をして殆ど寝食を忘れしめたるを。また思へ、近代の悲哀と煩悶と は幾多の青年をして狂せしめたるを。われも拙き身を忘れて、この 新しきうたびとの声に和しぬ。 詩歌は静かなるところにて思ひ起したる感動なりとかや。げにわ が歌そおぞき苦闘の告白なる。 なげきと、わづらひとは、わが歌に残りぬ。思へば、言ふぞよ き。ためらはずして言ふそよき。いさゝかなる活動に励まされてわ れも身と心とを救ひしなり。 たれふる 誰か旧き生涯に安んぜむとするものそ。おのがじゝ新しきを開か んと思へるそ、若き人々のっとめなる。生命はカなり。力は声な り。声は言葉なり。新しぎ言葉はすなはち新しき生涯なり。 われもこの新しきに入らんことを願ひて、多くの寂しく暗き月日 若菜集、一葉舟、夏草、落梅集の四巻 を過しぬ。 をまとめて合本の詩集をつくりし時に 芸術はわが願ひなり。されどわれは芸術を軽く見たりき。むしろ われは芸術を第一一の人生と見たりき。また第一一の自然とも見たり 遂に、新しき歌の時は来りぬ。 き。 そはうつくしき曙のごとくなりき。あるものは古の預言者のあゝ詩歌はわれにとりて自ら責むるのにてありき。わが若き胸 如く叫び、あるものは西の詩人のごとくに呼ばゝり、いづれも明光は溢れて、花も香もなき根無草四つの巻とはなれり。われは今、青 と新声と空想とに酔へるがごとくなりき。 春の記念として、かゝるおもひでの歌ぐさかきあつめ、友とする人 うらわかき想像は長き眠りより覚めて、民俗の言葉を飾れり。 人のまへに捧げむとはするなり。 伝説はふたゝびよみがヘりぬ。自然はふたゝび新しき色を帯び 明治卅七年の夏 詩明光はまのあたりなる生と死とを照せり、過去の壮大と頽とを 村照せり 藤新しきうたびとの群の多くは、たゞ穆実なる青年なりき。その芸 術は幼稚なりき、不完全なりき、されどまた偽りも飾りもなかり き。青春のいのちはかれらのロ唇にあふれ、感激の涙はかれらの頬 をつたひしなり。こゝろみに思へ、清新横溢なる思潮は幾多の青年 藤村詩抄 自序 あけばの わういっ いにしへ ったな
ある日、豊田さんの家では田舎からの女の客を迎えまし出したでしようか。 ばあ た。お霜婆がめずらしく訪ねて来たのでした。お霜婆は散 ぎん 散国の方の話をして、豊田のお婆さんや姉さんから私達兄 弟のことも聞取りました。御蔭で国への土産話が出来た、 私は巣の入口のみを貴女に御話して、まだ奥の方はお目 か込くど それを別れ際まで掻口説きました。他人の家で修業する身に掛けませんでした。豊田さんの住居は一一棟の二階建の家 ムる には、旧い出入の女も客だと思いましたから、私はお霜婆屋から出来て居て、それが高い引窓から明りを取るように の下駄を揃えて置きました。 した板敷の廊下で結び着けてありました。中央の廊下から 「まあ、俺の履物まで直して下すったそうなーーー」 奥の二階へ通うことも出来、台所の方へ回ることも出来ま と言って、お霜婆は私の方を見て、ホロリと涙を落しました。奥の下座敷が豊田の小父さんや姉さんやお婆さんの 居間でした。客でもあると、小父さんは煙草盆を提げて土 旧い馴染が帰って行った後で、お霜婆の話の中に、「俺蔵造の内の部屋へ出掛けて来ます。その暗い部屋の外が玄 がーーー俺がーー」と言ったことは私の耳に残りました。私関で、私の机が置いてあるのもそこなれば、私がよく行っ こん の故郷では、目上の者に対しても、女でも『俺』です。 た往来の見える窓もそこにありました。斯様な風に、私の 期の手紙のに、私は田舎言葉のことをここに書きつけ勉強する部屋はいくらか奥の方と離れて居ましたから、そ ひな ましよう。一概に田舎言葉と言いますけれども、鄙びた言 こで私は種々な少年らしい遊戯を考え出しました。私は国 やわらか 葉づかいが柔軟に働いて東京一言葉では言い表わせないように居てよく木登りをしたように、その土蔵造の部屋の入口 な微細な陰までも言い表わせるのが有ります。 へ両脚を突張りまして、それを左右の手で支えて、次第に 私の故郷の方の言葉では大きいということを三段に形容高く登って行くことを企てました。手を放せば、トンと私 することが出来ます。それから助動詞などにも古い言葉のは入口の階段の上へ飛び降りることが出来たのです。朝に 残ったのが有って、面白く、細く、しかも簡潔な働きをし晩に大人に見つからないようにしてはよく登りましたが、 て居るのに気がつくことが有ります。田舎一一一口葉と言ってある時私の手が滑って堅い階段のところでひどく背骨を打 も、組野なばかりでは有りません。 ったことがありました。しばらくの間私は身動きすること 左様一言えば、都へも寒い雨がやって来ました。斯の空にも出来ませんでした。これに懲りて次第にその遊戯も止め こたっ は御地の山々は雪でしようか。貴女がたは例の炬燵を持ちるように成って行きました。 こまか さん
うとして居る一人の若い友達の前途は、唯あなたがあって「いよいよお出掛でございますか。」 それを知るのみでございます。」 と婆やもそこへ来て言った。 こんな風に祈った。清之助もまた静粛な調子で、捨吉の 自分ながら何となく旅人らしい心持が捨吉の胸に浮んで ために前途の無事を祈って呉れた。 来た。草鞋で砂まじりの土を踏んで、岡見の別荘を離れよ うとした。その時、岡見は捨吉に随いて一緒に木戸の外へ 翌朝早くから捨吉は旅の仕度を始めた。田辺の家を出る出た。 時に着て来た羽織を脱いで、麹町の学校の生徒が贈って呉「じゃ、まあ御機嫌よう。お勝さんの方へは妹から君のこ すね 、やはん れたという綿入羽織に着替えた。脛には用意して来た脚絆とを通じさせることにして置きました。」 を宛てた。脱いだ羽織、僅かの着替え、本二冊、紙、筆な と岡見が言った。 ひとまと そは、涼子から贈られた袋と共に一纏めにして、肩に掛け この餞別の一言葉は捨吉に取って、奈何なる物を贈られる ても持って行かれるほどの風呂敷包とした。岡見兄弟と一よりも嬉しかった。実に、一切を捨てて来て、初めて捨吉 緒の朝茶も、着物の下に脚絆を宛てたままで飲んだ。 はそんな嬉しい言葉を聞く事が出来た。それを聞けば、も 前途の不安は年の若い捨吉の胸に迫って来た。「お前はう沢山だ、とさえ思った。 気でも狂ったのか」と他に言われても彼はそれを拒むこと清之助も、涼子も、岡見と一緒に、朝日のあたった道に の出来ないような気がして居た。その心から、岡見にたず添うて捨吉の後を追って来た。途中で捨吉が振返って見た たんほわき ねて見た。 時は、まだ兄妹は枯々とした田圃側に立って見送って居て 呉れた。 「僕の足は浮ついて居るように見えましようか。」 「どうして、そんな風には少しも見えない。奈何なる場合裏道づたいに捨吉は平坦な街道へ出た。そこはもう東海 こおどり でも君は静かだ。極く静かに君はこの世の中を歩いて行く道だ。旅はこれからだ。左様思って、彼は雀躍して出掛け ような人だ。」 この岡見の言葉に、捨吉はいくらか心を安んじた。 一里ばかり半分夢中で歩いて行った。そのうちに、黙っ 礼を述べ、別れを告げ、やがて捨吉は東京からいて来て出て来た恩人の家の方のことが激しく捨吉の胸中を往来 あががまら 、ちがい おこない どんな た下駄を脱ぎ捨てて、上り框のところで草鞋穿きに成っし始めた。狂人じみた自分の行為は奈何に田辺の小父さん や、姉さんや、それからあのお婆さんを驚かし、且っ怒ら うわ ひと
としうえ の若い年長の婦人から自分の才能を褒められたことを思出斯の郊外へ移り住んで居るということは捨吉に取っては奇 どうか した。「何卒、これから御手紙を寄して下さい」と言われ遇の感があった。新築した家の出来ない前は先生は一一本榎 つれ たことを思出した。他に二人の婦人の連もあって、玉子との方で、近くにある教会の牧師と、繁子達の職員として通 かえり 共に品川の海へ船を浮べた時のことを思出した。その帰途って居る学校の教頭とを兼ねて居た。捨吉はしばらく一一本 に玉子と一緒に一一人乗の俥に載せられたことを思出した。榎の家の方に置いて貰った。そこから今の学窓へ通って居 その俥の上で斯の御殿山の通路を夢のように揺られて行った。捨吉が初めて繁子を知ったのはその先生の家だ。玉子 たことを思出した。玉子は間もなく学校を辞めて神戸の方を彼に紹介したのも先生の奥さんだ。 へ帰って行ったから、斯の婦人との親しみは半歳とは続か「何時までも置いて進げたいとは思うんですけれど、家内 なかったが、神戸から一二度手紙を貰ったことを思出しはあの通り身体も弱し、御世話が届きかねると思いますか た。その手紙の中には高輪時代の楽しかったことを追想らねーーー」 し、一緒に品川の海へ出て遊んだ時のことを追想して、女それが先生の家を辞する時に、先生に言われた言葉だっ ささや、 - こ 0 の人から初めて聞く甘い私語のような言葉の書いてあった ちっと ことを思出した。 「私のすることは少許も貴方の為に成らないッて、左様一言 時の間にか捨吉は奥平の邸の内へ来て居た。その辺はって叱られましたよーーー私が足りないからです。」 勝手を知った彼がよく歩き回りに来るところだ。道は平坥それが奥さんの言葉だった。 に成って樹木の間を何処ということなく歩かれる。黒ずん捨吉から見れば浅見先生は父、奥さんは姉、それほど先 だ荒い幹肌の梅の樹が行く先に立ちはだかって居る。うん生夫婦の年齢は違って居た。奥さんは繁子や玉子の友達と ひど と手に力を入れたような枝の上の方には細い枝が重なり合言しオし 、こ、まどの若さで、その美貌は酷く先生の気に入って くちびる って、茂った葉蔭は暗いほど憂鬱だ。沢山開く口唇のような居た。一頃は先生も随分奥さんを派手にさして、どうかす 梅の花は早や青梅の実に変る頃だ。捨吉は斯ういう場所をると奥さんの頬には薄紅い人工の美しさが彩られて居るこ アメリカ 彷徨うのが好きに成った。彼は樹の葉の青い香を嗅いで歩とも有った。亜米利加帰りの先生は洋服、奥さんも薄い色 ひぐれがた のスカアトを引いて、一緒に日暮方の町を散歩するところ 浅い谷を隔てて向うの岡の上に浅見先生の新築した家がを捨吉も見かけたことが有る。新築した家の方へ落着いて 見えた。神田の私立学校で英語を授けて呉れた浅見先生がから、先生の暮し方は大分地味なものと成って来た。彼は ひところ にほんえのき
85 幼き日 めのまえ 「ええ、斯の子は もナカナカの洒落者だとか、小母さん達は窓側で互の眼前 ほんとにべンコウなことを一 = ロう子 を通る芸人の噂をしました。町々の子供等ばかりでなく、 大人まで争って呼びとめては買ったものでした。それ。ハン と叱るように言って見せました。「べンコウ』とは矢張 屋が来たと言えば、窓の外の狭い往来は人だかりがして、私達の田舎で使う言葉で、まあ生意気と言ったら近いかも あては 何となく私の幼い心をそそりました。 知れませんが、すっかり意味の宛嵌まる東京言葉は一寸思 豊田さんの家である年の節句か何かの折に草餅を造ったい当りません。 くに ことをも、私はここに書きつけて置きたいと思います。何私の学資は毎月極めて郷里から送って寄して呉れるとい 故というに、田舎に居る身内のものから遠く離れた私にう風には成って居ませんでした。これには私は多少の不安 は、左様いう草餅の香気などを嗅ぐほど可懐しい思をさせを感じて居ました。すると、ある時のこと長兄の許から手 まと もっと るものが有りませんでしたから。尤も、草餅と言っても、紙が来て、金は纏めて豊田の小父さんの方へ送ったから買 もちぐさ いたい物があらば買え、苦しい中でも貴様達は東京へ出し 蓬のたりない都では田舎で食べるほど青いシコシコとし たのは出来ません。これでもっと草が多く入って居て、餅てあるのだから、その積りで勉強せよ、と言って寄しまし いくたび の合せ目から田舎風のアンコが這出したら、そんなことをた。幾度私はその手紙を繰返し読んで見て、兄の言葉に励 ちょうど まされたか知れません。丁度、故中村正直氏の書いたナポ 思いました。 台所に近い奥の部屋ではお婆さんや小母さんが下婢を相レオンの小伝が私の手に入りました。伝記らしい伝記で私 こしら 手にしてその草餅を造える、私は出来たのを重箱に入れてが初めて読んだのは恐らくその小冊子です。中でも、ナポ ひど 貰って近所へ配りに行きました。見ると、お婆さん達は捏レオンの青年時代のことは酷く私の心を動かしました。私 ねた餅を手頃にちぎっては、それを掌で薄べたく円く延ばは例の日光の射し込む窓の下で独りその小伝を開いては感 激の涙を流すように成りました。 して居りますから、 斯ういう物に感じ易い私の少年時代が一方では極く無作 「お婆さん、僕の田舎では其様な風にしません。」 くに と私は余計なことながら、郷里の方で母などが造って居法な荒くれた時でも有りました。姉がまだ東京に居ました あてが たのを思出して、母は小皿にちぎった餅を宛行ってその上頃、あの家の一一階の袋戸棚の前へ幼い甥を呼びつけて、そ や込まんじゅういっ で延ばすという話をしました。 の戸棚の中に入れて置いた焼饅頭が何日の間にか失くなっ たことを責めたことが有りました。私はそれを見て、心の お婆さんは成程とは思ったようでしたが、 おんな ちょっと
310 眠に就け申し候。俄然目さめては、コレラにつかれしゆえ永眠後、麻生の悲歎失望、極に達し、実に哀れにて気の毒 人々去り給え、神様と共に居れば淋しくない、看病うけてに御座候。毎日毎日の墓参、世を味気なく思いなし病気な も死ぬる時は死に、生きる時は全快します、オオ神よ我をど引起し申さずばよきと、心痛いたし居り候。」 助け給え、など申せしが、また静かに成りたる時は、相変 しんせつばなし ムいちょう 百五 らず麻生が親切咄を人々に吹聴することと、自身死後 しらく おとこおんな 後妻の周旋など気遣い、兄姉に依頼するなど、時も麻生「ぐも何事か為ようという男児が女子の一人や一一人位葬 を傍より離さず候いし。十一日は、私小児病気のため、心ったツて何だ」とは市川が元箱根の宿で岸本を激励ました ならずも見舞かね、召使に両三度模様を尋ね候ところ、同言葉である。岸本は今、あの友達の言葉を借りて、自分で おとずれ 日午後より無言に相成候との音信ゆえ、十一一日午後、病児自分を激励まそうとして居る。「何だ、これしきの事に」と ばんやり を召使に託し、三時頃参りたるに、とんと容体変り、唯々言乍らも、何時の間にか彼は茫然考え込むような人に成っ あわれ 呼吸するの外、いと哀の姿に成り熱度烈しく、断えず氷にて居る。 としうえ つむり て頭を冷し居り候。八時頃、俄に閉じられし舌ほどけて一一友達仲間は彼の為に心配した。殊に年長の足立は、勝子 言三言ーーそれは最後の言葉と、後になりて思い申し候。が結婚の当時、長い手紙を寄せて、「そんなことに弱って す 「終夜看病いたし、十三日、午前四時頃、スウブならびに奈何する」と励ましたり、「君はあまり自分を責め過る」と ミルク ひょういっ 牛乳等を食し、心地よく寝ね候ゆえ、脈を調べたるに前日教えたり、逢えば又、「むむ、大分飄逸なところが出来た」 しろうと とは大違にて、よく調子揃い居り候。素人の悲しさ、病軽と言って見せたりして、もうすこし別な心の持ちょうも有 く相成候ことと、兄と共に喜び、兄は母の旅行を心配してりそうなものだ、世間を見よと忠告して呉れる。それは岸 帰宅ーー国元母に危篤の電報せしところ、習出立せしと本も心に感謝して居る。奈何せん、彼には自分で自分の自 といあわせ 問合中由に成らないようなところが有った。自分は弱って居ない 報知ありしに、予定より二日後れ来着なきゅえ、 それより十分ばかりも経ちし時、スャスャ眠る顔のい積りでも、左様は許して置かないようなものが有った。 あだか つもに違いしように思われ、勝子勝子と呼び候ところ、大「三輪の隠居ーなどと笑われて、憤慨する傍から、恰も彼 きく丸き目を見開きニコリと笑い、何か物言いたげにロ動は喪心した人のように成って居たのである。 斯ういう岸本は、勝子の死を聞いて、余計に沈んで了っ かしながら呼吸一時に止り、私の顔を見つつ七時半頃・ : 「母は勝子永眠後、一時三十分ほどに着いたし候 : : : 勝子た。どうかすると、働く気も何もなくなって了うことが有 しらせ にわかに おく
な日に訪ねて来たのであった。 さんの側に倚りかかって、めずらしそうに捨吉のお母さん 奥座敷で起る賑かな笑声を聞捨てて、捨吉は玄関の方への方を見て居た。 取次に出た。大勝の店に奉公する若いものの一人が旦那の「捨さん、何だねえ。玄関の方なぞに引込んで居ないで、 使に来た。新どんと言って、いくらか旦那の遠い縁つづぎちっとお母さんの側にでも坐っておいでな。」 たなもの に当るとかで、お店者らしく丁寧な口の利きようをする人とおばあさんが言った。 しお であった。この取次を機会に、捨吉はおばあさんや姉さん「ほんとだよ。」と姉さんも調子を合せた。「お母さんの頸 とりかわ とお母さんとの間に交換される女同士の改まったような挨ッ玉へでも齧り付いて遣れば可いんだ。」 えぐ 拶を避けて、玄関を歩いて見た。極く僅かな暇があって才気をもった姉さんは捨吉の腹の底を抉るようなことを じようだん も、捨吉の足を引きとめるのはその玄関の片隅だ。もしお言った。姉さんは半分串談のようにそれを言ったが、思わ 母さんが学問のことの解るような人であったら、何よりもず捨吉は顔を紅めた。 捨吉が見せたいと思うものは、そこにあった。彼はそこに 「どうです、お母さん。」と小父さんは例の調子で快活に こじゅう しちょう ある自分の本箱の中に、湖十の編纂した芭蕉の一葉集、高笑って、「捨吉も大きくなったものでしよう。」 輪の浅見先生に聞いてある古本屋から探し出して来た西行「捨さんも、どちらかと言えば小柄な方でしたのに、この せんじゅうしよう このかた の選集抄、其他日頃愛読する和漢の書籍を蔵って置いた。 一一三年以来急にあんなに大きく成りました。」と姉さんも あっ それらは貧しい中から苦心して蒐めたもので、兄から貰っ言葉を添えた。 * 、かく * しこう た小遣で買った其角の五元集、支考の俳諧十論などの古い お母さんはつつましやかな調子で、「ほんとに、これと ありがた 和本も入れてある。郷里の方の祖母さんが亡くなって葬式申すも皆田辺様の御蔭だで。難有いことだぞやーーー左様申 のこ * こうさん くに に行った時に、父の遺した蔵書の中から見つけて来た黄山してなし、郷里の方でも言い暮して居りますわい。何から 谷の詩集もある。捨吉は斯うした和書や漢書の類を田辺の何まで御世話さまに成って、この御恩を忘れるようなこと 家の方に置き、洋書はおもに学校の寄宿舎の方に持って行じゃ、捨吉もダチカンで。」 って置いた。 交際上手な田辺の人達はやがてこのお母さんを打解けさ 「捨吉。」 せずには置かなかった。おばあさんは国の方に居る捨吉の と奥座敷の方で呼ぶ小父さんの高い声が聞えた。 姉の罇をしきりとして、姉が一度上京した折の話なそをお ま 捨吉が復た小父さん達の中へ行って見た頃は、弘まで姉母さんの口から引出した。 よ かじ
を友達に訴えようとはしなかったのである。彼は唯、暗い 百二十七 憤怒の影を額の処に見せて、悄然と寝床の上に坐 0 て居 がいぜん めのまえ 慨然として死に赴いた青木の面影は、岸本の眼前にあっ る。菅にはサツ・ハリ様子が解らない。 おわ 「復たラブでも始まったんじゃないか。」と菅が笑い乍らた。「我事畢れり」と言った青木の言葉は、岸本の耳にあ った。幾度か彼はあの友達の後を追って、懐剣を寝床の中 言った。 岸本は答えなかった。彼は快活な友達の顔を眺めて、苦に隠して置いて、悶死しようとしたのである。身体の壮健 な彼には奈何しても死ねなかった。 笑して居た。 「火事ア何処だア、丸山だ。」 絶望は彼を不思議な決心に導いた。 斯う菅は子供の真似をして戯れた。 「親はもとより大切である。しかし自分の道を見出すとい うことは猶大切だ。人は自分の道を見出すべきだ。何 母や姉が集って来てからは、一一人はもう其様な話をしな うらなか かった。タ立が通り過てやがて屋の内が涼しくなる頃まの為に期うして生きて居るのか、それすら解らないような で、一・一人の話は連中の噂で持切った。その話の途中、菅はことで、何処に親孝行が有ろう。」 岡見が岸本を評した言葉を持出して、「まだそれでも君の期う自分で自分に弁解して、苦しさのあまりに旅行を思 すわ 方が、溝ロよりは腰が据ってるトサーーー溝ロと一緒にされい立った。 ちゃ可愛そうだ。」斯う言って笑った。溝ロは最も薄志弱 其時の岸本は、何処へ行って了うのか自分にも解らなか った。あるいは最早帰って来ないかも知れない。 もし帰っ 行な男として、連中の間に知られて居た青年である。 はた 「菅さんと話をしてるところを、傍で聞いてれば、ちっとて来ないにしても、自分は母に対し家の人々に対して、自 このうえ も病人のようじや無い。」 分の力に出来るだけのことを尽した。是上は運命に任せる まさか饑死するようなこともなかろう。 斯う母親は、菅が帰って行った後で、吾子の顔を眺め乍より外はない 斯う考えた。 ら晉ロった。 西京からも返事が来た。岸本は寝床の上に起直って、峰そこで彼は寝床を離れた。 あて ほん 子の手紙を開けて見た。期うある。 旅費の宛もなかったから、岸本は自分の書籍を売ること 「ーーーまことに御気の毒とは存じ候得共、何分にも薄給のにした。二階へ上って行って見ると、何年か掛って集めた 身にて : : : 」 蔵書が貧しいながらも置並べてある。三輪で差押に遇った そん なお うえじに みのわ
らね : : : 」 「お涼さん、あのお預りしたものを岸本さんに進げたら可 いでしよう。」 こんなことを言って、清之助は夜の二時過ぎまでも捨吉 と岡見に云われて、涼子はそこへ仕立卸しの綿入羽織を を唸らせた。 持って来た。 眼に見ることの出来ない大きな力にでも押出されるよう「これは高等科の生徒一同から君への御餞別だそうです。 にして、捨吉は東京から離れて行った。伝馬町に泊った翌「岸本先生の熱心は、一同の感謝するところでございます」 日は新橋から汽車で、車窓の硝子に映る芝浜の裏手、東禅と言って、丁寧な言葉まで添えてありました。これは東京 寺の上の方から一帯に続く高台、思出の多い高輪の地勢がの方で君に進げるよりか、旅にお出掛になる時に進げたい なんて、妹がわざわざ鎌倉までお預りして来ました。」 品川の方へ落ちて居るあの大都会の一角を一番しまいに眺 めて通って行った。 と岡見が言った。 捨吉は鎌倉にある岡見の別荘まで動いた。そこは八幡宮思いがけない麹町の学校の生徒からの贈物を鎌倉で受取 とりま に近い町の裏手にあたって、平坦な耕地に囲繞かれたようることは、旅に出掛ける矢先だけに余計に捨吉を悦ばせ な位置にある。あの正宗屋敷という方にあった農家から、 た。岡見は捨吉のために、さしあたりの路用の金を用意し 捨吉はよく田圃の道づたいに岡見を見に来た一夏の間を思て置いて呉れたばかりでなく、西京には涼子等が姉のよう 出すことが出来た。あの稲の葉の茂った田圃の間から起るに頼む峰子が居る、旅のついでに訪ねて行け、不自由なこ 蛙の声を思出すことが出来た。あの青い瓢簟の生り下ったとがあったら頼め、と言って西京宛の手紙までも用意して 隠者の住居のような門を叩くと、岡見がよく蒼ざめた顔付置いて呉れた。知己のなさけは捨吉の身にしみた。彼はそ をして自分を迎えて呉れたことを思出すことが出来た。すれを痛切に感じ始めたほど、身は既に漂泊のさかいにある べては捨吉にとってまだ昨日のことのような気がして居ことを感じた。 ところ 「お峰さんの許へは私からも手紙を出して置きましよう。」 と涼子が兄さんの方を見て優しく言葉を添えた。 丁度岡見も学校の休暇の時で、その『隠れ家』に捨吉の 来るのを待受けて居て呉れた。東京から見るといくらか暖「お峰さんか。まあ、お逢いになれば解りますが、こいっ もの い部屋の空気の中で、捨吉は岡見や涼子と一緒に成ることが又たなかなかの拗ね者なんです。」 ほほえ くらか物を大袈 が出来た。 期の岡見の調子は捨吉を微笑ませた。い したておろ せんべっ
斯ういう人が有ります、貴方の心に随うことは出来ませ 八十三 ん、それだけは何卒思いとまって下さいッて、奇麗に打明 健気な勝子の決心は深く岸本の心を動かした。麹町にあ けて断ったとか。ははははは。」 ひるが すぐ った事が直に伝馬町へ伝わって、それがまた本船町へ伝わ 空虚な鯉幟の風に飄える音が屋根の上の方で聞えた。 「盛岡が彼の先生に言った言葉が面白い。」と市川は言葉るのは、めすらしくもなかった。兎に角、黙って看ても居 を続けた。「一体、貴方は献身的だ、そこが岸本さんに克られないようなことを聞いた。期う思って、やがて岸本は あなたがた く似てる、何処か貴方等の間には共通なところが有るツ市川の家を出た。大川端の方へ帰って行く途すがらも、彼 て。ははははは。献身的 ! 君、君、そこが嬉しいところはその事ばかり思いつづけた。 しようぶ なんでしよう。」 菖蒲湯があった。其晩、岸本は浜町のある湯まで入りに カんがえ 期う戯れ乍ら、市川は友達の膝を軽く叩いた。「また始行って、そこで自分の思想を纏めたいと思った。節句の前 まった」と岸本は腹の中で思って居た。 の夜で、男の児と生れたものは居候でも幅が利く、と言っ ゅぶね 「最早森下という時代ではなくなって来たんだネ。岸本捨たような爽快な気象が風呂場にすら溢れて居る。湯槽には 多勢若い男が入って居る。可懐しい草の根の香もする。べ 吉、市川仙太という時代に成って来たんだろうネ。」 くッっ ったり身体へ付着いた菖蒲の葉を取って、それを嗅ぎなが と言って、市川は笑い転げた。 勝子の噂はそればかりでなかった。岸本は斯の友達からら、岸本は槽の縁へ左右の腕を掛けた。彼は市川から聞い めのまえ 胸の踴るようなことを聞いた。勝子は最後の決心に落て行た話を眼前に画いて見た。許嫁の人の前にすべてを告白し ったらしい。彼女は許嫁の人の前に総ての事を告白して了て、「しかし、私は貴方の言う通りに成ります」と投出し ったらしい。市川の話によると、「しかし、私は貴方の言た勝子、それを聞いた許嫁の人、それから起って来た種々 う通に成ります」と許嫁の人に向って言ったとのことであの混雑した光景、結局国の方へ勝子を連れて帰ろうとする 父親の嘆ーーー何もかも岸本は想像することが出来るように かんがえ 「それから家の方でも駁ぎ出したんだそうです。許嫁の人思った。あの卒業式の日あたりには、最早そんな思想が勝 つけた が話したんでしよう。」と市川は付添した。「多分、父親さ子の胸の中にあったであろうか、斯う彼は思いやった。 こころ・、ら 菖蒲湯で身体を洗い流して、サツ・ハリとした心地に成っ んが国の方へ連れて帰るようなことに成るでしよう。」 た彼は、自分の部屋へ帰ってから先ず紙を展げた。彼は勝 おど どうか したが きれい おら おとっ さわやか