かかったまま、こくりこくりやりだした。と、急に、二のた。おそくまで起きていて、やってやったのに、「五助、 腕のあたりに、タバコの火を押しつけられたような、ちりあれはまちがっていた・せ。」なんて言われたのでは、彼も っとした刺激を感じた。吾一はびつくりして目を開き、あ実際やりきれないと思った。 わててそでをまくりあげた。皮膚が少し赤くなって、はれそれからというものは、秋太郎が学校から帰ってくる あがっていた。 と、吾一はすぐ奥へ呼ばれた。そして、むすこのおあい手 「畜生。」 をさせられた。秋太郎ができないのは、算術だけではな と、彼は思わず叫んだ。 。国語も漢文も、歴史も地理も、みんな、いけないので からだ中が、なんだか、むずがゆくなってきた。彼は立ある。しかし、吾一はそのおかげで、奉公していながら、 ちあがって、着ものをぬぎ、帯をきちんとしめかえた。 中学の学科を全部、学ぶことができた。そのうえ、もっと そうしたら、急に眠けがさめてしまって、頭が、はっき都合のいいことには、それ以来、ふろのそうじもしなく りしてきた。彼は改めて机に向かい、問題をにらみ返しってよくなったし、使い走りの数も、ずっと少なくなっ た。今度は前と方針を変えて、別のやり方で、ぶつかってた。 いった。それからいろいろ計算をやっているうちに、やっ秋太郎の机によりかかって、彼が本を読んでいても、も と、最後の問題も、どうやら解答を捜し出すことができう、主人はなんにも言わなかった。店への出はいりに、主 人はなんどとなく、彼のそばを通るのだが、せんじ薬を、 その時には、もう二時を過ぎていた。けれども、あした飲んだあとのような顔をしているだけで、「よくやってく こごとも言わなかっ 秋太郎がまごっいてはいけないと思い、彼はそれをすっかれるなあ ! 」とも言わないかわりに、 り清書した。それから、そうっと店へ戻って、みんなの横た。小僧の分際では、「どうだい。」と、そり身になるわけ 石 に、とこをのべた。 に冫し力なしが、このあいだ、おこられたあとだけに、く の すぐったい感じがしてたまらなかった。 路秋太郎は大いばりで学校から帰ってきた。ポールドの前秋太郎と勉強していると、女中がときどきお菓子を持っ に出て宿題をやらされたところ、一つもまちがっていなかてきてくれた。もちろん、それは、彼に持ってくるのでは ない。秋太郎に持ってくるのだが、いつも秋太郎が分けて ったので、先生からほめられたからである。 その話を聞くと、吾一も自分のことのようにうれしかっくれるので、吾一はそれが楽しみだった。卑しい話だけれ こ 0
れはおどかしだったのだ。 できなかった。 彼は店のうしろのほうに、また、小さくなってすわって晩ごはんのあとも、また秋太郎のへやに引っこんで、一 いた。そしてまごまごしながら、品ものの出し入れを手つ生懸命にやった。そのうちに、やっと一題だけは、どうに だっていた。 かやりあげたが、残りの分は、なんとしても手がっかなか 遊びに行って帰ってきた秋太郎は、 った。吾一は頭をかかえたまま、くやしそうに問題を見つ 「もう、できた。」 めていた。 と、タがた、のんきそうな顔をして、やってきた。吾一 「どうしたい。まだかい。」 は、見つかって、しかられた話をした。それだから、あと机にもたれて、いねむりばかりしている秋太郎は、とき の分は、まだ一題も手をつけていません、と言った。 どき目をあけては催促した。 秋太郎は青くなってしまった。彼はあわてて奥へ飛びこ 「こいつはむずかしいんですよ。どこから手をつけていし んでいったが、まもなく戻ってきた。 か、わからないんです。」 「おい、五助、こっちへおいで。」 「そんなこと言わないで、早くやってくれったら。あし 「なんのご用です。」 た、当てられるんじゃないか。」 「算術をやるんだよ。」 「ええ、そりやもう大丈夫ですよ。寝ずにだって、きっと 「そんなことをしたら、大変です。また、どんなお目だまやってしまいますよ。」 を食うかわかりません。」 しかし、十時になり、十一時になっても、なかなか問題 「大丈夫だよ。おれ、おっかさんに話をしたんだから : : : 」は解けなかった。秋太郎は待ちきれないで、いつのまにか とこの中に、もぐりこんでしまった。 「お話してもいやですよ。店のご用をしないと、 「今度は大丈夫だったら。おれのへやでやるんだから。」 主人のむすこがいびきをかいている横で、吾一は鉛筆の さきをなめながら、しきりに、頭をひねっていた。そして 彼は引っぱるようにして、吾一を自分のへやにつれてい っこ 0 運算をやりかけてはやめ、やりかけてはやめ、なんども同 吾一は机に向かって、問題を解ぎ始めた。さっき解説をじことをくり返していた。 見ておいたから、二題はすらすらとできたが、なんと言っ 問題はいつになっても解けないし、昼まのつかれは出て ても、彼は学校へ行っていないから、あとの三題は容易にくるし、彼はヘとへとになって、眠るともなく、机により
らすらとできたので、どこまでもおれをへこまそうとしゃんと答えが出てきた。彼は秋太郎が学校から戻るのを待 て、こんなことをするのだな、と思うと、吾一はしやくにつて、さっそく、それを見せた。 さわってたまらなかった。 「ふム、これでいいんかね。」 「畜生、このくらいできなくって : : : 」と、彼はすぐ向き秋太郎の返事は、案外、張り合いのないものだった。 になって、計算をやりだした。初めの二題はそう苦しまず「なあんだ、おぼっちゃんはまだやっていなかったんです 、カ にできたが、最後の問題はなかなか答えが出なかった。 いえ、大丈夫ですよ。それでまちがってやしま 「どうだい。むずかしいだろう。」 せんよ。先生に聞いてみりや、すぐわかりますよ。」 吾一は自信をもって、そう言い放った。その時、「五助 、え、できないことはありませんよ。」 「できるかい、五助に。」 どん。」と呼ぶ声がしたので、彼はそのまま、店へ飛んで っこ 0 し十ー 「できますとも。」 一「三日後、秋太郎がまた吾一のそばへやってきた。 吾一は、やりかけては消し、やりかけては消し、なんど 「どうでした、このあいだのは。あれでいいんでしよう。」 も運算をやり直した。 と尋ねると、 「どうしたい。」 「ちょっと待ってください。問題が少しひねってあるん「うん。」 と、秋太郎は簡単に答えた。そして、甘えるような目っ きをしながら、 「それじゃ、あしたの晩まで待ってやらあ。」 「おい、五助、おまえ、もう少し数学をやっておくれよ。」 「あしたでよければ、きっとやってみせますよ。」 その晩は寝どこの中にはいってからも、一生懸命に考え主人のむすこは、コンニヤク版ずりの紙をそっと突き出 石 たが、どうしてもできなかった。彼は商売のほうには身がした。 の はいらないけれども、こういうこととなると、寝ずにでも「これは学校の宿題じゃないですか。」 秋太郎はただにやにやしていた。 路考えるたちだった。 翌日、染めもの屋に使いに行った帰り道で、彼は不意に 吾一ははっと気がついた。「・ハ力にしてやがる。」と腹の 問題のカギをつかんだ。光がさしこんできたように、頭の中で思ったけれども、ことばの上では丁寧に言った。 中が急に明るくなった。帰ってから運算をしてみると、ち「それじゃ、このあいだのも、やつばり宿題じゃなかった で、 、 0
だった。それをつけると、カのある者が急に力がなくなっ れも慣れない新まえの小僧なので、ほかの者よりも、もっ とひどい扱いだった。秋太郎のほうは、「五助。」と呼ぶ時てしまい、カのない者に、突然、カがわきあがってくるの でも、どこか気がねをしている様子が見えるが、おきぬに は、そんなしんしやくは、つめのあかほどもなかった。 小学校にいた時分は、何よりも実力がものをいった。実 「女のくせに。」と、彼は歯がみをしたけれども、小僧の分力のある者は尊敬され、実力のない者は見さげられる。そ 際では、ロごたえもできなかった。 れはあたりまえ過ぎるほどあたりまえのことだ。しかし、 「ねえ、クツを出してったら : : : 」 いったん前かけをしめると、もうそんなものは通用しな なあ こっちがどれだけ腕つぶしが強くっても、 いつのまにやってきたのか、秋太郎が縁がわから足をに よきっと投げ出していた。新調の制服のボタンが、うす暗に、今だって秋太郎と取っ組み合いをすれば、すぐにも、 ねじ伏せることができるけれども、取っ組み合いはさてお い玄関のなかでびかびか光っていた。 吾一は中学の服を着た友だちの姿を、まともに見あげる いて、「秋ちゃん、腕ずもうをしよう。」と言うことさえ ことはできなかった。彼は下を向いたまま、無言で秋太郎も、言えない立ち場に置かれているのだ。前かけって、じ の足もとにクツをそろえた。思わずまぶたに涙がにじんつにおかしなものだ。腰にしめていながら、こいつをかけ たが最後、もうどうしたって、頭があがらないようにでき 学校もできなければ、力もなくって、いつも馬のうしろているのだ。まるで前かけのひもが、首っ玉をしめつけて 足や、兵隊ごっこのたま拾いばかりやっていた劣等生の足いるように、頭は年中、ひざのほうに引っぱられているの もとに、どうしておれはクツをそろえなければならないのだ。小学校にいたころはお山の大将で、ふんそり返ってい だ。ここのうちに来る前までは、彼が「進め。」と号令をた彼も、全く、べしゃんこにされた形で、ここでは人間の かけると、みんな彼のことば通りに動いたのだ。とんまな実力なんか、てんで問題にならない。幅がきくのはそんな 秋太郎などは、命令をまちがえて、なんど、彼に剣つくをものよりも、もっとほかのものであることを、彼は毎日、 食わされたか、わかりやしない。ところが、彼が紺の前か前かけから説教されていた。 けをしめるようになったら、何もかもあべこべになってし「五助どん、お店で呼んでいますよう。」 台どころでナ・ヘを洗っていた女中が、大きな声で彼を呼 まった。前かけ一枚に、なんという不思議な力がこもって いるのだろう。それはまるで手じなのマントのようなものんだ。 よ」 0
「ふうん。ーーー何もしてないんなら、おまえ、これをやっ てごらん。こういうの五助にできるかい。」 秋太郎は算術の問題を吾一に突きつけた。おれは今、こ んなむずかしいのをやっているんだぞ。おまえは小学校に いた時は優等だったが、中学でやっている、こういうのは できないだろう、と言わぬばかりの顔つきだった。 吾一はあい変わらず、商売に身がはいらなかった。「そ そんなことをされると、吾一は例の気性で、そのまま引 のくらいのことが辛抱できないようでは、ほかのことをやっこんではいられなかった。「なんだい、算術の問題なん ったって成功するはずはありませんよ。」と、言われたこか。ーー算術ぐらい、中学へ行かなくたってでぎるとも。」 とばは耳に残っているけれど、どうも店の仕事に熱中するという気になって、彼は突ぎつけられた問題をじいっとに ことはできなかった。勝ち気な彼は、「精神一到」の格言らんだ。 を思い出してみたりするが、呉服やという商売は、彼のしそれは、受験の準備をやった時、手がけたことのあるも ように合わなかった。それだから、用を言いつけられるので、いくらか、形は変わっているけれども、たいして、 と、とかく、とんまなことをやって、しかられることが多むずかしい問題ではなかった。彼はさっそく運算をして、 かった。そんな時には、彼はいよいよ商売がいやになっ答えを出すと、 て、蔵のすみか、ふとんべやの中に引っこんでしまい、自「これでいいんでしよう。」 分の持ってきた本を出して、そっと読んでいたりした。 と、あい手に突き返した。 ある晩、ふとん・ヘやに隠れていると、突然、秋太郎がや秋太郎は吾一をへこますつもりで見せたのに、かえっ ってきた。こんなところを、主人に言いつけられてはたまて、へこまされた形で、少々ひっこみがっかなかった。彼 らないから、吾一は青くなって、読みさしの本を夜具の中は返事もしないで、すうっと奥へ行ってしまった。 に突っこんだ。 すると、その翌晩、秋太郎はまた算術の問題を、三題持 「何してたんだい。」 ってきた。 いえ、なんにもしてやしません。」 「どうだい、これ、できるかい。」 吾一の声はふるえていた。 今度のは、前のよりも少しむずかしかった。きのう、す ゃぶ入り
152 ど、奉公をしていると、たべることのほかには、何一つ楽「この中にはいっているあんこみたいなものは、なんで しみがないのだ。だから三度の食事が何よりも待ち遠しいす。」 「それかい。それ、ジャムだよ。」 のだが、しかし、食事の時には、吾一は一番あとでなくっ ては、台どころのおぜんの前にすわれないのだから、おみ「へえ、ジャムってんですか。うまくって、舌がとけちゃ おつけのみなんか、ほとんど残っていないし、それに彼らいそうですね。」 とろけ のあいだでは、早めしとなんとかは芸のうち、なんてこと初めてジャムをなめた吾一は、その甘ずつばい を言って、 ( シを早くハシ箱にしまう者が、気のきいた人るような味の中に、ほのかに「東京」を感じた。東京っ 間とされているために、彼はいつだって、おちおち食事をて、こんな感じのする所なんじゃないかしらと、まだ見た ことのない大都会を、彼はひとりで空想した。 したためしがなかった。 ところが、秋太郎といっしょだと、ゆっくりたべられる「五助、そんなにすきなら、残ってるの持ってってもいい ばかりでなく、うちにいた時にたべたことのないような、 上等のお菓子が出るので、吾一は一日のうちで、この時だ「でも、お・ほっちゃんのが、なくなっちゃうじゃありませ んか。」 けが天国にいる思いだった。 ある日、彼はカステラでこしらえた、おまんじゅうのよ「いいよ、おれはまた、あとでもらうから。」 うなものを秋太郎からもらった。生まれて初めて見るお菓秋太郎はそう言って、菓子ザラの中のワップルを紙に包 んでくれた。 子なので、吾一はきもをつぶしてしまった。 吾一はこの時ぐらい秋太郎をありがたいと思ったことは 「これ、なんて言うんです。」 なかった。できないどらむすこの背なかから、さっと後光 「ワップルって言うんだよ。」 がさしたように、尊く見えた。 「へえ、ワップルー ワップルってんですか。むずかしい 名まえですね。・ほっちゃん。これ、おいしゅうござんす彼はもらったワップルを、ふとんべやに置いてある自分 ね。今までいただいたのも、おいしかったけれど、こんなのふろ敷き包みの中にしまっておいた。そして、ときどき うまいのは、初めてですね。 なんですか、東京のお菓一一階にあがっていっては、ふとんのかげに隠れて、半分ぐ らいずつ、そっと楽しんでいた。 子なんですか。」 暗いへやの中で、ジャムをなめていたら、ある時、ふい 「ああ、そうだよ。風月 ( ふうげつ ) ってうちのだよ。」
んですか。」 「そんなこと、どうだっていいじゃよ、 オしか。それよりも五「今度やっていかなかったら、先生はもう、おれのこと、 助、こいつも是非、やっておくれったら、ー・ーー今すぐじや教室に入れないって言っているんだ。」 なくっても、 しいから、あさってまででいいや。」 「それじゃあ、やっといてあげましよう。」 「でも、おぼっちゃん。 「やってくれる。本当かい。ああ、助かった。 ああ、「お・ほっちゃん」ということばの、なんと言いに五助、おまえ、学校をやめちゃったのに、よくできるね。」 くいことか。吾一は、このことばを使う時には、一度、息吾一は返事の代わりに、微笑をもって秋太郎の顔を見か をしてからでないと、すぐには、くちびるの上に出てこなえした。秋太郎は気まりが悪そうに目を伏せた。 っこ 0 吾一はなんだか胸がすうっとした。ここのうちへ来て、 「でも、お・ほっちゃん、宿題は自分でやらなくちゃ こんな気もちがしたことは、これが初めてだった。今ま 「そんなこと言ったって、こんなのなかなかできやしないで、頭ばかりさげさせられていた返報が、これでやっとで きたような気がした。 「だって、学校に行ってるんですもの、できないってこと はないでしよう。」 こんどの宿題は、また前のよりもむずかしかった。学校 吾一としては、けっして皮肉を言ったつもりではないの だが、これより大きい皮肉はなかった。 に出ていればなんでもないと思うが、毎日、湯どののそう 「なんだい。そんなこと言わなくたっていいじゃないか。」じをさせられたり、使い走りばかりさせられていては、算 「ですけれども : : : 」 術のこみ入った問題なんか、とてもそう解けるものではな っこ 0 「おらあ、もう、学校、いやになっちゃったんだ。」 、刀事ー 「お・ほっちゃん、そんなもったいないことを言って : : : 」 「どうしたい。 もう、できた。」 「困っちまったなあ、おらあ、こんど先生にさされるん「まだ半分ぐらいしかやっていません。」 「だめだなあ、そんなこっちゃ。あしたのにまに合やしな いじゃないか。」 翌日になると、秋太郎はもう、自分のほうが債権者のよ 「おい、五助、頼むからやっておくれよ。」
「だけど、うちのおとつつあん、言ってたよ、中学へ行っ 京造は、そのことばが聞こえなかったのか、 たって、五寸角はかっげねえって。」 ないはずはないと思うのだが、 「中学校は材木やじゃねえよ。」 「秋ちゃん、おめえ、本当に中学に行くのか。」 吾一はすばやく切り返した。 「そ、それはそうだけど、なに商売にも役にたたねえって と、急に秋太郎のほうに、からだをねじってしまった。 わざと避けたわけではないのかもしれないが、吾一にはさ。」 ことばでは京造はさつばり、さえなかった。向こうがた その態度が不愉快だった。 じたじとなったところをおさえて、五口一は上のほうから言 「うん。行くよ。」 っこ 0 秋太郎は軽く答えた。 「たっか、たたねえかは、やってみなくっちやわかんねえ 「・ハ力だな。中学になんか行ったって、どうするんだ。」 「だって、おとつつあんが行けってんだもの。」 と、作次は急に横から吾一に迫った。 「おとつつあんが言ったってさ・ : ・ : 」 「そんなこと言って、おめえも中学に行くんけえ。」 「そうだとも、中学なんかつまらねえや。よせ、よせ。」 おら、どうだかわ 「おらあ、どうだかわかんねえよ。 作次もそばからロを出した。 そのころ、この小さい町では、中学というものは、そんかんねえが、中学へ行っちゃいけねえってことはねえじゃ なに歓迎されなかった。中学なんかやると、なま意気になねえか。行っていけねえもの、県庁で建てるわけがあるけ るというのが、一致した意見だった。それが自然にここに 反映したわけだろうが、しかし吾一は、こんなふうに秋太吾一にこう言われると、反対派はまともに突っかかって いくことは困難だった。作次はまた、側面からからんでい 石郎がみんなからやられているのを見ると、なんだか気の毒 っこ 0 のになった。彼は、けさ、秋太郎を迎えに行ってやらなかっ 傍 たので、なんとなく気がひけていたところだったから、秋「ふん、そんなこと言うんなら、おめえも中学へ行ったら しいじゃねえか。」 太郎をかばってやる気になった。 「おら、わかんねえよ。わかんねえって言っているのに、 「そんなこと言わなくたっていいよ。きたい名は、行っ わかんねえ人だな。」 たっていいじゃないか。」 聞こえ
「吾一ちゃん、そこがいいよ。」 「うん、みんなで自慢話をやっていたんだよ、だれが一番 おきぬは炉ばたにいた兄をどかせると、吾一をあとにすすばらしいことをやったかって。 おい、あとを話せ わらせた。 よ、勝ちゃん。」 彼女は年に似あわず、伝法はだで、兄を兄とも思わない 京造は議長のような態度で、進行をはかった。 ところがあった。秋太郎を、炉ばたからどかせるぐらいで「なんだか、話しにくくなっちゃったなあ。」 はない。自分の兄を「にいさん」とも言わないで、「秋ち「そんなこと言わねえで、早くやれったら。」 ゃん」と友だち扱いにするのである。もっとも、秋太郎は「もう、さっきで、たいてい話しちゃったようなものなん おきぬと年が一つしかちがわないうえに、学校を落第した それから、なんだ、そうっと草ん中からはい出 りしているので、とかく、兄の重しがきかなかった。 して、逃げてきちゃったのさ。」 おきぬはまゆがこく、目がばっちりしていた。そして、 「それじゃ、ただスモモをもぎとってきただけじゃねえ しもぶくれのほおも、大きな商家の娘らしく、なんとな く、福々しかった。ぽんぼんものを言うたちだけれど、学「そんなことを言ったって、おめえ、あのじいさんが、が 校のほうは、兄とちがって非常によくできた。そのせい んばってるとこを盗んでくるなあ、容易じゃねえぞ。」 か、できない兄はけいべっするが、吾一のようにでぎる者「なんだい。スモモの一つや二つ。おれなんか、こんなで には、好意を持っていた。秋太郎をどかせて、吾一を炉ばっかい看板をかついできちゃった。」 たに迎え入れたのも、その一つのあらわれである。 「なんの看板 ? 」 「おい、勝ちゃん、それからどうしたんだ。」 「薬種やの看板さ。人魚の絵のくつついてる、あのびかび 京造はあぐらを組みなおしながら、催促するように言っか光ってるやつを、はずしてきたんだ。ちょっと、すごい た。 だろう」 「あ、そう、そう。吾一ちゃんが来たんで、すっかり話が「薬種やって、いわし屋かい。あんな人どおりの少ない所 とぎれちゃったね。」 のなら、わきゃあねえや。おれは交番の前のうちの、表札 おきぬは京造のきげんをとるように、わきから調子を合をひっぺがしてぎたぞ。巡査が向こうを向いてるまに、ば わせた。 っとやっちゃったんだ。」 「なんの話、してたの。」 話がはずんでくると、だれも彼も負けぬ気になって、い
ないほうがいいんだ。先生が来る前に、運動場にちゃあん「うん。」 と並んでいるほうがえらいんだ。 作次は駆け通しだったので、ことばが続かなかった。彼 しばらくすると、「わあっ ! 」という声が、うしろのほ は一度、息をついてから言った。 うでした。 「おれたちも、あれからすぐ、駆けてきたんだよ。」 彼らが追いかけてきたのかもしれない。吾一は追いっか「じゃ、寄らなかったの、秋ちゃんち ? 」 冫前よりも足を早めた。 れないようこ、 「うん、京ちゃんだけが行ったんだ。」 「おおい。」 「みんなも京ちゃんのこと、おいてぎちゃったの。」 大ぜいの声がだんだん迫ってきた。 「ううん、そうじゃねえ、京ちゃんがね、秋ちゃんちへ行 くのはおれだけでい 「待っててえ。」 、みんなさきへ行けって言ったんだ 「おおい。」 「吾一ちゃあんー」 それを聞くと、吾一はなんだかげんこつでむなもとを、 「いっしょに行こう」 ドカンとやられたような気がした。 校門の所へ来た時に、授業の始まる鐘が鳴りだした。吾 連動場に並んでいた生徒は、朝の礼がすむと、先生に導 いくらかほっとした気もちで、うしろをふり返っ 一は、 こ 0 かれて、それぞれ教室にはいった。 そこへ、みんなもどやどや駆けこんできた。 京造と秋太郎がやってきたのは、それから七、八分もた 吾一はてれかくしに、えがおをつくって、彼らを迎え ったあとのことだった。 こ 0 「今、なんの時間か知っているか。」 校庭にはもう、どの組の生徒も、それそれの位置に列を次野 ( つぎの ) 先生は教壇の上から、ふたりをにらみつ つくっていた。吾一は遅れてきた連中といっしょに、すばけた。 「福野、おまえはなんで遅れてきたんだ。」 やく自分たちの組にもぐりこんだ。 「でも、早かったね。」 吾一はいっしょにもぐりこんだ作次に、 小ごえで言っ「寝・ほうをしたんだな。」 こ 0 秋太郎は返事をするかわりに、頭のてつべんに手をやっ