ほしい。僕はこの世の中に食う為に働く人が一人でもい の労働者から労働を奪い、その代りに食を与えるにある れば、それはこの世の中のまだ完全でない証拠と思って と思う。我々は農夫と労働者のおかげで生きている。そ なんじかて すで いる。額に汗して汝の糧をつくるべしと云う時代は既に して我々の分まで労苦している。そしてその為に我々は はず 過ぎ去っているべぎ筈なのだと思っている。 労働の方には無資格になっている。我々の労働者に対す 先生は相変らず楽天家ですね。 る恐怖は、我々が彼等のように労働することが出来ない 先生僕は現世について云っているのでない。現世は汝の と云う点にある。彼等の貧しきを利用して彼等に不当の 糧の為には汝の一生を売るべしと云い兼ねない。現在そ ことをしている点にある。国家の為に社会主義や共産主 う云う境遇の人は幾らでもいる。しかしそれは社会の制義が害があるかどうかは別にする。又人類の進歩に向っ のろ てそれ等のものが害があるかないかは別にする。しかし 度がまだ成長し切っていないからだ。自分は労働を呪い はしない。しかし食うためにいやいやしなければならな兎も角我々が労働者になれないと云うことは我々の弱味 い労働は呪いたい。労働は人間が人間らしく生きるのに である。僕はその点、労働者には頭が上らない。 彼等は 必要なものとしてなら讃美する。その労働は男は男らし僕達の出来ないことをしている。子供の時からの教育が く、女は女らしくする労働で、人間を人間らしくする労違う。人類に必要欠くべからざる労働に対して、自分達 働でなければならない。労働という名は新しい時代に於 は何等の負担を持たないでいいように教育されている。 ては、中世における武士と云う名と同じく誇りある名で それは人類に対してもすまないことであり、又気のひけ 話なければならない。人々は強いられずに、名誉の為に、 ることである。自分は分業と云うことは認める。一個人 対 人類の為に労働をすると云う時代が来なければならな がどの労働も出来なければならないと云うことはない。 の て しかし何か人類が生きる為に必要な労働の分け前を幾分 。労働は享楽ではない、しかし人間としての誇りある 就 か分担してないことは弱味だ。それは今の社会の弱味 に務めだ。労働の価値は高まる。そして人々は喜びと人間 で、この弱味をなくして真の意味の万民平等に人々を教 の誇りをもって労働する。そう云う時代が来ることを自 し 育するのが、今後の為政者の、又教育家の務である。労 分は望んでいる。 新 働は少なくも一家族の問題ではない、一町村の問題だ。 先生は相変らず空想家ですね。 先生相変らず空想家だ。しかしそう云う時代が来ること社会の問題た。食うと云うことに於ては各人共通だ。だ は君も認めるだろう。僕は社会主義を恐れるものは、今から食う為には各人共に働くのが至当でもあり、好都合 いせいしゃ
332 でもある。そして各人協力して労力の負担を少なくし結とよりも有益なことである。 果を多くする為に頭も身体も資本もっかうべきである。 しかし先生、自分達の労働することを考えると考えも こんなことは自分が云う迄もないことだが、合理的の社のですよ。 会をつくる第一条件として必要だから述べる。しかしこ先生君はまだいいさ、身体がいいから。しかし僕なん じゅみよう う云う制度が実行される為には、各人が賢くなり、そし か、下手に労働を強いられたら寿命が縮まるし、自分の て共同の精神が発達する必要がある。教育の方針から段本職をする根気がなくなるだろう。しかし、それだけに 段そう云う風にかえてゆかなければならない。そして制 ある強迫観念を受けて、なお今の労働の分配の不公平を 裁が行きわたると同時に出来るだけ思いやりがゆきわた 思う。そして労働するのに不適当な人間をつくる今の教 らなければならない。そして動きのとれない法律ででは育の過失を知る。今、労働と云う言葉から受ける感じ ふぶんりつ なく、不文律で皆勇んでするのでなければならない。そと、今後の世界で労働と云う言葉のもっ内容とは、随分 して健康を尊重し、出来るだけ各自の才能を生かし、出違うにちがいない。我々は健全に人間らしい生活をする 来るだけ喜びを以って労働するように骨折らなければな為に労働が必要であると今云う人があっても、自分はそ らよ、。 れを認めるわけにはゆかない。自分は労働者を尊敬した い気さえしている、そして労働者は過度に労働をしてい 先生からそう云うお話は一度伺ったように思います。 先生もう何度も云ったかも知れない。しかしそう云う社るにかかわらず、わりに愉快に暮していると云うことを 認めるにしろ、今の労働者の労働を正しい、そして健全 会が出来る迄は社会上の不穏な空気は失われない。そし て若しこう云う議論に反対する人があれば、それは平等なものとは思えない。 わか と云うことを本当には知らない人だ。僕の考えが社会主先生、そんなことは判り切っています。 義に似ているかいないかそれは知らない。僕はこの主義先生それは判り切っている。しかし自分の云おうという ことをはっきりする為には、もう少しこの点をはっきり のことはまるで知らない。しかし兎も角自分の云ったこ とは当り前すぎる程、当り前のことで、もし人間の幸さしておきたい。自分の云いたいことは労働問題のこと ではない。人間が労働しない時間にはどう生きなければ 福、進歩、健全を望むなら、以上自分の云ったことは承 ならないかと云う問題だ。自分は人間としての本性の要 知しなければならない。 こまかいいろいろの面倒はある が、一日でも早くこの事を実行することは戦争をするこ求に従って、我々が最も人間らしい生活をするには、ど かく
とは人間が今より一歩進めば不可能なことではない。そみている。自分は良心に責められずに、すなわちするだけ 3 して人は何処の国に行っても、同じ義務と同じ権利を有のことをして、人類にとって何か有益なことをしてゆき むさぼ たいと思っている。今の自分は余りに他人の労力を貪っ する。先ず人間として生きる。そしてそれ以上に個人と て勝手なことをしすぎている。そして他人の不幸を傍観 して生きる。先ずこの世に生存する為に働く、そしてそ れ以上は自由に、自己に与えられている天与の素質を生することを強いられている。自分はこの世の不合理を利 いや 用して得をしすぎている。それでその罰を精神的にも生 かす。自分のしたいことをする。厭なことはしないでい やま 。金の力も自己の分からはみ出さない。すべての人は理的にも受けている。自分は疚しい気がしない日は一日 自分の精神をからっとさせる為に 自分の才を自由に発達させることが出来る。いきおい善もないと云ってい、。 たくさん も、この世の中が今より合理的にならなければならな い人が沢山出来、文明が進歩する。自分の云おうと思う 。四海は同胞だ、この精神がこの世を隅から隅まで照 ことはもう君には判ったことと思う。自分は他日もっと よく考えて、かかる国の国民の教育法や、法律や、道徳すことを理想とすることは人間として生れたものにとっ て義務である。この理想は実現出来ないと云うのは人間 や、宗教に就てかいて見たい。ただ自分の望みはすべて ぶじよく の人が最も人間らしく生きられるようにすることだ。そをつくったものを侮辱することだ。自分は真の経済学者 して自分の仕事はそういう世界の可能性と、そう云う世が出てその可能を示し、真の政治家が出てそう云う国に あこが 界に対する憧れを皆の内に植えつけることだ。他の事は今の社会を導く道を示すことを望んでいる。私有と公有 の関係、労働の義務と人口の関係、土地と労働の関係、 他の人に任せるより仕方がない。人知、及び人間によっ その他実際の問題は自分は他人にゆずる。ただ隣人に人 て発明されたいろいろの器械や、いろいろの薬を応用し 間として不健全な生活をさせて安心してはいられないの て人力をなるべく省き、労働の義務年限をなるべく縮少 が、吾人の義務である。そしてその義務を果して安心す し、そして各人をして自由にしたいことをさせ、人類の 為にある仕事をしたものには、その功を表彰する。自分るには、もう多くの人に云い古されたことではあろう あずか が、吾人が平等に労働の分配に与って、人間が人間とし の云うことはある人には空想に思えるであろう。しかし て生きるに必要欠くべからざるものは、ただにするにあ 本当に頭のいい人が出たら、この事の可能なることを知 るにちがいない。自分は人類に対する義務を果すと同時ることを明言する。それは不可能のこととは思えない。 に出来るだけ個人の自由を楽しむことが出来る時代を夢
うしたらいいかを考えたい。僕はすべての人が労働しな く、名誉なことになる。工場は共有のものとなり、人々 ければならないと云うのは、すべての人が労働する以上は其処で食う心配なく働く。男は男らしく。女は女らし の生活をしなければならないと思うからだ。人は。 ( ンの く。そして最もよく働くものには最も早き自由が来る。 みで生きることは出来ないと云うことを知る自分は、・ ( 一生の間に一人の人の働く義務量は定められて、其他は 、まま ンのみでやっと生きる人がこの世にいることを認めて済自由気儘に自分のしたいことが出来る。其処に初めて自 ましているわけにはゆかない。・ 労働にもいろいろある。 由があり、競争があってもい しかしともかく国民全 我々が生きる為に必要欠くべからざる労働と、そう必要体が健康を損ねないだけの衣食住は得られる。 のない労働とある。この必要欠くべからざる労働を一部労働の出来ない人はどうするのですか。 のん、 の人に分担させて他の人々が呑気にしているのは、今の先生それは身体の弱い人が徴兵にとられないように、ど 世ではやむを得ないことにしろ、正しいことではない。 んな労働をすら出来ない身体の人は労働しないでもい べんぎじよう しゃべ 自分は便宜上、日本と云う言葉を借りて饒舌るとする。 。又図抜けて一方に才能をもつ人も、労働しないで 日本人はすべて日本人であって、同胞である。我々は今も、なおその人の才能を研くことが、社会にとって有益 」もら・ 日の日本に必要な労働を日本人全体で引受けるとする。 な場合は労働をしないでもいい許可を貰うことも出来 そして体格や、土地の関係や、その人の趣味によって労る。医者と薬は病人にとってはただである。少なくも人 働の範囲をきめ、そしてなるべく器械を応用し、なるべ 間が人間らしく健全に生きる為に必要なものはすべてた 話く労働を健康にそして楽にするように骨折り、利欲や生だでなければならない。それ等のものをただで要求する 活難の伴わない労働をするようにしたら、今のある人々権利を有するだけの義務は、各人が働くことによって払 の て が苦しめられている労働とはまるで違う程、労働は苦し っているわけだ。そして不幸なる隣人のためにも、皆が はず 就 くなくなっていい筈と思っている。このことは、判り切働いたわけなのだ。だからただで不思議はない。そう云 村 ったことである。そして既に誰もが心の底では感じてい き う世界に於て第一に必要なのは教育だ。十七八迄は教育 しまさら し ることである。自分はこんなことを今史云うのも恥かし される。そしてそのうちに頭のいい人と悪い人の区別は 新 い気がする。それで今仮りにこの問題を卒業したことに つけられる。あまり頭のよくない人は他の仕事を選ばな する。今や人々は人間の義務として一定の労働を進んでければならない。又その間にある才能の芽を出した人 することになる。それは少なくも兵士になることの如は、その才能が人間にとって必要なものならば、その人 みが
先生自分は同じことをくり返しくり返し饒舌ったかも知井戸を掘ることも出来、其処から絶えず清水をくみ出す れない。自分は農夫の労働を見ていると、文明の進歩と ことも出来る。日照の甚すぎる時も、その道の人々に文 云うものとまるで無関係なのに驚く。自分はいろいろの 明の利器を添えて派遣すればある所までは免れることが 点で日本では人間の労働の無駄遣いをしすぎているよう 出来る。かくすれば、人生五十年で今の農民の働けるだ に思う。その結果、人間は労働する為の器械になり過ぎけの労働を三年乃至五年位で出来ることになる。従って ている。もう少し賢く労働すれば、人間は労働の主になその他の時間はその人の自由になる。有志で、名誉職と はす してなお農民として働くことも出来る。その他自分の好 れる筈だ。人間が人間として健全に生きる為に必要なる 労働は何と何であるかを先ず知り、その労働は如何にすきなことをこっこっすることも出来る。余暇を利用する ことは幾らでもある。自分の好きな労働をすることも出 れば、より健康により効果あるかをよく考え、そしてそ れに毎年要する労働者の人数、及び時間を調べ、それを来る。人一倍働けば名誉も得、恩典も得られる。かかる すべての人の頭にどう割り当てれば いいかを考える。そ社会に於て初めて人間に与えられている名誉心、誇り、 いびつ れは人間に考え切れない問題ではない。ギリシャ時代に恥を知る心なそが美しく生きる。そして愛も歪にされず は奴隷が必要だったかも知れない。蒸気も電気も応用すに生きることが出来る。人々は自分の労働が自己の義務 を立派に果していることを自覚をもって感じることが出 ることを知らなかった時代だから。レオナルド・ダ・ヴ インチ時代には発動機がなかった、だから飛行しようと来る。自力と他力の全き調和が得られる。個人的本能と 話思っても無理かも知れない。今の時代は昔は不可能だっ社会的本能が調和する。自愛と他愛が一致する。誇りと たずさ 対 たことも容易に可能にする。今農業に就ての自分の考え愛が手を携える。かかる社会を空想することが出来るの の は自分の喜びだ。そしてそう云う社会が来る時を信じる てを大ざっぱに云えば、農民大隊をつくり、それに日本の ことが出来ることは自分の喜びだ。人間の内にあるもの に土地を調査して、土地を最もよく利用する方法を考え、 で、今の世の中に不調和なもの、しかしそれは人間に与 きそして文明のあらゆる利器を備え、土地土地によってそ しゅうぜん えられた最も美しきものである、愛が花咲き、平和が得 新の利器を応用し、道路を修繕し汽車や自動車を応用し、 られる時が来る可能を信じる。正義は人々を支配する。 その他馬や牛を使い、気候によって、耕作、種蒔等の順 はけん 公平と平等と自由を大きな顔して讃美することが出来 序をぎめ、その土地土地に入用の人数を派遣し最もよき ところ る。人々は喜びと誇りをもって兄弟と云う言葉をつかう 計画通りのことを実現させる。水のない処には大仕掛の どれい しゃべ ひど
人をとり入れてもびくともしないように基礎が出来さえ し、又相談する。熱心な人が百人よれば、かなりいい知 すれば、人間の方は集めることは容易だと思う。ただ新恵が出なければならない。僕はもう一足とびをしてその しぎ社会の精神をのみこみ、その仕事にたいする自覚を社会が立派に出来上った時を空想して見たい。その社会 はっきりしているもののみでないと仕事は面白くゆかな はまだ大規模ではない。まだ住民は百から千の間に、 いなか い。土地は金と人数のエ合だが、かなり田舎でかまわな る。共同の田があり、畑があり、住宅がある。また処々 し。谷間よりは平原の方が、共同的な仕事はしやすいと に個人の家がある。共同生活よりも一家族はなれた生活 思う。仕事の上から土地を皆できめる。そして其処に一 をよろこぶものは同情者を得て自己の家をたてることが 人について一段以上の田と少しの畑に相当する土地を買 出来る、事情さえゆるせば。そして共同の土地の他に土 、初めは簡単な家を建てる。皆の内に大工がいればそ 地を生かすことを知っているものは特別に自己の土地を れが建てる。皆が手つだってもいい。初めは出来るだけ借りることも出来る。初めは催かの土地を、そしてその うら 簡単な家を会員以外に建てさしてもいい。多勢いる内に 利用法のよかったものには更に多くの土地を。人々は共 は随分いろいろの人がいるにちがいない。またいいって 同の労働の一部を分担する。それは前にも云ったよう があるにちがいない。又十年もさきの話ならばその内の に、きまった労働のうち自分に一番適当と思うものを申 幾人かが専門をきめて研究してもいい。我々は土地を獲し出る。第一希望、第二希望、第三希望、第四、第五、 得するまでに、新しき社会の住民になる資格をつくるよ : 一番閉ロなのまで書いて出す。共同の労働の種類は うに骨折ってもいい。 話 そして準備すべきものを準備すきまっている。そして労働の種類によって休息する時間 対 る。或人はよき土地を捜し歩く、ある人は農業の方面の や、休みの日をきめておく。共同の労働は必要なものに の て研究をし、協力してやるにはどう云う方法をとるのが一 限る。男と女で労働の種類の区別がある。そしてその負 に番いいかを研究して見る。又いろいろのものを買い入れ担は皆の知識をしぼって出来るだけ軽くする。そして有 村 るにはどうしたらいいか、最も簡単な衣食住を皆に供給志の人があれば、その人は名誉労働者になることが出来 しするにはどう云う方法をとったらいいか、今から何を買 る。応募者の少ない仕事を進んでするものは皆に感謝さ い入れたらいいか、土地を一日も早く買うとすれば、十れるべきである。それ等はこの前の時に云った通りだ。 年の間にどうその土地を利用したらいいかとか、その他我々は今その社会に入ったとする。労働者は同時に紳士 いろいろのことを考え、名案のある人はそれを皆に報告 で、紳士は同時に労働者た。平民は同時に貴族で貴族は いったん
一定の範囲で私有も許されることがある。又何か公けの する。自分は金の力さえこばまない。しかし金で自己の Ⅷ自由は得られても、他人の身体や時間の自由を東縛する為になることをくわだてたものは、一般の許しを得て、 のは新しき社会では絶対にさけなければならない。義務人用の土地を自分の勝手にすることも出来る。なるべく 自由がきくようにする。その社会の基礎が固まり、資本 労働を果したものは自分の好きな労働の助けをしたり、 が出来れば、それはたえず最も賢く利用する。それを利 何か新しい仕事の計画に全時間を向けることが出来る。 用する方法を会議できめる。集まった人だけできめる。 子供はその社会に調和した教育法を受けることにすれば 集まれない人は委任者を出す。そして議論がまとまらな なるべくただで育てるようにしたい。しかし夫婦もの い時、七割が可決した場合は金の七割たけその仕事につ や、結婚したいものには独身者よりも条件がふえること になる。ある個人の安楽を他人の労働の上に荷わせるの かうことが出来る。一人の反対でも、無結果には終らな いことにする。それは次の事業にまでのばす。そのかわ は新しい社会ではさけなければならない。しかしある人 り皆に通知しても会に集まる人が一人きりの時には、そ が、ある他人の為に自ら進んで自由意志で、他の事情が そうしなければ決定がニプクな まるでなしに、ただ愛か、或は同情か、尊敬か、から他 の一人がきめていい。 る。一日か二日前に、或はその日でもいい、すぐ全部に 人の分の労働まで引受けることは許される。又特別な人 は社会全体の決議で、或は或一部の人の決議で、自己の集会が出来るようにする。それは夕方の食事のあとの時 間できめてもいい。 つまらぬ議論は許されない。そして 労働の分をよろこんで引受けてもらうことによって、一 もちろん しかし 急ぐ必要のないことはゆっくり相談してもいい。 定の労働の義務を助かることもある。勿論、その時、そ 。自分は自分 の人には、それたけのことをその社会の為にもされる資そんなことは実際にあたってきめればいし の空想が可能のものであること、及び、そう云う社会が 格があると云う決議をされた時に限る。そしてその決議 あったらいいなと思えるように、本当のことを云えばい を認めることが出来ない人は、その義務の分担をこばむ いのだ。僕自身には不可能のこととは思えない。五六十 ことも出来る。その社会では個人は個人の為には犠牲に なる必要はない。皆独立している。しかし一般にたいす人の同志と二三万の金があれば一歩ふみ入ることが出来 ると思う。人数も金も多い程いいが、それより本気な人 る個人としての義務ははたす、互に助けあうことはす 間が集まるのが大事だ。僕は基礎さえしつかりし、そし る、相談しあうことも勿論する。しかし命令はするもの てその可能さがはっきりすれば、そして金に困っている もなく、又聞く必要もない。土地は全部公有であるが、
どばく 事実だ。そう云う社会では奴僕と云うものや女中と云う 社会にとって一人前以上働くものは、一人前以下の人よ り尊敬されるのは当然だ。特別の才能のあるものが、才 ものはなくなるであろう。その代り、同胞が助けあって そうこう もっと簡単に衣食住を得られることになる。各自に飯を能のなきものより尊敬されるのも当然だ。又操行の正し ところ しとう 炊く必要はない、それは不経済である。ある処で飯を炊きものが、正しくないものより尊敬されるのも至当だ。 そうじ 又人に愛される素質をもつ人が、嫌われる素質をもつ人 く、それを自動車に乗せて運搬して回る。家の掃除など むし も、立派な器械でやってのける。簡単にすむにちがいな より愛されるのも当然だ。寧ろそう云う時代が来てこそ、 人は本当に尊敬すべきものを尊敬するのだ。従って努力 い。その上各自が暇を利用して、より自分に気持のいい の仕甲斐もなお現れるわけなのだ。自分はすべての人が ようにするのはいい。規定以上に自分のしたいことを ほうしゅう そう云う社会が来るといいと思うべきであると思う。 し、それで報酬をとり、それで買いたいものを買うのは もらろん 。勿論そう云う時代では、金の力は不当の暴力を振そう理想的にゆけばですね。 第こが うことは出来ない。しかしもっと正当な力を振うことは先生しかし、もし万人がそう云う世界を真に憧れたら、 はす そう云う世界は実現されるべき筈だ。それは今迄の習慣 出来る。決して金持も今より不幸にはならない。病気に には悖っていることが多い。そしてある労働は熟練を要 なってもよき医者にかかることが出来る。よき医者はそ たくさん する。しかしそれも社会がそう云う人間を要求すればそ う云う時代がくれば今よりも沢山出来るにちがいない。 う云う人間は生れてくる。又そう云う人間を作ろうとす 十ーしュ〃 金の為に医者になりたくもなれないと云う人はよ れば出来る。人々が人類に対する個人の義務を本当に知 ら、そして医者に対する標準が今より高くなるにちがい ったなら、そしてその義務をより立派に果すものには名 ないから。金持が貧乏人と同等になることは、金持が貧 誉と特権とが与えられるならば、かなり苦しい労働も人 乏人になると云うことではない。金持も貧乏人も同じく は自ら進んでするものにちがいない。自分の仕事は自由 人間として人間らしく生きると云うことにすぎない。今 に選択させる。しかしそれである労働を志願するものが の金持は人間らしい生活をしていると云えない場合が多 多すぎた時、そして他のある労働の志願者の少ない時、 い。少なくも正しい金持なら、そう云う時代が来たら、 きえっ 喜悦を感じるにちがいない。そう云う時代が来ても、す生理的資格や、才能の資格を見て一部の人間に志願しな もら い労働をして貰わなければならない時があるだろう。し べての人の才能が平等と云うわけにはゆかない。各個人 みずか が皆から受ける尊敬が平等だと云うわけにはゆかない。 かし志願者の少ない労働を自ら進んで引受けるものはそ
ていることが多い。仕事はいろいろある、皆、自分の仕しないでもいいことになっている。しかし好んで働いて 事をより立派にしようと云うことを心がけている。 いるものが多い。その村には週報のようなものがある。 この村には思想家と芸術家が多い。画をかいているも又印刷所があって、本などもっくられることがある。そ の、文学の話をするものも多い。又村の拡張や、その村れは他の村へも売り出されている。こう云えば随分窮屈 の住人になりたく思う人々の意思を出来るだけ多く生か な処のようにも思えるかも知れない。共同とか、協力と すことについて議論しているものもある。村の人は皆友か、労働の義務とか。しかし同時に皆呑気もので、気ず 達で、何かことがあるとよくあつまる。村には又春夏秋 いもので、独りになりたい時は勝手に一人になってい ひるね 冬、花がたえない。花の名所と云って恥かしくない処も る。面会謝絶などと云うふだを出して午睡している奴な 沢山ある。多勢が一緒に働く時は随分見ものだ。千本の そもいる。お互に随分融通をきかせ、休みたい時には他 木を植えるのでもまたたく暇だ。道路は完全していて、 の人にかわってもらうことなそも出来る。そして村の人 家畜に富み、その利用法は賢い。村は又衛生思想が発達達は生きるのには窮屈が一番いけないと思っているらし し、病気の感染にたいする予防にあかるい。学校でもそ 。そのくせ他人の気分や時間や労力を尊敬している。 う云うことを時々教える。そして大人も男も女も聞いて彼等の空想は全世界が自分の村のようになったら人類が いる。村には又病院がある。建物は簡単であるが、清潔今よりこの世に住みよくなり、より進歩し、より幸福に なり、より自由になり、そして人間は人間に与えられて である。看護はその道にくわしい人が居なければよそか いるものをより自然に生かし切れるようになる。彼等は ら雇うこともある。親しい人が看護する他、有志の人が その手本を自分達が示しているつもりでいる。又それを 看護している。病院は景色のいい空気のいい日あたりの 示すことを天職と心得、其処に自覚せる誇りをもってい しい処にたてられている。病院に入る程ひどくない人は へや る。其処に彼等の本気さと活気と、何処までも進まない 自分の室で友達の手によって養生する。病人はいくらね では満足できない原因がある。それでいて他の村の人と ても一文もいらない。金を出せる人は出しても、出さな の交際も決して悪くはない。彼等はあざむかれることは い人と待遇はちがわない。医者も専門家のいない場合は あっても、あざむくことをいさぎよしとしない。そして 他から招待することもある。しかし村にはかなりの医者 はいる。そして研究する便利を与えられている。芝居彼等の平等観は誰をも軽んじない。彼等のうちにも軽薄 や、音楽会も時々ある。その方に天才のある人は労働を な人間が皆無とは云えないかも知れない、しかし彼等の おとな ところ のん、
同時に平民だ。人々は勝手なことは出来ないこともある が、衣食住の心配はない。皆独立で一つの精神がつらぬさすがは先生のお考えだけありますね。気儘と云うこ いている。協力の喜びと独立の喜びを同時に味わう。労とは悪にはなっていないのですね。 働と健康は出来るだけ仲よくし、器械は人間につかえて先生それはそうだ。規則ずくめは閉ロだ。人々は逃げ道 人間を使用しようとはしない。むだな労働は出来るだけをたくさん持っていなければならない。食物でも自分達 はぶかれて、人々は自己のしたいことをする時間を有すだけでつくるので足りるようには骨折るが、足りなけれ る。皆義務を果した安心をもっと同時に自己の天職に安ば他の村落の助けを借りないと云うのではない。むしろ 心して進むことが出来る。そしてあらゆる人は自己の才出来たら、他の人達とも出来るだけ仲よくしたく思って いる。そして同志の人があれば一人もこばまないように 能を何処迄も発揮する余裕をもち、この世を楽しく美し くする為に働くことが出来る希望と努力をもつ。朝は交することを心がける。着物のことはまだ一度も云わなか ったが、土地によって蚕もかう、綿もっくる、そして機 代で大じかけに飯をたく。当番は一月に一度働けば他は ちゅうもん 飯をたく為に働く必要はない。しかし特別に飯の註文の械工場も出来たらなるべく完全なものをつくる。しまい には鉱山も、製鉄所も、殊に発電所もっくらなければな ある人は自分でたいてもいい。又時々食い道楽同士あっ らないはずだが、それはもっとずっと規模が大きくなっ まって自分でつくるのもいいだろう。しかしその人も公 けの飯をたく義務はまぬかれないことを承知の上でなけた時の話だ。しかしどんな労働も新しい社会の精神を応 ればならない。面倒な時は公けの飯を食い、何か好みの 用して出来ないものはないことを示すことは忘れない。 時は自分でつくってもいい。食堂で食ってもいい人は食そして出来るだけその部落の特色を発揮する。他の社会 堂にくる。家で食いたい人は当番の人に配達してもらう よりよき品を安価につくり出すことに占むもする。その ことも出来る。人数はきまっている、そして家ははなれ社会からはいろいろの天才が出るはずの方法がぬけ目な く講じられねばならない。人々は其処で出来たものと云 ていない。月に一度のわりに郵便、新聞、飯、その他の うと安心して信用が出来る。又其処で出来るものは虚飾 ものを馬車あるいは荷車で連ぶことは簡単だ。僕でさえ 出来る。自分でとりにゆく人は行ってもいい。 人々は他 はないけれども芸術的で、同時に丈夫でもちがよくなけ 人の労力にたいして思いやりは持っている。しかし窮屈ればならない、見えない所にごまかしのあることを何よ りも恥じなければならない。そして一時的のことを考え なことはさけられるだけさけるように社会が出来てい きまま