まばろしめのまえよびおこ つきまと い幻影を眼前に喚起すようにして、低い声で、しかも力をる。群となると、必ずそこには若い空気が付纏うかのよう 入れて、 であった。 みらみら 「オオ、ルシラ、マデライン、リリアン、マアガレット。」 菅、市川、岸本の三人は一緒に此の学校を出た。途次盛 こん 期様な風に、女の名を呼んで見て、笑った。清之助は市んな笑声が四人の間に起った。市川は其日の式場で見た人 川の笑ったのを笑った。菅は何か思出したという風で、考人を数えて、物の本にあるようなあわれに驚いたと言って ことば 深く眺め入って居た。恐らく、期うして多勢集まって来笑った。勝子が読んだ告別の辞の中には、「時というもの て居ても、箱根に勝る程の人は見当らなかったのであろにあざむかれ」という文句があった。市川は又、それを言 出して、笑った。 たちからおのかみふん 余興には、旧い卒業生も混った。手カ男神に扮して、来 八十 賓の方へ顔を見せないように出て来た人が有った。磯子 あま こいのばわ・ かわらやね だ。期人の雄々しい後姿には天の石屋の戸も開くらしく見青葉をところどころに見る下町の瓦屋根の間に、鯉幟が えた。「どう見ても男ですね。」と連中の背後で感心して居立つように成ったは、間もなくであった。 こやねのみことうすめのみこと る人もあった。手カ男神につづいて、児屋命、宇受売命、 岸本の叔父の家でも、一人息子の弘が十一歳を祝う為 いろいろ それから種々な神様に扮した人が出て来た。神様はいずれに、竿を庭の隅のところに立てた。鱗を画いた魚の形は五 まさか ~ も可羞しいという風であった。真賢木は竹で間に合せ、そ月の空に高く掲げられた。 あまてらすおおみかみ ほんムなちょう の後を石屋に見せた。天照大神には勝子が扮したが、こ節句の前の日、岸本は本船町の家の方に市川を訪ねた。 こんのれんにおい れも竹の葉に隠れて、成るべく来賓へは顔を見せないようその辺は紺暖簾の香のするようなところで、蔵造の問屋が みせさき にして居た。 軒を並べて、店頭誕荷造をするのと、荷車や荷馬車が往来 じちやごらや 問答の後で、神様達は一緒に唱歌を歌った。 を通るのとで、夛しく混雑した眺めの町である。酒、砂 あそこ ひうお たぐい 軈て式は終った。若い人々は思い思いに集った。彼処に糖、海苔、乾魚其他海産物の類が絶えず斯の町を運搬され たんす あ、んど 春一団、此処に一団、大事そうに卒業の証書を持って居るのて居る。薬の簟笥を担いだ商人も其間を通る。その簟笥の じようさい もあり、是から将来のことを話すもあり、国へ帰る相談な環の音を聞くと、最早定斎を売りに来る季節に成ったかと さほど どをして居るのもあった。一人一人離して見ると左程元気いうことを思わせる。岸本は小僧に案内されて、薬種を置 のないような娘まで、一緒に集って居れば活々として見え並べた店の側を通った。市川の母親にも逢い、姉にも逢 ひとかたまりここ 0 この いわや かん
そう 岸本は顔を紅くして、「実は、僕はすこし足りないんだ眼をった。而して、物の奥底に隠れた深い意味を考える ように成た。夕方に湖水の上を飛ぶ螢は、よく彼の部屋の 2 がねーー」 なか * イギりス われわれ 「そんなに心配しないでも可いよ、吾儕の方で出して置く内までも迷って来た。あの英吉利の湖畔詩人が寂しい山家 らようど おうのう から。」 の娘の歌ーー丁度、その中に、彼は自分を見出した。懊悩 こ さまざま 斯う足立が気の毒そうに言った。 のあまり、彼は種々な感想を書いて夏の夜を送った。それ したた 菅、足立の二人は浴衣のまま岸本を送って湯本まで行っ から先ず足立へ宛てて長い手紙を認めた。て、彼も山を た。あの岸本が黙って、考え込んで、崖に添うた道路を歩下りた。 とう なが いて行った時の様子は。期う快活に笑い乍ら一一人は塔の沢 十二 へ引返した。足立は又、岸本が伊予まで尋ねて来た時のこ とを言出して、あの真面目くさった顔付で恋愛の講釈なそ 八月の末、青木は東北の旅から帰った。「知己は多く得 を始めた時は実際閉ロした、と期う菅に話して笑った。 べからず、節子のごときは吾生涯に於て有数の友なりし ひとり あくるあさ みさお 翌朝、足立は東京の方へ発つ、菅は単独で元来た道を山を。」期う青木は日記の中に書いて、細君の操にも見せた。 の上の方へ帰って行った。一人発ち、二人発ち、するうち彼が奥州の方へ行って居る間に、親しい女友は病気して亡 くなったとのことである。 に、最早友達は皆な発って了って、急に湖水の畔は寂しく うれい 期の愁に加えて、彼の身体の内部には何となく異状が起 なったのである。 菅は疲れて、元箱根の宿に帰った。 って来た。過度な激昻と疲労とから、もう幾晩か眠られな こころなか からだ こうつ 。そこで、国府津在の漁村に退いて、多病な身を養おう 不思議な変化が其日から菅の精神の内部に起って来た。 一晩中、彼は塔の沢のことを思いつづけた。翌る晩も、そということに思付いた。兎も角も行って見て来たい、屋に のまた次の晩も、眠る前には必ず枕の上でお君という娘を鎌倉へ寄って岸本に勧めたいことが有る。期う考えて青木 にわかに 思出すように成った。期ういうことが有ると同時に、遽然は家を出た。道順として、彼は先ず鎌倉の寺に泊って居る 彼は活気を帯びた。嵂長い冬の間、地の下に隠れて居た友達を訪ねた。 なか 草のように、彼の内部にあるものは総て一時に芽を出し始途次青木が想像して行った通り、果して岸本は困って居 はちのヘ めた。 た。早速青木は東北行の土産話を始めた。八戸に大きな造 ことごとおどろき めのまえひら 新しい世界は彼の眼前に展けて来た。彼は事毎に驚異の酒家がある。そこの若主人というはなかなか話せる男だ。 あく ほとり さわ みちみち なっ
よもぎ 裾にあたって、遠く点のような白壁を一つ望む。その白壁顔をして、髪はまるで蓬のように見えた。でも、健かな、 の見えるのも期の山村だ。 無心な声で、子供らしい唄を歌った。 しおだわらしょ ゆがなが 塩俵を負って腰を曲め乍ら歩いて行く農夫があった。体母らしい人も林の奥から歩いて来た。一同仕事を休め 操の教師は呼び掛けて、 て、私達の方をめずらしそうに眺めて居た。 「もう漬物ですか。」と聞いた。 期の人達の働くあたりから岡つづきに上って行くと期う 「今やりやすと一一割方得ですよ。」 平坦な松林の中へ出た。刈草を負った男が林の間の細道を 荒い気候と戦う人達は今から野菜を貯えることを考える帰って行った。日は泄れて、湿った草の上に映って居た。 その と見える。 深い林の中の空気は、水中を行く魚かなんぞのように其草 前の前の晩に降った涼しい雨と、前の日の好い日光と刈男を見せた。 のこ で、すこしは蕈の獲物もあるだろう。期ういう体操教師の がらがらと音をさせて、柴を積んだ車も通った。その音 後に随いて、私は学生と共に松林の方へ入った。期の松林は寂しい林の中に響き渡った。 もらやま は体操教師の持山だ。松葉の枯れ落ちた中に僅かに数本の熊笹、柴などを分けて、私達は蕈を探し歩いたが、其日 うしにい たま 黄しめじと、牛額としか得られなかった。それから笹の葉は獲物は少なかった。枯葉を鎌で掻除けて見ると稀にある よぶんぼく べにたけ の間なぞを分けて『部分木の林』と称える方に進み入っのは紅蕈という食われないのか、腐敗した初蕈位のものだ そうそう た。 った。終には探し疲れて、左様左様は腰も言うことを聞か かなり こしご とうなす 私達は可成深い松林の中へ来た。若い男女の一家族と見なく成った。軽い腰籠を提げたまま南瓜の花の咲いた畠の チえるのが、青松葉の枝を下したり、それを束ねたりして働あるところへ出て行った。山番の小屋が見えた。 いて居るのに逢った。女の方は二十前後の若い妻らしい人 山番 ス だが、垢染みた手拭をり、襦襷肌抜ぎ尻端折という風 まえだれ わらぞうり の で、前垂を下げて、藁草履を穿いて居た。赤い荒くれた番小屋の立って居る処は尾の石と言って、黒斑山の直ぐ 千髪、粗野な日に焼けた顔は、男とも女ともっかないような裾にあたる。 とうなんよけ 感じがした。どう見ても、ミレエの百姓画の中に出て来そ三峯神社とした盗賊除の御札を貼付けた馬小屋や、萩な おもや うな人物だ。 ぞを刈って乾してある母屋の前に立って、日の映った土壁 あか よほど その弟らしいのが三四人、どれもこれも黒い垢のついたの色なそを見た時は、私は余程人里から離れた気がした。 っ ところ きのこ かまかきの しょ はりつ はつだけ あた
83 幼き日 父は随分奇行に富んだ人で、到るところに逸話を残しました。父は私が学校で作った鉛筆画の裏に私の名前などを したが、しかし子としての私の眼には面白いというよりも書いたものを尾州公の前に差出しました。私は広い御座敷 あかり 気の毒で、異常なというよりも突飛に映りました。期の上に身を置いて燈火の影で大人の話をするのを聞いたのと、 京で私はそれを感じたのでした。私の学校友達の六ちゃん帰りに御菓子を頂いて来たのとその他に今記億して居るこ の家へも父が訪ねて行こうと言いますから、私は一方には とも有りません。父は又浅草辺の鹿の子という飲食店へも 嬉しく思いながら、一方には復た下手なことをして呉れな私を連れて行って、そこの主人や内儀さんに私を引合せま ければ可いがと唯そればかり心配して、三十間堀の友達のした。 こん 家へ案内して行きました。六ちゃんの家ではお母さんが後「期様なお子さんが御有りなさるの。」と内儀さんは愛想 家さんで六ちゃん達を育てて居ました。訪ねて行くと、先よく言って、父と私の顔を見比べました。私は内儀さんば 方でも大層喜んで呉れましたが、別れ際に父は六ちゃんのかりでなく多勢の女中からジロジロ傍へ来て顔を見られる お母さんからお盆を借りまして、土産がわりに持って行っのが厭でした。鹿の子の主人は地方出で、父とは懇意な人 た大ぎな蜜柑をその上に載せました。やがてッカッカと立でした。 やはり って、その蜜柑を仏壇へ供えたというものです。斯ういうその時の私の心では、私は矢張郷里の山村の方に父を置 父の行いが少年の私には唯奇異に思われました。私は父の いて考えたいと思いました。私は一日も早く父が東京を引 ほたび 精神の美しいとか正直なとかを考える余裕はありませんで揚げて、あの年中榾火の燃えて居る炉辺の方へ帰って行っ した。何でも早く六ちゃんの家を辞して豊田さんの方へ父て、老祉母さんやお母さんや、兄夫婦や、それから太助な を連れ帰りたいと思いました。 どと一緒に居て貰いたいと思いました。久し振の上京で、 父は私の通う学校を見たいと言いますから、数寄屋河岸父は東京にある旧い知人を訪ねたり、亡くなった人の御墓 の方へも案内しまして赤煉瓦の建物を見せました。河岸に参をしたりしまして、間もなく郷里の方へ戻って行きまし たが、後で国から出て来た人の話には、余程私が嬉しがる 石の転がったのが有りましたら、子供の通う路に斯ういう 石は危いと言って、父はそれを往来の片隅に寄せたり、おかと思って上京したのに、子供には失望したと言って、父 ひと すて 堀の中へ捨たりするような人でした。 が郷里へ戻ってから嘆息して他に話しましたとか。斯の手 父が逗留の間に旧尾州公の邸をも訪ねました。その時、紙で私が今貴女に御話して居るのは、銀座の大倉組の角に 私も父に伴われて、以前の尾張の殿様という人の前に出ま点いた白い強い電燈の光が東京の人の眼に珍しく映った頃 あるじかみ ろばた
310 眠に就け申し候。俄然目さめては、コレラにつかれしゆえ永眠後、麻生の悲歎失望、極に達し、実に哀れにて気の毒 人々去り給え、神様と共に居れば淋しくない、看病うけてに御座候。毎日毎日の墓参、世を味気なく思いなし病気な も死ぬる時は死に、生きる時は全快します、オオ神よ我をど引起し申さずばよきと、心痛いたし居り候。」 助け給え、など申せしが、また静かに成りたる時は、相変 しんせつばなし ムいちょう 百五 らず麻生が親切咄を人々に吹聴することと、自身死後 しらく おとこおんな 後妻の周旋など気遣い、兄姉に依頼するなど、時も麻生「ぐも何事か為ようという男児が女子の一人や一一人位葬 を傍より離さず候いし。十一日は、私小児病気のため、心ったツて何だ」とは市川が元箱根の宿で岸本を激励ました ならずも見舞かね、召使に両三度模様を尋ね候ところ、同言葉である。岸本は今、あの友達の言葉を借りて、自分で おとずれ 日午後より無言に相成候との音信ゆえ、十一一日午後、病児自分を激励まそうとして居る。「何だ、これしきの事に」と ばんやり を召使に託し、三時頃参りたるに、とんと容体変り、唯々言乍らも、何時の間にか彼は茫然考え込むような人に成っ あわれ 呼吸するの外、いと哀の姿に成り熱度烈しく、断えず氷にて居る。 としうえ つむり て頭を冷し居り候。八時頃、俄に閉じられし舌ほどけて一一友達仲間は彼の為に心配した。殊に年長の足立は、勝子 言三言ーーそれは最後の言葉と、後になりて思い申し候。が結婚の当時、長い手紙を寄せて、「そんなことに弱って す 「終夜看病いたし、十三日、午前四時頃、スウブならびに奈何する」と励ましたり、「君はあまり自分を責め過る」と ミルク ひょういっ 牛乳等を食し、心地よく寝ね候ゆえ、脈を調べたるに前日教えたり、逢えば又、「むむ、大分飄逸なところが出来た」 しろうと とは大違にて、よく調子揃い居り候。素人の悲しさ、病軽と言って見せたりして、もうすこし別な心の持ちょうも有 く相成候ことと、兄と共に喜び、兄は母の旅行を心配してりそうなものだ、世間を見よと忠告して呉れる。それは岸 帰宅ーー国元母に危篤の電報せしところ、習出立せしと本も心に感謝して居る。奈何せん、彼には自分で自分の自 といあわせ 問合中由に成らないようなところが有った。自分は弱って居ない 報知ありしに、予定より二日後れ来着なきゅえ、 それより十分ばかりも経ちし時、スャスャ眠る顔のい積りでも、左様は許して置かないようなものが有った。 あだか つもに違いしように思われ、勝子勝子と呼び候ところ、大「三輪の隠居ーなどと笑われて、憤慨する傍から、恰も彼 きく丸き目を見開きニコリと笑い、何か物言いたげにロ動は喪心した人のように成って居たのである。 斯ういう岸本は、勝子の死を聞いて、余計に沈んで了っ かしながら呼吸一時に止り、私の顔を見つつ七時半頃・ : 「母は勝子永眠後、一時三十分ほどに着いたし候 : : : 勝子た。どうかすると、働く気も何もなくなって了うことが有 しらせ にわかに おく
葉蘭なぞは・ハラ・ハラ音がした。濡れた庭の土や石は饑え渇細君が来て背後に立って居たので、捨吉はきまり悪げに書 あから いた水を吸うように見る間に乾いた。 籍を閉じ、すこし顔を紅めた。 捨吉は茶の間の方へも手桶を向けて、低い築山風に出来病後の細君が腰を延ばし気味に玄関から茶の間と静かに かえで うちみす た庭の中にある楓の枝へも水を送った。幹を伝う打水は根家の内を歩いて居るその後姿を捨吉はめずらしいことのよ 元の土の上を流れて、細い流にかたどってある小石の中へうに思い眺めた。やがて格子戸の外に置いた手桶を提げて おお おかみ 浸みて行った。茶の間の前を蔽う深く明るい楓の葉蔭は捨井戸の方へ行こうとした。ふと、樽屋の内儀さんが娘を 吉の好きな場所だ。その幹の一つ一つは彼に取っては親し連れながら一表門の戸を開けて入って来るのに逢った。 くす みの深いものだ。楓の奥には一本の楠の若木も隠れて居「捨さん、時御帰んなすったの。学校はもう御休みなん る。素足のまま捨吉は静かな緑葉からボタボタ涼しそうにですか。」 しずく 落ちる打水の雫を眺めた。 と河岸の内儀さんは言葉を掛けた。女ながらに芝居道の えしやく かなり 復た捨吉は庭土を踏んで井戸の方から水の入った手桶を方では可成幅を利かせて居る人だ。娘も捨吉に会釈して、 提げて来た。茶の間の小障子の側には乙女椿などもある。 母親の後から、勝手口の方へ通った。一度捨吉は田辺の細 かた その乾いた葉にも水を呉れ、表門の内にある竹の根にも灑君の口から、「捨さんは養子には貰えない方なんですか」 と樽屋の内儀さんが尋ねたという話を聞いてから、妙に期 ぎかけた。彼はまた門の外へも水を運んで行った。熱い 楽しい汗が彼の額を流れて来た。最後に、客の出入する格の人達に逢うのが気に成った。 なめら 子を開けて庭のタタキをも洗った。そこには白い滑かな方捨吉は井戸端で足を拭いてから、手桶の水を提げ、台所 あがりがまら ひあわい 時形の寒水石がある。その冷い石の上へ足を預けて上框のから奥座敷と土蔵の間を廂間の方へ通り抜けた。田辺の屋 ちょっと る ところに腰掛けながら休んだ。玄関の片隅の方を眺める敷に付いた裏の空地が木戸の外にある。そこが一寸花畠の 熟と、壁によせて本箱や机などが彼を待受け顔に見えた。 ように成って居る。中央には以前に住んだ人が野菜でも造 ったらしい僅かの畠の跡があって、その一部に捨吉は高輪 実 いち 0 の 花骨牌にも倦んだ頃、細君は奥座敷の縁側の方から玄関の方から持って来た苺を植えて置いた。同窓の学友で労働 桜 たたす の通い口へ来て佇立んだ。まだ捨吉は上り框へ腰掛けたな会というものへ入って百姓しながら勉強して居る青年がそ り素足のままで居て、自分の本箱から取出した愛読の書籍の苺の種を分けて呉れた。それを捨吉は見に行った。 を膝の上に載せ、しきりとそれに読み耽って居た。見ると幾株かの苺は素晴らしい勢で四方八方へ蔓を延ばして居
「上田は小諸の堅実にひきかえ、敏捷を以て聞えた土 ・ : 上田へ来て見ると、都会としての規模の大 とみ 小はさて措き、又実際の殷富の程度は兎に角、小諸は ト諸商人は買いたか御買いな / 二一口 ど陰気で重々しくない さいという愛想な顔付をして居て、それで割合に良 い品を安く亠〔る。上田ではそれはどノンキにして居ら れない事情があると思う。絶えず周囲に、いを配って、 旧い城下の繁昌を維持しなければ成らないのが上田の 位置だ。店々の飾りつけを見ても、競って顧客の注意 ふともの を引くように央く出来て居る。塩、鰹節、太物、其他 上田で小売する商品の中には、小諸から供給する荷物 も少くないという」 ( 「屠牛の一」 ) 旅人には、上田も小諸も、商店が近代化し、商人気 質の間に、これはど大きな差があるとはみえない。時 代が、必要が、気質を変えている。上田街道をとって、 上田を後にしたが、道路が改修され、北国街道のバイ ハスのような役をする日が近ついているようだ。こん どまたこの街道を通るときがあれば、部落も姿を変え ていると思わせる徴候がみられる。笹井部落にきたこ ろ、ようやく待望の島帽子岳が遠くの山々の中から姿 をみせてくれた ふところ 大川部落から鳥帽子岳の畿に入ると、西入や東入 がある。東入は大宝山の西の谷間、開拓村のおもかげ ノしハ、、 5
225 春 あはれ、あはれ、蝶一羽。 破れし花に眠れるよ。 早やも来ぬ、早やも来ぬ、秋、 ものみな 万物秋と成りにけり。 蟻は驚ぎて穴索め、 蛇はうなづぎて洞に入る。 田づくりは、 あしたの星に稲を刈り、 やまがっ 山樵は、 うそぶ 月に嘯きて冬に備ふ。 蝶よ、いましのみ、蝶よ、 破れし花に眠るはいかに 破れし花も宿仮れば、 『運命』のそなへし床なるを 春のはじめに迷ひ出で、 秋の今日まで酔ひ / \ て、 あしたには、 千よろづの花の露に厭ぎ、 ゅふべには、 夢なき夢の数を経ぬ。 じゃく 只だ此まゝに『寂』として、 花もろともに減えばやな。」 かみ すず 例の清しい、カのある声で青木は期の歌を一一人の友達に 聞かせたが、読終って可傷しい眼付をした。彼は酔って疲 労を忘れようとした。先ず胡坐にやる。 二十七 「貴方。」と操は夫の方を見て、馴々しい調子で、「今の 歌の中に、「命のそなへしーーー』というところが有りま どう すこし しよう。あそこのところを少許直したら奈何でしようか。」 斯う言い出したので、菅も、岸本も同じように細君の顔 を眺めた。 「「運命のさだめし・ーー』とした方が可かと思いますわ。」 青木は笑わずに居られなかった。 「僕の細君もこれでなかなか詩人だよ。」 こん じようだん 期様な謔語が二人の友達を笑わせた。操は苦笑いして勝 手の方へ行った。 青木が持出した草稿の中には未完成の戯曲もある。夏以 わずか 来まだ僅少しか出来て居ない。彼は芝居に関係して見たい ひど と言って居る位で、酷く其方に色気があった。で、期の新 えん 作にも大分気乗がして居るらしい。彼の考では、五縁、十 夢、と期様な具合に書いて見る積りで、是はその計画の一 部分であった。つまり其の一夢だ、と彼は言った。なにし ろ時世が時世で左様新しいことは許さなかったから、あり かんがえ かたら あまる程の思想を持って居ても、それを適当な形式に盛る れ あぐら
明るい処で食べた方がウマかろうというので、其日は奥の の手を嘗めるように成った。 方へ引越して、縁側に近いところへ膳を据えた。 「お秋、もう好かないか。」 あぐら 「どうも胡坐にやらないと、食ったような気がしない。」 斯う言い乍ら、母親は露の鍋を擂鉢の傍へ持って来た。 とろろ 姉がそれを掬って入れる。甥が交ぜる。蕷はズルズルグルと言って、幸平は腕まくりで始める。姉は薯蕷汁を掛ける グル回って、白が出たり、茶色が出たりするうちに、軈て役、母親は飯を盛って待って居て、それを各の椀の中へ あけた。 擂鉢の中へ一ばいに成った。 ちょっと あんばい 「捨、今日はお前の送別会だに、たんと食べとくれや。」 「一寸俺に塩梅を見せとくれ。」 と母親が言った。 と母親が小皿を手に持ち乍ら言った。 あんばい おおあぐら 長火鉢の処には、幸平が大胡座で、青海苔を炙った。未「太一さん、お塩梅は何です。」と姉も言葉を添える。 おばあ 「どうして、岸本の祖母さんの御料理ですもの、悪かろう だ岸本は寝て居る。 筈がありません。」 百三十一 「まあ、太一さんの御世辞の好いこと。」と姉は笑って、 岸本の方を見て、「捨さん弱いじゃよ、 : 力し力もうすこし御 「どっこいしよ。」 と岸本は身を起して、先ず周囲を眺め回した。 上りな。」 「捨さん、其位寝たら沢山だろう。最早御馳走が出来て待「そんなに強いられても、駄目です。」と岸本は御辞儀を した。「今日は七杯しか入らない。」 ってますぜ。」 「捨さん、七杯入れば、あまり入らない方でも無いでしょ 期う幸平に笑われて、岸本はそこへ足を投出しながら、 のび 伸をしたり、大きな欠をしたりして、軈て又ホッと溜息をう。」と幸平は笑った。 「へえ、太一さん、お強い。」と母親は飯をあけて了って 吐いた。 から一一 = ロった。 「叔父さん、お早う。」、と甥は笑いながら挨拶する。 い。なん・ほな 甥は椀の中を眺めながら、「こりゃあヒド 春「ああ、太一さん、お廿でしたか。」 と岸本も笑って、顔を洗って来る為に井戸端の方へ行っんでも最早沢山だ。」 「太一さんが其様なことを言って奈何します。」と姉はそ 間もなく家の者は食事をする為に集った。同じ夕飯でもの椀を引取って、どろりとした泡のような汁を掛ける。 あくび まわり やが あぶ
うすうす って、其を言わずに居るという風であった。岡見は薄々岸い乍ら言った。「今夜は、旦那衆の方が後に成って了って 本の家の事情を聞いて知って居る。自分が恋の成功に比べ て、斯の若い友達の心情を思いやらんではない。亡くなっ岸本は食う気に成らなかった。「僕は止そう。」 どう た勝子は、自分が曽て愛した弟子でもあり、又、新しい妻「奈何して ? 」と姉は引取って、「一杯お上りな。捨さん の親友でもあったことを考えないでもない。結局岸本の話の好きな茄子の御馳走ですよ。」 は金に落ちて行った。 と言われたが、岸本は好物の野菜が膳に上ったのを見た おとこぎ だけ 岡見は例の侠気から、 丈で、箸を付けようとはしなかった。其時彼は岡見から借 「話は早い方が可い。變何ばかり、君、有れば可いんですりて来た金を袂から出して、それを姉の手に渡した。 「捨さん、食べないんですか。そんなら僕が頂こう。」と ムところさぐ すぐ 幸平が言った。 と期う言出した。彼は直に自分の懐を捜った。 「十円位で間に合うことなら、今ここで御用立しましょ姉は呆れて、「ほんとに幸さんの食べるには驚いちま と気前を見せて、無造作に紙入の中から取出して渡し「斯うして置いたツて、どうせ腐敗くなる物だ。」 た。岡見は友達を助けるということに依って、自分の性質と言って、幸平は一方にある椀を自分の方へ引寄せた。 おおあぐら を満足させた。いや、そればかりではない、彼は恋の成功期の兄は大胡坐で、冷然として弟の分をも食った。 者として高い税を払わせられた形である。 百二十三 「では、兎に角拝借します。」 よくあさ 斯う岸本が言って、その金を袂に入れて、それから岡見翌朝、岸本は遅くまで寝て居た。働好きな母親は暑くな らないうちにと思って、洗濯物を急いで、台所の板の間で と別れた。 家では母や姉は最早夕飯を済まして、幸平一人膳に向っ糊まで付けて、それを狭い裏口の物干竿に掛けて来て見る 春て食べて居るところであ 0 た。毎時兄弟は一つの膳で食うと、まだ岸本は寝て居た。表格子の方からは、最早熱苦し ので、弟の分だけは一方に茶碗を伏せて、帰りを待顔に置い日が射して来た。岸本は起きよう起きようとしても、ど うしても頭が重くて持上らないという風で、唯臥床の上に 四並べてある。 ようじ もが 「捨さん、お先へ頂きました。」とお杉さんは楊枝をつか悶き倒れて居る。そこで母親の手を借りた。丁度暴風の為 かっ ねど (