北海道 - みる会図書館


検索対象: 現代日本の文学3:国木田独歩 徳富蘆花 集
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1. 現代日本の文学3:国木田独歩 徳富蘆花 集

私は北海道というところは、独歩、啄木、蘆花、包 、武郎など作家をひきつけてきたことをあらためて % 考える。彼らは主として夢想家である。信子のような 都会生まれのお嬢さんを連れて北海道の寒さをどう過 そうと思ったのだろうか。彼が夢みていた山林の自足 生活はもう少しおとなしいものであった。したがって 九月も半ばこの淋しい原生林の生い茂った北海道の現 実に近づくにつれて、いよいよしくつらく不安に 。空知川岸への到達は現実発見の ってきたに違いなし ~ 表しさでもあるよ、つに思える。それに、もともと田本〔ま わりをしていた彼が東京育ちの当世風のお嬢さんと、 もっと新しい生き方である ( と彼が考えた ) 人間らし 外国から学んだ新趣向の生活を共にする。それは 外国文学の中にあったり、外国文学者がしそうなこと に思われる。それぞれ、 いくらか違った意味で、啄木 第も、武郎も、泡鳴も同しように、 この新天地には新し い生き方、新しい文学とかんけいのある何ものかがあ るとい、つふうに考えていた。 信子を伴って空知川岸 で開拓生活をしようという計画は子供じみたものであ ったけれど、そこに今いったよ、つな背旦呆かあるとい、つ ことに田 5 いをいたすと、この矛盾の中にかえって理が あることが分る。 「北海道は実に壮大な自然です。バクバクボウボウた げんせいりん

2. 現代日本の文学3:国木田独歩 徳富蘆花 集

いり . ーを 1 第 あり子供が二人あった。彼女には結婚前から知ってい た男があり、この男とどうしても一緒に暮したいと思 った。二人は子供を彼女の兄に託して北海道へ渡った。 彼が北海道を訪ねたとき寄ってみると子供も二人いて 一応幸わせに暮している、というような話。北海道は 地理的な意味だけでなく外国に一番近く、内地から一 番遠いところ。これは女がもう一度生きようとしたと きの話である。信子はそうではなかった。 独歩は外へ出てやがて「武蔵野」の中で書く時雨の 立日をここでもきいている。ここで彼はロシアのツルゲ ーネフの小説の中の自然のことを考えている。「武蔵 野よりはロシアに近い風物の中で、 しぐれ 「林が暗くなったかと思うと、高い枝の上を時雨がサ ラサラと降って来た。来たかと思うと間もなく止んで しん 森として林は静まりかえった」 と平凡とも見えるが、「あひびき」を思わせる描写を わず している。彼はそれから僅かに開けた森林の中で自然 の威圧のことなどに思いを進めている。日本人の自然 とは異質なもののことを考えている。そこへ信子を連 れてくる不安と喜びに胸をつまらせている。井田氏の いたと思われる空知川を見下す小高いところに文学碑 ( 赤平市茂尻 ) がある。 ふたり しぐれ

3. 現代日本の文学3:国木田独歩 徳富蘆花 集

しゅうたい ら誇るの醜体を現わす。意志はらず。深く達せず、き は飽くまで強剛に行けとの説なり。 れど強く行く。凡ての幻影を打ち破りて進む。情は蒸気 余独り夜半まで考えたり。信嬢に書状を認めたり。に なり。力なり。意志は機関なり。之を通じて始めて情に 下の意の如くに決しぬ。 吾等の愛はタイムとスペースと事情とのために破るるも力あるなり。情の猛烈を憂えず。機関の薄弱を懼る。意 ごびゅう 志のみをカなりというは誤謬なり。 のに非ず。就ては此の際、吾は北海道に去らん。信子は じりよう 北米に行け。而して両三年時機の来るをまたん。 一一十八日。 時機来らずんば十年一一十年また一生。結婚せずとも宜事は様々に変転したり。 もっ し。唯吾等の愛の約束は断じて取り消さず。よって竹越民友社の小冊子を書き以て衣食することに定まりたり。 氏には下の如く答え置きたり。 少年伝記叢書と題す。徳富氏と数回の相談を遂げたる結 思い切るとか、切らぬとか言う事は吾等の間に用うる能果なり。 わざる言葉なり。此の際余一人犠牲となりて北海に去り佐々城信子は父母の虐待を受けて三浦氏に投じたり。三 よろ なば後では宜しき様に納まらん。 浦氏より数回の談判を佐々城氏に試みたれども事成ら とかく 兎も角も信友及び世の中が、凡て結婚を不利なりと難ずず。信子尚お三浦氏にあり。 るならば、血を呑みて黙するの外これなし云々。 萱場三郎氏を吉見家の養子となすために、多少の尽力を 今朝萱場氏を麻布に訪い、信子嬢へ昨夜認めたる書状の試みつつあり。 伝送を依頼したり。萱場氏を午後一時前に去り、かぶと 萱場氏また吾等一一人のために尽力しつつあり。 ほか 町の三浦逸平氏を訪いたり。而して佐々城に対する運動信子嬢断然吾が家に来り投ずるの外、策なし。 の中止を求めたり。 人生は戦争なり。 たたかい 帰宅後父に決心を語りぬ。父は涙を流して北海道行の中 戦を宣告したる上は、書に向っては書を征服し、人に 止を求め給いぬ。われも泣きたり。収二帰宅後此の事を 向っては人を征服し、事業に向っては事業を征服するま 語りぬ。収二また泣ぎぬ。われは恋愛と、友義との中間 では止む可からず。 うらじに に立つなり。 何物、何事、何人に対しても討死の覚悟を以て戦う可 十九日。 し。死するとも勝つの覚悟あれ。 情は美の極処に動く。されど時に自家の姿を顧みて自か 以上は吾が始めて心から決定したる立身の法なり。 ただ しか おさ あた そうしょ おそ

4. 現代日本の文学3:国木田独歩 徳富蘆花 集

今朝、早やく嬢を訪い、公園に導ぎ、大に将来を談ず。 帰宅すれば十一時半。 第一、嬢は米国行を止めよ、第二、一一人北海道に立脚の 今日午前出社午後四時帰宅。尾間氏来、氏が前途の相談地を作らん、第三、しばらく東京に勉学せよ、第四、勉 学の方針は余に一任せよ。 なり。七時半三田にゆく。嬢及び本支氏と語りて帰る。 こと 0 とだく 嬢悉く諾したり。吾等は楽しく別れぬ 帰れば九時半。 すこぶ 今日新体詩一個を得たり。題は望 今夜、嬢頗る沈思に陥りたる様子なりし。 一一十九日夜記 明朝其の理由をきく可し 一一十六日の夜より三日を経過したり。 此三日の恋愛史を記すべし、恋愛史の外に記すべき事殆 アア不思議の世界に不思議の命 ! んどなし 何をあくせくとなすぞ。 一一十七日の夜は不思議なる程不平苦悶の夜なりぎ。 例の如くに訪問したり。されど十分談話するを得ず、吾 嗚呼吾が愛をして更らに高尚ならしめよ。更らに深遠な たいす らしめよ。 心には常に萱場氏に対する嫉妬の念あり。氏が嬢に対る 動作の余りにラ・フ的なるを見るに忍びず、嬢が又た之れ 明治一一十八年九月 に応する動作の余りにラブ的なるに不平の血わく、皆な もっ 之れ卑しき嫉妬の炎なり、以て自からこがす也。 八日朝認む。 よっ 本支氏は所用にて帰宅せず由て萱場氏留守居のため宿泊八月三十一日より今日に至るまで、過ぐる九日間に まった することとなり、夜更けて余帰路に付くや、嬢と萱場氏て、わが生涯の方向は全く一変せり。 記 のとは赤門まで送りぬ。 北海道行を決したるは三十一日なり。 むか ざ余が魂は嫉妬の毒杯をのみぬ。 以後引き続きて種々の事起りぬ。信子嬢が萱場氏に対っ しりぞ 糶昨夜 ( 一一十八日 ) は別に変りし事なし、朝、嬢来訪せ て、われと信子嬢との関係を公言して氏の希望を斥けた り。楽しく語り、熱きキッスを以て別れぬ。 るも此の間なり。 昨夜佐々城を出て萱場と一一人、芝公園の山に入り、ペン チに腰かけて大に北海道自立策を語りぬ。 信子嬢が幽愁悲哀に陥り、離別の苦に泣き暮したるも此 しっと ほか おおい

5. 現代日本の文学3:国木田独歩 徳富蘆花 集

老いて木枯しの冬の間近に迫って居ることが知れるであろ かんり 目的は空知川の沿岸を調査しつつある道庁の官吏に会っ しか まった て土地の撰定を相談することである。然るに余は全く地理 に暗いのである。っ道庁の官庁は果して沿岸れの辺に たむろ 屯して居るか、札幌の知人何人も知らないのである、心細 とう そらちぶと くも余は空知太を指して汽車に搭じた。 なが 石狩の野は雲低く迷いて車窓より眺むれば野にも山にも 恐ろしき自然の力あふれ、此処に愛なく情なく、見るとし せーばく あたか て荒涼、寂寞、冷厳にして且っ壮大なる光景は恰も人間の はかな 無力と儚さとを冷笑うが如くに見えた。 もくねん 蒼白なる顔を外套の襟に埋めて車窓の一隅に黙然と坐し さつろ はなしがら わず 余が札幌に滞在したのは五日間である、僅か五日間ではて居る一青年を同室の人々は何と見たろう。人々の話柄は このあいだ あるが余は此間に北海道を愛するの情を幾倍したのであ作物である、山林である、土地である、此無限の富源より びん る。 姆何にして黄金を握み出すべきかである、彼等の或者は うち わがくに らゆうみつ づめ 我国本土の中でも中国の如き、人口稠密の地に成長して詰の酒を傾けて高論し、或者は煙をくゆらして談笑して たいらっく 山をも野をも人間のカで平げ尽したる光景を見慣れたる余居る。そして彼等多くは車中で初めて遇ったのである。そ きえ わが ひとりその にありては、東北の原野すら既に我自然に帰依したるの情して一青年は彼等の仲間に加わらずただ一人其孤独を守っ おど を動かしたるに、北海道を見るに及びて、如何で心躍らざて、独り其空想に沈んで居るのである。彼は姆何にして社 ほとん らん、札幌は北海道の東京でありながら、満目の光景は殆会に住むべきかということは全然其思考の問題としたこと この ど余を魔し去ったのである。 がない、彼はただ何時も何時も如何にして此天地間に此生 そららがわ たく 札幌を出発して単身空知川の沿岸に向ったのは、九月一一を托すべきかということをのみ思い悩んで居た。であるか ほとん 十五日の朝で、東京ならばお残暑の候でありながら、余ら彼には同車の人々を見ること殆ど他界の者を見るが如 ( のと、ムくそう このち しんこくよこた が此時の衣装は冬着の洋服なりしを思わば、此地の秋既に く、彼と人々との間には越ゅ可からざる深谷の横わること 空知川の岸辺 そうはく 0 いしかり ひとその せんてい あざわら がいとうえり つか なんびと か その この ある

6. 現代日本の文学3:国木田独歩 徳富蘆花 集

じ著者の「八十日間世界一周」とともによく読まれた。 の招待による晩餐会の席上で、以後、独歩はしばしば佐々城家 上たり を訪れ、二人の交情は深まりつつあった。 一 2 三国志「三国志演義」のこと。中国元代の長篇歴史小説。 一一石信子嬢来訪す内密に立ち寄った七月一一十八日につづく一一度 源おじ めの来訪である。 一一石北海道生活信子と一緒の北海道での開拓生活の計画。 一一 0 源おじ源おじも紀州も、独歩が佐伯で接した実在の人物で、 その身の上も事実であるが、両者を結びつけたのは独歩の発想一一石徳磨氏富永徳磨 ( 1877 ~ 1930 ) 。独歩の佐伯鶴谷学館時代の 生徒。民友社、「福音新報」の編集をへてのち牧師。 である ( 「予が作品と事実」 ) 。 一一癶阿波十郎兵衛近松半二 ( 1725 ~ 1783 ) ら四人合作の浄瑠璃一一穴プライアント William Cullen Bryant ( 17 ~ 1 8 ) アメ リカの詩人、ジャーナリスト。 「傾城阿波の鳴門」の主人公。十郎兵衛はわが子とは知らずに 一六 Thanatopsis 「死観」。一八一七年発表。自然愛をうたった 巡礼のお鶴を殺す、という親子の悲劇である。 めいそう 瞑想詩。 春の鳥 一一一〈 lnfluence of natural objects 一七九九年の作詩。 一一一 0 或地方明治一一十六年に独歩が赴任した大分県佐町。「私」一六 "UP, u : ・出典未詳。「おきよ。お前の手がなすべきこ とをみつけたら、たとえそれがなんであっても、全力をつくし は独歩自身とみていし 。主人公の白痴の少年については「身の てなせ。きようのうちに働け。夜になったら働けないからであ 上話は皆な事実である。しかして此少年が城山で悲惨な最後を る。」 ( 山田博光訳 ) 遂げた事は余の想である」 ( 「予が作品と事実」 ) という。 一一一五「童なりけり」独歩が深く傾倒していたイギリスの詩人ワー 一天萱場三郎北海道出身。札幌農学校卒業のクリスチャン。父 が旧伊達藩士のため、同藩の佐々城家と知己であった。 ズワスの詩 "There was a boy. : のこと。 一三 0 鎮遠明治一一十八年一一月十七日、日清戦争で日本が捕獲した 欺かざるの記 ( 抄 ) 清国北洋艦隊の旗艦。 一毛欺かざるの記明治一一十六年一一月三日から三十年五月十八日一きカライル Thomas Ca 「 lyle ( 一 795 ~ ~ 一にイギリスの評 までの独歩の青春日記。収録されている部分は、独歩の最初の 論家、歴史家。主著「フランス革命史」「衣哲学」「英雄及び 英雄崇拝論」など。 夫人となる佐々城信子との恋愛の進展から結婚生活に入るまで の期間である。佐々城信子 ( 】 8 ~ 一 9 ) は、東京日本橋釘店一 = 0 テ = ソン Alf 「 ed Tennyson ( 一き 9 ~ 】 892 ) イギリス、ヴ イクトリア朝の代表的詩人。代表作「イン・メモリアム」「イ で内科医をしている佐々城本支 ( 1 3 ~ 181 ) と基督教婦人矯 、」ト - じゅ ノック・アーデン」など。 風会の幹事である豊寿 ( 1 3 ~ 181 ) の長女で、弟一人、妹二 人があった。独歩との邂逅は明治一一十八年六月九日の佐々城家一三一武雄伴武雄。山口県出身。東京専門学校 ( 現、早稲田大 はくち ばんさん

7. 現代日本の文学3:国木田独歩 徳富蘆花 集

を感ぜざるを得なかったので、今しも汽車が同じ列車に人「イヤ僕は土地を撰定に出掛けるのです。」 どこら もうめぼしい ちょうど いしかりや 人及び彼を乗せて石狩の野を突過してゆくことは、恰度彼「 ( ( ア。空知太は何処等を御撰定か知らんが、最早目星 の一生のそれと同じように思われたのである。ああ孤独ところは無いようですよ。」 どう みずか よ ! 彼は自ら求めて社会の外を歩みながらも、中心実に「如何でしよう空知太から空知川の沿岸に出られるでしょ た うか。」 孤独の感に堪えなかった。 どこら しか しゅうせいぬぐ 若し夫れ天高く澄みて秋晴拭うが如き日であったならば「それは出られましようとも、然し空知川の沿岸の何処等 それ ますます うつくつおおい 余が鬱屈も大にくつろぎを得たろうけれど、雲が益々低くですか其が判然しないと・ : ふたり せん 垂れ林は霧に包まれ何処を見ても、光一閃だもないので余「和歌山県の移民団体が居る処で、道庁の官吏が一一人出張 ほとんた して居る、其処へ行くのですがね、兎も角も空知太まで行 は殆ど堪ゅべからざる憂愁に沈んだのである。 つも なにがし うたしない 汽車の歌志内の炭山に分るる某停車場に着くや、車中って聞いて見る積りで居るのです。」 ほかふたり 「そうですか、それでは空知太におにな 0 たら一一一浦屋と の大半は其処で乗換えたので残るは余の外に二人あるの あるじ ごらん あが やどや み。原始時代そのままで幾千年人の足跡をとどめざる大森いう旅人宿へ上って御覧さい、其処の主人がそういうこ あかる 林を穿って列車は一直線に走るのである。灰色の霧の一団とに明う御座いますから聞て御覧なったら可うがす、どう ところ ちょっと たちま また 又一団、忽ち現われ忽ち消え、心命あるものの如く黙々も未だ道路が開けないので一寸其処までの処でも大変大回 りを為なければならんようなことが有って慣れないものに として浮動して居る。 ひとり どちら は困ることが多うがすテ。」 「何処までお廿でですか。」と突然一人の男が余に声をか それより彼は開墾の困難なことや、土地に由って困難の けた。年輩四十受、骨格の逞ましい、頭髪の長生た、四 角な顔、鋭い眼、大なる鼻、一見一癖ある・ヘき人物で、其非常に相違することや、交通不便の為めに折角の収穫も容 もちだ 岸風俗は官吏に非す職人にあらず、百姓にあらず、商人にあ易に市場に持出すことが出来ぬことや、小作人を使う方法 などに就いて色々と話し出した、其等の事は余も札幌の諸 らず、実に北海道にして始めて見るべき種類の者らしい やまし 月すなわいず 友から聞いては居たが、彼の語るがままに受けて唯だ其好 知則ち何れの未開地にも必ず先ず最も跋扈する山師らしい そらちぶと 意を謝するのみであった。 「空知太まで行く積りです。」 しようじよう 間もなく汽車は蕭条たる一駅に着いて運転を止めたの 「道庁の御用で ? 」彼は余を北海道庁の小役人と見たので で余も下りると此列車より出た客は総体で一一十人位に過ぎ ある。 どこ つ、すご たく ばっこ その かいこん この ところ よ その

8. 現代日本の文学3:国木田独歩 徳富蘆花 集

140 ーっ 嗚呼神よ。此の足らざる吾をも全心を以て愛する可憐の の時代なり。 少女を常に守り給え。 遠藤よき嬢が常に信子嬢とわれとの恋愛に同情して、一 方に信子嬢を慰め、一方にわれと信子嬢と相逢うもなお更らに祈る、吾等一一人の望、喜、光、は互いの愛なり。 ますます 人目を引かざらしめたるも此の間の事なり。 益々清く且つ高く、且っ堅固ならしめ給え。 われと信嬢と終夜語り明かしたるも此の間の事なり。 十日。 しようだくかやば 北海道拓殖の事に付き参謀者たることを承諾し、萱場氏静に此の一身を顧みれば実に責任の重きを知るなり・ 自らも吾等のラヴを同情視したるも此の間の事なり。 人生は真面目なり。 われ収一一にわがラヴを公言したるも此の間の事なり。 神は吾に予言者の火を求む。 徳富氏に公言したるも、竹越氏に公言したるも此の間な わが愛は自由を求む。 われに全身の愛を捧げたる少女あり。 しんこう げつめい 月明に乗じ深更に至るまで、佐々城氏の庭園に信子嬢及われ北海風雪のうちに没せんと欲す。 び遠藤よき嬢と共に、柳樹蔭に籐臥床を置きて談笑した われの後に父母一族あり。 かたわら * るも此の間の事なり。 われの傍にわれを頼む青年あり。 ところあら 一身の生死失落存亡は恐るる処に非ず。ああ神よ。われ をして世人のために、此の国の為めに、此の世の為め 徳富氏は・ハイロン詩集を送りぬ。 に、此の五十年を費さしめよ。 社中は不思議の思いをなせり。 土地を得て何かせん。 塩原行 ( 信嬢 ) の計画も此の間になりぬ。 ただただ あわ かたわ 嬢はんど悲痛の様、傍らに見る目も哀れなるに至り富を得て何かせん。此の地球上の生命は唯々霊の修練の み。 ぬ。人なければ泣くのみという。 六日午後、豊寿夫人を上野に迎えたり。 、ようおう 豊寿夫人の帰京はわれ等親話の自由を奪いぬ。 昨夕徳富氏に晩食の饗応あり。夜半まで語り、氏わが性 質を説きて大に戒むる所ありたり。氏は余にフランクリ 的教訓を与えたるなり。処世成功を教えたるなり。 嬢よ。此の普通をはなれたる青年に全心の愛を捧げたる かな われ は不幸なる哉。嬢よ、吾を許せ、ああ吾を許せ。 とうがしよう しんめんばく

9. 現代日本の文学3:国木田独歩 徳富蘆花 集

今日午前段清吉氏を訪い北海拓殖の事をただす。徳富君昨日 ( 十一一日 ) 午前、収一一及び尾間氏に送られて上野停 及び収一「三人にて丸木に写真を撮る。昼飯の饗応を佐車場に到り、六時半発の汽車にて発す。 那須停車場より車にて塩原に向いぬ。塩原は古町会津屋 々城にて受く。 昨日約したるなり。夜、段清吉氏を伴うて、上村昌義氏なり。 ひとり 未だ古町に達せざる半里計りの処にて、信嬢に遇う・ を訪う。氏は北海道に於ける事業家の一人なり。 車を下り、信嬢と共に歩みぬ。吾等の位置の容易ならざ まど ますます る事を語り、大に覚悟して決して惑わず、益々高潔深切 昨日内村鑑三氏より親切なる書状ありたり。 こしよし 昨日伴諒輔氏より武雄君の片身として浴衣地一反送り来を期し、一には湖処子君等をして吾等のあとを追わし せんーよう め、一には世の瞻仰する処となる可きを言う。互に感激 る。 して涙をのみぬ。 十一一日。 会津屋に着し、夜半語りて尽きず。前途を語り、人道を 午後五時半筆を採る。 ろう 談じ、遂によき嬢、信嬢と三人、声を呑んで哭するに至 われ今塩原温泉、古町の一旅館の楼上にあり。 りぬ。 昨日午後五時信嬢を送りて上野停車場にあり。停車場に われら 佐々城氏突然来り、に吾等が今日までの愛史を打ち明 て、遠藤よき嬢と合い、一一嬢が塩原に行くを送りぬ。 午前今井忠治君来宅。尾間明氏来宅。収二と四人牛をけて語らざるを得ざるに至りぬ。 て食う。午後収一一をして菅原佐々城両氏を訪問して紹介われはありのままに語れり。 豊寿夫人より信嬢のもとに一書飛来せり。 状を受取らしむ 吾読んで思わず寸断したり。あまりに吾等を邪推して殆 、わみ 記佐々城夫人不在 トやば * やお、ら んど人を誤解するの極、吾が面上三斗の泥を塗られたる の感あり。 き十三日。 あた つうこく 憤激措く能わず。本支氏外出の後、痛哭す。 昨日執筆の続き。 おさ こもごも わずか 一一嬢の交々慰むるによりて僅に怒情を抑うるを得たり。 夜、 ( 十一日 ) 佐々城夫人を訪問して紹介状を受け取る わすべ はずところ 本支氏は吾が凡てを聞きて夫人と相談して後に決答すべ 可き筈の処、以上の来客の為め果さず。 しと答えたり・ しおばら ゆかた どろ あ

10. 現代日本の文学3:国木田独歩 徳富蘆花 集

人生、行路難し。わが性格の一歩一歩進歩するを覚彼等は移住民の小屋に居たり。三間と四間位の小屋にし 、わ て極めて粗造なる者なり。われつらつら内部を見たり。 ゅ。 実にこれ立派の者なり。以て献身者の住家たるに足る。 、とう もっ 以て労苦する人の家たるに足る。以て読書と沈思と祈疇 願書を差出したる上にて、一先ず帰京し、大に相談する とに足る。以て筆を取るに足る。代価を聞くに、日く、 処ある可きに決す。 一坪一円ならばなりの小屋を造り得べしと。 一一十九日安息日。 寂寞たる森林実にわれを動かしたり。 函館港館に於て認む。 しようが、 午後一一時頃歌志内に帰りぬ。其の夜また信子嬢に一書を 我が生涯に態々多端になりたり。 そららよと 出したり。 一一十五日朝空知太に向って発したり。空知太に於て雨中 ひと の北海道森林を見たり。三浦屋に於けるわが心緒乱れて其の夜独り散歩す。鉄道線路にそいて歩む。 くもんお 月、山の蝌より出でたり。 糸の如く、苦悶措く能わざりき。心を転じて殖民小屋の あわ うちに住む他の憐れなる同胞の上に思い及びし時、主我 ( 真理の追求 ) 。 めいそう 瞑想沈思する多時。仰いでは無限の大空に対し、天地の 的幽愁は忽然として晴れ、同情の哀感油然として起り 不思議を思い、顧みて吾が今日の境遇を思い、決然とし ぬ。 △△ 空知太よりは空知川沿岸に出ずるに不便なるが故に、歌て覚悟する所あり。真理の研究、真理の紹介。これ吾が しない 天職なり。真一文字に此の天職に従事すべしと思い定め 志内に回行したり。 ぬ。 歌志内旅舎に於て、篠原熊夫氏と称する御料局の官吏に 記遇い、此の人に井口某等の所在を聞知し、其の夜は一泊十万坪を借金して開拓せず一戸分若しくは一一戸分を自作 することに思い定めたり。 のしたり。信子嬢に一書を出しぬ。 でんば ざ一一十六日は午前七時頃より宿の少年一人を連れて、空知真理の研究、真理の伝播、これ吾が天職なり。風吹かば 川河岸に出立したり。路一山を越ゅ。行程一里強の山中吹け、雨降らば降れ。政治家をして華麗なる舞台に舞わ 欺 ゅうすし しめよ。文学者をして、大家連の虚栄を追わしめよ。吾 の幽邃なる、紅葉の火を点じたる、皆な北海道の美な はただ此の天職に真一文字に進まんのみ。 り。空知川沿岸に難なく出でたり。 ゅうわく 今日まで、多くの誘惑来りぬ。吾が薄弱なる、常に真誠 難なく井口某等に遇いたり。土地撰定を為したり。 まら . ま 4 ・ こっぜん ひとま ゅうぜん うた せばく たじ かれい