その貴い人間性のまへに汝等自身を裸体にせよ そして一人にせよ 汝一人の力にかへる事をせよ むやく 哀れなこの群集と群集との無益な争闘に対して 自然のいのちを思ふ事の無意味を知れ 汝等は道路にしかれる砂利の集団だ 汝等は偶然に生き、偶然に死に 缶に生き、張合に死に 又気質に生き、気質に死ぬ さめよ 一人にめざめよ 一人の力を尊び 一人の意味をしのべ せうしん 汝等の焦心に何の値があらう 汝等の告白に何の意味があらう ああ、群集よ 夜の群集よ 又思想および芸術にかかる群集よ 群集を生命とする群集よ 程 空しき汝等一人の声に耳を向けよ 道きっかけに生き、提言に生きる事を止めよ 偶像の中にもぐり込む事を止めよ 四しらじらしい汝等の虚言を止めよ エフエメエル 群集によって押される浮動の潮流を蔑ろにせよ ないがし 婚姻の栄誦 ほめよ、たたへよ こんいん 婚姻のよろこびをうたへよ はなむこはなよめ 新郎と新婦と 手をとりて立てり 一人の実体にしみ通り 一人の根を深め 一人の地下泉を掘り出せよ 、みづ こんこんとして湧き上る生水を汲めよ 偶然はあとをたち 思ひっきは価値を失ひ 其処にこそ自然に根ざした人間はまろく立ち現はれるの 一人の力を尊び 一人の意味をしのべ むらがり、わめき、又無知の声をあげるかの人人よ 寒い風にてて光るあの大ぎな月をみよ 月は公園の黒い木立と摩して光る まんまろに皎然と光る ( 一九一四・ニ・
東海のト島 , のの自をに ををきぬれて 蟹とたはむる にったふ なみだのごはす ' 心の第を気しし人えしれず 第海にむかひて、人 をきなむし、一すと , 豕一当でこき いた、くびし」」ストルで 1 を、日こ 砂を指もてりてりに、 ・ : 、を : ・ 0 こ、 30 を
おほどかの心来れり あるくにも 腹に力のたまるがごとし ただひとり泣かまほしさに 来て寝たる 宿屋の夜具のこころよさかな 友よさは 乞食の卑しさ厭ふなかれ しか 餓ゑたる時は我も爾りき 新しきインクのにほひ 栓抜けば 餓ゑたる腹に沁むがかなしも かなしきは のど 砂喉のかわきをこらへつつ よぎむ の夜寒の夜具にちちこまる時 握 一度でも我に頭を下げさせし 人みな死ねと いのりてしこと こじ、 、た 我に似し友の一一人よ 一人は死に 一人は牢を出でて今病む あまりある才をきて 妻のため おもひわづらふ友をかなしむ 打明けて語りて 何か損をせしごとく思ひて 友とわかれぬ どんよりと くもれる空を見てゐしに 人を殺したくなりにけるかな 人並の才に過ぎざる わが友の 深き不平もあはれなるかな たれ 誰が見てもとりどころなき男来て 威張りて帰りぬ かなしくもあるか
134 呼子とロ笛 はてしなき議論の後 われらの且っ読み、且っ議論を闘はすこと、 しかしてわれらの眼の輝けること、 ろしあ 五十年前の露西亜の青年に劣らず。 われらは何を為すべきかを議論す。 こぶし されど、誰一人、握りしめたる拳に卓をたたきて、 'V NAROD!' と叫び出づるものなし。 われらはわれらの求むるものの何なるかを知る、 また、民衆の求むるものの何なるかを知る、 しかして、我等の何を為すべきかを知る。 実に五十年前の露西亜の青年よりも多く知れり されど、誰一人、握りしめたる拳に卓をたたきて、 'V NAROD!' と叫び出づるものなし。 此処にあつまれるものは皆青年なり、 常に世に新らしきものを作り出だす青年なり。 われらは老人の早く死に、しかしてわれらの遂に勝つべ きを知る。 見よ、われらの眼の輝けるを、またその議論の激しきを。 されど、誰一人、握りしめたる拳に卓をたたきて、 'V NAROD!' と叫び出づるものなし。 ああ蝋燭はすでに三度も取り代へられ、 飲料の茶碗には小さき羽虫の死骸浮び、 若き婦人の熱心に変りはなけれど、 その眼には、はてしなき議論の後の疲れあり。 されど、なほ、誰一人、握りしめたる拳に卓をたたきて、 'V NAROD!' と叫び出づるものなし。 ( 一九一一・六・一五 ) ココアのひと匙 われは知る、テロリストの
らしてはいって行った。中には人がいつばいで、そのまん て、よろしい、しゅう、とはいったいなんだ。」 しようぎ い、小さな人が床几に座り、しきりに一人の ところが・ハーユー将軍は、そんなことには構わない。そ中に先生らし 眼を診ている。 こらをうろうろあるいている、病人たちをはね越えて、 の前まで上っていた。なるほど門のはしらには、小医リン 「ひとっこっちをたのむのじゃ。馬から降りられないでの ー先生と、金看板がかけてある。 う。」そう将軍はやさしくいった。 ところがリン・ハー先生は、見向きもしないし動きもしな 三リン。 ( ー先生 やつばりじっと眼を見ている。 さてソン・ハ ーユー将軍は、いまやリン・ ( ー先生の、大玄「おい、きみ、早くこっちを見んか。。将軍が怒鳴り出し たので、病人たちはびくっとした。ところが弟子がしずか 関を乗り切って、どしどし廊下へ入って行く。さすがはリ へやと . ぐしー ンパー病院だ、どの天井も室の扉も、高さが、一一丈ぐらい ある。 「診るには番がありますからな。あなたは九十六番でいま 「医者はどこかね。診てもらいたい。 」ソン将軍は号令し六人目ですから、もう九十人お待ちなさい。」 「黙れ、きさまは我輩に七十二人待てっというか。おれを ーユーだ。九万人もの兵隊 「あなたは一体何ですか。馬のまんまで入るとは、あんま誰だと考える。北守将軍ソン・ハ もえぎ り乱暴すぎましよう。」萌黄の長い服を着て、頭を剃ったを、町の広場に待たせてある。おれが一人を待っことは七 万二千の兵隊が向うの方で待っことだ。すぐ見ないならけ 一人の弟子が、馬のくつわをつかまえた。 むら 「おまえが医者の丿ノ・、 ー、 , ーか、早くわが輩の病気を診ろ。」ちらすぞ。」将軍はもう鞭をあげ馬は一いきはねあがり、 リンパー先生は、向うの室に居られます。けれ病人たちは泣きだした。ところがリン。 ( ー先生は、やつば りびくともしていない、てんでこっちを見もしない。その どもご用がおありなら、馬から下りていただきたい。」 あや かびん 「いいや、そいつができんのじゃ。馬からすぐに下りれた先生の右手から、黄の綾を着た娘が立って、花瓶にさした ら、今ごろはもう王様の、 間へ行ってた筈なんじゃ。」 何かの花を、一枝とって水につけ、やさしく馬につきつけ 「ははあ、馬から降りられない。そいつは脚の硬直だ。そた。馬はばくっとそれを噛み、大きな息を一つして、べタ ンと四つ脚を折り、今度はごうごういびきをかいて、首を んならいいです。おいでなさい。」 弟子は向うの扉をあけた。ソン将軍はばかばかと馬を鳴落してねむってしまう。ソン将軍はまごっいた。
0 かなしや人はみな情をば売る ロのさきにて売る あれも、これも 恐ろしき舌をかくして売る 0 つくづく見れば厭な顔 家で思へば好いた顔 髪の黒さよ 0 われは気違ひぞとよ 夢みるゆゑに気違ひぞとよ おもふこと取りとめなければ 悪しきこと人の前にて言へば おのが絵をも破り ののし 友をも罵り わきてみづからを軽しむる故に われは気ちがひぞとよ 0 まっげ 長き睫毛の反りかたも 人が人に似たればなっかし ふと異国の言葉を語れよかし 0 生れてより眼に見えぬただ一人を恋ふ うち かろ さまざまの人を慕ひて ただ此の一人の影を追ひける 0 女よ、高ぶるなかれ あたひ 高ぶる値あればこそ高ぶるなかれ いかなる男かその値を非せむ 0 読みてゆけばつねのこと ただならず見えし君の手紙も 0 知らぬ顔のうまき少女よ いまひと足なれば 知りて驚かぬゃうなれかし 0 酔へる人のうつくしさよ 酔へる真似する人の醜さよ カフェの食卓ぞ滑稽なる 0 八重次の首はヘちまにて ( ひな 小雛の唄は風鈴にて かご さてもよ、がちゃがちゃ虫の籠は 「プランタン」てね、轡虫の竹の籠 0 女の涙をののしりて くつわむし なみ
明治四十一年夏以後の作一千余首中より五百五十一首を抜き てこの集に収む。集中五章、感興の来由するところ相邇ぎを たづねて仮にわかてるのみ。「秋風のこころよさに」は明治 四十一年秋の紀念なり。 我を愛する歌 * とうかい 東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる 函館なる雨宮崎大四郎君 頬にったふ 同国の友文学士花明金田一京助君 なみだのごはず いらあく この集を両君に捧ぐ。予はすでに予のすべてを両君の前に 一握の砂を示しし人を忘れず 示しつくしたるものの如し。従って両君はここに歌はれた る歌の一一につきて最も多く知るの人なるを信ずればな大にむかひて一人 ななやうか 砂 七八日 のまた一本をとりて亡児真一に手向く。この集の稿本を書肆泣ぎなむとすと家をでにき 握の手に渡したるは汝の生れたる朝なりき。この集の稿料は 汝の薬餌となりたり。而してこの集の見本刷を予の閲した いたく錆びしビストル出でぬ るは汝の火葬の夜なりき。 砂山の 著者 砂を指もて掘りてありしに 一握の砂 しか かに
激論 笛 ロ AJ 呼われはかの夜の激論を忘るること能はず、 新しき社会に於ける ' 権力 . の処置に就きて、 はしなくも、同志の一人なる若き経済学者 Z と われとの間に惹き起されたる激論を、 かなしき心を 言葉とおこなひとを分ちがたき ただひとつの心を、 奪はれたる言葉のかはりに おこなひをもて語らむとする心を、 われとわがからだを敵に擲げつくる心を まじめ しかして、そは真面目にして熱心なる人の常に有つかな しみなり。 はてしなき議論の後の 冷めたるココアのひと匙を駸りて、 したざは そのうすにがき舌触りに、 われは知る、テロリストの かなしき、かなしき心を。 すす ( 一九一一・六・一五 ) わた かの五時間に亘れる激論を。 ' 君の言ふ所は徹頭徹尾煽動家の言なり。 かれは遂にかく言ひ放ちき。 その声はさながら咆ゆるごとくなりき。 テエプル 若しその間に卓子のなかりせば、 かれの手は恐らくわが頭を撃ちたるならむ。 われはその浅黒き、大いなる顔の みなぎ 男らしき怒りに漲れるを見たり。 五月の夜はすでに一時なりき。 或る一人の立ちて窓をあけたるとき、 Z とわれとの間なる蝋燭の火は幾度か揺れたり。 病みあがりの、しかして快く熱したるわが頬に、 雨をふくめる夜風の爽かなりしかな。 さてわれは、また、かの夜の、 われらの会合に常にただ一人の婦人なる のしなやかなる手の指環を忘るること能はず・ ほっれ毛をかき上ぐるとき、 しん、 また、蝋燭の心を截るとき、 そは幾度かわが眼の前に光りたり。 しかして、そは実に Z の贈れる約婚のしるしなりき。 されど、かの夜のわれらの議論に於いては、
ロンドンで光太郎にあい、明治四十二年来日。「白樺」同人と一 0 一シュトラウスの毒毒しい 親しく交わった。 「サロメ」の一シーンのこと。 一茜チェルジイロンドンの郊外の地名。この地に、リーチ一 0 一一枚絵一枚刷りの飾絵。 光太郎も下宿していた。 一会グロキシニア・フラジルで産する花の名。智恵子が光太郎に 一豊広重歌川 ( 安藤 ) 広重 ( 1797 ~ 1858 ) 。江戸時代の浮世絵 アト丿工完成のお祝いに持ってきたもの。 師。 ベルギーの詩人ヴェルハアランについ 一会ルハアランも : 一契雷門のよか楼・ハンの会なども催された浅草の西洋料理店。 ては、光太郎が、強く影響を受け、その詩を訳したり、評伝を 光太郎もよく通ったところ。 書いたりしている。ドナテロは、ルネッサンスの頃のイタリア 一契定見世ここでは常設の見世物小屋の意。 の彫刻家。デュウゼは、イタリアの女優。マリイ・アントアネ 一名口ム・ハルヂアイタリアの北部の平原地帯をいう。 ットは、フランスのルイ十六世の王妃。仏御前は、平清盛の寵 一天咫尺きわめて近い距離のこと。 愛を受けた女性で、のち仏門に入る。 一芫かはたれ時薄暗くなって「彼は誰れ」と識別しにくくなる一会友の妻画家柳敬助の妻八重。長沼智恵子の女子美術の先輩。 時期。夕方、明け方、の両方に使う。 一小笠原の礼小笠原流の礼儀作法のこと。 石九亡霊ここでは、デンマークの王子 ( ムレットの父。弟のク一翁人に初出の「劇と詩」では「 z ーー・女史に」。長沼智恵子 戸ーディアスに殺され、亡霊となってハムレットの前に現われ をさす。 る。 一 0 不自然光太郎の強く嫌い、退けるもの。 一芫泥七宝あまり透明ではない七宝のこと。 一チシアン高貴な宗教画などをよく描いたイタリアの画家 一根がけ女の髪の後部にかける飾りもの。 ( 148 ~ 1576 ) 。 一合その値を非せむその値をよいかげんのものとしてないがし一公鶴巻町東京の早稲田より江戸川橋にかけての地名。 てんみら ろにしようか、それはできない。 一兊中清浅草馬道にある有名な天鉄羅屋。中川清五郎が主人。 一合八重次新橋の芸妓。のち、舞踊家藤蔭静枝となる・ 一兊ふうよんたん中国料理の一種か。 一合プランタン銀座裏にあったカフ = ーの名。耽美派の人びと一兊高等遊民ここでは、無為徒食のインテリの群れを皮肉にい がよく行った。 ったもの。 l<l たてひきたがいに意地をはりあう。意地ずく。 一兊道徳途 ( 塗 ) 説道で聞いたことをすぐまた受け売りをすること。 一 ^ = てれんてくだ手練手管。人をあやつるわざの巧妙なこと。一 ^ 九カフェ・ライオン銀座四丁目の角にあったカフ = 。築地精 一全アントルコオト肩ロース肉。 養軒が経営し、多くの人に親しまれていた。 一公一ポンム・ド・テル馬鈴薯。 一兊新訳源氏物語与謝野晶子が訳したもの。 なみ シュトラウスが作曲した歌劇
江戸下町の職人の気風をもっこの家で、手厚い母の宗教、ことに臨済褝によ「て、光太郎の思索にその存 被護のもとに、少年光太郎は折目正しい、一面まけん在の根源を問う強い衝動をあとづける。 気の感じやすい青年に成長していった。自由民権思想 の退潮のあと、日清戦争をはさんで、青年一般をとら えていたのは人生 ~ の懐疑、宗教、倫理の問題であ「十年の予定を四年できりあげ、光太郎が米欧留学の た。「巌頭の感」を書いて滝に身を投じた藤村操や「見神旅から帰「たのは、明治四十一一年の夏だ「た。彫刻修 の実験」を叫んだ綱島梁川を生むそんな時代精神に、 業の留学とい「ても、アメリカでは働きながらの苦学 光太郎もまた育てられる。親のあとを継いで彫刻の道生、その後は農商務省のわずかな給費生。 = 、ーヨー に入ることは、あたりまえのように決「ていた。あらクでは日本的倫理感を手荒く引きはがされ、ロンドン ゆる知識への渦巻く渇望。職人に学問はいらないとい ではアングロナクソンの魂に触れ、フランス、あの ( う、父にかくれてのむさほるような読書も、美術学校で「はじめて彫刻を唐り、詩の真実に開眼され、そこ に入学する頃には公認される。 の庶民の一人一人に文化のいはれをみてとった。」 その青年に方向を与え、その情緒をはじめに開花さ ( 『暗愚小伝』 ) せたのは新詩社への加入であった。明治一二十三年十月 その四年間に光太郎がとらえたものは、人間が人間 『明星』に確雨の名で、短歌五首が掲載される。主として生きる伝統の中での、実感としての生の確認。 宰者鉄幹の朱筆は原形をとどめぬほどに加えられたと人間が全存在をかけて進む実践 ~ の意慾、そのための しても、「われらの詩は : : : われらの詩なり、 : われ強烈なポテンシャル。ひげをたくわえ、高いカラーに ら一人一人の発明したる詩なり」と宣一言するこの結社身を装い、大逆事件前夜の日本に、異邦人のように帰 の中で、光太郎の眼はひろくはるかな世界にひらかれ、「て来た光太郎の、心の中に燃えていたのは、「人間と 人間のいのちに目ざめる。そしてそれは、この国でもして生きたい」という火のような思しオオ ) ・こっこ。古いム間 最も早いものの一つといって、 しいロダン彫刻の発見と理のしがらみの中で、以後、解放された人間として生 あいま「て、光太郎の来たるべき米欧体験のために確きることは、光太郎の最も熾烈な願望となる。 かな準備をととのえる。しかも一方、東洋は、史書や半世紀に及ぶ光太郎の詩作が、いまもいきいきと売 428