あじわ つからない。自分は益々腹が立った。 鶴が自分の妻にならなくとも、恋の味いを味わうことが しやく これ すさ 「本をさがす程癪にさわることはない。之から一切本はさ出来なくとも、自分は自分の心を荒まさずに見せる。自分 わらないで置いておくれ」と云った。書生は「よ、 をしーと云はすべてのことに超越しなければならない。 って捜して居る。自分はこう云って見ていたが、見て居て 勇士勇士 ! 自分は勇士だ ! も仕方がないと思ったので、本を手あたり次第にとっては こう心に叫んだ。そうしてややともすると女々しい感じ 外の処へ投げるように置いた。自分が大変憤っているのでが心に流れこむのをふせいだ。 書生はあわてている。自分は怒ることは減多にないのだ。 七 自分は手あたり次第に本をのけていたら、捜している本が とんでもない処から出て来た。考えて見ると自分の置いた 二月十五日の晩に自分は母から母方の叔父の病気は矢張 がん 処にあるのだ。「あったよ」と自分は云った。書生は安心り癌だと云う事を聞いた。叔父は元来は人のいい人だった したように本をかたづけだした。「かたづけなくっていし が頑固なことの好きな奇行家で公卿華族で伯爵だった。世 よ」と自分は云った。そうして書生が去る時、無愛想に の中を馬鹿にしたような所が父と気があって二人は仲がよ 「御苦労さんーと云った。 かった。 書生が居なくなると自分の八つあたりに罪のない書生に叔父の奇行は随分ある。自分はおだに夏休に避暑に三浦 怒ったのが腹が立った。この頃の怒りっぽくなったのに腹三崎へ自家の人と行っていた時に、叔父がきて素裸で歩き が立った。 まわっていたことを覚えている。或日の朝当時十一二の自 すさ 女に餓えているので心が荒んだのだと思った。そうして分は叔父と一緒に朝飯前に漁師の親方の処へ行ったことが あら ふんどし 自分の人格の低いに腹が立った。しかし自分の心は荒だつある。その時叔父は素裸で褌さえしていなかった。そうし ている。自分はホフマンの本を開けて見たが、ホフマンのて裸と云うことを意識していないように平気で歩いて 感じのいい清い静かな美しい絵も自分の心を慰めるわけに た。顔知っている人にあうとあたりまえに挨拶していた。 ゆかなかった。自分はホフマンの本を閉じてクリンゲルの親方の処へ行くと、今日は大礼服で来たと云ってすまして 絵を見た、グライナーの絵を見た、その力強い絵は自分の座敷に通って平気で話していた。ついて居た自分も平気だ 荒だっている心をいい方に導いた。自分は全身に力を入れったのが今思うと可笑しい。叔父は寒中でもよく水を浴 て室の中を歩いた。 び、海岸へ行くと海へ入った。そうして人を馬鹿にしたよ めった いっさい あいさっ
人は、既に人間として純さを失った人と言えるように思 しかしそういう羨望は、実は自分の心を清くはしてくれう。 ない。元来の意味で、我等の心をたのしくはしてくれない 正しい人間は、自分の人格を高めることに純な喜びを感 羨望である。 じるようにつくられ、そういう方に役に立つ人に対して 本当の正しい人間の、正しい成功に対する羨望は、尊敬は、すなおに尊敬の念を持つが、自分の人格をひくめるよ の念が伴い、我等の心を正しく喜ばし、また正しく発憤さうな人の話を聞けば、不快を感じ、軽蔑の念を起こし、そ せる力を持つべきはずだが、不正な成功者に対しては、尊んな真似はしたくないと思う方が自然である。 敬の念は生じない。もし尊敬の念が起きるとすれば、同じそういう純な人のみ、うちから社会を清め、また高める 穴のむじなに限る。本当に純な心を持つのは、そういう話力を持つ人である。齢とってますます純な心を失わない人 を、我等はなお尊敬すべきである。 を聞けば、先ず第一に反感を感じ、軽蔑の念が起きるのが 自然である。人間の精神の喜びは自己をしくしたり卑屈 五 にしたりして得られるものではないので、金もうけのため には手段を選ばないようなことを、喜ぶわけはないのた。 話はつい他にそれたが、我等は精神を常に健全にしてお ただ金があると万事都合がいし 、ことを知って、金がほしい くには、我等の実感を常にくもらさずに、あらゆる出来事 と思う人が、何とかして金をとりたいと思っているところに対して、びたりと真実を感じ得るように用意しておかな を、うまく成功した話をきくので、うまくやったという羨ければならない。実感が持てないようになると、善悪正邪 望と、自分がやりたくもやれなかったことを、うまくやつもわからず、人間がいかに生くべきかもわからず、人間に てのけた、そのずるさに感心したので、その人間に感心し与えられたいろいろの感じが、何のために与えられている かもわからなくなる。自然のままにあらゆることに出あっ たわけでもなく、それで、自分の人格を高めたわけでもな い。かえって自分の人格をひくめることに役に立ったわけて、実感を素直に感じることが出来ると、自然が何ゆえに で、自分を賤しくすることを意味する。 我等に喜怒哀楽を与えているかがわかる。我等は無意味に 本当の人間は、そんな話をよろこばないわけである。若喜怒哀楽を感じるのではない。 くって純な人がそんな話を聞いたら不快に思うのが本当喜ぶには喜ぶ理由があり、悲しむには悲しむ理由があ で、そんな話を聞いて不快に思わず、うまくやったと思うる。
分をひきつける。 鶴に幸あれー 自然は男と女をつくった。互に惹きつけるようにつくっ しかし自分はいくら女に餓えているからと云って、いく これ た。之がために自分は淋しく思うことも、苦しく思うことら鶴を恋しているからと云って、自分の仕事をすててまで もある、しかし自分は自然が男と女をつくったことを感謝鶴を得ようとは思わない。自分は鶴以上に自我を愛してい する。互に強くひきつける力を感謝する。もし地上に女がる。いくら淋しくとも自我を儀牲にしてまで鶴を得ようと ろうおく なかったら。愛し得るものがなかったら。恋し得るものが は思わない。三度の飯を一一度にヘらしても、如何なる陋屋 カわ・カわ・・らうじやばか なかったら。そうして我利我利亡者許りが集っていたら、 に住もうとも、鶴と夫婦になりたい。しかし自我を犠牲に いかに淋しいであろう。 してまで鶴と一緒になろうとは思わない。 女によって堕落する人もある。しかし女あって生きられ女に餓えて女の力を知り、女の力を知って、自我の力を る人が何人あるか知れない。女あって生れた甲斐を知った自分は知ることが出来た。 からだ しかし女の柔かき円味ある身体。優しき心。なまめかし 人が何人あるか知れない。女そのものはつまらぬものかも 1 き香。人の心をとかす心。ああ女と舞踏がしたい、全身全 知れない。 ( 男の如く、否それ以上に。 ) しかし男と女の 心を以て。いじけない前に春が来てくれないと困る。 には何かある。 まこと エターナル・アイドール 自分は自我を発展させる為にも鶴を要求するものであ 誠に女は男にとって「永遠の偶像」である。 「アダム」は「イヴ」によって楽園から逐い出されたかもる。 知れない。しかし一人で楽園に居るよりはイヴと共に楽園 を逐い出された方がアダムにとって幸福だったかも知れな 自家に帰るとまもなく昼飯だった。 女そのものは知らない、しかし女の男に与える力は知っ昼飯を一緒に食うのは母と自分と今年四つになった姪と ている。女そのものはカのないものかも知れない。しかしである。父は毎日会社に出ている、兄と義姉は会社の用で 女の男に与える力は強い 外国に行っている。 いわゆる 所謂女を知らないせいか、自分は理想の女を崇拝する。 姪は祖母ちゃん祖母ちゃんで一日くらしている。母は春 その肉と心を崇拝する。そうしてその理想的の女として自ちゃん春ちゃん ( 姪の名 ) で一日くらしている。父が帰れ 分の知れる範囲に於て鶴は第一の人である。 ば父の用があるが、父も孫で夢中だ。 かおり もっ まるみ タンチェン
神様それはそう云う天使も、沢山の天使の内にはいるだ配しない処には暴力が幅をきかすのは当然だ。しかし暴 、 1 こ第ノ 力で天界を支配しようと考え給うな。それは天界を地獄 3 ろう。ものには例外があるから。星にだって軌道をふむ にする。少くも天使の心は君に従わず、よし従ってもそ のを好まない奴がある。しかし僕は何処までも暴力で天 れは外見だけだ。心ある天使は、生命天使も、道徳天使 界がおさまるとは思わない。もしそれで無理におさめた も、その他の天使も君に魂の光をおくることをしまい。 ら、その時は天界は天界ではない。そして天使は天使で それなしに我々は生きることは永遠に罰せられること 覆面の神だが強大な力の持ちぬしが出て来て、そして君だ。君が僕に勝とうとするならそれはただ愛による。君 の愛が僕のより強く、この宇宙をくまなくつつみおおせ の腕をこう握ったらどうする。 たら、僕は甘んじて、君にこの宇宙をささげる。それは 神様 ( その絶大の力におどろき、又痛さを耐えながら ) 握らし 僕にとって宇宙を愛することだから。しかしそれには君 たいだけ握らしておく、他に方法がなければ。 は僕よりも礼儀を知り、僕よりも謙で、僕よりも平和 覆面の神 ( 手をはなし ) この力が君に命令したらどうだ。 を好み、他のものの不幸に同情がゆきわたらなければな それでもまだ力はつまらないものと思うか。 やばん らない 神様腕力は天界では流行しない。それは野蛮なこと、地 もらろん 獄的なこと、礼儀を知らぬこととして嫌われる。勿論一覆面の神理屈はどうでもいい。俺は君をここから逐い出 時は、暴力は勝つだろう。しかしそれは天使の心を喜ばす。そしてこの宇宙を俺のものにする。 さない。又それで天界を支配したものは自分の心の空虚神様だめだよ。僕はこの宇宙のために、君の云うことは はなぞの きかない。僕はまだ力が十分とは云わない。僕の光は地 さにへたばるだろう。それは稀有な花園があるのを奪お 獄や下界にまではまだ十分に達していない。其処ではま うと思って、その花園を破壊しつくしたようなものだ。 だ暴力や、不正が時を得ている。しかし君は僕程迄も、 占領は出来るだろう。だが其処に花園は出来ない。そし この宇宙を愛してもいないし、又君の愛の光は僕よりも て占領した人の心を喜ばさない。花園は再び出来るかも 知れない。しかしその時は、神の愛によって花園を支配遠くまで照すと云うわけにはゆかない。 した時だ。立派な宝玉がある。それがほしいからと云っ覆面の神それならこの女の天使に聞いて見よう。 ( 覆面を 荒々しくとる ) さあ、俺のこの腕を見ろ。俺は自分を尊敬 て、それを破壊してはならない。この宇宙は、また隅々 や、小さい部分では愛は支配しつくしていない。愛の支しないものにたいしては罰を与える。この神は自分を尊 けんそん
それに夢中になっている時は、二人逢うためには死を さえ恐れないように出来ている。死んでは始まらないと思 うが、そのくらい強い魅力が与えられている事実に自分は 実際恋は人生の門出に与えられた最も強い、それで一生 興味を持つものである。 があるところまできまる力を持っているものである。殊に すべての人間の感情は、人間は自分のもののように考え女の人にとっては、一生の幸不幸の別れ道とも言える。運 ているが、死の恐怖も、恋愛も自然から与えられた感情なのいい人と、運の悪い人とがあるわけである。男にとって のだ、だから死の恐怖も姿を消す時は、人間は死を恐れなも悪妻を持っことは不幸と言えるが、男には家庭以外の世 くなるのは当然である。恋愛に夢中になっている時は、そ界がある。女の人にとっては男以上に悪しき夫を持っこと こよじっ れに全心を奪われているのだから、死の恐怖を実に感じは不幸である。 られなくなるのも当然と言える。つまり死が恐ろしくなく だから出来るだけ用心して、悪しき相手を求めないこと なるから、つい死ぬ気になるのだ。しかし死の苦痛を感じが大事だが、そのため決断が出来ず、安全第一を求むのが た時は、恋も姿を消しはしないかと僕には考えられる。だ人情だとも思うが、そういう安全主義にとらわれないで、 から心中し損 0 たものは二度死のうとは思わないと聞いてどうしても結婚したいという気を起こさせるだけの力を十 いるが、聞いているだけで、自分には経験がないから何と分以上に恋は持っている。このことは改めていう必要はな も言えない。 いと思う。 自分も老年に入りかけているので、若い時の恋愛の感情しかし誰もが結婚出来るとは言えない。その結果、ある を如実に今感じるわけにはゆかないが、この感情が実に強人は当然、失恋の苦しみを味わわされるのは仕方がない。 く人間に与えられている事実は認めないわけにゆかない。 そして自然は純な若者に恋をさせるのは、失恋した時の そして失恋するものではないと思った。 ことも満更考えていないとも言えないように思う。つまり 今になればそんなことは昔の夢と思うが、何年か苦しん恋愛によって呼び覚まされた、若者の満たされない心は、 だことは事実だ。 自棄を起こさない限り、本当の愛を目ざめさせる。失恋の それによって精神をいくらか鍛えられたことは事実と思苦しみは性欲だけでは満たされない。もっと真理を愛する 心や、隣人を愛するところを生かさないと満足出来ない。 心の底からゆり起こす刀を持っている恋は、それが満た 、た
と思いますわ。 になれなぞと云ってくる奴があるだろう。 広次駄目だ。俺の運命を切りひらいてくれる力のない作静子いやな方ね。本当に。 が何になる。皆腹の底で俺を盲目だと思うのであんなも広次あはははは。情けないと云うより滑稽だ。俺は昨晩 ないしょ のを賞めるのだ。厚意は嬉しくないことはない。しかし 思ったよ。今にお前は内証で夜はかせぎ、昼は俺の仕事 厚意を喜ぶ理由は今はない。 を助けるようになるかも知れないと。 静子西島さんになんと云う手紙をおかきになるつもり ? 静子お兄さん。およしなさいよ。そんな話。 広次俺は本当のことを聞かしてもらいたいのだ。それか広次それでも相川の妻になるよりはいい。 ら俺は金をとる道をさがしてもらいたいのだ。 静子相川の妻になると誰も云いませんわ。 つもり 静子なんで金をとるお心算なの ? 広次お前の心の内で一滴でも相川の妻に思い切ってなろ 広次俺はそれを何度と云うことなく考えた。俺は商売し うかしらんと思う心があったら承知しないよ。 ようかとも思った。何かつまらない話でも書かしてもら静子ありませんわ。 おうかと考えた。しかし本当云うと、俺は何にもいい考広次なければいし は浮ばなかった。 静子お兄さんは本当に変に疑い深いのね。 静子矢張りそんな迷いを起さずに、今の仕事をしていら広次盲目になると人間は疑い深くなるよ。お前の顔が見 っしやるより仕方がありませんわ。その内にうまい話が えないと、殊にお前の目が見えないと、お前の心のあり あるかも知れませんわ。 場所が不安心でいけないことがある。どうも耳へ入るも 広次俺もそう思っていた。誰かうまい話をもってくる人のだけでは信用が出来ないからね。怒ってはいやだよ。 がありそうなものだとも思った。所がない。あれば隣り 俺は先日からこう思っている。もしかしたら俺のかいた の婆さんが何処からか聞いて来た話のようなものだ。 ものにたいして恐ろしい悪口が何処かに出てはしないか 静子もうおよしなさいよ。あの話。 と思った。それをお前が知っていながら俺にかくしてい 広次相川の話よりは不愉快じゃなかった。実際いやな奴るのではないかと思った。今日もそんな気がした。お前 めかけ の妻になるより妾になる方がいし が何も出ていないと云った時、俺は腹の底に力がなくな 静子いやなこってすわ。 った。他人の悪口では俺はヘこたれ切りはしない。しか 広次今に芸者になれ、女郎になれ、プロステイチュ 1 ト し盲目のかなしさに、いろいろの空想が浮ぶ。そうして ばあ いって、
410 う人を憎みてもあまりあるように思うであろう、そう思う ように人間は出来ている。 一生懸命で勉強し、自分を優秀な人間にし、先人未踏の ここでも自然のぬけ目なさを我等は感じるのである。 人間は自分を生かすことも容易ではなく、家族を養うこ世界にふみ込むことが出来たものを、人々は心から尊敬す とはなお大変である。だから先ずその方に働かせるが、しるように出来ている。それはその人一人の進歩でなく、人 かし同時に、すべての人が仲よく生長することをのぞんで類全体の進歩を意味しているから、人間が、そういう人を いる。しかしただ仲よくでは、人類の進歩が遅れる恐れが賞讃するのは当然なことである。自分達の生命を一歩前進 あり、仲よく怠ける心配もあるので、一方競争心や、征服させてくれたのだから。 欲も与えている。そして皆が、他人より優りたいという気ところが、自分一個の嫉妬からそういう人の仕事を邪魔 持ちも与え、それで発憤さしたり、勉強させたりすることし、不成功に終わらすことで、自分の優秀さを人々に示そ を忘れず、同時にすべての人が仲のいいことを望んでいるうとする人があれば、それは大きく言えば人類の敵であ る。人道上の罪人である。 のだ。 その人は自然の意志を尊敬しない人である。自然の意志 実に同時に、沢山のことを人間に望んでいるのだから、 を尊重した競争心なら、両方が・ヘストをつくして、全精力 うまくゆけ・よ、 。ししが、下手すると万事逆になるのだ。 やっかい をつかって、両方が進歩する竸争である。この競争は実に 競争心からは自分が実力で他人に優るのが厄介だから、 他人の実力を低めて、自分を優勝させようとする、不心得壮観である。相手がどこまでも進歩するよう、仕向けて、 のものまで出てくる。しかしこれのまちがいなのは言うまそれを出来たら助けて、それ以上に自分を進歩させる、つ まり両方が完成してゆくために、その全力をつくさせるた でもない。人類にとっては、甲も乙も優秀になってほしい ので競争心を与え、正々堂々と両方が全力を出しあって、めに競争するのだ。そういう競争は人類の喜ぶ競争であ 、この地上に最善をつくして自己をり、賞讃する竸争である。この競争は、愛に背かない、真 進んでもらいたく思い 生かしてもらいたく思って、竸争心を与えたので、自分は理に忠実な、人間らしい競争である。 怠けて、他人の優秀になるのを邪魔したとあっては、一一重自分もよくなり相手もよくなる、それが自然の意志であ に自然の意志をふみにじったわけだ。つまりその人は卑劣る。少なくも人間相互の間では、一方が正しく生きること な、恥知らずのことを行なったわけである。人々はそういを否定される時、否定された方は怒るのが当然である。正
彼は仲田にたいするこだわりがなくなった。 「あんまりよくもないね。しかし君も見かけよりはうまく 「試験は」 ないね」 ちょうど 「もうせまっては来たが、僕のことだから余裕があるよ。 「丁度いい相手だ。妹とやるとすっかり翻弄されるのだか らたまらない 落第したって結婚にさまたげのある他は、別に困らないか らね。そして落第したから来ないと云うような奴はこっち 二人は乗気もなく一時間近くつづけた。しかし杉子は出 て来なかった。 からお断りするからね。あははは」 「もうやめようか」野島は何度も云おうとしてやめた。し そう可笑しくもなさそうに笑った。野島も可笑しくもな かし彼はますます自分が馬鹿気て来て心がますます空虚に いのに笑った。 「昨日妹がつくってくれと云うので。ヒンポンの台をつくつなるように思った。 もう思い切ってやめようと思った。その時勝手口の方の たよ。君も一つやらないか」 へた 戸があいた。そしてまもなく杉子が入って来た。 「僕は下手だからねー 急に一道の光がさして来た。 「下手な点では僕もまけないよ」 あいさつをすませたあとで、仲田は云った。 「しかし僕は殆んどしたことがないのだ」 「今日は早かったねー 「ともかくやって見ないか」 「。ヒンポンがしたくって急いで帰って来ましたの」 「やって見ようかね」 「それは丁度いい、野島君は随分うまいのだから」 二人はビンポンをやった。彼はちっとものり気になれな かった。しかしその一種の音が彼は杉子をよびよせはしな「そうお ? うそ いかと云う空想に心をひきつけられた。そしてやめようと「譓ですよ。仲田君よりもっと下手なのですよ」 三人は笑った。そして野島は自分でも恥かしくなる程愉 仲田の云うのを心配する気味だった。 しかしその音は少しも冴えなかった。二人は珍らしく下快になって来た。 「人間はつくられた通りに心を動かすものだ」と思った。 手で、音が五つとはつづかなかった。殆んど勝負を眼中に おかず、つづけることを目的にしていたが。しかし仲田は 云った。 「君は質がいし 、よ、見かけより」 杉子は彼とは話にならない程上手だった。しかし杉子は ほんろう
111 友情 は何にも役にたたなかった。そしてややもするとあぶなくのを見た時、自分は自分の友達甲斐のないことを露骨に感 なった。不安を感じた。友からその女を横どりしたい気にじ、友の為に本当に働きたい気になった。友はよろこんで いた。そして自分に感謝しているように見えた。しかし友 もなった。このままでいたら困ると思った。自分は人間を 愛することに不安を感じる男だった。人間はいっ死ぬかわもあることは感じているように見える。その女が君を尊敬 からない。人間の心はいっかわるかわからない。自分はそしていたと云ったら、『君の方をなお尊敬しているかも知 もちろん の上、尊敬する友と女の奪いあいをするのがあさましく見れない』と云った。自分は『勿論』とも思ったが、それを えた。その女のまわりに多くの男があさましく集ってそのうちけして友を安心させ、なおよろこばした。しかし自分 は自分の空々しいのに気がとがめたので、その女のことを 女を女王のように大事にして、肉欲をかくした衣をきた おおかみ ほめ、君が恋したのは尤もだと云い、自分も君の恋人と思 狼の仲間入りするのがいやでもあった。自分はまだ女に つかまり切っていない、今ならまだ自分は友にその女をゆわなければ心を動かされたかも知れないと云った。自分は ずることが出来る。しかしこのままでいてはあぶないと云それから益々意識して迷い出した。八分は友の為につくす うことを益々感じた。自分は何度その女のもとを去ろう気でいたと思う。しかし二分は、三分かも知れぬ、もしそ と思ったか知れない。友の為にも、自分の為にも。自分がの女が自分を本気に愛していてくれるならば、それは友に 去れば女は自分のことを忘れるだろう。そして野島のこと世話するのが、本当か、奪うのが、本当か、それがわから を思ってくれないとも限らない。自分はまだその女なくもなくなった」 生きてゆける。しかし友にとってはあまりひどい打撃だ。 「よし、もう君がその女を恋しだしたことも、友につくそ しかも友は自分に前からその恋を打ちあけ、自分にたようとした心もわかった。それで君はどうしようと云うの り、信じて安心し切っている、そしてむしろ感謝してい だ。それが聞きたい」 る。男が自分を信じるものを裏切ることが出来るか。出来「僕はもう少し強く友の為に尽し、友の為に女を思い切ろ ない。自分は友の為に去るのが本当と思った。それはそのうと努力した。しかし今その点について自慢しようとは思 女が来て自分と一緒にトラン。フした晩だった。その晩よく わない。自分はロと行いと手紙とでは友の為に尽した。し むとんじゃく ねむれないで朝早く起きて海岸にいった。友は既に浜に出かし心では自分はその女のことに益々無頓着になれなくな った。ここへ来ても自分は女のことをすっかりは忘れるこ て何か考えていた。自分は矢張り友の方が本気だと云うこ とを感じた。そして友が前の晩のことを幸福に感じているとがなかった。そして何かで、友がその女のことをあきら もっと
た。私はここでもう一つ白状いたします。それは私はあなて私はあなたが私を愛していて下さることを信じることが たのお家の前を通 0 た時、お家の立派なのにおどろいたこ出来ました。。ヒンポンの会の時も、私はそれを感じて、負 ぎようしん とです。しかし私を虚栄心の強い女とは思わないで下さけてもうれしかったのです。あなたの義侠心と男らしさ 。野島さまがあなたの位置に居、あなたが野島さまの位と、女に媚びるものに対する怒りと、其処に又私をひそか 置にいらっしても私はあなたを愛しないわけには参りまにいたわって下さった御心づかいとを私はちゃんと感じて むとんじゃく せん。私はあなたにだけは何んでも申し上げることが出来おりました。私は野島さまのことはまるで無頓着でおりま るように思います。世の中では女に生れても、本当の女のしたから気がっきませんでしたが、あなたの御心だけはち よろこびを味わうことが出来ない人が多いように思いまやんと見ぬいておりました。所が矢張り西洋にいらっしゃ す。むしろ本当のよろこびを知った人は甚だ少ないと思 いる、私は本当にびつくりしました。む配になって来まし ます。私もあなたに逢い、あなたとお話し、あなたと一緒た。しかし私は東京駅へお見送りをした時にあなたの御心 に遊んたり笑ったりするまではこの世にこんなよろこびがを又見ぬいたと思いました。しかし私には一つ腑に落ちな あり、人間がこんなにまでよろこべるものかと云うことを いことが御座いました。なぜあなたがそんなに迄、私に冷 よそお 知りませんでした。知らない内はよろしい。しかし一度知淡を装い、外国にいらっしたか、それがわかりませんでし った以上は、それを失っては生きてはゆけないような気がた。野島さまから求婚して下さってから、やっと合点がゆ します。いっかあなたとトラン・フをした時、いっかあなたきました。それで私は反って安心もいたしました。 と海岸で二人で散歩した時ーーーあなたが外国にゆくことを 今になってあなたが野島さまのことをいろいろおほめに おきめになった日ーーーその晩またお邪魔に上った時、私はなった理由が、すっかりわかります。あなたが外国へいら うれしくってうれしくって、どうしていいかわかりませしったことの表と裏の理由もわかります。 ん。神に感謝しないわけには参りませんでした。人間に生今でもあなたは野島さまのことを心配していらっしゃ れてよかった。女に生れてよかった。あなたに逢えてよかる。野島さまへの義理をかかない為に、私を捨ててもいい もったい ように思っていらっしやる。私はあなたの義理の固いのを った。勿体なすぎる程自分は運がいいと思いました。な ぜか私はあなたの外国行をあの時、本当にはしておりませ尊敬いたしますが、もっと私のこともお考え下さい。さも んでした。私のカでもおとめして見せると思っておりましないと私が可哀そうです。野島さまはきっと私を失って たび た。あなたが私に冷淡になさろうと努力なさる度に、反つも、もっと適当な方におあいになるにちがいありません。