。 二人はなぜか淋しく手を握りあって歩いたのです。 飯田さんがたい子さんにおこっている。飯田さんは、た つば ガラスのやうに固い空気なんて突き破って行かう い子さんの額ごインキ壺を投げつけた。唾が飛ぶ。私は男 一一人はどん底の唄をうたひながら への反感がむらむらと燃えた。「何をするんですツ。又、 気ぜはしい街ではじけるやうに笑ひあひました。 たい子さんもどうしたのツ、これは : : : 」たいさんは、流 私はなっかしい木箱の匂いを胸に抱いて、国へのお歳暮れる涙をせぐりあげながら話した。「飯田にいじめられて たの を愉しむ思いだった。 いると、山本のいいところが浮んで来るの、山本のところ へ行くと、山本がものたりなくなるのよ。」「どっちをお前 ( 十二月 x 日 ) は本当に愛しているのだ ? 」私は二人の男がにくらしかっ 「今夜は、庄野さんが遊びに来てよ、ひょっとすると、貴た。 女の詩集位は出してくれるかもわからないわね。新聞をや「何だ貴方達だって、 いいかげんな事をしてるじゃないの っているひとの息子ですってよ : : : 」 たいさんがそんなことを言った。たいさんと二人でタ飯「なにツ 記を食べ終ると、二人は隣の部屋の、軍人上りの株屋さんだ飯田さんは私を睨む。 浪と言う、子持ちの夫婦者のところへまねかれて遊びに行「私は飯田を愛しています。」 たい子さんはキッパリ言い切ると、飯田さんをジリと く。「貴女達は呑気ですね。」たいさんも私もニャニヤ笑っ 放 ている。お茶をよばれながら、三十分も話をしていると庄見上げていた。私はたいさんが何故か憎らしかった。こん かっ 野さんがや ) て来た。イン・ハネスを着て、ぞろりとした恰なにプジョクされてまでもあんなひとがいいのかしら : どぶ ねずみ 好だ。此人は酔っぱらっているんじゃないかと思う程クニ xx さんは溝へ落ちた鼠のようにしょん・ほりすると、蒲団 こう この のんき あな あなた からだ にら こたっ ふとん

2. 現代日本の文学23:林芙美子 平林たい子 集

194 は僕のものだから持 0 てかえると言い出した。すべてが ( 十二月 x 日 ) のようである。 やがて何時の間にか、たい子さんはい ゆかいな朝である。一人の男に打ち勝・つて、私は意気よ ち早く山田清三郎氏のところへ逃げて行った。私はブップ ーにはいつうようと酒屋の二階へ帰ってきた。たいさんも帰ってい ッ言いながら三人の男たちと外に出た。カフェ て、酒を呑む程に酔がまわる程に、四人はますますくだらた。畳の上では何か焼いた跡らしく、点々と畳が焦げてい なく落ちこんで来る。庄野さんは私に下宿に泊れと言って、たいさんの茶色のマントが、見るもむざんに破られて ふとん た。蒲団のない寒さを思うと、私は何時の間にか庄野さん と自動車に乗っていた。舌たらずのギコウにまけてなるも「庄野さんとこへ昨夜泊ったのよ。」 じようす たいさんはニャリと笑っていた。いやな笑いかたであ のか。私は酒に酔ったまねは大変上手です。二人はフトン る。思うように思うがいいだろう。私はもう捨てばちで の上に、二等分に帯をひつばって寝た。 「山本君だって飯田君だってたいさんだって、あとで聞いあった。たいさんはいいひとが出来たと言った。そして結 婚をするかも知れないと言っている。うらやましくて仕 たら関係があると言うかも知れないね。」 さび ただだま あなた 「言ったっていいでしよう。貴方も公明正大なら、私も公様がない。今は只沈黙っていたいと言っていた。淋しか ったが、たいさんの顔は何か輝いていて幸福そうだ。み 明正大ね、一夜の宿をしてくれてもいいでしよう。蒲団が じめな者は私一人じゃないか。私はくず折れた気持ちで、 なけりや仕様がないもの。」 私は、私に許された領分だけ手足をのばして目をとじ片づけているたい子さんの白い手を呆んやりながめてい めがしら た。たいさんも宿が出来たかしら : : : 目頭に熱い涙が湧い てくる。 「庄野さん ! 明日起きたら、御飯を食べさせて下さい ( 二月 x 日 ) ね、それからお金もかしてね、働いて返しますから : : : 」 きすいせん 私は朝まで眠ってはならないと思った。男のコウフン状黄水仙の花には何か思い出がある。窓をあけると、隣の だめ 態なんて、政治家と同じようなものだ、駄目だと思ったら家の座敷に燈火がついていて、二階から見える黒い卓子の ケロリとしている。明日になったら、又どっかへ行くみち上には黄水仙が三毛猫のように見えた。階下の台所からタ 方の美味しそうな匂いと音がしている。二日も私は御飯を をみつけなくてはいけないと思う。 こ 0 みけねこ にお こ テー・フル

3. 現代日本の文学23:林芙美子 平林たい子 集

二人で浅草へ来た時は夕方だった。激しい雨の降る中た。 を、一軒一軒、時ちゃんの住み込みよさそうな家をさがし てまわった。やがてきまったのはカフェ 1 世界と言う家だ ( 十二月 x 日 ) っこ 0 フッと眼を覚ますと、せまい蒲団なので、私はたい子さ 「どっかへ引っ越す時は知らしてね、たい子さんによろしんと抱きあってねむっていた。一一人とも笑いながら背中を く言ってね。」 むけあう。 時ちゃんはほんとうに可愛い娘だ。野性的で、行儀作法「起きなさい。」 は知らないけれども、いいところのある女なり。 「私いくらでも眠りたいのよ : : : 」 「久し振りで、一一人で、別れのお酒もりでもしましようか たい子さんは白い腕をニュッと出すと、カーテンをめく はし」 って、陽の光りを見上げた。ーー梯子段を上って来る音が 「おごってくれる ? 」 している。たい子さんは無意識に、手を引っこめると、 「体を大事にして、にくまれないようにね。」 「寝たふりをしてましよう、うるさいから。」と言った。 浅草の都寿司にはいると、お酒を一本つけてもらって、 私とたいさんは抱きあって寝たふりをしていた。やがて 私達はいい気持ちに横ずわりにな 0 た。雨がひどいので、があくと、寝ているの ? と呼びかけながら xx さんは お客も少いし、・ハラック建てだけれども、落ちついたいい いって来る。 x x さんが私達の枕元になれなれしく坐った 、よっと 家だった。 ので、私は一寸不快になる。しかたなく目をさました。た 「一生懸命勉強してね。」 い子さんは、 「当分会えないのね時ちゃんとは : : : 私、もう一本呑みた「こんなに朝早くから来てまだ寝てるじゃありませんか。」 「でも動め人は、朝か夜かでなきゃあ来られないよ。」 浪時ちゃんはうれしそうに手を鳴らして女中を呼んだ。や私はじっと目をとじていた。どうしたらいいのか、たい 放がて、時ちゃんをカフ = ーに置いて帰ると、たい子さんはさんのやり方も手ぬるいと思 0 た。冊なら厭なのだと、は 一生懸命何か書きものをしていた。九時頃 x x さんみえ つきりことわればいいのだ。 まも * 私は一人で寝床を敷いて、たい子さんより先に寝つい 今日から街はりようあんである。昼からたい子さんと一一 まくら

4. 現代日本の文学23:林芙美子 平林たい子 集

っているきりで、一一人共沈黙って白い肩掛を胸にあわせる。私は一生懸命あいつを愛しているんですがと言って、 1 十ー xx さんは涙ぐんでいる。そして、火鉢の・灰をじっとかき ならしていた。 酒屋の二階に上って行くと、たいさんはいなくて、見知たい子さんは幸福者だと思う。私は別れて間もない男の ひまち らない紺がすりの青年が、火の気のない火鉢にしょん・ほり事を考えていた。あんなに私をなぐってばかりいたひとだ しら 手をかざしていた。何をする人なのかしら : : : 私は妙に白ったけれど、このひとの純情が十分の一でもあったらと思 う。時ちゃんはもういびきをかいて眠っていた。「では供 白としたおもいだった。寒い晩である。歯がふるえて仕方 がない は帰りますから、明日の夕方にでも来るように言って下さ 「たい子さんと言うひとが帰らなければ私達は寝られない いませんか。」もう二時すぎである。青年はア駄を鳴らし て帰って行った。たい子さんは、あの人との子供の骨を転 いまはどうしてしまったか 時ちゃんは、私の肩にもたれて、心細げに聞いている。転と持って歩いていたけれど、 「寝たっていいのよ、当分ここにいられるんだもの、蒲団しら、部屋の中には折れた鏝が散乱していた。 を出してあげましようか。」 さび 押入れをあけると、プンと淋しい女の一人ぐらしの匂い ( 十二月 x 日 ) をかいだ。たい子さんだって淋しいのだ。大きなアクビに 雨が降っている。夕方時ちゃんと二人で風呂に行った。 そで ごまかして、袖で眼をふきながら、蒲団を敷いて時ちゃん帰って髪をときつけていると、飯田さんが来る。私は袖の うた をねせつけてやる。 ほころびを縫いながら、このごろお・ほえた唄をフッとうた あなた 「貴女は林さんでしよう : : : 」 いたくなっていた。ああ厭になってしまう。別れてまでノ その青年はキラリと眼を光らせて私を見た。 コノコと女のそばへ来るなんて、飯田さんもおかしい人だ 「僕、 x x です。」 と思う。たい子さんは沈黙っている。 「ああそうですか、たいさんに始終聞いていました。」 「こんなに雨が降るのに行くの ? 」 なあんだ、私がしびれの切れた足を急に投げだすと、寒 たい子さんは侘しそうに、ふところ手をして私達を見て いですねと言う話から、二人の気持ちはほぐれて来た。色いた。 色話をしていると、段々この青年のいい所がめについて来 じら だま ふとん わび こて

5. 現代日本の文学23:林芙美子 平林たい子 集

平林たい子集目次 平林たい子文学紀行 諏訪・銚子 砂漠の花 ( 第一部 ) 注解 平林たい子文学アル・ハム 評伝的解説 紅野敏郎 / 柳正吉空一穴 足立巻一空 ( 五 装幀大川泰央 写真撮影生井公男 伊藤史郎 寺久保信哉 稲葉喬 作品校正山形庫之助 編集責任桜田満 製作担当大和浩 山室静三三 四四五 哭五

6. 現代日本の文学23:林芙美子 平林たい子 集

平林たい子文学アルバム 平林たい子の過半生は、その自伝小説『砂 漠の花』 ( 第一部、第二部 ) にほば書きつくさ れているといっていいであろう。従ってこの 作品に沿って、この作家を観望していきたい。 その「あとがき」 ( 光文社版 ) にこう書かれ 種ている 「この自伝小説は、自分としては、最大の勇 気のもとに、自己の経験も他人の経験も客観 的に書くため努力した。が、しかし、これを テ 書く過程で、人間は、自己にだけは不可抗的 な寛大さをもつものだ、ということを発見し た。それなしに、自我は成立しないのではあ るまいか。客観的な装いのもとに、自己をあ 新まやかしている個所は、さぞ、見苦しいこと だろうと田 5 うけれども、そういうわけだから、 ・平伝的解祝〈平林たい子〉 足立巻一

7. 現代日本の文学23:林芙美子 平林たい子 集

平林たい子集

8. 現代日本の文学23:林芙美子 平林たい子 集

オスロペン大会の帰り、ス コットランド・ネス胡を訪 れたたい子と円地文子 ( 昭和三十九年七月頃 ) をー と一しょになってから、いつも後悔しているおろかな 寺頃 成年 女たっこ。 人和 平林たい子はよく女傑」だといわれる。大宅壮一 五昭 が現代第一の「女傑」といったことは有名である。だ 伎折 れも異論はなかろう。そのときも、大宅はこの人が百 ) 舞の 歌演 ーセントの「女」にかえるという指摘を忘れなかっ 春出 たし、円地文子も「徹頭徹尾女なのだ」と強調するが、 それは作者みすから余すところなく『砂漠の花』で告 韓国・新羅の王の墓を訪ねて白しているところである。 ( 昭和四十一年頃 ) 四 平林たい子は昭和二年、二十二歳のときに「文芸戦 線」を編集していた山田清一二郎の仲介で小堀甚二と結 婚した。前年「文芸戦線」に「誠和女学校」を発表して 注目されたが、 この年から急速に文学活動は盛んとな プロレタリア作家としての地歩を占めた。 同年春、「投げ捨てよ / 」 ( 大正十四年執筆 ) 「解放」 に発表し、「喪章を売る」 ( 大正十五年春執筆、後に「嘲 る」と改題 ) が「大阪朝日新聞」の懸賞短編小説に 上喜久子、石川達三らと上もに当選した。ついで、「施 を第療室にて」を「文芸戦線」に発表し、文芸家協会の渡辺 賞を大仏次郎とともに受賞し、評価は定まった。それ 477

9. 現代日本の文学23:林芙美子 平林たい子 集

諏訪・銚子 山室静 平林たい子文学紀行 晩秋の一日、平林たい子さんの 故郷を訪ねるべく、カメラマン同 伴で出かけた。紅葉にはやや遅く 雪にはまだ早く、あまり季節とし ては魅力がない時だったが、天候 には恵まれて、ますは楽しい旅で あった。 いくつも 中央線に身を托して、 トンネルを越えて甲府盆地に出る て AJ いよいよ都会と平野にきつば 家 りと別れて、山国にはいったのを 一 . 子感じる。空が一段と高く深くなり、 空気が爽やかで、その底には鉄分 か、高山植物の香りかどうか、な にか造血作用をもった精気がある のが感じられる。その甲府盆地を 静 室さらに北西へ登りつめて、両側か ら車窓に近く迫ってくる秀麗な八 の 中ヶ岳と魁な甲斐駒の間をぬける芻 取と、 いよいよ信州の諏訪郡にはい を

10. 現代日本の文学23:林芙美子 平林たい子 集

左長野県立諏訪高等 女学校 ( 現、県立諏訪 二葉高等学校 ) 二年の とき、級友たちと。左 よりふたりめがたい子 ( 大正八年 ) 母が農業のかたわら日用雑貨店をひらき、たい子は幼 い時からその店の責任者として当座帳や大福帳をあっ かった。 作者自記の『わが読書遍歴』と中野好夫編『現代の 作家』 ( 昭和三十年 ) 所収「平林たい子」によれば、九 一一二ロ 歳ごろ、ひらがなが ~ めるよ、つになると、古 ~ 新聞を ~ 冗 みはしめたという。祖父は明治一二十年ごろの新聞を残 らす保存していたので、それを引っ張り出し、片つは 社会面の人殺しとか、盗まれたとい しからんだ。「 うような記事、それらが私が物を読んだ最初のものだ ったといってよい。」と語っている。それから、家にあ った講談類や『島田三郎演説集』っいで新聞小説へと 興味が移ったという。童話類にはなしんでいない きなり現実社会にふれている。 中洲小学校五年のころ、のちに信濃教育界を指導し 右年たたさ判た上条茂が長野師範 ( 現、信州大 ) を卒業して赴任して 0 , 1 人 の , め 6 来、その天才主義教育を施した。自記の「年譜」には 一き妻正年でざ正 と夫大 6 育め大その特別教育を受けた、とある。それによって文学的 の重 ( 校教を ( 材能は早くめざめさせられたのであろう。そのころか 年孝子学才能と 小天オ師ら、ロシア、北欧の飜訳文学を職読するようになった。 校岩た洲。的教 学観 , 中測学茂これは小学教師だ「た姉の夫が 0 シア文学好きでた〔 ていの飜訳書をそろえていたからで、ゴー 町上 ( の上 上り後右子子たスンなどは何十回読んだかわからす、ドストエフスキ