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検索対象: 現代日本の文学12:山本有三 集
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1. 現代日本の文学12:山本有三 集

「吾一ちゃん、そこがいいよ。」 「うん、みんなで自慢話をやっていたんだよ、だれが一番 おきぬは炉ばたにいた兄をどかせると、吾一をあとにすすばらしいことをやったかって。 おい、あとを話せ わらせた。 よ、勝ちゃん。」 彼女は年に似あわず、伝法はだで、兄を兄とも思わない 京造は議長のような態度で、進行をはかった。 ところがあった。秋太郎を、炉ばたからどかせるぐらいで「なんだか、話しにくくなっちゃったなあ。」 はない。自分の兄を「にいさん」とも言わないで、「秋ち「そんなこと言わねえで、早くやれったら。」 ゃん」と友だち扱いにするのである。もっとも、秋太郎は「もう、さっきで、たいてい話しちゃったようなものなん おきぬと年が一つしかちがわないうえに、学校を落第した それから、なんだ、そうっと草ん中からはい出 りしているので、とかく、兄の重しがきかなかった。 して、逃げてきちゃったのさ。」 おきぬはまゆがこく、目がばっちりしていた。そして、 「それじゃ、ただスモモをもぎとってきただけじゃねえ しもぶくれのほおも、大きな商家の娘らしく、なんとな く、福々しかった。ぽんぼんものを言うたちだけれど、学「そんなことを言ったって、おめえ、あのじいさんが、が 校のほうは、兄とちがって非常によくできた。そのせい んばってるとこを盗んでくるなあ、容易じゃねえぞ。」 か、できない兄はけいべっするが、吾一のようにでぎる者「なんだい。スモモの一つや二つ。おれなんか、こんなで には、好意を持っていた。秋太郎をどかせて、吾一を炉ばっかい看板をかついできちゃった。」 たに迎え入れたのも、その一つのあらわれである。 「なんの看板 ? 」 「おい、勝ちゃん、それからどうしたんだ。」 「薬種やの看板さ。人魚の絵のくつついてる、あのびかび 京造はあぐらを組みなおしながら、催促するように言っか光ってるやつを、はずしてきたんだ。ちょっと、すごい た。 だろう」 「あ、そう、そう。吾一ちゃんが来たんで、すっかり話が「薬種やって、いわし屋かい。あんな人どおりの少ない所 とぎれちゃったね。」 のなら、わきゃあねえや。おれは交番の前のうちの、表札 おきぬは京造のきげんをとるように、わきから調子を合をひっぺがしてぎたぞ。巡査が向こうを向いてるまに、ば わせた。 っとやっちゃったんだ。」 「なんの話、してたの。」 話がはずんでくると、だれも彼も負けぬ気になって、い

2. 現代日本の文学12:山本有三 集

彼はあごで、ぐるっと、あたりを見まわした。 「まっすぐ行っちまおうか。」 駆けながら彼は考えた。「京ちゃんとこへ寄ると、遅れ「なんだ。秋ちゃんがいねえじゃねえか。」 京造は一度もちやげた腰を、また、おろしてしまった。 るかもしれない。」 「どうしたんだろう、秋ちゃん。」 遅れては、大変である。それが気になってたまらなかっ いつもおそいねえ。」 こが、しかし、彼はいつものように、やつばり、京ちゃん「あいつ、 の所に寄ることにした。この近所の者は、みんな京ちゃんそんなささやきが、あちこちから漏れた。 の所に集まって、それからいっしょに学校へ行くことにな 「おい、ぐずぐずしていると、遅れっちゃうぜ。」 っていた。いつ、だれがきめたというわけでもないんだ 吾一はみんなの注意をうながすように、いらいらした語 が、いつのまにか、そういうことになってしまっていた。調で言った。 「そんなこと言ったって、秋ちゃんが来なくっちゃ、だめ 京造はそんなに学校ができるほうではない。できる吾一 が、できない京造のうちに、まい朝よることは、あんまりじゃねえか。」 しい気もちではなかった。でも、ほかの者が、みんな京ち時間のことなんか、京造はなんとも思っていないらし 。てんから平気な顔をしていた。 ゃんの所に集まるのに、どうも自分だけ、なかまはずれに よ、つこ 0 なるわけこよ、 冫 . ーし、力 / 力ー 「おらあ、遅れるの、いやだなあ。」 ひとりが来ないからといって、自分まで遅刻するのはた 京造のうちは材木の中にうずまっていた。往来に面し て、長い材木が、切り岸のようにそびえ立っている、リンまらない 、と吾一は思った。それに、けさは一時間めが修 ( 林場 ) の前のあき地には、もう六、七人、集まってい身だ。修身の時間に遅れたりするのは、なお、いけない。 「じゃ、おいてっちまうのか。」 た。京造を中心にして、彼らは火をたいて、あたってい こ 0 京造はほおをふくらました。 「秋ちゃんがあとから来たら、かわいそうじゃねえか。」 「おい、行こう。ぎようはおそいんだぜ。」 そう言われてしまうと、自分のほうがまちがってるよう 自分が遅れたことはなんにも言わないで、吾一はせぎ立 てるように、大ごえで呼びかけた。 な気がして、吾一は、あとのことばが出なかった。 「うん、行こう。」 「もう少し待とうよ。秋ちゃん、もう、じき、来るよ。」 京造はすぐ腰をあげた。 京造はおっかぶせるように言った。だれもこのことば

3. 現代日本の文学12:山本有三 集

283 こ 「なあに、こいつも、みず同様のしろものさ。 専吉は元気づいて、がばと起きあがり、娘の買って来た 酒を受け取った。半分はあしたの楽しみにするつもりで、 彼は一合ほどトックリに移すと、そいつを自分でせと引き「おらあ、もう、すまして来たんだよ。」 のヤカンの中にさしこんだ。 「何を言うんだな、長ちゃん、そんな他人行儀な : : : 」 いく月ぶりかわからなかっ 専吉は杯を手にするのは、 所帯を持つようになってからは、お互いに暮らしのほう た。きようは、朝つばらから、いやなことばかりで、一日に追われて、そうしげしげゆききもしてないが、会えば子 くさくさしてしまったから、帰ると、久びさで酒を買いにどもの時のように、今でも、昔の「長ちゃん」が出てくる やったのだが、すき腹に飲んだら、妙にちりちりはらわたのであった。 こりやどうも。おらあ話があって来たんだ にしみた。しかし、そばでめしを食ってる子どもをあい手「そうかい : 飲んじゃっちゃ困るんだがな。」 に、冗談を言いながら、一「三杯重ねているうちに、彼はが、 それより、こっちこそ一 重たいものがだんだんと溶けてゆくのを感じた。 「話は飲んだってできるよ。 度、顔を出さなくっちゃならないと思っていながら、ロじ 「今晩は。」 や、しよっちゅう、かみさんともそう言ってるんだが、 いとこの長治が、ひょっこりはいって来た。 つい、貧乏ひまなしで、ごぶさたしちまってーーーどう 「いやあ、こりやお楽しみのところを : : : 」 「楽しみならいいが、きようはくさくさしちゃったもんだもあの節はいろいろ : : : 」 「本当に、お世話になりつばなしで : : : 」 からーー・さあ、どうかこっちへ。」 と、焼きたてのイワシを長治の前につけながら、女房も 「くさくさして酒を飲むなんて、近ごろ、景気のいいこっ そばから礼を言った。 ちゃねえか。」 「はいって来るなり、いやなことは言いっこなしにしよう専吉は失業当時、この長治にもロのことを頼んでおいた のだった。長治は自分の出ている関東紡に入れようとし 「専さん、そんなことを言うが、こないだ、おれの知ってて、だいぶ骨を折ってくれたのだ。 るやつで、世の中かいやになったって、川へ飛びこんだや「いや、さつばり役に立たねえで。だが、よかったね、出 つがいるんだ。くさくさして水を飲む人間もあるんだからるようになって。おれも計器の話を聞いて安心したよ。」 「あんまりいい口でもないが、まあ当分、辛抱しようと思 よ 0 まはははは 0 」 まあ、

4. 現代日本の文学12:山本有三 集

吾一は炉の火をまともに受けているせいか、ほおも、目 「冒険って、どんな冒険。」 も、まっかに燃えていた。 「吾一ちゃん、およしよ、そんな話ーーー」 「だけど、ほんとかね。吾一ちゃんがやったなんて : ・ : こ おきぬは、吾一の筒そでを軽く引っぱった。しかし、こ 「あら、まだ、そんなこと言っているの。」 こまで来てしまうと、もう吾一は、あとへは引けなかっ 「だってさ、汽車がゴーって来るところを、まくら木にぶ た。第一、おきぬの見ている前で、作次なんかに負けるのらさ - がっているなんて、とてもできるこ 0 ちゃないぜ。」 は、どうしたっていやだった。 「おめえはランカンを渡ったって言うが、おれはね、 「ほかの人なら、どうか知んねえけれど、吾一ちゃんじ おれは鉄橋にぶらさがったんだ。汽車がゴーって来た時、や、おらあ、あぶねえと思うな。」 鉄橋のまくら木にぶらさがっていたんだ。」 「まあ、作ちゃんたら、随分ね。そんなこと言うんなら、 「うへえーーーー 吾一ちゃん、やってみせておやりよ。」 うしろのほうの者が、うなるように言った。 ひいきの役者を応援するように、おきぬは負けぬ気にな 「ほんとかい。」 って吾一のひざをつつついた。 作次はドカーンと打ちのめされた形で、のどの奥のほう しかし、吾一はすぐ、 から、しやがれた声を出した。 「うん、やってみせるとも。」 「ほんとさ。」 とは言わなかった。 「ほんとかね。おれにはどうしても、ほんととは思えねえ おきぬがとかく吾一の肩を持つのを、日ごろからおもし ろくなく思っていたところへ、彼女がまたしても今のよう 「作ちゃん、そんなに人を疑ぐるもんじゃなくってよ。吾なことを言いだしたので、作次はなお向きになった。 一ちゃんがうそを言うわけないじゃない、。 でも、吾 「やってみせる ? そいつはおもしろいや。是非やっても 一ちゃんも、随分えらいことをやるのね。あたし、ちっとらおうじゃねえか。 なあ、みんな。吾一ちゃんがどん も知らなかった。・ なふうに鉄橋につるさがるか、みんなして見物しようよ。 おきぬはびつくりしたように、吾一のほうを見つめて いおきぬちゃんの前だと、きっと、すてきだぜ。」 吾一は作次の言っていることなんか、ほとんど耳に、は こ 0

5. 現代日本の文学12:山本有三 集

ないほうがいいんだ。先生が来る前に、運動場にちゃあん「うん。」 と並んでいるほうがえらいんだ。 作次は駆け通しだったので、ことばが続かなかった。彼 しばらくすると、「わあっ ! 」という声が、うしろのほ は一度、息をついてから言った。 うでした。 「おれたちも、あれからすぐ、駆けてきたんだよ。」 彼らが追いかけてきたのかもしれない。吾一は追いっか「じゃ、寄らなかったの、秋ちゃんち ? 」 冫前よりも足を早めた。 れないようこ、 「うん、京ちゃんだけが行ったんだ。」 「おおい。」 「みんなも京ちゃんのこと、おいてぎちゃったの。」 大ぜいの声がだんだん迫ってきた。 「ううん、そうじゃねえ、京ちゃんがね、秋ちゃんちへ行 くのはおれだけでい 「待っててえ。」 、みんなさきへ行けって言ったんだ 「おおい。」 「吾一ちゃあんー」 それを聞くと、吾一はなんだかげんこつでむなもとを、 「いっしょに行こう」 ドカンとやられたような気がした。 校門の所へ来た時に、授業の始まる鐘が鳴りだした。吾 連動場に並んでいた生徒は、朝の礼がすむと、先生に導 いくらかほっとした気もちで、うしろをふり返っ 一は、 こ 0 かれて、それぞれ教室にはいった。 そこへ、みんなもどやどや駆けこんできた。 京造と秋太郎がやってきたのは、それから七、八分もた 吾一はてれかくしに、えがおをつくって、彼らを迎え ったあとのことだった。 こ 0 「今、なんの時間か知っているか。」 校庭にはもう、どの組の生徒も、それそれの位置に列を次野 ( つぎの ) 先生は教壇の上から、ふたりをにらみつ つくっていた。吾一は遅れてきた連中といっしょに、すばけた。 「福野、おまえはなんで遅れてきたんだ。」 やく自分たちの組にもぐりこんだ。 「でも、早かったね。」 吾一はいっしょにもぐりこんだ作次に、 小ごえで言っ「寝・ほうをしたんだな。」 こ 0 秋太郎は返事をするかわりに、頭のてつべんに手をやっ

6. 現代日本の文学12:山本有三 集

「すると、おまえと、ここに倒れている子と、ふたりでかぎついていた。抱きついていながら、ワアワア泣くものだ から、そのたびに両方のおでこが、おかしいように、コッ けをやったわけなんだね。」 ンコツンぶつつかり合った。ぶつつかり合っても、そんな 「ええ。 ことなんか、ふたりとも平気だった。 「ふたりだけなんだね。」 「どうしたい。 もう目まいはしないかし」 駅員は安心したように、ふたりのそばへ寄ってきた。 草っ原に寝ていた吾一は、「おやつ。」と思った。 「それで、おまえがどうしてもやらなければ承知しないと「どうだ。話をしても大丈夫か。」 「うん。」 言ったので、この子がつるさがったのかい、それにちがい 吾一は抱きついたまま答えた。 ないかし」 駅員が念を押すように、京造に突っこんでいると、突「今ちがうって言ったが、何がちがうんだい。」 「ちがうんだよ。ちがうんだよ。」 然、 吾一はわけもなく、同じことばをくり返した。 「ちがう。ちがう。」 「何も言うんじゃねえぞ。なんにも : : : 」 と、よろめくように吾一が起きあがった。今度はもう、 抱きついていた京造が、吾一の耳もとヘロを押しつけ 前のように目まいがしなかった。 その時、どしんと、からだにぶつつかってきたものがあた。小ごえではあるが、カづよい響きだった。 「ちがうって、何がちがうのだ。」 った。京造だった。 「京ちゃんが : : : 京ちゃんがやれって言ったんじゃねえん つい、さっきまでは、あんなにせり合っていたのに、 ・こよ 0 」 畜生、畜生と思っていたのに、今度はどうしたのか、 うれしくって、うれしくってたまらなかった。吾一は夢中「吾一ちゃんー」 で京造のからだに抱きついた。そうすると京造もまた、吾京造はにらめつけるように言った。しかし、吾一はかま わず続けた。 一のからだを、ぎゅっとおさえた。 「京ちゃんがやれって言ったんじゃねえんだよ。おれが 「吾一ちゃ・ : ・ : 」 おれがやるって言ったんだよ。」 「京ちゃ : : : 」 どっちもことばが出ないで、ワアワア、泣きながら、抱どちらもあい手をかばっているのだ、ということは、駅

7. 現代日本の文学12:山本有三 集

こ のはそのことかい」 「出てもいい。本当のことを言えってなら、かまやしない 「そうなんだ。じつは、そのことでやって来たんだよ。あじゃよ、 オしか。ーー専ちゃん、知ってるんだろう。」 りようは、ひかれた源さんて人のせがれが、おれの工場に「知らねえんだよ。さっきから、そう言ってるじゃねえ いるんだ。なんでも、ゆうべ、あんたの所へ話しに行った か。それを言わせようってのは無理だよ。」 そうだが、なかなかあんたが承知をしてくれない。そこ専吉は「ぐえつ。」と、ことさら大きくげつぶをした。 で、おれん所へ頼みに来たって寸法なんだ。どこで聞いて「おめえさん、このほうを心配しているんじゃねえか。」 来たのか知らねえが、おめえさんとおれとのつながりを知長治は軽く首すじへ手を当てた。 っていてね、おれから是非につてことだもんだから : : : 」 「そりやもっともだ。だれにしたって、余計な口をき て、職場をなくなしちゃった日にや、たまらねえからな。 「どうだい、専ちゃん。ひとはだ、ぬいでくれないかね。」しかし、そのことについちゃ、おれたち、みんな考えてい 「せつかくだけれど、そいつはおことわりしますね。」 るから、専ちゃんを見ごろしにするようなことは、しやし 専吉はからの杯の底で、チャ・フ台の上に字を書き始めねえよ。第一、本当のことを言って首になるなんてこと は、どう考えたってありつこねえと思っているが、万々 「どうして。」 一、そういうことがあったとしても、必ずロは見つけるか 「どうしてったって、わたしゃあ、初めから知らないってら、そのことなら、安心していてもらいたいんだがな。」 言っているんだ。今さらになって、こうこうでございまし専吉はそれにもなんとも答えないで、ちょうどそこへ帰 たってわけには、 いかないじゃよ、、。 って来た女房の顔を見ると、がみがみ頭からどなりつけ ノし、カ」 「何かい、専さん。これについちゃ、会社のほうに言質でた。 も取られてるのかい。」 「どこへ行ってやがるんだあ。お客さんだというのに。 「そんなことはありやしないよ。課長さんは証人に出るん おチョウシを早くしないか。」 なら出てもいい、って言っていなさるくらいなんだ。出て「おなっさん、つけないでください。つけるんじゃありま もかまわないから、本当のことを言わなくっちゃいけなせんよ。おチョウシは、もう結構。おらあ、お客さんじゃ っておっしやるんだが、わたしゃあ、その本当のことないんだから、どうか、かまわないでおくんなさいよ。」 が禁物なんでね。」 「いいえ、ちっともおかまいしないで : : : 」

8. 現代日本の文学12:山本有三 集

ノリをつけようとすると、ナベの中に煮ておいたもの 「愛川。それを言いなさい。あんなことをするからには、 が、いつのまにか凍っていた。 おまえは中学に行 と、吾一はまた「ううん。」とうなりながら、大きく寝よくよくのことがあったのだろう。 きたいと言っていたが、それが思うようにいかないので、 がえりを打った。 吾一ちやけになっていたのじゃないのかい。」 「吾一ちゃん、どうしたの。夢を見たのかい。 吾一はうなだれていた顔を少しあげた。彼はあの時、ど ゃん、吾一ちゃん。」 うもそんなことなそ考えていたようにも思わないが、先生 彼女は吾一のまくらもとに寄って、軽く子どもの背なか いくらかそういう気もしないではなか に言われてみると、 をなでてやった。 っこ 0 「ああ、そうなんだろう。 中学へ行けないんで、無性 に世の中がつまらなくなってしまって、死んだってどうし 翌日、学校へ行くと、授業のすんだあとで、京造と吾一 とは、教室に残されて、ひとりびとり次野先生にしかられたって、かまわないって気になったんだろう。」 え、それはそ 先生のほうでそうきめてしまうと、「いい た。駅長から学校にも、厳重な通告が来ていたのである。 京造のほうは割合に早くすんだが、吾一のほうはかなりれほどじゃなかったのです。」とは、答えにくかった。吾 一は涙ごえで、小さく「ええ。」と簡単に返事をしてしま 長くかかった。 「いったい、おまえのようなできる生徒が、こんなことをつた。 しでかすって法はないじゃないか。それは、おまえだけで実際、なんでやったのだと言われても、あの時はただ、 かっとなって「やってみせるとも。」と言って、やってし すむことじゃないんだよ。先生も世間に顔むけができない 石 し、学校だって、どんなに困っているかしれやしないのだまったので、今はっきりした理由なんか、ちっとも思い出 の せなかった。何よりも印象に残っているのは、おきぬの髪 にさしてあった、花カンザシの赤いふさだが、無論、そん 路 カ考えてみ なことなんか、ここで言えることではない。・、、 「しかし、なんだって、こんな無鉄砲なことをやる気にな Ⅱったのだ。何かよっぽど、しやくにさわることでもあったると、先生が言うようなことも、まんざら、なかったわけ でもないんだから、先生の言う通りにしておくのが、一 のか。」

9. 現代日本の文学12:山本有三 集

切れないほどだった。そのうえ、自分の荷物がはいってい 「なんだい 0 」 るのだから、しよい出してはみたものの、なかなか足が進「おれ、東京へ行くかもしんねえんだ。」 まなかった。しかし、これくらいのことに、へこたれては 吾一はこの友だちにだけは、本当のことを、言っておき ならないと思った。彼は腰に力を入れて、よたりよたり歩たいと思った。 いていった。いや、歩いているというよりは、ふろ敷き包「東京 ? 」 みの下を、はっていると言いたいくらいだった。今までで「うん。 も、随分、重たい荷物はしょわされたが、なんと言って「そ、つま、 しーししなあ。 も、こんなのは、初めてだった。もえ黄の包みに押しつぶ会えねえなあ。」 されて、彼の目は地面ばかり見て歩いていた。 「京ちゃん、達者でねえ : ・ : こ と、往来に黒い、長い影がうつった。向こうから材木が「うん、おめえもなあ : ・ : こ やってきたのだ。こいつは困ったなと彼は思った。ところ ふろ敷き包みと材木とは、南北にわかれた。 が、その材木が「吾一ちゃん。」と言った。 京造の声だった。京造とはわかっているが、首があげら れないので、向こうの顔はよく見えなかった。しかし、京吾一は染めもの屋にさらしを置くと、その足ですぐ停車 造も重たいものをかついでいるのが、吾一には何か助かっ場に駆けつけた。の・ほりの列車が来るまでには、少し時間 たような気もちだった。 があったが、うまいぐあいに、追っ手の者も来なかった 「どこへ行くんだい。お使いかい。」 し、知ってる人にも出あわなかった。 「うん。 それでも汽車が出るまでは、なんとなく不安だった。自 石 「こないだは、おっかさん、とんだことだったねえ。」 分の腰をおろしている車が動きだした時、彼は、初めて、 の 「ありがとう。ーー京ちゃんも精が出るね。」 自分が自由になったことを感じた。 それじゃ、また会吾一は汽車に乗ったことが一、二度しかないので、汽車 路「なあに、たいしたことはないよ。 おう。さいなら。」 が非常に珍しかった。彼はすぐ窓をあけて首を出した。 材木は歩きだした。 停車場が、常念寺の大きなやねが、火の見やぐらが、小 「京ちゃん、京ちゃん。」 さくなって、うしろへ、うしろへと、すさっていくのを見 それじゃ吾一ちゃん、しばらく

10. 現代日本の文学12:山本有三 集

んがお気の毒でたまらないんでげすよ。なんとかして、ふうすることもできなかったからである。吾一は中学に行き ところでたいと言っているが、そんなことは、もとよりできるわけ たりを立つようにしてあげたいと思ってね。 と、吾一ちゃんはいくつになりましたつけな。たしか十四のものではない。しかし、そうかといって、高等二年だけ でしたね。ちょうどいいとし格好だ。 ねえ、おれんさで、奉公に出す決心もっかなかった。 ん、一つここに相談があるんだが、吾一ちゃんを店によこ 「おれんさん、まさか不承知なんじやございますまい。 してみる気はありませんかい。」 ははははは。子どもを手ばなすのが、つらいんですか 。そりや、どこの親ごさんにしても同じでげすが、そこ 「この春で高等二年が終わるんでげしよう。もうあんた、 がそれ、修業ですよ。子どものうちに修業させなかった 学校はたくさんですよ。たいていのうちの子は、尋常科だら、おまえさん。 : なあに、つらいことなんか、ちっと けで奉公にやられるんですからね。高等二年までやれば、 もありやしませんよ。ただ、反もののあいだにすわってい やり過ぎるくらいでげさあ。 なあに、このあいだの一さえすりやいいんですからね。わが田に水を引くようでげ 件さえなければ、なんでもなく、すうっと仕事も出せますすが、まず手まえどもの商売くらい、結構な商売はござん ・ : なんたって、ああいう事があってみると、そのままっせんよ。」 てわけにもいきませんや。そこで考えついたのが、これな「 : ・ んですよ。どうでげす。うまいでしよう。まず、一挙両得「、 いえ、ことわっておきますが、これはけして無理につ ってえのは、ここらを言うんでげしようね。」 てんじやござんせんからね。当節は人が多うござんして、 あちらからも、こちらからも、『忠助さん、一つ。』って頼 「あんたが吾一ちゃんを、店に奉公によこす。うちの大将まれますが、どういたして、そうやたらに、人をふやすわ それからね、もう一つ、あん も、そういう気ごころならばってんで、自然に心がとけけにはまいりませんよ。 る。そこで、あんたのところにも仕事が出る。吾一ちゃんたに言っておきたいことは、おれんさん、あんた、しつか もやがて一人まえの人間になる。まあ、こういった寸法なりしなくっちゃいけません・せ。うつかりしていると、吾一 んですよ。この筋がきはちょいと、ほかの人には書けませちゃんだって、どんなことになるかもしれませんよ。 つい、こないだのこってすが、ひょっこり、愛川さんにぶ ん・せ。」 おれんは黙って聞いていた。黙っているよりほかに、どっかっちまいましてね。するてえと、またいつものように