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検索対象: 現代日本の文学12:山本有三 集
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1. 現代日本の文学12:山本有三 集

レコの話でげさあ。そこで、わたしは言ってやったんです「あんな男といっしょになると、泣かなくちゃならない よ。『そんな話は、まあ、古いほうのかたがついてからでぞ。」 すねえ。』って突っぱなしますとね、愛川さんは、さも困結婚の前に、父がそう言ったにもかかわらず、彼女は振 ったような顔をして、なお、くどくどと何か言っていましり切るようにして、愛川の所に嫁に来たのだった。それは たが、一番おしまいに、なんと言ったと思います。『うち色こいなそという浮わっいたものではない。彼女として 。は、あの時、そうするのが、女の道と思ったからだった。 のがきがアマだったらなあ。』ええ、こう言うんでげすよ 世話する人があって、愛川の家と縁談が整ったのだが、 わたしや、ほんとにどきっとしましたね。」 その話がぎまって、半つきばかりすると、愛川は親類をあ 「わたしが心配するのはここなんですよ。おれんさん、あい手どって訴訟を起こした。後見をしていたおじの不正が の調子じゃ、吾一ちゃんは、本当に、どうなるかわかりやわかったので、急にそういう手段を取ったのだった。しか しません・せ。昔、わたしは西国立志編 ( さいこくりつしへん ) し、昔かたぎの父は、理非がいずれにあるにもせよ、裁判 ざたを極端にきらった。訴訟なぞをする人間は、じみちな ってものを、すこうしばかりかじったことがござんすが、 あん中に、なんとかいう焼物師がいますよ。気ちがいみた仕事をきらって、とかく、ふところ手ばかりしていたがる いな男で、セトを焼くために、うちにあるものを、いっさものだ。そういう男には、娘はやれないと言って、破談を いがっさい、カマの中にたたっこんじまうて人だが、愛川申しこんだのだった。 しかし世間では、必ずしもそうはとらなかった。家がら さんも、どこか、その外国人に似たところがありやすね。 訴訟のためには、なんでもかでも見さかいなく、みんな投がよいので、縁ぐみをしたが、親類につかいこまれたとわ げこんじまうんですからね。今に吾一ちゃんだって、あんかったら、破談にするとは当世すぎると、かげ口をきく者 もあった。そういう声が聞こえると、おれんの気性とし 石ただって、投げこまれないとは限りません・せ。」 のおれんは気を失ったように、袋はりの台の上によりかかて、父の言うなりにはなれなかった。赤い糸まきをほうら 傍 っていた。頭がぼうっとしてしまって、忠助のことばなれた時と同じように、そういう、のしかかってくるものに そ、ほとんど耳にはいらなかった。死んだ父の、いかめし対して、「わたしはそんな女ではございません。」というと ころを、きつばりと見せたかった。それに道理から言って い顔だけが、目の前で、なんども消えたり、あらわれたり した。 も、婚約を破るようなことはしたくないので、彼女は泣い

2. 現代日本の文学12:山本有三 集

はしご段の所から首を出していた。 と、吾一は思った。娘の顔が、また、・ほうっと、目の前に 浮かんだ。 吾一が呼ぶと、ふたりの少年はころがるように、へやの 「ああ、なんだか、このへや、においがするね。」 中にはいってきた。 と、弟が言った。 「君、足はどうした。」 「うム、さっきから、におっているのだ。下でなんか焼い 彼は兄のほうに向いて言った。 ているんじゃない。」 「まだ、動くと痛いや。」 「ううん。そんなことないよ。」 兄が答えた。 「それじゃ、二階にあがってきちゃだめじゃないか。」 「でも、愛川さんの顔がちょっと見たかったから。」 「おれ、一。 大将っと。」 「はははは。それなら、僕が下へ行ってやったのに。」 弟は急にふとんの上に飛びあがった。そして、まっすぐ 「ううん、あがってくるほうがおもしろいんだよ。ーーー愛に突っ立って、がいせん将軍のように右手で敬礼のまねを 川さんが来て、僕、本当にうれしいやご 「無理をしちゃいけない・せ。 しかし、ひどい目にあっ 「英ちゃん、新しいふとんの上にのるんじゃないよ。」 たなあ。」 「ドカアンー」 「大丈夫だよ。ちょっと、くじいただけなんだから。」 弟は大砲の音をさせると、いきなり、ふとんの上に、ど 「だが、君はえらいね、けがをしたのに、おつりを返してたあんと倒れた。 よこすなんて。とても、ほかの人にはできないことだよ。」 「あっ ! ふわふわしてるなあ。つきたてのもちみたい 「ううん。あれは僕がしたんじゃない。ねえさんが返さなだ。」 くっちゃいけないって言ったんだよ。」 「はははは。つぎたてのもちょ、 「ああ、そうだよ。ねえさんがそう言ったから、おれ、返弟はふとんの上に腹ばいになりながら、両足をばたばた しに行ったんだ。」 させて、泳ぐまねをしていたが、突然、大ごえで叫んだ。 弟もいっしょになって答えた。 「ああ、これだ。これだ。このにおいだよ。」 「そうか。ねえさんがそう言ったのか。 人の前では、ろくにロもきけないような娘なのに :

3. 現代日本の文学12:山本有三 集

おれは、いつだって、一番にならないと承知ができねえのけじゃなし、馬をいたわってやることはいらないじゃない か。」 だ。ある時、おとなとせり合ったが、その時も、とうとう 「はははは。おれは馬のことだけ言っているつもりじゃね おとなを負かしてしまった。おれは気ちがいのようになっ てやったものだから、刈ったのなんのって、一匹の馬にしえんだがな。」 よわせきれないほど刈ったのだ。こっちのクラに草をつけ「自分をいたわれって言うのかい。なあに、おれはあのく ると、馬のやっ、こんなふうによろよろっとなりやがったらい働いたって、へたばりやしないよ。」 「おめえは、どこまで勝ち気なんかなあ。」 よ。もう一つのほうにつけると、馬が見えなくなっちまっ てね。はははは、たづなを引っぱると、馬が歩いているの「勝ち気ってこともねえが、おれは働くのがおもしろいん か、草が歩いているのかわからないくらいさ。おらあ、すだ。きようは人に負けねえだけ働いたと思うと、いちん つかり得意になっちまって、大将の首をとったさむらいのち、いい気もちなんだ。」 ように、意気揚々と帰っていった。」 「ふム。 「それがってよ、おれはこれという能のねえ人間だ。おれ 「そうしたら、いきなり、おやしにどなりつけられたののように取りえのねえ男が、世の中にのしていこうっての だ。きさまは草刈りに行くと、草のことしかわからねえのには、どうしたって、人より余計に働いて、そこを買って もらうよりほかはねえじゃねえか。まあ、「かせぐに追し か。・ハカ野郎。ちったあ、馬のことも考えろ。 「なるほどねえ。 つく貧乏なし。』そう思っているんだよ。」 「そんなもなあ、おめえ、子もり歌だよ。」 草をしょわされた馬のように、吾一はたじたじとなっ こ 0 「子もり歌とは : : ・こ 「みんないい気もちに寝かしつけられるからさ。」 「まあ、そんなことがあったのさ。」 得次は歩きながら器用にマッチをすって、紫のけむりを「おらあ貧乏はしているが、眠らされちゃいねえつもり 軽く吐いた。 「おめえのような人が、そんなことを言っているから、寝 「だがね、得さん。」 かしつけられてるって言うんだよ。見ねえ、いくら働いた 吾一は負けぬ気になって言った。 「おれたちはいくら活字を拾ったって、馬にしょわせるわって、みんな : : : 」

4. 現代日本の文学12:山本有三 集

は、なんとしても腹のがおさまらなかった。 吾一はなんにも言わなかった。ただ黙々として、ウチダ あっちを考えたり、こっちを考えたりすると、彼にはど 日のほうへ歩いていた。 う返事をしていいか、決心がっかなかった。 / ~ 彼よ首をたれやがて、彼らは軒の続いた町を離れて、田んぼ道に出 たまま、いつまでも、もじもじしていた。 「おい、どうするんだい。」 刈り取られたあとの田は、毛をむしり取られたあとの、 京造は待ち切れないように、はやロで言った。 毛もののはだを見るようで、いかにもさむざむとした感じ ・こっこ 0 「う、うん。 十ー事 / 吾一には、まだ、きつばりとした返事ができなかった。 ウチダ川の鉄橋の近くまで行った時だった。向こうのク 京造はじりじりしてきた。好意を好意として、すばっと ヌギ林の中から、黒いけむりを吐いて、汽車がやってき こ 0 受けてくれないことが、彼にはおもしろくなかった。 しばらくして、吾一はひたいをあげた。あい手の顔いろ「あっ、汽車だ。」 でどっちにか、きめようと決心したのだ。ところが、彼が「ばんざあいー」 ひたいをあげたとたんに、京造はロをとがらせた。 みんな手をあげて叫んだ。「ばんざい。」と言わなかった 「ふム、じゃ、どうしてもやるんかい。」 のは、吾一だけだった。 彼は吾一の血ばしった目の色を見て、そう直観したの 「おおい、みんな駆けろ。」 作次は、まっさきになって駆けだした。 「えこじだなあ、おめえは。」 しかし、彼らがやっと、土手の下にたどりついたと思っ 投げつけるように言ったと思うと、京造はすたすたと向たら、山くずれのような、すさまじい音を立てて、列車が こうへ行ってしまった。 彼らの頭の上を通り過ぎた。帽子をアミダにかぶっていた 吾一はどきっとした。それこそ、本当に鉄橋から、まっ秋太郎は、一一、 三間も帽子を吹き飛ばされてしまった。 さかさまに、落っこちたような気もちだった。 おきぬも花カンザシを、危うく飛ばされるところだっ た。彼女はもう、それだけで、すっかりおびえてしまっ 「吾一ちゃん、大丈夫。」 こ 0 途中、おきぬは心配して、のぞきこむように彼に言っ あたし、もう : : : 」 「よそうよ、こんなこと。 こ 0 こ 0

5. 現代日本の文学12:山本有三 集

吾一はおつりを待ちながら、じいやと話をしていた。 しかし、少年はなかなか帰ってこなかった。 いや、こんなふうに思っちゃ、あの子がかわいそう じいやは柱時計を見あげた。まもなく午後の召事の始まかな。おれがこっちへ来たあとで、ひょっとすると、じい る時間だった。 やの所に持ってきていないとも限らない 彼はできるだけ、そう思うように努めていた。 「もう帰ってきそうなもんですがね。」 「本当に、どこまで行っちまったのかな。向こうがわの、 終業の鐘が鳴ったので、吾一は炊事場におりていった。 かどのタ・ハコ屋にでも行きや、わけはないんだのに : 「おじいさん、持ってこなかったかね。」 「五十銭ですから、どこへ行ったって、すぐ、くずせるん「え、とうとうやってぎませんや。」 「そうか。 ですがね。 おやおや、とうとう「半』になっちまっ ひどいやつだな。」 「全く、油断もすきもなりませんね。」 「あれは、・ とこの子ども ? 」 もう一度、時計を見あげたじいやは、手のついた大きな 「とんだことをしちまったね。こんなことなら、聞いとき 鐘を持ち出して、ジャランジャラン振り始めた。 「それじゃ、おじいさん、おつりを持ってきたら、預かっ やよかったんだが、つい、うつかりしちゃって : : : 」 といてください」 「おじいさん。」 「ようがす。 だが、今まで持ってこねえようじゃ、す吾一は少しせきこむように言った。 こし、あぶねえね。」 「あいつ、両替 ( りようがえ ) に行く時、自分の持ちものを 「いや、子どものこったから、まさか、そんなこともない置いて行かなかったかしら。」 だろう」 「それですよ。わたしも、あるかと思ってね、そこらじゅ 石 吾一はそう言って、二階の仕事場へ帰っていった。 考えてみると、カ・ハンをこう肩から う捜したんだが、 の 人を疑うのは悪いと思いながらも、彼は、じつは、じい さげていましたよ。だから、さげたまんま、逃げちまやが ったんですね。」 路やと同じ不安を感じていた。 彼は仕事をやっていても、それが気になって、なんとな 「なるほど、そう言えば、肩からおろさなかった 0 」 く不愉快だった。金のほうはともかくとして、あんな子ど「ほんとに、申しわけがありません。わたしが悪いんです もにしてやられたと思うと、しやくにさわってたまらなか よ。あんな子を入れたもんですから。」 っこ 0

6. 現代日本の文学12:山本有三 集

分のいたらないことを認めるというような、一本気な人間家光は立腹して「あの者を切り捨てい。」と言った。おそ なのである。彼は迷いを知らない。彼はもだえを知らなばについていた十蔵は、かしこまって、さっそく向こうへ い。悪いと思えば、すぐそれが捨てられるし、 しいと思い駆けて行った。そして、馬上の者をすぐさま引きおろした こめば、まっしぐらに、そのほうへ走って行ける男なのでが、そやつはなかなかしたたか者と見えて、引きおろされ ある。それはとにかく、 たと見るまに、やにわに十蔵に組みついた。そこで、ふた りのあいだに取っ組み合いが始まった。しかし、あい手は 惜身命 意外に強く、ともすると、十蔵のほうが、かえって、して 不惜身命 やられそうな形勢だった。 惜身命 「どういたしたのじゃ。日ごろの十蔵にも似あわぬではな 、、 0 し力」 といったぐあいに、いのちを惜しむことにも、ただいの もみ合ってる十蔵の姿を見て、家光が笑いながら言っ ちを惜しむのと、もっと上の意味のと、いろいろの段階がた。 あることを知った十蔵は、「不惜身命」のもう一つ向こう「たやすく思って引きおろしたため、持ち扱ったものと見 の、「惜身命」にひたろうと努めた。そして、彼は彼なりゆるの。」 に、どうやらそれをこなしていった。そこで、日々の立ち そのことばを聞いて、おそばの者が駆けだそうとした。 い振るまいにも、心がまえにも、自然にゆとりが出てき「捨ておけ。捨ておけ。手を借すには及ばぬ。」 て、前のようにごっごっしたところが、だいぶ、少なくな家光はとどめた。そして、おもしろそうに、ふたりの組 った。それは年とともに練れてゆき、次第に丸みを帯びてみ打ちを見物していた。 っこ 0 し子 . やがて、十蔵はあい手を投げ倒し、ようやく引き捕えた 家光の時代になってから、こんなことがあった。あるが、お成りとも知らないで乗り打ちをしたこの男は、、 日、この若い将軍は、麻布 ( あざぶ ) のあたりに、タカ狩 ( おぜき ) 源蔵という、名うてのすもう取りであった。そう りに行った。獲ものが多かったので、一同のんびりした気いう手だれでは、すぐに組み伏せられなかったのも無理は よ、つこ 0 もちで帰って来る道すがら、白金 ( しろがね ) の台にかか った時、行列のはるか前を、馬に乗って通る者があった。 しかし、十蔵は平伏して言った。

7. 現代日本の文学12:山本有三 集

取ったんだろう。 を積みこんどかなくちゃ。 山彦 ( 無言 ) 山彦そうだな。 海彦一匹もか。なあんだ、大きなことを言って出かけ 海彦おい、きようは、ひどいめにあったそ。 ていきながら。 山彦どうして。 海彦うつかり、おまえの言う通りにしたもんだから、山彦きようは、潮のぐあいが悪かったんだ。 とんでもないめにあってしまった。 ころげ落ちる。海彦あい変わらずだな、おまえは。 着ものはやぶく。手あしはすりむく。さんざんだ。 山彦そうじゃないけれど : 海彦まあ、うらみつこなしで、いし 見ろ、こんなだ。 ちもとれなかったんだから。 山彦シカでも追いかけたのか。 海彦うム、こんな大きなやつがいたんだ。「しめた。」山彦そりやそうだ。 と思って、追って行ったところが、向こうは山のしろ物海彦だが、おれが言った通りだろう。さかな釣りが山 だし、こっちは海を相手の人間だから、たちまち踏みは にはいったり、狩りゅうどが釣りざおを持ったりするか : おれは、もう、山はこりごり ずしてしまったのさ。 ら、こんなばかばかしいことになるんだ。きようは、ま あ、なぐさみ半分だからいいようなものの 山彦そうかな。おれは、にいさんのことだから、きっ山彦にいさん。 海彦なんだ。 と大きな獲物をとってくると思っていたんだが。 海彦いや、おれだって、だれだって、慣れないことは山彦じゃ、道具を取りかえるのは、ぎようだけかい。 だめだ。おまえが、たって言うから、きようだけは、仕海彦そうしようじゃないか。お互につまらないもの 事を取りかえてみたが、もう、あすからは、ごめんだ。山彦もう一日、これでやってみないかね。 山 だが、おまえのほうはどうだった。 海彦きようの二の舞いは、まっぴらだ。 彦 山彦あと一日でいいから : 海山彦なに ? 海彦おまえ、考えてごらん。こんなばかなことを続け 海彦釣れたかって言うのさ。 ていたら、ロが干あがってしまうじゃないか。 山彦 ( 少してれて徴笑している ) 海彦やつばり、だめだったのか。でも、 いくらかは、山彦いや、きようは、お互に慣れなかったから、しく ミ」 0 、じゃないか。どっ

8. 現代日本の文学12:山本有三 集

から、今学期中は我慢するが、それ以上は、もうどんなこて言ったじゃないか。」 とがあってもいやだ。僕も今度という今度は、決心したん「いや、こんなところへそんな話を持ち出されちゃ、それ だからね。」 こそ、「かなわん、かなわん。』だよ。 だがね、安さ 次野は自分でトックリをとって、自分の杯についだ。 ん、あの時は実際ああ言ったけれど、僕は近ごろ、こう思 「や、失敬々々。 決心って、何力い。そうすると君っているのだ。『あんずるに筆は一本なり、ロは一つなり。』 は、どうしても、あのほうをやるつもりなんかい」 、、、い。ロは一つなりだよ。「一対一なり。なんそ恐る 「あんな校長にぐずぐず言われながら、いつまでも、こんることあらんや。』さ。」 な小さな町の代用教員をしていられるもんかね。もともと「しかし、 僕は、教師になるつもりじゃないんだからね。」 「しかし、なんてことはないよ。いくら文明開化の今日だ 「しかし、君。、 しくら文学がすきだからといって、今どきからって、人間のロは一つつきりだ。一対一なら、負けは 文学をやるなんて、あまり感心したことじゃないね。」 しないよ。」 「あんたの言うのは、めしが食えないから、っていう意味「ところが、人間には、いや、ひとりの男には、と言った かね。」 をう力いいだろう。口がいくつもくつついているのだ。」 「まあ、そうだ。文学がすきならすきでいいさ。それなら「′ ・、、・ハ力なことを言っちゃいけない。そんなにロがあっ 楽しみにやったらいいじゃないか。何も自分の職業を捨ててたまるものか。」 て、君。 「それじゃ君は、妻子をどうするのだ。」 「安さん、考えちがいをしてもらいたくないね。僕の天職「僕はひとり者だよ。」 は小学校の代用教員じゃないよ。僕は、僕は、石にかじり「今はひとりでも、いつまでも、ひとりじゃいられやしな ついても、文筆で立ちたいんだ。」 「そりやわかっているよ。しかし、あんたのすぎな正直正「なあに、食えなければ、ひとりでいる。おれは文学と討 * あん いっぽんなり 太夫は、なんと言っていると思う。「按ずるに筆は一本也。ち死にするつもりなんだ。」 はしににんなり しゅうかてき 箸は二本也。衆寡敵せずと知る・ヘし。』って書いているじ「いや、その覚悟はじつに勇ましい しかし、なんだ ゃないかーーー店でさ、あんたはあれを読んだ時、頭をたね、それだけの覚悟があるんなら、 たきながら、「ああこれだから、かなわん、かなわん。』っ安吉は言いかけたが、そのあとのことばをのんでしまっ ふで

9. 現代日本の文学12:山本有三 集

えんで : ・ 。あれじや実際、あっしや、家内がたまりませってしまいます。何しろ、親がどんなに呼んでも、「は い。」ってことを言わねえんですからね。そうして、こう 「どうして : ・ : こ しろって言うと、ぎっとその反対なことをやる。本当にい 「どうしてったって先生、全く手がつけられねえんですやな子ったらありやしません。しかしそれだけなら、ま よ。七つ八つは憎まれ盛りって言いますが、ちょうど、 あ、いたし方もござんせんが、あっしがたまらねえのは、 今、うちのやつは七つでしよう。いやもう、わんばくで、古賀先生のおけいこなんでございますよ。あの方はお若い 言うことを聞かねえで、手におえねえんでげすが、そこんからなんなんでしようけれど、あれじゃあんまり、しど過 とこへ持ってきて、今度の書ぎものだってえと、あの子のぎます。せりふを言うのにも、ただ言ったんじゃいけね やる役が、あいつに輪をかけたきかん・ほうときているんでえ、なんでもかでも、本当のように、不断のことばのよう しよう。おまけに、ままっ子になっているから、ねちねちに、言わなくっちゃいけねえってんでげしよう。だいた ひねくれて、一つも親の言うことを聞かねえようになって 本のほうがほん物のように書いてあるのに、そこへも います。それも狂言とあれば、まあ、いたし方もございま ってきて、せりふまわしまで、すっかり本当のようにやれ せん、昔のじようるりにだって、ままっ子は出てくるんでってんですから、あれじゃ、芝居でもなんでもありやしま ござんすから。しかし、昔のものだってえと、なんと言っせんや。そうして、熱心ってえのか、ねついって言うの たって、糸に乗ろうってもんですから、どこか、こう、人か、そいつをなんべんでも、できるまでやらせるんですか 間ばなれのしたところがあって、ままっ子でもあっさりしらね。 ・ : もっとも、あの先生は、毎日おもちやを買って ていまさあ。ところが、今度の書きものは、ねじけて、根来たり、お菓子を買って来たりして、手なずけていらっし 性のひん曲がってるぐあいが、遠慮えしやくなく、そのまやるから、いくらやったって、子どもはさのみいやがりや え、あなた、いやがるどころか、な ま書いてあるんで、まるきし、お芝居ってような気がいたしませんが、 役 しません。多分、先生がたから言ったら、こういうのは、 るたけ親の言うことを聞かねえように、聞かねえようにつ 子結構なお作なんでげしよう。あっしのような者が拝見しまて、教えこんでいるんですから、子どもはかえって、大喜 しても、なるほど、ままっ子てえものは、こんなもんだろびでさ。そうして、にくまれ口がうまかったり、ひねくれ うってように書いてございます。ですがねえ、先生こうい 方がじようずだってえと、うまい、うまいって、ほめそや を、くら う狂言はかないませんよ。あんまり本当すぎて、こわくなして、ごほうびをくださるんですから、子どもま、

10. 現代日本の文学12:山本有三 集

「吾一ちゃん、そこがいいよ。」 「うん、みんなで自慢話をやっていたんだよ、だれが一番 おきぬは炉ばたにいた兄をどかせると、吾一をあとにすすばらしいことをやったかって。 おい、あとを話せ わらせた。 よ、勝ちゃん。」 彼女は年に似あわず、伝法はだで、兄を兄とも思わない 京造は議長のような態度で、進行をはかった。 ところがあった。秋太郎を、炉ばたからどかせるぐらいで「なんだか、話しにくくなっちゃったなあ。」 はない。自分の兄を「にいさん」とも言わないで、「秋ち「そんなこと言わねえで、早くやれったら。」 ゃん」と友だち扱いにするのである。もっとも、秋太郎は「もう、さっきで、たいてい話しちゃったようなものなん おきぬと年が一つしかちがわないうえに、学校を落第した それから、なんだ、そうっと草ん中からはい出 りしているので、とかく、兄の重しがきかなかった。 して、逃げてきちゃったのさ。」 おきぬはまゆがこく、目がばっちりしていた。そして、 「それじゃ、ただスモモをもぎとってきただけじゃねえ しもぶくれのほおも、大きな商家の娘らしく、なんとな く、福々しかった。ぽんぼんものを言うたちだけれど、学「そんなことを言ったって、おめえ、あのじいさんが、が 校のほうは、兄とちがって非常によくできた。そのせい んばってるとこを盗んでくるなあ、容易じゃねえぞ。」 か、できない兄はけいべっするが、吾一のようにでぎる者「なんだい。スモモの一つや二つ。おれなんか、こんなで には、好意を持っていた。秋太郎をどかせて、吾一を炉ばっかい看板をかついできちゃった。」 たに迎え入れたのも、その一つのあらわれである。 「なんの看板 ? 」 「おい、勝ちゃん、それからどうしたんだ。」 「薬種やの看板さ。人魚の絵のくつついてる、あのびかび 京造はあぐらを組みなおしながら、催促するように言っか光ってるやつを、はずしてきたんだ。ちょっと、すごい た。 だろう」 「あ、そう、そう。吾一ちゃんが来たんで、すっかり話が「薬種やって、いわし屋かい。あんな人どおりの少ない所 とぎれちゃったね。」 のなら、わきゃあねえや。おれは交番の前のうちの、表札 おきぬは京造のきげんをとるように、わきから調子を合をひっぺがしてぎたぞ。巡査が向こうを向いてるまに、ば わせた。 っとやっちゃったんだ。」 「なんの話、してたの。」 話がはずんでくると、だれも彼も負けぬ気になって、い