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検索対象: 現代日本の文学11:芥川龍之介 集
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1. 現代日本の文学11:芥川龍之介 集

216 つづけている。年はもう五十を越しているのであろう、鉄 よら * 縁の・ ( ンス・ネ工をかけた、鶏のように顔の赤い、短い頬 アランス 鬚のある仏蘭西人である。保吉は横目を使いながら、ちょ のぞ っとその本を覗きこんだ、 Essai sur 一 es ・ : ・ : あとは何だか と かく 判然しない。しかし内容は兎も角も、紙の黄ばんだ、活字 しろもの の細かい、到底新聞を読むようには読めそうもない代物で ある。 保はこの宣教師に軽い敵意を感じたまま、ぼんやり空 想に耽り出した。ーー・大勢の小天使は宣教師のまわりに読 もちろん 書の平安を護っている。勿論異教徒たる乗客の中には一人 も小天使の見えるものはいない。しかし五六人の小天使は さかだ 一クリスマス 鍔の広い帽子の上に、逆立ちをしたり宙返りをしたり、い ほりかわやす、らすだらようかど 昨年のクリスマスの午後、堀川保吉は須田町の角から新ろいろの曲芸を演じている。と思うと肩の上へ目白押しに じようだん 橋行の乗合自働車に乗った。彼の席だけはあったものの、並んだ五六人も乗客の顔を見廻しながら、天国の常談を云 あいかわらす 自働車の中は不相変身動きさえ出来ぬ満員である。のみな い合っている。おや、一人の小天使は耳の穴の中から顔を おど らず震災後の東京の道路は自働車を躍らすことも一通りで出した。そう云えば鼻柱の上にも一人、得意そうにパン またが はない。保吉はきようもふだんの通り、ポケットに入れてス・ネ工に跨っている。 かじちょう おおでんまらよう ある本を出した。・ : カ鍛冶町へも来ないうちにとうとう読自働車の止まったのは大伝馬町である。同時に乗客は三 書だけは断念した。この中でも本を読もうと云うのは奇蹟四人、一度に自働車を降りはじめた。宣教師はいっか本を ひざ を行うのと同じことである。奇蹟は彼の職業ではない。美膝に、きよろきよろ窓の外を眺めている・すると乗客の降 しい円光を頂いた昔の西洋の聖者なるものの、 り終るが早いか、十一二の少女が一人、まっ先に自働車へ たいこうしよく あみだ 彼の隣りにいるカトリック教の宣教師は目前に奇蹟を行っはいって来た。褪紅色の洋服に空色の帽子を阿弥陀にかぶ ている。 った、妙に生意気らしい少女である。少女は自働車のまん しんらゆう 宣教師は何ごとも忘れたように小さい横文字の本を読み中にある真鍮の柱につかまったまま、両側の席を見まわし ほお

2. 現代日本の文学11:芥川龍之介 集

215 寒さ い思いした。が、どの線路だったかは直に彼の目にも明らしているのは肉体的に不快だった。彼は二本目の「朝日 ひとすじ かになった。血はまだ一条の線路の上に二三分前の悲劇をに火をつけ、プラットフォオムの先へ歩いて行った。其処 ほとんど 語っていた。彼は殆、反射的に踏切の向う側へ目を移しは線路の二三町先にあの踏切りの見える場所だった。踏切 おもて た。しかしそれは無効だった。冷やかに光った鉄の面にどりの両側の人だかりもあらかた今は散じたらしかった。 ろりと赤いもののたまっている光景ははっと思う瞬間に、唯、シグナルの柱の下には鉄道工夫の焚火が一点、黄いろ 鮮かに心へ焼きついてしまった。のみならずその血は線路い炎を動かしていた。 の上から薄うすと水蒸気さえ昇らせていた。 保吉はその遠い焚火に何か同情に似たものを感じた。 十分の後、県吉は停車場の。フラットフォオムに落着かな が、踏切りの見えることはやはり不安には違いなかった。 い歩みをつづけていた。彼の頭は今しがた見た、気味の悪彼はそちらに背中を向けると、もう一度人ごみの中へ帰り あかがわ い光景に一ばいだった。殊に血から立ち昇っている水蒸気出した。しかしまだ十歩と歩かないうちに、ふと赤革の手 ははっきり目についていた。彼のこの間話し合った伝熱作袋を一つ落していることを発見した。手袋は巻煙草に火を 用のことを思い出した。血の中に宿っている生命の熱は宮つける時、右の手ばかり脱いだのを持って歩いていたのだ りん 本の教えた法則通り、一分一厘の狂いもなしに刻薄に線路った。彼は後ろをふり返った。すると手袋はプラットフォ じゅん へ伝わっている。その又生命は誰のでも好い、職に殉じたオムの先に、手のひらを上に転がっていた。それは丁度無 言のまま、彼を呼びとめているようだった。 踏切り番でも重罪犯人でも同じようにやはり刻薄に伝わっ ている。 そういう考えの意味のないことは彼にも勿論保吉は霜曇りの空の下に、たった一つ取り残された赤革 こうし わかっていた。孝子でも水にはれなければならぬ、節婦の手袋の心を感じた。同時に薄ら寒い世界の中にも、いっ でも火には焼かれる筈である。ーーー彼はこう心の中に何度か温い日の光のほそぼそとさして来ることを感じた。 も彼自身を説得しようとした。しかし目のあたりに見た事 実は容易にその論理を許さぬほど、重苦しい感銘を残して けれどもプラットフォオムの人々は彼の気もちとは没交 渉にいずれも、幸福らしい顔をしていた。保吉はそれにも いらだ なかんずく 苛立たしさを感じた。就中海軍の将校たちの大声に何か話 すぐ せつふ ただ

3. 現代日本の文学11:芥川龍之介 集

まで す・夫も亦妙子を信じている。これは云う迄もないことで苦しさに椹え兼ね、自殺をしようと決心するのです。が、 しよう。その為に妙子の苦しみは一層つのるばかりなので丁度妊娠している為に、それを断行する勇気がありませ す。 ん。そこで達雄に愛されていることをすっかり夫に打ち明 主筆つまりわたしの近代的と云うのはそう云う恋愛のけるのです。尤も夫を苦しめないように、彼女も達雄を愛 ことですよ。 していることだけは告白せずにしまうのですが。 保吉達雄は又毎日電燈さえつけば、必ず西洋間へ顔を主筆それから決闘にでもなるのですか ? ひやや 出すのです。それも夫のいる時ならばまだしも苦労はない 保吉いや、唯夫は達雄の来た時に冷かに訪問を謝絶す くらびるか のですが、妙子のひとり留守をしている時にもやはり顔をるのです。達雄は黙然と脣を噛んだまま、・ヒアノばかり たたす 出すのでしよう。妙子はやむを得ずそう云う時にはピアノ見つめている。妙子は戸の外に佇んだなりじっと忍び泣き ばかり弾かせるのです。尤も夫のいる時でも、達雄は大抵をこらえている。 その後一一月とたたないうちに、突然 ・ヒアノの前へ坐らないことはないのですが。 官命を受けた夫は支那の漢ロの領事館へ赴任することにな 主筆そのうちに恋愛に陥るのですか ? るのです。 保吉いや、容易に陥らないのです。しかし或二月の晩、 主筆妙子も一しょに行くのですか ? 達雄は急にシ = ウベルトの「シルヴィアに寄する歌、を弾保吉勿論一しょに行くのです。しかし妙子は立つ前に きはじめるのです。あの流れる炎のように情熱の籠った達雄へ手紙をやるのです。「あなたの心には同情する。が、 歌ですね。妙子は大きい椰子の葉の下にじっと耳を傾けてわたしにはどうすることも出来ない。お互に運命だとあき いる。そのうちにだんだん達雄に対する彼女の愛を感じは らめましよう。」ーー大体そう云う意味ですがね。それ以米 じめる。同時に又目の前に浮かび上った金色の誘惑を感じ妙子は今日までずっと達雄に会わないのです。 はじめる。もう五分、 いや、もう一分たちさえすれ主筆じや小説はそれぎりですね。 ば、妙子は達雄の腕の中へ体を投げていたかも知れませ保吉いや、もう少し残っているのです。妙子は漢ロへ ん。其処へーーー丁度その曲の終りかかった処へ幸い主人が行った後も、時々達雄を思い出すのですね。のみならずし 帰って来るのです。 まいには夫よりも実は達雄を愛していたと考えるようにな 主筆それから ? るのですね。好いですか ? 妙子を囲んでいるのは寂しい 、 0 いこら・ せいせんれれ、かんようじゅ 保吉それから一週間ばかりたった後、妙子はとうとう漢ロの風景ですよ。あの唐の崔顥の詩に「晴川歴歴漢陽樹 また もっと のち こんじき こも たいてい ハソカオ もらろん ハンカオ

4. 現代日本の文学11:芥川龍之介 集

173 雛 こう申す けていたのでございます。丸佐の主人を送り出した父が無だ。人様のものはいじるもんじゃあない。」 のでございます。 尽燈を持った儘、見世からこちらへはいって来る迄は。 : いえ、わたしばかりではございません。兄も父の顔を見るするともう月末に近い、大風の吹いた日でございます。 あわ ふうじやかか だま くちかす、 と、急に黙ってしまいました。ロ数を利かない父位、わた母は風邪に罹ったせいか、それとも又下脣に出来た粟粒 はれもの しはもとより当時の兄にも、恐しかったものはございませ程の腫物のせいか、気持が悪いと申したぎり、朝の御飯も 頂きません。わたしと台所を片づけた後は片手に額を抑え んから。 うつむ はんきん ながら、唯じっと長火鉢の前に俯向いているのでございま その晩雛は今月の末、残りの半金を受け取ると同時に、 もた かれこれひる アメリカ あの横浜の亜米利加人へ渡してしまうことにきまりましす。ところが彼是お午時分、ふと顔を擡げたのを見ると、 た。何、売り価でございますか ? 今になって考えますと、腫物のあった下脣だけ、丁度赤いお薩のように脹れ上って いるではございませんか ? しかも熱の高いことは妙に輝 莫迦莫迦しいようでございますが、確か三十円とか申して しよし こうか 居りました。それでも当時の諸式にすると、ずいぶん高価いた眼の色だけでも、直とわかるのでございます。これを ほとん には違いございません。 見たわたしの驚きは申す迄もございません。わたしは殆ど その内に雛を手放す日はだんだん近づいて参りました。無我夢中に、父のいる見世へ飛んで行きました。 「お父さん ! お父さん ! お母さんが大変ですよ。」 わたしは前にも申しました通り、格別それを悲しいとは思 わなかったものでございます。ところが一日一日と約束の 父は、 ・ : それから其処にいた兄も父と一しょに奥へ来 あっけ 日が迫って来ると、何時か雛と別れるのはつらいように思ました。が、恐しい母の顔には呆気にとられたのでござい ほうぜん い出しました。しかし如何に子供とは申せ、一旦手放すとましよう。ふだんは物に騒がぬ父さえ、この時だけは茫然 しばらく きまった雛を手放さずにすもうとは思いません。唯人手にとしたなり、ロも少時は利かずに居りました。しかし母は だいりびな ばや 渡す前に、もう一度よく見て置きたい。内裏雛、五人囃そう云う中にも、一生懸命に微笑しながら、こんなことを さこん うこんたちばなばんばりびようぶまきえ し、左近の桜、右近の橘、雪洞、屏風、蒔絵の道具、 申すのでございます。 もう一度この土蔵の中にそう云う物を飾って見たい、 「何、大したことはありますまい。唯ちょいとこのお出来 したく と申すのが心願でございました。が、一徹な父は何度に爪をかけただけなのですから、 ・ : 今御飯の支度をしま わたしにせがまれても、これだけのことを許しません。「一す。」 度手附けをとったとなりゃあ、何処にあろうが人様のもの「無理をしちゃあいけない。御飯の支度なんそはお鶴にも っ つめ すぐ くらびる

5. 現代日本の文学11:芥川龍之介 集

へ登り始める。良平はその時乗れないまでも、押す事さえ 出来たらと思うのである。 或夕方、ーーーそれは二月の初旬だった。良平は二つ下の 弟や、弟と同じ年の隣の子供と、トロッコの置いてある村 外れへ行った。トロッコは泥だらけになった儘、薄明るい ほかどこ 中に並んでいる。が、その外は何処を見ても、土工たちの 姿は見えなかった。三人の子供は恐る恐る、一番端にある トロッコを押した。トロッコは三人の力が揃うと、突然ご ろりと車輪をまわした。良平はこの音にひやりとした。し かし二度目の車輪の音は、もう彼を驚かさなかった。ごろ けいべんてつどうムせつ ネおだわらあたみかん り、ごろり、 トロッコはそう云う音と共に、三人の手 小田原熱海間に、軽便鉄道敷設の工事が始まったのは、 はす 良平 6 八つの年だった。良平は毎日村外れへ、その工事をに押されながら、そろそろ線路を登って行った。 ただ 見物に行った。工事をーーといった所が、唯トロッコで土その内に彼是十間程来ると、線路の勾配が急になり出し しくら押しても動かなくな こ。トロッコも三人のカでは、、 を運搬するーー・それが面白さに見に行ったのである。 うしろたたず った。どうかすれば車と一しょに、押し戻されそうにもな トロッコの上には土工が二人、土を積んだ後に佇んでい くだ る。トロッコは山を下るのだから、人手を借りずに走ってる事がある。良平はもう好いと思ったから、年下の二人に はんてんすそ あお 来る。煽るように車台が動いたり、土工の袢纏の裾がひら合図をした。 ついたり、細い線路がしなったりーー・良平はそんなけしき「さあ、乗ろう ? 」 コ を眺めながら、土工になりたいと思う事がある。せめては彼等は一度に手をはなすと、トロッコの上へ飛び乗っ おもむ こ。トロッコは最初徐ろに、それから見る見る勢よく、一 一度でも土工と一しょに、トロッコへ乗りたいと思う事もナ くだ とたん ある。トロッコは村外れの平地へ来ると、自然と其処に止息に線路を下り出した。その途端につき当りの風景は、忽 まってしまう。と同時に土工たちは、身軽にトロッコを飛ち両側へ分かれるように、ずんずん目の前へ展開して来 ほとん 良平は顔に吹きつける日の暮の風を感じながら殆 び降りるが早いか、その線路の終点へ車の土をぶちまける。 る。それから今度はトロッコを押し押し、もと来た山の方ど有頂天になってしまった。 コ たちま

6. 現代日本の文学11:芥川龍之介 集

すで れる場所をちゃんと心得ている」と言う言葉である。東洋にも既にこの事実に注目した戯曲家のあるのを知った。の かつらっかん ぎこう の画家には未だ嘗て落款の場所を軽視したるものはない。 みならず「戯考ーは「虹霓関」の外にも、女の男を捉える らんとう 0 そんご けんげ、事 落款の場所に注意せよなどと言うのは陳套語である。それのに孫呉の兵機と剣戟とを用いた幾多の物語を伝えてい を特筆するムアアを思うと、坐ろに東西の差を感ぜざるをる。 得ない。 「毅矚」の女主人公蓮、「轅斬子」の女主人公、 ことごとく そうさぎん 、んてい じよけっ 「双鎖山 . の女主人公金定等は悉こう言う女傑である。 ばじようえん 大作 更に「馬上縁」の女主人公梨花を見れば彼女の愛する少年 とりこ 大作を傑作と混同するものは確かに鑑賞上の物質主義で将軍を馬上に俘にするばかりではない。彼の妻にすまぬと こてき ある。大作は手間賃の問題にすぎない。わたしはミケル・ 言うのを無理に結婚してしまうのである。胡適氏はわたし はる アンジェロの「最後の審判」の壁画よりも遙かに六十何歳にこう言った。 「わたしは『四進士』を除きさえすれ かのレムプラントの自画像を愛している。 ば、全町の価値を否定したい。」しかし是等の京劇は少 はなは くとも甚だ哲学的である。哲学者胡適氏はこの価値の前に らいてい いかりやわら わたしの愛する作品 多少氏の雷霆の怒を和げる訣には行かないであろうか ? ひっ、よう わたしの愛する作品は、ーー文芸上の作品は畢竟作家の 経験 人間を感ずることの出来る作品である。人間をーー・頭脳と 心臓と官能とを一人前に具えた人間を。しかし不幸にも大経験ばかりにたよるのは消化力を考えずに食物ばかりに もっと いたず 抓の作家はどれか一つを欠いた片輪である。 ( 尤も時には たよるものである。同時に又経験を徒らにしない能力ばか わけ 偉大なる片輪に敬服することもない訣ではない。 ) りにたよるのもやはり食物を考えずに消化カばかりにたよ るものである。 「虹霓関」を見て アキレス 男の女を猟するのではない。女の男を猟するのである。 かかと ムじみ ショウは「人と超人と」の中にこの事実を戯曲化し 希臘の英雄アキレスは踵だけ不死身ではなかったそうで た。しかしこれを戯曲化したものは必しもショウにはじまある。 即ちアキレスを知る為にはアキレスの踵を知ら メイランファン こうげいかん るのではない。わたくしは梅蘭芳の「虹霓関ーを見、支那なければならぬ。 そな ギリンヤ ほか ししんし これ

7. 現代日本の文学11:芥川龍之介 集

たやす は手易いと信じている犬たちは = ダヤの王の名のもとに真にいている。 こう云う図の piéta と呼ばれるのは の = ダヤの王を嘲イている。「方伯のいと奇しとするまで必しも感傷主義的と言うことは出来ない。唯ビ = タを描こ にイ = ス一言も答えせざりぎ。」ーークリストは伝記作者のうとする画家たちはマリア一人だけを描かなければなら しる じんもんちょうしよう 記した通り、彼等の訊問や嘲笑には何の答えもしなかったぬ。 であろう。のみならず何の答えをすることも出来なかった こうべ クリストの友だち ことは確かである。しかし・ハラ・ハは頭を挙げて何ごとも明 らかに答えたであろう。・ハラ・ハは唯彼の敵に叛逆している。 クリストは十一一人の弟子たちを持っていた。が、一人も が、クリストは彼自身に、ーー・彼自身の中のリアに叛逆し友だちは持たずにいた。若し一人でも持 0 ていたとすれ ている。それは ' ハラ ' ハの叛逆よりも更に根本的な叛逆だっ ば、それはアリマタヤのヨセフである。「日暮るる時尊き た。同時に又「人間的な、余りに人間的な」叛逆だった。議員なるアリマタヤのヨセフと云える者来れり。この人は 神の国を望めるものなり。彼はばからずビラトに往きてイ しかばねこ ゴルゴタ エスの屍を乞いたり。」 マタイよりも古いと伝えられ 十字架の上のクリストは畢に「人の子」に外ならなかつるマコは彼のクリストの伝記の中にこう云う意味の深い一 た。 節を残した。この一節はクリストの弟子たちを「これに従 「わが神、わが神、どうしてわたしをお捨てなさる ? 」 いっかえしものどもなり」と云う言葉と全然趣を異にして もちろん いわん 勿論英雄崇拝者たちは彼の言葉を冷笑するであろう。況いる。ョセフは恐らくはクリストよりも更に世智に富ん や聖霊の子供たちでないものは唯彼の言葉の中に「自業自 だクリストだったであろう。彼は「はばからずビラトに往 得」を見出すだけである。「エリ エリ、ラマサ・ ( クタ = 」きイ = スの屍を乞」ったことはクリストに対する彼の同情 は事実上クリストの悲鳴に過ぎない。しかしクリストはこのどの位深かったかを示している。教養を積んだ議員のヨ の悲鳴の為に一層我々に近づいたのである。のみならず彼セフはこの時には率直そのものだった。後代はビラトやユ の一生の悲劇を一層現実的に教えてくれたのである。 ダよりもはるかに彼には冷淡である。しかし彼は十一一人の あるい 弟子たちよりも或は彼を知っていたであろう。ヨハネの首 ビエタ を皿にのせたものは残酷にも美しいサロメである。が、ク し力い クリストの母、年をとったマリアはクリストの死骸の前 リストは命を終った後、彼を葬る人々のうちにアリマタヤ ほか のら

8. 現代日本の文学11:芥川龍之介 集

たであろう。 った。この悪魔との問答はいっか重大な意味を与えられて 「わたしの現にしていることをヨハネに話して聞かせるが いる。が、クリストの一生では必しも大事件と云うことは しりぞ 出来ない。彼は彼の一生の中に何度も「サタンよ、退け」 と言った。現に彼の伝記作者の一人、ーールカはこの事件 しる みなおわ 悪魔 を記した後、「悪魔この試み皆畢りて暫く彼を離れたり」 だんじ、 のちま クリストは四十日の断食をした後、目のあたりに悪魔ととつけ加えている。 問答した。我々も悪魔と問答をする為には何等かの断食を 最初の弟子たち 必要としている。我々の或ものはこの問答の中に悪魔の誘 わず 惑に負けるであろう。又或ものは誘惑に負けずに我々自身 クリストは僅かに十一一歳の時に彼の天才を示している。 を守るであろう。しかし我々は一生を通じて悪魔と問答を が、洗礼を受けた後も誰も弟子になるものはなかった。村 しりぞ しないこともあるのである。クリストは第一にパンを斥けから村を歩いていた彼は定めし寂しさを感じたであろう。 た。が、「パンのみでは生きられない」と云う註釈を施すけれどもとうとう四人の弟子たちはーーしかも四人の漁師 たの のを忘れなかった。それから彼自身の力を恃めと云う悪魔たちは彼の左右に従うことになった。彼等に対するクリス つらぬ の理想主義者的忠告を斥けた。しかし又「主たる汝の神を トの愛は彼の一生を貫いている。彼は彼等に囲まれなが 試みてはならぬ」と云う弁証法を用意していた。最後にら、見る見る鋭い舌に富んだ古代のジャアナリストになっ 「世界の国々とその栄華と」を斥けた。それは・ ( ンを斥けて行った。 あるい たのと或は同じことのように見えるであろう。しかしパン Ⅱ聖霊の子供 クリスト を斥けたのは現実的欲望を斥けたのに過ぎない。 はこの第三の答の中に我々自身の中に絶えることのない、 クリストは古代のジャアナリストになった。同時に又古 あらゆる地上の夢を斥けたのである。この論理以上の論理代のポヘミアンになった。彼の天才は飛躍をつづけ、彼の 的決闘はクリストの勝利に違いなかった。ヤコプの天使と生活は一時代の社会的約束を踏みにじった。彼を理解しな 組み合ったのも恐らくはこう云う決闘だったであろう。悪い弟子たちの中に時々ヒステリイを起しながら。 しか 魔は畢にクリストの前に頭を垂れるより外はなかった。けしそれは彼自身には大体歓喜に満ち渡っていた。クリスト さんじよう れども彼のマリアと云う女人の子供であることは忘れなかは彼の詩の中にどの位情熱を感じていたであろう。「山上 によにん うら

9. 現代日本の文学11:芥川龍之介 集

むし 生まれたわたしは彼等のもう見るのに飽きた、ーーー寧ろ倒 すことをためらわない十字架に目を注ぎ出したのである。 日本に生まれた「わたしのクリスト」は必しもガリラヤの み 湖を眺めていない。赤あかと実のった柿の木の下に長崎の 入江も見えているのである。従ってわたしは歴史的事実や 地理的事実を顧みないであろう。 ( それは少くともジアナ リスティックには困難を避ける為ではない。若し真面目に 構えようとすれば、五六冊のクリスト伝は容易にこの役を いちげんいっこう はたしてくれるのであるじそれからクリストの一言一行 ただ あ を忠実に挙げている余裕もない。わたしは唯わたしの感じ た通りに「わたしのクリスト」を記すのである。厳しい日 1 この人を見よ 本のクリスト教徒も売文の徒の書いたクリストだけは恐ら かれこれ くは大目に見てくれるであろう。 わたしは彼是十年ばかり前に芸術的にクリスト教を 殊にカトリック教を愛していた。長崎の「日本の聖母の きた 2 マリア 寺」は未だに私の記憶に残っている。こう云うわたしは北 ま はらはくしゅう たちま きのしたもくたろう によにん 原白秋氏や木下杢太郎氏の播いた種をせっせと拾っていた マリアは唯の女人だった。が、或夜聖霊に感じて忽ちク うら からす 鴉に過ぎない。それから又何年か前にはクリスト教の為にリストを生み落した。我々はあらゆる女人の中に多少のマ じゅんきようしゃ じゅん なんし 殉じたクリスト教徒たちに或興味を感じていた。殉教者リアを感じるであろう。同時に又あらゆる男子の中にも 人 の心理はわたしにはあらゆる狂信者の心理のように病的な いや、我々は炉に燃える火や畠の野菜や素焼きの瓶 がんじよう の 興味を与えたのである。わたしはやっとこの頃になって四や巖畳に出来た腰かけの中にも多少のマリアを感じるであ 西人の伝記作者のわたしたちに伝えたクリストと云う人を愛ろう。マリアは「永遠に女性なるもの」ではない。唯「永 し出した。クリストは今日のわたしには行路の人のように遠に守らんとするもの」である。クリストの母、マリアの もらろん あるいこうもうじん カマリアは 見ることは出来ない。それは或は紅毛人たちは勿論、今日一生もやはり「涙の谷」の中に通っていた。・ : の青年たちには笑われるであろう。しかし十九世紀の末に忍耐を重ねてこの一生を歩いて行 0 た。緲と愚と美徳 西方の人 こと あ かめ

10. 現代日本の文学11:芥川龍之介 集

自殺出来ない」と云う言葉を思い出しながら。 四十五 Divan 四十三夜 Divan はもう一度彼の心に新しい力を与えようとした。 夜はもう一度迫り出した。荒れ模様の海は薄明りの中にそれは彼の知らずにいた「東洋的なゲエテ」だった。彼は しぶ、 ひがんゅうゆう 絶えず水沫を打ち上げていた。彼はこう云う空の下に彼のあらゆる善悪の彼岸に悠々と立っているゲエテを見、絶望 うらや よろこ 妻と一一度目の結婚をした。それは彼等には歓びだった。 に近い羨ましさを感じた。詩人ゲエテは彼の目には詩人ク が、同時に又苦しみだった。三人の子は彼等と一しょに沖リストよりも偉大だった。この詩人の心の中にはアクロポ いなずま ほか の稲妻を眺めていた。彼の妻は一人の子を抱き、涙をこらリスやゴルゴタの外にアラビアの薇さえ花をひらいてい たど えているらしかった。 た。若しこの詩人の足あとを辿る多少の力を持っていたら おわ 「あすこに船が一つ見えるね ? 」 ば、ーー彼はディヴァンを読み了り、恐しい感動の静まっ のら かんがん 「ええ。」 た後、しみじみ生活的宦官に生まれた彼自身を軽蔑せずに ほばし・、 「檣の二つに折れた船が。」 はいられなかった。 四十四死 四十六 まどごうし 彼はひとり寝ているのを幸い、窓格子に帯をかけて死彼の姉の夫の自殺は俄かに彼を打ちのめした。彼は今度 しようとした。 : カ帯に頸を入れて見ると、俄かに死を恐れは姉の一家の面倒も見なければならなかった。彼の将来は 出した。それは何も死ぬ刹那の苦しみの為に恐れたのでは少くとも彼には日の暮のように薄暗かった。彼は彼の精神 なか 0 た。彼は一一度目には懐中時計を持ち、試みに縊死を的破産に冷笑に近いものを感じながら、 ( 彼の悪徳や弱点 計ることにした。するとちょ 0 と苦しかった後、何も彼もは一つ残らず彼にはわか 0 ていた。 ) 不相変いろいろの本 ぎんげろく ぼんやりなりはじめた。そこを一度通り越しさえすれば、 を読みつづけた。しかしルッソオの懺悔録さえ英雄的な譓 しら 死にはいってしまうのに違いなかった。彼は時計の針を検に充ち満ちていた。殊に「新生」に至っては、ー・ー彼は べ、彼の苦しみを感じたのは一分一一十何秒かだ 0 たのを発「新生」の主人公ほど老獵な偽善者に出会「たことはなか 見した。窓格子の外はまっ暗だった。しかしその暗の中に った。が、フランソア・ヴィョンだけは彼の心にしみ透っ おす 荒あらしい鶏の声もしていた。 た。彼は何篇かの詩の中に「美しい牡」を発見した。 にわ けいべっ