眼 - みる会図書館


検索対象: 現代日本の文学6: 石川啄木 高村光太郎 宮澤賢治 集
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1. 現代日本の文学6: 石川啄木 高村光太郎 宮澤賢治 集

けれども牛は馬鹿に敏感だ 三里さぎのけだものの声をききわける 最善最美を直覚する 未来を明らかに予感する 見よ 牛の眼は叡智にかがやく その眼は自然の形と魂とを一緒に見ぬく 形のおもちやを喜ばない 魂の影にせられない うるほひのあるやさしい牛の眼 まっ毛の長い黒眼がちの牛の眼 永遠を日常によび生かす牛の眼 牛の眼は聖者の眼だ 牛は自然をその通りにちっと見る 見つめる ぎよろきよろときよろっかない 眼に角も立てない 牛が自然を見る事は牛が自分を見る事だ 外を見ると一緒に内が見え 程 内を見ると一緒に外が見える 道これは牛にとっての努力ぢゃない 牛にとっての当然だ そしてやつばり牛はのろのろと歩く 牛は随分強情だ かど けれどもむやみとは争はない 争はなければならない時しか争はない ふだんはすべてをただ聞いてゐる そして自分の仕事をしてゐる いのら 生命をくだいて力を出す 牛の力は強い しかし牛の力は潜力だ 弾機ではない ねちだ 坂に車を引き上げるねちの力だ 牛が邪魔者をつつかけてはねとばす時は てぎは きれ離れのいい手際だが 牛の力はねばりつこい トレアドル 邪悪な闘牛者の卑劣な刄にかかる時でも やり 十本一一十本の鎗を総身に立てられて よろけながらもつつかける つつかける 牛の力はかうも悲壮だ 牛の力はかうも偉大だ それでもやつばり牛はのろのろと歩く 何処までも歩く 歩きながら草を食ふ 大地から生えてゐる草を食ふ そして大きな体を肥す こや

2. 現代日本の文学6: 石川啄木 高村光太郎 宮澤賢治 集

138 げにさなり、すわり心地のよき椅子も。 この幾年に幾度も思ひしはこの家のこと、 思ひし毎に少しづっ変へし間取りのさまなどを 心のうちに描きつつ、 ラムプの笠の真白きにそれとなく眼をあつむれば、 その家に住むたのしさのまざまざ見ゆる心地して、 泣く児に添乳する妻のひと間の隅のあちら向き、 そを幸ひとロもとにはかなき笑みものぼり来る。 さて、その庭は広くして、草の繁るにまかせてむ。 夏ともなれば、夏の雨、おのがじしなる草の葉に 音立てて降るこころよさ。 またその隅にひともとの大樹を植ゑて、 白塗の木の腰掛を根に置かむ 雨降らぬ日は其処に出て、 ヂ・フト かの煙濃く、かをりよぎ埃及煙草ふかしつつ、 四五日おきに送り来る丸善よりの新刊の 本の頁を切りかけて、 食事の知らせあるまでをうつらうつらと過ごすべく、 また、ことごとにつぶらなる眼を見ひらきて聞きほるる 村の子供を集めては、いろいろの話聞かすべく : はかなくも、またかなしくも、 そへち いっとしもなく若き日にわかれ来りて、 月月のくらしのことに疲れゆく、 都市居住者のいそがしき心に一度浮びては、 はかなくも、またかなしくも、 なっかしくして、何時までも棄つるに惜しきこの思ひ、 そのかずかずの満たされぬ望みと共に、 むな はじめより空しきことと知りながら、 なほ、若き日に人知れず恋せしときの眼付して、 妻にも告げず、真白なるラムプの笠を見つめつつ、 ひとりひそかに、熱心に、心のうちに思ひつづくる。 ( 一九一一・六・ニ五 ) 行機 あをぞら 見よ、今日も、かの蒼空に 飛行機の高く飛べるを。 給仕づとめの少年が たまに非番の日曜日、 肺病やみの母親とたった二人の家にゐて、 ひとりせっせとリイダアの独学をする眼の疲れ : 見よ、今日も、かの蒼空に

3. 現代日本の文学6: 石川啄木 高村光太郎 宮澤賢治 集

242 おれは金網をちやりんと叩く。 身ぶるひーーーさうして 大鷲のくそまじめな巨大な眼が やり 鎗のやうにびゅうと来る。 つのげ 角毛を立てて俺の眼を見つめるその両眼を、 俺が又小半時じっと見つめてゐたのは、 冬のまひるの人知れぬ心の痛さがさせた業だ。 鷲よ、ごめんよと俺は言った。 この世では、 見る事が苦しいのだ。 見える事が無残なのだ。 くわんば 観破するのが危険なのだ。 およどこ 俺達の孤独が凡そ何処から来るのだか、 このつめたい石のてすりなら、 それともあの底の底まで突きぬけた青い空なら知ってる ・こ《り . う -0 雷獣 焔硝くさいのはい、。 空気をつんざく雷の太鼓にこをどりして、 天から落ちてそこら中をかけずり廻り、 えんせう わざ はたざを ぎりきりと旗竿をかきむしって、 いち早く黒雲に身をかくすのはいい。 雷獣は何処に居る。 雷獣は天に居る。風の生れる処に居る。 とどろ 山に轟くハッパの音の中に居る。 弾道を描く砲弾の中に居る。 ねずみはなび 鼠花火の中に居る。 すす 牡丹の中に、柳の中に、薄の中に居る。 若い女の糸切歯のさきに居る。 さうして、どうかすると、 ほんとの詩人の額の皺の中に居る。 ぼろぼろな駝鳥 だて , 何が面白くて駝鳥を飼ふのだ。 動物園の四坪半のぬかるみの中では、 おほまた 脚が大股過ぎるちゃないか。 頸があんまり長過ぎるぢゃないか。 雪の降る国にこれでは羽が・ほろ・ほろ過ぎるちゃないか。 腹がヘるから堅・ハンも食ふだらうが、 駝鳥の眼は遠くばかり見てゐるちゃないか・ 身も世もない様に燃えてゐるちゃないか。 くび しわ ( 一九一一六・六・

4. 現代日本の文学6: 石川啄木 高村光太郎 宮澤賢治 集

たれだってみんなぐるぐるする ( ギルちゃんまっさをになってすわってゐたよ ) ( 耳ごうど鳴ってさつばり聞けなぐなったんちゃい ) ( こおんなにして眼は大きくあいてたけど さう甘えるやうに言ってから ・ほくたちのことはまるでみえないやうだったよ ) たしかにあいつはじぶんのまはりの ( ナーガラがね眼をじっとこんなに赤くして 眼にははっきりみえてゐる だんだん環をちひさくしたよこんなに ) なっかしいひとたちの声をきかなかった ( し環をお切りそら手を出して ) にはかに呼吸がとまり脈がうたなくなり ( ギルちゃん青くてすきとほるやうだったよ ) それからわたくしがはしって行ったとき ( 鳥がねたくさんたねまきのときのやうに あのきれいな眼が ばあっと空を通ったの - もと なにかを索めるやうに空しくうごいてゐた でもギルちゃんだまってゐたよ ) あめ それはもうわたくしたちの空間を一一度と見なかった ( お日さまあんまり変に飴いろだったわねえ ) ( ギルちゃんちっとも・ほくたちのことみないんだものそれからあとであいつはなにを感じたらう それはまだおれたちの世界の幻視をみ ・ほくほんたうにつらかった ) おれたちのせかいの幻聴をきいたらう ( さっきおもだかのとこであんまりはしゃいでたね わたくしがその耳もとで ( どうしてギルちゃん・ほくたちのことみなかったらう遠いところから声をとってきて そらや愛やりんごや風すべての勢力のたのしい根源 忘れたらうかあんなにいっしょにあそんだのに ) ばんしゃうどうき 万象同帰のそのいみじい生物の名を かんがへださなければならないことは ちからいつばいちからいつばい叫んだとぎ どうしてもかんがへださなければならない あいつは一一へんうなづくやうに息をした とし子はみんなが死ぬとなづける 白い尖ったあごや頬がゆすれて そのやりかたを通って行き ちひさいときよくおどけたときにしたやうな それからさきどこへ行ったかわからない あんな偶然な顔つきにみえた それはおれたちの空間の方向ではかられない けれどもたしかにうなづいた 感・せられない方向を感じようとするときは ネルギ

5. 現代日本の文学6: 石川啄木 高村光太郎 宮澤賢治 集

青い葉が出ても はなが咲いたよ 程 はなが散ったよ 道あま雲は馳けだし 蛙は穴からひょっこり飛び出す ゃあれやあれ はなが散ったよ 皿をたたいて にくらしい人肉をちっと噛みしめるこころよさ 白と赤との諧調に シュトラウスの毒毒しいクライマックス 見よ、見よ、皿に盛りたるヨハネの黒血を 銀のフォオクがきらきらと 君の睫毛がきらきらと どうせ一一人は敵同志、泣くが落ちちゃえ ナイフ、フォオクの並んで載った さても美しいビフテキの皿よ まっげ 赤鬚さん あかひげ 赤鬚さん、赤鬚さん あなたの眼玉はなぜ碧い あなたのお鼻はなぜ高い あをい眼玉に眼鏡をかけて たかいお鼻に玉の汗かいて 明治初年の一枚絵のやうに 鶴首つんだし 何見てまはる 赤鬚さんはなっかし、をかし 遠く、はるばる、とっとの奥を 夢の奥からちっと見てまはる あをい眼玉の赤鬚さん 舌は廻らずとも気のわかい 青い葉が出たよ 青い葉が出ても とんまな人からは便りさへないよ 女だてらに青い葉が出ても ゃあれ青い葉が出ても ちょいと意地を張ったよね あを

6. 現代日本の文学6: 石川啄木 高村光太郎 宮澤賢治 集

134 呼子とロ笛 はてしなき議論の後 われらの且っ読み、且っ議論を闘はすこと、 しかしてわれらの眼の輝けること、 ろしあ 五十年前の露西亜の青年に劣らず。 われらは何を為すべきかを議論す。 こぶし されど、誰一人、握りしめたる拳に卓をたたきて、 'V NAROD!' と叫び出づるものなし。 われらはわれらの求むるものの何なるかを知る、 また、民衆の求むるものの何なるかを知る、 しかして、我等の何を為すべきかを知る。 実に五十年前の露西亜の青年よりも多く知れり されど、誰一人、握りしめたる拳に卓をたたきて、 'V NAROD!' と叫び出づるものなし。 此処にあつまれるものは皆青年なり、 常に世に新らしきものを作り出だす青年なり。 われらは老人の早く死に、しかしてわれらの遂に勝つべ きを知る。 見よ、われらの眼の輝けるを、またその議論の激しきを。 されど、誰一人、握りしめたる拳に卓をたたきて、 'V NAROD!' と叫び出づるものなし。 ああ蝋燭はすでに三度も取り代へられ、 飲料の茶碗には小さき羽虫の死骸浮び、 若き婦人の熱心に変りはなけれど、 その眼には、はてしなき議論の後の疲れあり。 されど、なほ、誰一人、握りしめたる拳に卓をたたきて、 'V NAROD!' と叫び出づるものなし。 ( 一九一一・六・一五 ) ココアのひと匙 われは知る、テロリストの

7. 現代日本の文学6: 石川啄木 高村光太郎 宮澤賢治 集

* い、 呼吸すれば、 むねうち 胸の中にて鳴る音あり・ こがらし 凩よりもさびしきその音 ! 眼閉づれど、 むにうかぶ何もなし。 さびしくも、また、眼をあけるかな。 途中にてふと気が変り、 璉っとめ先を休みて、今日も、 き河岸をさまよへり。 悲 咽喉がかわき、 まだ起きてゐる果物屋を探しに行きぬ。 秋の夜ふけに。 悲しき玩具 くだものや で 遊びに出て子供かへらず、 取り出して おもちゃ 走らせて見る玩具の機関車。 本を買ひたし、本を買ひたしと、 あてつけのつもりではなけれど、 妻に言ひてみる。 旅を思ふ夫の心 ! 叱り、泣く、妻子の心 ! 朝の食卓 ! 家を出て五町ばかりは、 用のある人のごとくに 歩いてみたれどー 痛む歯をおさへつつ、 あかあか 日が赤赤と、 もや 冬の靄の中にのぼるを見たり。 いつまでも歩いてゐねばならぬごとき 思ひ湧き来ぬ、 深夜の町町。 まちまち

8. 現代日本の文学6: 石川啄木 高村光太郎 宮澤賢治 集

111 悲しき玩具 回診の医者の遅さよ ! 痛みある胸に手をおきて かたく眼をとづ。 医者の顔色をぢっと見し外に 何も見ざりき 胸の痛み募る日。 病みてあれば心も弱るらむ ! さまざまの 泣きたきことが胸にあつまる。 寝つつ読む本の重さに つかれたる 手を休めては、物を思へり。 今日はなぜか、 一一度も、三度も、 金側の時計を一つ欲しと思へり。 いっか是非、出さんと思ふ本のこと、 表紙のことなど、 妻に語れる。 、んがわ つの 胸いたみ、 みぞれ 春の霙の降る日なり。 薬に噎せて、伏して眼をとづ。 あたらしきサラドの色の うれしさに、 箸とりあげて見は見つれども 子を叱る、あはれ、この心よ。 熱高き日の癖とのみ 妻よ、思ふな。 運命の来て乗れるかと うたがひぬ 蒲団の重き夜半の寝覚めに・ たへがたき渇き覚ゆれど、 手をのべて りんご 林檎とるだにものうき日かな。 氷嚢のとけて温めば、 、た おのづから目がさめ来り、 からだ痛める。 かわ

9. 現代日本の文学6: 石川啄木 高村光太郎 宮澤賢治 集

年明けてゆるめる心 ! うっとりと しをすべて忘れしごとし。 のム 昨日まで朝から晩まで張りつめし あのこころもち 忘れじと思へど。 戸の面には羽子突く音す。 笑ふ声す。 去年の正月にかへれるごとし。 何となく、 今年はよい事あるごとし。 元日の朝、晴れて風無し。 腹の底より欠伸もよほし ながながと欠伸してみぬ、 今年の元日。 いつの年も、 似たよな歌を二つ三つ ムみ 年賀の文に書いてよこす友。 なん はねっ 正月の四日になりて あの人の 年に一度の葉書も来にけり。 世におこなひがたき事のみ考へる われの頭よ ! 今年もしかるか。 人がみな 同じ方角に向いて行く。 それを横より見てゐる心。 いつまでか、 かけがく この見飽きたる懸額を このまま懸けておくことやらむ。 ぢりちりと、 らふそく 蝋燭の燃えつくるごとく、 おほみそか 夜となりたる大晦日かな。 あをぬり 青塗の瀬戸の火鉢によりかかり、 眼閉ち、眼を開け、 時を惜めり。

10. 現代日本の文学6: 石川啄木 高村光太郎 宮澤賢治 集

ストライキ思ひ出でても 今は早や我が血躍らず ひそかに淋し 盛岡の中学校の ′ルコン 露台の てすりもいちど 欄干に最一度我を倚らしめ 神有りと言ひ張る友を 説きふせし みちばた かの路傍の栗の樹の下 西風に うらまるおほち 内丸大路の桜の葉 かさこそ散るを踏みてあそびき そのかみの愛読の書よ はや 今は流行らずなりにけるかな 石ひとっ 坂をくだるがごとくにも いた 我けふの日に到り着きたる うらや ) れ 愁ひある少年の眼に羨みき 小鳥の飛ぶを 飛びてうたふを 解剖せし 蚯蚓のいのちもかなしかり かの校庭の木柵の下 かぎりなき智識の欲に燃ゆる眼を 姉は傷みき 人恋ふるかと * そ膕うしょ 蘇峯の書を我に薦めし友早く しりぞ 校を退きぬ まづしさのため おどけたる手つきをかしと 我のみはいつも笑ひき は′、が・、 博学の師を 自が才に身をあやまちし人のこと かたりきかせし 師もありしかな ムわけ みみす ちし すす