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検索対象: 現代日本の文学5:島崎藤村 集
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1. 現代日本の文学5:島崎藤村 集

150 よろこ 食後に、捨吉は一一階建になった奥の住居を見て回った。 居たかのように、悦ばしそうに彼の顔を見た。 よね 裏口の方へも出て見た。 「米、捨吉が来たよ。」 「捨さん、来て御覧。」 と小父さんは奥の方に居る姉さんをも呼んだ。 という姉さんの後に随いて行って見ると、帳場の後手か 期うした変った場所に、新規な生活の中に、小父さんや 姉さんを見つけることは捨吉に取ってもめずらしく嬉しから自由に隣家の方へ通うことが出来て、そこにはまた芝居 たてものなか った。姉さんもなかなかの元気で、東京の方で見るよりはの楽屋のような暗さが閉めきった土蔵造の建築物の内部を 占領して居た。 顔の色艶も好かった。 ひるまた 「捨吉、貴様はまだ昼食前だろう、まあ飯でもやれ。今皆「どうだ、なかなか広かろう。」 と小父さんもそこへ来て言って、住居と店との間にある 済ましたところだ。」と小父さんが言った。 「捨さんもお腹が空いたろう。すこし待っとくれ。今仕度硝子張の天井の下を捨吉と一緒に歩いて見た。 となり こつら オカオ「以前の伊勢崎屋というものは、隣家の方と是方と一一軒続 させる。」と姉さんも言った。「期う多勢の人じゃ、よ、よ いた店になって居たんだね。これが大勝へ抵当に入った。 か一度にや片付かないよ。」 その時、奥の方から昼飯を済ましたらしい店の連中がど「どうだ、田辺、一つやって見ないか』としきりに大将が かどかと押してやって来た。皆捨吉に挨拶して帳場の側を乗気に成ったもんだから、到頭俺も引受けちゃった。どう かおぶれ 通った。新どん、吉どん、寅どんのような見知った顔触のして、お前、新規に店を始めて、これだけの客が呼べるも 外に、二三の初めて逢う顔も混って居る。その時捨吉は大んじゃない : : : 隣家の方はまあ、彼様して置いて、そのう おたな 勝の御店の方の若手が揃ってここへ手伝いに来て居ることちに仕切って貸すんだね。」 としわか を知った。年少な善どんまでが働きに来て居た。それを見こんな風に小父さんは大体の説明を捨吉にして聞かせ ても、あの大勝の大将が小父さんの陰に居て、どれほど期た。この小父さんの足が帳場の側で止った時は、小父さん の伊勢崎屋の経営に力を入れて居るかということも想われは何か思出したような砕けた調子で、 「なにしろ一銭、二銭から取揚げるんだからねえ。」 「岸本さん、お仕度が出来ました。どうぞ召上って下さい。」と言って笑った。 と告げに来る房州出の下女の顔までが何となく改まって捨吉は自分の身の置きどころから見つけて掛らねば成ら なかった。彼は周囲を見回した。そして実に勝手の違った 見えた。

2. 現代日本の文学5:島崎藤村 集

うつむきがら あしおと 所の方からは泣き顔を見られまいとして、俯向勝に帰って室の方へ近づいて来る人の跫音がする。 来る婦がある。「吾夫の顔を見たら胸がもう一ばいで : : : 」「兄さんだ。」 と岸本は聞耳を立てた。 などと言う声も聞える。 わき 向うの未決監の内塀の側には、蒼ざめた顔色の女が巡査コトリと欄の前にある小さな窓の戸が開いた。岸本兄弟 は、其時互いに蒼ざめた顔を合せた。気の短そうな巡査 に引かれて通る。賤しい稼業の者が送られるらしい が、欄と窓の境に立って、面会の要件を読み聞かせる間、 百十六 民助は熟と耳を傾けて居た。例の未決監の番号札を着物の そう ひげ 暗い箱馬車が其時門内へ引込まれた。而して、庭の内で襟に縫着けて、髪は短く、髭はすこし生して居る。寛大な こころ ひとまわ ) 一回転して、馬の頭が門の方へ向いた頃に止った。未決監気風、あきらめの早い精神、兄らしい威厳なその失われず の入口からは、日のめを見ることも少いような憂鬱な眼付にあるところは、岸本の身に取って心強くも思われたが、 をして囚人等が、手に手に汚れた風呂敷包を持ち乍ら出て何となく期う獄中の人らしい、可傷しい兄の顔付を眺める 来て、護衛の巡査と一緒に其馬車へ乗った。中には馬車のと、自然に弟の頭は下って来た。 うらやま 窓から控所の方を盗むように見て娑婆の人達を可羨しそう「簡単に言え。そんな余計なことを喋っては可ーー - ・斯の に眺めるもあり、誰か逢いに来て居る者はなかろうかと尋要件に書いてあるだけのことを言え。」 いいとが 期う言咎められて、民助は巡査の方へ一寸会釈して、弁 ね顔なのもある。 なお 護士依頼に就いての希望を述べ、猶、此節のように差入が 「巣鴨へ回される連中だ。」 なかくいもの 絶えては身体が疲労する、檻内で食物を買うから金銭で入 と面会人の一人が思わずロ走った。 こくちょう よろしく きんたん 馬は勇ましそうにいた。惨憺とした思を傍観する人々れて呉れよ、石町、大川端へも宜敷頼むとのことであっ はなしとりかわ に残して置いて、馬車は庭の小石の上を軋り乍ら出て行った。厳重な監視の下で、制限ある時間に談話を交換すので あるから、面会は時器械的に終る。弟はただ兄の無事な た。 こありさま 期の光景を眺めて、岸本も思い沈んで居たが、軈て気が顔を仰いで、気休めに成るようなことを言って帰るに過ぎ 付いて我に返った頃は最早自分が面会の番に近づいて居なかった。 る。間もなく彼は巡査に呼込まれて、小さな、狭い面会室面会室を出て、 よこた てすり の丸木を横えた欄の前に立った。奥庭の小石を踏んで面会「ああ、兄さんには家の方の事情がすこしも解らない。」 しやば やが あお じっ はや えしやく

3. 現代日本の文学5:島崎藤村 集

おんやすみどころあげばや る。鹿島神社の横手に、一ぜんめし、御休処、揚羽屋と むしろあ もみ れやがて母は箒で籾を掃き寄せ、莚を揚げて取り集めなどした看板の出してあるのがそれだ。 する。女達が是方を向いた顔も ( ッキリとは分らないほど私が自分の家から、期の一・せんめし屋まで行く間には大 で、冠 0 て居る手拭の色と顔とが同じほどの暗さに見え知 0 た顔に逢う。馬場裏の往来に近く、南向の日あたり せきしよう の好い障子のところに男や女の弟子を相手にして、石菖 おもと 向うの田に居る夫婦者も、まだ働くと見えて、灰色な稲蒲、万年青などの青い葉に眼を楽ませながら錯々と省物を こしら 造える仕立屋が居る。すこし行くと、カステラや羊羹を店 田の中に暗く動くさまが、それとなく分る。 とあみ 汽笛が寂しく響いて聞えた。風は遽然私の身にしみて来頭に並べて売る菓子屋の夫婦が居る。千曲川の方から投網 をさげてよく帰って来る髪の長い売ト者が居る。馬場裏を 出はずれて、三の門という古い城門のみが残った大手の通 「待ちろ待ちろ。」 こんのれん 母の声がする。男の子はその側で、姉らしい女と共に籾〈出ると、紺暖簾を軒先に掛けた染物屋の人達が居る。そ かなた れを右に見て鹿島神社の方へ行けば、按摩を渡世にする頭 を打った。彼方の岡の道を帰る人も暗く見えた。「おっか こまどり その めくら れでごわす」と挨拶そこそこに急いで通過ぎるものもあつを円めた盲人が居る。駒鳥だの瑠璃だの其他小鳥が籠の中 さえず た。そのうちに、三人の女の働くさまもよくは見えない位で囀って居る間から、人の好さそうな顔を出す鳥屋の隠居 に成って、冠った手拭のみが仄かに白く残った。振り上ぐが居る。その先に一・せんめしの揚羽屋がある。 とうム 揚羽屋では豆腐を造るから、腮装に関わず働く内儀さん る槌までも暗かった。 かっ がよく荷を担いで、襦袢の袖で顔の汗を拭き拭き町を売っ 「藁をまつめろ。」 て歩く。朝晩の空に徹る声を聞くと、アア豆腐屋の内儀さ という声もその中で聞える。 がん すぐ 私が期の岡を離れようとした頃、三人の女はまだ残ってんだと直に分る。自分の家でも期の女から油揚だの雁もど むすこ 働いて居た。私が振返って彼等を見た時は、暗い影の動くきだのを買う。近頃は子息も大きく成って、母親さんの代 りに荷を担いて来て、ハチハイでも奴でもトントンとやる としか見えなかった。全く暮れ果てた。 ように成った。 もっと 一ぜんめし 揚羽屋には、うどんもある。尤も乾うどんのうでたの 私は外出した序に時々立寄って焚火にあてて貰う家があだ。一体に地辺では麺類を賞美する。私はある農家で一週 わら ( つら ほの じゅばん とお やっこ

4. 現代日本の文学5:島崎藤村 集

270 にも趣味を持った人で、大気の運動や、颶風の理論や、亀 べつるい 六十八 鼈類胎葉発生の研究や、それから其当時の新しい発明とし 斯の門内には、樹木を経てて住んで居る家が幾軒かあて知られたの話を持出して、よくそれを勝子に語り聞 る。突当りの大屋さんの屋敷を左に見て、すこし奥まった かせたものである。勝子は其話に耳を傾けるのを楽んで居 処にある一一階建の家は、勝子の父が姉の家族の為、また学 た。而して、親切な、心の好い許嫁の人のことを考える度 校へ通う娘達の為に借て住まわせたので、そこから学校まに、人知れず小さな胸を傷めずには居られなかった。 ふさ では弁当を持たずに行かれるほどの距離にある。 その時、妹は丸顔に適わしい、ばッちりとした、大ぎな はなれ のぞ 離座敷の方へ行く磯子と別れて、勝子は庭伝いに自分の眼を挙げた。彼女は姉の顔を覗き込むようにして、無邪気 ようす 部屋へ上ろうとした。 な、あまえるような容子をした。その容子がいかにも愛ら なんに 「叔母さん。」 しかった。まだ何事も知らずに居るような妹の顔を見ると と呼ぶ声が庭の隅の方で起った。 いうことすら、もう勝子には胸の塞がる種である。妹の知 浅々と芽を発生した芝の上には、勝子のことを叔母さんらない涙は思わず勝子の頬を流れた。 と呼ぶ娘達が遊んで居る。期の娘達は、勝子をお勝叔母さ斯ういう不思議な勝子の有様が何時までも家の人の注意 んと言い、勝子の妹をお豊叔母さんと言った。どうかするを引かずには居なかった。父は総選挙の準備として、その そういくっ と、お勝叔母さんと左様幾歳も違わないように見える人も月の始めに盛岡の方へ帰ったが、まだ議会の解散されない としうえ 居る。お豊叔母さんよりは年長の人も居る。どうして、お頃には全院委員長の次点者に挙げられた位で、随分にし からだ 豊叔母さんなぞはまだ前髪を額のところへ切下げて居るほ い身の人であるにも関らず、娘達の顔を見たいばかりによ ど若かったのである。 く車でやって来て、殊に勝子の為にはいろいろと気を揉ん 勝子は部屋へ上ろうとして、妹の豊子から許嫁の人が鳥で居た。ヒステリーとやらではないか、斯う父が言った。 すぐ 渡来て直に帰ったということを聞いた。若々しい血潮は遽父は親しい医者を呼んで勝子を診察して貰ったことも有っ 然勝子の頬に上った。 た。家の人の方から、其時医者まで注意した言葉の中に 許嫁の人は姓を麻生と言った。親戚の間柄で、互いに頼は、種々病人らしい容体もあったが、医者は勝子を壮健な 母しく思うところから、斯うして時折尋ねて来るのであ女であると診断した。 としわか る。麻生は温厚な、少壮な植物学者であった。一般の科学 と こ たの その ぐふう

5. 現代日本の文学5:島崎藤村 集

急に若々しい血潮が岸本の頬に上った。其時高い笑声が 「僕も君、旅に出て他に頼る人が無かったもんですから、 青木と菅の間に起った。市川も一一人と顔を見合せて笑っ 其れを西京も気の毒に思って呉れたんでしよう。」 いわれ きっ 連中の談話に土地の名が出る時は、必と何か謂があった。 「ですから、」と岸本は言いかけて、困ったような顔をし た。是は仲間内の符牒のようなものである。 「まあ、左様弁解しないでも可いさ。」と言 0 て市川は岸て居たが、て決心の籠 0 た調子で、「僕は盛岡に逢 0 て つもり 本の顔を眺めたが、﨡て同のある語気で、「真実なんで見る積です。逢って何もかも話す積です。その積で今度出 掛けて来ました。」 すか、西京が君に懐剣を贈ったとか言うのは。」 「青木君、」と市川は振向いて言った。「奈何いうことに成 「ええ。」岸本の顔は紅くなる。 「如何いう積りで彼様いう物を君に贈 0 たのか、其を西京るでしよう、是方が盛岡に隧って見るとしたら。」 に聞いて見たいッて、しきりに岡見君が左様言って居まし「盛岡かい ? 」と青木は戯語のように、「そりゃあ君、岸 本君でなくッちゃあならないと言うに極ってるサ。」 たツけ。」 「ヒャヒャ。」市川は笑い転げた。 「あれは母親さんの形見なんだそうです。」 いまさら 「形見 ? ー今更のように市川は事の真相を看破したらしく うなず 七 点頭いた。「しかし、君も非常な難局に立ったものさ。」 青木は瞑想的な眼付をしながら、若い友達の談話に耳を 岸本は黙って爪を噛んで居る。 たか 「まあ、聞ぎたまえ。」と市川は言葉を続けた。「あれから傾けた。彼が今、背負って居る重荷は、群って集って他か 岡見君が盛岡を呼寄せて、何とか貴方も心を決しなければら無理に背負わせられたようなものではない。彼の早い結 成りますまい、実は岸本君はこれこれです、と言 0 て聞か婚は決して強られた儀式ではなかった。細君の操を迎える むし に就いては両親は寧ろ反対した位である。操は実に彼の恋 せたという話サ。」 また 女房である。二人が耶蘇の会堂へ急いで、そこで結婚の式 例の符牒が復出て来た。 目いかに相思の情の濃やかであったかというこ 「すると、盛岡が対手の名前を聞きますから、」と市川はを挙げる蔔、 手真似をして見せて、「それは貴方が日頃姉さんのようにとは、斯う青木が白状して居るので知れる。 1 思ってる人です、と言ったんだそうです。西京と聞いた時「もし我が彼女に会わぬ前の事を思えば、侘しげなる野中 さかだ の松に風の当り易きがごとく、世の事物に感触すること多 は、流石の盛岡も柳眉を逆立てたという話でしたツけ。」 これ さすが それ こも わび ひと

6. 現代日本の文学5:島崎藤村 集

く思出すことが出来る。 彼は痴人の模倣に心を砕いた。それを自分の身に実現そう のち 持って生れて来た丈の命の芽は内部から外部へ押出そと試みた。 うとはしても、まだまだ世間見ずの捨吉の胸はあたかも強「天秤棒 ! 」 烈な日光に萎れる若葉のように、現実のはげしさに打ち震どうかすると期様な言葉が冷かし半分に生徒仲間の方か えた。彼はまたある特種の場合を思出すことが出来る。つら飛んで来る。誰かそれを不意と思出したように。岸本は としした * いかけ い田辺の家の近くに住んでよく往来を眺めて居る女の白く年少なくせに出過ぎて生意気だというところから、「鋳掛 塗った顔は夢の中にでも見つけるような不気味なものであ屋の天秤棒』という綽名を取って居た。以前はそれを言わ った。毎日夕方からお湯に入りに行くことを日課にして居れるとーーー殊に高輪の通りで知った人の見て居る前では てがらたま かなり るその女の意気がった髪に掛けた青い色の手絡は堪らなく 可成辛かった。もう左様いう時は過ぎた。「白ばくれ おかばれ 厭味に思うものであった。その女が自分の大事な兄に岡惚るない」とでも呼んで通る人の前へ行くと、殊に彼は馬鹿 ~ らめ、 して居るという話を調戯半分に田辺の姉さん達から聞かせげた顔をして見せた。そして、胸に迫る悲しい快感を味お られてもーー・兄は商法の用事で小父さんの家へよく出入しうとした。 いろ tJ と たからーーでも彼は大人の情事なそという左様いうことに 学校のチャ・ヘルへ上っても、教室へ行っても、時には喪 対して何処を風が吹くかという顔付をして居た。「捨さん、 心したように黙って、半分死んだような顔をして居ること お前さんもよっ・ほど変人だよ」と田辺の姉さんに笑われが有った。以前は彼の快活を愛したエリス教授も、最早一 ころ あ込ら て、彼はむしろある快感を覚えたことを思出すことが出来頃のように忠告することすら断念めて、彼が日課を放擲す る。 るに任せた。「ほんとに岸本さんも変ったのね」とか、「ま かっ それを彼は高輪の方でも応用しようとした。曽て一緒にあ岸本さんは奈何なすったの」とか、女学校の方の生徒達 そろ 茶番をして騒いだ生徒にも。曽て揃いの洋服を造って遊んにまで言われるように成った。思い屈したあまり、彼はど だ連中にも。曽て逢うことを楽みにした繁子や、それからうかすると裸体で学校のグラウンドでも走り回りたいよう き - っ力い 彼女の教えて居る女学校の生徒達にも。曽て「岸本さん、 な気を起して、自分で自分の狂じみた心に呆れたことも 岸本さん」ともてはやして呉れた浅見先生の教会の人達にある。 きらがい も。「狂人の真似をするものは矢張狂人だ。馬鹿の真似を期ういう中で、捨吉は一一人の友達に心を寄せた。相変ら するものは矢張一種の馬鹿だ。」この言葉は彼を悦ばせた。ず菅は築地の家の方から通学して居た。足立が寄宿舎生活 しお だけ とくしゅ よろこ はだか こん あだな あき あらわ ひと

7. 現代日本の文学5:島崎藤村 集

傘のうち ムたり 一一人してさす一張の かさ 傘に姿をつゝむとも なさけ 情の雨のふりしきり かわく間もなきたもとかな 顔と顔とをうちよせて あゆむとすればなっかしゃ 福の油黔の かさ 乱れて匂ふ傘のうち ひとあめ 恋の一雨ぬれまさり ぬれてこひしき夢の間や 染めてそ燃ゆる紅絹うらの 雨になやめる足まとひ 歌ふをきけば梅川よ なさけ しばし情を捨てよかし いづこも恋にれて それ忠兵衛の夢がたり ひとはり こひしき雨よふらばふれ 秋の入日の照りそひて かさ 傘の涙を乾さぬ間に 手に手をとりて行きて帰らじ 秋風の歌 さびしさはいっともわかぬ山里に 尾花みだれて秋かぜそふく しづかにきたる秋風の 西の海より吹き起り 舞ひたちさわぐ白雲の 飛びて行くへも見ゆるかな ゅふかげ 暮影高く秋は黄の 桐の梢の琴の音に そのおとなひを聞くときは 風のきたると知られけり ゅふべ西風吹き落ちて あさ秋の葉の窓に入り あさ秋風の吹きよせて うづら ゅふべの鶉巣に隠る にしかぜ

8. 現代日本の文学5:島崎藤村 集

いかえり 次のようなことを私に語って聞かせた。「もと、越後の酒の長いのに苦むとか。私は学校の往還に、懐古園の踏切を にわ 造で、倉番した人ということで御座います。遽かに出世致通るが、あの見張番所のところには、ポイント・メンが独 おな しまして、ここの駅長さんと御成んなさいました。あるりでポツンと立って居るのをよく見かける。 がかり よどうしゅびん 時、電信掛の技手に向い、葡萄酒壜の貼紙を指しまして、 路傍の雑草 どうだ君に期の英語が読めるかと左様申しました。読める おご ゅ、かえり なら一升奢ろうというんで御座います。その駅長さんの無学校の往還にーーすべての物が白雪に掩われて居る中で あた まるまらがお 学なことは技手も承知して居りましたから、わざと私には 日の映った石垣の間などに春待顔な雑草を見つけるこ 読めません、貴方一つ御読みなすって下さい、それこそ私とは、私の楽みに成って来た。長い間の冬籠りだ。せめて が酒でも斯の葡萄酒でも奢りますからと申しました。フム路傍の草に親しむ。 こん むき へり 左様か、君はよく期様なものが読めなくて鉄道が勤まる南向きもしくは西向の桑畠の間を通ると、あの葉の縁だ ネ、そんな話でその場は分れて了いました。技手はもし譴け紫色な『かなむぐら」がよく顔を出して居る。『車花』 したこころ 責でもされたら酒にかこつける下心で、すこし紅い顔をしともいう。あの車の形した草が生えて居るような土手の雪 きっ て駅長さんの前に出ました。先刻は大きに失礼致しまし間には、必と『青はこべ」も蔓いのたくって居る。「青は はばかなが た、憚り乍ら期様なものは英語のイロ ( だ、皆さんも聞いこべ』は百姓が鶏の雛に呉れるものだと学校の小使が言っ て下さい。斯の貼紙には期う云ことが書いてあると言う た。石垣の間には、スプウンの形した紫青色の葉を垂れた て、ペロペロと読んで聞かせました。ウン左様かい、左様『鬼のはばき」や、平・ヘったい肉厚な防寒服を着たような なるど よもぎ その チいうことが書いてあるのかい、成程君はエライものだ、左「きしゃ草』なぞもある。蓬の枯れたのや、其他種な雑 様いう学力があろうとは今迄思わなかった : : : 」 草の枯れ死んだ中に、細く短い芝草が緑を保って、半ば黄 ケ かれがれ ス斯様な口論の末から駅長と技手とはすべて反対に出るよに、半ば枯々としたのもある。私達が学校のあるあたりか うに成った。間もなくその駅長は面白くなくて、小諸を去ら士族屋敷地へかけては水に乏しいので、到るところに細 曲ったとか。 い流を導いてある。その水は学校の門前をも流れて居る。 線路の側に立って居るポイント・メンこそは期の山の上そこへ行って見ると、青い芝草が残って、他の場所で見る 四で寂しい生活を送る移住者の姿であろう。動めの時間は一一よりは生々として居る。 昼夜に亙って、それで一日の休みにありつくという。労働奈何いう世界の中に是等の雑草が顔を出して、中には極 せ、 わた あなた これ にくあっ おお

9. 現代日本の文学5:島崎藤村 集

し を洗うこと、蜘蛛の巣を払うこと、為ようとさえ思えば為間から濁った藍色の水が流れた。 まわり むし ま どみとり 1 ることは何程でも出て来た。家の周囲に生える雑草は毟っ捨吉はすごすごと井戸端を通りぬけ、復た芥取を提げて ても毟っても後から後からと頭を擡けつつあった。捨吉は草むしりを仕掛けて置いた門前の方へ行った。 表門の外へも出て見て、竹がこいの垣の根にしやがみなが憂鬱ーー一切のものの色彩を変えて見せるような憂鬱が ら草むしりに余念もなかった。 早くも少年の身にやって来たのは、捨吉の寝巻の汚れる頃 ちょうど むし 井戸端には房州出の若い下女が働いて居た。丁度捨吉が からであった。何もかも一時に発達した。丁度彼が毟って 、ざ ごみばこ なか じべた 芥取を手にして草の根を捨てに湯殿の側の塵溜箱の方へ通居る草の芽の地面を割って出て来るように、彼の内部に萌 ろうとすると、じっとしては居られないようなお婆さんもしたものは恐ろしい勢で溢れて来た。髪は濃くなった。頬 ど ながしもと 奥の方から来て勝手口のところへ顔を出した。その流許は熱して来た。顔の何の部分と言わず癢い吹出ものがし おさ て、膿み、腫れあがり、そこから血が流れて来た。制えが で、お婆さんは腰を延ばしながら一寸空を眺めて見て、 「ああ、今日も好い御天気だ」という顔付をした。 たく若々しい青春の潮は身体中を馳けめぐった。彼は性来 たとえ 「捨さん、御洗濯物があるなら、ずんずん御出しなさい の臆病から、仮令自分で自分に知れる程度にとどめて置い さげすあなど よ。期の天気だと直ぐに乾いちまう。」 たとは言え、自然を蔑視み軽侮らずには居られないような ほしいまま とお婆さんは捨吉を見て言って、その眼を井戸端の下女放肆な想像に一時身を任せた。 たら、 の方へ移した。御主人大事と勤め顔な下女は大きな盥を前 期ういうことが、優美な精神生活を送った人達の生涯を はだし にひかえ、農家の娘らしい腰巻に跣足で、甲斐甲蛩しく洗慕う心と一緒になって起って来た。捨吉は夏期学校の催し 濯をして居た。捨吉が子供の時分から、「江戸は火事早いを思いやり、その当時としては最も進んだ講演の聞かれる よ」なぞと言って聞かせて居るお婆さんだけあって、捨吉楽みを思いやって、垣の根に蔓った草をせっせと毟った。 の身のまわりのことにも好く気をつけて呉れた。夏期学校葉だけ短かく摘み取れるのがあった。土と一緒に根こそぎ じゅばん の方へ出掛けると聞いて、汗になった襦袢や汚れた紺足袋ボコリと持上って来るのもあった。 の洗濯まで心配して呉れた。 「御隠居様、斯の御寝衣はいくら洗いましても、よく落ち ねまき 「捨さんの寝衣は。」 ません。」 あたり とお婆さんは下女に尋ねた。下女は盥の中の単衣を絞っ と下女が物干竿の辺で話す声は垣一つ隔てて捨吉のしゃ てお婆さんに見せた。それが絞られる度に捩じれた着物のがんで居るところへよく聞えて来た。 ごみとり らよっと たびね か うしお はびこ かゆ

10. 現代日本の文学5:島崎藤村 集

と青木は立止って言った。 こんな 右訳歌 「だって期様に行きたがるんですもの。」と操は背中に居 る児の顔を夫に見せて、「さあ、鶴ちゃん、父さんと一緒 ムかうみ 「捲き返れ、深海の青海よ いざや捲け、 に行ってらッしゃい。」 ちょろづ いくさぶね 千万の軍艦きほふともあだなりや、 鶴子は父に抱かれたいような様子をした。 くが くつが 陸をしも人の手は覆へせーーーそのカ 「困るなあーー友達が居るじゃないか。」と青木は妙なと おほわだ ころへ理屈を付けて、無理にも妻へ押付けようとした。 この岸に劃られぬ、大和田の原の上を いさを 「子供はお前に頼む。」 破れの屑漂ふぞ汝が功、こゝにして 「父さん・ーー」 人間の暴虐は影もなく、そが嘔さへ、 あとひとしづく 期う操は操で頼むように言う。 束の間に滅えてゆく雨の痕の一滴、 、・ようし うたかた 泣慕う鶴子の声を聞捨てて、青木は逃げるように漁夫の 空像の命こそ汝が底にしづみゆけ、 どっら ひつぎはた 家の角を曲った。岸本は何方へ加勢をして可か解らなかっ 鐘の音も棺も将や墓もなき秘密の淵に。」 ( 蒲原有明氏訳 ) 砂を踏んで松のあるところへ出ると、一一人は最早朝の光 期の歌を歌って、青木は岸本と一緒に海の方へ行こうとの中にあった。海は目映しいほど輝いた。二人とも血気壮 した。行って顔を洗おうと思った。翌朝のことである。 な時代のことで、顔を洗 0 たばかりでは済まされない。 こころもら 新鮮な屋外の空気は幾分か青木に鰰るような心地を与て衣服を砂の上に脱捨てて置いて、ザ・フリと海の中へ飛込 えた。汽車道は期の寺の境内を無遠慮に横断して居るのんだ。彼等は押寄せて来る津に向って競争で泳いだ。 で、村へ出るには踏切を越さねばならない。石段を下り 二十九 る、また上る、そこに古い門がある。岡の尽きたところが おぶ 丁度寺の入口だ。操は子供を負って其辺まで随いて来た。 浪は高かった。ややもすると岸本は流されそうに成っ かいへん だけ 「父さん、鶴ちゃんが行きたがって居ますから、一緒に連た。青木の方は期の海辺に生れた丈あって、友達よりもよ く泳げる。彼の体力はまだまだ左様失望したものでもない れてッて下さいな。」 かんがえ 「俺に子供を預けたって困る。」 ということを思わせた。期の思想に力を得て、友達と一緒 こ 0 ーもの さかん