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検索対象: 現代日本の文学3:国木田独歩 徳富蘆花 集
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1. 現代日本の文学3:国木田独歩 徳富蘆花 集

122 しかる 然に主人の口からは言いませんが、主人の妹、則ちきょ んでした。 しだいわ 日の経つ中に此怪しい児童の身の上が次第に解かって来うだいの母親というも普通から見ると余程抜けて居る人 ひっ、よラ ました、と言うのは畢竟私が気をつけて見たり聞いたりしで、二人の小供の白痴の源因は父の大酒にもよるでしよう が、母の遺伝にも因ることは私は直ぐ看破しました。 たからでしよう。 こども 白痴教育というが有ることは私も知って居ますが、これ 児童は名を六蔵と呼びまして田口の主人には甥に当り、 生れついての白痴であ 0 たのです。母親というは四十五には特別の知識の必要であることですから私も田口の主人 六、早く夫に分れまして実家に帰り、二人の児を連れて兄の相談には浮かと乗りませんでした。ただ其容易でないこ の世話になって居たのであります。六蔵の姉はおしげと呼とを話しただけで止しました。 ようす ところ び其時十七歳、私の見る処ではこれも亦た白痴と言ってよけれども其後だんだんおしげと六蔵の様子を見ると、如 あわ 何にも気の毒でたまりません。不具の中にもこれほど哀れ いほど哀れな女でした。 おしつんほめしい 田口の主人も初の程は白痴のことを隠して居るようでしなものはないと思いました。唖、聾、盲などは不幸には相 あた たが、何にをいうにも隠し得ることで無いのですから終に違ありません。言う能わざるもの、聞く能わざる者、見る 或夜のこと私の室に来て教育の話の末に甥と姪の白痴であ能わざる者も、尚お思うことは出来ます。思うて感ずるこ ることを話しだし、如何にかしてこれに幾分の教育を加えとは出来ます。白痴となると、心の唖、聾、盲ですから殆 、んじゅう ど禽獣に類して居るのです。兎も角、人の形をして居るの ることは出来ないものかと私に相談をしました。 まった ところよ 主人の語る処に依ると此哀れなきようだいの父親というですから全く感じがない訳ではないが普通の人と比べては およ とうじん ためいのち は非常な大酒家で、其為に生命をも縮め、家産をも蕩尽し十の一にも及びません。又た不完全ながらも心の調子が整 いびつ たのだそうです。そして姉も弟も初の中は小学校に出してうて居ればまだしもですが、更に歪になって出来て居るの かなしむ ムたり 居たのが、一一人とも何一つ学び得ずいくら教師が骨を折っですから、様子が余程変です、泣くも笑うも喜ぶも悲も ても無益で、到底他の生徒と同時に教えることは出来ず、皆な普通の人から見ると調子が狂って居るのだから猶お哀 らようろう れです。 御らに他の腕白生徒の嘲弄の道具になるばかりですから、 かえっ おしげは兎も角、六蔵の方は児童だけに無邪気なところ 却て気の毒に思って退学をさしたのだそうです。 おとと 成詳しく聞いて見ると姉も弟も全くの白痴であることが有りますから、私は一倍哀れに感じ、人のカで出来るこ どう いよいよあ、らか とならば如何にかして少しでも其智能の働きを増してやり が愈々明白になりました。 ほか いっしょ うち かく すなわ

2. 現代日本の文学3:国木田独歩 徳富蘆花 集

252 いたさまざまのがあった。寿代さんは年齢の割には達者にて早ロの言葉が二つ三つ交わされた。お婆さんが出て来 かた 字を書いた。漢文崩しの少女に不似合な硬い文句は、近来て、最早学校に帰る時間だから、またの土曜に、と言う じようす やわら 、ぬ 女学校で読む教科書のお蔭で和文調に和げられ、段々上手た。敬二は其れを機会に帽をとって土間に下りた。衣ずれ その あが がまちひぎ になって来た。文意もよくとどいた。其さまざまの文句にの音をさして追かけて来た寿代さんは、上り框に膝をつい うれ ふたことみこと そくぞくする敬一一を嬉しがらせ、はらはらする程心て、頬を真紅にして、敬二に二言三一一 = ロ言いかけた。敬二は ここち ゅびわ 配させ、またしんみりとした心地にさせたのがいくらもあ返答の末を濁して、一礼した。寿代さんの金の指環をはめ そでつか まっげ った。房州に送って来た寿代さんの写真も、寺町の寺でもた右の手が、突と敬二の左の袖を攫んだ。長い睫毛を蹴て うつ いなずま らった黒田の姉弟と三人撮しのも、紙にくるんで手紙の包怨めしい光を凝らす茶色の目が電の如く敬一一を射た。お しま たけ の中にあった。敬二は今日これを寿代さんに返して了おう婆さんが遽てて立寄った。早口に哮り立っ寿代さんを、お くどくどおしなだ あと と思うた。 婆さんと女中と呶々押宥むる声を後に聞きなして、敬一一は こうしど しも 敬一一は溜息をついて立上った。五寮を出て、彰光館の大山下家の格子戸を出て了うたーー永久に。 ぎよえんしやじつわがかげひ 時計を見ると、三時を過ぎて居た。御苑の斜日に吾影を曳翌日曜の朝、敬一一は寿代さんの手紙を受取った。勉強の いて、敬一一は例の通り寺町に出た。黙 0 て俯いてのろのろ例の為一時中止なら兎に鮃、永久に約束破棄はどうあっ よこぎり うんぬんがんび 歩く敬一一にも、今日は河原町があまりに近かった。 ても同意が出来ぬ。云々。雁皮の巻紙を横切にして、歌が はなかんざし かばいろ 樺色の大きな薇の花簪をさして、水色の毛糸の腕は書いてあるのを見れば、古の「かねてより思ひしことよ めをした寿代さんは、霹して居た。今朝から待って、最ふしのこるばかりなるなげきせんとは」であった。一歩 そろ こまげた 早帰校の刻限になって居たのである。土間には駒下駄を揃って、最早一時の中止を承諾した寿代さんの手紙は、敬 えて、洋傘を持った送りの女中が待って居た。兎に角敬一一二の心に一分の欠陥を造った。「かねてよりーの歌も、軽 そう くちごも ため かんによ は八畳に上った。而して口籠りがちに、此手紙写真は返す薄な昔の官女が、詠んで置いた自讃の歌にをつける為、 おとこ こつも から、此方からやった写真手紙も返してくれ、と言うて風己れから男に恋をしかけて、己れから愛想づかしをなら あさぎちりめん 、わ 呂敷から出した紙包を寿代さんの前に置いた。浅葱縮緬のべ、そして予定の如く切れて失恋と言う際に秘蔵のを出し いきどおり しまものあわせ こげらや 半襟をして焦茶のあらい縞物の袷を着た寿代さんは、慍た歌と言う来歴を知って居るだけに、敬二には不快であっ もっ の目を以て敬一一の顔から紙包を見て居た。敬一一と寿代さんた。敬二は此歌が不思議に寿代さんに相応して居る様に思 ちか の間に、一は低いはっきりしない沈んだ調子の、一は激しうた。「思ひし」を「誓ひし」と間違えてあるのも、不快 ろし、 はんえり 、ようだい ほおまっか あわ この しお よ ばあ

3. 現代日本の文学3:国木田独歩 徳富蘆花 集

見分け聞き分くることが出来た。敬一一は溜をついて、毛 を嶝って見ずには居られなかった。 がまぐらムとこる あくる朝、択を済ませばいくらも残って居ぬ蟇口を懐布包を取り上げ、重い足を曳きずる様に歩き出した。道 いぬたで ながえまったけか 0 に、手荷物を持って、敬一一は高瀬川の宿を出た。 の野菊や犬蓼の花の底に虫の音がした。轅に松茸の籠をぶ すそ ら下げた黒木の車などが西から来た。頭の円い松山の裾ま しろて でつづく黄ばんだ田や緑の畑には、秋の仕事に忙しい白手 わらじ あかだす、 共七清滝 拭をかぶった赤襷の女や草鞋をはいた男の影が見えた。や おむろ がて御室の塔が敬二の眼の前に現われた。敬二は低い丘の 上に秋の日をうけて朱の色美しい其塔を望みつつ、ああ最 ( l) 愛宕の麓へ 早御室だ、来年の今日自分は何処で何をして居るであろう おも ひろさわ たんば おむろ かと想うた。御室を過ぎて広沢の池のほとりを通って、釈 十月十四日の朝、敬二は丹波街道を御室の方へ歩いた。 かどう 、よた、 やまじ たかおあらしやま 両度の協志社生活に、高尾嵐山はよく知って居たが、清滝迦堂から北に入って、そろそろ栗の毬の落ちた山路にかか ようや あた tJ しかその そび った。小島の声、松の色、山の香が慚く敬一一の心を落ちっ はまだ知らなかった。然し其里の上に聳ゆると言う愛宕の あえ こころみぎか めじるし 山は、立並ぶ西山の奥に秀でて著しい目標を敬二に与えかした。敬二はだるい足を曳きずって、喘ぎ喘ぎ心見阪を てのひら けっとづつみお この た。此目標を仰いだり、今し方出て来た京都の方を見返っ登った。しばしば立止って毛布包を下ろし、帽を脱いで掌 ちと こわ、 がえ あかげつとづつみ たり、数冊の洋書と些の着更を入れた赤毛布包を左の小脇で額の汗を拭い、而して長い息をついた。冷たい秋の山の な こ′もり かか に抱えて、洋傘をついて、敬二はのろのろと歩いた。彼は気が敬二の熱した額を撫で肺を盈たした。時とはなく耳 ごうごう さか なお がまぐち かつけ ほどぜに 車に乗る程の銭も蟇口に残して居なかった。脚気のまだ治につき出した轟々の音を聞き聞き敬一一は阪を登り切った。 らぬばきの脚は重く、心は更に重かった。敬二はしばし深い谷の向うに画をかいた様な人家が一簇現われた。清滝 うしろ みらばたほう ば毛布包を道傍に抛り出して、ホウと長い息をついた。後であろう、と敬一一は思った。橋が架って居る。敬一一は頭上 あおぐろそび いただ、 すそ を見ると、赤い塔や寺を・ほっ・ほっ点じた東山の裾かけて大に蒼黒く聳えた愛宕の頂を見上げ、深い谷底を駛る白い さるわたりばし ぎな屋根を其処此処に見せた京都の町が、何十万の人川水を見下ろした。猿渡橋と書いた木橋を渡 0 て、直ぐ左 それぞれの営みを隠して、其処に静かに秋の日を浴びて居手の「ますや」に敬一一は毛布包を下ろした。敬一一は此夏房 おも た。敬二は其処に教科書に注がれた寿代さんの憂を知らぬ 州で居た宿の名も「ますや」であったことを億い出した。 あしおと かつけようじよう 茶色の目や、暿々として教場へいそぐ協志社諸友の足響を脚気養生かたがた勉強したいからと言って、敬一一は静か がた うれい ひたい かか しゃ

4. 現代日本の文学3:国木田独歩 徳富蘆花 集

あかぬ としま しも 立川お花さんは、四十前後の垢抜けのした年増で、もと一一一子にかけた。下ぶくれのにこやかな、細い眼をした百代さ 、え やそきよう 筋の糸に世を渡ったが、今は耶蘇教に帰依して、商売の旅んは、立ってテエプルの端に軽く両手をついて、やや含み としごろ ひょうばら・ 宿も禁酒を標榜して居た。年頃の娘が一一人居た。姉のおす声に、 、つと まさんは、寿代さんの宅で敬二も会うた。妹のおくまさん「寿代さんが、あの、明日は屹度帰りますからッて、そう おさげ は、まだ垂髪の快活な娘で、姉と協志社女学校に通うて居お言伝を・ : えしやく 会釈して椅子に復した。そしてほうっと上気した頬をラ あかり こんがすり 次平さんは二階の南の隅の四畳半に居た。川沿いの表座ンプの光に見せて、星の様な眼で、紺絣に白いしやつの敬 つごう 敷は、敬一一も経費の都合から遠慮して、一一階の裏座敷を借一一を眺めた。此更黒木某と関係があった百代さんはこれか せんたくもの りた。北の窓から洗濯物など乾した宿の裏庭と、そろそろと、敬一一はおすまさんより上品な百代さんの下ぶくれの顔 まばら しもぎよう ぎくろかー むすめ 疎になりかけた葉の間から柘榴や柿の日に光る隣の植込がを見て居た。下京の医師の女は、帰宅と学校には偽って折 こうしど こうじ 見られた。宿の格子戸前の巻路を西へ一丁も行くと、直ぐ折別懇な此宿に泊るのであった。敬二が寿代さんに送った 河原町の通りで、山下家とは二丁と隔ってなかった。 最後数通の手紙は、寿代さんの手紙と共に、中途に押えら あ ちょっと 敬二が此宿に往った其夕、障子が開いて若い女が一寸首れたことを、敬二は二人の娘からはじめて聞いた。あまり を出して引込めたが、またあらためて暿々と笑って入って烈しい手紙の往復が注目を牽いたのであった。 しやかんわしやま 来たのは、姉娘のおすまさんであった。女学校からタ方帰「舎監の鷲山おさんが、いつも御手紙が来ると寿代さん って敬二の入来を知ったのである。寿代さんに御用があるを喜ばして上げようって直ぐ寿代さんに渡さはったのに、 ならと言うを幸い、敬二は土曜日に帰宅が出来るなら会う如何したのでつしやろ」 ことづけ て話したいことがあると言う言伝を頼んだ。其日は木曜日とおすまさんが言うた。敬一一と寿代さんの交渉を、一一人は こごと であった。敬二は已に協志社から最後の手紙を出したが、 悉く知って居た。女学校では屹度寿代さんの方から止す まだ寿代さんの心の底の底を知らなかった。 と言って居たそうな。 やぎまももよ ストプデ 金曜日が暮るると、おすまさんが来て、今矢間の百代さ「如何でしよう、あなた方の御考えでは、ここで Stop し んが女学校から寿代さんの言伝をもって来た、と敬一一に告た方がいいでしようか ? 」 げた。やがて一一人の女学生は打連れて入って来て、敬二の敬二はあからさまに尋ねた。百代さんは、其含み声で、 しらき ストップ 借りて居る大ぎな四角い白木のテエプルを中に、向うの椅「それは Stop なさいました方が」 すで べっこん っと ほお よ

5. 現代日本の文学3:国木田独歩 徳富蘆花 集

かわり 「京都やかて何処やかて、月に差異はないわ」 「消えます」 「ところが変りがあるンです。月ばかりじゃない、京都の 「最早あんなになった」 ものは何でも好、京都は僕はーー・嫌いです」 「ああ到頭ー 「わたしは京都の者じゃないから」 如意が嶽の胸の火は消えて了った。 ムり 敬二は二階を下りて二畳に入った。奥では皆打連れて河と寿代さんは悄げた風をして首をかしげた。敬二はあま ′邏ろ・、さ ようす りに近くして居られるのがうしろめたくなって突と起って 原へでも出て行った様子であった。敬二は今宵は浮々した ばあ 気分になって、一一階に籠って居られない。彼は珍らしく勝お婆さん達の組に入った。寿代さんはお節ちゃんと机の前 っ ~ 、も、さ 手の八畳に例の食卓を持ち出して、路加伝註釈の翻訳草稿に坐って、敬二の筆をとって何か楽書して居る。其処へお を清書しはじめた。一一枚ばかり書くと、大勢の足音がし稲さんが一一階から下りて来たので、座は崩れた。敬一一は机 とり・ こうし て、格子戸ががらり開いて、真先に入って来た寿代さんの上のものを取集めて一一畳へ帰った。 しぐれ ざあっと一しきり冷っこい風が吹いて、時雨の様に軽い が、眼早く敬一一を見て、 そんな タ立が窓を掠めた。お稲さんの声として、 「其様に勉強すると肺病になるやろ」 「寿代、鹿の子の着物が濡れるといかんから、傘をさして 「肺病に ? なって見たいもンです」 ムり お往きー 敬一一は筆を握って紙の上を見つむる風して答えた。 人々は皆帰って来た。お稲さんは疲れて二階へ御った「濡れても大事ないわ」 そのこまげ が、余の人々は敬一一の机を出して居る八畳で話した。山下と言う寿代さんの声が格子戸の外でした。敬二は其駒下 おと 目のお婆さんはおいよ婆さんやかあやんとしんみり話し出し駄の響の聞こゆる限り耳を澄ました。そうしてまだ微酔気 あかり さつ、 色た。お節ちゃんが机の側に来たので、敬二は原稿を片寄分で、先刻の画を描いた紙をランプの光に出して見た。四 わか 茶せ、書きつぶしの余白に画をかいた。少い叔母さんがお節角な月の縦横に、寿代さんの手跡で「得能敬一一」「得能敬 眼ちゃんの肩に手をかけながら、机の前に前髪剪り下げた顔二」といくつも書いてあった。 かゆ 熱をさし寄せて見て居る。敬二はむず痒くなってたわいもな 《六 ) 通学生 い画を書いた。 東京へ往った叔母さんはもとより、九州巡廻伝道に出か 「あら、此月は四角やわ」 けた又雄さんも中々帰って来なかった。敬二の外に男気を 「京都の月だから」 かす ひや かさ

6. 現代日本の文学3:国木田独歩 徳富蘆花 集

たと 言って、僕が其れに内々不平を感じて、鈴江とか言う娘がな、皹裂がいって居た。譬えば箍のゆるんだ十石桶、如何 ムろおけ やっ にも大きい、が酒桶にもならず、風呂桶にもなり兼ねる厄 茶をれて来たり菓子を出したりするのを母が感心して、 なあ ただ みず かいものしか 僕に「御覧な、鈴さんの大人しいこと」と言って、僕が何介者。併し胸中唯憂国の念あって、自から期する所の大な こりこう にくに 有故郷の芳ちゃんだって其位はすると思ったことなどを覚るは、中々小悧巧な当世才子の比では無かった。で、明治 さいごう 十年の際にも、伯父は九州某県の要職に居たが、西郷の乱 えて居る。 、ち はなはだしこうがい 其れから日が暮れて、湯に入って、故郷ではまだ大々的が起ると甚く慷慨して、実に「一も一 ( 大久保一蔵 ) 吉 げんか あんどう それ ぜいたく 贅沢であ 0 たランプと言う行燈がルもついて、其から故も吉 ( 西郷吉之助 ) じゃ。鹿共が、内輪喧嘩をする様な ぜん おれ しか 郷に居た時の様に別々の膳ではなく、伯父を初め一同大き今の時節か。宜、宜、乃公が一つ叱ってやらずばなるま よっあし な机の様な四足の膳に一処について、其れから伯父が食べ い」と慨嘆して、単騎肥後に乗り込み、西郷を説破して兵を いのしし びつくり しかのち るも食べるも喫驚する程食べた事や、食べる時に猪の様弭めさせ、然る後大久保を叱って、一と吉との仲直をさす きやま はず に鼻息を立てた事や、儺等を乗せて来た馬士の新吾が振舞筈であったそうな。所が、中途で賊兵に捕えられて、木山 ど ぎけ すで 酒に酔って台所で大気烙を吐いたのを母が気の毒がった事の賊営に引かれた。已に其途中で、賊兵が刃をぬいて、如 おもしろ たがい とかく オし力やってしまおうか、と互に相 や、兎に角色々な事があったが、よくは覚えぬ。唯、面白何だ、面倒臭いじゃよ、、、 さすがぞく 、妙な、珍らしい感覚の中に揺られて、此新天地に於け談するのを、伯父は平気の平左で聞いて居る、流石の賊も こやっ つらだましい る僕の第一日は過ぎてしまった。 「此者が面魂を見ろーと讃嘆したと言うことだ。木山の うなぎ たかいびき 営でも、夜は高鼾で寝る、五円札を出して鰻を註文する、 」あ 4 つぎ・ 6 賊も荒肝をぬかれて、西郷に面会は許さなかったが、併し 【」うし それよ おじのだだいさく ゆいしょ ついゆる 伯父は野田大作と言った。もとは由緒ある郷士。若年の馬まで戻して、三日ばかりして終に免した。其は宜かった ころはんちゅう 頃は藩中第一の人物たる某先生の薫陶を受けて、門下俊秀が、伯父は途中で囀 0 たと見えて、馬は夢中の英雄を乗 なにがし にん あるい の一人と言われ、維新後は或は地方に或は中央政府に種々せながらまたひょっくり木山の営に帰った。賊の隊長某 おか たいたいかん しやらく の官職を冒して居た。名が大作、体が大漢、大志、大胆、は洒落な男で、「野田君、最早大概にして帰って呉れない じそろ 大気、大一 = ロ、大食ーーー実に大の字揃いで、先ず英雄型の人か」と笑って、兵をつけて三四里送り出したそうだ。虚言 りこうもの ちょっと 物であったが、仕上げの時に臨んで天道様が一寸何かに気の様だが、本当の事だ。期様な人物だから、悧巧者の集合 もっ をとられて居たのであろう、英雄ーーではあるが、惜いか所とも言うべき政府の役人が中々以て勤まる道理は無い だいえん ないない ほど まご ま ムるまい いろいろ ひび こん せつば なかなおり こくおけ しか

7. 現代日本の文学3:国木田独歩 徳富蘆花 集

ひりようおもかげわれらおやこ しようじよう 僕の額ら大粒の汗がほろほろ滴り落ちた。皮膚は氷を風物は蕭条として、一種悲寥の面影を吾儕母子の眼前に くるめ 浴びた様に、腹の内は熱鉄を飲んだ様に、耳は鳴り眼は眩展べて居る。雪は間も無う小降りになって、たまにさら かんのんざさ こどう つ、な さら観音笹にささやいた。 いて、心臓は早鐘を撞鳴らす様に鼓動する、最早母の顔も いろいろ つかっか 見えぬ、言も聞えぬ、夢中に懐剣の柄を攫むかと思うと母母は僕の手を握りながら種々の話をし出した。僕の先祖 あすこ けん の事、祖槲の事、彼処に見ゆる赤黒い杉の森は大水の出 はもぎとって懐剣を一一間あまり投げ棄てた。 あのかわどて ぬ様に曾祖様が植えたので、彼川堤は祖父様が自分で金 「卑怯者」 あたり とび こぶしにぎ だしぬけ 顫々と震えて、儺は拳を握って、突然に涙がほろり。とを出して村の為め築いたので、彼鳶の飛んで行く辺の山は もの くや 思うと僕は黔咽して哭き出した。悔しいのか、嬉しいの一も残らず僕の家の有だったので、彼傘をさして人の行く こっち あぜみちあたり すべて つら か、哀しいのか、恥しいのか、辛いのか、恐らく其渾であ畔路の辺から此方の田は何十町と言う程皆僕の家の有だっ あの ったろう。身も心も溶けるばかり大泣きに泣いて、最早僕たので、彼学校も元はと言わば僕の家の地面を父が寄付し なら は此まま其墓場の露に溶けてしまうかと思う存分に泣いたので、昔は菊池と言えば此谷に比ぶ者の無い大家、而し だいだいまっすぐ て、二十分後は最早香炉に溜 0 た雨水で顔を洗 0 て、母とて代々真直な道を踏んで村の為を計って、殿様の褒美を受 みずか いきずすり 一処に先祖の墓や父の墓の前に跪いて、未だ嗚咽をしなけた者もあれば、自ら名乗り出て村の者の罪を庇った者も じゅんじゅん ある、と言うことを諄々として話した。 がらしんみりと何事をか念じて居た。 耳は過去の栄華を聴いて、眼は今の零落を見ると言う つくづく は、僕の当時の身の上であった。熟々と母の物語を聞い もの て、偖今は他人の有になって居る其山や其田や其家を見て 雪がちらちら降り出した。母は懐剣を帯の間に蔵めて、 あらたわ 僕の手をひいて、墓門を出たが、二人ともに何も言わぬ。居る内に、眼は次第に曇って涙がまた新に湧いて来た。而 墓場を出て少し行くと、大きな椎の樹の下に小さな鬼子して僕の胸中には幼ないながらも一の志望がしつかりと根 もじんほこら の 母神の祠がある。少し休んで行こうと言うので、母と僕とを下ろしたのである。 みはらし かど どう 出 マコーレーの「ワアレン、ヘスチングス」伝に斯様な事 並んで、祠堂に腰かけた。此処は小山の角で、見晴が宜 とく もと 思 谷の三分一一は先ず一目に入る。町は素より学校も見えを書いてあるのを諸君は夙御承知であろう。 かのこども あだか なつのひ あるせいろう なにがし ムたすじ 或晴朗なる夏日に、当時恰も七歳なりける彼児童は、 る。谷を流るる一一条の川も見える、某の城下に通う往還 其家の旧領地を流れてアシスの河に入る小川の岸に横 も見える、幾千の空田に寒烏の下るのも見える。故郷の したた うれ おさ さて ひと こん

8. 現代日本の文学3:国木田独歩 徳富蘆花 集

ひげ さんなどは、髯の中から鼻にかかるじゃらじゃら声を出し直ぐ手紙を書いた。 たも て、 御身ハ小生ノ何モノヲ愛シ玉ウヤ、文章ニ巧ミナル者ハ 「おい得能、大変めかすね」など哂った。 天下ニ多シ、才学秀デタル者ハ一協志社ニモ十数指ヲ屈 敬二は寿代さんの事が始終頭にあった。早くどうかしな スペシ、容貌ナルカ、白面紅顔ノ青年ハ随処ニ是アリ ければならぬ。し敬一一は東京の父兄に約した通り綺麗に富ナル乎、小生 ( 家貧シキ = アラザルモ小生其者 ( 一銭 かぎう かんそだい 型をつける前に、今一度わが行動を確かむる鍵を獲る必要ノ余裕ダニナキ寒措大ナリ、家門ノ名誉力、兄 ( 東都ニ はじめ ・つくよう を感じた。月の初に帰校して以来、幾度となく河原町に足名ヲ成セドモ小生 ( 洛陽ノ校舎ニ其日ノ課業ニ維レ追ワ ほろよい したた を運んだが、時も実のない話をして、座興の快に微酔に ルルノ学生ナリ、サラ・ハ御身ハ何モノヲ小生ニ認メテ何 なって帰った。しみじみとした話を彼は一度もしなかっ モノヲ愛シ玉ウヤ、 た。破約の事を胸にもちながら、いつも言い出しかねて帰と言う文句であった。翌朝、右の手紙がまだ届かぬと思う あざむ った。彼は何時までも自他を欺いて、寿代さんを釣って置に、寿代さんの手紙が来た。昨夜追かけて出したのであ くのが快くなかった。其週間の内に、敬二自身書いた封筒ゑ先刻は疎忽な返事を申上げて済みませんでした、と詫 で、土曜日には宅で待って居ると言う寿代さんの手紙が届びて、 実は去年の夏初めて御目にかかりしより何となく御なっ おんもとさま あいなり 土曜日の午後晩く敬二は河原町に往っこ。、 オ。れつもとは改かしく相成、また加寿より御許様の御両親に御孝行なる うけたまわ まった真面目な調子で、敬二は寿代さんに何故自分に心を を聞ぎ、また能勢家にて御許様の秀才なるを承ります ちょっ ます御慕わしく、 寄せたか、それを聞かしてくれ、と言うた。寿代さんは一 うんぬん 寸敬一一の顔を見て、小机に向い、有り合わした半紙のきれに云々とあった。此手紙はやや敬一一を満足さした。然し敬一一 ムところ しよせん さらさらと書いたものを敬一一に渡した。敬一一はそれを懐は所詮約束は切らねばならぬと思うた。敬一一が河原町で経 よみがえ もうたそがれ に入れてやがて山下家を出た。外は最早黄昏であった。大験した或夜の不快も、強く敬一一の頭に蘇って来た。それ こう かみ、れ うすあかりすか 黒屋の角を曲ると、懐の紙片を出して、薄明に透して見は恁であった。ある日例より早めに河原町に往って少し話 た。走り書きは、文章は才、学、識の三つを具備せねばなして居ると、 とう じようず らずあなたは文章がお上手だから、と言うのであった。敬「嬢はん、御飯だっせ」 ひ、さ どぶ 二は寸断寸断に祉裂いて、溝に投げ棄てた。学校に帰るとといつもの女中が言いに来た。そうして敬一一に向い、 と まじめ かど おそ し あ わら いくたび 、れい おんみ とみ あるよ おんした そこっ し これ

9. 現代日本の文学3:国木田独歩 徳富蘆花 集

おもしろ 二は面白くないので、直に立川の家を出た。協志社に行く くなった。終日奥の六畳にごろごろ暮らした。詮方なさに と、学課はずンずン進んで居て、片貝君や山本君等の同志新約聖書を出して見たが、以前敬一一の胸にひしひしと響い へだたり しも ね 話は、敬二と諸友の間隔を示した。敬二は重い気分になっ た金句が、何の音も味もなくなって了うた。 むな がまぐちふところ まくら あお てんじよう なが て、翌日空しい蟇口を懐に清滝に帰った。 組んだ両手を枕にすけて、敬二は仰に寝て天井を眺め あた 0 人もと 秋は愛宕の麓の谷に深くなった。上流の高尾は知らず、た。大きくあいた敬一一の眼は、天井からいろいろの物を見 もみじ この 楓は少ない此谷の山々も目立っていろいろに染めて来た。 つけ出した。寿代さんとの過ぎた驩楽の Scene も其処に かけいそばはデいとう もだ 顔を洗いに行く筧の傍の葉頭は、時か霜にうなだれて眺められた。酔がさめると、三里しかない此清滝に悶ゆる しもうた。清滝川のほとりに下り立って、ぼっ然と岩はし敬二を頭の端にも浮べずに、学校で平気に笑い興じて居 なが あた 0 いただ こがらし る白い水を眺めて居ると、愛宕の頂から凩が吹き落ちる、社長の、副長の一人娘、物に豊かで不自由を知ら ごう わがまま あの うらや て、川音が轟と鳴った。そうしてふり仰ぐ青空から、木のぬ吾儘で気の強い彼十七の娘を、敬一一は羨み憎まずに居ら なお 葉の雨がはらはらと敬二に降りかかった。東京の為替はまれなかった。而して其娘に曳きずられて撼り出されて尚思 われ のろ ぶんぞう だ着かなかった。敬二は焦々した。教科書を出して、無理い切れぬ自己を詛わずに居られなかった。浮雲の「文三」 に机に向っても、心はあらぬガに迷うて、頁はいつまでもがまさまさと記億に甦って来た。到頭来たな、と苦笑す ひるが おこた 翻えらなかった。一日怠れば一日後るると知る程、尚勉強る頬のこけた文三の顔を敬一一は天井に見た。敬一一はまた自 がいやであった。何れ協志社に帰ってから、彼は期く思う己のふしだらから学校やあちこちにちょいちょい拵えた身 しば くせ た。周囲を変えねば、決行が出来ぬのが、敬二の癖であ 0 を縛る借金をえて見た。三十円には足るまいが、月々四 こ 0 円五十銭の学資しかもらえぬ身に何でこれが払えようそ ? それと ひっきよう 清滝を出たくも金が無い為に出られぬ敬一一は、畢竟秋深其は兎に角、清滝から身をぬくに要する十円未満の金も、 ほりよ い清滝の山水の主人ではなくて、ますやの捕虜であった。手紙を出しても出しても送ってくれぬ東京の父兄の心無さ ムところ 敬二は懐の寒さを宿に見透かされたことを疑うことが出を恨みすには居られなかった。金が来ると直ぐ使って了う ゆでぐり 来なかった。待遇が何時しか冷淡になって来た。茹栗を持くせに、要求する時は必要のものすら思切っては言い出し わドかお ののし て来いと命じたら、栗が無いと女中が言うた。湯に入る時得ぬ吾面なさ意気地なさを罵らずには居られなかった。放 ちらと見たら、正に栗を乾してあった。敬二は宿の主婦や擲って措く学課の事も気になった。後るると知りつつ学課 おこた 女中の顔を見るすらぎまりが悪くなった。敬一一は外に出なを怠る者の行着く先は落第だ。彰光館に落第点を張り出さ あるじ まさ すぐ ため おく べエジ かわせ おかみ なお ちゃ ほお かく かんらく おく シ ン せんかた うつ

10. 現代日本の文学3:国木田独歩 徳富蘆花 集

たらま やはりのういつけっ 扶けて、敬一一は其処に立って居た。忽ち後の方から人波う「すると矢張脳溢血ですね」 おっかさんけが って、「能勢さんの母夫人が怪我された」と言う声が何処長島さんの声はまた響いた。 ばあ と思いますですね」 からともなく伝わった。「早御って見ち下はりーと婆さん「左様、まあ心配な事はない、 かたえ とペリイさんは静かに言うた。 の言を聞きもあえず、傍の人に老人を頼んで、敬一一は山門 むれ つりだい 一群は釣台を待って居るのであった。最早日はとっぷり の方へ飛んで往った。山門の下で、誰やら連れて徒歩で来 おくさん 暮れて、松並木の暗い参り路は寒い夜風がそよいだ。墓地 かかった飯島の夫人が目早く見て、 の方では今埋葬が終るのであろ、讃美歌を歌う声が高くな 「敬さん、早く、早く、叔母さんが車から落ちなすった」 むせ り低く消え咽ぶ様に響いて来る。虫の息が通うて居る車の と叫んだ。 敬二は宙を飛んで門の方へ駆けて往った。松並木の中程上の叔母さんから眼を移して、敬二はあの世から響いて来 ちょうちん に提灯をつけた一群がある。車に載せられて居るのは、叔る様な歌の声する真黒い上方を見つめた。 わはおり きらがい 釣台が来た、叔母さんは蒲団の上に扶けのせられた。・ヘ 母さんであった。かあやんが狂人の様に吾が羽織を引ぬい あしうち、 で叔母さんの脚に打被せて居る。敬一一は提灯の光で、眼もリイさんは車、かあやんは徒歩、敬二も提灯持って釣台に ひっそ ひ、つけ 引添うて荒神口に帰った。 ロも左の方へ拘攣られて死んだ様な叔母さんの顔を見て、 われ 叔母さんは此日飯島先生の葬儀説教の間始終ふらふらし 吾知らず其手を執って、 あいのり て居た。協志社の門から寿代さんと車に同乗しながら、思 「叔母さんー い出したように、 とおろおろ声で言うた。 「ほンに、赤児を見てくればよかった」 と叔母さんは蚊の鳴く様な声をして、それでもほンの少しと言って居たそうだ。車の上でもふらふらして、南禅寺の ばかり眼を開いて敬一一を見た。敬一一は少し胸が開くようで門で到頭車から落ちたのであった。 みなみまくら ひつぎす . あるじあしな 正午までお稲さんの柩の据わった奥の十畳に、南枕に叔 あった。かあやんは女主人の脚を撫で、敬二は叔母さんの ひぎかけ 母さんの病床はしつらわれた。病人を静にする為に、手伝 膝掛の上の手を撫でた。 おそゅうめしかっこ の多くはそれそれ帰り去った。晩いタ飯を掻込んで奥の 「ドクトル・・ヘー ひぎ 側に声がしたので、敬二は眼を転じて長島さんとドク病室に往って見ると、飯島先生がフロックコオトの片膝を すそ ひたいひょうのう ひたい ついて、叔母さんの額の氷嚢を押えて居た。裾の方から入 イの禿げた前額をタ闇の中に見た。 たす は たれ ふとん