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検索対象: 現代日本の文学5:島崎藤村 集
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1. 現代日本の文学5:島崎藤村 集

刈った、前歯の抜けた隠居が岸本の方を眺め乍ら、隣の男を積み載せた荷車がそこに置並べてある。荷馬車を引いて しゅろ ささや 来た、棕櫚のような汚れた鬣の老馬も、そこへ来て止っ 3 に囁いて聞かせた。 あせ やけらうや もうじゃ 「恐しく顔色の悪い亡者だなア。」と隣の男は、そこいらた。日に焼た羅宇屋もそこへ来て荷を卸した。而して、汗 じみ それきせる なわ、れ に落ちて居る繩の片を拾って、其で煙管の雁首を磨きなが染た財布の中から其日の所得を取出して数えて居た。 こん 「一体、俺は何しに期様なところへ立って居るんだろう。」 ら囁き返した。 「悪くすると池へ飛込むよ。」とまた一人の男が土塵にま斯う岸本は自分で自分を笑って、軈てその樹蔭を離れ わらじま、 みれた草鞋の足を投出し乍ら囁いた。 「ははははは。」 百二十一一 嘲るような笑声が一斉に起った。斯の笑声は岸本にも聞 もっと 日暮に近い頃まで、岸本は屋外で暮して、本郷の通を猿 えた。尤も石の溝に腰掛けて居る連中は何を笑ったか解ら 飴の横町の方へ曲ろうとした時は、最早何となくそこいら ないような風に笑った。 たそが 其時、石の上に帽子を敷いて、破れた扇子を持ち乍ら居が昏れて見えた。ふと途中で、岡見の兄の歩いて来るの に遭遇った。 眠りして居た男は、急に期の笑声で眼を覚ました。 「何を笑ってるんだ。」と其若い男が眠そうな眼付をして「岡見さん。」 「オオ、岸本さん、しばらくでしたね。」 尋ねる。 「貴様なぞに解 0 て堪るものかい。」と歯の抜けた隠居が「時御出掛でした。」 戯れて、汚れた手拭で若い男の顔をクスグるように払っ「昨日ね、一寸用事が有って大磯から出て来ましたよ。」 ガスとう 黄色く光る往来の瓦期燈の影で、一一人は期様な言葉を交 かわ 若い男は石の溝を離れた。彼は樫の葉蔭にある空車の上換した。今は以前のような調子ばかりでなく、幾分互いに むしろ を択んで、そこに破れた筵を敷いて、裏返しにした帽子の尊敬し合うところも談話の中に交って来て居る。それだけ はえ 中へ頭を突込み乍ら、大の字なりに寝転んだ。蠅の群は来他人行儀に近づいたとも言える。が、矢張連中は連中だ。 逢えば互いに可懐しい。岸本は岡見の行く方へ一緒に歩い て穴のあいたシャツや大きな尻のところへ取り着いた。 それ こんにち 不忍の池の方から、青い蓮の葉を渡って来る風が、そ一」て、やがて今日の艱難な境涯を話し初めた。しかも其を言 そう いにくそうに話した。而して、何か未だ言いたいことが有 に楽い休息の世界を作って居る。紙屑、皮、塵芥、綿など その 0 み つらばこり っ たてがみ やが おろ とり

2. 現代日本の文学5:島崎藤村 集

くじ こん 「だがネ、同じ何なら彼様いうものでなくて、何か他の鬮「何故期様なものを彫ったんですか。」と岸本が不思議そ に当てて貰いたかった。実を言えば、僕はギョエテを解剖うに尋ねる。 して見たかった。」斯う青木は答えた。 「そりゃあ君、秘密だ。」 其日、岸本は酒を欲しくないと言って、一一三杯付合った と青木は笑いながら引込めて了った。 後は直ぐ食気の方へ回った。いつの間にか彼は自分の菜を軈て別れる時が来た。これから青木は東北地方へ伝道に やが こころもち 平げて了う。軈て菅の皿の上にある物を突ッつく。 出掛けるという。彼は心地の好い山上の微風にを吹かせ まぶら 「厭だよ、君はーー人の物を奪って食ったりなんかするか乍ら、未だ酔が十分醒めないという風で、ほんのりと睚を ら。」 紅くして出掛けた。市川、菅、岸本も見送りながら随いて ル」第ノとう と菅は膳を持って逃出す。青木や市川は手を打って笑っ行って、」 頭底倉までも一緒に歩いた。 われわれ 「どう見ても吾儕は高踏派だね、期うして雲の上を歩いて 酔が発するに随って青木の神経は過敏に成るばかりである様子は。」 こん った。飲めば飲むほど感傷の度を増して来る、という風で、 期様なことを市川が言って、動き光る木の葉の蔭で、青 すご たもと なかにも 非常に凄惨い声を出して笑った。それを聞くと、嘲って居木と袂を分った。三人の若い友達ーー就中岸本は憂鬱な眼 るのか、笑って居るのか、それとも泣いて居るのか解らな付をしながら青木の後姿を見送った。 かおつ、 かった。期ういう笑い方をする時の青木の容貌には狂じ 十 みた様子が顕れる。そうなると酷く物を気にする。 「僕には君等の知らない敵があるからね」と彼の眼が言う 青木が発つ、市川が発つ、八月の上旬には岸本も送られ もっと ように見えた。其時彼は、暗い、波瀾の多い過去の生涯のて湖畔の宿を発っことに成った。尤も、其時は菅と一一人ぎ こんがすりひとえ 形見として、紺飛白の単衣の袖を肩の辺迄捲って、右の腕りでは無かった。西の方からやって来た旧友の足立も一緒 いれずみざくろ に彫ってある文身の柘榴を示した。 で、三人して箱根の新道を下った。 はらわた こころ ムところ 元箱根を発っ時、岸本の懐中には僅少しか金が残って居 春「ロあいて腸見せるーー彼の句の意サ。」 期う青木は言った。 なかった。他の友達はそれぞれ帰るべきところが有って帰 「へえ、こいつは初めてお目に掛る。」と市川は目を円くって行のに、彼ばかりは何処へ帰るという目的も無い。も とより家を出て了った彼である。今迄通り漂泊を続けるよ やが

3. 現代日本の文学5:島崎藤村 集

った。期のお婆さんが細君のことを話す調子には実の娘をて居たが、やがて捨吉の方を見て言うだけのことを言って こも よそ 思う親しさが籠って居た。主人は他の姓から田辺を続いだ聞かせて置こうという風に、 「一時はもうお前さんを御断りじようかと思う位だったよ 人であった。 「全く骨が折れましたよ。米が病気でさえ無かったら今時 その言葉の調子は優しくも急所に打込む細い針のような 分私は銀行の一つ位楽に建ててます。」 と主人は心安い調子で言って笑った。書生を愛する心の鋭さが有った。捨吉は紅くなったり蒼くなったりした。 深い斯の主人は捨吉の方をも見て、学校の様子などを尋ね たりして、快活に笑った。ずっと以前には長い立派なを「兄さん。」 はや と広い勝手の上り口から捨吉を見つけて呼んで入って来 しそうに生した小父さんであった人がそれを剃り落し、 むすこ くわ おおあぐらこはく 涼しそうな浴衣に大胡坐で琥珀の・ ( イプを啣えながら巻煙たのは、田辺の家の一人子息だ。弘と言って、捨吉とはあ ようす ムか だかも兄弟のようにして育てられて来た少年だ。 草を燻し燻し話す容子は、すっかり下町風の人に成りきっ て居た。主人の元気づいて居ることはその高い笑声で知れ「このまあ暑いのに帽子も冠らないで、何処へ遊びに行っ た。全く、田辺の姉さんが長い病床から身を起したというてるんだねえ。」 と細君は母親らしい調子で言った。斯の弱かった細君に は捨吉にも一つの不思議のように思えた。 どう こん 奈何して期様な男の児が授かったろうと言われて居るのが 「まあ捨吉も精々勉強しろよ。姉さんも快くなったし、 これ 父さんも是からやれる。今に小父さんが貴様を洋行さして弘だ。一頃は弘もよく引付けたりなどしたが、お婆さん始 じようぶ しとな め皆の丹精でずんずん成長って、めつきりと強壮そうに成 時やる。」 すえたのも る「左様ともサ。洋行でもして馬車に乗るくらいのエラいもった。おまけに、末頼母しい賢さを見せて居る。 まんじゅう ちゃとだな お婆さんは茶戸棚のところに行って、小饅頭などを取出 熟のに成らなけりや捨吉さんも駄目だ。」 これまで 実「貴様の知ってる通り、吾家じゃ是迄どのくらい書生を置し、孫と捨吉とに分けて呉れた。 こつら の いて見たか解らないが、何時でも是方の親切が仇になる「弘、写真を持って来て兄さんにお目にお掛けな。」 ーー貴様くらい長く世話したものも無いーー・それだけの徳と細君は弘を側に呼んで、解けかかった水浅黄色の帯を 締直して遣った。弘が持って来て捨吉に見せた写真は、父 礙が貴様には具わっているというものだ。」 期ういう主人とお婆さんとの話を細君は側で静かに聞いと一緒に取ったのと、一人のとある。界隈の子供と同じよ そな よね ひところ かよ びろし

4. 現代日本の文学5:島崎藤村 集

106 「捨吉、其様なところにかしこまって、何を考えてる。」と 民助に聞かせた。 「民助さん、貴方の前ですが、」とお婆さんも引取って、主人が励すように言った。 どう どう おほえ 「奈何もあたしは斯の児のあんまり記憶の好いのが心配で「皆これで奈何いう人に成って行きますかサ。」と細君は わがこ よねそう 成りません。米も左様言って心配してるんです。まあ百人吾児と捨吉の顔を見比べた。 お婆さんは首を振って、「捨さんの学校は耶蘇だって言 一首なぞを教えましよう、すると一一度か三度も教えるとも そら うその歌を暗で覚えてしまいます : : : 貴方の前ですが、恐うが、それが少し気に入らない。奈何もあたしは、アーメ ンは嫌いだ。」 しいほど記憶の好い児なんですよ : : : 」 りこう 「お婆さん、左様貴女のように心配したら際限が有りませ 「弘さんはなかなか悧巧ですから。」と民助が言った。 「しかし、あんまり記憶の好いのも心配です。」と細君がんよ。今日英学でも遣らせようと言うには他に好い学校が ちょうど 言った。「私の兄の幼少い時が丁度是だったそうですから無いんですもの。捨吉の行ってるところなぞは先生が皆亜 メリカ 米利加人です。朝から晩まで英語だそうです。」と言って ねえ。」 あれ 「彼女の兄というのは一一十二か三ぐらいで亡くなりました主人は捨吉の兄の方を見て、「どうかして、捨吉にも洋行 ろう。学問は好く出来る人でしたがねえ。」と主人は民助でもさして遣りたいものですなーー・御店の大将も左様言っ に言って聞かせた。「実は、私もお婆さんや米のように思てるんです せ わないでも有りません。どうかすると私は弘の顔を見てる民助は物を言うかわりに咳いたり笑ったりした。 とこあげ うちに、期の児にはあんまり勉強させない方が好い、田舎記念す・ヘき細君の床揚の祝いにつけても、どうかして主 へでも遣って育てた方が好い、左様思うことも有ります人は捨吉を喜ばそうとして居るように見えた。行く行くは 自分の片腕とも、事業の相続者ともしたいと思うその望み を遠い将来にかけて。 「そのくせ、父さんは一番物を教えたがってるくせに 一番甘やかすくせに。」と言って細君は笑った。 わかじに 夭死した細君の兄の話から、学問に凝ったと言われた人 達のことが皆の間に引出されて行った。田辺の親戚で、田楽しい田辺の家へ帰っても捨吉の心は楽まなかった。 舎に埋れて居る年とった漢学者の噂も出た。平田派の国学「貴様はそんなところで何を考えてる」と田辺の小父さん に問われることがあっても、彼は自分の考えることの何で に心酔した捨吉等の父の話も出た。 よね おたな

5. 現代日本の文学5:島崎藤村 集

と、女は戸口のところに立って、其花瓶の画に見恍れて居汗の香、それから庭の方で焼く竈の火気の熱とで、期の仕 まわり 3 る。岸本は斯の画中の人物から思付いた。画というよりは事場の内は蒸されるようである。柱の周囲に陣取って居る うす 写真版から思付いた。同じ一生を埋めるにしても、「芸術女なそは、もう恥も外聞も思って居られないという風で、 肥った腕を肩の辺まで捲し上げるのもあれば、色の褪めた は吾心を得たり」とでも誰か言って呉れるものが有れば、 ひとえもの あぶらあせ 単衣物の袂で額の膏汗を拭取るのもある。 まだまだ埋め甲斐が有るかのように思ったのである。 どう 園主は岸本を仕事場の片隅に導いた。広い部屋には男も「奈何です、ウマくいきますかナ。」 女も居た。園主は、先ず見習として、岸本に皿を一枚あて と園主は岸本の傍へ来て言って、不思議そうに彼の仕事 たたす 、刀十ー をするところを佇立み眺めて居た。 「へえ、妙な男が舞込んで来たね。」 隣に机を並べて珈琲茶碗を画いて居る十八九ばかりの男 ささや と人々は彼の方を見て囁き合った。 が、其時岸本の方を覗いて見て、意味もなく微笑んだ。後 向に並んで仕事をして居る小娘も互いに眼と眼を見合せて 百十八 笑った。岸本のあてがわれた仕事は、金色に焼付けてある 花瓶、皿、壺、珮茶などの雑然置並べてあるの菓子皿の模様を手本にして、ド。ド。した紫色のインキの 内に、机を接して仕事をして居る人々の多くは、顔の色蒼ような薬を手本通に塗りさえすれば可かった。それには既 ざめた職工風の若い男でなければ、貧しい家から通って来に輪廓が出来て居る。其輪廓を辿って行けば可いのであ る給金取の娘であった。斯の仕事場で盛に製造する物は、 る。十三四の小娘でも其様な仕事は造作もなくやってのけ たいてい せともの 大抵輸出向の陶器で、形でも模様でも一定の型に依って幾る。新参のかなしさには、先ずそれから見習わねばなら うずも 百組となく作る。皿なら皿、珈琲茶碗なら珈琲茶碗に相応ぬ。いかに他の職業の中へ埋没れて了う積りでも、是では り・んも ~ く する大体の模様の輪廓が先ず素地へ焼付けられる。娘は容ナサケなかった。 易しそうな部分を塗る。男はその仕上をする。監督する人隣の男は倦み疲れたという風で、時々耳のところへ細い っ は別にあって、夛忙しそうに机と机の間を歩いたり、手に筆を挿んで、病身らしい眼付をしながら溜息を吐いた。 そろばん どちら 「君は何方です。」と其男が尋ねた。 持っ十露盤で陶器の数を勘定したりした。 ことごと その日はいやに熱かった。唐紙や障子は悉く取払われ「私ですか。」と岸本は寂しそうに笑って、「私は本郷の方 て居たが、狭苦しいほどに集って仕事をする人々の気息、です。」 なか その かまど ほとり

6. 現代日本の文学5:島崎藤村 集

どうかんやま うとする者が無い。「第一、大将が大将らしくない、彼様を通って、道灌山まで歩いて行った。誰も来ないような場 ひ 0 ろ せつかく 引どうも笑って了うような態度に出られては、折角神妙にし所へ彼は行きたいと思うのであった。彼の懐には平素愛読 て進んで行こうとする若い者が立たん」と言うものがあれする李白の詩集があった。そこまで彼は泣きに行った。 ば、「君なそが六号に隠れて居るという法はない、もっと 思うさま泣いた。 それ 出て来給え」というものもあり、「僕はこれで一番御奉公 一種の誘惑は其頃彼の身に付纏うて居た。夫は関根から おもわく してるよ、僕ばかり働いたツてツマラない」というものも話のあった養子の説である。彼は友達の思惑を恥じて、其 ある。左様かと思うと、「皆な同じように世間から思われ様な話のあったということすら打明けなかった。母にも姉 るのは心外だ、そんなことなら僕は退社する」などと言うにも秘して居た。負いきれない程の生活の重荷は、今、此 ものも出て来る。新しく仲間入した松浦、安藤なそが、反話に耳を傾けさせるような場合にある。 って仲裁者の位置に立つように成った。 百十三 何のかんのと言っても、連中は互いに離れることが出来 なかった。斯ういう中で岸本は大根畠の二階に籠って、自「捨。」 分は自分だけの道路を進みたいと思って居た。自分等の眼斯う呼び起す母親の声に驚かされて、岸本は眼を覚まし まえ 前には未だ未だ開拓されて居ない領分があるーー広い濶いた。まだ四辺は薄暗い。部屋の内には洋燈が細目に点けて あけがた 領分があるーー青木はその一部分を開拓しようとして、未ある。四月中旬のある暁のことである。 しごと かんがえ 完成な事業を残して死んだ。斯の思想に励まされて、岸本母親と姉の一一人は暗い台所の方でいそがしそうに働いて たねま、 は彼の播種者が骨を埋めた処に立って、コッコッその事業居る。井戸端まで顔を洗いに行って、やがて岸本はショポ こす を継続して見たいと思った。 ショ眼を擦り擦り帰って来て見ると、幸平や愛子は未だ 漠然とした恐怖は絶えず彼の胸を往ったり来たりした。寝て居る。朝飯の用意が出来て、もう食べるばかりに膳が それのみならす、曽て家を忘れさせ、職業を捨てさせ、暗一つ出してある。岸本は着物を着更えて、その膳の前に対 やが い寂しい旅にまで彼を押出したカは、軈て彼を無口にした った頃、麹屋の方で鳴く鶏の声を聞いた。 り、急に身体を震わせたり、訳もなく涙を流させたりす気のせわしない母親は、四時頃から起きて釜の下を焚付 かじばし る。麹町の学校を辞めて見ても、矢張仕事は出来なかった。けたという。鍛冶橋に居る民助の許へ弟を面会に遣るとい ゃなか 四月のはじめ、彼は独りで家を出て、上野公園から谷中うことが、母親には最も大切な義務のように思われて居 こ かっ ひろ かえ めの そこいら しょ つきまと なか ランデ

7. 現代日本の文学5:島崎藤村 集

むすび れを握飯に丹精して、醤油で味を付けまして、熱い火で焼 中で甥の行いを笑ったり憐んだりしました。どうでしょ いたのをお茶の時に出しました。いかに三時が待遠しくて う、その私が豊田さんの家へ来てからは甥を笑えなく成り かす ました。私は白状します、どうかすると私はお腹が空いても、終ごはその握飯の微かな臭気が私の鼻に付いて了いま こしら せつかく 空いて堪らないことが有りました。そういう時には我知らした。折角丹精して造えることを思うと、お婆さんの気を とうが・りし ず甥と同じ行いに出て、煮付けた唐辛の葉などはよく摘み悪くさせたくない。私の癖として、人が悪い顔をするのを ました。私は又、自分の空腹を満す為でも何でもないの見ては居られません。そこで私は握飯の遣り場に窮って、 びん かし に、酒屋へ使に行った帰りなどには往来で酢の罎を傾げ玄関の小部屋の縁の下へそッと蔵って置くことにしまし て、人知れずそれを舐めて見たりしました。 た。土蔵造で床も高く出来て居ましたから。期の人の知ら そうそう すすはらい 注意深い豊田のお婆さんでも左様左様は気が付きませない倉庫を暮の煤払には開けなければ成りませんでした。 ん。私はそれを好い事にして、ある日、酒屋から酒を買っその時は実は ( ラ ( ラしました。 おかね て戻りました。煮物にでも使うのでしたろう。小父さんは私の生れた家では子供に金銭は持たせない習慣でした。 あまり酒をやらない方でしたから。私が持って帰った罎のそれが癖に成って、私は東京へ出て来てからも自分で金銭 酒は減って居ました。 を所有したことは少く、余分なものは家の人に預けまし 「高い酒屋だねえ。」 た。時とすると豊田さんへ来る客から土産がわりとして包 とお婆さんに言われた時は、思わず私は紅く成りましんだ金銭を貰ったことも有りましたが、それよりか珍しい ありがた 風景の彩色した版画でも貰った時の方が私には難有かった のです。私は子供の時分から金銭に対しては淡泊な方でし 午後の三時は毎日私の楽みにした時でした。物のキマリ ひと つま とうがらし きっ の好い豊田さんの家では、三時とうと必と煎餅なり焼芋た。で、私は唐辛の葉の煮たのなどは摘んでも、他の所有 なりが出ました。あのウマそうに気の出るやつを輪切にしする金銭を欲しいという心は起りませんでした。ところ が、それが全く私に無いとは言えません。有ります。私は た水芋か、黄色くホコホコとした栗芋かにブッカる時には 殊に嬉しく思いました。夏にでも成ると、土蔵の廂間から別に何を買いたいでは無し、それで居ながら不図そういう おひっ 涼しい風の来るところへ御櫃を持出して、その上から竹の心に成ったのです。その一時の出来心で私の為たことは、 簾を掛けて置いても、まだそれでも暑さに蒸されて御櫃の知られずに済んだとは言え、今だに私は冷汗の流れるよう こころもら におい 臭気が御飯に移ることがあります。倹約なお婆さんは、そな心地が残って居ます。 あか ひあわい つま

8. 現代日本の文学5:島崎藤村 集

ようす 嘴を見るような隆い立派な鼻・ーー・すべて彼の風貌に顕れのまま頬杖を突いた。彼は寝乍ら謹聴という態度を執った。 1 たところは、東京の下町で堅気な家庭に育った人であると心の好いこと無類という期の青年の眼には哲学者のような やわらか おらっ いうことを思わせる。彼の細い柔輹な眼は、大人のような沈静がある。彼はまた年に似合わず毛深い方で、腮の辺な そりた ひげあと 思慮を表して居て、若輩ながらに世上の人を睨むと言ったぞは奇麗に剃立てて居るが、濃く厚い鬚の痕は青々と人の こ としした ような風があった。三人の中で、期の男が一番年少である。眼についた。連中で彼を好かないものは無い。彼は年寄に なたまめぎせる たら 青木は粗末な煙草入を取出して、鉈豆煙管でスパスパやも子供にも好かれそうな性質である。 其時、市川は嘆息して、「実は僕も、もうすこしで岸本 「しかし面白い変化さねえ、岸本君が家を飛出すなぞは。」君の後を追うところだったのです。」 おもいやり 「君も左様いう気に成ったかねえ。」と青木は同情のある 斯う言出した。 すさま 「どうして彼の男が旅に出る時の勢は馥じいものでした語気で言った。 よ。」と市Ⅶは友達が出奔の当時を想い浮べるような眼付「なにしろ僕のところなそは事情の多い家庭で、姉と養子 しばらく をした。「麺麭は天にあり、てなことを言ってーー」 の折合は好くないし。」と市川は言いかけて、暫時対手の顔 を眺めて、 「ははははは 0 」 いちず 「姉は又、何事も知らないものですから、一途に僕を頼り 青木は嘲るような声を出して笑った。 はなし にしてるんです。僕が旅にでも出て了おうものなら、後は 期ういう談話の間、菅は横に成ったまま身動きもせずに いまひとあし 居る。 奈何なるか知れない。今一歩ーーというところで、僕は考 うらやま 「菅君は可羨しいねえ。」と青木は考え深い眼付をしながえました。」 あたりまえ 「そこで考えるのが至当だね。」 あ ら、「実に菅君は平和だ。」 「先刻から寝つづけじゃないか。」と市川も笑う。 「岸本君の行き方は左様じや無い。彼の男が考える時分に 「僕は眠って居やしないよ。」と菅も笑出した。「斯うしは、最早一歩踏み出して了ってる。」 て、君等の談話を聞いて居るんサ。」 「そんなら見給え。」と青木は力を入た。「岸本君のように つまりどう 破って出ようとしたところでーー畢竟奈何なる。そこが悲 しいところさネ。束縛という執念深い奴は何処迄も人間に 菅は寝返りを打つようにぐるりと身を返して、軈て俯臥随いて回るよ。」 くちばし たか やがうつぶせ っ よ なんに ねなが

9. 現代日本の文学5:島崎藤村 集

自分の膳の上にあった盃をグッと一息に乾して、それを しやり給えな。」 「いえ、駄目です。」と菅は手持無沙汰に見えた。「僕は奈差し乍ら、 さしよろ・ 「岸本君の為に西京の健康を祝す。」 良漬に酔う方のロなんですから。」 と乙なことを言い出した。急に岸本は紅くなった。 「全く菅君はやりません。」と岸本は弁護するように言っ たかなわそば た。「そうそう、菅君と一緒に高輪の蕎麦屋で飲んだこと「西京という人の噂がよく出たツけなあ。」と菅も微笑み があった。彼の時は君、ホラ、一一人で五勺誂えたつけね。」乍ら。 「是の男もなかなか罪の深い方さ。」と市川は岸本の方を 「五勺誂えるやつが有るもんか。」と青木は笑う。 岸本は菅と顔を見合せた。菅は笑って舌を出して見せ見て、軽く斌手の膝を敲くような手付をした。「君、君、 東京の方で心配してる人が有りますよ。」 青木も菅も笑わずには居られなかったのである。 「市川君はいけそうだ。」と青木は銚子を持添えて勧めて、 よのなか やが * 軈て共同の事業の話が出た。彼等の中には早くから社会 「まあ、もう少しやり給え。」 に出て働いて居るものも有り、未だ親がかりで学校へ通っ 「僕は蒼くなる方です。」と市川は両手で頬を押えて見る。 まちまら 「蒼くなるのは強いんだそうだ。」と菅が物を頬張り乍らて居るものも有る。境遇は区々である。岡見兄弟の家とい 、つさい おおでんまちょうかつぶしどんや うは日本橋大伝馬町の鰹節問屋であったから、一切の費用 言った。 そっち 「一体、市川君はでしたツけ。」と青木は何か思出しは其方で持出して、雑誌を出すことにしたのが其年の正月 ちょうど とし 丁度、連中の一人の岸本が旅に出たと同じ月であっ たように、「僕は未だ君の年齢をよく知らない。」 「僕ですか。」と市川は笑って、「僕は一一十一でさーーたし 酔が回るに随って余計に遠慮が無くなって来る。岸本が か岸本君は明治五年でしたね、僕は六年だ。」 もの 「左様かなあ、皆な未だ若いんだなあ。」と言って、青木旅で書いた稿の中にある笑う可き文句の真似なぞが始ま る。菅や市川は盛んに其をやり出した。「馬車馬』という は菅の方を見て、「菅君は寧ろ僕の方に近いでしよう あてが そのひげ 言葉も幾度か繰返された。眼の両側へ手を宛行って、鼻息 どうも其鬚の様子では。」 ばかり荒く駆出して行く獣の光景なぞを見せつけられるの 「ええ。」と菅は笑い乍ら、青々とした腮の辺を撫でた。 其時市川は眼鏡越に岸本の様子を眺めて居たが、妙に意で、岸本はもうショゲ返って了った。青木は又、聞いて貰 つもり う積で、自分の書きかけの草稿を風呂敷包の中から取出し 味有りげなを浮べた。 あご あつら なが しごと たた それ

10. 現代日本の文学5:島崎藤村 集

そう 岸本は顔を紅くして、「実は、僕はすこし足りないんだ眼をった。而して、物の奥底に隠れた深い意味を考える ように成た。夕方に湖水の上を飛ぶ螢は、よく彼の部屋の 2 がねーー」 なか * イギりス われわれ 「そんなに心配しないでも可いよ、吾儕の方で出して置く内までも迷って来た。あの英吉利の湖畔詩人が寂しい山家 らようど おうのう から。」 の娘の歌ーー丁度、その中に、彼は自分を見出した。懊悩 こ さまざま 斯う足立が気の毒そうに言った。 のあまり、彼は種々な感想を書いて夏の夜を送った。それ したた 菅、足立の二人は浴衣のまま岸本を送って湯本まで行っ から先ず足立へ宛てて長い手紙を認めた。て、彼も山を た。あの岸本が黙って、考え込んで、崖に添うた道路を歩下りた。 とう なが いて行った時の様子は。期う快活に笑い乍ら一一人は塔の沢 十二 へ引返した。足立は又、岸本が伊予まで尋ねて来た時のこ とを言出して、あの真面目くさった顔付で恋愛の講釈なそ 八月の末、青木は東北の旅から帰った。「知己は多く得 を始めた時は実際閉ロした、と期う菅に話して笑った。 べからず、節子のごときは吾生涯に於て有数の友なりし ひとり あくるあさ みさお 翌朝、足立は東京の方へ発つ、菅は単独で元来た道を山を。」期う青木は日記の中に書いて、細君の操にも見せた。 の上の方へ帰って行った。一人発ち、二人発ち、するうち彼が奥州の方へ行って居る間に、親しい女友は病気して亡 くなったとのことである。 に、最早友達は皆な発って了って、急に湖水の畔は寂しく うれい 期の愁に加えて、彼の身体の内部には何となく異状が起 なったのである。 菅は疲れて、元箱根の宿に帰った。 って来た。過度な激昻と疲労とから、もう幾晩か眠られな こころなか からだ こうつ 。そこで、国府津在の漁村に退いて、多病な身を養おう 不思議な変化が其日から菅の精神の内部に起って来た。 一晩中、彼は塔の沢のことを思いつづけた。翌る晩も、そということに思付いた。兎も角も行って見て来たい、屋に のまた次の晩も、眠る前には必ず枕の上でお君という娘を鎌倉へ寄って岸本に勧めたいことが有る。期う考えて青木 にわかに 思出すように成った。期ういうことが有ると同時に、遽然は家を出た。道順として、彼は先ず鎌倉の寺に泊って居る 彼は活気を帯びた。嵂長い冬の間、地の下に隠れて居た友達を訪ねた。 なか 草のように、彼の内部にあるものは総て一時に芽を出し始途次青木が想像して行った通り、果して岸本は困って居 はちのヘ めた。 た。早速青木は東北行の土産話を始めた。八戸に大きな造 ことごとおどろき めのまえひら 新しい世界は彼の眼前に展けて来た。彼は事毎に驚異の酒家がある。そこの若主人というはなかなか話せる男だ。 あく ほとり さわ みちみち なっ