問題 - みる会図書館


検索対象: 現代日本の文学12:山本有三 集
61件見つかりました。

1. 現代日本の文学12:山本有三 集

らすらとできたので、どこまでもおれをへこまそうとしゃんと答えが出てきた。彼は秋太郎が学校から戻るのを待 て、こんなことをするのだな、と思うと、吾一はしやくにつて、さっそく、それを見せた。 さわってたまらなかった。 「ふム、これでいいんかね。」 「畜生、このくらいできなくって : : : 」と、彼はすぐ向き秋太郎の返事は、案外、張り合いのないものだった。 になって、計算をやりだした。初めの二題はそう苦しまず「なあんだ、おぼっちゃんはまだやっていなかったんです 、カ にできたが、最後の問題はなかなか答えが出なかった。 いえ、大丈夫ですよ。それでまちがってやしま 「どうだい。むずかしいだろう。」 せんよ。先生に聞いてみりや、すぐわかりますよ。」 吾一は自信をもって、そう言い放った。その時、「五助 、え、できないことはありませんよ。」 「できるかい、五助に。」 どん。」と呼ぶ声がしたので、彼はそのまま、店へ飛んで っこ 0 し十ー 「できますとも。」 一「三日後、秋太郎がまた吾一のそばへやってきた。 吾一は、やりかけては消し、やりかけては消し、なんど 「どうでした、このあいだのは。あれでいいんでしよう。」 も運算をやり直した。 と尋ねると、 「どうしたい。」 「ちょっと待ってください。問題が少しひねってあるん「うん。」 と、秋太郎は簡単に答えた。そして、甘えるような目っ きをしながら、 「それじゃ、あしたの晩まで待ってやらあ。」 「おい、五助、おまえ、もう少し数学をやっておくれよ。」 「あしたでよければ、きっとやってみせますよ。」 その晩は寝どこの中にはいってからも、一生懸命に考え主人のむすこは、コンニヤク版ずりの紙をそっと突き出 石 たが、どうしてもできなかった。彼は商売のほうには身がした。 の はいらないけれども、こういうこととなると、寝ずにでも「これは学校の宿題じゃないですか。」 秋太郎はただにやにやしていた。 路考えるたちだった。 翌日、染めもの屋に使いに行った帰り道で、彼は不意に 吾一ははっと気がついた。「・ハ力にしてやがる。」と腹の 問題のカギをつかんだ。光がさしこんできたように、頭の中で思ったけれども、ことばの上では丁寧に言った。 中が急に明るくなった。帰ってから運算をしてみると、ち「それじゃ、このあいだのも、やつばり宿題じゃなかった で、 、 0

2. 現代日本の文学12:山本有三 集

昭和三十八年三月栃木市 大平山の文学碑除幕式で 後列左より五人目が有三 故郷栃木市の友人と右から 長男有一氏小学校同級生の 大島定吉元栃木市長有三夫 妻益子佐平氏益子氏令息 れている。子供を殺した母親は、巡査に向って、「外 にしよう力なかったのでごせえます」と悲しい答えを妬 することで、生活の現実と社会の組織の深い矛盾を示 唆して、重みを伝えている。こういう作品は、観客に 広く訴えるものらしい 『嬰児殺し』は、大正十年三月、松本幸四郎、沢村宗 之助によって、有楽座で初演された。「人間」の五月号 に、「文芸雑感」 ( 後に「芸術は『あらわれ』なり」 と改題される ) という一文を発表しこ。 オこれはこの・時 期の芸術観を示す大切な文章である。 「芸術はそちらの問題でなくて、こちらの問題である。 外物を自分と同化して、さらに自分のものとして、輝 かし出すことであると私はいった。すなわち、自然を ありのままに模写するのではなくて、自分が自然を表 象してゆくのである。あるものを写すのでなくって、 あるべきものを描き出すのであみ。芸術は創作である とい、つのは、まさしくこの意義でなければならない ( それゆえ芸術上の創作は、つまりは主観の上に立つも のである。けれども、注亠思しなくてはならないことは、 創作は主観的のものだからといって、いたずらに主観 に走り、ひとりよがりになって、実在性を失、つよ、つに なってはたいへんだということである。 ここは最も、危険なところであって、ともすると作

3. 現代日本の文学12:山本有三 集

感激しました。彼は夫人に涙を見られたことを恥ずかしくて、全編が完結したのは、十カ月後の一八五二年四月の一 思いながらも、忠実に彼の読後感を述べました。夫人がこ日でした。ある章はポストンの兄のところや、その他のと れを連載の長編小説に書き改め、最後のクライマックスをころで書いたものもありますが、大部分は・フランスウィッ アンクル・トムの死によって結・ほうと決心したのは、大部クの自分の家で書きました。 分、教授の意見によったものです。 単行本は同じ年にポストンから出ました。出版者はこの 夫人はいよいよそのプランに従って、長編小説を書き始小説が一冊の単行本にするには、あまりに長すぎるし、そ めました。それと同時に、当時ワシントンで発行されてい れに主題が一般むきでないから、もっと短くしないと売れ た、奴隷制度反対派の新聞「国民時代」 (National Era) ないかもしれないと心配しましたが、発行すると、まもな の編集者にあてて、自分は『アンクル・トムの小屋』とい く一万部うれ、続いて、その年のうちだけで、三十万部も う連載小説を計画しているが、新聞にのせてもらえるかど飛ぶように売れたので、八台の印刷機を夜、昼、休みなく うか、と問い合せの手がみを出しました。 回転させても、なかなか読者の注文に応じ切れないほどで ストウ夫人もストウ教授も、いま進行しつつある創作した。それはアメリカばかりではありません。イギリスで が、やがて世界の人びとを興奮させるような大作であるとも、植民地のぶんまでまぜると、一年のうちに百五十万部 は、少しも思っておりませんでした。ストウ教授は純情な以上も出たそうです。 たちまち、すばらしい反響がまき起こりました。人びと 人であったらしく、妻の作品を読んで涙を流すことは、そ う珍しいことではなかったので、トビ色の包み紙の上に書は感激と興奮にわき返り、国中が、いや、大洋を越えた、 かれた文章に、彼が涙を流したからといって、それが必ず遙か向こうの国ぐにまでも、奴隷問題に火を放ったこの作 しも、すぐれた作品であるということにはなりません。現家に、驚異の目をみはりました。 こうして今まで名も知られなかったひとりの婦人が、一 に、ストウ教授自身にしても、この小説に望みをかけてい たことは、稿料がはいったら、妻の新しい絹の着ものが買躍して、話題の中心となり、政治的にも、道徳的にも、大 えるだろうということだけでした。 きな意義を持つ人物となりました。この作品はまもなく、 ロシア等の国ぐにに続々翻 ついに『アンクル・トムの小屋』は「国民時代」に連載フランス、ドイツ、イタリー、 されることになりました。それは一八五一年六月五日のこ訳され、夫人の名声は、ついに世界的に高められました。 とでした。はじめは三カ月の約東でしたが、非常にのびエプロンをかけ、ラ 1 ドやキャ・ヘッの置いてある台どころ

4. 現代日本の文学12:山本有三 集

かかったまま、こくりこくりやりだした。と、急に、二のた。おそくまで起きていて、やってやったのに、「五助、 腕のあたりに、タバコの火を押しつけられたような、ちりあれはまちがっていた・せ。」なんて言われたのでは、彼も っとした刺激を感じた。吾一はびつくりして目を開き、あ実際やりきれないと思った。 わててそでをまくりあげた。皮膚が少し赤くなって、はれそれからというものは、秋太郎が学校から帰ってくる あがっていた。 と、吾一はすぐ奥へ呼ばれた。そして、むすこのおあい手 「畜生。」 をさせられた。秋太郎ができないのは、算術だけではな と、彼は思わず叫んだ。 。国語も漢文も、歴史も地理も、みんな、いけないので からだ中が、なんだか、むずがゆくなってきた。彼は立ある。しかし、吾一はそのおかげで、奉公していながら、 ちあがって、着ものをぬぎ、帯をきちんとしめかえた。 中学の学科を全部、学ぶことができた。そのうえ、もっと そうしたら、急に眠けがさめてしまって、頭が、はっき都合のいいことには、それ以来、ふろのそうじもしなく りしてきた。彼は改めて机に向かい、問題をにらみ返しってよくなったし、使い走りの数も、ずっと少なくなっ た。今度は前と方針を変えて、別のやり方で、ぶつかってた。 いった。それからいろいろ計算をやっているうちに、やっ秋太郎の机によりかかって、彼が本を読んでいても、も と、最後の問題も、どうやら解答を捜し出すことができう、主人はなんにも言わなかった。店への出はいりに、主 人はなんどとなく、彼のそばを通るのだが、せんじ薬を、 その時には、もう二時を過ぎていた。けれども、あした飲んだあとのような顔をしているだけで、「よくやってく こごとも言わなかっ 秋太郎がまごっいてはいけないと思い、彼はそれをすっかれるなあ ! 」とも言わないかわりに、 り清書した。それから、そうっと店へ戻って、みんなの横た。小僧の分際では、「どうだい。」と、そり身になるわけ 石 に、とこをのべた。 に冫し力なしが、このあいだ、おこられたあとだけに、く の すぐったい感じがしてたまらなかった。 路秋太郎は大いばりで学校から帰ってきた。ポールドの前秋太郎と勉強していると、女中がときどきお菓子を持っ に出て宿題をやらされたところ、一つもまちがっていなかてきてくれた。もちろん、それは、彼に持ってくるのでは ない。秋太郎に持ってくるのだが、いつも秋太郎が分けて ったので、先生からほめられたからである。 その話を聞くと、吾一も自分のことのようにうれしかっくれるので、吾一はそれが楽しみだった。卑しい話だけれ こ 0

5. 現代日本の文学12:山本有三 集

んですか。」 「そんなこと、どうだっていいじゃよ、 オしか。それよりも五「今度やっていかなかったら、先生はもう、おれのこと、 助、こいつも是非、やっておくれったら、ー・ーー今すぐじや教室に入れないって言っているんだ。」 なくっても、 しいから、あさってまででいいや。」 「それじゃあ、やっといてあげましよう。」 「でも、おぼっちゃん。 「やってくれる。本当かい。ああ、助かった。 ああ、「お・ほっちゃん」ということばの、なんと言いに五助、おまえ、学校をやめちゃったのに、よくできるね。」 くいことか。吾一は、このことばを使う時には、一度、息吾一は返事の代わりに、微笑をもって秋太郎の顔を見か をしてからでないと、すぐには、くちびるの上に出てこなえした。秋太郎は気まりが悪そうに目を伏せた。 っこ 0 吾一はなんだか胸がすうっとした。ここのうちへ来て、 「でも、お・ほっちゃん、宿題は自分でやらなくちゃ こんな気もちがしたことは、これが初めてだった。今ま 「そんなこと言ったって、こんなのなかなかできやしないで、頭ばかりさげさせられていた返報が、これでやっとで きたような気がした。 「だって、学校に行ってるんですもの、できないってこと はないでしよう。」 こんどの宿題は、また前のよりもむずかしかった。学校 吾一としては、けっして皮肉を言ったつもりではないの だが、これより大きい皮肉はなかった。 に出ていればなんでもないと思うが、毎日、湯どののそう 「なんだい。そんなこと言わなくたっていいじゃないか。」じをさせられたり、使い走りばかりさせられていては、算 「ですけれども : : : 」 術のこみ入った問題なんか、とてもそう解けるものではな っこ 0 「おらあ、もう、学校、いやになっちゃったんだ。」 、刀事ー 「お・ほっちゃん、そんなもったいないことを言って : : : 」 「どうしたい。 もう、できた。」 「困っちまったなあ、おらあ、こんど先生にさされるん「まだ半分ぐらいしかやっていません。」 「だめだなあ、そんなこっちゃ。あしたのにまに合やしな いじゃないか。」 翌日になると、秋太郎はもう、自分のほうが債権者のよ 「おい、五助、頼むからやっておくれよ。」

6. 現代日本の文学12:山本有三 集

「ふうん。ーーー何もしてないんなら、おまえ、これをやっ てごらん。こういうの五助にできるかい。」 秋太郎は算術の問題を吾一に突きつけた。おれは今、こ んなむずかしいのをやっているんだぞ。おまえは小学校に いた時は優等だったが、中学でやっている、こういうのは できないだろう、と言わぬばかりの顔つきだった。 吾一はあい変わらず、商売に身がはいらなかった。「そ そんなことをされると、吾一は例の気性で、そのまま引 のくらいのことが辛抱できないようでは、ほかのことをやっこんではいられなかった。「なんだい、算術の問題なん ったって成功するはずはありませんよ。」と、言われたこか。ーー算術ぐらい、中学へ行かなくたってでぎるとも。」 とばは耳に残っているけれど、どうも店の仕事に熱中するという気になって、彼は突ぎつけられた問題をじいっとに ことはできなかった。勝ち気な彼は、「精神一到」の格言らんだ。 を思い出してみたりするが、呉服やという商売は、彼のしそれは、受験の準備をやった時、手がけたことのあるも ように合わなかった。それだから、用を言いつけられるので、いくらか、形は変わっているけれども、たいして、 と、とかく、とんまなことをやって、しかられることが多むずかしい問題ではなかった。彼はさっそく運算をして、 かった。そんな時には、彼はいよいよ商売がいやになっ答えを出すと、 て、蔵のすみか、ふとんべやの中に引っこんでしまい、自「これでいいんでしよう。」 分の持ってきた本を出して、そっと読んでいたりした。 と、あい手に突き返した。 ある晩、ふとん・ヘやに隠れていると、突然、秋太郎がや秋太郎は吾一をへこますつもりで見せたのに、かえっ ってきた。こんなところを、主人に言いつけられてはたまて、へこまされた形で、少々ひっこみがっかなかった。彼 らないから、吾一は青くなって、読みさしの本を夜具の中は返事もしないで、すうっと奥へ行ってしまった。 に突っこんだ。 すると、その翌晩、秋太郎はまた算術の問題を、三題持 「何してたんだい。」 ってきた。 いえ、なんにもしてやしません。」 「どうだい、これ、できるかい。」 吾一の声はふるえていた。 今度のは、前のよりも少しむずかしかった。きのう、す ゃぶ入り

7. 現代日本の文学12:山本有三 集

れはおどかしだったのだ。 できなかった。 彼は店のうしろのほうに、また、小さくなってすわって晩ごはんのあとも、また秋太郎のへやに引っこんで、一 いた。そしてまごまごしながら、品ものの出し入れを手つ生懸命にやった。そのうちに、やっと一題だけは、どうに だっていた。 かやりあげたが、残りの分は、なんとしても手がっかなか 遊びに行って帰ってきた秋太郎は、 った。吾一は頭をかかえたまま、くやしそうに問題を見つ 「もう、できた。」 めていた。 と、タがた、のんきそうな顔をして、やってきた。吾一 「どうしたい。まだかい。」 は、見つかって、しかられた話をした。それだから、あと机にもたれて、いねむりばかりしている秋太郎は、とき の分は、まだ一題も手をつけていません、と言った。 どき目をあけては催促した。 秋太郎は青くなってしまった。彼はあわてて奥へ飛びこ 「こいつはむずかしいんですよ。どこから手をつけていし んでいったが、まもなく戻ってきた。 か、わからないんです。」 「おい、五助、こっちへおいで。」 「そんなこと言わないで、早くやってくれったら。あし 「なんのご用です。」 た、当てられるんじゃないか。」 「算術をやるんだよ。」 「ええ、そりやもう大丈夫ですよ。寝ずにだって、きっと 「そんなことをしたら、大変です。また、どんなお目だまやってしまいますよ。」 を食うかわかりません。」 しかし、十時になり、十一時になっても、なかなか問題 「大丈夫だよ。おれ、おっかさんに話をしたんだから : : : 」は解けなかった。秋太郎は待ちきれないで、いつのまにか とこの中に、もぐりこんでしまった。 「お話してもいやですよ。店のご用をしないと、 「今度は大丈夫だったら。おれのへやでやるんだから。」 主人のむすこがいびきをかいている横で、吾一は鉛筆の さきをなめながら、しきりに、頭をひねっていた。そして 彼は引っぱるようにして、吾一を自分のへやにつれてい っこ 0 運算をやりかけてはやめ、やりかけてはやめ、なんども同 吾一は机に向かって、問題を解ぎ始めた。さっき解説をじことをくり返していた。 見ておいたから、二題はすらすらとできたが、なんと言っ 問題はいつになっても解けないし、昼まのつかれは出て ても、彼は学校へ行っていないから、あとの三題は容易にくるし、彼はヘとへとになって、眠るともなく、机により

8. 現代日本の文学12:山本有三 集

だ見ていない。山本有一二の文学を理解するためには、 の そういうものにあたることも必要だと田 5 っている。だ 業 が、これは課題として残しておかねばなるまい。 卒か 学な 進学の問題は、つぎの年にも持ち越されている。解 中母 決の糸口をつかんだのは、明治三十八年 ( 一九〇五 ) な 0 左 一月、母のとりなしで、父の強い反対を押し切って、 明き上京し、神田にある正則英語学校に入学し、また、同 予備校に通うことができるようになってからであった。 数え年で、十七歳、十八歳、十九歳と、二年余り、足 踏みをさせられたのであった。普通の少年なら、父親 の強い権威に押しつぶされて、家業に従っていたかも しれぬ。だが勇造は、自己の意志を貫くことに成功し たのである。これは、山本有一二の精神形成史のなかで、 最も大きい事件の一つだったように思われる。ト ス・マンは、 trotzdem ( にもかかわらす ) とい、つこと を強調したことがある。それはつぎのように述べられ ている。「現存する一切の偉大なものは、一個の『そ れにもかかわらす』として現存し、苦痛と憂苦、貧困、 孤独、虚弱、病患、情熱、その他百千の障害にもかか ( 高橋義孝訳『ヴェニ 右左より二人目十九歳ごろわらす出来上ったものだ : の有三左端は父元吉 スに死す』 ) この言葉は、山本有三その人にそっくり 上明治四十四年夏のカラフあてはまる。 ト旅行記念最後列右が有三 勇造は、数え年十九歳で、中学の初年級の勉強から 438

9. 現代日本の文学12:山本有三 集

は、言うまでもありますまい。この中に書かれているよう多くの民衆を引きつけることはできなかったでしよう。 ある政治家の説によると、この小説は二百万人の民衆 3 な、むごたらしい事実は、あちらでも、こちらでも、まの あたり行なわれていたのですから、当時の人びとの感激は、を、奴隷制度反対論者に導き入れたということです。この 今われわれが読んで受けるようなものとは、とても比較に数字にどれだけの根拠があるのかわかりませんが、とにか く、おびただしい人びとに、黒人解放の思想を吹きこんだ ならなかったと思います。その結果、奴隷解放の思想が、 ことは、まちがいありません。こうして、黒人の悲惨な境 火のように燃え上がりました。奴隷の問題は、これ以前に も相当やかましかったことはやかましかったのですけれど遇と、不合理きわまる奴隷制度というものが、はっきりと も、この小説によって一層、大きな人道問題、社会問題に明るみに出され、人びとの心に植えつけられてゆくに従っ て南と北と、奴隷を所有する者と、所有すべからずとする 進展したのです。 もとより著者は婦人のことですし、つつしみ深いクリス者との対立が、年とともに高まり、ついに南北戦争とい 足かけ五年にわたる大戦争をひき起こすことになった チャンですから、決して暴露のための暴露をやったわけでう、 、このです。 はなく、また民心をあおるために、ことさら激しく書しオ それはちょうど、「アンクル・トムの小屋』が発表され ものでもないのですが、結果からいうと、この小説はじっ に、はかり知れないほど、大きなやく割りを演ずることにた時から、十年目でした。ですから「アンクル・トム」は なりました。これはそのまま、奴隷所有制度にたいする痛十年間、一日も休みなく、奴隷制度の不都合なことを、世 烈な告訴状となり、不正をただすための熱烈な教書となつ人に訴え続けていたわけです。もし、この地ならしができ ていなかったら、もし、この小説の君想が一般にしみとお たのです。 っていなかったら、リンカンのような偉大な人物がいたと 当時、文字の読める人で、この小説を読まなかった人は なく、読んで動かされなかった人はなかったといわれましても、奴隷解放というような大事業は、なかなか成功し す。文字の読めない人は、読んでもらって聞きました。聞なかったでしよう。 その戦争の最中のことです。一日、ストウ夫人はワシン いて感動しなかった人はほとんどありません。もちろん、 トンに出たついでに、時の大統領リンカンを訪問しまし 当時の社会情勢が、この小説を受け入れるような状態にあ こ。リンカンは、かれ一流の粗野な快活さで、彼女にイス ったからでもありましようが、しかしこの物語の中に、人ナ びとの心を打つものがなかったならば、とても、こうまでをすすめました。

10. 現代日本の文学12:山本有三 集

も聞くことができなかった。 うか。それとも、いつもの気まぐれなのか、あるいは吾一 彼はこのことをおっかさんに話すのがこわかった。うつを種にして、なんかよくないことでも、たくらんでいるの かり話したら、またきっと、しかられるにちがいないと思ではないだろうか。 例によって、庄吾からは何もこま っていた。それで、しばらく黙っていたが、ある日、仕立かいことを言ってこないので、そこをどう判断してよい 物のことで、うちへ行った時に、彼は恐る恐る母おやの気か、ちっとも見当がっかないのである。庄吾からは早く取 を引いてみた。 り戻せと言ってくるし、いせ屋にはそんなことは言えない 「それで、おまえはどうするつもりなんだい。」 し、おれんは、あいだで困りぬいていた。途方にくれてい おれんは吾一の話を半分も聞かないうちに、そう言った彼女は、し 、っそ本人の心まかせにしてやるほうがよくは た。おこられることとばかり思っていたのに、母の態度がないかと、そう思ったのである。 前とはまるでちがっているので、吾一はあっけに取られが、吾一は母の問いに答える前に、 た。しかし、むすこにこそ話さなかったけれど、じつを言 「ね、おっかさん、おとつつあんの手がみには、わたしは うと、彼女はこの問題については、とうから悩んでいたの人質だって書いてあるんですが、わたしが人質って、いっ であった。 たい、なんのことなんです。」 庄吾がいせ屋に手がみをぶつつける前に、おれんの所に 「まあ、おとつつあんは、そんなことを・ : ・ : 」 は、すでに同じ意味の手がみが、なん本も来ていたのであ「ええ。」 る。吾一をいせ屋にやる時には、なんとも言ってよこさな 「そ、そんなことは聞かないでおくれ。わたしが悪かった かったくせに、今ごろになって、取り戻せなんていうことんだよ。何もかも、わたしが悪かったんだよ。」 は、随分、勝手な話だが、しかし、ある時は東京へ引っ越「お店で、なんかひどいことをしているんですか。」 すんだと言って、がみがみせき立てながら、そのあとで 、え、お店が悪いって言うよりは、 : おっかさん : おっかさんが世間みずだったものだから : : : 」 は、まるで知らん顔をしている庄吾のことだから、彼の気が、 まぐれは、今に始まったことではないのだ。・、、 、刀 ) ごっい、つ おれんはそう言いながら、泣き伏してしまった。 わがままはとにかくとして、なんで今、急に、吾一を呼び 寄せようとするのであろう。それがおれんには、よくわか らなかった。吾一のために、何かよいことがあるのであろ おれんは、できるだけ、その話を避けようとしているよ