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検索対象: 現代日本の文学12:山本有三 集
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1. 現代日本の文学12:山本有三 集

「吾一ちゃん、そこがいいよ。」 「うん、みんなで自慢話をやっていたんだよ、だれが一番 おきぬは炉ばたにいた兄をどかせると、吾一をあとにすすばらしいことをやったかって。 おい、あとを話せ わらせた。 よ、勝ちゃん。」 彼女は年に似あわず、伝法はだで、兄を兄とも思わない 京造は議長のような態度で、進行をはかった。 ところがあった。秋太郎を、炉ばたからどかせるぐらいで「なんだか、話しにくくなっちゃったなあ。」 はない。自分の兄を「にいさん」とも言わないで、「秋ち「そんなこと言わねえで、早くやれったら。」 ゃん」と友だち扱いにするのである。もっとも、秋太郎は「もう、さっきで、たいてい話しちゃったようなものなん おきぬと年が一つしかちがわないうえに、学校を落第した それから、なんだ、そうっと草ん中からはい出 りしているので、とかく、兄の重しがきかなかった。 して、逃げてきちゃったのさ。」 おきぬはまゆがこく、目がばっちりしていた。そして、 「それじゃ、ただスモモをもぎとってきただけじゃねえ しもぶくれのほおも、大きな商家の娘らしく、なんとな く、福々しかった。ぽんぼんものを言うたちだけれど、学「そんなことを言ったって、おめえ、あのじいさんが、が 校のほうは、兄とちがって非常によくできた。そのせい んばってるとこを盗んでくるなあ、容易じゃねえぞ。」 か、できない兄はけいべっするが、吾一のようにでぎる者「なんだい。スモモの一つや二つ。おれなんか、こんなで には、好意を持っていた。秋太郎をどかせて、吾一を炉ばっかい看板をかついできちゃった。」 たに迎え入れたのも、その一つのあらわれである。 「なんの看板 ? 」 「おい、勝ちゃん、それからどうしたんだ。」 「薬種やの看板さ。人魚の絵のくつついてる、あのびかび 京造はあぐらを組みなおしながら、催促するように言っか光ってるやつを、はずしてきたんだ。ちょっと、すごい た。 だろう」 「あ、そう、そう。吾一ちゃんが来たんで、すっかり話が「薬種やって、いわし屋かい。あんな人どおりの少ない所 とぎれちゃったね。」 のなら、わきゃあねえや。おれは交番の前のうちの、表札 おきぬは京造のきげんをとるように、わきから調子を合をひっぺがしてぎたぞ。巡査が向こうを向いてるまに、ば わせた。 っとやっちゃったんだ。」 「なんの話、してたの。」 話がはずんでくると、だれも彼も負けぬ気になって、い

2. 現代日本の文学12:山本有三 集

うして、ほかのことを見ているどころじゃない。材木をか 専吉は、「おやっ」と思った。自分のことを言われてい るんじゃないかしらと思った。少し立ち聞きをしてやろうついでいるだけが、やっとなんですからね。」 かと考えたが、そいつも気がさすので、道具をほうりこむ「そりやそうかもしれないが、源さんは、おまえさんの と、彼はかまわず小使べやの中へはいって行った。もうひ三、四間まえをかついでいたっていうんだろう。それな とりの男は、専吉の姿を見ると、急に立ちあがって、こそら、あん時、源さんが立ちどまっていたか、歩いていたか ぐらい、おまえさんにだって、見えねえはずはないと思う こそ出て行ってしまった。 専吉はなんにも知らないふりをして、タナの上の湯のみんだがな。」 を取り、土間のいろりの上で白い湯げを吐いている、大き「それが、今いう通り、見えなかったんですよ。」 専吉は、がんこに否定した。 なャカンに手をかけた。 今度の事件で、一番問題になっているのは、そこだっ 「お湯かい。」 栄蔵はそう言いながら、いつになく親切に、自分でヤカた。ひいたほうは、出あいがしらだと言うし、ひかれたほ うは、いや、そんなことはない。立ちどまっているところ ンを取って湯をついでくれた。 を、ひき倒されたのだと言うのだ。これは、じつにむずか 「ありがとうさま 0 これはどうも : ・ : こ しい問題で、今となっては、どっちがどっちだか、ちょっ 専吉が礼を言うと、栄蔵は、いやににやにやしながら、 と判断ができないのである。 彼の横に掛けた。 この事件のあったおとといの午後は、どんより曇った、 「なんだってじゃねえか、ゆうべ、源さんのむす子が、お うすら寒い日だったが、専吉は源作といっしょに、工場の めえさんのとこへ、行ったそうじゃねえか。」 うら手で、取りこわした・ハラックのふる材木を片づけてい 「うム、一「三人やって来ましたよ。」 「どうしておめえ、証人に立ってやんねえんだい。立ってた。 ( 栄蔵はほかの仕事をしていたので、いっしょではな かった。 ) そこへ、 一台の立派な自動車がはいって来た。 やったらよさそうなもんじゃねえか。」 「証人たらおまえさん、容易なこっちゃありませんよ。すあとでわかったのだが、それは、有名な東洋精工の喜多専 つかり、その場のことを見てなくちゃなりませんからね。務の車だった。 ( 資本関係から言うと「この計器は東洋精 ところが、おまえさんも知っての通り、あの日は源さんもエの子会社に当たるので、両社間の往来は、かなり激しか わたしも、ふる材木をこんなにかついでいたでしよう。どった。 ) 不断、うら門のほうは、トラック以外の自動車は、

3. 現代日本の文学12:山本有三 集

なかった。 おこなわぬにせよ、もう少し思案を練ってからのほうが、 ・し、かに 仙「落首など気にかけることはありませぬが、 よくはないだろうか。お互いに、ひとりになって考える も、今まで通りなら、気にかけるほどのこともありませぬと、また妙案が浮かぶかもしれない。そう言いなだめて、 が、いず殿、上使として下向あるからは、もはや手をつかひとまず、彼は内膳の陣屋を引き取った。 ねてはおられませぬ。もし城・せめもいたさず、べんべんと雲仙 ( うんぜん ) おろしが、ビュウと、ほおをなでてい しておったら、いよいよもって内膳は、武道を知らぬ者とった。十蔵は敵がたとは反対の方向にある山のほうを、静 そしられましよう。このたびは、たれがなんと申そうとかにながめた。 内膳は自分より六つも年うえで、いつも・落ちついた仁 も、城のりをいたさぬわけにはまいりませぬ。」 ( じん ) なのに、きようは、すっかり興奮している。向こう 内膳としてこう言うのは、少しも無理ではないと思っ があまりに興奮しているので、十蔵はあべこべになだめ役 た。いや、無理どころか、十蔵だって内心はそうなのだ。 むしろ彼のほうこそ、がむしやらに飛び出したいくらいなにまわったが、もし内膳が落ちついていたら、十蔵のほう のだ。そのほうが彼の気性に合っているのだ。だから、こがいきり立ったにちがいない。実際、考えれば考えるほ すのかみ殿、任命の日を繰ってみると、 ういうことばを聞くと、つい引きこまれて、それなら、とど、くちおしい。い・ いう気になりかけたが、しかし、十蔵は昔の十蔵ではなかわれわれがまだ島原に到着しない前のことではないか。こ った。今は追討使の差しぞえである。目付である。そう考れでは、戦いも始めないうちから、われわれはすでに見は なされていたわけである。 えると、上使ひとりの面目のために、多数の人命をそこな うことは、なんとしても同意できなかった。弱いようて しかし、自分まで興奮してしまっては、おしまいだ。大 も、ここは忍ばねばならぬ。十蔵はそういう立場から、で事な差しそえの役が勤まらない。惜身命、惜身命と、十蔵 きるだけ内膳の反省を求めた。けれども、内膳はもうそんは自分で自分の腹に言い聞かせた。 なことでは動かなかった。ふたりはしばらく論じ合った翌朝、また、内膳の所から使いが来た。行ってみると、 が、意見はなかなかまとまらなかった。 いず殿の着到の日どりがわかったというのである。そし 十蔵は言った。とにかく、いず殿が来ると申しても、まて、一通の書状を示された。内膳が最もしたしくしてい だ着到の期日は判明しないのであるから、今いそいで城・せる、井伊かもんのかみから、早びきやくで内報してくれた めをおこなうことは、 しかがであろう。おこなうにせよ、 ものだ。それによると、正月早々その地に到着のはずと書

4. 現代日本の文学12:山本有三 集

のぼたもちは、それより、なん層倍うまいかわかりやしな条約改正の運動は明治四年から手をつけられていたので あるが、外国が容易に承知しないばかりでなく、日本内地 「ほほほほ、まあ、おまえにもお世辞が言えるようになつでも反対があったから、なかなか思うように、はかどらな たのね。 その分なら、きっといいあきんどになれますかった。内閣はこの問題のために、なんどっぷれたかわか らないし、ある大臣などは爆弾を投げつけられて、かた足 「ううん、ちがうよ、ちがうよ。 いやだなあ、おっかをもぎ取られるというような事件さえあった。しかし、さ さんは、お世辞だなんて。」 まざまこみ入ったいきさつがあったあと、やっと、この日 吾一は本気になって、母おやに抗議をした。 にな 0 て、留地 ( きよりゅうち ) という存在が、日本から 親と子が、こんなことばをかわし合うのも、半としにた姿を消し、不平等な関税率も改められることになったので だ一日だけ許された、この日の情景と言えよう。 ある。これは重大な事がらであるが、兵火をまじえるとい 「お迎い。」「お迎い。」と、せわしなく走り過ぎる声にまうような、はなばなしい事件でないために、世間の人に じって、金魚売りの明るい呼び声が、路地の中まで響いては、あまり記憶されていないようである。だから、いなか きた。 などでは、条約改正というようなものに、深い関心を持っ ている者は、そうたくさんなかった。小僧をしている吾一 のような者は、なおさらである。しかし、彼がきのうの・ほ 物価騰貴 ( ぶ。かとうぎ ) たもちのことしか考えていなかった時に、日本はむつくり と、大きく頭をもちやげたのであった。 外務省の応接室には電灯がともっていたが、国民の大部 吾一がやぶ入りで、うちへ帰った翌日は、日本国にとっ分は、まだラン。フで暮らしていた時代のことである。国家 て、 - 記念すべき重大な日であった。吾一はおっかさんのこ はおもむろに、その体制を整えて、国威を輝かすことに心 しらえてくれた、きのうの・ほたもちの味が忘れられない をこめていたとしても、吾一の周囲は、あい変わらずつま で、淡い里ごころをそそられていたが、この日、わが国はらない、 いざこざをくり返していた。 欧米の列強と対等の条約を結んだのであった。 吾一は前の通り、秋太郎の勉強のおあい手を動めていた

5. 現代日本の文学12:山本有三 集

急に頭と両手をすりつけてしまった。 はなりはせぬよ。」 東金でシシ狩りがあってから、そう日かずのたたないこ ろであった。ある日、秀忠は新宿のほうにタカ狩りに出か 「なぜ、そのもとはついて来られるのだ。とくお立ち帰りけた。十蔵はそれを知ると、謹慎中にもかかわらず、さっ なされえ。」 そく身じたくをして、のこのこ、そのうしろについて行っ た。おそばの者がお目ざわりになってはと注意しても、彼 「いや、われらは帰りませぬ。」 はなんとしても聞き入れなかった。しかし、お乗り物の近 「そのもとはご老中 ( ろうじゅう ) から、ひっそく仰せつか っているのではござらぬか。出あるいたりなされては、まくには、さすがに彼も近づかなかった。 いったい、老中から、ひっそくを申しつけられているの た、どのようなおとがめをこうむるかもしれませぬぞ。」 「仰せではござるが、われらはご老中の家来ではござらに、勝手に他出するということは、おきてにそむくことで ぬ。うえ様にじきじきお仕え申す者でござる。事と次第にあるから、慎まなければならないぐらいのことは、十蔵と よっては、ご老中のごさたなりとも、そうむざとは従いかても、よく知っていた。しかし、彼は夏の陣のおりにも、 ねます。」 大胆に軍律を犯した男なのである。当時、彼は、土岐 ( とき ) やましろのかみの配下で、江戸にとどまるべき組 「これは奇怪なことを承る。さきだって、東金において、 あれほど、ごきげんを損じておりながら、そのもとは、まの中におったのだが、将軍が戦場に馬を進めるというの に、そのお供ができないのは、 いかにも残念でたまらなか だそのようなことを言われるのか。」 「いかにも、あのおりはご不興 ( ふきよう ) をこうむりまった。それで、たびたび願書を出したけれども、一向、き たが、いまだ引きこもれとのご上意は受けておりませき届けられないものだから、彼は黙って城を抜け出してし ぬ。ご上意のない限りは、臣下としてお供申しあげるのまった。それから、衣類をすべて売り払って、まず、路銀 は、当然ではござりませぬか。われらは将軍家にお仕え申をととのえ、足軽 ( あしがる ) に具足ビッをかつがせ、茶 す者、たれがなんと仰せられても、うえ様お成りの所へのつむぎのあわせ一枚を着たままで、昼夜兼行、秀忠のあ は、いずこへなりとも、お供いたさずにはおられませぬ。」とを追ったのであった。東海道を馬よりも早く歩き通した 「どうもそのもとの強情 ( ごうじよう ) にはあきれ返るな。」ので、足がはれあがってしまったけれども、とにかく、伏 「いや、そうむずかしいことを仰せられな。貴殿の落度に見でやっと追いついた。軍律を犯して出陣したのであるか

6. 現代日本の文学12:山本有三 集

書きつける名言佳句は、その日、その日の気もちで選ば れるものであるから、千差万別である。「勤勉」「努力」と いったふうのものや、「天下」「国家」に関するものがある かと思うと、「花」の詩があったり、短い俳句一句だけの こともあったりする。まことに、てんでんばらばらではあ るが、しかし、丹念に手帳をめくってみると、その中に 恋愛は眠りなり。恋愛は夢なり。さはれ、君もし恋しは、おのずから時代の色が出ており、生活の影が浮きあが たりせば、君は生活したるなり。 っている。戦争の最中には、愛国的な文句が多く、成り金 が続出した時には、立身出世に関するものが幅をきかせて 吾一は寝る前に、格言とか、有名な詩句を、ーーー時に いる。金言とか、格言とかいうものにも、世の中の動きに は、その一節を、毎晩必ず一つずつ書くのが、もう、なんつれて、やはり、はやりすたりがあるようである。 年となく、彼の習慣になっていた。 中には、今ならこんな文句は選びやしないと思うような それは酒ずきの人が、寝ざけをやるようなものだった。 ものもあったが、その時には、それにもなんかの実感があ とこにはいる前に、名句や金言を書ぎつけると、その日のったのだろう。総じて、心のゆるんだ時に書いたものは、 疲れが、それによって、すっかり洗いきよめられ、明日の たるんだ格言が多く、張り切った時のものは、今見ても血 労働にたいする新しい元気が約束されるような気がするのをたぎらせるものがあった。金言の抜き書き帳が、そのま である。よいことばはアルコールなぞよりも、はるかに人ま自分の生活の記録になっていることを、彼は恐ろしく思 を酔わせる力がある。しかも、ふつか酔いの心配は絶対にった。吾一はばらりばらり手帳をめくっていたが、きよう 石 書いたミ ュッセのことばを思い出すと、ひとりでに微笑が の 今夜は、吾一は、金言集の中からミュッセのことばを見浮かんだ。 「ごめんなせえ。もう、おやすみですか。」 路つけて書いた。ミ = ッセと言ったところで、それはどうい う人だか、いっ時代の人だか知らないのであるが、とにか知らない男がのそりのそりあがってきた。 く気に入ったことばがあると、さっそく書きつけるのであ「おやすみでなかったら、ちょっと、ごあいさつをしてえ と思って : : : どうも、留守中は、いろいろお世話さまにな お月さまは、なぜ落ちないのか

7. 現代日本の文学12:山本有三 集

が、主人のむすこの成績は、ちっともよくならなかった。 めしを食わしておくのである。それを、言うことにことを もっとも、中学にもなんにも行ったことのない吾一が相談欠いて、かどわかしとは、なんという言い草だ。あんな使 あい手では、学課が進むにつれて、さつばり、たよりになえない小僧は、すぐにも追い出してしまいたいが、向こう らなかったことも確かである。漢文などは吾一にも、てん - がそういう出かたをするなら、年期があくまでは、なんと で手がっかなかった。そこで二学期からは、正式に家庭教言っても返すものか。返さないで、思いきり、こき使って 師が雇われることになり、彼はまた湯どのそうじゃ、使いやる、という態度になったのである。 走りに逆もどりをしてしまった。 父おやの手がみは、吾一の所にも来た。おまえは自分で しかし、彼が急にそんなほうへ追いやられたのは、必ず知らないでいるのだが、おまえはいせ屋に人質にされてい しも、むすこの勉強あい手として、不適任であったからでるのだ。そんな所に働いている必要はない。早く東京へや はない。それよりは、父おやの庄吾が、いせ屋に手ごわい ってこいと、ひそかに逃亡を勧めてきたのであった。 手がみを突きつけたことが、もっと直接の原因であった。 主人のこごとは、日ましに激しくなるし、店の仕事はっ 手がみの内容は、吾一を返せという、ただそれだけのこらいし、吾一はくさりきっていた。それだけに、父の手が となのだが、穏やかに言ってもわかることを、何しろ庄吾みの中にある「東京」というもじは、彼を踊りあがらせ のことだから、自由だの、人権だのという、かた苦しいもた。そのもじの持っている、甘い美しさに、彼の心はたち じを並べ立てて、これに応じなければ訴訟ざたにもしかねまち引ぎずられていった。 ないことを、言ってよこしたのであった。彼の言い分に従しかし、吾一は吾一なりに、父のことをよく知ってい えば、吾一を奉公に出すことについて、自分は承諾を与えた。父の気性、父の素行を思い浮かべると、彼はこわくっ ていない。父おやの承諾のない子どもを、勝手に使って いて、すぐに飛び出す気にはなれなかった。それから「人 石 ることよ、、・ 力とわかしたも同然であると、いうのである。質」ということばも、彼にはよくのみこめなかった。父 の しかし、こんなおどし文句を突きつけられて、すなおに聞は、なんでこんなことを言うのだろうと思った。彼はどう 傍 路き入れる主人は、めったにないだろう。いせ屋のあるじしていいかわからないので、使いに出たついでに、いなば は、わけても、因業 ( いんごう ) なほうであるから、すっ屋に寄ってみた。いなば屋のおじさんの意見を、聞いてみ かり腹を立ててしま 0 た。母おやから、是非使 0 てくれとようと思 0 たのである。ところが、おじさんはからだが悪 頼まれたから、役にたたない子どもではあるが、毎日むだくって、 ( ヤマのほうに転地しているというので、なんに

8. 現代日本の文学12:山本有三 集

こ には、とても店を持っことなぞできなかった。彼はずるず開店当初は、どうせ食いこみと覚悟をしていたから、出 るに二十年ちかくも、同じ主人の店さきに、すわっていな いりの勘定が合わなくても、そんなには驚かなかった。む ければならなかった。彼は番頭として一番ふる顔になったしろ、今このくらいの食いこみですむなら、二、三年のう ので、何かの機会を捕えては、ときどき、主人になぞをかちには、こんなとこ店はたたんでしまって、三間まぐちの けてみたこともあったが、主人はなかなかノレンを分けておお店にはいってみせる、などとりきんでいた。しかし、 くれるとは言わなかった。ところが、しびれを切らして いおいおい不景気が深刻になってくるにつれて、そんな空想 た専吉に、耳よりな話があ 0 た。さして大きい店ではなかは夢のように消えていった。彼は、目前、一間半のとこ店 ったが、あるモスリンどん屋の主人が、あなたが店を出すを張ってゆくことが、容易なことではなかった。どれだけ なら、品ものは多少融通してあげましよう、と言ってくれ商 . 売に精を出しても、どれだけ、うちの中の暮らしをつま た。専吉はこのことばに力を得て、今まで少しずっためてしくしても、のしかかってくる不景気の重圧には、とても いた小がねをもとにして、場すえの町に、小さな小ぎれ屋対抗することはできなかった。ものの三年ともたたないう を開店した。西洋では、おやこ二代がかりで、星の研究をちに、彼はとうとう、その店を締めなければならないよう したというような話があるが、専吉もやっとの思いで、親なことになってしまった。につちもさっちもいかなくなっ の宿願を果たすことができたのである。 た彼が、まっさぎにすがりたいと思ったのは、もと世話に どんな小さな店でも、店を持っ喜びというものは、たと なった主人のうちだが、その主人の店さえ、ちゅうどこの えようがないものだ。今までは、こうしたらいいと思って呉服店の悲しさ、デパートに押されて、とうにお辞儀をし も、主人がいけないと一一一口えばそれまでだったが、今度は、 ているという始末だった。そこで、どこかの帳づけにでも 仕入れから支払い、タナの飾りつけから、店さきにつるすと、彼はそのほうを随分さがしまわったけれども、なかな メリンスのがら合いまで、何から何まで、自分ひとりの料かそんなうまい口はころがっていなかった。しかも、その けんでやってゆけるのだから、苦労も多かったが、楽しみ日、その日の生活のことが、ひしひしと迫ってくるので、 もまた大きかった。彼は小さな小僧と女房をさしずしなが彼は仕方がなしに、ある時なそは、道路人夫の中にまじっ ら、店さきにすわって、「いらっしゃいまし。」「こちらにて、土かつぎをしたほどだった。失業者にとっては、あん 新がらがたくさんそろっております。」を日夜くり返してな仕事はどうだの、こんな仕事はどうだの言ってはいられ ないいくらかになりさえすれば、どんな仕事でもやらな

9. 現代日本の文学12:山本有三 集

ゃないの。そっちょ。 あら、そっちだって言ったら、 「ーーーほれ、ほれ。邪魔になるじゃないか、そんな所に、 へいつくばっていちゃ。おきぬが出られやしませんよ。」そっちょ。」 おきぬの言うのは、ひょりの塗りゲタだった。やっと、 「おきぬが。」ということばを聞いたら、吾一はまっかな 顔が、なお、まっかになってしまった。彼は板のまからすそれを出してそろえたら、彼女はロをきゅっと「へ」の字 べり落ちるほど、ずるずるっと、うしろへすさった。 に曲げて、にらむような目つきをしたと思うと、ひょりの 「本当に気がきかない人だね。お嬢さんがお出かけなんじあと歯で、いやというほど、土間のたたきをけって、出て いってしまった。 ゃないか。いつまでもそんな所につくばっていないで、早 このあいだまで、「吾一ちゃん、吾一ちゃん。」と くゲタでもそろえなさい。」 今度はおかみさんの声がした。吾一はそのことばにはね言っていた娘が、これはまた、なんということであろう。 飛ばされたように、内玄関に飛んでいった。そして、急 . いまるで別の人間のようなしうちではないか、ああ、こんな でゲタ箱をあけたが、おきぬのゲタがあんまりたくさんあことなら、ここのうちに来るのではなかった、と吾一はし るので、どれを出していいのか、彼には見当がっかなかつみじみ思った。いせ屋さんなら、お店も大きいし、第一、 」 0 秋ちゃんや、おきぬちゃんがいるから、よそのうちへ行く よりも、ずっとらくだよ、とおっかさんに勧められ、自分 「五助、何してんのよ。ーー・・・早くお出しったら。」 玄関の縁がわの上から、おきぬはせき立てるように言っもその気になって来たのだが、それはとんでもないまちが 、・こっこ 0 た。吾一はそう言われると、なおわくわくしてしまった が、きれいなのを出せば、きっと気に入るのだと思い、畳じつを言うと、彼はおきぬのいることに、ある淡い喜び つきのこまゲタを取ってクッぬぎの上にきちんとそろえを感じていたのだ。おきぬの顔を、朝ばん見られることも 石 うれしいし、それにまた今までのように、何かにつけて、 の すると、おきぬは何も言わずに、黙ってそれをひだり足きっと自分の身かたになってくれるにちがいなし 路のつまさきで軽くけった。しかし、吾一は、おきぬがよろそれ以上のことさえ、吾一はほのかに期待していたのだ。 けたのかと思って、もう一度、丁寧にそろえ直すと、またところが、来てみると、そんな予想はことごとく裏ぎられ てしまった。前にはあんなにちやほやされていた自分も、 同じようにけとばした。 「じれったい人ね。こんなの学校へ、はいてけやしないじもう彼女の目には、ただの小僧としか写らないらしい。そ ) 0

10. 現代日本の文学12:山本有三 集

者であった。父は五郎大夫清定という者だが、さして名のった。それは野ジシのさかる春の初めのころだったので、 ある武士ではなかった。十蔵が秀忠に認められたのは、二待つほどもなく、獲ものは彼らの前にあらわれた。それを 十二歳のおり、大阪夏の陣の時からで、その時の戦功によ見ると、彼はできるだけそばに引きつけて、まっこうを、 って、彼はようやく三百石 ( こく ) に取り立てられたので骨も砕けよとばかり、力をこめて打ちおろした。ところ ある。それは、彼の大胆不敵な気性が役だって、もの見のが、シシの頭は、まるで石のようで、かえって、彼の刀の 役を勤めた際、抜群の手がらを立てたからであった。 , を 彼ま刃のほうが飛んでしまい、わずかに皮をそいだばかりだっ 常に恐れというものを知らなかった。彼はいつも、いのちた。そのために、シシはいよいよ荒れ狂って、ふたたび飛 を、ちりあくたのように思っていた。だから、ぎようにしびかかってきたから、彼はすばやく身をかわしながら、ま ても、手おいの野ジシが、狂気のように主君のほうに向か た脳天へ切りつけた。けれども、やはり前のように刀がは って行った時、十蔵はことさら、「おうい。」と声をあげね返ってしまって、なかなかしとめるどころの仕儀ではな て、とっさに、横あいから飛び出したのであった。すなわ かった。やむなく、彼はイノシシのまえ足を払って、やっ ち、彼は主君のおん大事にあたって、お身がわりに立っ考と身を救うことができたが、こんな手なみでは、大きなこ えであったのだ。だが、なぜ「おうい。」と呼ばわったのとを言った手まえ、猟師たちに顔むけがならなかった。そ か。「おうい。」と呼ばわりさえすれば、イノシシはどの方こへまたまた大きなやつが、一度に二匹も突っかかってき 向に走っていようとも、必ず声のするほうに、かしらを振た。彼はつまらぬ自慢をしたことを、今さらのように後悔 り変えることを、彼はにがい経験によって知っていたからした。しかし、もうどうすることもできなかった。彼は観 よであった。 念して、ただ腕の続く限り、切りまくってやれという気に み 一、二年まえのことである。彼は大阪おもての戦い以なった。死を覚悟したら、心がいくらか落ちついてきた。 ん し来、だいぶ慢心が出て、人なかで高言を吐くことが少なく が、さっきのように切りそこなったり、足を払ったりする ゃなかった。たまたま、ある山ざとに行った時、シシ狩りのようでは、 いかにも見ぐるしいから、せめて一匹ぐらい ふ話が出た。すると、彼は自分の腕まえを見せたいところか は、見ごとに胴ぎりか、から竹わりにして、死後の笑いを ら、さっそく狩りを催した。で、十蔵は家来をひとりつれ防ごうと腹をきめ、一匹が向かってきたところを、ひょい 3 て、シシの通る山あいの立て場に待っことにし、所の狩りと身を開いて、いきなりタチを打ちおろした。すると、意 ゅうどたちは、ことごとく、獲ものを追い出すがわにまわ外にも大ぎな野ジシは、彼の足もとで、たわいもなく二つ