を、幾冊かある大きな本を重そうに持って来た。欲しい欲さ。」 まわり しいと思って慚く横浜の方で探して来たとも言、、、、 し / 円カ話し話し二人は家の周囲を歩いて見た。 ひところ あたたか 出して手に入れたとも言うその古本を捨吉の前に置いた。 「でも、一頃から見ると温暖に成ったね。」 それを置きながら、 「もう斯の谷へはさかんに鶯が来る。」 「へえ、君が教えに行くとは面白い。随分若い先生が出来枯々とした樹木の間から見える藪の多い浅い谷底の方は あしあと たものだね。」 まだ冬の足迹をとどめて居たが、谷の向うには、薄青く煙 と、青木は戯れるように言って笑った。 った空気を通して丘つづきの地勢を成した麻布の一部が霞 むように望まれた。藪のかげではしぎりに鶯の啼く声もし 小半日、青木は捨吉を引留めて、時には芸術や宗教を語 た。春は近づいて来て居た。 り、時には苦しい世帯持の話をしたり、世に時めく人達の耳の遠い、腰の曲った青木の親戚のお婆さんは夕飯を用 尊なそもして、捨吉をして帰る時を忘れさせた。ある禅僧意して捨吉を待受けて居て呉れた。味噌汁か何かの簡単な の語録で古本屋から見つけて来たという古本までも青木は馳走でも、そこで味うものは楽しかった。 取出して来て、それを捨吉に読んで聞かせた。青木は声を四月から始める新規な仕事、麹町の方にある吉本さんの 揚げて心ゆくばかり読んだ。 学校のことなそを胸に描きながら、捨吉は斯の青木の住居 とじムさ 堅く閉塞がったような心持を胸の底に持った捨吉は、時を出て、田辺の家の方へ戻って行った。青木の許へ捨吉が どう には青木に随いて屋の外へ出て見た。奈何いう人が住んだ齎して行った一身上の報告は田辺のお婆さんをも悦ばせ 時跡か、裏の方には僅かばかりの畠を造った地所もある。荒た。独りで東京の留守宅を引受けるほどのお婆さんは、六 あてが る れるに任せたその土には早や頭を持上げる草の芽も見られ畳の茶の間を勉強部屋として捨吉に宛行うほどのお婆さん す もはや 熟る。 は、最早捨吉を子供扱いにはしなかった。これから捨吉が 実「ホラ、君が来て呉れた高輪の家ねえ。あそこは細君に相教えに行こうとする麹町の学校は高輪の浅見先生の先の細 ひど いしずえ 桜談なしに引越しちゃったーー・あの時は酷く怒られたつけ。」君が礎を遺して死んだその形見の事業であるということ ひとこと 「青木君、山羊はどうしたね。麻布の家には山羊が一一匹居なぞを聞取った後で、一語、お婆さんは捨吉の気に成るよ たね。」 うなことを言った。 「あの山羊じゃもうさんざんな目に逢った。山羊は失敗「女の子を教えるというのが、あたいは少し気に入らな
あかり 閉って、唯小障子の明いたところだけ燈火が射して居る。 「アア。」 私は夏梨の樹の下に独りで震えながら、家のものが皆な炉 「そんなこと、ツマラないや。」 迅に集って食事するのを眺めました。日頃黙って居る兄の 子供に引張られて、復た私は歩き回りました。 顔などは、私の仕たことに就いて非常に腹でも立てたよう 「最早御飯だ。早くお家へ帰ろう。」 その おそろ と言って、吾家近くまで子供を連れて帰りかけた頃、何に、余計に畏しく見えました。其晩に限って、誰も救いに を期の児は思いついたか、しきりに御飯と御膳の相違を比来て呉れるものが有りません。期の刑罰は子供心にも甘ん べ始めました。父のが御膳で、自分のが御飯だとも言ってじて受けなければ成らないようなものでした。私は皆なの 夕飯の終る頃まで、心細く立ち続けました。 見るようでした。 おわび なだ 期ういう時に、私の側へ来て言い宥めたり、皆なに御詫 「御飯と御膳と違うのかい。」 おんな をして呉れたりしたのは、お牧という下婢です。目上の兄 と私が笑いますと、子供は可羞しそうにして笑って、 「知らない。」 達が奥の方へ行った後で、お牧は私の膳を炉辺へ持って来 とうとう 引頭其晩は食いませんでした。 と言い放ちながら、急に家の方へ馳出して行って了いまて勧めて呉れましたが、」 私の生れた家では、子供に一人すっ下婢を付けて養う習 恐らく斯の児の強情なところは私の血から伝わ 0 たもの慣でして、多くは出入のものの娘から取りました。私に付 かみゆい いたお牧は髪結の家の娘でした。理髪店というものは未だ でしよう。しかし私は期の児ほど泣き易くはありませんで した。丁度弟の方の子供ぐらいな年頃のことでした。ある私の故郷には無かった頃ですから、お牧の父親が髪結の道 びんつけ 晩、私は遊友達の問屋の子息と喧嘩して、遅くなって家の具ーーあの引出の幾つも付いた、鬢着油などのにおいのす 方〈帰って行きました。叱られるなということを予期しなる、古い汚れた箱を携げてよく吾家へ出入したことや、そ うしろ きたな がら。果して、家の門を入って田舎風な小障子のはまったれから彼の穢い髪結が背後に立って父の腮などをゴシゴシ 出入口のところまで行くと、私が問屋の子息を泣かせたことやったことは、未だに私の眼に着いて居ます。お牧の父 とは早や家の方へ知れて居りました。やかましい問屋のお親と言えば土地でも有名な穢い男でした。その娘に養われ ひと からか ると言って、よく私は他から調戯われたものです。でも、 婆さんがそれを言付けに捩込んで来たということでした。 で、私は懲らしめの為に、そのまま庭に立たせられましお牧は乳を呑ませないというばかりで、其他のことは殆ん た。薄暗い庭から見ると、玄関の方も裏口の方も皆な戸がど乳母同様に私を見て呉れました。 ねじこ かけだ ち力い
く思出すことが出来る。 彼は痴人の模倣に心を砕いた。それを自分の身に実現そう のち 持って生れて来た丈の命の芽は内部から外部へ押出そと試みた。 うとはしても、まだまだ世間見ずの捨吉の胸はあたかも強「天秤棒 ! 」 烈な日光に萎れる若葉のように、現実のはげしさに打ち震どうかすると期様な言葉が冷かし半分に生徒仲間の方か えた。彼はまたある特種の場合を思出すことが出来る。つら飛んで来る。誰かそれを不意と思出したように。岸本は としした * いかけ い田辺の家の近くに住んでよく往来を眺めて居る女の白く年少なくせに出過ぎて生意気だというところから、「鋳掛 塗った顔は夢の中にでも見つけるような不気味なものであ屋の天秤棒』という綽名を取って居た。以前はそれを言わ った。毎日夕方からお湯に入りに行くことを日課にして居れるとーーー殊に高輪の通りで知った人の見て居る前では てがらたま かなり るその女の意気がった髪に掛けた青い色の手絡は堪らなく 可成辛かった。もう左様いう時は過ぎた。「白ばくれ おかばれ 厭味に思うものであった。その女が自分の大事な兄に岡惚るない」とでも呼んで通る人の前へ行くと、殊に彼は馬鹿 ~ らめ、 して居るという話を調戯半分に田辺の姉さん達から聞かせげた顔をして見せた。そして、胸に迫る悲しい快感を味お られてもーー・兄は商法の用事で小父さんの家へよく出入しうとした。 いろ tJ と たからーーでも彼は大人の情事なそという左様いうことに 学校のチャ・ヘルへ上っても、教室へ行っても、時には喪 対して何処を風が吹くかという顔付をして居た。「捨さん、 心したように黙って、半分死んだような顔をして居ること お前さんもよっ・ほど変人だよ」と田辺の姉さんに笑われが有った。以前は彼の快活を愛したエリス教授も、最早一 ころ あ込ら て、彼はむしろある快感を覚えたことを思出すことが出来頃のように忠告することすら断念めて、彼が日課を放擲す る。 るに任せた。「ほんとに岸本さんも変ったのね」とか、「ま かっ それを彼は高輪の方でも応用しようとした。曽て一緒にあ岸本さんは奈何なすったの」とか、女学校の方の生徒達 そろ 茶番をして騒いだ生徒にも。曽て揃いの洋服を造って遊んにまで言われるように成った。思い屈したあまり、彼はど だ連中にも。曽て逢うことを楽みにした繁子や、それからうかすると裸体で学校のグラウンドでも走り回りたいよう き - っ力い 彼女の教えて居る女学校の生徒達にも。曽て「岸本さん、 な気を起して、自分で自分の狂じみた心に呆れたことも 岸本さん」ともてはやして呉れた浅見先生の教会の人達にある。 きらがい も。「狂人の真似をするものは矢張狂人だ。馬鹿の真似を期ういう中で、捨吉は一一人の友達に心を寄せた。相変ら するものは矢張一種の馬鹿だ。」この言葉は彼を悦ばせた。ず菅は築地の家の方から通学して居た。足立が寄宿舎生活 しお だけ とくしゅ よろこ はだか こん あだな あき あらわ ひと
278 きみをようしゅんのうえにいたし ふたたびふうぞくをしてじゅんならしめんと 致君堯舜上 再使風俗淳 とを考える暇も無い位で、ただただ若々しい命を楽もう この いんりんにあらず ついにしようじよう こうか としたのであった。市川なぞはもう酔うように成って了っ 行歌非隠淪 此竟蕭条 きろさんじゅっさい りよしよくすけいかのはる た。彼は学校の日課を捨てて顧みなかった。 旅食京華春 騎驢三十載 つか もが すが あしたにムうじのもんをたた、 くれにはひばのちりにしたがう 流石に思慮の深い市川は、雷でも来てめとまで悶いて 朝扣富児門 暮随肥馬塵 ぎん ! 、 ー、とれいしやと いたるところひそかにひしんす 居る菅の顔を眺めると、 到処潜悲辛 残盃与冷炙 しゅじようき、ろめされ かっぜんとしてのびんことをもとめんとほっす 「冷静なる判断、冷静なる判断。」 敞然欲求伸 主上頃見徴 そうとうとしてうろこをほしいままにするなし せいめいかえってつばさをたれ と力を入れて言った。 蹌嶝無縦鱗 青冥却垂翅 まなまごしるじようじんのしんなるを はなはだはずじようじんのあっきに 「君にはその冷静なる判断があるよ。」 世ー鉦丈人真 甚愧丈人厚 むないた みだりにかくのあらたなるをしようす つねにひやくりようのうえにおいて と菅が言って、互に考え深い眼付をした。彼等は胸壁を 毎於百寮上 猥誦佳句新 ひそかにこうこうの込にならうも げんけんがひんにあまんじがたし 衝いて湧き上って来るような、活々とした内部の生気に押 難甘原憲貧 窃効貢公喜 それい ただこれはしってしゅんしゅんたらん いずくんぞよくこころおうおうとして されて、夫を奈何ともすることが出来なかったのである。 祇是走践践 焉能心怏 そう すなわらまさににしのかたしんをさらんとす いまひがしのかたうみにいらんとほっして 栗田という菅の従兄弟も時々やって来た。而して斯の部 今欲東人海 即将西去秦 なおあわれむし 0 うなんのやま こうべをめぐらすせいいのひん 屋で蕪村の俳句などを吟じて聞かせた。従兄弟同士とは言 回首清渭浜 尚憐終南山 ′つい 4 っ ~ 、 つねにいつばんにむくいんとぎす いわんやだいじんにじするをおもうをや い乍ら、余程菅とは肌合の違った人で、磊落な、面白い調 常擬報一飯 況懐辞大臣 じようだん はなしまぜかえ ばんりたれかよくならさん はくおうなみこうとうたり 子の青年であった。随分謔語を言って連中の談話を雑返し 白鵐波浩蕩 万里誰能馴 もした。斯人が一句吟じて聞かせた後では、丁度舌打して ぎんせい よく期ういう吟声が部屋の一隅で起った。力のある、感ウマい物でも味った後のように、まだそのウマミがロに残 情に富んだ足立の声は、期の詩を吟するに適して居た。市るという風に見えた。「春の海ひねもすのたりのたりかな」 川や岸本も一緒に成って、足立の声に調子を合せることもなどとよくやったものである。 有った。 上野の花の盛りの頃には、音楽会の帰りにここへ立寄っ 時の経っということを斯のの端の宿では忘れさせる程て、演奏の評判をする人もあった。斯ういう手合の中に であった。暖かい雨が降って来て、窓の外の草木も復活るは、岡見の弟、福富なそを数えることが出来る。福富は、 ように見える頃には、ここへ集って来る連中の心も共に発市川、栗田、それから岡見の弟と同じように、高等学校の なかんずくとしわか 達した。就中、年少な手合は、自分達が奈何なるというこ制服を着けて居て、市川よりもすこし若い位の年頃であっ はた っ この のらたのし
の部屋が見える。唐紙の開いたところから暗い土蔵の入口 二階には又、岸本の本箱も置いてあった。その中には、 までも見える。 らようど 彼が学校生活の時代に、寄宿舎の窓のところで読み耽っ 丁度樽屋のおばさんが下町風の娘を連れて芝居の方の相 こわいろ て、今はそれほど興味を持たなくなったものや、卒業後し談にやって来て居る。叔父はつい科白が出るという風で、 ばらく横須賀の店を手伝って居た頃、帳場の机の下に隠し無邪気な弘を対手に何か読上げるような手真似をした。弘 て置いて読んだものや、それから叔父や兄には寝言のようは男の児らしい眉を揚げた。而して、刀の柄へ手を掛ける いろいろはん ようにして、父を詰問するような態度を見せた。楽い笑い に思われそうな、新しい思想を書いた種々の書籍が一緒に 蔵ってあった。 声が溢れるように起った。 らよっと 久しぶりで愛読書の顔を見る為に、鳥渡岸本はこの二階「真実に、弘さんはウマいことねえ。」と樽屋のおばさん へ上った。本箱の蓋を取って、塵埃にまみれた蔵書を眺めが言った。 て、それからまた直に蓋をして了った。彼は当分期ういう「ははははは。」と叔父は快活に笑って、「弘の十八番は勧 ものを手にすまいと考えた。二度と同じ道を通るまいと考進帳サ。」 かんいえ おばあさん えた。もう一度世の中を見直そうと考えた。期の思想を自老祖母も笑の涙を拭わずには居られなかった。「ねえ、 分で自分に押付けるようにして、軈て書生としての勤めをおばさん、期うお芝居の真似が上手に成っても困ります はしごだん よ。此節は茶屋の若い者が貸して呉れ貸して呉れと言っ する為に、楼梯を下りた。 むかし かなり 庭は可成広かった。往時からの習慣で、跣足に尻端折て、連れて行って、坊ちゃん、そこは左様するんじや有り で、よく岸本は期の庭を掃いたものである。其日も、物置ません、期うするんですよッて教えるもんですから、弘が まう、ごみとり の方からと塵箕とを持って来て、先ず茶の間の前にある直に其を覚えるんです。まさか彼様して可愛がって呉れる くす かえで 楓の下から始めた。庭の隅には古い楠もあって、湿った土ものを、断る訳にもいかず。お芝居の方の人にでも成って あおぎり の上へ実がこ・ほれて居た。梧桐は始末に負えない奴だ。奇了わなければ可が、と思って私は心配して居ますよ。」 麗に根のところを掃いた時分に、大きなやつをガサリと落「ホホホホ。老祖母さんのように心配したら際限が無い。」 あおむ してよこす。仰いて見ると、下枝の葉は最早大抵落尽したと叔母は臥床の上で笑った。 が、梢の方には未だ沢山枯々になって残って居た。水の無「左様ですともサ。」と樽屋のおばさんが引取って、「子供 い池に付いて、椎の樹のあるところへ出ると、そこから奥がやるのは可愛らしいじや有りませんか。弘さん、沢山お こ 0 すぐ やが はだし ほんと それ たんと
207 春 笑わせた。黒みを帯びた透明な湯は、三人の手足を蒼白 く、細長くして見せた。 騒然しい湯滝の音は何時の間にか岸本の心を寂しいとこ 長い廊下のところには女中が集って話して居る。「ちょ たのしみ あんな としかさ いと、お君さん。」と年嵩なのが言った。「彼様に廊下へ突ろへ連れて行った。彼は他の友達のような快楽に耽ること ふね も出来なかった。あおのけに、死んだように成って、槽の 立ってるものじゃないよ。」 あっち ふちほんのくば かんがえまと 「だって、」とお君は受けて、「あの三階の方がね、彼方へ縁に頸窩を押付けながら、思想を纏めようとして見たが、 うなり こっち 時とすると湯滝の音に我を忘れたり、時とすると浴客の呻 行ったり是方へ行ったりなさるから。」 : んやり よりかか 三階には避暑の客があるらしい。岸本は暫時欄に倚凭っ吟に気を奪られたりして、其時限りのことに然時を送っ らようど しょんばり て悄然と眺め入って居たが、丁度そこへ足立と菅の一一人がて了った。 さるすべり っと身を起して友達の方を眺めた岸本の眼付はすこし逆 手拭を提げてやって来る。庭の百日紅も花盛りの頃で、こ 上せて居る。 の廊下を美しく見せた。 す 「青木君が言ったツけ。」と菅は岸本を見て言った。「是方 「好かないよ。」とお玉が言出す。 「だからさ、お前さん。」と年嵩なのが引取って、「左様いは儁騒が好いから、それで彼様な旅が出来たんだッて。」 、よりよい 「だから狂じみたことを行るんさ。」と岸本は寂しそう う時には御免なさいッて言うものだよ。」 じようぶ としうえ まぜかえ に笑った。「頑健なのが自慢には成らないやね。」 「年長は年長だけある。」とお玉は雑返すように言って、 ちょっと 「他に言われないうちに、言っとくんじゃないか。」と菅 何か暗号のように一寸右の肘でお君を小衝いて見る。 が笑う。 「にくらしい。」とお君は、若い女らしい声で言った。 しお ほしいままゆま 楽しい女中の笑声、放肆な湯の空気、日に萎れたよう「兎に角、骨太に出来てるね。」と足立も一緒に成って笑 な百日紅の香なそは、若い三人の心を酔うばかりにさせった。三人は寄宿舎時代に帰ったような心地がした。 た。「君、一ばい入滯って来よう。」斯う言って誘って呉れ湯から上る。間もなく別れる時が来た。岸本一人は旅の 仕度にいそがしかった。 る友達の後に随いて、岸本も一緒に楼梯を下りた。 ゅぶね 湯槽は石垣の間にあって、深い岩底から湧出る温泉が溢「菅君、」と岸本はモジモジしながら、「此処の払いは奈何 まったく したら可かろう。」 れ流れて居る。そこには一一三の浴客もある。「真実、若い 、、いよ。」と菅は引受顔に答える。 者には毒な場所さね。」期様なことを言って、菅は友達を「ナニ におい っ こん はしごだん ごえ わ どう の
おおせい をしましたねえ。」と菅の従姉妹が取次に出て言って、不曜のことで、従姉妹なそが多勢集って来て居る。麹町の秘 十 , 、さ、 : りい 思議そうに客の様子を眺めた。 母の笑い声も聞える。好悪で物を定めて了う学校出の女 や、「叔母がここに居ります」といったような人達に、箱 十六 根のことなそは無論悦ばれそうもなかった。 われわれ ちょっと 「君、盛岡が吾儕の留守に訪ねて来たそうだ。逢わない方「一寸僕は失敬するよ。」と言って菅が階下へ降りた後、 が可いかと思うなんて手紙を寄しながら、またやって来る足立と岸本の二人は更に山の上を思出した。咲いて居た白 ところは、盛岡だネ。」 百合の花は未だ一一人の眼にあった。 とう きわ 期う菅は友達に話して笑った。それを聞いて岸本が勝子「お君さんか。」と岸本は塔の沢の娘の名を言って、「君は どう に逢いたいと思う心は一層増して来た。 彼の人を奈何思うね。」 「君の家の人は僕のことを何と思ってるだろう。」と岸本「むむ、なかなか性質も好さそうだ。しかし不思議さネ、 ああ は聞いて見る。 菅君が彼様いうことに成るとは。他の人なら兎に角、菅君 「なあに、何とも思ってやしないよ。」と菅は友達を慰めだから面白いじゃないか。」 るように一 = ロった。 斯う言って、足立は快活な、愛嬌のある微笑を見せた。 あ - : さ 日曜には、連中が集って来た。集って話すということは足立に言わせると、菅はよく前後を顧みるような人であ たのしみ そうらよう 若い時代の歓楽で、何かにつけてよく会合した。其日も、 ったが、今は案外無謀な人に成った。荘重な言葉づかいが 、ようげき 岸本の出京を機会にして互に話そうというのである。先ず矯激に流れて来た。友達は意外に烈しい人に成った。彼は やが すこよ やって来たのは足立で、雑誌の話から、軈て山の導が出時として頗る勇気のある人のように見える。そうかと思う それ た。この事に就いては最初岸本も冷淡であったので、其をと、また驚くばかり弱いところも出て来た。謹厚慎重とも ひど 酷く菅が憤慨したという話から、「菅君は話せないなんて言いたい菅のような友達でも、熱ある病の為には前後を顧 いったん 言って居ながら、一旦期ういうことに成ると冷淡に構えてみなくなるのであろう。彼は殆んど世も親も忘れようとし 居るーーー岸本は怪しからん。」などと言って立腹したとい て居る。期う評した。足立はまた菅の切ない思を汲んで、 春 う話を足立が始めて、岸本は弁解しようとする、足立は面いずれ折を得て再遊を企てよう、と言って居た。 はて 昭白がる、果は三人大笑に成った。 次第に連中が集った。市川も来る。青木も来る。足立と つな 急に菅は耳を澄ました。彼の心は階下の方へ行った。日青木とは其日初めて一緒に成ったので、互に初対面の挨拶 した さん よろこ えみ
まばろしめのまえよびおこ つきまと い幻影を眼前に喚起すようにして、低い声で、しかも力をる。群となると、必ずそこには若い空気が付纏うかのよう 入れて、 であった。 みらみら 「オオ、ルシラ、マデライン、リリアン、マアガレット。」 菅、市川、岸本の三人は一緒に此の学校を出た。途次盛 こん 期様な風に、女の名を呼んで見て、笑った。清之助は市んな笑声が四人の間に起った。市川は其日の式場で見た人 川の笑ったのを笑った。菅は何か思出したという風で、考人を数えて、物の本にあるようなあわれに驚いたと言って ことば 深く眺め入って居た。恐らく、期うして多勢集まって来笑った。勝子が読んだ告別の辞の中には、「時というもの て居ても、箱根に勝る程の人は見当らなかったのであろにあざむかれ」という文句があった。市川は又、それを言 出して、笑った。 たちからおのかみふん 余興には、旧い卒業生も混った。手カ男神に扮して、来 八十 賓の方へ顔を見せないように出て来た人が有った。磯子 あま こいのばわ・ かわらやね だ。期人の雄々しい後姿には天の石屋の戸も開くらしく見青葉をところどころに見る下町の瓦屋根の間に、鯉幟が えた。「どう見ても男ですね。」と連中の背後で感心して居立つように成ったは、間もなくであった。 こやねのみことうすめのみこと る人もあった。手カ男神につづいて、児屋命、宇受売命、 岸本の叔父の家でも、一人息子の弘が十一歳を祝う為 いろいろ それから種々な神様に扮した人が出て来た。神様はいずれに、竿を庭の隅のところに立てた。鱗を画いた魚の形は五 まさか ~ も可羞しいという風であった。真賢木は竹で間に合せ、そ月の空に高く掲げられた。 あまてらすおおみかみ ほんムなちょう の後を石屋に見せた。天照大神には勝子が扮したが、こ節句の前の日、岸本は本船町の家の方に市川を訪ねた。 こんのれんにおい れも竹の葉に隠れて、成るべく来賓へは顔を見せないようその辺は紺暖簾の香のするようなところで、蔵造の問屋が みせさき にして居た。 軒を並べて、店頭誕荷造をするのと、荷車や荷馬車が往来 じちやごらや 問答の後で、神様達は一緒に唱歌を歌った。 を通るのとで、夛しく混雑した眺めの町である。酒、砂 あそこ ひうお たぐい 軈て式は終った。若い人々は思い思いに集った。彼処に糖、海苔、乾魚其他海産物の類が絶えず斯の町を運搬され たんす あ、んど 春一団、此処に一団、大事そうに卒業の証書を持って居るのて居る。薬の簟笥を担いだ商人も其間を通る。その簟笥の じようさい もあり、是から将来のことを話すもあり、国へ帰る相談な環の音を聞くと、最早定斎を売りに来る季節に成ったかと さほど どをして居るのもあった。一人一人離して見ると左程元気いうことを思わせる。岸本は小僧に案内されて、薬種を置 のないような娘まで、一緒に集って居れば活々として見え並べた店の側を通った。市川の母親にも逢い、姉にも逢 ひとかたまりここ 0 この いわや かん
ゅ、だおれ 其朝、青木は行倒を見たと言って、散歩から帰って来うに笑ったが、日頃物の遣取も稀なので、何となく斯の手 ワ 1 た。 土産がめずらしく思われた。 「貴方、岸本さんが帰っていらしッたそうですよ。」と操「岸本君、君はまた馬鹿に早く帰って来たね。」期う青木 が一 = ロう。 は葉書を持って駈寄る。 「最早帰って来たのか。」青木の眼は輝いた。「奥州の方へ「実は僕も驚いたんです。」と菅は岸本の横顔を眺めて、 あんな 出掛けて行ったばかりじゃよ、 / し、か」 「彼様に早く帰って来るとは思わなかったーーせめて一月 青木は妻から葉書を受取った。読んで見ると、まさに岸や二月は八戸に居るんだろうと思った。」 あらら 本は鎌倉の寺へ帰って居る。其日、菅と一緒にここへ訪ね「彼方に一週間位いらしッたんでしよう。」と操も言葉を て来るともしてある。暫時夫婦は顔を見合せて居た。 添える。 「真実に、岸本さんは貴方に克似ていらッしやる。」と操「ええ。」と岸本は頭を掻いた。 は何か思出したように言った。 菅は笑わずに居られなかった。「何かにあるね、行った 「俺も以前には彼様な風だったかなあ。」期う青木が答えかと思うと直に帰って来るところなそは。」 こ 0 二十五 「あら、左様いう訳じゃないんですけれどーー」 とろ・さわ 「兎に角、狂じみたところ丈は似てる。」と言って、青木是処へ来る前に、菅は岸本を引張って、例の塔の沢に居 うしうだて は肩を動って、「彼の男のは自分で知らないで行ってる、俺る人の生家を探りに行った。足立を後援者とした事件の成 はそれを意識してるーーそこが違う。」 行も彼には甚だ有望らしく見えた。で、いよいよ期の話が ところ 操は夫の顔を眺めて、ホッと深い溜息を吐いた。 うまく纏まった暁には、当人を引取って、差当り青木の許 そう ひるすぎ 午後になると、菅、岸本の二人が寺へやって来た。菅はヘ置いて貰うことにしたい。而して細君の教育を受けさせ つう それ 風呂敷包の中から菓子折を取出して、「鶴ちゃんへ。」と言たい。期う将来のことまでも考えて、其を青木夫婦に依頼 って、操の方へ押遣る。 する積りで来たのである。 「貴方、御土産を戴きましたよ。」と操は夫の方を見て言 菅は一度青木の家で逢った不幸な食客のことを忘れずに 居る。「青木さんだから、私のようなものの世話をして下 その 「菅君は左様いう心配をするから不可。」と青木は嬉しそさるんです。」と其男が言ったことを忘れずに居る。 ほんと おみや だけ すぐ やりとりまれ
川の方へ向いて尋ねた。岡見兄弟を区別する為に、弟の方 は清之助の名を呼ぶことにして居る。 うなず 市川は黙頭いて見せた。 「岡見君はーー」 しば・り ~ 、 「大磯の方でしよう、暫時僕も逢ませんが。」と市川は答 えた。 其時青木は、三人の若い友達が睦まじそうに語り合う有 様を眺め乍ら、残りの酒をやって居た。連中で細君のある ムたっ ものは青木一人である。彼は早く結婚した。二歳になる女 ようや もっと の児の親でありながら、漸く一一十六にしか成らない。尤 としじゅん このひと も、年齢順から言うと、岡見の兄が一番年長者で、期人は 三十近かった。例の心やすだてから、岡見翁などと戯れに ひとりみ 呼んだものであったが、その翁ですら未だ独身者で居る位 で、他の連中と来てはいずれも世帯持の苦労なそを知らな いまま、・つ つまこ ( 「おもかげ』の訳より ) い時代にある。青木は今更のように、若い友達と、妻子の ある自分と、その生涯の相違を引比べて見た。 このうた 友達仲間で斯歌を愛誦しないものは無い。彼等は期の歌「オヤ。」と市川が言出した。「岸本君は煙草を喫み出した くちすさ かんがえ を口吟む毎に、若々しい思想が胸の底に湧き上るのを覚えね。」 なたまめ た。市川も岸本も酒の香に酔って、青木の歌に調子を合せ岸本は近頃契むことを覚えたという風で、洋銀の鉈豆烟 せる 管でス・ハス。ハやって見せた。 「菅君。」 「大分手付が好いぜ。」と菅は笑って見て居る。 斯う言い乍ら、市川は沈着いた友達の手を握った。彼は 「これでも君、余程上手に成ったんだよ。」と岸本は煙を ゆす いろいろ 的菅の顔を眺めて、楽そうに身体を動って、軈て笑出した。吹いて見せて、「旅に出ると種々なことを覚えるね。どう てんまらよう 「清さんは伝馬町ですか。」と岸本は思出したように、市も手付が可笑しいなんて、西京では笑われた。」 「いづれを君が恋人と わきて知るべきすべやある。 かむり 貝の冠と、つく杖と、 はける靴とそしるしなる。 かれは死にけり、我ひめよ、 かれはよみちへ立ちにけり。 かた かしらの方の苔を見よ、 あしの方には石立てり。 ひつぎ 柩をおほふきぬの色は 高ねの花と見まがひぬ。 涙やどせる花の環は ぬれたるまゝに葬りぬ。」 たのし おもっ