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検索対象: 現代日本の文学5:島崎藤村 集
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1. 現代日本の文学5:島崎藤村 集

102 うに弘もいくらか袖の長い着物で写真に映って居たが、そ「弘の幼少い時分にはよく彼様して兄さんに負さって歩い た。一度なんか深川の方までもーー」 の都会の風俗がいかにもよく似合って可愛らしく見えた。 とお婆さんが札を取上げながら、庭の方を眺めて、「で 「実によく撮れましたネ。」 と捨吉に言われて、お婆さんから細君へ、細君から主人も、一一人とも大きく成ったものだ。」 へと、三人はもう一度その写真を順に回して見た。主人は「さあ、今度は誰の番です。」と主人が笑いながら言出し 眼を細めて、可愛いくて成らないかのようにその写真に見た。 「あたいだ。」とお婆さんは手に持った札とそこに置並べ 入って居た。 てあるのとを見比べた。 「弘さん、被入っしゃい。」 そば と捨吉が呼んだ。やがて彼は弘を自分の背中に乗せ、部「弘は母さんの傍へお出。」 とりまヤ . と細君が呼んだので、捨吉は背中に乗せて居た弘を縁側 屋部屋を見に行った。夏らしく唐紙なぞも取してあっ みとお て、台所から玄関、茶の間の方まで見透される。茶の間はのところへ行って下した。弘はまだ子供らしい眼付をして はなムだ いろいろ しきりま 応接室がわりに成って居て、仕切場だとか大札だとか芝居母親の側に坐った。そして種々な模様のついた花骨牌を見 おかみ ぎっ 茶屋の女将だとか左様いう座付の連中ばかりでなく其他の比べて居た。 客が入れ替り立ち替り訪ねて来る度に、よく捨吉が茶を運「桐と出ろ。」と主人は積重ねてある札を捲って打ち下し あめばうす ぶところだ。彼は弘を背中に乗せたまま、茶の間から庭へた。「おやおや、雨坊主だ。」 すがわら 下りて見た。青桐が濃い葉影を落して居るあたりに添うて細君の番に回って行った。「どうも御気の毒さま。菅原 一回りすると、庭から奥座敷が見える。土蔵の上り口までが出来ました。」と細君は揃いの札を並べて見せた。それ を見た主人は額に手を宛てて笑った。 見透される。 間もなく捨吉は庭下駄を脱ぎ捨てて勝手口に近い井戸へ 細君は捨吉の背にある弘の方を見て、 「おや可笑しい。大きなナリをして。」 水汲みに行った。まだ水道というものは無い頃だった。素 あししりはしおりておけ と奥座敷に居て言った。 足に尻端折で手桶を提げて表門の内にある木戸から茶の間 奥座敷では、午後の慰みに花骨牌が始まった。お婆さんの横を通り、平らな庭石のあるところへ出た。庭の垣根に と主人が細君の相手に成って、病後を慰め顔に一緒に小さは長春が燃えるように紅い色の花を垂れて居る。捨吉が水 を打っ度に、奥座敷に居る人達は皆庭の方へ眼を移した。 な札を並べて居た。 うつ おおふだ おろ めく おぶ

2. 現代日本の文学5:島崎藤村 集

一葉舟より 鷲の歌 うしほか みるめの草は青くして海の潮の香ににほひ あまをぶね 流れ藻の葉はむすぼれて蜑の小舟にこがるゝも おほたつがみ あしたゆふべのさだめなき大竜神の見る夢の 闇きあらしに驚けば海原とくもかはりつゝ とくたちかへれ夏波に友よびかはす浜千鳥 もしほやく火はきえはてて岩にひそめるかもめどり あまとま 蜑は苫やに舟は磯いそうちょする波ぎはの 削りて高き巌角にしばし身をよす一一羽の鷲 いかづちの火の岩に落ち波間に落ちて消ゆるまも 寝みだれ髪か黒雲の風にふかれっそらに飛び こむ、りさき よだう あらなみ 葡萄の酒の濃紫いろこそ似たれ荒波の 波のみだれて狂ひょるひゞきの高くすさましゃ なみま 翼の骨をそばだててすがたをつゝむ若鷲の おはひば ほろば 身は覆羽やさごろもや腋羽のうちにかくせども 見よ老鷲はそこ白く赤すちたてる大爪に かしら 岩をつかみて中高き頭静かにながめけり つるぎ しらいみ げに白髪のものふの剣の霜を払ふごと あをくも からあゐ 唐藍の花ますらをのかの青雲を慕ふごと もみち たにま 黄葉の影に啼く鹿の谷間の水に喘ぐごと 眼鋭く老鷲は雲の行くへをのぞむかな わが若鷲はうちひそみわが老鷲はたちあがり うつ まなこ 小河に映る明星の澄めるに似たる眼して おほぞら 黒雲の行く大空のかなたにむかひうめきしが いづれこゝろのおくれたり高し烈しとさだむべき ことちを あや しふ わが若鷲は琴柱尾や胸に文なす鷸の斑の おと 承毛は白く柔和に谷の落し羽飛ぶときも ましみづ つばさ 湧きて流るゝ真清水の水に翼をうちひたし はなっゝじ このめる蔭は行く春のなごりにさける花躑躅 むなばら わが老鷲は肩剛く胸腹広く溢れいで しのはねしる 烈しき風をうち凌ぐ羽は著くもあらはれて よろひ 藤の花かも胸の斑や髀に甲をおくごとく いのら 鳥の命の戦ひに翼にか & る老の霜 つばさ

3. 現代日本の文学5:島崎藤村 集

ものの願いを退けようとはしなかった。何等の報酬を得よ いくたび 幾度か捨吉は小父さんの前に、吉本さんからの手紙を持うでもなしに、唯小父さんの手伝いをするつもりで、その らゆうちょ 出そうとした。そうしては躊躇した。例のように捨吉が帳一夏の間働いた捨吉の心をも汲んで呉れた。同時に、小父 ろ・りあげ・ 場の台の上に坐ってポッポッ売揚をつけて居ると、小父ささんが手を替え品を替えしてその日まで教えて見せたこと うちわ とても んは団扇づかいで奥の方から帳場の側へ肥った体驅を運んも、到底若い捨吉の心を引留めるには足りないことを悲し で来た。小父さんも機嫌の好い時だった。第一、姉さんがむようであった。 素晴しい元気で、長煩いの後の人とも思われないというこ 「へえ一捨吉にも九円取れるか。」 よね とは、小父さんがよくこぼしこぼしした、「米の病気は十年と終には小父さんも笑って、彼の願いを許して呉れた。 の不作」を取返し得る時代に向いて来たかのようであっ 恩人夫婦をはじめ、真勢さん、新どん、吉どん、其他馴 た。おまけに店の評判はますます好い方だし、どうやら隣染を重ねた店の人達に別れを告げて、捨吉が横浜を去ろう 家の土蔵にも好い買手がついたと言うし、静岡からの新荷とする頃は、大勝から手伝いに来た連中もそろそろ東京の は景気よく着いたばかりの時だ。小父さんの笑声は一層快空が恋しく成ったと言って居た。捨吉はしばらく逢わなか 活に聞えた。 った菅や足立を見る楽みをもって東京の方へ帰って行っ 「小父さん、僕は御願いがあります。」 た。捨吉の上京を促した吉本さんは名高い雑誌の主筆で、 のこ と捨吉は帳場の台の上から恩人の顔を見て言って、其時同時に高輪の浅見先生の先の奥さんが基礎を遺した麹町の 吉本さんからの手紙の意味を切出した。横浜を去って、自方の学校をも経営して居た。吉本さんは曽て浅見先生の家 時分の小さな生涯を始めて見たいと言出した。さしあたり翻塾に身を寄せて居たこともあるという。捨吉に取ってのこ る訳の手伝いでもして見たいと言出した。それにはあの先輩の二先輩はそれほど深い縁故を有って居た。捨吉が初めて 熟の経営する雑誌社から月々九円ほどの報酬を出そうと言っ 吉本さんに紹介されたのも、浅見先生の旧宅で、その頃の 実て来て居るとも付添して小父さんに話した。 彼はまだ金釦のついた新調の制服を着て居た程の少年であ 桜「俺はまた、行く行くこの伊勢崎屋の店を貴様に任せるつ もりで居たのにーー」 麹町に住む吉本さんの家を指して、捨吉は田辺の留守宅 の方から歩いて行った。自分で自分の小さな生涯を開拓す と小父さんはさも失望したらしい表情を見せて言った。 あてが しかし書生を愛する心の深いこの小父さんは一概に若いるために初めての仕事を宛行われに訪ねて行く捨吉の身に つけた からだ まか とな じみ

4. 現代日本の文学5:島崎藤村 集

九つの たくみ 芸術の神のかんづまり かんさびませしとっくにの 阿典の宮殿の玉垣も 今はうつろひかはりけり 草の緑はグリイスの 牧場を今も覆ふとも みやびつくせしいにしへの 笛のしら・ヘはいづくぞや かのパビロンの水青く 升の色をうっすとも 柳に懸けしいにしへの 琴は空しく流れけり げにや大雅をこひ慕ふ 君にしあれば君がため たくみそらか、 芸術の天に懸る日も 時を導く星影も いづれ行くへを照らしつゝ 深き光を示すらむ さらば名残はっきずとも 袂を別っ夕まぐれ おばしま 見よ影深き欄干に あぜんみや みやび 煙をふくむ藤の花 かりおほそら 北行く鴈は大空の 霞に沈み鳴き帰り あや 彩なす雲も愁ひっゝ 君を送るに似たりけり あゝいっかまた相逢うて もとの契りをあたゝめむ 梅も桜も散りはてて すでに柳はふかみどり 人はあかねど行く春を いつまでこゝにとゞむ・ヘき われに惜むな家づとの 1 枝の筆の花の色香を 野路の梅 風かぐはしく吹く日より 夏の緑のまさるまで 梢のかたに葉がくれて 人にしられぬ梅ひとっ 梢は高し手をのべて

5. 現代日本の文学5:島崎藤村 集

い」なんて、 = ライ気烙サ。でも、面白い気象の人で、缶ら白壁を望むように見える。 もくれんつつじばたん へでも行くと、薬代がなけりや畠の物でも何でもいいや、 ねぎ 懐古園内の藤、木蘭、躑躅、牡丹なぞは一時花と花とが 葱が出来たら提げて来い位に言うものですから、百姓仲間映り合 0 て盛んな香気を発したが、今では最早濃い新緑の には非常に受が好い : : : 」 香に変って了った。千曲川は天主台の上まで登らなければ 奇人は期の医者ばかりでは無い。旧士族で、閑散な日を見られない。谷の深さは、それだけでも想像されよう。海 送りかねて、千曲川へ釣に行く隠士風の人もあれば、姉とのような浅間一帯の大傾斜は、その黒ずんだ松の樹の下へ 一一人ぎり城門の傍に住んで、懐古園の方へ水を運んだり、行 0 て、一線に六月の空に横わる光景が見られる。既に君 役場の手伝いをしたりして居る人もある。旧士族には奇人に話した烏帽子山麓の牧場、君の住む根津村なぞは見え むこう が多い。時世が、彼等を奇人にして了った。 ないまでも、そこから松林の向に指すことが出来る。私達 おおけやきかえで もし君が期のあたりの士族屋敷の跡を通 0 て、荒廃したの矢場を掩う欅、楓の緑も、その高い石垣の上から目の下 土塀、礎ばかり残った桑畠なそを見、離散した多くの家族に瞰下すことが出来る。 の可傷しい歴史を聞き、振返 0 て本町、荒町の方に町人の境内には見晴しの好い茶屋がある。そこに預けて置いた 繁昌を望むなら、『時』の歩いた恐るべき足跡を思わずに弓の道具を取出して、私は学士と一緒に苔蒸した石段を下 あらわ 居られなかろう。しかし他の土地へ行って、頭角を顕すよりた。静かな矢場には、学校の仲間以外の顔も見えた。 うな新しい人物は、大抵教育のある士族の子孫だともい 「そもそも大弓を始めてから明日で一年に成ります。」 「一年の御稽古でも、しばらく休んで居ると、まるで当ら しろあと じようだん チ 今、弓を提げて破壊された城址の坂道を上って行く学士ない。なんだか串談のようですナ。」 ッ も、ある藩の士族だ。校長は、江戸の御家人とかだ。休職「こりや驚いた。尺「一ですぜ。し 0 かり御頼申しますぜ。」 スの憲兵大尉で、学校の幹事と、漢学の教師とを兼ねて居る「ポツン。」 先生は、、 諸藩の人だ。学士なぞは十九歳で戦争に出たこ「左様はいかないーー」 こん ごうきゅう 曲ともあるとか。 期様な話が、強弓をひく漢学の先生や、体操の教師など 私は期の古城址に遊んで、君なぞの思いもよらないようの間に起る。理学士は一番弱い弓をひいたが、熱心でよく な風景を望んだ。それは茂った青葉のかげから、遠く白い当った。 山々を望む美しさだ。日本アルプスの谿々の雪は、ここか古城址といえば、全く人の住まないところのように君に たいてい たにだに

6. 現代日本の文学5:島崎藤村 集

まくろ さまもよくやって下さるように、捨吉も無事で居りますよ上の大きな子。それを見て居ると、どうかすると捨吉は 1 うに、毎日左様言って拝んで居る。どんなに心配して居るお母さんの話すことを聞いて居ながら、心は遠く故郷の山 か知れないそや : : : 」 林の方へ行った。彼の心は何年となく思出しもしなかった 遠い山のかなたに狐火の燃える子供の時の空の方へ帰って めのまえ むじな 眼前の事物にほとほと興味を失いかけて居た捨吉がお母行った。山には狼の話が残り、畠には狢や狸が顕われ、禽 ときあか けもの さんの話を聞いて見た時の心持は、所詮説明すことの出来獣の世界と接近して居たような不思議な山村の生活の方へ ないものであった。唯それは感じ得られるような性質のも帰って行った。あかあかと燃える焚火の側で、焼きたての のであった。そしてそれを感ずれば感ずるほど、余計にす熱い蕎麦餅に大根おろしを添えて、皆なで一緒に食う事を べてが心に驚かれることばかりのようであった。果敢ない楽みにした広い炉辺の方へ帰って行った。一緒に榎の実を か・し一ノ 少年の夢が破れて行った日から、彼は殆んど自分一人に生集めたり、時には橿鳥の落して行った青い斑の入った羽を たど ぎようとした。寂しい暗い道を黙し勝ちに辿って来た。彼拾ったりした少年時代の遊び友達の側へ帰って行った。 かっ は曽て自分が基督教会で洗礼を受けたということまで、こ 「オ・ハコ』という草なそを採って、その葉の繊維に糸を通 のお母さんに告げ知らせようともしなかった。これほど自して、を織る子供らしい真似をした隣の家の娘の側へ帰 分のために心配して居て呉れるお母さんのような人があるって行った。その娘の腕まくり、裾からげで、子供らしい ことさえも忘れ勝ちに暮して来た。 淡紅色の腰巻まで出して、一緒に石の間に隠れて居る鯱を 何年も捨吉が思出さなかった可懐しい国の言葉の訛や、追い回した細い谷川の方へ帰って行った。生れて初めて女 忘れて居た人達の名前が、お母さんの口から引継ぎ引継ぎというものに子供らしい情熱を感じたその娘と一緒に、よ 出て来た。お母さんは捨吉から送った写真のことを言出しく青い蔕の付いた実の落ちたのを拾って歩いた裏庭の土蔵 て、 の前の柿の木の下の方へ帰って行った。「わたし』と言う 「あの写真をよこして呉れた時は、皆大騒ぎよのい。吉田かわりに女でも「おれ』と言い、「捨さん』と呼ぶかわり 屋の姉さま、おりつ小母さままで来てて、「あれ、これが に「捨さま」と呼ぶような、子供の時分から聞き慣れた可 捨様かなし、そいったってもまあ、斯様に大きく成らっせ懐しい言葉の話される世界の方へ帰って行った。そこでは そうお いたかなし」なんて左様仰ッせて : 絶えず自分のことが噂に上りつつあるというに、しかも自 少年の時分からよく見覚えのある、お母さんの左の眼の分の方ではめったに思い出しもしなかった旧い馴染の人達 こんな なまり えのき なっ とり

7. 現代日本の文学5:島崎藤村 集

8 はしごだん うて楼梯を上って行った。 「駿一。」と母親は青木の名を言って、火鉢の側に坐った。 こないだ 操は夫のことを心配して、国府津の方から出て来て居た「此頃から私はお前に言いたい言いたいと思って居た。ま かせぎにんこん ・ : なにしろ稼人が期様な風では奈何することも出来ない あ今夜は、私の言うことをよく聞いてお呉よ。」 ので、元数寄屋町へ一緒に成ることにして、一ト先ず世帯子を思う情から、先す母親は炭取の炭を火鉢へ移して、 つめた 、れ を畳む為に国府津〈帰 0 た。丁度その留守で、一一階は寂し冷そうな青木の手を温めさせたいと思 0 た。この母親の い。一一間あって、往来へ向いた方が青木の臥たり起きたり癖は青木の神経質に克く似て居て、何事も自分の思う通り して居る部屋である。壁によせて大きな書棚がある。玻璃にしなければ気が済まないのであった。寄る年波と共に、 こらえじよう 窓の外は暗かった。青木は煙草に饑えたという風で、のべその潔癖は忍耐力の少いものに成って居る。 ひどぼんのくぼ つに燻して居るうちに、終には部屋の内が朦朧として見え青木は思い屈したような眼付をして、酷く頸窩の処を気 たま るように成った。 にして居た。其様子が母親の眼には可傷しく映った。 「まあ、大変な煙だね。」 「だから、私が言わないこっちゃないよ。」と母親は深い 期う言いながら、そこへ入って来たのは青木の母親であ溜息を吐き乍ら、「家を持つのは未だ早い。持って可い時 期が来れば、お前が黙って居たって、親の方で持たせる。 そんなに早く家を持って御覧、きっと困る時が来るよ 五十九 そりゃあ、もう、眼に見えてるツて、彼程私が言って聞か しんばう 青木の母親は一人で店を切回して居る程の男勝りだかせたじゃよ、、。 オし力あの時に私の言うことを聞いて、辛抱し こん ら、一一階へ上る前にも家のことに気を配って、親類の娘やさえすれば、期様なに夫婦で困って来るようなことは無い 下女は湯に遣る、店の番は次男に頼む、長火鉢の火迄いけんだ。それをお前が用いないで、なんでも操をお娵さんに それ ささまおっきあい て置いて、夫から炭取を持って上って来た。 貰いたいと言て、先方様の御交際が出来ようが出来まい 「私の言うことを聞きさえすれば、斯様なことには成らな が、そんなことにはもう一向頓着しないんだもの。彼の どう いろん いんだけれどーー」 時、親類も種々なことを言った。駿さんは奈何する積り 期う嘆息するように言い乍ら、母親は窓の方へ行って、 力しか、みすみす だ、定って入るべきものも入らないじゃよ、 ひやひや 玻璃の妻戸を細目に開けた。冷々とした夜の空気は部屋の困るのは知れきッてる、母親さんが側に付いて居ながら、 内へ流れ込んで来た。 黙って見てる法がないなんて。無論、私も不服だったサ。 ムか ガラス その あれほど よめ

8. 現代日本の文学5:島崎藤村 集

どこむかししようしゃ 中にも、何処か往時の瀟洒なところを失わないような人で て、身を悶えて、死んだ。 ある。その胸にはネキタイが面白く結ばれて、どうかする 「最早マイりましたかネ。」 と見慣れない襟留なぞが光ることがある。それを見ると、 と学士も笑った。 ふきだ その 其日は、校長はじめ、他の同僚も懐古園の方へ弓をひき私は子供のように噴飯したくなる。 ところ 白い黄ばんだ柿の花は最早到る処に落ちて、香気を放っ に出掛けた。あの緑蔭には、同志の者が集って十五間ばか りの矢場を造ってある。私も学士に誘われて、学校から直て居た。学士は弓の袋や、クスネの類を入れた鞄を提げて なが 歩ぎ乍ら、 に城址の方へ行くことにした。 せがれ はじめて私が学士に逢った時は、唯期様な田舎へ来て隠「ねえ、実は期ういう話サ。私共の一一番目の伜が、あれで こないだ れて居る年をとった学者と思っただけで、左様親しく成ろ子供仲間じやナカナカ相撲が取れるんですトサ。此頃も ネ、弓の弦を褒美に貰って来ましたがネ、相撲の方の名が うとは思わなかった。私達は・ーー・・三人の同僚を除いては、 皆な旅の鳥で、その中でも学士は幾多の辛酸を嘗め尽して可笑しいんですよ。何だッて聞きましたらネーー沖の鮫。」 かま みなり 来たような人である。服装なそに極く関わない、授業に熱私は笑わずに居られなかった。学士も笑を制えかねると ろく 心な人で、どうかすると白墨で汚れた古洋服を碌に払わずいう風で、 に着て居るという風だから、最初のうちは町の人からも疎「兄のやつも名前が有るんですよ。貴様は何とつけたと聞 ねうちき んぜられた。服装と月給とで人間の価値を定めたがるのきましたら、父さんが弓が御好きだから、よく当るように は、普通一般の人の相場だ。しかし生徒の父兄達も、次第矢当りとつけましたトサ。ええ、矢当りサ。子供というも に学士の親切な、正直な、尊い性質を認めないわけに行かのは可笑しなものですネ。」 なか 0 た。是程何もかも外部〈露出した人を、私もあまり斯ういう爺さんらしい話を聞きながら古い城門の前あ あいさっ なかよし 見たことが無い。何時の間にか私は期の老学士と仲好に成たりまで行くと馬に乗った医者が私達に挨拶して通った。 って自分の身内からでも聞くように、その制えきれないよ 学士は見送って、 うな嘆息や、内に憤る声までも聞くように成った。 「あの先生も、鶏に、馬に、小鳥に、朝顔ーーー・何でもやる そろ 私達は揃って出掛けた。学士の口からは、時々軽い仏蘭人ですナ。菊の頃には菊を作るし、よく何処の田舎にも一 西語なそが流れて来る。それを聞く度に、私は学士の華や人位はああいう御医者で奇人が有るもんです。『なアに他 かな過去を思いやった。学士は又、そんな関わない風采のの奴等は、ありや医者じゃねえ、薬売りだ、とても話せな こん おさ じか かばん さめ

9. 現代日本の文学5:島崎藤村 集

の側へめずらしく帰って行った。 田辺は全盛に向おうとする時であった。板塀越しに屋敷 兄は用達から帰って来た。午後からお母さんは田辺の家の外で聞いた井戸の水酌みの音まで威勢が好かった。小父 いらまきおたな を訪ねる筈であった。 さんが交際する大勝一族の御店の旦那衆をはじめ、芝居の かわ 「捨吉、貴様はお母さんのお供をしろや。」と兄は言った。替り目ごとに新番付を配りに来る茶屋の若い者のような左 「時間が来たら貴様は学校の方へ帰るが可い。どうせ田辺様いう人達までさかんに出入する門の戸を開けると、一方 だいかっ ことづて には逢う用があるし、大勝の大将から頼まれて来た言伝もは玄関先の格子戸、一方は勝手の入口に続いて居る。捨七ロ あるし、俺は後から出掛ける。」 は勝手の入口の方からお母さんを案内しようとして、丁度 「それじゃ、捨吉に連れてって貰わず。」 そこで河岸の樽屋の娘に逢った。捨吉が学校から戻って来 とお母さんも言った。年はとっても、お母さんの身体はる度によく見かけるのは期の娘だ。娘は捨吉親子に会釈し よく動いた。捨吉の見て居る前で、髪をなでつけたり自分て表の方へ出て行った。 で織ったよそいきの羽織に着更えたりして、いそいそと仕「さあ、お母さん、どうぞお上んなすって下さい。」 いらはやかまど 度した。田辺の訪問はお母さんに取って無造作に済ませる と田辺のおばあさんは逸早く竈の側まで飛んで出て来 ことでも無いらしかった。 「捨さん、お前さんもまた玄関の方から御案内すれば可い お母さんのお供で捨吉は兄の下宿を出た。屋外は直ぐ大のに。」 橋寄りの浜町の河岸だ。もう十月の末らしい隅田川を右に と田辺の姉さんもそこへ出て来て、半ば遠来の客を持成 はせつり がお 時して、夏中よく泳ぎに来た水泳場の付近に沙魚釣の連中の顔に、半ば捨吉を叱るように言った。 る 集るのを見ながら、お母さんと二人並んで歩いて行くとい 「御待ち申して居ました。」 す こおりむろ 熟うだけでも、捨吉には別の心持を起させた。河岸の氷室に と小父さんまで立って来て、お母さんを迎えた。 つれあい 実ついて折れ曲ったところに、細い閑静な横町がある。そこ 田辺のおばあさんの亡くなった連合という人と、捨吉の の は釣好きな田辺の小父さんが多忙しい中でも僅かな閑を見お父さんとは、むかし歌の上の友達であったとか。幾年か 桜 つけて、よく釣竿を提げて息抜きに通う道だ。捨吉は自分前には、お父さんは捨吉を見るために一度上京したことが 訂でも好きなその道を取って、田辺の家の方へお母さんを案あって、田辺の家の一番苦しい時代に尋ねて来た。お母さ 内して行った。 んはまた、田辺の家の人達の一番見て貰いたいと思うよう もてなし

10. 現代日本の文学5:島崎藤村 集

と言って菅は笑った。左様いう友達はもとより盃なぞを期様な話をして居るところへ、誂えたものが運ばれて来 ちよく 手にしたことも無い人だ。言い出した捨吉はまた、何程誂た。捨吉は急にかしこまって、小さな猪口を友達の前に置 あっかん えて可いかということもよく分らなかった。一合の酒でも 。ぶんと香気のして来るような熱燗を注いで勧めた。 一一人には多過ぎると思われた。 一口嘗めて見たばかりの菅はもう顔を渋めてしまった。 捨吉は手を揉んで、 「生れて初めて飲んで見るか。」 しやく 「じゃ、まあ、五勺にしとこう。」 と、捨吉も笑いながら、苦い苦い酒を含んで見た。咽喉 はらわた この捨吉の「五勺にしとこう」がそこに居る姉さんばかを流れて行った熱いやつは腸の底の方まで浸み渡るよう りでなく、帳場の方に居るものまでも笑わせた。 な気がした。 五勺誂えた客は簡単に飲食されるものがそこへ運ばれて 菅は快活に笑って、 来るのを待った。 「青木君で僕が感心したのはーー僕もあのお寺は初めてじ つ、あ 「青木君も君、交際って見るとなかなか面白い人だろう。」やないからねーーホラ、若い書生のような人があのお寺に と捨吉は青木の噂をして、「この前、僕が訪ねて行った時居たろう。あの人が僕に話したよ。自分はもうこの世の中 は女の人も来て居てね、三人であのお寺の裏の方の広い墓に用の無いような人間だ、青木君なればこそ自分のような 地へ行って話した。その女の人は結婚の話の相談冫 一こでも来ヤクザなものを捨てないで斯うして三度の飯を分けて呉れ て居たらしい。断ろうか、断るまいか、という容子をしてるんだッて , ーーね。彼様いう人を世話するところが青木君 ね。古い苔の生えた墓石に腰を掛けて、じっと考え込んで だね。」 時居たあの女の人の容子が、まだ眼についてるようだ : 期うしたが尽きなかった。 す体、青木君には物に関わないようなところが有るね。あそか一つか二つ乾した猪ロで二人とも紅くなってしまっ こが僕等は面白いと思うんだけれども・ : の ほっぺたほて 実「兎に角、変ってるね。」 「何だか頬辺が熱って来たような気がする。」 と言って、やがて友達と一緒に帰りかけた頃は、捨吉の 桜「あそこが面白いじゃないか。奇人という風に世の中から 心は余計に沈んでしまった。 見られるのは可哀そうだ。誰かそんな評をしたと見えて、 青木君がしきりに気にして居たつけーー「僕も奇人とは言 われたくない」ッて。」 青木はよく引越して歩いた。高輪から麻布へ。麻布から のみくい